ストロベリー・オンザ・ホールケーキ
悪夢に短い悲鳴を上げて、私は目を覚ました。
夢は赤い胴体に緑の手足を持った大きな蜘蛛の怪物に追われるという内容だったけれど、赤くて緑色という部分が、目を覚ました私にはどうにも可笑しくて、つい笑ってしまう。
ぼんやりしながら笑っていると、頭にずいぶんと血が登っていることに気がついた。私はどうやら滅茶苦茶に出鱈目なフォルムで眠っていたらしい。腰から上半分をベッドから投げ出して、頭の天辺を地面にスレスレにしながらぼんやり笑っている自分の姿を想像すると酷く滑稽で、また笑えた。
気合でベッドの上に這い上がり、足元の方でぐちゃぐちゃになった毛布を手繰り寄せる。すっかり冷えた部屋の空気はアルコールの臭いが混ざって、緩い倦怠感を抱かせた。
部屋を見渡せばそこはもう混沌で、ソファやテーブルは空き缶に埋め尽くされていて、床はようわからん菓子の包み紙にまみれている。
昨夜のことを思い出そうと頭をひねれど、今ひとつ何も浮かばない。ただ一つ言えるのは、部屋の混沌は、私の脳内の混沌が実体化したものだということのみだ。
クリスマス、きらいじゃないけどすきじゃない。やっぱりきらい。でもちょっとすき。
昨日、つまりクリスマス・イブに、私はそんな気持ちで昼間っから酒を飲んでいた。私が思い出せるのはそこまでだけど、部屋の惨状を見れば判る。この量の空き缶とお菓子の包みは、私一人でこさえられるものではない。きっと昨夜、私は天狗二人と馬鹿騒ぎをしたのだろう。
毛布に包まりながら窓を見る。カーテンの隙間から僅かに漏れる冬の陽は部屋に舞う埃を照らしていて、それはまるで穏やかな午後を縁取っているようだった。
クリスマスの当日に、こんなお昼に起きて、何をすることもないだろう。
私はもう一度横になって目を瞑ってみる。しかし二度目の眠気は遠く、私に時間の早回しを許さなかった。
仕方ない、起きてやるか。
目の裏側に薄ら宿酔を感じながら、私は起き上がってキッチンに向かった。
廊下を裸足で歩けば、ひたひたと音が鳴った。足の裏側がとても冷たくて、冷蔵庫の前に着く頃には起き抜けの気怠さがだいぶ薄れた。
作りおきの麦茶を滝飲みにして、冷蔵庫のドアを閉める。そのとき、あるものが私の目についた。
それは冷蔵庫のドアに張られた便箋で、便箋には何か小汚く、子供の落書きめいた線が走っていた。こんな便箋、昨日までは無かったはずだけど。
とにかく、その便箋の小汚い線がケーキの形を縁取っていると判るまでにはしばらくかかったし、ケーキの絵の隣にあるミミズが、
「あしたはヒナと! すっごいたのしみ!」
という言葉だと気がつくのにも随分と時間がかかった。
私は遅刻の確定という緩い絶望の裏側で、この覚書は誰が書いたものなのか、などと、そんなことを考えていた。
自宅を出ると川辺は降り積もった雪に覆われていた。近くの木々には氷柱がぶら下がって、溶けかけの雫を垂らしている。しかし空は透き通った晴れで、それほど明るくはないけれど、太陽は静かに、けれど確実に、世界を照らしていた。
雛の家は川辺近くの森に在った。だから、山道を進めば、ここから十分もしないうちにたどり着く。しかし、昨夜は随分と雪が降ったようで、右手にさげたホールケーキの箱、その中身を無傷のままで進むには、山道は些か無理のある道と思えた。
倍以上の時間がかかってしまうけど、仕方ない。遠回りして、里を抜けていこう。
雪道は里に近づくにつれて次第に均された、歩きやすいものとなった。それでも、道の脇や人のあまり通らない箇所を見れば、雪は綺麗なまま積もっていて、私はなにか、深く積もった雪に自分の足跡をつけてやりたいような気になった。
