「ジラーチ、コメットパンチ!」
ジラーチの巨大化した羽衣が拳を模すかのようにクルリと巻かれ、はがねタイプのエネルギーが凝縮された。
パンチとは何も、振袖のような小さな腕から繰り出されるわけではないらしい。
ピカチュウはドキリとして後ずさる。ジラーチが可愛らしいニコニコ顔のまま、身の丈の数倍もある羽衣の拳で迫ってくる姿は半ばホラー映像のようですらあった。
「ピカ!?」
「あっ、おいピカチュウ!」
哀れサトシ。及び腰になったピカチュウは、プライドもへったくれも無いと言わんばかりにサトシの後ろへと隠れてしまう。
これにはクロエとジラーチも苦笑いしかできなかった。
「バトルはまだ無理そうね」
お調子者なところまでトレーナーとポケモンがそっくりな点は問題ではない。サトシとピカチュウ、どちらも大切な者のために身を投げ出す勇気があるのは五年前から知っている。だから殊更、ピカチュウが弱気だとは思えない。
しかし友情だけではどうにもならないのがポケモンバトルである。
ポケモンバトルをする上で、サトシの指示に対して全幅の信頼を預けることが出来るほど、ピカチュウは彼を信頼しきれていなかった。こればかりはどうしても時間を要してしまうだろう。
「ピカチュウ駄目じゃないか。折角クロエさんが稽古をしてくれてるのに」
「ピカ! ピッ、ピカチュウ!」
「稽古したければ勝手にやっとけって? でも一緒にしてくれないと意味がないだろ? バトルが嫌なら諦めるけどさ……シゲルとイーブイに負けたままで悔しくないのか?」
「ピ、ピカピ……」
それは……と、ピカチュウはプイと顔を背けながらも口ごもってしまう。
サトシの言葉は図星だった。ピカチュウ自身、内心では強くなりたいという思いがある。顔を背けるピカチュウがサトシに惹かれるのも、その一点だけはお互いに理解しているからだ。
しかし無理なものは無理だろう。相手はクロエとジラーチ、まともにやって勝ち目はない。それにジラーチのニコニコ顔へとピカチュウは無意識に恐怖を覚えてしまっている。
「まあそんなに焦る必要はないかもね。まだ出発したばかりなんだし、ゆっくりとジム巡りしていけばいいじゃない。野生のポケモンとのバトルで慣らすのも一つの手ね。どうかしらピカチュウ?」
「ピカ? ピカ……ピカ!」
「やる気になってくれたかピカチュウ! じゃあ早速ボールの中に────」
「チュウウウウ!」
「あばばばばば!?」
「す、筋金入りね……」
「ジィ……」
ピカチュウが一先ずの妥協をしてくれたところで、サトシが便乗するようにボールを構えはすれど、『でんきショック』をお見舞いすることで頑なに収納されることを拒んだ。
サトシが黒焦げになるのはお約束。
プンプンと怒ったピカチュウはサトシのバックパックに体を埋め、そのまま寝息を立てると微睡へ落ちていった。
トキワシティまで数キロもない。完全にやる気を失ったピカチュウに、サトシも諦めたように肩を落とした。
日没も近く、長居するなら野宿になるだろう。
クロエはジラーチを呼び戻して荷物を纏め始める。
今から出発すれば今日中にトキワシティへ間に合うはず……そんなことを考えながら、一番道路の先に見える街並へと目を細めていた。
◇◆◇
ピカチュウが回復してから、サトシ君にどうしてもと言われて稽古をつけていたら薄暮になっていた。
トキワシティまでの道のりは一本道だから迷うことはない。だからといって、スケジューリングを失念していた私自身には我ながら呆れてしまう。サトシ君とピカチュウの旅に同行することが出来て浮かれていたのかもしれない。日没してから完全に陽の光が消えるまで猶予がなかった。
「や、やばい!? ママに早く連絡しないと! クロエさんテレポートは───」
「うーん。私、免許の更新をしてないから今使うと怒られるのよ」
「なんか急に夢が無くなるような……」
サトシ君の気落ちしたツッコミへ、私は誤魔化すように乾いた笑いを浮かべた。確かにテレポートをすればトキワシティまであっという間だけど、それだと旅の風情が無いし、なによりポケモン図鑑を託された意味がなくなってしまう。だから婉曲に断るしかなかった。
とはいえ、サトシ君の焦りに私も背筋が伸びる。ハナコさんが一人息子からの連絡を待っている姿を容易に想像できた。
