両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
拙い作品ですが、是非ご覧くださいな。
はっとして目を覚ました。
見覚えのある真っ白な天井が目に映る。
上質な素材を使っているがシンプルな机、椅子。アンティークな小さな棚、そして今いるベッド。
それだけ。
殺風景な、見慣れた自室だ。
「私は…馬車に乗って…それで?アイリスは…?」
覚えていない。どうやって帰ってきたか。
窓を見れば、夜が明けて朝日が昇り始めている。
おもむろに扉を開けると、丁度リリスがノックをするところのようだった。
こんな早朝だというのに、既に着替えて仕事モードの顔だ。
完璧なメイドだと思う一方、一体いつ休息を取っているのかと心配になってくる。
「おはようございます、旦那様。」
「あ、ああ。…」
昨晩何があったのかを聞き出したかったが、いざとなると何て聞けば良いのか分からない。
そのことに気が付いたのだろうか。
新しいからかい要素を見つけたとほくそ笑むリリスがいた。
─いくら完璧なメイドでも、この性格のせいで台無した。
「昨晩のことですねぇ?教えて差し上げますよ。」
にやつきながらリリスはこそこそと話した。
「…アイリスの、肩に?」
「はい!アイリス様の左肩でぐっすりと眠ってらっしゃいましたよ。随分と微笑んでおりましたねぇ。」
(うわぁぁぁぁ…)
これは、やってしまった。
好きでもない男に肩で眠られるなど、嫌で仕方がないはずだ。
私は思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ああ、でも私、アイリス様に伺ったんです。お嫌だったら起こしますけれど、どうなさいますか?って。」
「アイリスは…?何て言ってた?」
絶望と自己嫌悪で沈んだ気持ちだったが、どうにか問う。
「…“嫌ではないわ”と、一言。」
(…!?)
驚いて、リリスの顔を見る。
「本当か!?本当に?嫌ではないと?!」
リリスは取り乱した私を見てくすくすと笑いながら「そうですよ。」と言った。
「その後、旦那様は寝言でアイリス様を呼び捨てにして呼ばれました。」
「は!?」
私は思わず大声を上げた。
でも、隣のアイリスを起こしてしまうかもしれないと、すぐに口を手で塞ぐ。
そして、先程の夢を思い出した。心当たりが存分にある。
(夢の中で私は、彼女の名を…ああ。)
羞恥で体感温度が大幅に上がり、冷や汗も含めた汗をかいてしまった。
「旦那様、一体どんな夢を見ていらしたのですか?」
心当たりを話すと、口に片手を当て、にやにやしながら私にそう問うリリス。もはや悪魔に見える。
でも、私は夢の内容を正直に話した。
辛い日々の中アイリスと初めて会った日を思い出したこと、そして─
「花に囲まれ、純白のドレスを身に纏ったアイリスがいたんだ。最高の笑顔で、名前を呼んでくれて…」
そう告白してから、耳まで赤くなってしまったのが自分でも分かる。
こんな夢を見たことが恥ずかしい。
所謂“穴があれば入りたい”の気持ちだ。
その話を聞いたリリスはらからかい半分、気遣い(だと思う)半分で話した。
「ふふふっ。そのアイリス様のお召し物、ひょっとしたらウェディングドレスかもしれませんね。」
「う、ウェディングドレスっ!?」
夢の中では美しいくらいにしか思わなかったけれど、言われてみればそうだ。
あの真っ白で美しいものドレスは、確かにウェディングドレスを連想させる。
(だとしたら私は、まだ心が打ち解け合っていない女性のウェディングドレス姿を夢で見たってことか?…ああ。)
自分でも分かる、アイリスにとって、さすがに気味が悪いだろう。
まだ好いてもいない男に、こんなことを想像されるなんて。
(自分で思っても気色悪いな…)
でもリリスの表情は、いつものからかう時の笑みから優しさで溢れた笑みに変わった。
「正夢になると良いですね。」
優しいトーンで温かな声色。
珍しく私に気を使ったのか、それとも私の幸せを願ってくれたのか。
そんな優しい笑みを浮かべられると、むしろこちらの調子が狂う。
でも、ありがたい。
(正夢…なれば良いがな。)
「…それより、アイリスはどんな反応をしていた?」
ある程度時間を置いて、小さい声でそう聞いた。
私に名を呼ばれて、どう思ったのだろう。
そもそも、夢の内容は知られていないとしても、いきなり名前で呼ばれて驚いたのは明白だが。
「アイリス様は驚かれて、顔を赤面されていました。旦那様の髪も、少しだけ触られていましたよ。そのうち、アイリス様は肩に旦那様を乗せたまま眠られました。」
リリスがアイリスの部屋の扉を見て微笑んだ。
リリスにくすくすと笑われながらも、私は思わず自分の黒髪に手を伸ばす。
「そ、そうだったのか…」
嫌ではなかった、赤面した、髪に触れた…
彼女は私のことを嫌っていないのか?
