天を舞う大嵐、英雄とならん   作:桐谷 アキト

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マジでお待たせしてすみませんでしたぁっ!!


29話 亀裂

 

 

「八雲、お疲れ」

「圧倒的だったな」

 

観客席に戻った嵐を耳郎と障子が労う。嵐は二人に手を振りながら、耳郎の隣に座ろうとしたが、耳郎に八百万が共にいないことに気づかれ尋ねられた。

 

「ヤオモモは医務室?」

「ああ。威力は加減したし、本人が大丈夫と言ってても、念の為に医務室に行かせた」

「まぁお腹だしね」

「試合だから仕方ないところもあるが、問題なさそうでなによりだ」

 

試合とはいえ女の子だ。怪我は気にしなければならず、試合の結果は残念だったが、彼女に何事もなくて安堵していた。

嵐は改めて耳郎の隣に座ると先程の戦いを振り返る。

 

「閃光、煙幕まではまぁ予想通りだったが……まさか、ガトリングを使ってくるとはなぁ。あれは流石に驚いた」

「八雲は何がくると考えてたんだ?」

「んー、火炎放射器だと思ってた」

「火炎放射って、そっちも物騒だけどなんで?」

 

またしても物騒な兵器の名称に耳郎だけでなく、障子や周囲で話を聞いていたクラスメイト達すら首を傾げる中、嵐はなんて事のないように答える。

 

「いや、俺さぁ炎が苦手なんだよ。冷気やら電撃には耐性があるから問題はねぇんだが、炎に関してはてんで弱くてなぁ。こればっかりは相性の問題だから克服のしようがねぇんだ」

「へー、八雲にも苦手なものがあったんだね」

「俺だって人間だ。苦手なもんはある」

 

彼とて『龍』の個性を宿すが一応人間。

苦手なものの一つや二つぐらいある。そんな時、彼らの少し離れた席から上鳴と瀬呂が若干興奮気味に声をかけてきた。

 

「つか、八雲お前すげぇな‼︎ガトリングも弾けちゃうのかよっ⁉︎」

「前々から強度あんだろうなとは思ってたけど、本当にすごい個性だよなぁ」

「そんな大したもんじゃねぇよ」

 

瀬呂の言葉に嵐は苦笑いを浮かべる。

風や水、高い身体能力に変身能力、鱗や飛膜、尻尾。一つでも十分個性として成立するモノを複数併せ持つ彼の個性に瀬呂は純粋に感心していたようだが、嵐にとっては忌み嫌う怪物の力でしかないから、純粋に喜べはしなかった。

だが、そんなこと彼らには知る由もない。

そうして嵐達が談笑する中、試合が続いていく。

 

第四回戦。拳藤と切島の試合の結果は…………拳藤の圧勝に終わった。

お互い武闘派で接近戦が主の攻撃手段の二人だったが、切島は単純に相性が悪かった。

彼の個性は肉体を硬くする『硬化』であり、防御力には定評がある。しかし、今回の試合では無意味だった。

というのも、彼の敗因は場外アウトによる敗北。単純に殴り負けての場外アウトではなく、投げ飛ばされての場外アウトだったのだ。

それを成したのは拳藤の個性『大拳』だ。両拳を巨大化させるという一見地味な個性だが、その拳から繰り出されるパワーは見た目以上の威力を秘めている。

試合が始まりお互いが近接攻撃しか持たないが故に、拳を振りかぶり肉弾戦を仕掛けたのだが、彼女は開幕巨大化させた拳の掌底を叩き込んだのだ。疾走の速度と大拳の重量が加わった重撃に切島は耐えきれず強引に後退させられたところを巨大化した手で腕ごと胴体を掴まれて場外にぶん投げられたのである。

轟VS瀬呂戦に次ぐ速攻からのパワープレイによる瞬殺劇に、二度目のドンマイコールが巻き起こったのはいうまでもない。更に言えば、戻ってきた切島を瀬呂が慰めたのもいうまでもない。

 

第五回戦。常闇と芦戸の試合は常闇の圧勝で終わった。

中遠距離に強みを持つ『黒影』は芦戸の酸の攻撃を掻い潜り、競り勝ち場外へと押し出したのだ。

芦戸の酸もなかなかに強力なのだが、いかんさん相手が悪かった。試合が終わり戻ってきた芦戸は女子達に泣きついた。

 

第六回戦。取陰と上鳴の試合は取陰の作戦勝ちに終わった。

開幕上鳴は一気に最大出力での大放電を放ったのだが、それを取陰は予測していたのか全身をバラバラにして空へと飛び上がり回避。

一気に大放電してウェーイ状態になった上鳴を掴んで場外に放り出したのだ。

三度目の瞬殺劇に観客は苦笑いした。唯一、上鳴のウェイ顔がツボにハマっている耳郎は堪えきれずに噴き出していたが。

 

第七回戦。飯田と唯一のサポート科からのトーナメント出場者である発目との試合は………一言で言うならば、通販番組の実演販売だった。

というのも、試合前に発目が飯田に自作のサポートアイテムを着用して試合して欲しいと頼み込んだらしく、それをど真面目な飯田が承諾したのだが、それが罠だった。

いざ試合が始まり飯田は彼女を場外アウトさせるべく駆け出したのだが、彼女は戦闘態勢をとることもなく自身のサポートアイテムの性能についてプレゼンを唐突に始めたのだ。

そう。発目ははなから戦う気などなく、自身のサポートアイテムの性能をアピールする場として利用したのだ。

文字通り好き勝手やって飯田を実験体に自身のサポートアイテムを存分にアピールした発目は満足したのか、自ら退場しそれに付き合わされた飯田が勝ち抜く結果となった。

あまりの結果に誰もがなんとも言えない様子となった。

 

第八回戦。麗日と爆豪の試合は一波乱を呼んだ。

爆豪が出る時点で不穏さが滲み出る試合だったが、やはり予想通りであり、爆豪は果敢に攻める麗日を容赦なく爆破で薙ぎ払った。

何度吹き飛ばされようとも休むことなく突撃を続ける麗日だが、はたからみるとただ甚振っているだけの光景に観客達からは批判の声が出始め、次第にブーイングへと変わった。

しかも、その中にはプロのヒーロー達すらいる。嵐はそれを見てため息をつく。

 

「バカだな、あいつら。その距離で見て分んねぇのかよ」

 

ブーイングをするヒーロー達を見る嵐の眼差しは冷たい。

どうしようもないバカを見るような目に耳郎は戸惑う。

 

「で、でも、もう見てらんないよウチ」

「ぱっと見ならそう思うがな。上見てみろ」

「上?……っ‼︎」

「嘘っ、あれって……」

 

嵐の言葉に障子と耳郎含めクラスメイト達が驚く中、マイクを通じて相澤の声が響いた。

 

『今遊んでるっつったのプロか?何年目だ?もう見る意味ねぇから帰れ。帰って転職サイトでも見てろ』

 

あまりの物言いにブーイングしてたプロヒーロー達が思わず固まってしまう。そんな彼らに相澤は続けた。

 

『爆豪はここまで上がってきた相手の力を認めてるから警戒してるんだろう。本気で勝とうとしてるからこそ、手加減も油断も出来ねぇんだろうが』

 

爆豪の表情を見ればいつものような人を見下すような態度ではなく、警戒心を滲ませた険しい表情だ。対する麗日もあれだけ爆破に打ちのめされ、ふらふらになってもなお目に宿る闘志の輝きが衰えていないのだ。

爆豪は麗日の眼光を見ていたからこそ警戒を緩めなかった。

その警戒は正しかった。

麗日はずっと温存していたのだ。時が満ちるその時までずっと、備え続けていた。

 

その備えが、遂に放たれた。

 

麗日が両指の肉球を全て合わせて、『無重力』の個性を解除した。そうして爆豪めがけて降り注ぐは無数の瓦礫の雨。

彼女は吹き飛ばされながらも、爆豪が爆破した瓦礫をずっと浮かし続け今流星群の如く落としたのだ。

迎撃にしろ回避にしろ、必ず隙が生じるはず。

そう踏んでこその起死回生の策。これは逆転すると大勢がそう思って疑わなかった。

 

だが、直後、爆豪の才能がそれを覆した。

左手を翳し、これまでに類を見ないほどの巨大爆破を以て麗日の流星群を一切合切吹き飛ばしたのだ。

それにより万策尽きた麗日はそれでもなお攻めようとしたが、キャパオーバーでの戦闘不能となり、爆豪の勝利となった。

試合を終え、麗日がリカバリーガールの元へと運ばれる一方で大した怪我もなく観客席に戻ってきた爆豪をA組クラスメイトが各々労う。

だが、上鳴の『か弱い女の子によくあんな思い切りのいい爆破できるな』という発言の後に爆豪が『どこがか弱ぇんだよ』と小さく呟いていたのを嵐は聞き逃さなかった。

嵐は爆豪の様子を一瞬見た後、リングへと視線を戻す。リングでは瓦礫の撤去作業が行われており、その様子を見ながら嵐は次の試合の組み合わせに思いを馳せる。

 

(次は緑谷と轟か……)

 

この体育祭で一番成り行きを知りたかった組み合わせの二人だ。

片やオールマイトから個性を授かり、授かった個性でヒーローへの道を歩み始めた少年。

片やエンデヴァーの歪んだ野望によって生まれ、復讐の為に個性を使う少年。

正反対の道を歩むNo. 1とNo.2とそれぞれ繋がりを持つ二人だ。

現時点での嵐の見立てでは緑谷は轟にはまず勝てない。個性の練度もそうだが、経験値、判断力、それらをとってもやはりエンデヴァーに鍛えられたというのは大きい。

だが、それはあくまで表面的なものだけをみればの話。

緑谷には単純なカタログスペックでは判断できない要素がある。自らの体を壊すことも厭わない個性の使用。それが轟との試合の勝率を覆す鍵になるだろう。

 

(状況にもよるが、おそらく、四肢がぶっ壊れるぐらいには個性を使うんだろうな)

 