二人そろって小走りに一番道路を駆け抜けること数分。トキワシティと一番道路の境であることを告げる交番が見えてくる。ネガティブだった私が数年前にマサラタウンから旅立った時と変わらない小さな交番だ。
「ストーップ! はいそこ怪しい二人組、急いで一体どこへ行くつもり?」
「わっ!?」
通り過ぎようとしたのもつかの間。ハキハキとした声にサトシ君ともども制止させられる。
「ジュンサーさん。お久しぶりです」
「え? もしかしてクロエちゃん? 久しぶり~! 前に会った時は私の肩ぐらいだったのに……大きくなちゃって。全然気づけなかったわ」
トキワシティのジュンサーさんはそう言って朗らかに笑った。
私とジュンサーさんが出会ったのは、マサラタウンから再スタートした数年前のこと。当時の私は今のサトシ君くらいの身長だったし、一目で思い出せないのも無理はない。
「へ~クロエさんの知り合いなんだ。でも俺たち、何も怪しくなんてないけど」
「最近は何かと物騒でね。盗難が多発してるから私たちもちょっと手を抜けないのよ」
「盗み……ですか? いったい何を」
「……クロエちゃんになら話してもいっか。ポケモンよポケモン。トキワシティだけじゃなくて、カントー地方全域でポケモンの盗難事件が相次いでるの。情けない話で、私たちも一族総出で追ってるけどなかなか尻尾を掴めなくて。どうも組織ぐるみらしいのよね」
「ポケモンを盗むだって!?」
「そうそう確かこの辺に……あった。これが手配書ね。はい」
ジュンサーさんから渡された手配書をサトシ君と一緒にのぞき込む。
『R』と印字されたコスチュームを着た男女二人組だ。加えて小柄な……どう見てもニャースとしか思えないポケモンも写っている。いや、二足歩行をしてるようにも見えるしニャースじゃない可能性も……ポケモンがポケモンを盗むだなんて世も末である。
「まっ、ポケモン泥棒のことは私たちに任せなさいな。もう視界が悪いしトキワシティまで送ってあげる。ほら二人とも乗って」
「ラッキー!」
「ありがとうございます」
と、ジュンサーさんの厚意に乗じてサイドカー付きのバイクでトキワシティに出発する直前、微かに人の気配がして私は背後へと視線だけ送った。
(……自転車が壊れでもしたのかしら? ゲリラ豪雨だなんてツイてないわね)
にわか雨の名残でぬかるむ1番道路の向こう側から、自転車を担いだ人影が見えてくる。なかなかのガッツだと思う反面、ちょっと変わり者だなと感じた私は悪くない……と思いたい。まさかこの後に厄介ごとへと繋がるだなんてこの時の私は予想だにしていなかった。サイキッカーとは都合が悪いものなのである。
はてさて、トキワシティのポケモンセンターへ到着した頃には完全に夜闇が天蓋を覆うようになっていた。街の中心に位置する一際大きい建物がポケモンセンターであり、辿り着くまでの道程については……中々にエキサイトでスリリングだったとだけ言っておこう。
まさかポケモンセンターの建物内にまでドリフトで入庫するとは思いもしないだろう。ジュンサーさんのドラテクに感心する。数年前に初対面した時よりも性格はかなりアグレッシブになっていたらしい。今まで色々な地方を旅してきた私であっても、ジュンサーさん一族のはっちゃけ具合には時々追いつけないのである。
「じゃあねーサトシくん、クロエちゃん。そうだ! 私も近いうちにハクタイシティに異動するの。シンオウに行くならその時はよろしくね! バイバーイ!」
「おいピカチュウ大丈夫か!? 目が回ってる……」
「ピ、ピカ〜……」
サトシくんが慌てたようにバッグを広げると、そこにはジュンサーさんのドラテクで目を回したピカチュウがいた。
私の腕に抱かれているジラーチも若干グロッキー気味である。ジュンサーさんのドラテク恐るべし。
「ま、まあこういう日もあるわ。ジョーイさん、ピカチュウとジラーチをお願いします」
「ええ任せて。全く、いつも建物内はバイク禁止って言ってるのに……サトシくん、ピカチュウを預かるわね」
「うん、お願いジョーイさん… …って、あれ? なんで名前を知ってるの?」
「ポケモン図鑑の画面が丸見えよ。身分証なんだからしっかり管理しなきゃ。そこの先輩トレーナーさんみたいにね」
不思議そうに首を傾げるサトシくんに、ジョーイさんは片目でウインクしながらお茶目に告げる。
他人から見たら私とサトシくんの関係はそう見えるのかと嬉しくなった。
「先輩… …なんていい響きなの」