なら─
「脈あり…?」
私はかあっと熱くなって、手を伸ばしていた髪をくしゃっと乱した。
想い人がいたとしても、私も慕ってくれるかもしれない。
そんな、淡い期待を抱きながら。
「それより、旦那様。お仕事させて頂きましたよ。」
リリスの顔から急速に笑みが消え去り、その黒髪の後れ毛を耳に掛けた。
冷徹メイドモードだ。
「彼女の5年について、か。」
リリスにはこの一週間、私が出張をしている間に調べものをして貰っていた。
アイリスの、空白の5年間。
閉じ込められて放置されていたとは言っていたらしいが、まだ、事の奥の方を知らない。
「アメリアン家で働いていた中年のメイドに話を聞けました。旦那様から頂いた資金を使って。たっぷり乗せたら快く話してくれましたよ。…気色悪いですが。」
リリスは汚いものを思い出したように顔を歪めた。
軽蔑したことを表すように、その澄んだ茶色の目を細める。
資金を渡しておいて良かった。
勿論、最終的にはメイドにも罪を償って貰うつもりだが、今は情報源だ。
しかし、そこまで金に執着しているとは…確かに気色悪い。
何より愚かだ。
「アイリス様は…アイリス様は、両親に物置小屋で閉じ込められていたそうです。小屋には最低限生活できるものしか置いてなかったそうです。食事は1日1回。メイドが小さな窓からパンやら果物やらを投げ入れたって…。この5年、アイリス様は外にすら出ていなかったのです。忌々しいあの両親とメイドがいたせいで…!」
怒りで身体を震わせながら、そして泣きそうになりながら、リリスは言った。
5年が経って再開した最初の日のことを思い出す。
あの、華奢過ぎる身体。
(害悪め…!)
思わず、壁をドンと叩いた。
壁にぶつけて真っ赤になった私の手を、リリスは包み込むように優しく握り、静かに下ろす。
「…報告、ありがとう。必ず償わせる。」
リリスは腹立たしい気持ちを抑えるようにぎゅっと口を噤み、力強く頷いた。
◇◇◇
(私、何をやっているのかしら?!侯爵家の当主を肩で…だなんて。身の丈に合っていないにも程があるわ。)
恥ずかしい。
私はいつもより朝早く起きたもののベッドの上で悶々としていた。
「アイリス様、おはようございます。失礼致します。」
その時、ノック音と共にリリスの声が聞こえてきた。
「おはよう、リリス。」
リリスは一瞬、私を見て、顔を泣きそうに歪めたがしたが、次見た時はすぐにいつもの優しい微笑みを浮かべていた。
(…?何かしら?)