この試合どう動くかはわからないが、ほぼ確実に緑谷は自損覚悟で個性を使用するとは思っている。

まだ扱えきれておらず諸刃の剣である力だが、轟に勝つ為にはそれしかないからだ。

 

嵐が試合の行く末を考える中、2人の試合が遂に始まった。

 

▼△▼△▼△

 

 

緑谷と轟の試合は嵐の予想通りの展開で始まった。

まず、開幕速攻で轟が氷結を放つも、緑谷はやはり自損覚悟で個性を使用して超パワーで氷結を打ち消したのだ。

ただこれまでと違うのは、彼は腕一本を使うのではなく、轟の攻撃規模に対応できるように指一本を犠牲にしたものだ。

故に、緑谷は親指以外の指8本で情報を集め、轟の氷結攻略をしなければならない。

 

しかし、攻略していく中で、氷漬けにされる瞬間があり、右腕も使わざるをえない展開もあったがここで緑谷は活路を見出した。

 

遂に轟の個性の弱点を看破したのだ。

 

その弱点というのはーーー『体温』だ。

 

個性というのは身体機能の一つだ。

身体機能である以上何かしらの限度があり、爆豪ならば出せる爆破威力の上限。嵐ならば精神力の消耗など、その個性それぞれに限界点というものが存在する。

 

轟の場合は体温がそれに該当する。

 

氷結攻撃を行うことによって轟自身の体も冷えて低体温症のような症状を引き起こしてしまい、身体機能が大きく下がってしまうのだ。緑谷は氷結を使う彼の体が震えてる姿を見てその結論に至った。

しかし、轟に関しては氷結で体が冷え身体機能が鈍ったとしても、炎熱の力で体を温めれば身体機能は回復する。

逆に炎熱で体を温めすぎると熱がこもりすぎて身体機能が低下するが、それも氷結で冷やせば回復できる。

それこそがエンデヴァーが求めた最高傑作の型であり、轟焦凍はその理想を具現化した存在だったのだ。

だが、当然、轟は父への憎しみから左の炎熱を断固として使わないため、体は冷えて身体機能が鈍る一方。その姿を緑谷はふざけるなと思ったらしい。

壊れた指を更に破壊する威力で轟をリング端まで吹き飛ばした緑谷は怒りのまま叫んだ。

 

『皆…本気でやってる。勝って……目標に近づくために……っ、一番になる為に‼︎半分の力で勝つ⁉︎まだ僕は君に傷一つつけられちゃいないぞ‼︎』

 

緑谷は壊れた指を無理やり動かして力強く握り潰すと覚悟をあらわに叫ぶ。

 

 

『全力でかかって来い‼︎‼︎』

 

 

緑谷の覚悟に嵐達息を呑んだ。嵐含めA組の誰もが緑谷の覚悟に圧倒され、言葉を発する者は誰1人としていなかった。

A組の面々が静かに見守る中、緑谷は更に体を壊し続けながら、轟に抗い続ける。頭突き、殴打と轟に確かなダメージを与え続け追い詰めていく緑谷に轟は『なんでそこまで……』と思わず尋ねてしまう。

それに緑谷は脳裏に憧れの姿を思い浮かべながら答えた。

 

期待に応えたいんだと。

笑って応えられるようなかっこいい人になりたいんだと。

だから皆全力でやっているんだと。

 

自らの憧れを、自分が思うヒーローのビジョンを言葉にして彼に示したのだ。

その言葉に、轟の脳裏では母との記憶が消えては現れるを繰り返した。自分を庇ってくれたこと。泣きつく自分を慰めてくれたこと。そして、心が壊れ自分に危害を加えてしまったこと。

だが、それを思い出しても浮かぶのは父への憎悪だ。

まるで自分に言い聞かせるように『俺は親父を否定する』と口にしようとした轟に、緑谷はその言葉を否定するように叫んだ。

 

 

『君の!力じゃないか‼︎』

 

 

瞬間、轟はいつの間にか忘れてしまっていた幼い頃の記憶を。母の言葉を思い出した。

 

『血に囚われることなんてない。なりたい自分になっていいんだよ』

 

そう言って父のようになりたくないと泣きついた自分の背を押してくれた母の言葉を、ようやく思い出した彼は………遂に、原点を取り戻した。

泣きそうなほどに表情を歪めた轟の左半身から、紅蓮の業火が溢れ出した。

遂に、左側の炎熱の力を解放した轟は目尻に涙を赤べながら確かに、『俺だってヒーローに』とヒーローになりたかった想いを口にしていた。

 

待望の炎熱を解放したことで興奮したエンデヴァーが轟に向けて俺の野望を果たせなどと叫んでいたが、それを無視した彼は緑谷と向き合い続けてお互いのありったけをぶつけた。

緑谷は片足を壊し爆発的な跳躍力で接近し、右腕一本分の全力を振るう。対する轟は大氷塊を生み出し空気を冷やしたのちに、それを超高熱の炎で瞬間的に熱して膨張させたのだ。

その結果、緑谷の超パワーと空気の瞬間膨張により、とてつもない爆風が発生しステージを破壊し、砂埃と湯気が煙の如く立ち込めた。

徐々に煙が晴れていき、勝敗が明らかとなる。場外の壁にもたれ崩れ落ちた緑谷と、ステージ上で荒い呼吸を繰り返す轟の姿だ。

審判であるミッドナイトは判定を下す。

 

『緑谷くん、場外。轟くん、三回戦進出っ‼︎‼︎』

 

瞬間、観客席から割れんばかりの歓声が巻き起こった。

試合を見守っていたプロヒーロー達が各々感想を口にしていく中、ロボットに担架に乗せられて運ばれた緑谷を案じて麗日、飯田、蛙吹、峰田がリカバリーガールの元へと走っていた。

他のクラスメイト達も先程の試合結果について談笑し合っており、それを片耳で聞き流しながら嵐は静かに席を立った。

 

「俺、次試合だからもう控え室に行ってくる」

「えっ、もう?ステージ修復して時間かかるから、まだ行かなくてもいいんじゃないの?」

 

ステージが大崩壊した為、次の試合の前に一度小休憩を挟む旨はつい先程、プレゼントマイクから言われたばかりだ。

まだ控え室に行かなくてもいいはずなのに、もう向かおうとしている嵐を耳郎は思わず引き止めてしまう。

 

「まぁそりゃそうなんだが、いつ終わるかもわからんしそれならもう最初から控え室にいたほうがいいなと思ったんだよ」

「………確かに、それはそうだね」

「そうだな、慌てて行くのも大変だろう。それならもう控え室にいたほうが慌てずに済むな」

 

2人もその最もな理由に納得を示した。

 

「だろ?だから、もう行っとくわ」

「オッケー。次、一佳とだよね、頑張って」

「無事勝ってこい」

「おうよ」

 

次の対戦相手は友人である拳藤だ。

騎馬戦で組んだチームメイト同士の戦いであり、普段からつるむ訓練仲間でもある相手だ。

嵐は友人2人の激励を受けながら、気負わず自然体な様子で控え室へと向かっていった。

 

 

「「……………」」

 

 

快く送り出した2人だが、耳郎と障子に去り際の嵐の顔に違和感を覚えていた。

一見自然体を装っているように見えるが、どこか無理をしているような、悲しみを堪えているように見えたのだ。

USJの一件以来、友として彼の力になりたいと思ったが故に気づけた違和感。

 

 

 

気づけば、2人は顔を見合わせて頷き、立ち上がり彼を追いかけていた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

「……………」

 

控え室へと向かいながら、嵐はさっきの試合を思い返す。

思い出すのは緑谷の言葉だ。

 

『君の‼︎力じゃないか‼︎‼︎』

 

自分の方がボロボロになりながらも引き摺り出した叫び。

その叫びは自らの力を父と母の力で二分し、母を追い詰めた『父の力(炎熱)』を拒み『母の力(氷結)』のみで戦っていた彼の凍りついた心を溶かした。

その結果、轟の心からはエンデヴァーの影が消え、轟焦凍の炎が解き放たれたのだ。

 

「君の、力か………」

 

あの時、轟の炎に嵐は目を奪われた。

これまで忌み嫌ってきた父の力、だがそれは同時に自分の力でもある。宿る力は同じでも、使い手が変われば力の在り方も変わる。

嵐の目には彼の炎は………闇を照らす光のように映った。

 

(眩しかったな)

 

過去の呪縛を乗り越えた者の強さ。

自らのオリジンを思い出して己の力を受け入れて肯定した彼は晴れやかな表情をしていて、未だ後ろ暗い過去に向き合えていない自分のような怪物にはとても眩しかった。

そして、そのきっかけを作った緑谷を彼は密かに称賛した。

 

(轟を救ったんだ。お前はもうヒーローだよ、緑谷)

 

意図して救けようとしたわけではないのだろう。だが、結果的に轟は緑谷によって救われてようやく前を向くことができた。

正面からぶつかって、己の想いを叫び彼の凍った心を溶かして見せたのだ。それを称賛すれど、馬鹿になんてするはずがなかった。

 

「………………」

 

歩みを止めた嵐は自身の右手を見下ろす。今は何の変哲もない肌色の皮膚に覆われた人間の手だ。

だが、その実態は血に濡れた人ならざる龍の鱗に覆われた怪物の手だ。

多くの命を奪った。大勢の未来を踏み躙った。

そんな厄災しかもたらさない怪物がこんな場所にいていいかと言われれば、否だ。

少なくとも、まともな人間ならば自分のような存在がヒーローになることなんて認めないし、自分自身でも己は牢獄にいるべき存在だと今でも考えてすらいる。

誰かを憎むのではなく、自分自身を憎む彼は個性だけでなく、自分自身すら肯定できていない。

緑谷のように真っ直ぐに夢に向かって突き進むようなこともできなければ、轟のように過去の呪縛から吹っ切れて進むこともできていない。未だ自分は停滞したままだから、あの二人の戦いを見た後だと自分の情けなさが恥ずかしかった。

 

「はっ、情けねぇな。何て様だよ俺は」

 