実際にそんな子供じみたことはしないし、寒いのも嫌いだけれど、どうも私は昔から、深く積もった雪が好きだった。深く積もった雪は、なにがどうして、温かいような気がするのだ。当然、触れば冷たいし、靴の中に入ってくれば不愉快だけど、雪が積もると、なんだか世界が静かになって、吐く息の白さも不思議と愛おしく感じた。
今だって、通りを往く人々は忙しなく歩いていくけれど、そんな人々の雪を踏みしめる音が余計に、冬の静寂を際立たせている気がして落ち着いたし、駆け回る子供たちの歌う冬の歌にしたっておんなじだった。
往来に連なる店先には概ね、
『くりすますけえき、完売』
などと書かれた張り紙が貼ってあった。というのも、全てはブン屋の所為だ。
流行を持ってくるのはいつもやつらで、そのせいで私は今年、ケーキを買うのにひどく苦心した。どの店も予約がいっぱいで、私は結局、昨日になるまでケーキを探し回る羽目になった。
普段ならこういったお祭り騒ぎに乗じることはしない。ましてや自分の稼ぎにならない流行なら特に好きにはなれなかった。雛との約束さえなければ、今年だって部屋でのんびりとしていたに違いない。
私は雛のことが好きだった。
けれど、彼女を本当に好きだったのは少し前の話で、今現在はそうではない。と、いうこともないけれど、雛に対する想いは、以前よりかはだいぶ落ち着いていた。
というのも、私が雛に惹かれたのは、彼女が私にとって最も“手近”だったからだ。彼女が今よりもっと美人で、器用で、人気者だったなら、私は彼女に恋をしたりはしなかった。それに気がついてしまってから、私は彼女と話すときに、必要以上にどぎまぎすることはなくなった。次第に、あわよくば、なんて気持ちも薄れて、私は彼女をただ単に、仲のよい友人と思えるようになった。
これに関してはきっと、彼女も同じように思っているに違いない。最近の私達は殊に、共に何をしたところで必要以上の波が立たない、気の置けない友人だった。
そうすると気になるのは、冷蔵庫に張られた例の便箋だ。
昨日の昼にはあんな便箋の姿は無かったから、夜にあいつらと呑んでる最中にこさえられた覚書なのだろうけれども、どうも。私が書いたとは思えないし、あいつらが書いたとも思えない。何かが起きればすぐにあれこれと茶化す射命丸ならやりかねないけれど、やつがそんなことをすれば、きっと椛が止めるはずだ。とすると、消去法でやっぱり私が書いたことになるけれど、どうしてもそうとは思えない。だって、あわよくば、なんて気持ちはもう、これっぽっちも抱いていないはずなのだから。
じんぐるべーる、じんぐるべーる。と、そんな愉快な歌声が耳に響いて、私は少しはっとした。こんなに遅れてしまっては、雛も流石に少しは怒るかもしれない。
そこで急げばいいものを、私は子どもたちにつられて冬の歌などを口ずさんでは、むしろ今まで以上に歩調を落ち着かせて、ゆっくりと、雛の家に向かうのだった。
「ごめんよ、遅くなっちゃって。いつもの道が雪でふさがってたからさ、遠回りしてきたんだ」
「いいの、気にしないで。寒かったでしょう、ほら上がって」
言いながら、玄関の扉を押さえる雛の指にはいくつか絆創膏が巻かれていて、私にはそれが気になった。しかし、それについて尋ねるのはなんだか野暮な気がしたから、私はそのまま扉を潜る。
雛の家には竈があったから、部屋はとても暖かかった。しかし外は相変わらず晴れていたし、どこかの鳥が間抜けな声で鳴くものだから、なんというか、あまり、クリスマスという感じがしなかった。
「クリスマスに二人で会うの、もしかすると初めてかもね」
「言われてみれば、そうね。にとりちゃん、こういう日はいつも天狗さん達と飲みに行っちゃうんだもの。あ、ちょっと待ってて。お皿、すぐ用意しちゃうから」
「ああ、私も手伝うよ」
