黙祷集。(最新話『ドラゴンメイド』更新2024.11.19) 作:神の筍
夏祭りがあと少しに迫った夜――水明が適当なゴールデン番組を眺めていると傍らに置いていた携帯が鳴った。外側にある小さな液晶には誰から連絡があったのか表示されている。それを見た水明は舌を僅かに喉奥に押し込むと通話ボタンを押した。
「――もしもし」
『あっ……えっと、源義経です。こちらの電話番号は水明君のものであってるでしょうか?』
「水明? それに源義経? 何かの冗談か、悪戯電話ですか?」
『うぇっ……!? 間違えたのか!? ――す、すみません! どうやら間違った電話番号に掛けてしまったようで! 義経は本当は学校の友達に連絡をしたくて……ああっ、それに、義経も冗談とか悪戯じゃなくて……その、義経は本当に義経であって、それで……あわわっ』
「冗談だ、義経。自分の電話番号であっているぞ」
『その声は! ……もうっ、義経をからかったなっ』
「本当に焦ったんだからな!」と電話越しの義経がさらに言うと、水明は素直に謝罪する。
「悪い。暫くぶりに義経の声が聞けて、らしくもなくテンションが上がってしまった」
『そう言われると義経は何も言えない……でも、義経も水明君の声が聞けて嬉しいぞ』
「ありがとう。当分義経のことをからかうのはやめておくとしよう」
『うぅ、水明君までそういうタイプになってしまったら義経は大変なことになる……』
弁慶のことを言っているのだろう。水明は今日も何かからかわれたのかと予想しながら、何の用で掛けて来たのか尋ねた。
『――実は今日、弁慶と与一と共に源氏の式典に参加するため兵庫県に行ったんだ。そこで面白い体験をしたから、水明君に話そうと思って……その、迷惑じゃないだろうか?』
「まったく迷惑ではないから大丈夫だぞ。兵庫県の源氏に纏わる式典と言えば、やっぱり鵯越か?」
『うん。それと与一の墓所がある那須神社にも行ってきた』
過去の偉人、那須与一の墓所は関西圏を中心にして日本各地に存在している。これは源平合戦のあと、与一が戦没者を弔うために旅へ出て、色々なところで姿を見せたことに起因するのだろう。義経たちが行った兵庫県神戸市には与一脳卒中によって臥せた話が残っている。半身不随のまま村人たちに世話をされていたことから参拝すると下の世話にならないと言った口碑があり、高い年齢層に人気の神社である。
「自身が亡くなった伝聞の残る場所か……中々反応に困りそうだな」
『義経や弁慶は最期がしっかりしてるからそうでもないが、与一はたまに難しい顔をしている』
「復活した英雄らしい悩みだな」
『そう言われるとちょっと恥ずかしいぞ』
義経たちの体験した面白いこととは式典のあった神戸からさらに北側に入った丹波にて陶芸体験をしたことだった。焼き入れも含むと三か月ほど掛かるとのことなので、二学期頃に届くようだ。水明は今度見せてもらうことを約束し、『源氏の作った陶器』というものを楽しみにするのであった。
一、
夏祭り当日。
川神院に到る仲見世通り周辺に屋台が出るということもあって、今日は関西各地から人が集まる。その中には源氏組を一目見てみようと物見遊山に来る者もおり、九鬼の従者部隊もいつも以上に治安維持に駆り出されていた。
約束の時間は十七時――金柳街から歩いて行こうと言っているので、水明の家からはすぐだ。
「義経、弁慶。久しぶりだな」
「やあ。久しぶり」
「こんばんは! 水明君!」
軽く手を振って反応してくれる弁慶と礼儀正しく挨拶をしてくる義経たちに、大した期間会えなかったわけでないものの、どことなく懐かしさを感じていた。
二人の格好は見慣れた制服だが、今日は刀も錫杖も持って来ていない。弁慶の場合は左腕に瓢箪が結ばれているのだが。
「遠方から来る人たちもいる中、義経たちが賑やかな雰囲気に武器を持ち込むのは騒がしいからな。九鬼の警備もしっかりしているとのことで、今日は置いてきた」
「何かあったら守ってね、水明」
いつかの決闘で見事な蹴りを見せた義経にそもそも素手で戦った方が強いのではないかという弁慶――その二人をして何から守れば良いのだろうかと水明は思った。
