この百合は営業じゃないのかもしれない   作:金木桂

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蛇足10

 コーヒーを全て飲み終えて退店する頃には、府上さんは更に頬を赤くして目の焦点が若干定まらなくなっていた。

 

「お、おい……大丈夫?」

「大丈夫よ大丈夫……まだ酔ってないから。頭回るし。世界ぐるんぐるん回ってないし。生きてるって最高」

 

 リンの心配する声に手を挙げてそんな返答をしてくる。第三者視点的にはかなりダメそうに見えるな。千鳥足ではないけど明らかにさっきよりも言葉に力が無ければ語彙が拙くなっているし。泥酔というほどじゃないけど、夕方の薄暗い道を一人で帰すのはちょっと怖いくらいには酔っ払っちゃってるねこれ。

 

(の、のんちゃん……酔っ払いの介抱ってどうすればいいの……?)

(家に連れて行って介抱するか、府上さんの家まで連れ添うかかな)

(……連れ帰ったら、美湖沢がうるさそう)

 

 量産型脳内生息みこみーが「り、リンちゃんが女を酔い潰して連れ帰ってきました……!? 送り狼ですか!? 最近の女子中学生進み過ぎですよ!? 私ものん先輩をまだ送り狼していないのに!?」と騒ぎ立てる。うん、これはめんどくさい。

 それに自宅だと配信部屋も見られちゃう可能性あるしなぁ……。

 

(わ、私、こいつ家に送る)

(そうだね。それが良いと思う)

 

 そんな配慮をリンも考えてか、府上さんの家まで付き添うことが決定。

 リンは固唾を呑んで、おずおずと話しかける。

 

「ふ、府上……! 送っていくから、家教えて!」

「大丈夫よ? 私やれば出来る子だもの。やろうと思えばここから目隠し付けて家まで帰れるわよ目隠し付けて」

「な、なぜ目隠しを二回つけた……!?」

「ともかく帰巣本能には自信があるの。帰巣本能世界大会があれば入賞は固いわ」

「そ、そんな大会無いし、ぜ、絶対に大丈夫じゃない……! い、家まで送るから……! 言動……怪しいもん……!」

「そう。じゃあ甘えていいのね」

「う、うん?」

 

 その言葉を火切りに、横を歩いていた府上さんがリンとの距離を半歩分詰めてきて「う、うえ!?」と戸惑うような声でリンが鳴いた。

 

「落ち着くわ……灰崎さんって可愛いし声質も良いし羨ましい」

「じょ、冗談……というか、ふ、府上だって容姿良いだろ!」

「声は? 私可愛い?」

「……の、ノーコメント」

 

 府上さんは小柄ながら、モデル然としたシャープさを備えた目鼻立ちで雰囲気だけなら女子中学生にはあまり見えない。声もほんのりと幼いながらもハスキー寄りだ。

 にしても、やたらと絡まれてるなリン……。みこみーにも良くボディータッチされまくっているし、愛され素粒子でも撒き散らしているのだろうか。

 

 やりづらそうに視線を下に落としながら連れ添って歩いていると、徐に府上さんの顔がリンの首筋に近づいた。

 

「ふふ、いい匂い」

「か、嗅ぐな……!」

「だって良い匂いするんだもの。目の前に綺麗な花弁があれば手で扇いで匂いを確かめるでしょ」

「わ、私は花弁じゃない……!」

 

 完全に酔ってるよなあ、これは。

 若干足取り怪しいし、頬も赤ければ先ほどまでナイフの如く尖った三白眼はふわふわと揺れている。なんかさっきから同じ単語を繰り返しているし。

 ……あのブラックコーヒー、検分したらアルコール出てこないよね。

 

「や、やっぱり酔ってるよこの人……」 

「酔ってないわ。ブラック一杯程度で酔う訳ないじゃない」

「じ、自覚も無いのか……」

「酔ってないわ。だって酔った私、もっと凄いもの」

「す、凄い……!?」

 

