両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
「なっ、何!?邪魔しないで頂戴…って─」
ソフィア様は激しく憤慨し、自分の腕を掴む人物へと視線を向け、凍り付いた。
隣に立っていたのは、可愛らしい顔立ちとは対照的に氷のように冷たい表情をするラスティル様だったから。
大公爵の地位を持つ家門は、この国でただ一つ、アシェット家しかいない。
数々の事業を成功させて莫大な資産を得ている上、皇族が政策についての意見を聞くほど知見も信用も深い。
そんな家で生まれた彼女は、「笑顔を見せた事がない」と言われるほど冷血だと囁かれるものの誰もが認めるほどの才色兼備らしい。
そして、現皇太子と婚約関係にある。
─そんな彼女に歯向かえる人間が、この国に一体何人いるのだろうか。
「ら、ラスティル様…」
彼女を見た途端、ソフィア様はカタカタと震え怯えた。
ラスティル様は無表情のまま、振り落とすかのように乱暴にソフィア様の手を離した。
「貴女、ここが皇宮だということはお分かりで?
自分の感情すらもをコントロールできないような卑しい醜女が、
どうしてこのような厳粛な場所にいられるのか、不思議でしょうがないわ。
見ていて不愉快極まりない。」
そう、吐き捨てるように言う。
「い、卑しい…醜女…」
ソフィア様は衝撃を受けたかのようにぶるぶると震えながらこちらを睨んだ。
先ほどまで私に思っていたことが自分に返され、悔しく感じたのだろうか。
(私の知ったことではないけれど…)
それでもなおここに留まるソフィア様だったが
「早く立ち去りなさい。」
というラスティル様の言葉で、取り巻きを含めそそくさとこの場を離れていった。
ここに残ったのは、ラスティル様と私だけ。
少しの沈黙の後、ラスティル様は「少し、人気がないところに行きましょう。」とだけ言って、私の手を引いて歩いてしまった。
確かに人が集まりかけてきたところではあったが─
(“話す”って何を…)
先ほどのソフィア様に比べ、何を考えているのかも読めない。
その凛々しい横顔に目を向けながら、早歩きで移動する。
結局私たちが足を止めたのは、件の場所から遠く離れた廊下だった。
「…あの、ラスティル様。」
「何かしら。」
その返事の声は、先ほどとは驚くほど異なり、柔らかく温かい声だった。
「申し遅れました、私、アメリアン子爵家のアイリスと申します。
助けて頂きありがとうござました。
ラスティル様は助けたつもりはないかもしれませんが…それでも、感謝申し上げます。」
深々と礼をする。
彼女がいなければあのまま叩かれていただろうし、叩かれていなくてもあの場を乗り切るのは難しかっただろう。
例えば私が「ミラット伯爵家に暴行未遂を受けた」と話したとて、いくら「侯爵家の配偶者候補」であっても、実家の身分も低く社交界にほとんど顔を出したことのないような私が勝てるわけもなく、あっという間に揉み消され、もっと酷い行為をされたかもしてない。
それは旦那様の弱点にだってなり得る。
でも私はそこまでのことを瞬時に考えずに、相手を刺激するような軽率な行動を取ってしまった。
(…ある意味で、淑女失格なのかもしれないわ…)
しかし、ラスティル様が助けたことで状況は一変した。
皇族の次に地位の高い大公爵のアシェット家に「卑しいと吐き捨てられた者」と「助けられた者」ならば、世論が傾くのはどっちだろう。
ソフィア様の暴行未遂も相まって、あっという間に彼女の地位は墜ちてしまうだろう。
確かミラット家は衣服の装飾品の事業をしている。
不買運動か何かが起こる可能性もなきにしもあらずだ。
それだけラスティル様─そしてアシェット家が、強力な影響力を持っているということだ。
私はしばらく辞儀をしたままだったが、彼女の反応がなかったのでゆっくりと顔を上げた。
目が合うと彼女は「…礼には及ばないわ。」とそっぽを向いた。
「普段の私なら、ああいう面倒ごとは無視していたわ。騒ぎは嫌いだから。
…でも、自分より高貴な人に罵倒されても何も言えない人がほとんどだというのに、貴女は思い切り言い返していた。
そういう真っ直ぐな人が、どうしても好きで、守ってあげたかった…そんな、ただの自己満足よ。」
言い終わると、彼女は静かに私の方を向いた。
「えっ…」
「貴女みたいな人、私は好きよ。」
彼女─「笑顔を見せた事がない」と言われるほど冷血だと囁かれるこのご令嬢は、清廉で美しい笑みを溢していた。
「…ラスティル様は、こんなにも素敵な笑顔をお持ちなのですね。」
釣られてこちらが笑ってしまうような、天使の笑み。
どうしてこのような笑みを持っているのにも関わらず、冷血だなんて噂が流れるのだろう。
でも彼女は私の言葉を聞くと身体をピクリと動かし、驚いたように目を見開いた。
「私の笑みが…分かるの?」
声を震わせ、先ほどの威勢はどこへいったのか、か細く聞いた。
「…?…ええ、だってあんなに素敵に笑ってらっしゃったではないですか。」
何を当たり前のことを、とすら言いたい。
なのに、彼女は目を見開いたまま硬直してしまった。
まるで、信じられないものを見たかのように。
とうとう彼女は、一筋、細い涙を流してしまった。
窓から差し込む月の光は涙に反射し、劇のワンシーンのような瞬間。
それはそれは清らかで麗しいものだったが、今の私にはどうして泣いているのか分からず、それどころではなかった。
何か悪いことをしただろうか、何か気に触ることでも─
(いえ…違うわ。)
私は昔から人の感情を察する事が得意らしい。
些細な言動を見逃さず、そしてその観察力で得た情報をこれまた得意な“記憶”で覚える。
私自身特に意識はしていなかったが、街の人にもお婆様にも、レオンにも言われてしまったため、さすがに自覚した。
観察力が長けている理由はきっと─皮肉にもあの両親のおかげだろう。
物心ついた瞬間から彼らの顔色を伺って生きてきたから。
この涙の意味もきっと、両親に彼らを持たなければわからなかっただろう。
(これは哀愁ではなく…喜び、感動…?)