「まぁ、エスコートくらいはやらせてもらうさ。一応去年も回ってたからな」
「頼りにしてるぞ!」
「焼きそばとタコ焼きは必須で頼む」
どこからともなく線香の匂いが漂ってくる。それはきっと、川神院の献香所だ。風鈴の音を聞けば夏が来たと思うように、水明は今年も祭りに来たのだと胸を高鳴らせた。
さて、川神院主催とのことあって仲見世通りに広がる屋台は非常に多い。多種多様で盛沢山な食べ物の屋台はもはや当たり前であり、大人気のフライドポテトの屋台だけでも四、五つくらいはあるのではないだろうか。そんな中でも屋台の布地で目立ち、客寄せをしようとしている入り口を抜けた三名が最初に来たのは射的の屋台だった。
「ちなみに義経、射的の経験は?」
「そこそこあるぞ。島では毎年やっていたんだ」
「ほう、なら良い勝負になりそうだな」
共に遊ぶと言っても、点数やポイントが出されるならば勝負事になるのは当たりまえ。射的では義経と水明の競い合いとなった。
「単純にどっちが一番倒したかで良いだろうか?」
「ああ。自分もそれが良いと思う。ただ、大きいのを落としたら、互いの大きさの大体の平均を取って個数換算にしないか?」
「それは良いな! そうしよう!」
先行は義経。水明は一度のあいこを挟みジャンケンに負けた。
「では、行くぞ」
弾数はコルク製が七発だ。
この夏祭りは各屋台に必ず川神院の僧侶によってチェックが入るので、例えば景品の裏に釘が打ちつけられていたなどということはない。
義経はしっかりとテーブルに肘を付け、前屈みに銃口を伸ばす。
「何かこう、後ろから見ると来るものがあるよね。今の主の格好は」
「本当に反応に困るから止めてくれ」
最初に狙ったのは菓子の箱。景品の中では中くらいの大きさだ。
「――えい」
ぱこん、と右上に当たった菓子箱は見事にそのバランスを崩して倒れる。
「よし! まずは一つ目」
その後義経は続いて二つ目の菓子箱を落とし、三つ目のロボットみたいなものも落とす。四つ目に前二つよりさらに大きなファミリーパックの菓子箱を落とした。
「ふぅ……残り三発。一番大きなアレに挑戦しよう」
アレ――とは、ど真ん中にある黒い鱗を持った怪獣だ。他の景品とは明らかに異質なその立ち姿。それに尻尾が地面に付いていることからただ当てただけでは間違いなく倒れないだろう。
呼吸を整え、義経は怪獣の弱点を探る。
慎重に、まずは王道らしく頭を狙う。
「なっ……!?」
しかし不動。まったく動きもしなかった。
続いて、今までよりも腕を伸ばして銃口を怪獣に近付けた。拳一つ分といった距離で打つも、一発目と同じように怪獣は一ミリたりとも動かなかった。
「主~、他の狙ったほうが良いんじゃないの?」
「うぅ……く、悔しいがそうしたほうが良さそうだ」
義経は歯噛みしながら最後の一発を菓子箱に費やし、計四個の景品を落としたのであった。
「自分の番か」
店員から渡された射的銃を手に水明は何を狙うか考える。ただ単に個数を競うのならば菓子箱五つを倒せば勝ちだが、それは何とも味気ない。
ならばと、義経が先ほど狙って倒せなかった怪獣に銃口を合わせる。
「最初から狙うのか――!?」
水明の背後からは義経の驚いたような声が聞こえる。それに耳を傾け、片目を瞑って怪獣を見る。
「店主。撃った後のコルクはどうする?」
「どうもしねぇよ。転がったコルクに箱が支えられてもそれは運さな」
「なるほど」
その質問の意図を考えさせるよりも早く、水明は引き金を引いた。
「……ふむ」
コルク弾が入ったのは怪獣の尻尾と地面の隙間。ちょうどハマった形である。続いて二発目を装填し、水明は寸での狂いも無く同じ個所を狙った。結果、一発目のコルクがより深く入る。
「なっ、怪獣が少し浮いている!」
それに気付いたのは義経だった。
自分の番を終えてからも怪獣の倒し方を考えていてからこそ、水明のその狙いに気付く。足の二本と尻尾の三本で立っていた怪獣はバランスを悪くし、あとはそれなりの衝撃を与えればどうにかして倒せるだろう。
