「物好きな奴だなぁ。君くらいだよ、私を飲みに誘うトレーナーは」
若い頃、私はその人と二人で飲みに行ったことがある。
色々な噂の付きまとう人だった。どちらかというとよくない噂で、誤解を恐れず言うなら怖い噂ばかりだった。
不良ウマ娘を裏で操っている。学園上層部から目を付けられている。問題児シリウスシンボリのさらに後ろにいる。他の先輩からはそんな話ばかり聞いていた。
だが、会ってみれば普通だった。
むしろ柔らかい雰囲気で、よく喋った。
「それで、何が聞きたいんだっけ? 育成メソッド? トレーニングの選定基準? 回復する秘孔の場所? やる気が出るカップケーキを売っている店の出現場所? 秘書の帽子の中身? なんでも答えるよ。君が望む答えにはならないだろうけど」
不良ウマ娘を裏から支配する危険なトレーナー、という噂とは裏腹に、今日初めて話す目の前の先輩はかなり気さくで気難しいところもなさそうな、想像よりもずっと雰囲気の柔らかい人だった。
彼が話すことの後半は意味が分からなかった。ただ、トレーニングについて話していることだけは分かったので、私は担当について相談した。
その流れで先輩が言った。
「しかしまぁ、君も難儀な性格をしているよ。
普通こういうのは相手との関係性を踏まえつつ誘ったり、距離感を探り探り、相手がつい口を滑らせてしまうように会話を運ぶもじゃないか? 私はその辺あんまり気にしないからいいものの、そこら辺の機微も覚えた方がいいんじゃないかなぁ。急に知らない奴から話しかけられたから何だと思ったよ。とにかく機微は身に着けた方がいい。その方が人間関係はうまくいくんだから。まぁ私は良いんだけど。……いやそうだよ、結果問題は何もないんだが、それを君がが言ってしまうのはねぇ……。はぁ、まあいいか。君はズケズケ踏み込んでも許されるタイプだよ、たぶんね。それにまだ若いし……、これくらい真っ直ぐでもいいか。いや、年齢は関係ないな真っ直ぐすぎだ、カルストンライトオじゃあるまいし」
あの人は本当によくしゃべった。そのせいで聞きたいことも多かった。ただ、話の中にカルストンライトオという名前のウマ娘が出てきたことを覚えている。今では忘れられない名前だ。
当時の私は、語感と文脈からウマ娘の名前であることは分かっていた。名前はしかし聞いたことがない。そもそも競技者だろうか?とすら思った。理由はある。順序だててて話すよ。
まぁ、愛バ、と口に出すのは少々はばかられるが、いや、すまん、憚られる、というのは忘れてくれ。妻の耳に入ったら大ごとだ。
とにかく、若かった私は、大事な担当である*******のためにも情報収集は欠かせない、とでも思ったのだろう。カルストンライトオについて情報収集をしたよ。
”先輩、カルストンライトオとはどんなウマ娘ですか?”
「カルストンライトオは短距離のウマ娘だよ。特に直線で無類の強さを発揮する」
私は思ったさ「カルストンライトオは競走ウマ娘で、しかも短距離。これは*******とかぶっている。だが、そんな名前は聞いたことがない。であるならば中央の生徒ではない。中央の生徒なら、自慢じゃないが記憶力は良い方だ、しかも担当と同じ距離適性なら、すべて覚えている。おそらく先輩が話しているのは地方のウマ娘のことに違いない」とね
”地方のウマ娘のことまで把握してるなんてやっぱ先輩って優秀ですよね”
「ははっ、地方? カルストンライトオのことを言っている? 彼女が地方? そんなわけがない。彼女は中央の所属だよ。スプリンターズステークスで圧勝した奴が地方で実装されるわけがない」
実装? 妙な言葉だった。それよりも
”先輩、カルストンライトオという名前の中央選手はいません”
「ああ?」
先輩は固まった。そして突然「ああ」と納得した。
「ああ、そうか。まだ早いか」
”まだ?”
「すまんな。君が正しい。カルストンライトオは中央のウマ娘だが、それは未来の話だ」
冗談だと思った。
「今ごろはまだ小学生か幼稚園か生まれてすらいないのかな? よくわからん、まぁどうでもいいか」
”未来のことが分かるんですか”
「うん」
”どうして?”
「知ってるから」
会話にならなった。別に、だからと言って気を悪くしたわけではないさ。酔っぱらって適当なことを口走る。そんなことはよくある。だから、むしろそのやり取りがあったからこそ、私は彼を、変だけど悪い人ではない、むしろしゃべってみれば面白い、とすら思ったのだから。
ただ、意味のある会話ではなかったので忘れた。忘れていた。そのあとのトレーニング理論のことはよく覚えているが、それだけだ。変な先輩、それだけで終わるはずだった。
何年後だったかな。先輩がいなくなって何年か経った頃だったと思う。妻の地元で一緒に暮らし、地方トレセンでトレーナーをやっていたころだ。
私はテレビでその名前を聞いた。
カルストンライトオ。
中央所属。
短距離。
私はリモコンを持ったまま動けなくなった。
その時初めて、
あの日の先輩が冗談とは言っていなかったことを思い出した。