両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
さて、午後8時に始まる毎年建国記念日に行われる儀式と宴では、皇族とその配偶者並びに婚約者も前に立つらしい。
つまり、彼女もそこに行かなければいけないということ。
現在時刻は午後6時を過ぎており、そろそろ準備をするのだと意気込んでいた。
「アイリスもそろそろ戻った方が良いわよ。
騒ぎも落ち着いているでしょうし、何より侯爵様が心配でいらっしゃるかも。」
侯爵様というのは、それはつまり旦那様のことで─
(そういえば、旦那様と離れてからかなり経ってるわね。)
─「ここから動かないで、待っていてくれ。」
そこで私はやっと、旦那様が言っていた言葉を思い出した。
「あっ…!」
(どうしよう、動かないでとおっしゃっていたのに、ホールからこんなに遠くに…!)
「リアン様が、“この場を動くな”とおっしゃっていたのを忘れていました…!
ど、どうしましょう、すぐ戻るともおっしゃっていたので、もしかしたら探していらっしゃるかもしれません!」
旦那様と別れてから時間は1時間近く経っている。
とっくのとうにメアリ様との話し合いは終わっていてもおかしくない。
(何で忘れていたんだろう…今頃旦那様はどこに…)
「大丈夫よ、落ち着いて。
皇宮も広いとはいえ招待客が入れるスペースは限られているし、きっとすぐに会えるわよ。」
ラスティル様は私を宥めてから「少し待ってて」と数分ここを離れ、1人の侍女を連れて帰ってきた。
「私の専属の侍女よ。1人だと心細いと思うし、この子と一緒に探しに行ったらどうかしら。」
(自分専属の侍女を、私に…)
本来自分専属の侍女というものは、絶対に手放すことはない。
一番自分と相性が良いのも一番信頼度が高いのも、専属の侍女だから。
そんな人材を私に寄越すというのは、それだけ私に心を許しているという証なのかもしれない。
「また、会いましょうね。
今日はもうお互い忙しくて会えないかもしれないけれど、今度お茶でも誘うわ。」
別れ際、彼女は名残り惜しそうにそんなことを約束してくれた。
「はい…っ!」
彼女の侍女─リノは、かなり気さくな人だった。
ホールに着くまで沢山の話を聞かせてくれたが、1番印象に残ったのは─
「実はですね…お嬢様、幼少期からずっとぬいぐるみと一緒に寝てるんですよっ!」
「どうですかうちのお嬢様。可愛くないですか!?」と言わんばかりのきらきらした顔で、恐らく大事に隠しておいた方がいい情報を話した。
「…話してしまって、大丈夫なのですか?」
躊躇いがちに聞くと「大丈夫ですよ!…バレなければ。」と悪戯な顔で笑う。
「…ふふっ」
そんな笑みに釣られ、思わず私も笑ってしまった。
(ラスティル様は愛されているお方なんだわ。
たとえ笑顔が認知されなくても、きっとそのお人柄が伝わっていたのね。)
良かった、と心の底から安堵した。
その表情のせいでもし距離を置かれていたのなら。
そんなことは考えたくもない。
「アイリス様。もうそろそろホールに着きますが、どこにいるかの目星はございますか?」
旦那様と別れた場所は、旦那様とお茶をしたテラスの近くだった。
「多分…あの辺りに─」
ホールに足を踏み入れ、テラスに指を差してそう言った時。
「アイリスっ!!」
聞き馴染みのある声質、でも、焦りが伝わる声。
「り、リアン様…」
振り向けば、セットした髪も乱れ、しかし酷く安堵した旦那様がいた。
そんな彼に、勢いのまま強く抱擁される。
「どこに行っていたんだ…何かあったのか?怪我はないか?」
抱きしめたまま、赤子を宥めるように背中をさする。
割れ物を扱うかのように、私に触れる手は柔らかく優しかった。
「も、申し訳ございません。少し騒動があって、ここを大公爵令嬢と共に離れていました…」
「騒動…?まさか、アイリスにとっついた輩がいたのか?誰だ、何をされた?
それに大公爵令嬢と?何か言われたのか?脅されたのか?」
怒りを露わにして私を更に強く抱擁する旦那様はどうも…
(何だろう…?)
