小さな、名もない村で起こった惨劇。
大自然の脅威を前に、村人は生き延びようと必死にあがく。
人を喰らう怪物は、荒れ狂う一夜の吹雪のようだった。

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紅羆

 凍えるような朝のことだ。

 

 村の若衆が叩き起こされたのは、東の空が白み始めたころだった。

 

 空気は肌を刺すように冷たく、水たまりには氷が張っている。降り続ける綿雪は、泥濘となるまで混ぜ返された地面をすっかりと覆い尽くしていた。

 

 耳の感覚がなくなる冷気の中、皆は口々に不平をもらす。寒いだの、こんな朝からだの、ざわめきはいつまでたっても収まりをみせることはない。

 

 それもそのはず。この村はいまだ、開墾開拓の只中にあった。ほったて小屋に等しい家々はきびしい寒さを防ぐに心許なく、つもりつもった不満が顔を出すにはちょうどいい機会なのだ。

 

 だが、村の中央に若衆が集まると、空気が一変した。

 

 広場に立つ村長の顔は、死人のように白い。ただごとではないと、子供でも察せるほどに。

 

 二十から三十あまりの男たちが、全部でたったの十六人。人手の少なさには、いっそ開墾中の山村らしさがある。

 

「ひとしにが、でた」

 

 震える声で、村長がぽつりともらす。かすれてしまった声を聞き取れず、若衆の何人かが聞き返した。

 

「なんだって?」

 

「ひとしに、人しにだ、人が、死んだ!」

 

 叫ぶように変わっていく村長の声に、どよめきが広がり空気が張り詰める。若衆が口を閉ざすまで待たず、村長は頭髪の薄くなった頭を抱え込んでうなだれた。

 

「いったい、誰が」

 

「知らん、わからん。あの、なんとかって、よそもんでねえかと思う」

 

「調査がどうたらって、あの、あいつらかい。わからんって、オサ、なんでまた」

 

「わからんもんは、わからん。あんな、もう、ひとかもだ、わしには、わからんかった」

 

 うめくような村長のつぶやきは、もはや言葉にならない。気味の悪い様相に、若衆は互いに顔を見合わせる。

 

 山のどこかから、があがあと鳥の声が流れて来る。早朝の暗さもあって、村人たちにはそれが、いやに不吉なものに聞こえていた。

 

 

 

 吹き抜けていく寒風が、若衆の背筋をぞくぞくと粟立たせる。

 

 いや。悪寒は、山に漂う空気のせいだ。

 

 村の裏手にたたずむ山々は、この地の開墾が始まって以来、人々を拒むようにきびしくあり続けた。肉食獣や飛竜はもとより、猛烈な寒さと硬い土壌が人の手を阻んでいるのだ。

 

 山はいつだって、人間が乗り越えなければならない障壁であり続けた。だからこそ、国からの調査隊が送り込まれたのだ。

 

「なんとかってやつらは、まだ先なのかね」

 

「だで、もう少し奥に、焚き火してたはずだよ」

 

「こっちだ、道ができてる」

 

 男たちの声は、山の奥に吸い込まれるように消えていく。耳を澄まさなくとも、きんと耳鳴りがするほどに山は沈黙を保っていた。

 

 多くの生命が、深い眠りにつく季節。雪の山は、もとより静かなものではあった。

 

 だが、これは違う。周囲を包む静寂には、禍々しいものがある。若衆の誰もが、恐怖と寒さに歯をかみ鳴らした。

 

 雪中の行軍は、辛い。

 

 膝ほどもある雪を踏みつけて、前へ、前へ。足を上げるたびに雪の塊がまとわりついて、体が重たくなっていく。

 

「汗が出てきた、凍えっちまうよ」

 

 誰かがぼやき、何人かがうなずく。

 

 ひたいに浮かぶ汗は冷気ですぐに氷になって、ぱりぱりと落ちていく。鼻息の湿気でひげが凍りつき、つららをこしらえるものもいた。

 

 ふと、先頭を歩いていた男たちが鼻を鳴らす。

 

 冷たい雪と氷の匂いに、異臭が混じり始めたのだ。

 

「におうぞ、臭え」

 

「獣かね」

 

「わからん」

 

 中央の数名がぼそぼそと話していると、先頭からひいと情けない声が上がった。

 

「なんじゃ、こりゃ」

 

 年長の男は、踏み出しながら無意識につぶやいていた。

 

 漂っているのは、猛烈な獣臭と、糞便のにおい。薙ぎ倒された調査隊のものらしい天幕は、太い支柱が無惨にも半ばからへし折られている。

 

 焚き火や食器の残骸は、もう半ばほどまで雪に埋もれている。生活の痕跡はかろうじて見出せたものの、肝心の死体は見つからなかった。

 

 否。

 

「手か、ありゃあ」

 

「こっちにゃ、足だ」

 

 人間だったものの部品だけが、打ち捨てられて凍りつく最中であった。

 

「なんじゃ、こりゃあ。こんなん、なんじゃ、誰がこんな」

 