それから食卓に食器等を並び終えて、雛が用意してくれていたようわからんお酒――しゃんぱーにゅ、というらしい。――がグラスに注がれたころ、雛がそういえば、と口を開いた。
「珍しいわね。にとりちゃんがクリスマスに、こうやってクリスマスらしいことをするなんて」
大きな皿の上には、これまた大きくて白いホールケーキが乗っかっている。二人で食べ切るには少し無理のある量だけど、私が行ったときにはもう、このサイズのケーキしか残っていなかったのだ。
「いやあ、今年は雛と約束してたからね。普段ならあんまり気乗りしないけど。でも、今年のクリスマスはいいね。例年よりもなんだか静かでさ。ケーキは今年が一番売れたらしいけど」
喋りながら、私はケーキを切り分ける。食器の準備は結局、どこになにが閉まってあるのかわからなかったから、これぐらいはしないといけない気がした。
「じゃあ、クリスマスケーキを食べるのも初めて?」
苺が邪魔して上手に切り分けられなかったけれど、雛は気にしていない様子で私に尋ねた。
「ああいや、ケーキは毎年食べるんだ。去年もあいつらと食べた」
ふうん、とつぶやいて、雛は切り分けられたケーキを見つめる。まじまじと、見つめる。
やっぱり少しまずかったかな。上手く切り分けられなかったかわりに、雛のケーキには苺が二つ乗っている。雛はとりわけ、こういう些細な差異をよく気にするから。
「じゃあ、さっそくだけど乾杯しましょうか」
私が一人で煩悶していると、雛が笑顔で言った。
「うん、それじゃあ」
乾杯、とグラスがぶつかる音が響いた。けれど、窓の外は相変わらずに明るくて。グラスのぶつかる音は綺麗だったけれど、どこか、何かが少し、ズレているように思えた。
「ねえ、にとりちゃん。どうして苺を埋めちゃうの」
「え。あ、えっと、これはさ」
雛に言われるまで、私は自分の手の動きに気が付かなかった。私の手は無自覚にフォークを操り、切り分けたケーキの上の苺をスポンジへと押し込んでいたのだ。
それは、私がケーキを食べるのときの、いわゆる癖だった。
「いやあ、毎年ね。あいつらとケーキを食べるときに、あいつら欲張りでさ。欲しがるんだよ、人の苺。もちろん冗談交じりに言ってくるんだけど、なんていうか、ほら、面倒だから。そういうの。だから最初に埋めて隠しちゃえばいいかな、って。まぁ、くださいよー、なんて言ってくるのは、大抵射命丸なんだけどね」
「ふうん」
いつもなら、話の落とし所として射命丸を使えば雛は笑ってくれるはずだったのに、この日は違った。機嫌を悪くした感じではないけど、なんだか反応が薄い。
「あれ。……ああ! もしかして雛、私の苺、欲しかったりして!」
どういうわけか生まれてしまった一寸の間が妙に恐ろしかったから、私は思いっきり冗談めかして、声を上げてみた。
「ううん。わたし、あんまり好きじゃないの。苺って」
「え! そうだったの」
私が、いやあ、とか、失敗しちゃったな、とか、チョコの方にすればよかったな、なんて小声でぶつぶつしてる間に、雛は言葉を続ける。
「うん。苺って、なんていうか、その。気味が悪くて。にとりちゃん、芽が生えた苺ってみたことある? あれね、すっごく気味が悪いの。少し生えたくらいで気持ち悪いのに、そのままにしておくと蜘蛛のおばけみたいになって、ほんとに恐ろしいの。それに、ケーキの苺って、思ったより全然甘くないから、なんだか騙されたみたいな気分になっちゃう」
雛の話を聞いて、私はますます申し訳なくなった。
「ご、ごめんよ。雛がそこまで苺を嫌いだったなんて、や、ほんと。チョコのほうを買えばよかったな」
「いいの、気にしないで」
「ううん、気にするよ。ほんとにごめん。しかも切り分けるとき、雛のほうに苺を二つもやっちゃった。スポンジの中のやつはどうにもならないけど、よかったら、乗ってるやつは私が食べようか」