その様に嵐は己自身を嗤うと、右手から視線を外し控え室へと再び歩もうとする。だが、その直後、彼を呼ぶ声が聞こえ、足が止まった。

 

 

「八雲嵐」

「…………っっ」

 

 

その声音を聞いた瞬間、嵐の時が止まる。

鼓動が速くなり、呼吸が浅くなる。

冷たい汗が頬を伝って、体が僅かに震え始めた。

鼓動の音が嫌にうるさくて、断続的に鈍い痛みが頭に走る。

その声を知っている。忘れるわけがない。だって、彼は自分の———

恐る恐る振り返った先には、予想通りの人物がいた。

 

「どう、して……」

 

怯えているのだと自分でもわかるぐらいに声が震えていた。

鳥の嘴型の仮面の奥から見える翡翠色の瞳は刃の如く鋭く、肌を突き刺すような殺気を放っている。

その背中には夜を凝縮したかのような濡れ羽色の黒翼が生え、着物と武者鎧が一体化した漆黒のコスチュームは自分の記憶の中にある憧れた姿と同じだ。

しかし、纏う雰囲気は全く変わっていて殺気立っていた。肌を突き刺す殺気はそれだけで斬られたと錯覚しかねないほどに鋭い。

嵐は無意識に一歩後退りながら、唇を振るわせてなんとか言葉を絞り出した。

 

「父……さん………」

 

そこにいたのは、血の繋がった実の父にして、己を本家から追放した出雲本家当主ーーー《ヤシャガラス》出雲疾風だった。

疾風は動揺に声を震わせる嵐を睨み口を開く。だが、放たれた言葉は親子が交わす言葉ではなく、冷たい拒絶の言葉だった。

 

「黙れ。貴様に父と呼ばれる謂れはない」

「っっ……申し訳、ございません、当主様」

 

自分よりも少し高い視点から向けられる翡翠の眼差しにすかさず嵐は謝罪をし俯いてしまう。その様子は普段の兄貴のような頼もしい姿ではなく、親を恐れる子供のそれだった。

親子とは到底思えないやり取りかつ普段とは打って変わった嵐の態度に友人達がその場にいればさぞや驚くことだろう。それだけ嵐の様子はあまりにも弱々しく、二人の空気は険悪そのものだったから。

嵐はわずかに顔を上げるとまさしく機嫌を伺うようにか細い声で恐る恐ると尋ねる。

 

「………今日は、どうして体育祭に……」

「貴様には関係のない話だ。だがまぁ、俺も驚いたぞ。まさか、雄英の、ましてやヒーロー科に貴様がいたとはな。巴め、俺達に黙っていたな」

「っ巴さんは何も悪くありませんっ。俺が頼み込んだんですっ‼︎だからっ、彼女を責めないでくださいっ‼︎」

 

巴が本家に報告しなかったことを責める物言いに嵐はすかさず彼女を庇う。

だが、その懇願も受け入れてはもらえなかった。

 

「貴様の意見などどうでもいい。確かに巴は貴様の従者ではあるがそれ以前に出雲家の従者だ。監視の任務を怠り当主の俺に報告しなかった罪は重いぞ」

 

疾風の口ぶりからも分かる通りに巴はただ嵐の従者や師匠として今日この日までついてきてくれたわけではない。

彼女は嵐の監視を本家より、当主たる疾風に命じられたからこそ共に生活しているのだ。それを嵐自身も知っている。

故に、報告義務を怠り嵐が雄英生になったことを報告しなかった怠慢は大きい。何せ嵐には『表舞台に出ず静かに生きて静かに死ね』と命じ、巴には『表舞台に出さぬように監視しろ』と命じられていたにもかかわらず、当主命令を守らなかったのだから。

きっと、巴には重い罰が下されることだろう。だが、巴は後悔などしていないはずだ。だって、彼女は心の底から彼の夢を応援しているのだから。

 

「やめて、くださいっ。巴さんには、何もしないでくださいっ‼︎全部俺の意志でやったことですっ‼︎罰を下すのなら俺だけにしてくださいっ‼︎」

 

だが、そんなこと嵐は望まない。

彼女に罪があるのなら、それは頼み込んだ自分に全ての責任がある。罰を受けるのならば、自分が受けると必死に彼女を庇う嵐の懇願を疾風は容赦なく切り捨てる。

 

「貴様の懇願など何の価値もない。巴には追って処分を下す。だが、それについては後でいい、今回は貴様に用があってきたのだ」

「俺に、ですか……?」

「ああ、単刀直入に言う。八雲嵐、体育祭が終わり次第速やかに雄英高校を退学しヒーローの夢を捨てろ」

「———っっ‼︎」

 

疾風の命令に嵐は悲痛に表情を歪める。

こうなることはわかっていた。彼ならば、追放処分の決定を下した張本人である父ならば、自分の今をよく思っていないはずだから。

だけど、まさかこうも露骨に言ってくるとは思ってもいなかった。それだけ嵐にヒーローになるのを認めないということなのだろう。面と向かって言われ嵐は胸の奥がズキリと痛んだのを感じた。

そんなことを知らずに、疾風は更に否定の言葉を突きつける。

 

「貴様の個性ではヒーローにはなれない。貴様は個性だけでなく、存在そのものが厄災なのだ。厄災は誰も救えないどころか、ただ悪戯に傷つけることしかできない。紅葉や青葉のようにな」

「〜〜〜ッッ‼︎」

「貴様自身それを自覚しているはずだ。なのに、なぜヒーローを目指そうとする。叶わぬ幻想だとなぜ分からない」

「それ、は……」

「まさか、開会式で言った通り、紅葉の想いを無駄にしない為だと本気でほざくのか?」

「………………」

 

疾風の問いかけは正しい。だが、素直に頷いたら、どう言われるか想像できてしまい、その反応を恐れて彼は口を閉ざしてしまう。

しかし、そんな嵐の些細な葛藤は無意味だったのか、全てを見透かした疾風は彼の想いを唾棄し、彼の罪を突きつける。

 

「下らない。貴様如きに継げるほど紅葉の想いは安くないぞ。何より、貴様は7年前に何をしでかしたか忘れたわけではないだろう?」

「……………」

 

忘れるわけがない。なぜなら、その事件こそが嵐の罪そのものであり、『嵐龍』の個性を憎むきっかけとなったのだから。

 

7年前、中国地方を中心に突如日本列島を覆えるほどの大嵐が発生した。その規模は半径900km超、最大瞬間風速120m/sと史上最強にして最悪の嵐が前触れもなく日本に出現したのだ。

過去に発生した大嵐の記録を塗り替えた未曾有の災害は、当然被害規模も甚大だった。暴風、落雷、川の氾濫、土砂崩れ、高潮などの大嵐の影響による自然災害が多発し、多くの山々で自然は破壊され、数多の街や村も壊滅的被害も被った。

被害範囲はおよそ日本本州全域と朝鮮半島の南半分。死者は1000人を超え、行方不明者は500名、重軽傷者4万人超。過去の被害規模を遡っても大規模な被害だった。

甚大な被害を出した事から、号名は台風 4号、名称は日本の嵐の神の名を冠し『スサノオ』と呼ばれている。

 

この大嵐にはいくつか不可解な点がある。

一つ、前触れもなく突如日本の中国地方を中心に発生した事。

基本、台風とは温暖な海上で上昇気流が発生し、積乱雲が集まり渦を形成することによって起こるものだ。渦の中心部では気圧が下がり、そこに周囲の空気が吹き込み、さらに渦が大きくなり台風は規模を増す。つまり、台風とはまず海上で発生してから移動し、大地に上陸して被害をもたらすのだ。

そのメカニズムがこの『スサノオ』にはなく突如として日本上空で発生した。これは、台風発生のメカニズムからは外れている。

二つ、発生から消滅までわずか五時間程度で収まった事だ。

通常、台風は4〜5日が寿命であるため、その持続時間はあまりにも短い。

三つ、発生地点から移動せずにずっとその場にとどまり続けたことだ。台風はどう言う形であれ大抵は移動するものだ。それがなく、煙が空に溶けるようにフッと消えてしまった。

気象学に詳しい者達からすればその程度の持続時間しかないにも関わらず、被害規模は過去の台風のそれらよりも上回るのは異常だが、数時間で消えたのは不幸中の幸いだった。

もしも、『スサノオ』が四日以上存在していたら、被害規模はもはや推測すらできないほどだ。推測ではあるが、日本が半壊してもおかしくはない被害規模になっていただろう。

四つ、被害地域の一部では大嵐の合間から巨大な何かが悠然と空を舞う姿が確認され、獣の咆哮までもが聞こえたと言う。

 

ただの台風にしては不可解な点が多く、すぐに国際機関により調査が行われたが原因は不明。

結局、異常気象により突如発生した天災という調査結果に落ち着いた。

 

だが、ごく一部の者達は、あの大嵐の中心地点にいた者達は知っている。かの大嵐『スサノオ』は不幸にも発生してしまった偶発的な『天災』ではないと言うことを。

一人の幼い子供の個性が暴走した結果、引き起こってしまった自然災害、人為的な天災ーすなわち『人災』であると言うことを。

それを成してしまった者こそ———

 

 

「日本だけでなく、世界史上最悪にして最強の台風『スサノオ』。あの未曾有の大災害を生み出したのは、『嵐龍』の個性を暴走させた貴様自身だ」

 

 

八雲嵐である。

そして、その事件こそが『出雲翠風』と『出雲紅葉』が死んで、『八雲嵐』と『白妖』が生まれた発端なのだ。

 

「敵を数十名殺害しただけならばまだいい。だが、貴様は日本国民を命の危機に陥れ、大勢を殺し紅葉をも殺した。

多くの命が散り、未来が奪われ、世界にすら傷痕を残すほどの災いを振りまいておきながら、何故彼女の想いを受け継げると思ったのだ」

「お、俺はっ……」

「紅葉は誰よりも優しいヒーローになれるはずだった。その輝かしい道を閉ざしたのは貴様だ。貴様があの子の未来を奪ったのだ。なのに受け継ぐなど……思い上がるな」

 