「ギアノスか?」

 

「あれに、このぶっとい柱なんか折れんじゃろ」

 

「じゃあ、なんが」

 

「おうい、こっちじゃあ!」

 

 誰かの叫び声に、若衆はぞろぞろとその場を離れていく。不気味な惨劇の痕跡から、逃げ出したがるかのように。

 

 感じるのは、土と糞便の混ぜ返された汚臭ばかり。

 

 手を振る男の足元には、土饅頭があった。雪やら土をこね回したそこに、人の頭が生えている。頭上にそびえる大木のせいで、いっそう暗く感じられた。

 

 絶叫しているように開かれた口からは、赤黒い舌がだらりと飛び出している。見開いたままで固まってしまった目から、埋められた頭に生命が宿っていないことが嫌でも理解できた。

 

 男たちは遠巻きに土饅頭の頭をながめ、誰であったかを思い出そうと努めたが、恐怖にゆがんだ表情からは元の人相がまるで想像できなかった。それほどまでに、あまりに異常な死に様であった。

 

「こりゃあ、なん、おい」

 

「待てふれんな、いかん、ふれんでねえ」

 

 年少の男が土饅頭に近づくのを、年配の二人が制する。声をひそめて周囲を見回しながら、誰かがつぶやいた。

 

「ベニの食い残しじゃ、ふれんでねえ。飯にふれると、ベニは怒るんだ」

 

「ベニって、なんじゃ」

 

「頭のあけえあの熊じゃ、あの、アオアシラ」

 

「見たことねえぞ、そんなもん。だいたい、こんな山に来るもんか」

 

「おるんじゃ、それよか逃げるぞ。いかん、ベニはいかん」

 

 年長者たちの慌てように、若い男たちはなにごとかとざわめき始める。やめろ静まれとなだめる声が、必死さを増していく。

 

「おい、こっちにもある、糞までたれてやがる」

 

「なんもふれんな、逃げっぞ!」

 

 年長者の号令に、若衆がきびすを返した。自分たちが踏み固めた雪道を辿って、村への帰路を目指す。

 

 背後から、得体の知れないなにかが忍び寄っているのではないか。年若い男たちは、寒さではなく不吉な妄想による恐怖から体を小刻みにふるわせていた。

 

 隙間風の吹き込む炭焼き小屋でさえ、今では安住の地に感じられる。薄暗い山中から、一刻も早く村へ戻りたい。次第に早まっていく足取りが、その思いを表している。

 

 不意に悲鳴が上がったのは、誰かが駆け出したその時であった。

 

 

 

 男たちはそれを、音と知覚できなかった。

 

 突如として鼓膜に猛烈な痛みが走り、木々が揺れたようにさえ思った。得体の知れない恐怖に身がすくんだものの、なにが起こったのかを誰ひとり理解できなかった。

 

 雪山の木立から現れた巨大な影が、吼えた。ただのそれだけで、村の若衆は聴覚を奪われて前後不覚に陥ったのだ。

 

 最初に駆け出したのは、若衆でも一番年下の男だった。あまりの轟音に聴覚が麻痺してしまった、自分の悲鳴さえ聞こえない無音の世界で、彼は必死に駆けた。

 

 結果として、恐怖に駆られた数人が彼の背中を追って雪道を走り始めた。自分たちに呼びかける年長者の声も聞こえぬままに。

 

「やめろ走るな、走るんじゃねえ!」

 

 忠告は、若者たちには届かない。叫んでいた男は、地面の揺れに足を取られて冷たい雪の上へと倒れ込んだ。

 

 叫び逃げる若者を、影が追う。

 

 赤い舌を突き出しながら、血走った眼で獲物を見据えて。紅色の体毛に覆われた、見上げるほどの巨体。赤く染まった腕殻は、数多の返り血で汚れているかの様相であった。

 

「ベニじゃあ、ベニが出た!」

 

「おうい止まれ、止まるんじゃあ!」

 

「助けてくれ、うしろにおる、助けてくれぇ!」

 

 もとより恐慌状態にあった若衆の統率は、怪物の登場で完全に崩壊していた。

 

 追われていた男がぐんとつんのめり、ひっくり返る。悲鳴は上がらず、ただ、骨の砕ける不気味な音が一度だけ響いた。

 

 しとめた獲物に顔を寄せると、生臭い唾液を垂らしながら怪物がぐばりと大口を開く。どれだけの人間を食い荒らしたのか、乱杭歯の根本には、黒い髪の毛がごっそりと絡みついていた。

 

 うなり声と、咀嚼音。鉈のような大爪に撫ぜられた時点で、男はすでに絶命している。いっそ苦痛もなく死ねたことは、幸福であったのかもしれない。

 

 食事にありつき、怪物の暴走はひと時の停滞をみせた。骨を噛み砕く音を背に、年配の男たちも、そろりそろりと息を殺しながら雪道を歩み始める。

 

 ひとりの犠牲で、十五人は生き延びた。今は、それだけが事実だ。

 