 何かを想像したようにリンがまた府上さんから離れる。

 多分そういう意味合いじゃない気もするけど……。なんか妙なことを想像しているなリンは。年相応で可愛い。

 府上さんは自慢気にニヤリと微笑んだ。

 

「泥酔したら私は記憶無くなるタイプなの。あ、でも一応アーカイブは毎回チェックしてるのよ。ライン越えの発言はマズいから」

「あ、アーカイブとかどうでもいい……! お、お前もうコーヒー飲むな……!」

「それは無理ね。私からカフェインを取り上げたら泥酔系というアイデンティティーが消えるわ」

「……無きゃダメなの?」

 

 少し考えて言うリンに、寂寥感を覚えたみたいに府上さんの瞳が空の彼方へと向く。

 

「私にはそれ以外に無いのよ」

 

 今にも首を傾げそうな顔で、取り合えずといった様子でリンは相槌を打った。

 個性の話だろう。

 『これと言ったらこのVtuberだよね』と一対一で結びつく個性を作り出すのは難しいことだ。ゲームが上手いとか、トークに定評があるとか、声が特徴的だとか。或いは私とみこみーみたいに百合営業してるとか。最後のはちょっと違う気がする。

 それで言うと、府上さん……氷神萃花(ひがみすいか)は泥酔系というキャラクターで売っているらしい。より具体的に言及すれば泥酔前後のギャップというところか。

 それを捨てろと言うのは難しい。分かる。それは私とみこみーから百合営業を抜くようなものだ。当然それが全てではないけど、やっぱりそういった個性は第三者に説明するとき分かりやすいから確立出来てると強い。

 

 リンは私とみこみー以外のVtuberを知らない。それでもある程度沼に片足を踏み入れた者として、リンだって無知蒙昧ではない。

 理解したうえで、ごくりと唾を呑み込んだ。

 

「……ほ、程々にしておけよ」

「うん?」

「わ、私は別に良いけど……そ、外でそんなことになったら、その、良くないだろ」

 

 そっぽを向いてぶっきらぼうに言い放つリンに、府上さんの瞳がじんわり光を帯びる。白雪みたいに白い頬を赤く上気していて、控え目ながら照れているのか……いや、酔ってるだけかも。思えばさっきから頬は赤らんでいた。

 でもこれ、完全に殺し文句だ。リンの殺し文句。マジか。リン。言うようになったなあ。

 

「灰崎さんって、意外に……」

「意外に……?」

「いえ、辞めておこうかしら」

「……?」

 

 意味深に言葉を止めた府上さんに、リンの疑懼の眼差しが刺さる。

 そんな瞳を受けとめて、ぽつりと零した。

 

「私、灰崎さんともっと喋ってみたいの」

「え……えっと?」

「今回の件とは関係なく、また話かけてもいいかしら?」

「きょ、今日だって突然、話しかけてきたじゃん……」

「何も用件が無くとも……という意味なのだけれど」

 

 府上さんは少し口籠りながらも、ちらりと不安げに横目で一瞥。

 何となく気づいてはいたが、府上さんもあまり人付き合いが上手い方じゃないのだろう。何故そう思ったかと言えば距離感の掴み方だ。先ほどから近づいたり遠ざかったりと不安定な間合いの取り方をリンに対して取っていて、まるで接し方を図りあぐねているみたいに見えた。

 

 ちょっと百合っ気があるけど……彼女がリンの友人になってくれるならば、歓迎すべきじゃないだろうか。リン真人間計画がまた一歩前進するぞ。

 リンは府上さんの目を直視すると、すぐに目を反らして。

 

「わ、私は構わない……度を越したことをしなければ……」

「大丈夫よ。私は自分自身だけじゃなくてコンプライアンスにも厳しいの。節度は守るわ」

「そ、そうしてほしい……ま、待て。に、匂いを嗅ぐのは、コンプラ違反じゃないのか……!?」

「女子同士の戯れというカテゴリーに分類されるわね。灰崎さんが好きなVtuber、冬川のんは美湖沢御子にそういう行為を普通にやられていて、満更でもなさそうじゃない」