内から込み上げる怒りを堪えているのか、仮面から覗く翡翠の瞳は怒りに激しく燃え、手は血管が浮かび上がるほどに力強く握られていた。

個性の産物である翡翠の雷が彼の全身から迸り、その雷は嵐を拒絶するように迸っていた。

 

「厄災の怪物である貴様に紅葉の想いを受け継ぐ資格はない」

「……〜〜〜〜っっ」

 

明確な否定の言葉に嵐の目には涙が滲む。

 

(まって、くれよ……)

 

認めたくなかった。

当時ならばまだしも、今はもう個性だって使いこなしつつある。個性の制御だって余程のことがなければ乱れないように鍛錬してきた。

ずっと頑張ってきた。ずっと努力してきた。

何もできなかったか頃とはもう違うから、かつては決定的に切れてしまった繋がりも今ならば少しはマシになっているかもしれないと思っていたのに、そんな淡い期待はいとも容易く握りつぶされて自分のこれまでの努力を全て否定された。

ずっと頭に響いていた断続的な痛みがより重くなり、目眩すら感じる。

 

「実に不愉快だ。どれだけ紅葉を、俺達を愚弄すれば気が済む。貴様のせいでどれだけの人間が傷ついたかわかっていないようだな」

 

真っ直ぐ父の顔を直視できなくなって、まさに親に叱られる子供のように顔を俯かせてしまう嵐に疾風は決定的な言葉を放つ。

 

 

「———やはり、あの日貴様が死ぬべきだった」

「———ッッ」

 

 

到底我が子に向けるものではない言葉に、嵐の頭は真っ白になり、次の瞬間には叫んでいた。

 

「…………わかってんだよっ‼︎‼︎そんなことはっ‼︎‼︎」

「っっ‼︎」

 

怒号が通路に響き、風が通路を吹き抜ける。

殴りつけるような強風に晒され、疾風は僅かに瞠目する。嵐の瞳は黄金から真紅へと変わっており、涙がとめどなく溢れていた。更には、彼の激情に呼応するように風が激しく渦巻いていたのだ。

嵐は片手で頭を抱えるように髪を掴みながら、込み上げた衝動に任せ叫ぶ。

 

「あの日死ぬべきは俺だった‼︎厄災しか齎さない俺が怪物として死んでいればこんなことにはならなかったっ‼︎‼︎でも、俺が生き残った‼︎生き残っちまったんだよっ‼︎‼︎英雄(ヒーロー)である紅葉姉じゃなくて怪物(モンスター)でしかない俺がっ‼︎‼︎」

「……………」

「だから俺はヒーローにならなくちゃいけねぇんだよっ‼︎‼︎俺にヒーローになる資格がなかったとしてもっ、紅葉姉を殺した責任を、あの大災害を齎した責任を取らないといけねぇんだっ‼︎‼︎それが、俺にできる唯一の贖罪なんだっ‼︎‼︎『八雲嵐』としてだけじゃない。『出雲翠風』としてもやらなくちゃいけないけじめなんだよっ‼︎‼︎」

 

今でも自分こそがあの日死ぬべきだったと思っている。

自分があの日紅葉を殺してしまったから、白妖が造られてしまった。自分が生き残ったから、家族は心に深い傷を負った。

それらに対してどう償うかと問われれば、自分が死ねばいいと言いたいところだが今死んだところで過去の罪は消えないし、紅葉が帰ってくるわけでもない。

ならば、罪に向き合い償っていくしかない。例え、その資格が無かったとしても、彼らが許さなくても、ヒーローになってこれからの人生を償いに生きていくことが唯一自分に許された生きる意味だと思っているから。

 

「だから俺はヒーローになることを諦めたくねぇんだよっ‼︎‼︎何もできなかったあの日を繰り返さない為にっ‼︎‼︎」

「…………………」

 

嵐は想いの丈を叫び、己の覚悟を示す。

依然として精神の不安定さから風が吹き荒れる中、疾風はその鋭い眼差しを崩さずにしばしの沈黙ののちに口を開いた。

 

 

「いいたいことはそれだけか?」

「………え…………?」

 

 

予想もしなかった言葉に、嵐は目を見開いて固まる。

それ、だけか?自分の想いを、覚悟を、たった五文字の言葉で片付けられたことに、嵐は理解が追いつかなかった。

疾風は固まる嵐に冷ややかな視線を向けると、露骨に溜息をついて底冷えするような声音で続ける。

 

「はぁ、急に叫んだかと思えば、くだらない我儘だな。そんな子供じみた言い訳を並べたところで、俺の考えは変わらない。

ヒーローになる資格が無かったとしても?愚かだな。ただの怪物でしかない貴様に資格などあるわけがないだらう。

殺した責任を取る?ふざけるな。実の姉や大勢を殺した怪物が責任を語るな。

あの日を繰り返さない為に?当たり前だ。あんなことが二度もあってたまるか。

貴様が犯した罪は決意を示した程度で贖えるものではない。それだけ貴様の罪は大きく、存在自体が危険なのだ。だから俺は貴様に言ったんだろう。表舞台に出ず静かに生き、静かに死ね———とな」

「——————」

「存在するだけで厄災を齎す者など誰も必要としない」

 

それはあまりにも受け入れ難い言葉だったが、もう気づいてしまった。

 

(………あぁ………もう、叶わないんだな)

 

心のどこかで少しは認めてくれると思っていた。

雄英を首席で合格し、障害物競走、騎馬戦をトップで突破した。個性の強さを、戦略の組み立ても、この体育祭で自分にできるアピールはしてきたつもりだった。

だから、そんな頑張りを見て父親として、ヒーローとして見直してくれるのではと少しは期待していた。

でも、

 

(……この人達とは、もう直せないほどに切れてたのか……)

 

何を言っても、何をしたとしても、どれだけ評価に値することだったとしても、変わることはあり得ない。

自分はそれだけのことをしてしまい、彼らは自分をそういう存在だともう決めてしまったのだ。

瞬間、嵐の中でピシリ、とひび割れる音が何度も響いた。

何も反論できず、ただ目を見開いて涙をポロポロと零す嵐に疾風は話は終わりだと言わんばかりに背を向ける。

 

「俺の意志は伝えた。その上で、退学するのならそれでいい。だが、それでもなおヒーローを目指すというのなら、俺達は出雲の総力をもって貴様を排除する。それをゆめ忘れるな」

「ぁっ……と……さ……まっ……」

 

冷徹な宣告を残した上で疾風はさっさとその場から立ち去ろうとする。それを慌てて止めようとするも体は全く動かず、言葉すらもしっかりと紡ぐことができずに疾風を引き止めることは叶わず、そのまま立ち去ってしまった。

そうして一人残された通路で呆然と立ち尽くす嵐は疾風の姿が完全に消えた瞬間、膝から崩れ落ちた。

茫然自失といった様子で床に視線を落とす彼はポタポタと涙を床にこぼし続ける。

 

(………頑張ったなって……昔みたいに言われたかった……ただそれだけでよかったのに……)

 

昔みたいに頑張ったなと頭を撫でてもらいたかった。

普通の親子みたいなやり取りは無理でも、ヒーローとしてでもいいから、ほんの少しでも褒めてもらいたかった。

たった一言でも褒めてくれるのなら、自分のこれまでの頑張りが報われると思っていた。

どれだけ冷たくても、どれだけ遠くても……例え、戸籍を抹消されて名を変えさせられたとしても、どこかで繋がりはあるのだと、何か意味があるはずだとずっと信じてきた。

でも、現実はそんなことは全くなく、明確な否定と拒絶が明らかになっただけだ。

 

「はは………ははは……」

 

諦観に満ちた乾いた笑みが彼の口から溢れる。

本来の名前である『出雲翠風』ではなく、偽名である『八雲嵐』を名乗らせたのは、完全に出雲家から自身の存在を消す為。

存在そのものが厄災だと言われていた自分が出雲家にいれば、必ず一族の汚点になるし、姉殺しの話を聞かれれば周囲から何を言われるかわからない。

 

だから、『出雲翠風』は死んだことになった。

 

『出雲の厄災』の存在を外部に知られないようにする為に。

まだ長男と長女が死んだことにしたほうが外聞が良かったし、余計な混乱を招かなくて済むのだから。

そして、『死人』があの家に戻ることはできないし、『他人』があの家に足を踏み入ることは許されない。

 

自分はもう二度とあの家には帰れないのだ。

 

 

「…………本当に……俺が死んでいれば、よかったのに」

 

 

彼の小さな呟きは誰もいない通路に虚しく溶けて消えていった。

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『修理終わったよ』

『サンキューなセメントス‼︎それじゃあ早速次の試合始めていこうかぁ‼︎‼︎』

 

緑谷VS轟戦で大崩壊したステージの修復が終わり、第二試合の開始の合図がプレゼントマイクより放送される。

それに合わせ、二人の少年少女が向かい合わせの通路からそれぞれ姿を現す。

まず現れたのはオレンジ色の長い髪をサイドテールで纏める少女ーB組拳藤一佳。

 

『今回戦うのは騎馬戦のチームメイト同士だっ‼︎‼︎まずは切島を場外ホームランして圧勝したB組の姐御‼︎拳藤一佳‼︎‼︎』

「姐御って……まぁ言われてるのは事実だからいっか」

 

プレゼントマイクの紹介に何とも言えない笑みを浮かべるが、クラスメイトから言われてるのは確かなので否定はしない拳藤。

だが、意気込みは十分でありすぐに戦うべき相手を見据え気を引き締める。彼女の視線の先ではちょうど一人の青年がステージに上がってきた。

 

『拳藤がB組の姐御分なら、この男はA組の兄貴分‼︎風や水の力のほかにガトリングすら耐え抜く強靭さを見せつけた文句なしの一年最強‼︎八雲嵐だぁ‼︎‼︎』

「………………………」

「?」

 

これまで散々圧倒的な実力を見せつけたからだろうか。一際大きな歓声を浴びながら嵐はゆっくりとした足取りでステージに上がる。だが、彼が上がってきた瞬間、声をかけようとした拳藤は違和感を覚えた。

 

(八雲?)