 仲間を殺された怒りなど、圧倒的な力の前には沸き上がりもしない。どうしようもないものがこの世には存在するのだとまざまざと見せつけられ、誰の歩みも鉛のように重たい。

 

 いまだ背後に立ち込めている獣臭に怯えながら、村の若衆はほうほうの体で山から逃げ出していった。

 

 

 

 小さな集落が村と呼べる規模になってから、まだ二年ほど。

 

 硬い凍土を掘り返し、野菜を育てる畑に作り替える。やぶを拓いた道を通り、山の大木を切り倒しては材木へ作り替える。きびしい寒気をしのぎながら、炭を焼き、木の実や山菜を集め、重労働の合間に子を産み育て、少しずつ土地に根を下ろす。

 

 人間たちのたゆまぬ努力が、小さな芽を出すか否か。こたびの一件は、そうした矢先の惨事であった。

 

 ひっそりと建ち並ぶ家屋は雨風を防ぐだけの冷たい土壁ばかりで、伐採した大木が木張りの壁になる日を待ち侘びる村人は数知れない。山から帰らなかった男もまた、そのひとりであった。

 

 逃げ帰った若衆は村の広場に集まり、焚き火を囲んでぼそぼそと話し込んでいた。年長者はことのあらましを家族へと伝えるため、食い殺された男の家へと向かったばかりだ。

 

「ベニってのは、なんぞ、あんな、ばけもんか」

 

「見たとおりじゃ、あれは、本当におるだなんて。オサかて、お父から聞いたってえくらいだそうだ」

 

 問いかけに答えた男は、まだ震える指先でたばこの先端に火を灯す。村の特産品として売り出している品物だったが、咎めるものはいなかった。

 

「オサのお父ってえと、あのベニ、何年生きとるんじゃ」

 

「わからん、なんもわからん」

 

「ひとを食うんか、ありゃ」

 

「それも見たじゃろ、スケサもあんな、かわいそうに」

 

 紫煙を吐き出しながら、男は犠牲になった若者の名を口にする。山での光景を思い出しては、誰もが身を震わせた。

 

 青熊獣は、怒らせなければ温厚で臆病ないきものだ。村人たちもそう認識していたし、なにより、寒さのきびしいこの地に住み着くはずもない。

 

「ばけもんだ、ありゃあ」

 

 誰かのつぶやきに、誰もが胸中で同意する。

 

 正常ないきものとは異なる、なにか。

 

 爆竹を投げつけて追い払えるような、いつも通りの青熊獣とは別のものだった。

 

「あいつ、あけえ頭してたな、だからベニか」

 

「あけえし、でけえ。アオアシラだって食っちまいそうだったぞ、あの口はよ」

 

「なあ、ベニのやつはよう、ここまで来るかな」

 

「やめろやおめえ、おっかねえこと言うなや」

 

 悲痛なほどの叫び声が、風に運ばれて来る。我が子を食われた母親の、嘆き悲しむ怨嗟の声だ。

 

 話し込んでいた誰もが口をつぐみ、たばこの火を足元の泥雪で揉みつぶす。重たい空気に耐えきれず、家に戻るものもいた。

 

「味を覚えたらよ、やっぱり来るでねえかな」

 

「火ぃ焚いて追い払うしかねえ、不寝の番だ」

 

「あんなもんが来たって、追い払えっかよ」

 

「知らんが、なんもかんもおれに聞くな」

 

 どこからか流れて来るのは、があがあとやかましい鳴き声。まるで村の行く末を暗示するような、ひどく気味の悪い声だった。

 

 

 

 夜が来た。

 

 頭上には、雲の切れ間にぼんやりとした月が浮かんでいる。星のきらめきは望めず、明かりのない山道は底の見えない闇に覆われていた。

 

 篝火を焚き、夜闇の侵入を拒む。生き長らえるために培った人類の知恵が、小さな山あいの村を赤々と照らしていた。

 

 篝火として燃えているのは本来であれば木材に加工するための樹木だったが、異を唱えるものはいない。解体したての薪は煙を出して、見張り番の男たちの目をじくじくと苛んだ。

 

 村の南北に築かれた火災用の見張り櫓が、不寝の番を勤める若衆の詰め所である。

 

 四十を過ぎた男たちも若衆に加わり、三十人を超える大人数で、村人たちは代わる代わる怪物の動向を見張っていた。

 

「ハンターはよう、ベニをやれるかね」

 

 櫓のひとつで、暗い山を眺めていた男が鼻をすすりながらつぶやく。寒さと煙の痛みで、男たちの目は赤く腫れ、目脂や鼻水が止まらなかった。

 

「やってくれねえと、みんな殺されっちまう」

 

 がちがちと歯を鳴らすのは、寒さか、恐怖か。もうひとりは答えたきり、闇の向こうに充血した目をじっと向けている。

 

 ハンターズ・ギルドに、討伐依頼を出す。

 

 村長を含め、村人の決定は早かった。村の人間では太刀打ちなどできない、ならば、対抗できる人間に頼むほかにない。

 