 

 まあやられてるな。匂いを嗅がれるくらいは。

 

「そ、それは例外だし認めてないし……! というか、私はそういうのじゃ、ないから……!?」

「……?」

「な、なんで突然物分かりが悪くなった……!?」

「だって百合系Vtuberが好きということは、一つの論理的帰結として、灰崎さんは百合なんでしょう?」

「ち、違うわい!!!」

 

 おお、珍しいリンの大声。みこみー以外に吠えるとは珍しい。

 府上さんはそれをみて、思い違いをしていたような罰が悪い顔をした。

 

「そうだったのね……それはごめんなさい」

「あ、謝るほどのことじゃない、けど……」

「貴方に取り入るために百合っぽさを意識して接近したつもりだったけれど、間違いだったわ」

「……! 匂いを嗅いだりしてきたのって……そ、そういうことだったのか……!?」

 

 驚いた。

 いや、リンに気に入られるためだけの行動だったの?

 

「ええ。私、貴方に本当に配信に出てほしいと思ってるから」

「え、ええ……わ、私なんか口下手なのに……」

「構わないわ。私が幾らでもフォローできるもの」

「そ、そういうもんかな……」

「そういうものよ」

 

 そういうもんじゃないと思うけどな。

 リンを揶揄するわけじゃないけど、Vtuberは喋ってなんぼの存在だ。トーク力が無いと場が繋げないし、言葉に詰まって黙ってしまえば放送事故。だから口下手だと難しい。

 まあ……それを逆手に上手くやる人もいなくもないんだろうけど……。

 

 正直どうやって配信を盛り上げようとしているか分からないんだよな……、などと考えていれば府上さんは足を止めて、リンの正面を見つめて更に言葉を重ねた。

 

「貴方だから良いのよ」

「く、口説くように言うな……!」

「それだけ本気と捉えてもらえるかしら」

 

 歩き出す。その姿を見て、リンが慌てて追いかける。

 府上水華(ふのぼりすいか)

 二人のまだ小柄な背格好を見て、良い友人同士になれるといいな、なんて。

 親心ながら、そんなことを私は考えた。

 

 

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 

 

 

「むぅ~! 駄目ですからね! リンちゃんを陰湿極まりないインターネット無法地帯に送り出すことは認めません! 親として! 夫として!」

 

 意外にもご近所だった府上さんを家まで送り届けて帰宅し、みこみーに本日の一幕を伝えた結果が以上の発言である。これは駄目だ。はやくなんとかしないと。

 現在時刻は午後7時。みこみー家でも漏れなく夕食時であり、今日はスーパーの時短用冷蔵ハンバーグと付け合わせの野菜、後白飯が食卓に並んでいる。リンもみこみーも平日は多忙極まりないため、同居後は良くこういった総菜に頼っていた。それでも美味しそうに作るからみこみーは料理が出来る。

 

 美味しそうな熱気を放つ食事に手を付けることなく、リンは

 

「お、親でも夫でもなんでもないだろお前……!」

「のん先輩は私の嫁なんですー! つまりリンちゃんも嫁で娘なんですー!」

「ま、また、頓珍漢なことを……!」

「兎にも角にも、一でも十でも、ダメなことはダメなんですからね!」

 

 いつもはリンに甘いみこみーが意固地だ。きっぱりと自分の意見を譲らない姿勢を貫いている。

 まあ言うときは言うのがみこみーだしな。

 それに私自身、みこみーの気持ちも分からなくはない。

 インターネットは自己責任の世界だ。2010年代のSNSではそれを理解していない、いわゆるバカッターが十人十色なバイトテロの証拠画像を自ら上げては民事訴訟をされた。通っている学校名や本名も掲示板の特定班に特定され、デジタルスティグマとして未だにネット世界で残っている。