 

ぱっと見の外見は何ら違和感はないが、嵐の様子が普通とは少し違うことが何となく分かった。

若干俯いているから目元の様子はわからないが、ステージに上がる一瞬、髪の隙間から見えた彼の瞳は、遠くからでも虚だった。

何かがおかしい。

周囲の歓声に何の反応も見せずに、無言で立っている彼の姿ははっきり言って不気味だった。普段ですら常識はずれな強さだからこそ油断はしないが、その不穏さに警戒度が跳ね上がる。

 

『そんじゃあバトルスタートォォッッ‼︎‼︎』

 

何があったかを問う暇もなく、試合開始の合図が響いた。

あとで話を聞こうと思い拳藤は嵐へと向かって駆け出す。彼女の攻撃手段は近接しかないため自ら接近するしかない。

だが、対する嵐は嵐は動くどころか、龍人化すらしなかった。

 

(八雲っ、なんで動かないんだよっ⁉︎)

 

戦闘態勢を取る様子が微塵もない嵐に驚愕しつつも拳藤は止まらずに拳を最大まで巨大化させて、射程圏内に入った瞬間、容赦なく振り抜いた。

 

「らあァァっ‼︎‼︎」

「………っっ」

 

巨大な拳は何の障害もなく、嵐の全身を打ち鈍い音を響かせた。嵐の身体が蹌踉めき数歩後退する。

 

『クリーンヒットォォォ‼︎‼︎おいおい、八雲の奴無防備に喰らっちまったぞ、どうしたぁ⁉︎』

 

これまで圧倒的な強さを見せつけてきた嵐が無防備に攻撃を受けたことにプレゼントマイクは驚きの声をあげる。

それは観客達も同様で、明らかな異変に戸惑いの声をあげる。

蹌踉めいた嵐はふらつきながら頭を抑えるとようやく今の状況を把握した。

 

(………ぁぁ………そうか……試合、始まってたのか……)

 

試合開始の合図が出たことにも、拳藤の接近にも気づかなかった。周囲の変化に気づかないほどに、精神の安定が崩れ最悪な状態になっている。

 

(今は……試合に、集中しないと……)

 

試合はもう始まってしまっている。

不調をどうにかすべきだが、それよりも今は試合に集中すべきだと意識を切り替え、迎撃を行おうとようやく拳を構える。

 

「はあァッ‼︎」

「つっ⁉︎」

 

だが、その動作はあまりにも緩慢で彼が腕を持ち上げた時には拳藤の二撃目がヒットしていた。

通常より一回り大きくなった程度の左拳のストレートが嵐の右脇腹に突き刺さる。鋭い痛みに一瞬硬直し、その隙をつかれ今度は顎を下からの掌底で突き上げられのけぞる。更に側頭部へのフック。嵐の頭が右に弾かれ蹌踉ける。そこから怒涛の猛攻が始まった。

 

「っっ」

『怒涛のラッシュだぁ‼︎八雲サンドバッグになっちまってるぞぉ‼︎‼︎本当にどうしちまったぁぁ⁉︎』

『……………』

 

なすがままに攻撃を受け続ける嵐の予想外な姿に、誰もが困惑を隠さずに声を張り上げるプレゼントマイク。その横では相澤が険しい眼差しを嵐に向けていた。

 

(八雲の奴、明らかに様子がおかしいな)

 

嵐の様子がおかしいのは一目瞭然だ。

物間とのやり取りをB組メンバー達から聞いていたからこそ、それが原因かと一瞬勘繰ったが、それならば八百万との試合の時点でそうなってないとおかしいはずだ。

だとするならば、何かあったとしたら、それは八百万戦からこの拳藤戦への試合の間だ。しかし、その間に何があったのか相澤にはわからなかった。

 

(…………一体何があった?)

 

嵐の様子に困惑を抱くのは勿論相澤だけじゃない。

 

「八雲、あんた…どうしたのよ」

「……八雲っ」

 

観客席で各々試合の成り行きを見守っていた取陰と心操もだ。二人とも嵐の強さは先の騎馬戦で知っている。

取陰に至っては放課後、耳郎や障子、拳藤、嵐と共に訓練をしたりするほどの仲だからこそ、今の戦いの成り行きに疑問を抱く。

もはやトップヒーロー並とも称するほどの戦闘能力を有し、卓越した戦略眼、冷静さは同じ一年生とは思えないほどで見習うべきものが多かった。

今回の二人の試合だって、てっきりお互い武道を得意としてるからこその格闘戦になるのかと思っていた。だが、結果は明らかに試合に集中できていない嵐を拳藤が一方的に殴っている光景。異変を疑うのは当然のことだった。

そして、その異変の根源に別の場所で観戦していた巴は気づいてしまった。

 

「………嵐様、まさか……」

 

巴が半ば確信を得た様子で呟く。

ずっと感じていた胸騒ぎが現実になってしまった。

先程のエンデヴァーの発言を思い出す。ここに嵐の父『ヤシャガラス』こと出雲疾風がこの雄英体育祭に来ているということを。

だから、彼女は嵐がああなってしまった原因について確信してしまった。

 

「旦那様と………会ってしまわれたのですね………」

 

巴は悲しげな表情を浮かべる。

今日2人は再会するべきではなかった。せめて、嵐自身の手で紅葉を救い出した後、あるいは彼が無事にヒーローになれた時に話をして和解してほしいと彼女は願っていた。

だが、そんな彼女の淡い願いは叶わず、自分が知らないところで二人は再会を果たしてしまい、その結果がどのようなものになってしまったのかも、今の嵐の様子を見れば一目瞭然だった。

 

(………なぜ、私はいつも肝心な時に側にいないんですか)

 

巴は拳を強く握りしめる。血管が浮かび上がるほどに握りしめられた拳は己自身への怒りと後悔に震えていた。

白妖の時も、7年前のあの時も、自分はそこにはいなかった。後から話を聞いて駆けつけて慰めることしかできなかった。

守るべき家族から見放された彼には頼れる人物は自分しかいないのに、彼が苦しい時に、最も彼を守るべきであるはずの自分はなぜいつもそばにいられないのだろうか。

 

(…………これでは従者失格ではないですか)

 

これではあの時、何があろうとも彼を護ると誓った意味がないではないかと巴が悔いる中、実際に2人のやりとりを聞いてしまったものが他にいた。

 

「お、おいおいおい‼︎八雲の奴、なんであんな一方的にやられてるんだよぉ⁉︎」

「お、俺らだって訳わかんねぇよっ‼︎」

「八雲君どうしちゃったのっ⁉︎」

「殴り合いなら八雲の方が強いでしょ⁉︎なんで⁉︎」

 

A組の観客席から混乱や驚愕の悲鳴がいくつも上がる。

USJでオールマイト並の戦闘力を目の当たりにしたからこそ、それよりも遥かに劣る拳藤に一方的に殴られていると言う現実にA組のクラスメイト達は動揺していた。

峰田や砂藤、葉隠達が慌てふためく中、蛙吹や八百万冷静に状況を判断する。

 

「八雲ちゃん、明らかに試合に集中できていないわね。一発目もらった時も、そもそも試合開始の合図に気づいていなかったわ」

「………ええ、私もそう見えましたわ。八雲さんは多分、拳藤さんの接近を認識していなかったように見えます。私との試合の時は私のことを確かに捉えていましたもの」

 

冷静に試合を見ていた蛙吹は入場の時点で嵐の様子がおかしかったことに気づいたし、八百万は一対一で戦ったからこそ先ほどとは様子が違いすぎることに気づいていた。

だが、それならばなおのこと疑問が残る。

 

「じゃあ、なんで八雲君集中できてないの⁉︎控え室に行くときはなんともなかったでしょ⁉︎」

 

葉隠が疑問の声を上げる。

その通りなのだ。嵐が観客席から控え室に向かう時は何ともなかったはずなのだ。轟と緑谷の戦いで何かしら思うところがあったようだったが、それでもクラスメイト達はそこまで重要な問題だと考えてはいなかった。

だから、嵐がああなってしまっている理由がわからないのだ。

そんな彼らの頭上から声がかかる。

 

「やはりもう試合は始まっていたかっ」

「今、どんな状況になってる?」

 

少し焦りが宿る声にA組の大半が一斉に振り向く。

そこにいたのは、()()()()()()()()()と彼を追いかけた障子と耳郎だった。だが、そこでクラスメイト達は首を傾げる。

二人とも表情があまりにも暗かったのだ。マスクに隠れ目元しか見えない障子の目元は悔しさが宿り、耳郎は目が少し赤かった。予想外な様子になんて声をかければいいか各々が迷う中、蛙吹が尋ねた。

 

「ケロ、二人とも大丈夫?何だか暗いように見えるわ。耳郎ちゃんは目も赤いし、何かあったの?」

「あ、う、ううん、何でもないっ。埃が目に入っちゃったんだ」

「そう?それならいいのよ。でも、二人とも、八雲ちゃんとは話せた?」

「…………っ」

「………いや、話せなかった。ちょうど入れ違いになってしまったんだ」

 

蛙吹の問いかけに耳郎は思わず口を噤んでしまうが、障子が咄嗟に答える。

その様に蛙吹は何かを感じたのか隣の明らかに顔色が悪い耳郎に視線を向けるも敢えて触れずに深く追求はしなかった。

 

「それは残念だったわね」

「ああ。それで状況は………見た通りか」

「ええ、どうも八雲ちゃんの調子が悪いようなの。皆も何があったのかわからなくて混乱してるわ」

「そう、だな。確かにあれは普段ならありえないことだな」

 

そう返すと障子と耳郎は自分の席に座り、他の面々と同じように観戦を始める。

だが、2人の顔色は一向に良くならない。むしろ、リング上で殴られてる嵐の姿を見て更に悔恨や悲痛に表情が歪んでいた。

 

それは2人が嵐の不調の原因を知っているからだ。

 