「…失礼します。もし不快になられましたら、すぐにおっしゃってくださいね。」
啜り泣きが響く廊下に静かに呟き、そっと彼女の背を撫でた。
私より背が高く、とても細いウェスト。
深い紫色の華々しいドレスに身を包む彼女は、先ほどまではとても勇敢で逞しい女性に見えていた。
でも今はどうしても─泣きじゃくるか弱き少女のようにしか見えなかった。
◇◇◇
「ごめんなさい、取り乱してしまって。」
落ち着きを取り戻したラスティル様はそう言って頭を下げた。
「頭をお上げください。私は全く気にしておりません。」
私なんかに頭を下げるなんて、勿体無くて仕方がない。
─「…私は、噂にもある通り、誰にも笑わない人…いえ、“誰からも笑顔を認知されない人”だったの。」
数分の沈黙が続き、そろそろお暇してもいいか聞こうとした時、彼女は突然口を開いた。
そう言った彼女の表情はこちらの胸が痛くなるほど何とも悲しそうで、思わず躊躇いがちに距離を縮めた。
「昔からそうだったわ。私は感情が表情に現れづらいみたいね。
殿下─婚約者や家族ですら、私の笑みには気付かないみたい。」
─諦めて見切りをつけたような、それでもやっぱり寂しげな、そんな風な泣き笑いだった。
アシェット家は家族仲が良いとどこかで聞いたことがある。
現公爵─彼女の父親も、母親も、子供たちにはよく尽くしていたらしい。
どんなに多忙でも一日一食はを共に過ごすし、季節が変わるごとにはるか遠くへ家族旅行に赴き、服飾や学費にもこれでもかとお金を注ぎ込む。
一緒にいる時間が長ければ幸せ、お金が多ければ幸せ、とは決して思わないけれど、この話をどこかで聞いた時に自分が羨望を抱いたことは確かだった。
才色兼備だと持て囃されて、お金にも不自由ない生活で、家族愛にも恵まれている。
そんな彼女にすら、長年の辛さ、苦しさ、葛藤があったのだろうか。
「…でも、貴女は気付いてくれた。“私”に。」
それは本当に嬉しそうで、輝くような笑みで、だからこそ─申し訳ない。
私は世間の評価やお婆様の情報に流されて、自分の目で確かめようとしていなかった。
結局は私も、旦那様の噂を信じ拡散した者と同じということだ。
そんな私に感謝されるほどの価値は─
「…だからね、私は貴女に、話し相手になってほしいの。」
「えっ…?」
にわかに照れながら、彼女はそう続けた。
「クロッカス家はアシェット家と同じ皇帝派で、関係も…まあ良好だと言えると思うの。
だから少しくらいお茶をしても問題ないでしょうし、むしろそういった繋がりが政治的に必要になる場合もあるくらいでしょう。
だから…貴女さえ良かったら…」
「…それは、友達、ということですか?」
恥ずかしがって下を向いている彼女にそう問うた。
“友達”というのは、レオンとの出会い以降実に数年ぶりに出した単語で、18歳にもなる私が声に出すには、少しだけ羞恥のある響きだった。
それは3つ年上の彼女にも当然言えることだろう。
「そ、そう…いうことに、なるのかしら…そう。」
しどろもどろの返事は、少し赤面しながらもやっぱり嬉しそうだった。
「…やっぱり話し掛けて良かったわ。勇敢で眩しい貴女に、ね。」
(“勇敢で眩しい”…?)
この、私が?
「…私の出自を知っても、ですか?」
その質問に、彼女はピクッと眉を動かした。
少し、いやだいぶ、意地の悪い質問だったかもしれない。
変えることもできなければ擁護しようにも出来ない私の過去は、あまりにも意地悪だ。
─それでも彼女は、笑ってくれた。
「ええ。私は貴女の世論がどんなものでも、出自がどこでも、自分が見たことだけを信じるわ。
…そして、“私”を見つけてくれてありがとう、アイリス。」
その瞳は、真っ直ぐで、揺るぎないもの。
“本当に眩しいのは貴女です”
そう言いたかったけれど、どうせ信じてもらえなさそうだったので、そっと口を噤んだ。
「恐れ多いですが、“友達”、私こそよろしくお願い致します。」
彼女は顔をぱぁっと輝かせて手を差し出し、私は静かに手を重ねた。
それはまるで、契りのような握手だった。
証人はたった2人だけれど。