 リンがそんなことをするとは思わないけども、それでも些細な言動から思わぬ影響を及ぼすことがあるのだ。例えばみこみーが前触れもなく家凸してくるみたいに。

 

「良いですかリンちゃん! インターネット世界というのは例え無名の個人だろうが何か一つでもボタンが掛け違えば炎上してしまうんです! 私は何も意地悪で言ってるわけじゃなくて、心の底から愛するリンちゃんが心配で心配で結婚したくて堪らなく心配なんです!」

「な、なんか余計なもんが入ってたけど……!」

「私からすればまだまだリンちゃんにはそういう活動は時期尚早の極み! 許嫁として私は反対ですよ!」

「誰が許嫁だ……!!」

「それに高校受験も来年じゃないですか!」

「そ、それはどうにかするし……!」

 

 磁石の対極みたく反駁するリンとみこみーにこのままじゃ水掛け論だと思って、私はリンに話しかけた。

 

(少し変わってもいいかなリン。私ならみこみーを説得できるはず)

(の、のんちゃん……分かった)

 

 五感が徐々に冴え渡ってくる。視界が鮮明になって、色彩が豊かになる。精神体の時に見える景色がモノクロってわけじゃないんだけど、こうして肉眼で見るとその彩度の差異が如実に分かる。

 私は完全に肉体を掌握したことを実感すると、コホンと息を吐く。

 

「みこみーよ、ここは第三者の意見も聞いてほしい」

「のん先輩! 私のダーリン!」

「ダーリンではないが」

 

 さっきまで嫁と言ったりダーリンと言ったりどっちなんだ。いやどっちでもいいけど。

 こほんこほん。私はみこみーの戯言を誤魔化す。

 

「私はリンが配信に出るのは悪い事とは思わないよ」

「え……のん先輩はリンちゃんがネットの晒し物として辱めを受けてもいいんですか?」

「それは良くないけど」

「嗜虐心を刺激しちゃうあられもないファンアートを描かれてもいいんですか!?」

「そこまで言う?」

 

 流石に一回とか二回、配信するだけでそこまで懸念するのは行き過ぎというか、過保護だと思うよみこみー。

 あとそういうのは思っても言葉に出しちゃいけない。

 

(み、美湖沢……し、死ね……!)

 

 ほら、久しく燃えていなかったリンの美湖沢アンチ魂に火が付いちゃったし。

 

「誰かに描かれるくらいならばもういっそ初めてのリンちゃんのえっち絵は私が描くしか……」

「みこみー、リンの前で言うなそんなこと。じゃなくて、話が変わってる」

「おおっと、これは失礼しました! それで挙式は相模湾のオーシャンビューが望める134号線沿いにある式場にしようと思うんですけどのん先輩は何かご要望ありますか?」

「話を異次元から引っ張り出してくるな。リンが配信に出る件だって」

「おおぅ、すみません! その件ですね!」

 

 ううむとみこみーは頭を抱えながらみこみーは言う。

 

「やっぱり早いと思うんですよね。だってインターネットですよ! あんな根暗で思春期の人格形成に問題を抱えた人間ばかりが流れ着く場所に、まだうら若き中学生で純粋培養された私のリンちゃんを放流するわけにはいきません!」

 

 胸中に響いたリンの「お、お前のじゃない!」という抗議の声はいつものことなので一旦無視。

 

「言い過ぎ。でもみこみーって結構前からインターネットから活動してたよね」

「私は良いんですー! バランス感覚に秀でてますし炎上なんてしないのでー!」

「掲示板でレスバしといてバランス感覚が良い……?」

 

 視聴者とよく言い争いの喧嘩をしたり、私との匂わせ写真をSNSにアップロードしては店を特定されたりしているのに……バランス感覚とは……?