というのも、障子の言葉は半分が真実で半分が嘘だ。

二人が嵐と話せなかったのは事実。嘘なのは入れ違いになったというところ。

2人は嵐の様子が気になり、少ししたのちに彼を追いかけた。そして、控え室に着く前に彼に追いついたのだが、その時にちょうど彼の実父である疾風が彼に声をかけた瞬間だったのだ。

つまり、二人は聞いてしまっていたのだ。

疾風が嵐に声をかけた瞬間に遭遇してしまい、その唯ならぬ雰囲気に割り込もうにも割り込めなかった。

それから二人の重苦しい会話が始まり出るに出れなくなってしまった耳郎達は会話の全てを聞いてしまった。なまじ索敵系の個性を有し聴力が並より優れていたからこそ離れたところからでもはっきりと聞こえ、知ってしまったのだ。

 

———嵐の悲壮すぎる過去を。

 

(……あんな形で知りたくなかった)

(……ウチ、分かった気でいただけだったんだ)

 

ただ、力になりたかった。

彼が抱える苦しみを少しでも知って支えられればと思っていたが、姉の一件で知っていた気になっていただけだった。

 

自分達は何一つとして分かっていなかった。

 

まだクラスメイトになって一ヶ月程度の付き合いしかないといえばそれまでだ。だが、その一ヶ月が濃密だったからこそ、どんなに辛い過去でも友として受け止めることができると思っていた。

 

しかし、それはできなかった。

 

疾風の口から語られた残酷な真実は、それほどまでに衝撃的なものだったからだ。

 

彼の個性が自然災害の一つ『嵐』を操る『嵐龍』と呼ばれるものであるということ。

その個性の暴走によりあの史上最悪の大嵐『スサノオ』が生まれ、日本そのものが脅かされ大勢が死んでしまったこと。

その結果、家族から迫害され名を奪われて、実家を追放されてしまったことを。

 

そして、今もなお愛しているであろう家族に、ヒーローへの想いを否定され、己の存在すら拒絶され、最後には無慈悲に突き放されてしまったことを。

 

嵐が自分の個性をあまりよく思っていないことは分かっていた。姉紅葉との一件からも彼の過去が壮絶なものであることも、ある程度想像はついていた。

だが、そんなものは所詮想像でしかなくて、疾風や嵐自身の口から語られた彼の過去は自分達の想像もつかないほどに悲惨なものだった。

嵐がヒーローを目指す根幹は、償いや責任なんてものではなくて、ただ『家族に認めてもらいたかった』だけなのだろう。

体育祭で成長した姿を、個性を使いこなす姿を見せて少しでも認めて欲しかったのかもしれない。そうすれば自分のこれまでが無駄ではなかったと、努力した甲斐があったのだと思えたはずだから。

だが、そんな淡い希望は他ならぬ実の父親になって否定された。何をしても、彼らが嵐を危険な存在だと認識している事実は変わることはなく、そういうものだと決めつけてしまっていたのだ。

だから、彼の心には何も響かずに、ヒーローを目指す想いも、親に見てもらいたい子心も、償いをすると決めた覚悟すらも否定され淡々と『お前は死ぬべき存在だ』と残酷な言葉を突きつけられてしまった。

 

『本当に俺が死ねばよかったのに』

 

最後のあの一言が脳裏に何度も響き、彼の涙を流す姿が頭から離れない。

それが本心から望んでの言葉なのは、彼の口ぶりからも明白だ。彼は本気で自分が死ぬべきだと思っている。

そんなこと言わないでくれと叫びたかった。

でも、できなかった。

 

だって、想像してしまったから。

 

(………ウチなら、耐えられそうにない)

(……俺も、きっと命を絶っていたかもしれない)

 

自分の意思ではないとはいえ、慕っていた姉だけでなく無実の人々を大勢、自分の力で殺してしまったことを。

家族には愛されず、己の存在を否定され、貰った名前を奪われ死を望まれていることを。

他のクラスメイト達のように純粋に憧れからではなく、罪を償うためにその暗く辛い過去を背負って、今もなお葛藤し続けていることを。

果たして自分達が彼の立場になった時、葛藤と後悔を抱えながらでも入学した時の彼のようにヒーローを目指せるだろうか?

想像した結果『できる』なんて断言はできなくて、いっそのこと死ねば楽になれると思ってしまった。

だからこそあの時、彼の元に駆け寄って涙を拭うことができなかった。

あまりにも衝撃的な話だったからこそ安易な言葉をかけるのは逆効果だと考え、一度感情の整理をするべきだと考えてしまったから。

 

 

 

でも、それが、その結果が目の前の光景だとするならば———

 

 

 

あの時、友として駆け寄るべきだったと二人は後悔せずにはいられなかった。

 

 

 

そして、二人が後悔が滲む様子で見守る中、状況は一変する。

 

 

 

厄災が如き大竜巻が、突如天を衝いたのだ。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

『ラッシュラッシュラッシュゥゥゥゥっ‼︎‼︎拳藤の猛攻が止まらねぇ‼︎八雲防戦一方‼︎だが、八雲依然倒れず‼︎生々しいの何発も入っているのに倒れもしねぇ‼︎』

「くっ」

 

嵐を殴る手を緩めずに打撃を繰り返す拳藤は苦渋の表情を浮かべ歯噛みする。

 

(くそっ、八雲の体硬すぎるっ。こんなに殴っているのにほぼノーダメージなのかよっ⁉︎)

 

直接殴っているからこそ、ここまでやってもほぼ無傷なのだと言うことに気づいてしまう。

顔面、側頭部、首、肩、腕、胸部、鳩尾、腹部、脇腹、太腿、膝。柔い硬い問わず肉体のほぼ全ての部位に打撃を入れているはずなのに軽くよろめく程度で倒れもしないのだ。

拳から伝わる感触はどれもクリティカルヒットしているのに、すぐに巨木を殴りつけているような感覚に変わってしまっている。

彼の個性が並外れたものなのはわかっている。でも、それでも個性の格の違いを見せつけられているようで、拳藤の中ではまともに戦ってくれない怒りよりも、異常なまでの頑丈さに対する畏怖の方が優っていた。

 

拳藤はこの戦いを楽しみにしていた。

 

武術の力量、個性の強さなど戦闘の全てが遥か高みにいる彼と全力でぶつかれる機会などそうそうない。

放課後の訓練で何度も手合わせしているが、自分達はいつも彼に手加減されてしまっている。だからこそ、ただの訓練ではなくヒーローになるための重要な試合である今回ならば全力でぶつかってくれると期待していた。

でも、現実は違った。拳をぶつけることもできず一方的に殴るだけの展開になっている。

嵐に何かあったのはわかる。きっと彼にとって暗く辛いことが試合が始まるまでの間に起こったのは明白だ。

 

脳裏に彼の儚い笑顔が過ぎる。

 

あの時、拳藤は彼の笑顔の裏に壮絶な悲しみが隠されているのに気づいた。

だから、彼の過去が辛く苦しいものだと言うことは何となく予想がついていた。

ずっと辛い想いをしているんだと分かっている。ずっと何かに苦しんでいるのもわかる。

でも、今だけは、この瞬間だけはーーー

 

 

「私と戦ってくれよ‼︎八雲っ‼︎」

 

 

何もかも気にしないで、ただ自分の全力を正面から受け止めて欲しかった。

拳藤は一歩大きく踏み込んで、これまでで一番いい角度で彼の右頬に拳を叩き込む。

 

「ハアアァァァァァっっ‼︎‼︎‼︎」

「………っっ」

 

拳藤の拳は何の障害もなく嵐の右頬を捉えて、バキッと硬い音が響き嵐の体が横に数歩大きく蹌踉めいた。

今の衝撃で口の中を切ったのか口内にじんわりと鉄の味が滲む。

 

(………………血、口の中を切ったのか)

 

拳藤が嵐との試合を望む一方で、嵐は自分の有り様をどこか他人事のように感じていた。

正直なところ、拳藤の攻撃は全くダメージになっていない。

拳藤が弱いわけではない。遠距離での攻撃手段を持たず、手を巨大化させるシンプルな個性だが、彼女が嵐と同じように武道を得意としていることや、その細腕から想像できないほど腕力に恵まれていることから、こと肉弾戦になれば中々に侮れない。

一撃一撃が常人なら殴り飛ばされるほどの威力であり、当たりどころが悪ければ良くて脳震盪、悪くて立てなくなるほどの一撃ばかりだ。

だが、彼の肉体はオールマイト並の攻撃を耐え切る特別製だ。変身せずに人間形態のままであっても大したダメージはない。

だから側から見れば一方的なサンドバッグ状態になってもほぼ無傷なのだ。

 

『おい‼︎さっきから何やってるんだよ⁉︎』

『真面目にやらねぇなら、とっと棄権しろよ‼︎』

『やる気がねぇならそもそも上がってくんじゃねぇ‼︎』

 

嵐がぼんやりと自分の状態を把握する中、観客席から多数の野次が飛ぶ。

観客達は障害物競走、騎馬戦、一回戦で圧倒的な戦いを見せていた分、次の試合も彼の戦いに期待していたのだ。

それがこの様だ。期待していた分裏切られた怒りは大きく、観客達は衝動のままに彼を批判する。

それは爆豪の時よりも酷く、一部ではなく観客席殆どから批判の嵐だった。

 

『ぶ、ブーイングがすげぇ。ま、まぁ気持ちはわからんでもねぇけどよぉ』

 

プレゼントマイクもこの批判の嵐に何とも言えない様子になる。

嵐に何かあったのは何となくわかるが、確かにこの試合状況は実況泣かせだし、観客が怒りを抱くのも分かるため、嵐を擁護することは流石にできなかった。

相澤もこれには爆豪の時のように反論せずに、状況を静観する。

 

(…………何らかの要因で精神的不調に陥っている。あいつの個性の特性上、この後どう傾くか分からん。それならば、そろそろ試合そのものを終了させた方がいいか)

 