そして、水明は三発目のコルク弾を撃った――義経が落とした、ロボットの頭上ギリギリのラインを。
「あの怪獣で何個分だろうな」
ロボットを越えたコルク弾は背景の木板に跳ね返り、小さなロボットの頭に当たる。そのまま重力に従っていきやがて怪獣の背を押し、二つ共に地面へと落ちた。
水明が残した弾は残り四発。その後、彼は義経が落とした菓子箱と同じものを落として勝利するのであった。
「完敗だ……」
「あと10レベルは上げて挑んでくるが良い」
「まさかあの怪獣を落とすとは思わなかったぞ! それに、あんなトリッキーな方法で! 尻尾の下に弾が入ったときは失敗したのかと思ったけど、あれがきっかけになって……」
ちなみに、射的では景品がお菓子屋や玩具もあったのだが、もう一つに今日の夏祭りの屋台だけに使える商品券があった。菓子箱一つは五十円、ロボットは三百円、そして怪獣は千円という屋台を回るには十分な券を水明は得たのであった。
「お二人さん、そろそろ何か食べることを提案するんだけどどうだろう」
「まだ少し早いんじゃないか、弁慶?」
「いや、もう少ししたら今より食べ物の屋台には並ぶことになるはずだ、先に買っておくのが良いかもな」
「でしょ? 水明の商品券もあるということで」
「――ダメだ。これは水明君が取ったものだから、義経の眼の黒いうちはそんなことはさせないぞ」
普段であれば、金銭的な貸し借りは面倒くさいので水明も義経と同じ立場だったが、今回は偶然手に要れたということもあり三人で使うことを考えていた。
「いや、義経。夜ご飯くらいは商品券を使ってくれると助かる。正直全部使えないと思う」
「でも……」
「余るより、三人で使ったほうが楽しいだろう? ちょうどタコ焼きと焼きそばとイカ焼きが並んでるからどうだ?」
「はい、賛成」
「うーん――」
「自分も賛成で、反対は義経の一票のみ。多数決だからな、今日くらいは自分に任せてくれ。ご飯代のみだが」
「……分かった。今日は水明君のお言葉に甘えよう」
半ば無理やり納得してもらった形になるが、義経が思っているよりも水明の言葉は事実だった。
そもそもこの夏祭りは屋台の価格が殆ど百円や高くて三百円といったところで、一人五百円もあれば十分腹が満たされる。水明一人でこれを使うとなれば、適当に百円籤でも引いて使い切るしか無いだろう。下手に射的と似たような屋台にいけば今度は倍額になって帰ってくるかもしれない。
「じゃあ、買いに行こうか」
一人一つの屋台に並んでも良いと思ったが、それは味気ないだろうと一緒に並ぶ。焼きそばを人数分と、タコ焼きは取り敢えず十個。イカ焼きは義経と弁慶が食べたいとのことで二つ頼んだ。
道中、氷水に冷やされたお茶を買ってからさらに奥へ歩く。時刻は十八時を目前に、もう直ぐ花火が上がり始める。
「しまった。花火を見るのに最適な場所を考えていなかったぞ」
義経がそう言うと、一応川神歴先輩の水明は思案する――……とはいうものの、彼自身も今から向かってどこか良い場所があると問われると、悩みながら首を振るのが精一杯だった。
「多摩大橋は今から行ってもいっぱいだろうな。他の場所も地元民が溢れてるだろう……」
「多摩川から打ち上げられるならここからでも見れそうだけど。取り敢えず川神院の正門前とかで良いんじゃない? あそこなら広いし、人が来ても大丈夫でしょ」
「去年はこの通りからでも見えたぞ。弁慶の言う通り、川神院のところで食べながら待つか」
「うん。義経もそれで良いと思う」
三人は川神院の正門前に来ると、ちょうど一つだけ空いていたベンチに座った。
それぞれ膝の上に焼きそばを置き、弁慶は川神水を注ぐ。義経がイカ焼きを頬張りながら「美味しい!」と目を光らせた。
「焼きそばは関東と関西で味が全然違うらしいぞ」
「そうなのか?」
「聞いたことあるかも。麺の太さもどうとか」
「ああ。関東は細麺で、関西は太麺が主流らしい」
「ラーメンなら義経も知っているが、焼きそばも太い細いがあるのは不思議だな。どちらが美味しいんだろう」