 色々とツッコミどころがあるが、今はいいか。

 

「みこみーが思っているほどリンの頭は悪くないよ、みこみ」

「頭の良し悪しなんて関係ありませんよ! ネットの汚泥に塗れてほしくないんですー! リンちゃんには綺麗な空気を吸ってもらって、食べるものは全部オーガニック野菜、高校は男一人存在しない日本有数の高貴な女学院に通ってもらうんですー!」

「厄介な教育ママか」

 

 オーガニック野菜は今日の冷食中心の献立によって破綻してるし、女学院なんてリンには難しいだろう。学力的に。

 改めて言うけど、みこみーの気持ちも分かるんだ。

 汚れてほしくない。自分の思い描いた青写真に沿って健やかに成長してほしい。

 でも、そんなのはダメだろうに。

 

「分かるよ。私だってリンは大切だよ。みこみーに負けないくらい大切。でもね、それって全部、みこみーのエゴじゃん。子供は勝手に行動して、勝手に成長するんだよ」

「のん先輩……」

「それに、リンには私がいるから何かあっても大抵のことはなんとかできる」

 

 と、思いたい。多分。

 そこは未来の私に期待だけども。

 

 みこみーは私の言葉を何度も脳内で咀嚼するように唸る。そこには葛藤に苛まれている様子が窺えた。これまでの生活からみこみーがリンを宝石のように思っていることは分かっている。だからこそ、リンには幸福を享受してほしい、一片の苦渋すら味わってほしくない、そんな気持ちを抱いてしまうのだ。

 同じ気持ちなんだよ、みこみー。でもそれじゃ良くない。

 

「リンを信じようみこみー。私たちに求められているのは、温かく成長を見守ることだと思うよ」

「……分かりました。でも何かあったらすぐに介入して悪即斬しますからね!」

 

 みこみーは最終的にフォークを持ちながら頷いた。私を通してリンを見るみこみーの瞳は意を決したような温かみを帯びている。

 

(絶対、本人の前でする話じゃない……!)

 

 ただ一人、身体の奥底で会話の全てを聞いていたリンは、気まずそうにか細く叫んだ。

 ごめんリン。

 

 

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 

 

 夕食を食べ終えると私は食器を洗って、身体の主導権をリンに返して風呂の時間。

 風呂を入ろうとするとみこみーが「一人で入るなんてとんでもない! 今日こそ私が徹底的かつ情熱的にのん先輩リンちゃんの身体の洗体と肌ケアを真心込めてやりますからねー!」と洗面台に侵入してきたが「で、出てけバカ……! こ、ここは私とのんちゃんの、サンクチュアリーだ!」と押し退けて施錠した。こういうイベントは毎週一回くらい発生する。みこみーと共同生活を送る上でのデメリットである。

 

 頭と身体をさっと洗い、湯船に浸かる。実家時代は湯を張るなんてしなかったけど、美容のために入浴は大事ですよ! と強く主張するみこみーによって、この2週間余りで入浴が習慣になってしまった。

 まあ悪いものじゃないのは確かだと私も思う。美容云々には詳しくないけど、入浴すると緊張が解れてリラックス出来る。

 

「の、のんちゃんは私が配信に出るの、どう思う?」

 

 ちゃぷんと足の指先でお湯を軽く蹴り飛ばした。リンが小柄というのもあるが、この家の浴槽はリンが細い両足を伸ばしきって尚、まだまだ余裕があるくらいに大きい。

 

(私はどちらでも良いと思うよ。全肯定Botと思われるかもしれないけど、あまりに変なことじゃなければリンのやりたいように、やってみればいいんじゃないかって思う)

「そ、そういうんじゃなくて」

 

 リンはふるふると首を振った。感情が弛緩しているのか、わざわざ声に出して私に問いかける。

 

「その……わ、私、で、出来ると思うかな。配信ってその……優しいコメントばかりじゃないし……迷惑かけちゃうかもしれないし……」

(最初は難しいかもしれないね。まあそこは府上さんもリンが初心者ってことは分かってると思うから、ちゃんと会話を引き出そうとしてくれるんじゃないかな)

