たしか言い出したのは僕。
空元気だった。ベロニカが死んでしまったことを知った僕たちはウルノーガを倒すための旅をしていた。でも暗い顔をしていられないじゃないか。だから僕はカミュに切り出したのだ。
「まぁ構わないが、どんなのがいいんだ?」
「何かいいことがあった時にハイタッチするみたいに、こう……」
こぶしを作って、乾杯するみたいにぶつける。ちょっぴり特別なだけでいい。単純でよかった。ただ、カミュとの合図になればいいんだ。
「了解。ほら、相棒」
カミュはその時、にっと笑ってこぶしを突き出した。僕はそれに応えて握りこぶしをこつんと付き合わせたんだっけ。
それはかけがえのない思い出。二度と戻れない、過ぎ去りし時の。
pixivにも投稿しています。
オレはお前の気高さも孤独も知っている。はずだ。
唐突に、じんわりとオレを蝕んでいた焦りが激しくなった。理由は分からない。分かっているなら焦っちゃいなかっただろう。あの旅の途中からずっと強迫観念じみた「思い出さなければならない」という焦りがあって、それが胸の中で弾けて、それで、オレはそのまま疑問を口に出した。
「なんでそう、頑張れたんだ?」
「……は、いきなりなんの事なの」
その日は夜もとっぷりと暮れて。あたたかな部屋の中、カーテンの向こうでは静かな
シチューをすくったスプーンを口に入れ損ねて椀に戻したイレブンは、口を少しばかり尖らせながら、首を傾げる。
「いやだってよ、まぁまだウルノーガまではわかる。お前もオレたちもイシの村が滅ぼされちまったと思ってたし、だからお前にだっていくらかは復讐心だってあっただろうし、オレもあいつらもお前を勇者だって担いでたしな。でもよ、ウルノーガを倒した後に勇者の星が落ちて……世界中がびびっちまって、魔物が強くなって、あんな状況でそんで、さあ今度は世界を守るために邪神を倒そう! なんて普通思えねえだろ、なんで、なんであんなに頑張れたんだ?」
衝動のまま、沸き上がる言葉をそのままぶつけた。どうにもこうにも苛立っていた。イレブンへじゃない、自分にだ。あるいは勇者を定めた大樹に対してかもしれなかった。
だってこいつはいくら生まれながらに勇者と定められてたとしても、勇者として育てられたわけじゃないからだ。ペルラさんの息子としてド田舎の村で大事に大事に育てられた、愛情たっぷりに育てられたのだ、ごく普通の青年として。
多少剣の腕はたっただろうが、最初は特別なものじゃなかった。才能は感じられたがそれまでだった。オレは知っている。
どこか焦りながら答えを待った。まったく支離滅裂な投げかけに答えが欲しかった。
「らしくないねカミュ」
返ってきたのな不服そうで、呆れた声だった。
「ちっともらしくないよ。キミがそう分かりにくく話すなんて。意図も伝えずに、なんでなんでって子どもみたいにさ」
「言ってろよ。それで?」
「それに随分唐突だよねえ。なんで今なの? もっといい機会とかこれまでいっぱいあったじゃない?」
「いいから答えてくれよ」
「ホントらしくないね、どういう風の吹き回しなの?」
「いいから!」
イレブンが訝しむのも当然だ。言う通り、なんの脈絡もなく言い始めたことだ。しかもメシ時に、イレブンが好物を食ってる時にだ。
これで後にしろって怒られないのはイレブンが普通以上におっとりと優しいからだろうよ。
だが今じゃなくちゃならねえ。だってこれまで、ずっとオレは答えを見つけられなかったのだ。
「なんで頑張れたか、か。まぁいくつか理由はあったねえ。僕は生まれつき勇者だった。みんなそうあることを期待してた。僕もまぁ、勇者であることに運命的なものを感じてた。僕には戦う力があった。力は後からも与えられたし、僕は生まれただけで生まれ故郷が滅ぼされたくらいには脅威に思われていて、それに報いたかった。頼れる仲間もいた。ひとりじゃなかったから戦えた。みんなで力を合わせれば不可能ではないと思えた。逃げるわけにもいかなかった。逃げたところで邪神によって世界が滅ぶだけだったよね? 自分が死なないためにも戦うしかなかった。弁明すると、嫌だったわけじゃないよ? ……ん、そんなところじゃないの?」
「いや違う」
「えー、なんで言い切れるのさあ」