 村で一番の健脚を持つ男が、街へと向かったのは昼前のことだ。日が暮れてなお、彼が帰る気配はない。

 

 街への道のりを考えれば、当然ではあった。

 

 一時間やそこらで往復できるような距離ではない。依頼を受けてくれるハンターが見つかるかどうかも考えれば、何日も待たされることになるかもしれない。

 

 先行きは、不安だ。

 

 恐ろしい怪物が、目の前の山で徘徊している。だというのに、助けがいつになるのかはわからない。

 

 重たいものが背中にかぶさっているようで、男は胃の辺りが締めつけられる痛みに顔をしかめた。だからこそ、見落としたのだ。

 

 ぎゃあと叫ぶ声は、下の方から。櫓から身を乗り出すと、松明の炎が揺れている。村の誰かが、松明を振り回しているのが見えた。

 

 そして、揺れる松明の、先に。

 

 けたたましい音を立てて、火事を知らせる半鐘が鳴り響く。我に返った男が視線をやると、見張りの片割れが必死の形相で鐘を打ち続けていた。

 

「ベニじゃ、ベニじゃあ!」

 

 櫓の見張り台から、酒焼けした声が火急を知らせる。心臓がばくばくと脈動する中で、男はもう一度、闇の向こうに目を凝らした。

 

「逃げえ、早く、逃げえ!」

 

「いかん、逃げんな、逃げると追うぞ!」

 

 村人の怒号をよそに、怪物が立ち上がる。臭いを確かめるように鼻を鳴らす姿には、人や炎への恐れなど微塵も感じられなかった。

 

 見上げるほどの巨躯を仰ぎながら、相対した若衆は腰が抜けたようにへたり込んだ。松明の炎が、にぶい音とともに闇に塗りつぶされる。痛い痛いと叫ぶ泣き声も、すぐに聞こえなくなった。

 

 乾いた枝を折るような音が人の骨を砕く音だと理解した時には、見張りの男は腰が抜けてしまっていた。歯の根が合わず、がちがちと音を立てる。

 

 頬に痛みが走ったのは、その時だ。

 

「腑抜けるな、起きい! おめえも食われっちまうぞ! 食われるのはいやじゃろ、大声ば出せえ!」

 

 胸ぐらをつかまれ、鼻先で怒鳴られる。そのおかげで、狭まっていた視界が開けた。顔につばを浴びながら、遠くに漂っていた意識が体に入り直す心地であった。

 

「お、おう、おう! いやじゃ、食われるのはいやじゃあ!」

 

 涙が勝手にあふれて、頬を伝う。死にたくないと叫びながら、男は半鐘を打ち鳴らす。

 

「ベニじゃあ、ベニが出たぞお!」

 

 櫓の下では、赤頭を持ち上げて怪物が大口を開けている。奥歯に挟まった肉を噛みつぶすように、何度も咀嚼を繰り返して。

 

 南の方で、赤い松明が揺れている。仲間が来てくれたのだと知って、男の胸にほんのわずかな安堵が生まれた。

 

「ベニめ、ちくしょう、食らえや!」

 

 威勢のいい声は、大酒飲みのマツサブロウだ。力任せに油を詰めた壺を投げつけると、側の二人が松明を突き出す。体表に流れた油に着火して、怪物の巨躯を赤い炎が飲み込んだ。

 

「油を投げろお! ベニのやろうを、焼き殺せえ!」

 

 先陣を切ったマツサブロウの声に応えて、若衆が油壺を手に取り駆ける。

 

 怨嗟の声を上げながら、罵声と怒号を浴びせながら、燃える怪物に油壺を投げつけていく。

 

 村の入口は、赤々と燃え盛る炎に照らされて、まるで真昼のようだった。

 

 

 

 依頼を請け負った若い狩人が姿を見せたのは、息を切らせたシオカゼが街に駆け込んでから二夜が明けた朝方のことであった。

 

 整っているが特徴のない顔立ちをした、長身の男だ。口数も少なく、愛想もない。義侠心の持ち主には、見えなかった。

 

 勝手な話ではあるが、英雄めいた人間を想像していたシオカゼは、狩人の容貌にどこか肩透かしを食ったような気分でいた。気落ちする感情を押し殺して、受付嬢とやらの解説に聞き入る。

 

 ギルドがどうだの契約金がどうだの、難しい話をされてもあまりよくわからない。ただ、村で用意した金額が少ないということは、話の流れで把握できた。

 

 シオカゼが狩人を盗み見ても、読み取れるなにかはない。狩人はただ淡々とした声で、掲示された報酬で構わないとだけを受付嬢に伝えていた。

 

 シオカゼに役割があったのは、そこまでだ。以降は、荷車に狩猟用具を積み込む狩人のうしろ姿を見ているしかなかった。

 

 あせる気持ちは、消えない。

 

 村は今も、怪物の脅威に晒されている。できることなら、一刻も早く討伐してほしい。その一方で、あまり強く言うこともはばかられた。

 

 狩人の方が口を開いたのは、待ち侘びたシオカゼが一服しようかとたばこを取り出した時だった。

 