「……の、のんちゃんって最初から配信完璧だったよね。どうやったの……?」

(最初期の配信観てるんだっけ)

「け、結構前だけど、まあ……」

 

 リンは少し言いずらそうに肯定する。

 ……私の最初の配信か。

 思えば、私は前世で大量のVtuberの配信を見たのが血肉なり骨子なりになっていたのだろう。

 そしてみこみーが作ってくれたキャラを見て、どんな感じで性格で行こうかも決めていた。

 

(あまり参考にならないかもね。私は活動開始する前々から、もし自分がVtuberになったらどう振舞うかって考えてたから)

「す、凄いね……のんちゃんって、何でそんなVtuberになりたかったの?」

(憧れ……が最初だったかな。私にとっては手に届かない星みたいなものだったんだ)

「星……?」

(星って言うのは地球からは遠い場所に浮かぶけど、夜になれば絶対に姿を見せてくれる。夜空はいつだって暗くて、だからこそ一際輝いて、見る人を明るい気持ちにさせる。明日も生きていて良いんだって気持ちにさせる。私にとってVtuberってそんな存在なんだ。それが自分でも出来てるかは分からないけど……)

 

 大仰な理由かもしれないけど、前世でも私はそんなVtuberを視聴することが好きだった。

 前世で私は大した人間じゃなかった。いつだって怠惰な日々を過ごしていて、勉強も課外活動も疎かにしていて、Vtuberだけが生き甲斐で……。

 

 あれ、こうなる間際。

 私って何をしていたんだろう。

 

 どんな大学に通っていて、大学では何を専攻していて、学校ではどんな友人と一緒につるんでいて、Vtuberは誰を追っていて───なんて。

 そんなとりとめのない前世あったはずの記憶が良く思い出せない。

 こうなってから二年以上経過しているからだろうか。

 

 喉元に骨が引っ掛かったような違和感。記憶自体はあまり重要じゃない気もするけど、自分の過去を思い出せないのは不快感がある。

 

 私が微かに戸惑っていると、リンは胸の前で拳を作った。

 

「の、のんちゃんは出来てるよ! だって、わ、私はのんちゃんに助けられた……! それをのんちゃんは、誇りに思って……いいんだよ!」

 

 私の胸でふとして湧いた疑念を霧散させる。今は特に考えなくていいものだ。

 ……いやまあ、ほんとさ。そんなことを言われて嬉しくない活動者がいるはずもない。

 全く、リンには真っすぐ育ってほしいものだ。

 

(……リンがそう言ってくれるだけで、冬川のんの存在意義は果たされたかもね)

「そ、そんなことはない! こ、これからものんちゃんは一杯配信して、色んな人の楽しみの一部になるべき……だと思う!」

(随分と重い使命だね。でもリンに言われたら頑張るしかない)

「私も、出来る限り力になるから……!」

 

 子供に家業を継ぎたいと言われた親の気持ちはこんな感じなのだろうか。分からないけど、少なくとも、今まで前世含めた人生の中で感じたことのない種類の嬉しさだと思った。

 

 ───そんな時、ガラリとドアが浴場に音が響いた。

 おい、まさか……。

 リンが半ば反射的に膨らみかけの胸を両腕で隠すと、視線を真正面から堂々とやってきた侵入者に向ける。

 予想に違わず素っ裸のみこみーが仁王立ちしていた。何一つ隠すことなく、みこみーは整ったプロポーションを晒しながらもいつものスマイルを咲かせる。

 

「私も力になりますよのん先輩~!」

「う、うおわぁぁぁっっっっっ!? 美湖沢!? なんで!? せ、洗面所の鍵、閉めたはずなのに……!?」

「それはとても初歩的な話ですよリンちゃん!」

 

 イラっとした様子のリンに気づかないのか、みこみーは得意げな面持ちで語る。

 