私が言うと、雛は二つある苺の一つを口に運んで、頬張りながら微笑んだ。
「いいの。ほんとはそれほど嫌いじゃないから」
「そ、そっか」
その後、雛がなんだか可笑しそうに笑うから、私もつられて笑ってしまった。暖炉の火がパチパチ鳴って、雛がカーテンをさっと閉めたとき、私の感じていた妙なズレがふ、とおさまった。
それからは、いつもどおりの私と雛で話が出来た。やはり射命丸は落とし所として便利だったし、そういった話に対する雛の相槌も冴え渡って辛辣だった。
それからいくらか時間が経って、カーテンの向こうにちらちらと細かい影が降った。
「あ。にとりちゃん、どうしましょう。雪が降ってきちゃった」
「ほんとだ。どうしよう、強くなる前に帰ろうかな」
雛は、泊まっていけば、なんて提案をしてくれたけれど、私はそれを断った。雛にそこまで迷惑をかけたくなかったからだ。少し話して、そろそろ帰ろうと思い席を立って玄関まで行くと、雛が、
「ちょっと待って」
と私を引き止めた。
奥の部屋に引っ込んでいった雛は二、三分で戻ってきて、その手には赤いニット帽が握られていた。
「昨日頑張ってね、これ縫ったの。にとりちゃんにあげる。クリスマスプレゼントだから」
「え、いいの。貰っちゃって。いや、なんだか悪いなぁ。私、なんにも用意してないもんだから」
本当はリボンなぞを用意していたのだけど、私が里で買ったリボンなぞは、手作りだと言って渡されたそれには到底及ばない品物に思えたから、懐に閉まったまま、黙っておいた。
「いいのよ。ほんとはね、手袋なんかも編んだんだけど。そっちは他の人にあげることにするわ」
私は上機嫌に、貰ったニット帽をかぶりながら雛の言葉を聞いていた。玄関には大きな姿見があって、姿見に映るニット帽は鮮やかに赤く、自分で言うのもなんだけれど、私によく似合っていた。
「え、手袋。どんなのさ、ちょっと見せてよ」
ニット帽は売り物と遜色ないほどによく出来ていたから、私は手袋も欲しかった。けれど、雛はそれを別の人にあげるという。本当は、手袋も欲しい、と口に出したかったけど、やめにした。
「ほんとに見たい? でも、にとりちゃん。見たら、きっと欲しくなっちゃうんじゃない?」
「私、そこまで図々しくないよ。ほんとに、ちょっと見てみたかっただけ」
雛は、ふうん、となんだか私をからかうように微笑むものだから、私はどうも居た堪れなくなって、矢庭に玄関の扉を開けた。
「じゃあね、にとりちゃん。風邪なんてひかないように、お大事にね」
「いいよいいよ。風邪ひいたって、今年の年末はゆっくりすることに決めてるからさ。それじゃあ!」
「うん。それじゃあね」
扉をくぐると、空はまだまだ明るかったけれど、ぼた雪が降って、外は一層雪の世界と化していた。
これは本当に風邪をひいてしまうかもしれない。そんなことを考えながら数歩進むと、私は雛に言い忘れのあることに気がついた。
焦って振り向くと、雛はまだ扉を開けて手を降ってくれていたので、私は少し大声で言った。
「雛、メリークリスマス!」
私が言うと雛も少し大きな声で同じように返してくれた。
もうケーキの傷がつくことを心配する必要も無いし、帰りは山道を抜けようか、とも考えたけれど、私は結局、行きと同じ道を辿ることにした。理由はいくつかあったけれど、私は何より、この赤いニット帽が嬉しかったのだ。
雛の家からしばらく歩くと里に着いた。里は相変わらずに、忙しなく歩き回る大人たちや、雪の中を駆けずり回る子どもたちで賑わっている。来るときに通ったときと違うところをあげるとすれば、雪が降っていることぐらいなもので、ともすれば、空の明るさだって先ほどとさして変わりはなかった。
「あ、にとりさん!」
不意に聞き覚えのある声がした。椛だ!