「そんなにかい」

 

「なにが」

 

「ベニってやつさ、怖いのかい」

 

 シオカゼは、どう応えたものかと考えあぐねて言葉に詰まる。恐ろしいなどという言葉でおさまるのか、わからなかった。

 

 荷車に乗り込み、狩人はシオカゼを呼ぶ。質問の答えを聞こうとしない狩人に、シオカゼは思い切って口を開いた。

 

「おっかねえって言ったら、やめちまうか」

 

 はっと、狩人はシオカゼの問いを鼻で笑う。

 

「まさか」

 

 あざけるような、冷たい声。態度は悪いが、いっそ、強さや自信の裏返しと考えれば信頼感にもつながるのが不思議だ。

 

 荷物の隙間に身をすべり込ませながら、シオカゼは朝方の山で見た怪物の姿を思い出して身震いをした。

 

 まぶたの裏によみがえるのは、人の生命が、あっけなく奪われる瞬間。あまりに容易く絶命させた怪物の腕が、目の前の狩人も仲間と同様に殺してしまうのではないか。

 

 不安は、消えない。

 

「おめえさんが強いのは、わかるっけどよ。あんなばけもん、どうこうできるとも思えねえ。そんぐれえ、ベニのやつはおっかねえよ」

 

 そうかいと、狩人は短く返すだけだ。

 

 あとはそれきりの、無言。シオカゼが次の言葉を探しているうちに、毛だるまのような草食獣が荷車を引いて歩き出した。

 

 

 

 時刻は、昼を大きく過ぎたころ。山々の向こうに、ゆっくりと日が沈もうとしていた。

 

 村の入口にたどり着くなり、シオカゼは地べたに力なくへたり込んだ。

 

 崩された火の見櫓の残骸に、焼け焦げた材木。倒された篝火はとうに燃え尽きて、無数の足跡だけが残されていた。

 

 足元の泥濘が含んでいる水分は、雪解けのものか、それ以外なのか、今となっては判別ができない。

 

 狩人は荷台から飛び降りて、痕跡を探るように身をかがめてつぶやいた。黒い瞳はじっくりと、地面や壁面に残る破壊のあとを追いかけていく。

 

「来たのか」

 

「ベニが、ベニか、なあ、みんなは、なあ」

 

 うわ言のように問いかけるシオカゼを、狩人は見下ろす。思案しているのか、なにも考えていないのか、よくわからない無表情で。

 

「食い止めようとした、火を使ったのかな」

 

 村をよく知るシオカゼには、転がっている薪が炭化した腕に見える。薪か腕かを確かめる術は、ない。

 

 油壺を投げつけた際の、割れた陶器の破片があちこちに散乱していた。周囲には、折れた松明や手製の木槍らしきもの。赤黒い獣毛も、ちらほらと見つけられる。

 

「向こうは、家かい」

 

 狩人の問いに、シオカゼは何度かうなずいて言葉なく返答をする。惨劇の痕跡を前にしても動じない狩人の様子は、頼もしくもあったし冷酷にも見えた。

 

 笑うひざを無理やりに立たせて、シオカゼは歩む狩人の背中を追う。先にある光景を知りたくもあるし、知りたくないという気持ちもある。

 

 どうか、生きていてほしい。三日前には、こんなこと、考えもしなかった。

 

「あ、あ、うそだろ、そんな」

 

 雨風をしのぐための土壁は、無惨に引き裂かれ、打ち崩されていた。

 

 ひとつやふたつではない。目につく家がどれもこれも、嵐に襲われたかのような破壊の痕跡に晒されていた。

 

 赤黒いものが残されている家もあれば、がれきでなにもかもが埋まってしまった家もある。共通しているのは、人の気配が感じられないという点だ。

 

「だって、おれ、走って、まだ、二日だ、まだ」

 

 たったの二日だったのか、二日も待たせたのか。

 

 どちらであっても、目の前にある結果は変わらない。村はすでに壊滅して、怪物の爪痕だけが残されていた。

 

 開拓を志した仲間たちも、家を支えた女たちも、老人子供の変わりなくひとり残らず消えてしまった。

 

「来るかな。食い尽くしたつもりなら、来ないか」

 

 忌々しげなつぶやきと、舌打ちの音。

 

 シオカゼを振り返る狩人の瞳は、どうすると問うていた。

 

「たぶん、土饅頭がある。こいつもそうなら、自分の獲物に触れるやつを襲うはずだ」

 

 数日前に、山で聞いた記憶がある言葉だ。真意を図りかねて、どういうことだとシオカゼは狩人に聞き返した。

 

「おまえの仲間の死体を、餌にする。僕が掘り返して、狩場に移動させよう。それで、盗み食いされたと感じたベニが殺しに来るはずだ」

 

「そんな、そんなこと」

 

「嫌なら、別の手を探すさ」

 

 狩人の判断は、早い。支給された地図を読みながら、時折、なにかを書き込んでいた。

 

「あんた、それ、なにしてるんだ」

 