嵐の強靭な精神力があったからこそ、『嵐龍』の制御は順調で今の今まで大きな被害は出ていなかった。

だが、この後の展開次第では物間の時以上の事態になるかもしれない。そうして大嵐が出現して観客に被害が出れば雄英の信頼、ひいてはヒーロー全体への信頼にも関わってくる。

ならば、もうしばらく様子見をし戦闘継続の意志なしと見做して強制的に試合を終わらせる選択肢も取らざるを得ないだろう。

恨まれるかもしれないが、こればかりは仕方ない。

そうして外野がこの試合に対してそれぞれの思惑を抱く中、肝心の嵐の胸中には試合のことなんてかけらもなく、果てしない絶望と虚無だけだ。

 

(音が、遠い………頭が、痛い……)

 

周囲の声が遠い。耳鳴りが酷くプレゼントマイクの実況の声がほとんど聞こえないし、観客の声は全く聞こえない。

頭の中で鋭い痛みが断続的に響き、視界に幾度となく火花が散っている。

思考が定まらないし、動こうと思っても体が思うように動いてくれない。

 

不調の原因は言わずもがな父•疾風との会話だった。

 

あれが全ての元凶であり、嵐の調子を狂わせた。

彼は心のどこかで期待をしてしまっていたのだ。

これだけ頑張れば、自身の存在を拒絶した家族も

少しは認めてくれるのではないかと、どれだけ冷たくても、どれだけ遠くても、かつて切れてしまった家族との繋がりが少しは戻るのではないかと。

ずっと、期待していた。ずっと、願っていた。

それが、最悪の形で裏切られ、繋がりはもう2度と戻らないのだと思い知らされ、強靭に保ってこれたはずの精神の安定が崩れてしまったのだ。

嵐にとっての根幹が、ヒーローを目指すための原点が、一番見てもらいたかった人に否定されてしまい彼は歩む道を失ってしまった。

心の調子は瞬く間に崩れ、思考と行動が連動しなくなりまともに戦うことすらできなかった。

 

(………馬鹿だなぁ、俺は)

 

嵐はそんな己の無様を嘲笑う。

期待などしても無駄なんてわかり切っていたことだろうに、なんで淡い期待など抱いてしまったのだろうか。

叶わないとわかっていたはずだ。否定されるとわかっていたはずだ。

それなのにどうして少しは見直してくれると思っていた?

過去は消えない。犯した罪も同様だ。

特に命を奪った罪など償いようがなく、一生どころか死してもなお付きまとう呪いだ。そんな呪いを抱えるものが、家族から認められるはずなどあるわけがないのに。

そんな簡単なことにも気づかないなんて救いようのないほどに愚かで、どうしようもなく馬鹿馬鹿しい奴だ。

 

(…………これから、どうしたらいいんだろうか)

 

疾風との会話で自分のこれまでが無駄だったと理解させられた以上、もう分からなくなってしまった。

これから自分はどうするべきなのだろうか。

疾風の言葉に従い、雄英を退学して今度こそ表舞台に出ず静かに生きればいいのか。

そうすれば、疾風からの干渉もなくなり平穏の日々を過ごせるだろう。個性の制御も問題ない。かつてのように不意に日本に大嵐をもたらす心配もないはずだ。

個性の制御ができていれば普通の人間として生活できる。

夢に突き進む活力も未来への希望もない生活になるだろうが、普通の生活をしていればいずれ人並みの幸福を得られるかもしれない。

 

それとも、疾風の言葉に反抗し雄英に在籍し続け、疾風達出雲本家に抗うのか。

そうしたら、自分は再び家族からの拒絶の事実に向き合わないといけない。出雲本家とことを交えるとなれば、いずれは過去の大罪をクラスメイト達に知られることになるだろう。

果たしてそうなった時、クラスメイト達は自分をヒーローを共に目指す仲間だと認めてくれるだろうか。もしも彼らがかつての家族達のように、自分を厄災の怪物として見るようになったら自分はそれに耐えられるだろうか。

 

(………………もう何にも分からねぇ)

 

分からない。どちらが正しい選択で、どちらが間違っている選択なのか。

逃避か、抵抗か。その二つの選択の先の未来を想像してしまいどうしたらいいのか尚更分からなくなってしまった。

その混乱してしまった思考のせいか、さっきから耳鳴りが、頭痛がまったくおさまってくれない。

むしろ悪化してしまってすらいる。

 

 

その結果、嵐の思考は危険な方向に急激に傾く。

 

 

(………さっきから、ごちゃごちゃウルセェな)

 

 

周囲の雑音が、自身の肉体を打つ衝撃が、煩わしく感じ始める。

 

悪化する頭痛と耳鳴りに苛立ちが抑えきれなくなってくる。

 

群れなければ何もできない()()()()()の存在が目障りだ。

 

目の前で無意味な行動を繰り返す()()()()()が鬱陶しい。

 

なんでこの程度の存在が俺の邪魔をする?

どうして俺の安らぎを妨げようとしてくる?

不快だ。苛立ちが込み上げ続けて仕方がない。

 

吹けば消えるような雑魚共が、俺のーーー『龍』の前に立つな。

 

 

(あぁ……もぅ……)

 

 

腹の底から沸々と湧き上がる衝動が、瞬く間に嵐の理性を呑み込んでいき、やがてーーー

 

 

 

———ダ     マ      レ

 

 

 

何かが砕ける音と共に彼の視界は紅く染まった。

 

 

「ぐぁっ⁉︎」

 

 

突如、大気を唸らせながら白く渦巻く巨大竜巻が生じて、超至近距離にいた拳藤の体から血が噴き出し大きく吹き飛ばされる。

車に撥ねられたのかと思うぐらいの勢いで吹き飛んだ拳藤は、リングをゴロゴロと転がりリングの中心あたりでようやく止まった。だが———

 

「ぐぅっ、つぅっ」

 

拳藤はすぐに立ち上がることはできなかった。

なぜなら、彼女の両拳を始め全身に赤い線が、刃物にズタズタに切り裂かれたような切り刻まれたかのような裂傷が生じていたからだ。

全身に走る鋭い痛みに拳藤はゆっくり立ち上がりながらも苦悶に表情を歪めていた。

 

『拳藤急に血塗れになりやがった⁉︎何が起きたんだぁっ⁉︎』

『………鎌鼬か。無造作に展開した竜巻が鎌鼬を生み出し、超至近距離にいた拳藤がまともに喰らったようだな。だが、それよりも……これは少しまずいな』

 

相澤は件の竜巻を放った嵐へと視線を向ける。相澤の視線の先では未だ竜巻が存在しており、アリーナの高さすら優に超えるほど空高く伸びて激しく吹き荒れていた。

轟の最大氷結よりも大きく、爆豪の最大爆破よりも強力な大竜巻は、全長300mを超えるほどに巨大化し周囲の大気を取り込みながら激しく渦を巻く。足元のコンクリ製のリングなど容易く削られており、砕けた破片が巻き上げられていた。

その大竜巻は瞬間的なものではなく、まさに自然界に存在する竜巻と同じように周囲を飲み込みながら、その場にあり続けていたのだ。

その災害が如き威容に殆どの者達が動揺と畏怖を心胆に刻まれ、声を出せずにいる。

プレゼントマイクすらもあまりの強大さに口を開けて絶句する中、拳藤は冷や汗を流した。

 

(やばいっ、あんな竜巻まともに食らったらやられるっ)

 

轟や爆豪ならばあの大竜巻が相手であっても自身の個性の最大火力でやりようはあるかもしれない。

しかし、自分の個性では太刀打ちできない。あの大竜巻で何をするかは分からずとも、何をしてきても蹂躙される道しか残されていない。

拳藤が次の攻撃を警戒し身構える中、大竜巻を纏う嵐に変化が生じる。

体操服を内側から突き破りながら肉体を変形させて龍人に転じる嵐。皮膚は鱗に、背中や四肢からは飛膜が、額からは黄金の大角が伸びる。それだけならばまだいい。

問題なのは風に髪が巻き上げられ顕になった双眸が確かに血の如き真紅に輝いていて、黄金に輝く黒鱗の胸部には紫電の迸りが混ざり、白から黒に変色した飛膜に浮かぶ模様は真紅に染まっていた。

それは先ほどの物間を蹂躙した時に見せた激怒の証。

 

「——————」

「———つっ⁉︎」

 

殺意を宿す双眸が初めて拳藤に向けられた瞬間、彼女は魂を掴まれたような悪寒を感じた。

 

(なに、この……感じ……)

 

身体が小刻みに震える。膝が笑って無意識に数歩後ずさる。

彼女が感じたのは殺気だ。まるで途方もないほどに強大な怪物に睨まれているかのような、そんな恐怖を感じていた。

その恐怖は正しく、八雲嵐がーーー否、『嵐龍』の本能が自らを攻撃してくる羽虫を煩わしく感じ、それを排除すべく拳藤に殺気を向けていたのだ。

正真正銘の怪物の殺気に当てられ、後ずさることしかできなくなった中、変身を遂げた嵐はゆっくりとを右腕を掲げる。そうすれば、大竜巻にも変化が生じる。

 

『お、おい、あれって……』

『竜巻が、小さく…?』

『ち、違う、あれは……集束してるっ‼︎』

『あれほどの大竜巻を、制御できるのかっ⁉︎』

 

嵐が纏っていた大竜巻が瞬く間にその大きさを縮小させていったのだ。一瞬、消えるのではと思ったが、それはすぐに違うと気づく。

なぜなら、大竜巻は右腕に集束されており、両腕が見えなくなるほどに密度を増した暴風が次の瞬間には拳藤の大拳にも劣らないサイズの風拳へと変化したのだから。

あれほどの巨大竜巻を余すことなく右腕に集束して見せた高い制御技術に観客席のプロヒーロー達が絶句した。

 

「〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ‼︎‼︎」

 