リリスには隙がない。
いつも完璧で有能なメイド。
その仮面が外れることはない─と思っていたが。
時折感じられるのは、人間味のある表情。
でも、それがまたどういう意味なのかは…まだ分からない。
リリスのことは、まだまだ知らないことだらけだ。
「さぁ、今日は旦那様は休日ですよ。」
「あら、そうなの?」
「はい、出張明けですからね。今日一日だけ休みだそうです。明日も出勤は午後だけのようです。」
(丸一日休み…!?どんな顔で会ったら良いのか分からないわ。)
でも、私はふと思った。
旦那様は熟睡されていたし、私が顔に出さなければ問題ないのではないか、と。
(そうね、向こうは気が付いていないだろうし。平常心、平常心。)
鏡を見ると、手慣れた仕草で私の髪を三編みのハーフアップにするリリスがいた。
丁寧に丁寧に髪をセットして、薄くメイクを施す。
(リリスは私を…馬鹿にしないのね。)
それどころか、あんな両親がいるのに、この城の皆、私に対して優しい。
本当に私は、良い人達に出会った。
「旦那様、おはようございます。」
ダイニングにいる旦那様に、礼をした。
休日だから、私服姿だった。
白いシャツにブラウンのジャケット。
いつもよりはラフな格好で、新鮮さを感じて思わず目がいってしまった。
それにしても、一週間と数日ぶりの旦那様との食事だ。
品の良い料理ばかりだが、更に美味しく感じる。
「そうだ、アイリス嬢。今日は街に出ないか?」
「街…ですか。」
最後に街に出て5年前。
この城に来る道のりでも、ほとんど外を見ていない。
そしてこの城に来て1ヶ月以上は経ったが、外出はしてこなかった。
外に慣れていないから、少しだけ不安だ。
「アイリス嬢、服を買いに行かないか?」
「服を…?」
何故急に?私は服なんて…
(あっ!)
─「アイリス嬢の服は華々しいなと思って。…それが好みなのか?」
─「いえ。これは母が選んだもので、私は…あまり好みではありません。」
─「そうか。好きな服装の系統とかはあるのか?」
─「特にありません。宝石が沢山付いていたり、けばけばしかったりしなければ。」
絶対にこれだ。
(きっと、派手な服を着ているから侯爵家の品格に合わない、と思われたんだわ。)
例え体裁を気にしてのことでも、なんて優しいのだろう。
いつか誰かに聞いた“冷酷無慈悲”の噂は、やはり嘘だ。
こんな優しい人の婚約者が、想い人がいることを告げている人だなんて、彼には本当に申し訳ない。
でも、レオンが常に頭の中にいるのは変わらない。不可抗力でもあるが。
(やっぱり、絶縁した方が良いのかしら。)
そんなことを考えていると。
「どうだ?行かないか?」
様子を窺っていた旦那様がもう一度私に問う。
(でも…少しくらい、甘えても良いわよね。)
あと少しだけ幸せを体感しても…許されるかな。
こんなに優しい人を縛り付けているような感覚に襲われながら、それでも少しだけお世話になりたいと思ってしまった。
「はい。」
旦那様は私の回答を聞いて、満足そうに紅茶を飲んだ。
その優雅で麗しい姿勢や飲み方には感嘆してしまう。
─あれ?
(侯爵家は、デザイナーを家に呼ぶくらいの財産は十分にある筈だけれど。)
私にもっとお金を使ってと言う訳でもないが、その方が旦那様も遥かに楽なのでは…?
