両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
シャンパンが入っていたグラスも空になった頃。
「リアン!」
不意に旦那様が呼ばれた─それも、名前で。
声の主は─
「叔母様…!」
旦那様は大きく目を見開き、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑って、“叔母様”に歩み寄った。
「久しぶりね!元気にしてたかしら?」
「はい。叔母様もお元気そうで何よりです」
(旦那様の両親は亡くなられていると聞いていたけれど…良かった、血縁関係者の方はいらっしゃったのね。しかも─)
旦那様と“叔母様”に視線をやると、笑みを浮かべる旦那様と、まるで我が子を見るかのように愛おしそうな目をする“叔母様”。
(…ふふっ、とっても仲睦まじそうね)
1人でほっこりとした気分になっていた私だったが「…ああ、すまない。アイリスがいるのに勝手に盛り上がってしまったね」と旦那様に言われ、自分がまだ彼女に挨拶をしていないことに気が付いた。
「い、いえ…。…お初にお目にかかります、貴婦人。私は、アメリアン子爵家のアイリスと申します」
私は静かに礼をした。
「こちらこそ初めまして!私はリアンの叔母、アメリですわ。貴女がリアンの婚約者ね?」
「は、はい。…未熟者ながら、彼に少しでも相応しい女性となれるよう、日々精進して参ります」
「まあ!」
私がそう答えた瞬間、アメリ様は満面の笑みを浮かべた。
「リアン!アイリスちゃん、とーっても良い子じゃない!それに凄く可愛らしいわ!ふふっ、良かったわね」
“良い子”、“可愛らしい”。
(良かった…認めて下さったんだわ)
両家の合意の上ではあるものの、どうしても身分上、差別的な扱いを受ける場合もあると思っていた。
だから優しく微笑むアメリ様を見て、大きな安堵を抱いた。
そしてアメリ様は朗らかに笑い、旦那様の黒髪を一撫で。
旦那様は「もう、からかわないで下さい…」と恥ずかしそうにするものの満更でもない様子。
─まるで、親子だ。
(…少し、羨ましい気もするけど…)
「…そうだ、リアン。少しお話したいことがあるのだけれど、良いかしら?」
「はい、何でしょう」
そんな私の羨望はよそに、どうやらアメリ様が旦那様に会いに来た最大の目的は“久しぶりに顔を見たかった”でも“婚約者”でもないようで。
「ここでは話しづらいわ…庭園で話しても良いかしら?あまり人には聞かれたくない話だから…」
俯きがちに周囲を見渡し、静かな声で問う。
どうやら本当に話しにくい内容らしい。
「はい、庭園に行くこと自体はもちろん良いのですが…アイリスを同行させてもよろしいですか?」
「…できれば、控えてほしいわ」
アメリ様はその藍色の瞳で私を申し訳なさそうに見つめ、旦那様は私の背中を僅かに押す。
旦那様の心配はありがたいが、ここまで来ると、私が旦那様を必死に引き留めている駄々をこねた子供みたいだ。
「リアン様、私は大丈夫です。お話があるのですから、ここはどうかアメリ様の元へ」
旦那様はそれでも心配そうな瞳で見るから、私は力強く頷いた。
諦めたかのように「…わかった。確かにそうだよな」とため息と共に吐く。
恐らく、他の招待客に肉体的に傷つけられることはないはずだ。
仮にも「侯爵」の称号を持つクロッカス家の配偶者候補そのようなことをしたことが知り渡れば、社交界での生涯はほぼ確実に終えるはず。
(だから…一人でも大丈夫)
「…じゃあ、すぐに戻ってくるから。この場から動かないで、待っていてくれ。」
そう言って庭園に向かいながら、私が見えなくなるまで何度もこちらを見る旦那様。
その気持ちが自分には勿体無いと感じるほど嬉しい。
一人壁際で先ほど取ってきた焼き菓子を食べながら、わずかに微笑んだ。
周りを見渡せば、皆楽しそうに談笑し、美味しそうに食し、笑う。