掲げた右拳に巨大な風拳を纏わせた嵐に拳藤は恐怖に震えながらも、すかさず拳を最大化させて防御の構えを取る。

今の嵐の様子からして次の攻撃手段は風拳での一撃のはず。

恐らく、いや確実に自分では避けられない。必ず喰らう。それならば、せめてダメージを軽減させようと自身を覆えるほどの大拳を二枚重ね耐える姿勢を見せる。

別にそんなことしなくても、棄権するかリング外に出ればいい話だ。だが、なんとなくそれはしたくなかった。

確かに今の嵐は別人のようで怖い。でも、怖いからと言って逃げてしまったら、決定的な何かが切れると本能的に思った。

まださっきまでの異変の理由も聞いてないし、大事な友達だと思っているからこそ、彼が抱える闇を受け止めたい。

 

(もう私の負けは確定してる。だけど、最後にお前の一撃を受け止めてやるっ‼︎‼︎)

 

だから逃げない。さぁ、かかって来い。

その闘志を恐怖に震えながらも示し、嵐の攻撃を正面から受け止める姿勢を見せる。

その様子に嵐は特に何か反応を見せることなく動く。

しかし、それは拳藤の予想とは外れていてーーー

 

(っ、違うっ、まさかっ⁉︎)

 

拳藤が気づいた時には、その暴風の崩拳は足元のリングに振り下ろされていた。

瞬間、アリーナに激震が走る。アリーナ自体がドンと地震が如く揺れて、リングに無数の亀裂が入り轟音を立てて崩壊した。

 

「———ッッ⁉︎」

『きゃあああああっ‼︎』

『冗談だろっ⁉︎』

『う、嘘だろぉっ⁉︎またリングをぶっ壊しやがったぁっ⁉︎しかも、騎馬戦の時の比じゃねぇっ‼︎』

 

悲鳴があちこちであがる。

300m超えの大竜巻を圧縮した風拳はその内包されたエネルギーを余すことなく大地にぶつけられ、その衝撃でリングが大崩壊したのだ。

しかも、その破壊規模は先の騎馬戦の比じゃなく、強すぎる衝撃にコンクリ製のリングが捲れ上がるほどだった。

 

「っ、やばっ」

『拳藤、崩壊に巻き込まれて空中に打ち上げられたぁっ‼︎‼︎って、おいおいおいっこいつはヤベェぞ‼︎‼︎』

 

拳藤の足元も捲れ上がり、正面からの攻撃に備えていた彼女は足元からの奇襲に反応できず捲れ上がった勢いで空へと打ち上げられてしまう。

そうすれば、飛行手段も遠距離攻撃も持たない拳藤は無防備になり、ここに来てようやく全員が嵐がやろうとしていたことを理解する。

 

「——————」

 

拳藤の眼前にはすでに嵐がいて暴風渦巻く魔拳を引き絞っていた。

そう、嵐の狙いは正面からの打撃ではなく、その前にリングを崩壊させて拳藤の手段を全て潰した上での一撃を与えることだった。

しかも、暴風は依然存在している。それはつまり、あの破壊力が一撃限りではなく、次もあると言うこと。

 

『八雲君っ、止まりっー』

 

間違いなく大ダメージは避けられない。これ以上は拳藤の身が危ないと判断したミッドナイトが叫び、セメントスが動くものの、それはあまりに遅すぎて刹那の間に嵐の拳が拳藤に突き刺さっていた。

 

「がっ…ふっ…⁉︎」

「……………」

 

間一髪間に合った両拳のガードは防御の意味を成さず、容易く砕かれ彼女の肉体に衝撃が余すことなく響き渡る。

骨が砕ける音が何度も響き、拳藤の口からは大量の血が吐き出される。それを正面から浴びながらも、嵐は止まることなく、躊躇なく拳を振り抜いた。

拳藤の身体が弾丸の如き速度でリングの壁面に突き刺さり、砂埃が巻き上がった。

 

『け、拳藤壁に叩きつけられたぞっ‼︎おい、ミッドナイト、拳藤は無事かっ⁉︎今の威力はヤベェだろっ‼︎‼︎』

『ギリギリでセメントスが壁を操作して拳藤を受け止めたみたいだが、あれはまずいな。状態確認を急げ』

 

明らかにまずい威力にプレゼントマイクがミッドナイトに確認を急がせ、相澤が冷静さの中に確かに焦りを見せながら同様に確認を急がせる。

セメントスがコンクリを操作して土煙を素早く払い、土煙の中から拳藤の姿を表す。顕になった拳藤の姿は酷くて、両手の五指の殆どがあらぬ方向に折れ曲がり、口からは大量の吐血、頭からも出血していた。

ぴくりとも動かないほどに重傷だがリカバリーガールがいれば治癒可能だ。だが、頭部からの出血もあり早く彼女の元に運ばないとまずいと判断したミッドナイトは声を張り上げる。

 

「セメントス、急いでリカバリーガールの元に運んで‼︎‼︎早くっ‼︎‼︎」

「うん、分かってるよ」

 

ロボットでは遅いと判断し、コンクリを操作できるセメントスに頼みセメントスが拳藤の下のコンクリを担架の形状に変形させる。そして、自身も同伴しつつコンクリをスライドして拳藤をリカバリーガールの下へと素早く運んでいった。

彼女とセメントスを見送ったミッドナイトはひとまず試合の結果を告げる。

 

「拳藤さんが戦闘不能のため、八雲君三回戦進出とします‼︎‼︎」

「「「「「……………………」」」」」

 

ミッドナイトの勝利宣言に観客席から歓声は起こらなかった。

大竜巻の発生から始まり、リングの大崩壊、拳藤を重傷に追い込んだ一撃。観客達から見ればやり過ぎと言う他なかった。

 

『や、八雲、圧倒的実力で三回戦進出っ‼︎つっても、リング大崩壊しちまったから、また修繕のために小休止挟むぞぉ‼︎次戦う奴はしっかり準備しとけヨォ‼︎‼︎』

『………あれだけの竜巻ならそのまま場外に押し出すこともできたろうに』

『ええ、明らかにやりすぎよ。あそこまでやる必要なかったわ』

『あそこまで躊躇がないとはな。個性の強さが並外れてる分、恐ろしいな』

「八雲君……」

 

観客席からはそんな会話が聞こえてくる。

誰もが今の試合の嵐の戦い方を批判したものだった。その批判の声を聞きながら、ミッドナイトは心配そうな面持ちで嵐へと視線を向ける。

対する嵐はいつのまにか龍人化を解いているが、その場に立ち尽くしていた。顔や髪が拳藤が吐き出した血に濡れていたから表情は見えにくかったが、近くで見れば動揺しているように見える。

拳藤が去った入場口に視線が釘付けになっていて、黄金色に戻った瞳は揺れていた。顔色は明らかに悪くて、先程の異変と相まって只事じゃないのは明らかだった。

 

「八雲君あなた、どうし……」

「………っ」

 

嵐の様子に違和感を感じたミッドナイトが何かを聞こうとした瞬間、嵐は背を向け足早に去ってしまった。

 

 

 

立ち去る際に見えた彼の横顔は恐怖に満ちていた。

 

 

 

▼△▼△▼△

 

 

—————————ッッ‼︎‼︎

 

 

入場口から離れた人気のない場所で壁を殴る音が響く。

その音の主は嵐だ。嵐は恐怖を浮かべていた表情から一転して、憤怒に満ちた表情を浮かべながら壁に己の拳を叩きつけていた。

 

「ッッツツ‼︎‼︎」

 

唇を強く噛みすぎたからか牙に容易く切られて血が溢れる。胸にも鉤爪が掻きむしるように鉤爪が突き立てられ、血が滲んでいる。

唇と胸から鋭い痛みが伝わるが、嵐はそんなものを意に介さない。

 

「なに、やってんだよっ。俺はァッ‼︎‼︎」

 

己自身への怒号が響く。

先程の試合、あそこまでやる必要はなかった。暴風を展開した時点でそのサイズを広げれば拳藤を場外に押し出せたはずだ。それなのに、自分はリングを破壊しその上で彼女を殴り飛ばした。

 

あの瞬間、嵐の思考から試合の勝利は完全に消えていた。

残っていたのは純粋なる敵意。煩わしい羽虫を排除しようという殺意のみだった。

彼女は大切な友人のはずだ。入試の時に背中を預けて共に戦った仲だ。

そのはずだったのに———

 

 

(俺は……拳藤を、殺そうとしていたっ)

 

 

疾風との会話で精神が不安定になっていたからなんだ。

セメントスのおかげで重傷に留められたからなんだ。

そんなこと関係ない。友人に殺意を抱き、躊躇なく殺そうとしたことこそが問題であり、唾棄すべきことなのだ。

『嵐龍』の本能に呑まれ、友すらも手にかけようとした。

相澤が纏っていた暴風を『抹消』で消してくれなかったら間違いなく、拳藤の両腕は消し飛び瀕死の重傷になるのは間違いなかっただろう。

その最悪の事実が嵐の心に重くのしかかり、嫌悪と絶望が際限なく込み上げてくる。

悍ましい。吐き気がする。

 

「…………言われたそばからこれかよっ」

 

失望に満ちた言葉が溢れた。

向ける先は当然自分自身だ。他の生徒達はみんな全力で、必死で、夢を叶える為に努力している。

それに比べて、自分は全力を出してもいなければ、必死に試合に臨んでもいない。

大量殺人の大罪から目を逸らし、自らが殺めた大事な人の夢を受け継いだなどとほざく始末。

それどころか、個性に呑まれ衝動のままに友を攻撃してしまった。

ああ本当に自分はどうしようもなく救いようのないやつだと忌々しく思ってしまう。

 

「………ぅっ」

 

嵐は俯かせていた顔をあげると、込み上げた吐き気を口を抑え堪えながら歩き出す。

黄金色の瞳は鉛のように輝きが無く虚ろであり、表情は感情が抜け落ちたかのように虚無だった。

その足取りはひどく重く、ふらふらとした足取りでまっすぐ歩けておらず、そのまま通路の闇に消えていった。

 

 

 

 

それから次の出番になるまで嵐がA組の観客席に戻ることはなかった。

 

 

嵐のイメージCV誰がいいと思いますか?

  • 小野大輔
  • 諏訪部順一
  • 細谷佳正
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