「こんにちは、にとりさん。いやあ、昨日はお恥ずかしいところを……あれ。にとりさん、今日は確か、雛さんのところに行くんでしたよね?」
「そうなんだけどね。雪が降ってきちゃったから、強くなる前に帰ってきたんだ」
見れば椛は片手に見覚えのある箱をさげていた。それは間違いなくホールケーキの箱で、それはおそらく、文が食べたいと言って聞かなかったに違いない。そういえば昨夜、同じ店で予約をしたとかなんとか、そんな話で盛り上がった気がしなくもない。
「え。にとりさん、帰ってきちゃったんですか。なんだ、どうせなら雛さんのところに泊まってくればよかったのに」
「あんまり迷惑かけちゃ悪いと思ってさ」
すると椛は忽ち表情を変えた。それは、にやにやとイヤな感じのする笑顔で、私はどうも昨日の夜、椛になにか余計なことを話したらしい。
「えー。でも昨日、にとりさん言ってたじゃないですか。最近じゃ雛さんのことをすっかり友達だと思ってる、だなんて」
「言ったかなあ」
雪は里へと粛々と降り続けるから、私の上にも、椛の上にも、少量の雪が積もっていた。
「言ってましたよ。下心なんてもう全くない、とも言ってました」
「あーもう。それがどうしたってのさ」
椛は話しながら、自身の頭上に積もった雪をさっさと払いのける。
「にとりさん、私の家で呑んだら絶対泊まっていくじゃないですか。にとりさんたら、雛さんのこと友達だ、なんて言って、もう。少しは素直になったほうがいいと思いますけどね。酔っ払ったときはあんなに明け透けなのに」
「椛、お前まで射命丸みたいな嫌味言って。あんまり私をいじめないでくれよ」
私も私で、ニット帽に引っかかった雪を片手で払った。
「ふふ、ごめんなさい。……あっ、その帽子! もしかして雛さんに貰ったんですか?」
「ああ、うん。そうなんだ。いいだろう。自分で言うのはなんだけどさ、けっこう似合ってると思うんだよ」
私の払いきれなかった雪があったか、椛は私の帽子をさっさと優しく払いながら、よく似合ってますね、なんてことを口にした。
やっぱりな、と私が内心で頷いていると、椛は、
「でも」
と口を開いた。
「でも、にとりさんには少し可愛すぎるかもしれませんね。ふふ、なんだかイチゴみたいで」
「え。イチゴ」
椛とはそれから少し話してから別れた。別れ際に、一緒にケーキを食べませんか、なんて聞かれたけれど、雛の家で思いの外食べすぎてしまい、内蔵がクリームでいっぱいになった気のする私は無論、その誘いを断った。
そのあと私は、ニット帽を脱いだりかぶったりを繰り返しながら帰路を辿った。赤いニット帽は見れば見るほど、椛の言うとおり、どうも苺に酷似しているように思えた。辺りに深く積もった雪の中、それをかぶって歩く自身を俯瞰すれば、ニット帽はますますそれらしかった。
それを思うと、私はどうにも面映ゆく、金輪際これをかぶるのはやめてしまおうかと何度も考えた。しかし家に着いて姿見を見やれば、赤いニット帽は何がどうして似合っていた。今までかぶっていたどんな帽子よりも、それは最も私らしい帽子に思えた。
「せっかくの貰い物だし、雪が全部溶けるまではこれをかぶっていようかな」
鏡を見ながら、無意識のうちにそんな言葉がこぼれ出る。
鏡に映る自分の頬は寒さで真っ赤になっていて、私はますます照れてしまった。