 覗き込むシオカゼを止めることもなく、狩人は指の長さで地図上の距離を確かめている。印が描き込まれた場所は、どこも村から離れた断崖の近くだ。

 

「狩場探しだよ、ここでやるわけにもいかないだろ。おまえたちが必死に開拓した土地だ、そういうところは血で汚すなと教わってる」

 

 狩人の持つ冷たさは、まだ拭えない。

 

 ただ、彼がこの村に敬意を払っていることだけはシオカゼにも理解ができた。

 

 仲間と切り拓いたこの村を、怪物の血で汚さないと狩人は言ったのだ。

 

 当事者であるシオカゼにとって、狩人の言葉は嬉しかった。怪物に立ち向かおうという、小さな意志の火種になった。

 

「殺して、くれるんか」

 

「仕事だからね。ねぐらから追い出せるかどうか、そこが要だ。しとめるなら、山奥まで連れて行くか」

 

「ねぐらってのは、わかるんか」

 

「知らないよ、探すしかない。林を抜けた先は良さそうだな、人が立ち入るには向いていない」

 

 開墾する予定はあるかと問われて、指し示された地図に視線を落とす。シオカゼが首を振ると、狩人はまた、そうかいと短く応えた。

 

 狩りのことなど、シオカゼにはわからない。ただ、狩人が不利であることは理解できた。

 

「探しても、見つからなきゃ、殺せねえよな」

 

「まあ、当然だね。さすがにまだ、逃げてはいないだろうけれど」

 

 取り逃せば、村の仲間は犬死にだ。

 

 必死に開墾した土地も、死者が出たと忌み嫌われて、無意味なものになってしまう。シオカゼにとって、それはとても恐ろしく、そして悲しいことに思えた。

 

「みんなの、あれで、使えば、来るのか」

 

 要領を得ない言葉であっても、狩人はシオカゼの意志を察した。わずかな間も挟むことなく、来ると言い切る声は強い。

 

「やつは、自分の獲物に執着する。別の土地で出た時も、同じだったと聞いてる」

 

 沈黙。

 

 天を仰ぐシオカゼが、嗚咽をもらす。

 

 仲間を奪われた悲しみ、なにもできない不甲斐なさ、憎い敵への怨嗟。どの感情があふれたのかは、シオカゼにもわからなかった。

 

 ただ、ひと言。依頼を受けた狩人へ、ため息と共に口にする。

 

「やってくれ。あいつを、ベニを、殺してくれ」

 

 茜と濃紺が混じりあい、空は紫色に染まっている。

 

 あざやかな残照が薄れて、夜の闇がひっそりと近づいていた。

 

 

 

 夜の山々に轟いた咆哮は、村の方角から。

 

 見つけたか。

 

 ひとりうそぶくのは、狩人だ。案内人のシオカゼは、狩場の外へ追い出してある。余計な邪魔者も、これ以上の被害者も出ないだろう。

 

 怪物のこしらえた土饅頭を掘り返して、村人のむくろを取り返した。自分のものに執着する習性があるのなら、あとは襲撃を待てばいい。

 

 吹き荒ぶ寒風の中で、狩人は白い吐息をひとつもらす。鎧の類を好まない軽装ゆえに、露出した肌は汗が氷結した薄氷をまとわせている。

 

 不意、咆哮が轟いた。

 

 音は、先よりもずっと近づいている。

 

 土饅頭から、死体の臭いを辿ったのだろう。狩人の耳には、野太い声に怒りの感情が混ざって聞こえた。

 

 背に負った、胴ほどもある剣鉈めいた大刃を狩人が握る。澄んだなめらかな摩擦音が、一度。一刀は、ひと息も挟まずに二刀へと姿を変えていた。

 

 震動が厚い雪を通り抜けて大地を伝う。凍りついた空気のにおいに、不快なほどの獣臭が混じる。

 

 林の木々が揺れ始めた。狩人の瞳孔が、光を取り込むために拡大する。頭上の星と闇の奥にある樹木、ふたつを交互に見つめて、星あかりに目をなじませる。

 

 青い夜だった。

 

 雪に光が反射して、淡い青が闇にかぶさる。そんな夜だからこそ、姿を現した赤い獣毛は禍々しい。

 

 これかと、狩人は無意識に感嘆の声をもらしていた。

 

 過去に見たどの青熊獣より、ふた周りは巨大な体躯。赤い獣毛、太い腕、研ぎ澄まされた鉈のような剛爪。毛並みの赤が返り血なのか体色なのか、狩人には判断できなかった。

 

 顔の毛並みや甲殻には、焦げた痕が痛々しく残されている。村人たちが必死になって抵抗をした痕跡だと、狩人も即座に察した。

 

 一歩、また一歩。

 

 怪物は舌を突き出したまま、生臭い息を吐きながら狩人の元へ近づいていく。

 

 交戦の際に立ち上がる習性は、通常の青熊獣と変わらない。ただ単純な巨躯がゆえ、相対して感じる威圧感は別格であった。

 

