好きだと言えるなら、言えたなら。
果たして。果たして。
夏の終わり、体育館の裏で。俺たちは、見つめあう。
息が止まる程の沈黙は、一瞬のようであり、永遠のようであり。
そして、それが破れて。均衡は、崩れる。
「先輩、好きです」
それは。俺がずっと言いたかった事。そして、言えなかった事。
でも、でも。
それは――
「私は、猪股先輩が、好きなんです」
……俺に、向けられたものだった。
千夏先輩との同居が始まって、一年以上になる。俺たちは相変わらずで、上手く行っているような行っていないような。学年が上がり、それでもずっと俺たちは俺たちでしかない。そして夏が終わって千夏先輩はバスケを引退し、その先を見据えて新しい場所へと巣出とうとしている。卒業と同時に同居は終わる、それが分かっていても一歩踏み出せないまま、俺たちは日々を重ねていた。
そんな時に、俺は後輩から告白を受けたのだ。
女子バドミントン部の一年、丹沢紅葉。外部の中学から英明の高等部に進んだ子で、女バドの部員では一番早く朝練に来ている。まあ俺も大概早いんだが、丹沢には結構追い抜かれている。印象としては、「静かな子」。淡々としか喋らないタイプで、女バドの連中からはちょっと下がって接しているような。そして何故か――俺の事が好き、らしい。
真剣な瞳に、気圧されそうになる。こんな風に好意を向けられるのは、生まれて初めてだ。
……でも。
「なんだ、断ったのか」
「……まあ、な」
相変わらずどこか冷めた匡の言葉に、短く返す。
俺は、千夏先輩が好きで。だから、他の誰ともつきあえない。……とは、言えなかった。「今はそういうの考えてないから」と曖昧な事を言ってしまった。理由は一つだ、俺は怖いのだ。千夏先輩が好きだと周囲に知られる事が、怖い。千夏先輩がそれを知ってしまうのが、怖い。千夏先輩が俺を好きではないという事実を突き付けられるのが、怖い。だから、匡と雛以外にはほとんど何も言っていない。丹沢がどう思うかより、自分の心を守ろうとする。そんなダメな先輩なのに、丹沢はどうして俺を好きになったりするんだろう。
「変に気を持たせない方がいいぞ。今がダメなら明日になればいいかも、とか思いかねん」
「あー……まぁなー……」
匡の言い分は尤もだが、遅い。もう遅い。
あれから結構な頻度で「先輩好きです」が飛んでくる。なんなら挨拶の回数より多いくらいだ。女バド連中も面白がって焚き付けるから冷や冷やする。千夏先輩が体育館にあまり来なくなったあとだから良かったものの、下手をすれば鉢合わせしかねない。
なつかれるにしても度が過ぎてる。
そして、ある日の放課後。
部活もないし早めに帰るか、と昇降口を出ると、千夏先輩と雛が一緒にいるのが見えた。声をかけようと近付いた俺はしかし、直前で物陰に隠れ様子を窺う事になってしまう。……丹沢が、二人と向き合っていたのだ。
嫌な予感がする。隠れていないで一刻も早く場をどうにかするべきだ、と心が警鐘を鳴らしている。
千夏先輩も雛も、変な気配は感じているんだろう。仕草がどこかぎこちない。
丹沢はそれをわかっているのかいないのか。いつものように、淡々と静かに
「私、猪股先輩が好きなんです。なので、別れて頂けませんか」
――核弾頭を、撃ち込んだ。
千夏先輩と雛は双子のように同じ表情で固まり、そしてゆっくりと顔を見合わせる。
うん。当然だ。初対面の先輩二人相手に、そのクソ度胸はなんなんだ。
「別れてと言われましても……私大喜くんとは……」
「……まあ仲は良いけど、大喜とはそういうんじゃないから……」
二人揃っての否定は、ちょっと傷付く。そうだけどさ。そうなんだけどさ。興味無いとか言われなかっただけ良いけどさ。
「しかし猪股先輩の周囲で、ある程度以上仲が良い女子生徒はお二方しかいません。だから、どちらかと付き合っていると踏んだのですが」
あ、また。また流れ弾。なんで無駄に俺が傷付くんだ。
そりゃ仲が良い女子なんかいないよ、ずっとそうだし。雛は分類上女子だけど男の友達と変わらないし、千夏先輩とだって同居がなかったらロクにしゃべる事も無かっただろう。でも別にそれで困った事無いし。
とりあえず、丹沢はそれ以上食い下がりはしなかった。それだけが救いだ。
帰ったら千夏先輩に謝っておかないと。雛は今度で良いけど、同じ家にいる千夏先輩にはそうもいかない。何より気まずい。
二人が立ち去った後も何やら突っ立ったまま悩んでいる風な丹沢に忍び寄って、軽く小突いてやる。
「お前な、あんまり迷惑かけんなよ。突然あんな……」
「先輩、好きです」
……間髪いれずにそれが飛び出す辺り、コイツ反省とかしてないな。丹沢はしゃべり方や声量からすると物静かな常識人だけど、中身は結構な荒くれだ。この数日でよくわかった。
でも、だから。気になって仕方がない。
「俺が好き、って……そんなの、何で……」
「猪股先輩だからです」
その瞳は、真っ直ぐで。
「猪股先輩の、すべてが好きです」
その言は、真っ直ぐで。
「私にも止められません。誰に何を言われようとも、猪股先輩が好きなんです」
その心は、真っ直ぐで。
まるで――
そうか。そうなのか。きっと周りからは、こんな風に見えていたかもしれない。俺と、千夏先輩が。
俺と丹沢の違いは、一つだ。たった一つの気持ちを、抑え込んでいたかどうか。
だから、そう。
俺は改めて、言わなければならない。
「ごめん」
俺は、俺は――
「好きな人が、いるんだ。他の誰よりも、好きなんだ。だから、ごめん」
誤魔化さない。曖昧に逃げない。
もう、俺は。逃げてはいけない。
こんな俺を好きだと言ってくれた、後輩の為にも。
「……そうですか。でも、私は退きませんから。猪股先輩が誰を好きであろうと、私は負けません」
丹沢は瞳に闘志を宿し、真っ直ぐに俺を見据える。そんなの、俺だってそうだ。千夏先輩が他の誰を好きであろうと、例え俺を異性として見てくれなくても、俺の気持ちは決して変わらない。
俺たちは、似ていたんだ。バカで子供で、でも覚悟があって。全力で、突っ走ることしか出来ない。
そして、俺たちは。
「では猪股先輩、また明日」
「ああ、また明日な、丹沢」
お互い背をむけあい、走り出した。丹沢が何処へ行くかは知らない。でも、俺の行く先は決まっている。
一年。一年も、無駄にしてしまった。でもまだ、間に合う。生きている限り、必ず間に合う。
全力で、駆け抜けて。家に駆け込み、二階へと駈け上がる。
全ては、たった一つの言葉の為に。
「――先輩、好きです!!」
彼女の名前は「短冊」+「鹿に紅葉」からです。
前書いた青田紅葉さんと豪快に名前が被ってますけど、どうせ一緒には出ないし良いかなーって。
……そのうち使い回すかもしれませんけど。