区切りがつく、そんな時。
迷っても拗れても、良い機会だから。
二人静かに、只そっと。
そんな時間を、共に。

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年の瀬に揺れるアオ

 年が明けるまで、あと少し。

 俺と千夏先輩は、二人きり。猪股家に、二人きり。

 部屋に上がろうとしないまま、なんとなく居間で二人きり。

 隣に座っているけど、ほんの僅かに距離は空いている。その距離が、埋められないまま。

 新年を控えた俺たちは、二人静かに座っている。

 

 きっかけは、冬休みに入ったときだった。

 猪股家の年末年始は、いわゆる「本家」で過ごす予定。だったのだが、今年はそうもいかなかった。

 千夏先輩は、どうしたらいいのか。俺の家族はもちろん親戚だって、狭量ではない。お客さん一人が増えたって、誰も文句なんか言わない。例え誰かが言ったとしても、俺が許さない。でも、千夏先輩にしてみたらどうだろう。

 ただでさえ家族と離れてたった一人、知らない家で暮らしているんだ。その上縁も所縁もない人々の所で窮屈な年末年始を過ごさせるなんて、良いことのわけがない。先輩一人ここに残すったって、そんな寂しい年末年始を過ごさせるのもやっぱり問題だ。

 でも親戚同士の関係もあるから、行かないってわけにもいかないらしい。少なくとも、大人たちは。

 そんなこんなで、三十日の朝から四日の夜まで。この家には、俺たちだけが残ることとなったのだ。

「――冬休みの間、ウィークリーマンションにでも入れば良かったかな」

 話が終わってから先輩は、俺にそう言って力無く微笑んだ。自分が猪股家にとって重荷になっている、と考えているのは俺にも分かる。

 そうじゃないです、先輩だって家族です、と言いたいけど。言いたいけど、俺が上手く言える筈がない。

「そんなの寂しいじゃないですか、真冬に一人なんてキツいですよ」

 そう返すのが精一杯だ。

 俺風情が一緒でも、役になんか立てないけど。それでも、先輩に孤独を感じてほしく無いんだ。

 先輩が、好きだから。

 まあ、それは置いておこう。

 とりあえず、年末年始をどうするかだ。

 そこまで考えてようやく、俺の頭がひとつの問題に辿り着いた。

 年末年始、二人きり。この家に、大人が誰もいない状態で、二人きり。

 それは、それは――とんでもない事態ではないか。

 俺は信じられないことに、それを全く想像していなかった。先輩の事しか、考えていなかった。

 どうしよう、本当に。

 

「まあ千夏ちゃんがいるから、大丈夫だと思うけど……。大喜、あんたバカなんだから無駄に頭使わないで、何かあったら全部千夏ちゃんに任せるのよ?」

 いや俺一応、猪股家の長男なんですけど。なんでそこまで信用無いんだ、俺。

 あとバカは母さんの遺伝だと思うんだけど。

 にしても、本当にこうなってしまったなぁ。別に悪いとは思わないけど。

 大人三人が出掛けるのを千夏先輩と二人で見送って、そして。どうしたものかと思いつつも、俺たちは年越しの準備に入った。

 千夏先輩の家では御節を作らないらしいし、二人でそんなの並べたって仕方無いから御節作りは省略。

 でもその代わり、可能な範囲で大掃除もしておくことにした。 

 ……のだが、まあ大掛かりな事は流石に辛い。程々にしておこう。

 あれこれ用事を片しつつ、気が付けば冬の陽は落ちていた。

「大喜くん、ちょっと留守番良いかな。晩御飯の買い物とか、してくるからさ」

 エコバックを片手に出ていく先輩に、手を振る俺。そして一人になって吐くのは、大きな溜め息。

「どうしよう俺。俺どうしよう」

 うちはみんなあれこれと忙しいから、誰かしらが留守って事は珍しくもない。二人きりも、何度かある。でも、まさか。何日も二人きりになることなんて、あるわけない。

 二人きり。誰も咎める人がいない、長時間の二人きり。

 過ちが起こるには、充分過ぎる。

 いや起こしちゃいけないんだ、そんなもん。俺は千夏先輩を裏切りたくない。

 

 その強い決意で過ごして、大晦日の終わり際。

 俺、くじけそうです。

 なんとか今の時間までクリアしてきたものの、正直キツい。だって先輩、無防備だから。二人だけ、が気まずすぎる。また先輩が普段通りなのも、なんだか堪える。俺が一人で悶々としているだけ、って痛感させられてしまう。