 肌がひりつくような緊張感。開幕の報せにも似た怪物の咆哮が、山脈そのものを揺らしたかのような錯覚。

 

 四つ足に戻るなり、怪物が駆けた。鋭い爪が凍土をえぐり、鈍重そうな見た目とは裏腹の弾丸めいた加速で質量まかせにぶちかます。

 

 背後の木を駆け上がり、狩人は跳んだ。空中で身をひるがえし、真下の巨躯を見定める。大地に根を張った大木が薙ぎ倒される様子を、黒い瞳で真っ直ぐに射抜く。

 

 初手を躱すのは容易い。着地と同時、こうと息吹、地を蹴り駆ける。

 

 振り返りしな、怪物が右の剛爪を振り回す。ひと撫でが獲物を屠る、必殺の一撃。狩人の身がぐんと沈み、かいなの影にずるりと潜った。

 

 右、鞘鉈から抜いた短刀での斬撃。甲殻の隙間を縫うように、肘の内を狙う。硬い獣毛に阻まれ、刃は肉に届かない。

 

 舌打ちと共に真横へ。背後に回り込む狩人を追って、対の腕が振りあげられた。爪がかすめた黒髪が散り、背筋にぶわと粟が立った。

 

 突き立てるように、左の鞘鉈。刃が脇下の肉をえぐるも、厚い脂肪が斬撃を阻む。

 

 間髪を入れず右、傷口を切開する一閃。巨躯を蹴り、足場に。中空へと身を躍らせて、狩人はひとつ呼吸を挟む。

 

 跳躍の慣性を殺さず、独楽のように。回転する視界の中で、寸分違わず左右の刃が鈍色の光を引いた。

 

 散るは赤、血潮の色。

 

 左眼を、刃が深く斬りえぐる。これには怪物も堪らずたたらを踏んで、悲鳴にも似たうなりをあげた。

 

 村人たちの抵抗のあと。顔を守る獣毛が焼き尽くされていたからの、会心の一撃。地に降り立つと肺の中身を吐き出して、狩人は双刃を鋭く振り抜く。

 

 血払い。

 

 月下に伸びる、影ふたつ。今一度、互いに身を低く構えて相対する。

 

 まるでそれは、二頭の獣が牙を突き立て合うかのごとき光景であった。

 

 

 

 怪物が剛腕を振るい、狩人がいなす。

 

 巨体が踏み出すたびに地面が震え、木々の枝から雪塊が落ちた。

 

 斬撃は闇を裂くように鈍の光と化して、赤黒い獣毛を、血肉を、少しずつ削り飛ばしていく。

 

 だが、足りない。

 

 殺し切るには、刃が奥深くまで届かない。皮も脂肪も毛並みでさえも、なにもかもが厚すぎる。

 

 なるほど、厄介だ。

 

 狩人はひとり吐き捨てる。

 

 一合や二合ではない。血脂で刃が鈍るまで、甲殻で鋒が欠けるまで、斬りつけ、えぐり、削ぎ、刺した。

 

 それでもなお、怪物は倒れない。がふがふと白く生臭い息を吐き出し、舌と唾液を垂らして立っている。

 

 凍土をえぐろうとも欠けることのない鉤爪を、狩人は素直にうらやましいとぼやいた。同時にどれほど斬ったかを思い起こし、鞘鉈へと短刀を収める。

 

 刃を濡らすのは、鞘鉈の内に仕込まれた粘液だ。

 

 麻痺を引き起こす神経毒を、狩人は少しずつ、じっくりと時間をかけて怪物の体内へ打ち込んでいた。

 

 もうひと息、あとひと息で、怪物の体に異常が現れる。長年の狩猟で培った感覚が、その時は近いと知らせていた。

 

 ゆえに、狩人は不意を突き、きびすを返して地を蹴った。

 

 立ち上がっていた怪物は、即座に四つ足に戻ると地響きを立てて狩人を追い始める。断崖へ誘い込まれているとも知らないままに。

 

 逃げる獲物の背を追わずにはいられない。怪物の習性は危険でもあり、つけ入る隙でもある。

 

 雪に足を取られる前に、蹴る。前へ倒れ込むように重心を低く。頭上をまた一度、剛爪が通り抜けた。

 

 冷えすぎた酸素を取り込んで、肺がじくじくと刺すように痛む。重くなる足を踏み抜いて、狩人は空へと跳んだ。

 

 投げ放つのは、懐中、体温で温めていた翔蟲。月光の淡い輝きを乗せて、夜空に一条の銀線が奔る。

 

 疾駆け、今一度。着地と共に双刃を抜き、狩人は迫る怪物とにらみ合う。雪下にひそりと埋めた爆弾を、具足の底で確かめながら。

 

 来い、遊んでやる。

 

 囁くような狩人の声は、誰にも届くことはない。だらりと下げた両腕が、左右の得物を逆手に握る。

 

 怪物の懐へ飛び込み、刃を振るう。肺の中身を入れ換えるように、短く鋭い呼吸が一度。

 