皆の笑顔の中、ただ一人、私だけは独り。
この状況は以前にも経験したことがある。
その時は孤独感でいっぱいだった─けれど。
(あの時とこんなにも気の持ちようが違うのは、やっぱり、旦那様のおかげなのかしら)
私は穏やかな心情のまま過去を辿った。
◇◇◇
それは、まだ街に降りたこともなかった幼い頃の話。
「パーティー…ですか?」
「ええ、ここから馬車で小一時間のある伯爵家にね。お前も今すぐ準備しなさい」
「ええと…私も同行してもよろしいのでしょうか?」
相変わらずけばけばしく着飾り、きつい香水の匂いを漂わす母に、その時私はまだ母の母性愛を信じていて、何とか自分を好きになってほしくて、できる限り機嫌を伺いながら生きていた私は、躊躇いがちに聞いた。
「私だってお前なんて連れて行きたくないわよ…」
「当たり前じゃない」とでも言いたげな顔だ。
「…でも、今日行く伯爵家の当主は子供が大好きなの。その方は気難しくてね…お前みたいな子供いたら少しは気を良くするかもしれないでしょ?
あの伯爵家、鉱山をたくさん持ってるから、なるべく仲良くなっておきたいのよ…もしかしたら、分けてもらえるかも?」
手で口を隠しにやりと笑う。確かに無類の宝石好きの母にとっては、それは願ってもみない話だっただろう。
…まあ今考えれば、そんな簡単に鉱山がもらえたら苦労しないって話だけど。
「まあお前はそんな痩せっぽっちだし、不細工だし、気味悪いから、気に入ってもらえないかもしれないけど…一応ね?
もし天変地異が起こって気にいられたら、そのまま売り飛ばしてしまいましょうか!」
ぱちっと手を叩き「我ながら名案ね!」と笑う母。
母の顔はある程度整っていて、随分昔にはいろいろな男性を誘惑して家に連れ込んでいたこともあった。
美人…何だろうけど、どうしても昔から、母の顔を好きになることはなく、今となっては嫌悪でいっぱいだ。
─特に、私を蔑んでる時の顔は。
その伯爵家は、もちろん皇宮には比べ物にはならないが、少なくともアメリアン家よりかは広かった。
簡易的ではあったが初めてのパーティー、立派な食事、広い庭園。
胸を躍らせたのと同時に、マナーは何も知らなかったから、たくさんの失敗をした。
特に覚えているのは、食器を片付けようとしたこと。
もちろんありえない行為だし、それに伯爵様も引いていた気がする。
もちろん気に入られることもなく、両親には帰宅後怒られた。
でも何よりその日の出来事で覚えているのは孤独感だった。
誰も私とは話そうとせず、皆見て見ぬふり。
誰かは食を楽しみ、誰かはお酒を嗜み、誰かは踊り、誰もが笑う。
皆、独りじゃない。私を除いて。
そして、私を見てはこう言う。
『可哀想に…』
その嘲笑に耐えきれず、その日はほとんど庭園で過ごし、草木や花を見て楽しんだ。
かなり丁寧に整備されていて、綺麗で鮮やかな薔薇が咲いていたのを覚えている。
それだけだった。
◇◇◇
─「あら?貴女、アメリアン子爵家の方でいらして?」
ふと声をかけられ、過去に浸っていた私は急いで顔を上げる。
視線の先には、華やかなドレスを纏った数人の令嬢たちがいた。
このグループの取り巻きたちは一歩下がり、ある一人の令嬢が前に出てきた。
蔑むような目で私を見て、にやりと笑う。
「せっかくのパーティーなのに、クロッカス侯爵様とはご一緒ではないのですか?」
先ほどまで私はずっと旦那様といた。
きっと、私が一人になったタイミングを狙って嫌味を言いにきたのだろう。
(はぁ…旦那様も時間的にまだ帰ってこないでしょうし…)
「はい、リアン様はご用事で席を外されています。もしかしてリアン様に何かご用事がございましたか?」
心の中でため息を吐く私に、令嬢はまくし立てるように話し続けた。
「あら、そんなに侯爵家の当主様のお名前を軽々しく呼んで…淑女としてのマナーがなっていないのではありませんこと?