「ウチの洗面所の扉には実のところ、ドアノブの上側にマイナスドライバーとか十円玉で回せる溝があるんですよ! いざという時のために外側から開錠できるように備え付けられた機構ですね! これさえ知っていれば施錠された洗面所への乱入なんて、昼下がりのコーヒーブレイクよりも簡単なことです!」

 

 昼下がりのコーヒーブレイク気分で風呂場に侵入してくるのはヤバい奴だと思うけども。

 

「こ、こいつ……!」

「後はなぜ入ったかと言えばリンちゃんとのん先輩が重要そうな話をしていそうだなってことが外から漏れ聞こえてきたのが1点と、いい加減私もリンちゃんとお風呂一緒に入りたかったというのが1万点あります!」

「ほ、ほぼ不埒な理由じゃん……!」

「いえいえ! 今まで一人暮らしをしていたリンちゃんに女の子の手入れをじっくりと教えたいと思っているんです! それに私の目のほよ……髪を撫で……肌に吸いつ……とにかく私はそろそろリンちゃんとものん先輩とも裸の付き合いをする頃合いだと感じたまでです!」

「お、おま……っ!?」

 

 うわー。これはちょっと宜しくない理由だと思うなみこみー。女子の手入れをリンに教えてくれるのは有難いけど、明らかな余計な私欲が入り過ぎている。

 リンがぷるぷると全身を憤怒と羞恥心で振動させて、表情を先ほどの府上さんの数倍は真っ赤に染め上げる。あ、これは噴火寸前だ。

 

「で、出てけこの馬鹿!!!」

 

 リンは睨み上げると唐突に浴槽から腰を上げ、相撲取りのようにどうどうと押してみこみーを浴場から追い出し、風呂場のドアを閉める。ついでに鍵も施錠。今度は流石に入ってくる様子はないようで、大人しく洗面所から出て行ったようだ。

 ……まあ残念ながら妥当かな。ピッキング紛いな行為をして風呂場まで入ってきたみこみーに同情できる点は無い。

 

「悪は、滅びた。やっぱりのんちゃんを守れるのは、私しかいない」

 

 再び浴槽に浸かると、少しの達成感を含んだ声音でぽつりとリンは言う。

 

 ……リンは成長しているのに、みこみーの情緒はずっと平行線なのは何故だろうか。

 いやね、あれでも真剣な場では頼りになるんだよ、一応。

 誰に言うでもなく、私は相棒の弁護をした。

 

 十分にぽかぽか身体を暖めると風呂を上がり、リンは大風量のヘアドライヤーで髪を乾かす。半ば強制的に備え付けられたみこみー愛用のヘアドライヤーだ。結構高いらしいけど、前まで使っていた安物とあまり違いが分からないのは私もリンも女子力が低いからか。

 洗面所を出るとみこみーが出迎えた。既に寝間着姿で、どうも出たときに着替えてしまったらしい。

 

「すみません……ちょっとやりすぎましたね。ごめんなさい」

 

 開口一番でみこみーは頭を下げる。様子を見るに本当に反省しているようだった。じゃあやらなきゃいいのにと思うが、それでも自制が効かないのが暴走機関車みこみーという少女である。基本は賢いのに偶に見境がなくなる。

 率直な謝罪にリンも面を食らって、虚を突かれた表情で答える。

 

「べ、別に次やらなければいいけど……」

「流石リンちゃん! 器が広いですね! 次からちゃんと許可を取ってから一緒に入浴します!」

「ぜ、絶対に許可しないが!」

「なるほど、のん先輩は攻略済みですがリンちゃんはまだ好感度ゲージが足りないと! 私頑張りますねリンちゃん!」

「が、頑張るな……! 何も、しなくていい!」

 

 確かにみこみーと風呂に入るくらいは吝かじゃないとは思っているけども、攻略済みと言われるとそれは何だか憮然とした感情になった。

 

 

 

 

 

 

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