 体当たり、薙ぎ払い、捕らえるように、抱き込むように。剛爪の軌跡を捌いて潜るも、ひとつ、否、ふたつを見誤る。

 

 急所を守る胸当てが、音を立てて左右に割れた。肌を守る衣が裂かれ、赤い色が雪に落ちた。

 

 されど、狩人は倒れない。

 

 肉を斬らせながらの、一閃。毛皮を裂き続けた腹へ、刃の先がようやく沈む。脂肪を裂いて、筋肉へ。もう一撃は、さらに奥の臓物へ。

 

 手応えはあるも、怪物は倒れず。ただ、振われる腕に重さがみえた。

 

 突き立てた短刀を残して、正中線。打ち込む蹴りは足場を生み、狩人を空へと跳ねあげた。

 

 こうと息吹、見据える視線。残る怪物のひとつ目に、黒く暗い殺意がたぎる。

 

 ゆえに、断つ。

 

 射殺すような殺意を、憎悪にも似た憤怒を、悪しきを宿した右の眼を。

 

 鞘鉈が流麗な弧を描き、遅れて開いた傷口からは血潮と悲鳴が迸った。

 

 ぐらり。揺らいだ巨躯が、踏み止まろうと四つ足になる。うなり声をあげながら、怪物の巨体はけいれんを繰り返した。

 

 毒が、回ったのだ。

 

 指先、四肢、膂宍、怪物の全身各所に小刻みな震えが伝播する。目の前に降り立った獲物を見ることも、剛腕を振り上げることも、退くことすら叶わない。

 

 崩れてしまいそうな断崖の縁で、怪物はひとり、立ち上がろうと必死にもがく。身を起こした刹那、狩人は突き立てたままの短刀を、腹の傷口から引き抜いた。

 

 ひと言。

 

 風に消されてしまうほど、小さなつぶやきを狩人はもらす。うなりもがく怪物に、手向けるような静かな声で。

 

 火種は、小さなもの。爆薬に移れば、夜の闇が真っ赤に染まる。

 

 噴き上がった爆炎が、迸った衝撃が、崖に大きな亀裂を生んだ。またたきひとつ挟む間に、崖は崩れ、大小無数のがれきが轟音と共に谷の底へと落ちていく。

 

 いまだ自由を奪われたままの、怪物の巨体をも飲み込んで。

 

 ひとり残された狩人は、いつまでも奈落の底を見下ろしていた。

 

 

 

「ようし、倒れるぞお!」

 

 威勢のいい男の声が、山林にこだまする。

 

 めりめりと小気味がいい音を伴って、斧を打ち込まれた大木が大地へと倒れ込んだ。

 

「こんだら、またぶっといのう」

 

「見てみい、身がみっちりと詰まっとるわ」

 

 刻まれた年輪を見ながら、汗を拭い、若い男が自慢げに胸を張る。大したもんだとうそぶいて、年配の男はにぎり飯を投げ渡した。

 

「昼にするべよ」

 

「だな、くたびれたわ」

 

 若いのが来るまで、休むとしよう。他愛のない雑談を始めながら、ふたりはがらがらと楽しげに笑った。

 

 小さな村に残された傷痕は、深い。

 

 多くの仲間を喪っただけでなく、火の見櫓も家々も、怪物によって破壊された。

 

 だが、全てが死に絶えたわけではない。

 

 狩人が、奈落のような谷底へ降りたあと。怪物から逃れるために避難をしていた村人たちが、シオカゼの元へと姿を見せたのだ。

 

 怪物が村を襲った夜、若衆の決死の覚悟によって、女子供は逃がされていた。先に行けと叫んだ男が、年若い男たちを逃していた。

 

 大勢が生命を落としたことに、変わりはない。それでも、村を開墾した者たちは、確かに生き長らえていた。

 

 男たちは涙を流し、抱き合っては互いの無事を喜んだ。己を慕ってくれる若い女が生きていたことに、シオカゼもまた安堵の涙を流した。

 

 食い荒らされた仲間たちの遺体は、村の墓所へと埋葬されることとなった。先陣を切ったマツサブロウを筆頭に、皆、誰もが仲間を助けようと怪物に立ち向かった英雄だ。

 

 怪物のむくろを村人に預けると、狩人は名乗りもせずに立ち去った。小さな村には誰ひとりとして、彼の行き先を知る者はいない。

 

 荒れ狂う一夜の吹雪のように、多くの爪痕を残す事件であった。

 

 多くの人が傷を負い、倒れた。それでも、残った人々は立ち上がり、明日を目指して歩み始める。

 

 そうやって、人は自然に立ち向かい、土地に根づかんとあがくのだ。だからこそ、朝日は誰にも降り注ぐ。

 

「おうい、待たせたあ!」

 

「おお、来た来た。シオカゼのやつ、ナバナの弁当さ担いどるわ」

 

「すっかり舞い上がってやがらあ、働き手だってえのに、のんきなやつだ」

 

 今日もまた、男たちは山へと向かう。

 

 木々を伐採し、土地を耕し、道を拓いて。

 

 いつの日か、自らの住処を手にするために。


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