一体何を勘違いしてるのかしら、貴女の出生は子爵家ですのよ?…まあ、お似合いなところはあるかもしれませんけど。」
通常異性の婚約者ともなれば、名前もしくは愛称で呼ぶのが一般的であり、それにはマナーも何もない。
だからきっとこの令嬢の言葉の意味は「貴女みたいな人が侯爵家に嫁ぐなんて、全く釣り合っていないわ。なんて卑しいのでしょう。」だろう。
でも別に、私がその言葉で傷ついたわけではない。
身分が釣り合っていないのは客観的に見ても明白だし、それについては同意だ。
でも、次の言葉は何か。
私を貶した後に「お似合いだ」なんて。
この「お似合い」の意味の受け取り方は2つあるだろう。
1つは単純に「貴女と彼の容姿が美しくお似合いだ」というポジティブな意味。
そしてもう1つは、「卑しい貴女と呪われた瞳を持つ侯爵様がお似合いだ」という意味。
─私のことを散々貶しておいて、前者な訳がない。
(旦那様のことを何にも知らないくせに、醜悪な噂は信じ切るなんて…)
齢20前後、恐らく私とほぼ同世代の令嬢。
艶のある髪、透き通るような瞳、整った顔。
そんな顔に負けないほど美しく華やかなドレス。
ここまでの人生を大切に不自由なく過ごしていることはわかる。
軽く受け流すつもりだったけれど─どうも、彼のことを悪く言われては虫唾が走る。
「…しかし、淑女云々をおっしゃる資格は、貴女にあるのでしょうか。」
意を決して力強く問う。
「はぁ!?本当に失礼ですわね!やはり卑しい…ろくに社交界にも出ていないせいかしら?」
彼女は持っていた扇子を力強く畳み憤慨する。
「私は少なくとも、自身のことを名乗りもせずに相手に一方的に話しかける方が淑女だなんて思いません。」
「なっ…」
「貴女はそうは思いませんか?ミラット伯爵家のソフィア様」
「ど、どうして名前を…」
身分の高さゆえ、人に反抗されることに慣れていないらしくそれを言うだけであっという間にたじろいだ。
名前なんて、実際にはただお婆様に教えてもらっただけだけど。
「…さて、私はそろそろここを離れようと思うのですが、よろしいですか?」
動揺している間にそそくさとこの場から離れようとした。
これ以上誰かに絡まれるのはご免だ。
─その時だった。
「いい加減になさい!!」
ソフィア様は私のドレスを鷲掴み、扇子を投げ捨てて手を振りかざす。
その瞬間、私はフラッシュバックのように思い出してしまった。
『うるさいわね!黙ってなさい!!』
幼い時に掛けられた言葉と、頬を叩く母親の手の平。
(あっ…あぁ…)
動けない。
こんなの避けれるはずなのに。
平手打ちを避けて、ドレスを掴まれている手を振り払う。
頭ではわかるのに。
自分が何とも情けない。
完全に硬直した私は、諦めて目を瞑り、叩かれるまで待つ。
─(あれ…?)
しかし、いつまで待っても平手打ちは来ない。
思わず目を開けると─私を叩こうとしていたソフィア様の腕が、ある人に掴まれていた。
艶のある桃色の髪、ルビーのような瞳、そんな可愛らしい顔立ちとは対照的に冷血そうな冷たい表情をする令嬢。
お婆さまが教えてくれた記憶を辿ると、確かにそんな特徴を持った令嬢がいた。
彼女は確か─「この国唯一の大公爵家のご令嬢、ラスティル・ミリア・アシェット」
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