 出来れば先に寝てしまいたい。でも先輩が部屋に上がらない以上、俺が引っ込むわけにもいかない。寂しい思いをさせたくない、というのは本心だから。

 隣に座っていて、手を伸ばせばすぐにでも触れられる。なのに、触れられない。

 結局怖いんだ、俺は。先輩と暮らし出して八ヶ月くらい、仲良くなってきてはいると思っている。でもそれは、錯覚かもしれない。先輩はこの家で恙無く過ごすため、当たり障り無く対応しているだけかもしれない。

 真実を知るのも、怖い。俺はただ、自分が傷付きたくないだけだ。裏切りたくないとか大切な人だとか、そんなのは後付けでしかない。

 情けない、最低の俺。先輩に触れる権利なんて、そもそもの時点であるわけない。

 まあ、露骨に嫌われてないだけマシだと思おう。

「ね。大喜くん、さ。来年って、どうしたい?」

 間が持たなくなったのか、先輩がポツリと呟く。

 来年、か。 

「インターハイ、出たいです。次こそ、負けたくないです」

 まだまだ、俺は未熟だ。遊佐くん相手に、勝ち目が見えない。イメージさえ、出来ない。それでも、俺は。

「約束、しましたから。先輩と」

 そう、あの日。ミサンガと共に貰ったのは、挑戦する勇気だ。

 情けない俺だけど、その約束だけは違えたくない。

 だからこそ、俺は。先輩が、好きだ。いつだってこの人が、先へ進む熱を灯してくれる。

 千夏先輩の恩に、報いたい。心から、そう思えるんだ。

「そっか。私は今度こそ、全国制覇かな」

 そう言った先輩の瞳には、確かな決意が燃えている。きっと、成し遂げるんだろう。千夏先輩は、敗北も絶望も知っている。知った上でそれを捩じ伏せ、静かに進んでいく。

 憧れすら届かない、嫉妬すら追い付かない。余りにも、遠い光だ。

 それでも、追いかけたい。いつか届く、そう信じて。

「――あと、ね。もうちょっと、器用になりたいな。色々拗らせてばっかりで、さ」

 私ゃ生き方が不器用でね、と微笑む先輩。

 先輩で不器用なら俺はどうなるんだ、と思うけど。でも先輩がこんな感じに弱い面を見せるなんて、珍しいかもしれない。

 多少は気を許してくれている、ということだろうか。

「無理する必要も無いと思いますよ。千夏先輩は、千夏先輩なんですから」 

 どう返せば良いか分からず、曖昧な答えしか出てこないけど。

 ああ、バカって辛い。

「まあ、ね。大喜くんも、大喜くんだからねー……」

 う。呆れられた気がする。

 俺は毎度余計なことばっかりして、無駄に突っ走ってるだけだし。

 全く俺ってバカだな、と息を吐いたその時。

 スマホのアラームが二台分、元気に鳴り響いた。

「あ、零時だね」

「ですね」

 新しい年が始まった事に気づいた俺たちは、顔を見合わせて「明けまして」「おめでとうございます」を交換しあう。

「さて、と。年も改まった事だし、ちょっと良いかな」

「へ。なんです?」

 と尋ね終えるより早く先輩は、俺の手を掴んで。

 そして「不器用なままでも良いって言ったのは、大喜くんだからね」、と断ってから。

「好きです」

 たった一言、そう告げた。

「もっと色々さ、器用に立ち回る気だったけど。もういいや、めんどいし。――じゃ、お休み」

 そのまま隣をすり抜けて。千夏先輩の足音が階段をかけ上がっていくのを、俺は只呆然と聞いていた。

 脳がフリーズから立ち直ったのは、その少し後。

「いや。いやいや。いやいやいやいや」

 何が起きたんだ、今しがた。俺は何を言われたんだ。

 あの四文字だけで、俺の心を焼き払ってしまった。なんだあの人、赤い血流れて無いんじゃないか。色々と、おかしい。有り得ないし、メチャクチャだ。

 明けて数分でこの波乱、今年は一体どうなるんだろう。

「……ダメだ、頭が働かない」

 部屋に上がるともっと気まずくなりそうなので、そのまま身体を横たえる。

 どうしよう、マジで。まだ二人きりの時間は続く、何が起きても不思議じゃない。

 考えても仕方がない事ばかり、頭の中を駆け巡る。そもそもあの魔人相手に、俺が上手く立ち回れるわけがない。先輩に振り回されよう、任せてしまおう。

 意識が睡魔に呑まれていく感覚と共に、俺は思考を放棄した。

 ――良いや、もう。後で考えよう。 

 


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