「そりゃお前は嘘をついてないさ。その通りだったろ。オレなんて一番勇者に期待していた人間だ。なぁ……なぁ、なんかあったろ。なぁ」
「なんかって? おかしなカミュ」
答えはもう喉まで突っかかってんだよ。そのくせ出そうで出ない、思い出せそうで思い出せない何か。見覚えがある。知っているはずだ。だが、ダメだ。思い出せない。
きっかけをくれよ、なぁ、相棒。どうか。そうでなければ、オレは。薄情者だ。贖罪を果たせない、なっさけない兄よりも薄情者かもしれない。
「ずっと、引っかかってんだよ。ずっとだ」
「昨日食べた魚の骨かい」
「茶化すなよ。そうじゃねぇ、なにか大事なことを忘れているんだオレは。イレブン、お前なら知っているんだろ。それは分かるんだ」
「そんなこと言われたってさあ」
「オレは幸せになった。マヤを救えて、そんでお前とこうして幸せに暮らしている。こんなに穏やかな生活なんて初めてだよ。飯に困らねえ、寒くもない。いい人間しかここにはいねえ。オレに都合のいいことばっかりだ。他の奴らだってめいめい幸せに暮らしている。なぁそうだろ?」
「それはそうだね。忙しいのも楽しいってマルティナとかグレイグとかシルビアは手紙をくれるし、ロウじいちゃんはイシの村で毎日快適そうだし、ベロニカとセーニャは聖地でなんかいっぱいやることがあって大変らしいけど嫌じゃないらしいし……」
「世界も平和になった。ユグノアを滅ぼした魔術師を倒して、勇者の星に封印されていた邪神を倒して。魔物どもは大人しくなったし、言うことなしだ。女賢者も恋人のところに帰った」
「そうだね」
「なぁ」
世界は平和になった。オレたちは幸せになった。
ならなんで、オレはこうも焦っている?
「なにか忘れちゃいないか」
「忘れてないよ」
「お前じゃない。オレがだ」
「それはわかんないよ。元勇者だとしてもカミュの頭の中まで見えないし」
「茶化すなよ、なぁ」
知ってるだろ。その優しげな瞳の奥に答えがある。
「これまでに何かとんでもないものを支払った。何か、とんでもないことを忘れて、オレはのうのうと幸せになった。思い出せない、思い出せないんだよイレブン。背筋が凍るような、焦りがずっとずっとあるんだぜ?」
「もう……仕方ないな」
青い瞳が不意に怪しく光る。眠りの魔法だ。悟った瞬間、反対呪文を唱える。……何とか間に合ったらしい。
イレブンは明確にオレの疑問を誤魔化そうとした! その事実がある種回答だった。
「それが答えってことでいいのか!」
「……カミュは悪くないさ。義理堅くて、こんなに優しいから」
人を眠らせようとしたくせに、イレブンは朗らかに笑っていた。
「僕はもう、それだけで嬉しいのさ」
涙をひとすじ流しながら。頬を濡らしてお前は、笑っていた。
それを見たらもう、なんにも言えやしない。オレはお前を抱きしめるなんてもう出来ない。この期に及んでちっとも思い出せない薄情者だからだ。
「あぁ、どうか自分を責めないで。思い出せないわけじゃないのさ。最初から知らないんだよカミュ。だから思い出さなくたっていいのさ。これは僕の罪であり、僕の選択だ。取り返しのつかないことをしたのは僕だ。止めてくれたじゃないか。嘆いてくれたじゃないか。それで十分だ。背中を押してくれてありがとう。また旅をしてくれてありがとう。それだけで良かったんだよカミュ。ねぇ、分かんなくていいよ。
ただそこにいてくれたら、報われた気になる。僕はもう勇者じゃなくってさ、相棒と毎日面白おかしく暮らしているだけの、ただのイレブンなんだから」
隔てているのは小さなテーブルだけ。ちょっと手を伸ばせば、届くだろう。その震える肩を抱くことは簡単だ。だけども。
「いいんだ」
そう言って堪えるようにくすくす笑うお前の肩を叩くのはきっとオレじゃない。そう言ってぽたぽたと涙を流して泣くお前の肩を抱くのも、オレじゃない。
「オレは、お前が気高いのも、孤独なのも、知っている」
「なぁにそれ。僕はちっとも気高くないし、まったく孤独じゃないさ、今もカミュがいるだろ」
「そうだな」
不意に片手で握りこぶしを作ったイレブンは、オレの顔の前にずいっと差し出した。反射的に乾杯でもするかのように拳をぶつけると、イレブンは今度こそけらけらと笑い始めた。
「なぁんだ、忘れてないじゃないか」