ジョーイさんの言葉に感動する。初めて旅立ってから幾星霜… …というほど歳月が経っているわけではないけど、シゲルくんやマコトの旅立ちを見送ってきた今だからこそ感じ入るものがあった。
けれど周りから見れば1人の世界に入り浸っている変な女だ。ジョーイさんが私に向ける視線も段々と訝しげなものに変わっていく。
「……もしかして2人とも新人さん? 私ったら早とちりしちゃったのかしら?」
「ア、アハハ。クロエさん、取り敢えずママに連絡してくるよ」
「え、ええ。私も少しトキワシティで買い物をしてからポケモンセンターに戻るわ。ジュンサーさん、それまでお願いしますね」
「任せてちょうだい。
ジョーイさんは、茶目っ気のあるウインクをしながらそう言った。
・・・
・・
・
「絶対、ぜ~ったいに弁償してもらうんだから!」
「わ、悪かったって。今すぐには無理だけど、バッジを集め終えたら貯金で弁償するから……クロエさん! こっちこっち」
「ちょっと話を逸らさな───ええ!? なんでクロエさんがこんなところに?」
「ええっと、自転車を担いできたのはカスミちゃんだったのね。それがどうして、二人して言い争ってるのかしら?」
買い物を終えてポケモンセンターへ戻ると、そこにはサトシくんと言い争いをしている少女がいた。
橙色のサイドテールで髪を結い、勝気な表情をしている。二人の間には産業廃棄物のように焼き焦げた自転車が転がされていた。
……説明されずとも、なんとなく予想が出来る。
あの俄雨の中、ホウオウが姿を現す前に起きた強大な雷撃は、私とジラーチも一番道路を走りながら目撃していたから。
まさかその因縁が、私と知己のハナダ四姉妹の末っ子であるカスミちゃんと関わっているなんて思いもよらなかった。
「コイツが私の自転車をパクった挙句、こんな状態のまま一番道路に野ざらしにされてたのよ! あ~もう、腸が煮えくり返るったらありゃしないわ!」
「だから済まなかったって! あの時は緊急事態だったんだ。今はもう平気だけど、俺とピカチュウがオニスズメの大群に襲われて……」
「知ってるわよ! それを含めてアンタが未熟なせいじゃない!」
「ストップストップ! 二人とも落ち着いて。サトシ君はしっかり反省……は、流石にしてるわね。カスミちゃん、自転車代なら私が払うから、どうかサトシ君を許してあげてほしいの。その自転車も、ピカチュウを大切に思ってのことだったから……」
カスミちゃんの視線は自転車とサトシ君に行ったり来たり。
この子もまた、本質はとても優しい女の子だ。
サトシ君の頬についた張り手の跡は、自転車ではなくパートナーのピカチュウがボロボロになったことへの怒りによるものだろう。
「……分かった。クロエさんに免じて今だけは許してあげる。でも今度また、ピカチュウをあんな状態にしたら絶対に許さないんだから。ポケモントレーナー失格よ」
「ああ、約束する。もうピカチュウにあんな辛い思いをさせない。それに、自転車もバッジを集め終えたらしっかり弁償するよ」
「よし! じゃあそろそろ、ポケモンの様子を見に行きましょうか」
射抜くようなカスミちゃんの眼差しを、サトシ君が真摯に受け止めて見つめ返す。
そのシリアスな空気を和らげるために私はパン!と手を叩いて、ポケモンセンターのロビーへと二人を促した。
「ジョーイさん、進捗はどうでしょうか」
「おかえりなさいクロエちゃん。ジラーチもピカチュウもすっかり元気になりましたよ。ピカチュウはまだ頬の電機袋が不安定だけれど……一晩安静にしていれば問題ないわ」
ジョーイさんの言葉に続き、看護服を着たラッキーがカートを押してやってくる。
カートの上にはジラーチとピカチュウがいた。
私の胸に飛び込んでくるジラーチとは対照的に、ピカチュウの頬袋と頭には機械が接続されていた。
おそらく治療に必要なのだろう。呑気そうに背筋を伸ばすピカチュウの姿にサトシ君は一瞬だけ安堵するも、すぐさま不安そうな表情になった。
「じゃあ、明日までピカチュウとは一緒に居れないの?」
「こればかりは治療だもの」
「アンタのせいなんだから、甘んじて受け入れるべきよ」
「アンタアンタって、俺にはサトシって名前が」
「はいはい! もう夜も遅いわ。私たちもそろそろ夕食に────」
そう言いかけた刹那、ポケモンセンターが一瞬で停電を起こして、辺り一帯が暗闇に包まれた。