◇◇◇
侯爵家の馬車は、アメリアン家の馬車の何倍も乗り心地が良かった。
旦那様の迎えに上がった時も侯爵家の馬車だったが、その時は慌てていたのでよく覚えていない。
窓を覗くと、活気の良い町並みと、美しい緑があった。
─セントポーリア都市。
国内最大の都市であり、首都。
私のいる西部は、中心部と比べては田舎だが、それでも物珍しいものも並ぶ。
外国からの輸入品や見たことのない機械。
好奇心がくすぐられる。
馬車から見える店の品を見ていると、旦那様は「何か欲しいものがあったか?」と聞いてくださった。
確かに私のとっては不思議な商品で溢れていたが、旦那様に服以外の何かに財産を使って頂くなんて、申し訳なさ過ぎる。
「滅相もありません!」
私は慌てて大きな声で言ってしまい、それをまた旦那様はからかうように笑った。
馬車を下りると、大きくて可愛らしいお店が建っていた。
赤茶のレンガで作られ、金色の窓縁が付いた窓からは沢山の布が顔を出す。
「ここは庶民のスペースと貴族のスペースに別れているんだ。沢山の宝石が強調される訳ではなく、美しい生地でデザイン性や技術を重視している。派手ではない服ばかりだ。何より─」
何故か、女性の洋服店について事細かに語る旦那様。
何故そんなにも詳しいのだろう、女性ものの服なんて縁がない筈なのに。
─否。
私は、隣で微笑む旦那様をチラリと見た。
容姿端麗とはまさにこのこと。女性に人気だと言われてもまるで違和感を覚えない。
(…もしかしたら、旦那様にも“そういうお方”がいるのかもしれないわ。)
そう考えると、妙に納得してしまった。
「さぁ、行こう。」
そんな私の思考も露知らず、旦那様は微笑んで私に手を伸ばした。
「か、可愛い…!」
店内で思わずはしゃいでしまった。
今思えばはしたないが、その時の私はそれどころではなかった。
自分でお店に行って、自分の好きなものを買える。
それだけでも十分嬉しいのに、店内には私好みの、清楚系の爽やかな服がずらりと並んでいた。
宝石も所々お洒落に付いているだけで、あくまで服そのものを目立たせている。
肌の露出や大胆なデザインも少なく、全然派手じゃない。
「ご試着はどうなさいますか?」
店員が営業スマイルで問う。
服を試着した後に気に入ったものを選び、そこからデザインやサイズを調整していくそうだ。
本の中の貴族は、デザイナーが1からデザインを考えて作ることが当たり前だったが、今の私には到底出来そうにないので良かった。
(もしかしたら、旦那様が気遣ってくださったのかも?)
「是非!」
珍しく舞い上がった気分で、着々と着替えをしていった。
旦那様に「似合ってる」「可愛い」なんていう感想を貰いながら。
(うぅ、恥ずかしい…私には勿体無さ過ぎる言葉ね。)
「旦那様、何着まで買って良いのですか?」
私は、服をじっくりと見て私に運んできてくれる旦那様に上目遣いで問う。
既に何着か着ている。着たものを買わないのは心苦しい。
「何を言っているんだ。アイリス嬢は立派な未来の侯爵夫人だろう。いくつ買っても構わない。何だったら、ここにある全ての服を買っても誰も咎めない。」
「えっ、えぇ!?」
平然と微笑んで言う旦那様だが、想い人がいる婚約者にそんなことを言うなんて。
(器が大きいにも程があるわ…)
第一、全部だなんて買っても着れない。
「アイリス嬢。時間はたっぷりあるのだから、沢山試着して、良いものを沢山決めよう。」
「そ、そんな、贅沢な!わ、私は2、3着あれば十分です!」
私は首を思い切り横にぶんぶん振るが、旦那様も引かないようだ。
「まぁまぁそう言わずに。贅沢して良いんだ。…今までの分も─」
そこまで言って、旦那様は、口を滑らせたことに気が付いたように口に手を当てた。
“今までの分も”?
旦那様は、私の過去を知っているのだろうか?
だとしたら、一体どうやって調べたのだろう?
調べた理由も分からない。
私はそんなことを疑問に思いながらも、結局、可愛らしいワンピースに手を伸ばした。
「じゃあ、選んだものは全てクロッカス家に。会計はその時で。よろしく。」
結局、私は服をたっぷり買ってしまい、旦那様は自分の服を一切見ずに私の買い物に付き添った形になってしまった。
(何だか申し訳ないわ…)
店頭を出て街にある時計を見ると、午後3時を示していた。
揺れる馬車に乗り、ゆっくりと街並みを味わっていく。
5年ぶりに見た街には、大きな変化はなかった。
変わらぬ姿で、私を待ち続けてくれたように感じた。
閉じこめられている間私が考えることと言えば、街や丘のこと、お婆様やレオンのこと、それだけ。
変わらぬ姿でそこに在る─レオンもそうだったら良かったのに。
なんて、ありもしない希望を抱いてしまった。
ご覧頂きありがとうございました!
次話もご覧頂けると幸いです(*´꒳`*)