いつかきっと、その牙で愛して 〜普通のJKはクラスメイトの美人吸血鬼を餌付けしたい〜 作:亜星
トン、トン、トンッ、と軽やかな3拍子。
最後のステップであたしの足はゴンドラの床を踏んだ。
うっすらとした幻のようなゴンドラの扉をくぐり抜けると、途端に視界が明るくなる。
目の前にはガラス張りの窓。大きなゴンドラの窓の向こうには、見慣れた湾岸の黄昏の風景。
「後ろがつかえますからお早くお願いします」
背中の方からはっきりと聞こえるロープウェイの係員さんの声。急いで振り返ると、窓越しに制服を着込んだ男の人が立っているのが見えた。
戻って来た!
このゴンドラの中は
そして、この場所とさっきまでの場所がまだ繋がっているということも。
ぐるっと見回すと、ゴンドラは全面ガラス張りでどこを向いても外が見られる様になっている。だけど一箇所だけ、外の景色が全く見えないところがあった。
ゴンドラの出入り口。
さっきあたしが飛び込んできたその場所は、そこだけが
(まるで星空が飾ってあるみたい)
黄昏の風景をそこだけ黒く切り取って、出入り口の向こうには星降る闇が広がっていた。窓の外にはプラットホームとそのさきの湾岸エリア。夕陽に染まる黄昏の風景の中に、浮かび上がる様に四角い黒が嵌まっていた。
「あやめ、早くこっちへ! 道がつながったから、こっちに早く!」
ゴンドラの出入り口に半身を突っ込んで一瞬だけ向こうに戻る。そして、少し離れた場所にいるあやめの背中に向かって声を張り上げた。
額縁のように切り取られた四角の枠の内側で、あやめがくるりと踵を返すのが見えた。
「はやくはやく! あやめ、はやくこっちへ!」
あたしはもう一回彼女を呼びながら、改めて星降る闇を眇めて見通す。
見えないものを見るあたしの右目には、さっきまであたしが辿って来た足跡がくっきりと見えていた。その足跡を辿るように、綺麗なフォームであやめは走ってくる。
体育の授業とかサボりがちなのに、惚れ惚れするような見事なストライド。あたしなんかよりもずっと、きれいな体の動かし方で見惚れてしまう。そして、なんでも得意だなんてちょっとずるい、と少しだけ嫉妬。
(それはともかくとして、ちょっとくっきり道をつけすぎちゃったかも。できればあやめだけ回収して瀬川くんは置いていきたいんだけどなー)
さっきまでやっていた、ちょっと変わったスキップみたいな三拍子。それが刻んだ足跡が、
そもそも、あたしとあやめが辛うじて通れるくらいの道筋しかつけられないと思っていたんだよね。でもあたしの右目の視界の中では、これが予想に反してすごくくっきりと見えている。
なんだか今日は調子が悪い。力が出過ぎるというか、振り回されているというか。診えすぎたことから始まって、今だって帰り道をしっかり作りすぎてしまっている。
(あたしとあやめが通ったら勝手に道が崩れるもんだと思ってたから、崩し方なんて考えてないんですけど……)
これ以上余計なことはしたくないんだけどね、なんてそっとため息をひとつ。少し現実から離れてしまったあたしの思考を、声を荒げる瀬川くんの声が引き戻す。
目の前ではあやめと瀬川くんの追いかけっこが始まっていた。
「なんだよそれ⁈ お前ら、逃すかよ! 逃げられるだなんて思うなよ!」
今まで隙を窺いあっていたあやめのいきなりの変化。これに瀬川くんは意表を突かれたみたいだった。呆気に取られた気の抜けた表情を一瞬浮かべた後、すごい勢いであやめを追いかけてくる。
あそこまであんなに距離あったっけ?って思うけど、
(瀬川くんもあやめと同じ、古い血を受け継ぐ人っぽいかな? 身体能力、すごく上がってるけど、見た目は人間のままだし)
こちらに駆けてくるあやめの足は素晴らしく早い。たぶん体に流れる古い血でいつも以上の力が出てるのかも? だけど、その背中にぐんぐんと追い迫る瀬川くんはそれ以上の身体能力ってこと。
あやめ以上に、この場所の影響を受けているんだと思う。
それでも、ゴンドラにたどり着いたのはあやめの方が早かった。
扉をくぐるとすぐ前はガラス窓。それに気がついたあやめが悲鳴を上げる。
「えぇ⁈ ちょっと、そこ、行き止まり⁈ 透子、受け止めてっ!」
艶やかな黒髪を靡かせて、あやめがゴンドラに飛び込んでくる。瀬川くんに追いつかれない様に全力で走ってきた彼女の勢いは、とてもじゃないけど急に止まれるようなもんじゃなかった。
あやめはそこそこ身長が高い。こうやって正面からすごい勢いで走ってくるのは結構迫力がある。正直、これを受け止めるなんて普段のあたしは絶対にできなかったと思う
だけど気がついたら、あたしはあやめの体を受け止めていた。
大きく腕を広げたあたしの胸に、勢いよくあやめが飛び込んでくる。
ゴンドラがゆらりと揺れた。
飛び込んできたあやめにあたしは簡単に跳ね飛ばされて、二人してもつれ合うように倒れ込こむ。そりゃあ無理だよ、あたし、体ちいさいからね。
あやめは全力で走り込んできてるし、こんなの受け止め切るの無理に決まってる。倒れ込んだ先がクッションの効いた座席だったのは、ホント運が良かった。
「あいたたたぁ…… 流石に、むりぃ…… あやめ、身体大きいんだもの」
「ひどいわ、透子。私、そんなに重くないはずなんですけど」
「うそばっかり。ここにたっぷりやわらかいお肉、詰まってますよね?」
「ちょっとどこ触ってるのよ? 透子って時々、セクハラおやじっぽいことするよね……」
頬を膨らませて文句を言うあたしに、あやめもちょっと拗ねてるみたいな顔をしている。まあ、こんな様子なら怪我もしてなさそう。とりあえず一安心ってところかな。
調子に乗って手に当たってたあやめの柔らかい部分をむにっとすると、体を離されてしまった。
しまった、やりすぎた。素直に反省して謝っておく。
「セクハラおやじはちょっときつい…… なんかごめんね……」
「謝ってもダメよ。こうなったら今度じっくり仕返しさせてもらいますからね」
「えー、そういうの、わざわざ機会作って仕返しする方がなんかえっちぃんですけど」
「じゃあ、今から仕返しする!」
「わぁっ⁈ ちょっと、ごめん! ごめんっ、てば! 反省してるから、ってムリ無理、くすぐったいから!」
ゴンドラの座席の上でついつい戯れあってしまうあたしたち。やっと
だから、ごめん。瀬川くんのことなんて忘れてたんだよ……
「お前ら、流石に緊張感なさすぎじゃねぇか?」
ゴンドラの外からあたしたちを見下ろす彼の視線。それがやたら冷たいのはまあ当然というか、自業自得っていうやつだった。