「自分はラーメンだと細麺だな。少し硬いのが良い」
「あー、分かる。ちぢれ麵だと尚のこと良し」
「完璧だな」
「義経は太麺で真っすぐなやつが好きだぞ。もちもちしてて美味しい」
「うどんだとそういう系が好きだなぁ」
――と、会話をしていると一陣の風が吹く。
変な風だと、水明は感じた。
「や、やられたぁ!?」
「あっぶなぁ。焼きそば何とか死守できた」
「む……」
着地音をさせずに、その現象を起こした張本人の姿が露わになる。
「天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ。美味しそうな食べ物を見れば掛けずにはいられない! その正体はイナゴ仮面! ――否、ナットウ仮面である!」
特撮ヒーロかと言わんばかりのポージングを取ったのは川神学園三年。あの百代に次ぐ有名人の松永燕だった。
「弁慶ちゃんには上手く交わされたか。でも、主である義経ちゃんを懐柔出来たら松永納豆九鬼侵略編の足掛かりとしては十分……」
松永燕……最も有名な呼び方は“納豆小町”だろう。
京都を拠点に給食や食堂でも人気のある松永納豆を関東にも宣伝すべく、学園に来た屈指の変人と水明は聞いている。地元では納豆小町の活動として歌も出しており、その界隈では大変有名だった。しかし、彼女を川神で一躍時の人としたのは納豆ではなく――武芸の強さだ。
全米格闘チャンピオンのカラカル兄弟を一撃で倒し、川神学園に来る前は西の天神館から誘いが来ていたらしいが、当時の十勇士とまとめて戦って勝利した。川神鉄心の高弟の一人、鍋島館長とも拳を合わせたと噂があるがその真偽は不明である。そして極めつけは、転校初日に百代と決闘を行い、五分以上の実力を見せたのだ。
「およ、そこの後輩クンは初めてだね。松永納豆、知ってる?」
「聞いたことはありますよ。たまに食べます」
「良い子良い子。たまにから常になるように倍掛けだー!」
残り半分ほどの焼きそばに掛けられた納豆がさらに増え、もはや納豆に焼きそば付いているという謎の食べ物になる。
水明は一口食べ、意外といけることに気付き二口目も進める。納豆カレーなどもあるのだ。味の濃いものには概ね合うのかもしれない。手早く全部食べてしまうと、口の中の粘りも匂いもお茶で流し込んだ。
「ふふん、みんな美味しそうに食べてくれて何よりだよん。弁慶ちゃんは特性納豆川神水を作って来てる上げるからねん」
「絶妙に呑みたいような吞みたくないような……いーや、やっぱ呑みたくない」
「まぁまぁ……それで、三人ともここで何してたの?」
水明、義経、弁慶があらかた食事を終えると燕がそう尋ねる。
「花火待ちです。多摩川から上がるならここで見れると聞いたので」
代表して義経が答えると、燕は然知ったりと眉根を寄せた。
「あちゃー、今年はここで見れないんじゃないかな。去年はここでも見れたって私も聞いたけど、風向きの関係で南寄りで打つことになったみたい」
「えぇ!?」
「うわぁ」
「む、そうなのか」
水明が辺りを見渡すと、たしかにこの場の人の出入りは少ないような気がした。いるのは老夫婦や祭りの裏方だろう作業着を着た男性陣など、祭りに慣れた様子の人たちだ。まだ撤収作業がある男性陣はともかく、老夫婦などは今年の祭りを静かに楽しむだろう。
「てことは移動だな」
「今からいけばとんでもない人ごみ……水明抱っこ」
「肩車で見してやるからぎりぎりまで我慢してくれ」
「早く行かなきゃ!」
三人は慌てて――弁慶はゆったりと川神水を呑み、水明も特に変わらないように見える――どこに行くか話し合う。
「まぁまぁ、御三方や。そんな慌てても時間は経過していくということで――」
見かねた燕が主に義経を落ち着かせ、そのまま頭上に指を差す。
「モモちゃん召喚の儀!」
人差し指から放たれたは一発の気弾。燕のものだとはっきり分かるよう、気に色を乗せている。一見花火にも見えるが、一般人には見えないよう、精巧に隠しているのが燕の実力の高さを物語っていた。しかし、ここは川神。直接的ではないにも何かを感じた者がおり、そして、目視してその場所を把握出来た武神もいた。
「――天から美少女参上!!!」
夕方から夜空へ移る空から突如現れたのは百代だ。腰まで伸びた黒髪が逆風によって吹かれ、羽のようにはためいている。燕と同様音も無く着地した。服装は制服ではなく、川神院の稽古着を纏っている。
「なんだなんだー、燕の気を感じたと思えば源氏コンビもいるじゃないか。とんでもなくマーベラスな空間だな」
「いきなり現れた。見えなかったぞ……」
「最近ドラグソボールを見て編み出した新技だ。こうして目を瞑って気を探り、そこに瞬間移動出来る」
「モモちゃんがどんどん現実世界のキャラから遠ざかってるよん……」
「ハハハッ。そんなの今さらだろ――で、燕。いったい何の用で私を呼び出したんだ?」
「実はかくかくしかじかで」
「まるまるうまうま」
燕は百代に三人の事情を説明した。
すっかり置いてけぼりの水明たちは顔を見合わせ、首を傾げる。
「ふむふむ、そんな事情が。よし、ここは私に任せておけ。後輩たち三人を特別にご案内してやるぞ」
「本当ですか!?」
「本当だにゃー。後輩が困ってたら助けるのがパイセンの務めだから。もうすぐ一発目も始まる時間だし、早く移動しよう。燕もバイトの時間は終わりだろ?」
「終わりだよん」
制服姿の燕だったが、今日は毎朝出稽古に行かせてもらっている川神院の一人として警邏のバイトをしている。その傍ら松永納豆の宣伝をしていたのは当たり前だが、浮かれた気分から喧嘩になりそうな屈強な男の仲裁をした華麗な姿は学園生含め地域の人々も魅了した。
水明たちは百代の提案を断ることなく、ついて行くことにした。
正門を抜け、川神院の敷地に入る。
「へぇ、こんな感じになってるんだ。綺麗なところだね」
「毎日弟子が掃除してるからな。弁慶なら毎日来てくれても良いんだぞ」
「遠慮しておきます」
手垢一つ無い窓が並ぶ日本屋敷は百代たちが住んでいる建物だ。その前には枯山水の石庭と鉄心が大事にしている盆栽がある。
さらに奥、外部の人間では踏み込めない八角五重塔へ百代は案内した。
「ここは普段、精神修行で使われる場所なんだ。今日みたいに誰も使ってない日はジジイに許可を取って入れるようにしてもらってる。私の知り合いとか限定なんだけどな」
一階から最上階まで登り、木板を外すと川神市が360°展望出来る。
「花火はあっちだな」
赤い多摩大橋とそこに犇めく群集。人々はスマホを片手に花火を待っている。
「私はファミリーのメンバーと見る予定だからな。義経ちゃんたちとも一緒にいたいけど、今日はこれまでだ。帰りは燕に頼んで良いかにゃ?」
「大丈夫だよ。その間たっぷり松永納豆の良さを刷り込む予定だから」
「うっ、やけに松永先輩が優しかったのはそういうことだったのか……」
「無償の施しの裏には理由があるものだよん」
「自分は松永納豆はすごく美味しいと思っていますし、これからも定期的に常食しようと思ってます」
「私も私も。たまに納豆巻きをおつまみにするし」
「ふーん。じゃあ、義経ちゃんだけで良さそうかな?」
「ふ、二人とも! 義経も納豆は大好きだぞ!」
「主は小粒派」
「それは許せん!」
「燕がいるなら問題なさそうだな」
と、言いながら百代は水明の隣へ移動する。にやりと笑いながら耳打ちした。
「さてさて、名も無き男子学生。祭りの余韻と義経ちゃんたちといくら人気のないところだからって欲情しないようにな」
「ありえませんので、ご安心を」
「ちぇー、揶揄い甲斐の無い奴。うちのバカ共だったらすぐ騒ぎ出すのにな……ま、良いや。そろそろ私は行くぞ。楽しんでくれ――バイバイ、みんな」
額に手を当て、百代は小さく手を振ると消えて行った。
「ワオ、モモちゃん本当に瞬間移動しちゃったよ」
「気が消えた!?」
「世界観間違ってるでしょ」
百代が消え、窓枠に凭れるようにして空を見る。他愛も無いことを燕も含めて話しながら花火までの時間を待ち――――。
「あっ」
漏れ出たような義経の呟きと同時、火の玉が上がる。
「綺麗だな」
「うん」
「最高の眺めだ」
大輪の花が咲いたのであった。