過保護、そんな言葉が合うかもしれない。
決して彼の優しさを無下にするわけではないが、何だかいつもより更に焦燥感があるような。
「脅されるだなんてとんでもない。優しくして頂きました。
…ここでは人目がありますから、他の場所に移動しませんか?」
少し強引に身体を引き離し、控えめに促す。
「…あ、ああ。」
渋々、といった形で旦那様も距離を取ってくれた。
「リノさん、お世話になりました。ラスティル様にもお礼をお伝えください。」
唐突に話し掛けられた彼女は、気が抜けていたのかびくっと身体を動かし「はい、承知しました!」と微笑んだ。
そして早歩きで廊下を進み、はねたショートカットの明るい茶髪を揺らしながらラスティル様の元へと帰っていく。
その可愛らしい姿に、何だか和んでしまった。
◇◇◇
ホールから少し離れたところで、歩いていた足を止め、アイリスに事の真相を聞いた。
ミラット家の令嬢が言ったこと、アシェット家の令嬢が助けてくれたこと、そして彼女と親しくなったこと、その全てを。
「そのような暴言を放った挙句に暴力…?ふざけるのも大概に…」
─どうしてこう、上手くいかないのだろう。
少し離れるくらいなら大丈夫、そんな甘い考えをした自分にすら憤慨を感じる。
叔母様との話は、一言で言ってしまえば今後のクロッカス家の方針だった。
それは確かにかなり大事な内容で、アイリスが聞いていいのかも分からない。
でもせめて、庭園に一緒に行くくらいはしてもよかったのではないだろうか。
私はどれだけ過ちを犯すのだろう。
どうして彼女ばかりこんな目に遭うのだろう。
(…なのに、貴女ときたら。)
「旦那様…良いんです、事実ですから。」
諦めのような笑みを浮かべ、まるで少しも傷ついていないかのよう。
…否、本当に傷ついていないのかもしれない。
(何でだ…何なんだよ…)
「アイリス、何でそんなことを言う?」
「…え?」
いつの間にか、そんな言葉を口にしていた。
一度口にするとそれはどんどん溢れてきてしまう。
「どうしてそんなに自尊心がないんだ?」
理由なんて、彼女の家族を見れば一目瞭然だ。
アイリスは何も悪くない。
なのに。
「人にそんなことを言われて、辛くないのか?心が痛くないのか?」
「し、しかし…身分は変え難いものですし、客観視しても釣り合わないのは明白です。」
しどろもどろしながらもまだそんなことを言う彼女に、やつ当たりに近い苛立ちすら覚えてしまう。
「そんなことを言っているのではない。何も感じないのか?
私が罵倒された時に庇ってくれたのは嬉しい。でも、自分に関しては何も思わないのか?」
「そ、それは…」
それでもなお煮え切らない返答をする彼女。
─かつてアイリスに救われた自分も、初めはこんな感じだったのだろうか。
生きることに諦めを感じていた幼少期。
彼女には救ってもらったのに…私は。
「淑女とは、自分に誉れや誇りといった類のプライドを持っているものだ。
そして私はそれを持ちすぎた人間は好ましく思えない。
…でも、全く持たないのも話が違う。」
違う、こんな言い方をしたいわけでは。
責めたい訳では無いのに。
「どうして自分をもっと大切にできないんだ。
罵倒されたら心が苦しくなっていい、暴力を振るわれそうになったら泣いてもいいんだ。
なのに貴女は…」
彼女にとってそれはできないこと。
そんなの分かりきっていることだし、それを責めるのは違う。
なのにどうして、言い方しかできないのだろう。
こんな、棘のある言い方。
「…も、申し訳、ありません…」
ついに、彼女は謝罪と共に─一粒の涙をこぼしてしまった。
丘の上で過ごした日々でも、現在の婚約者としての生活でも、泣いたところはほどんど見せなかったのに。
(私が、泣かしてしまった…?)
彼女はその小さい身体を酷く震えさせながら、ひたすらに謝った。
─こんなに、小さい身体だっただろうか。
美しいと思っていた彼女の藍のドレスも、今では着尽くされた古着のように頼りなく見える。
(…私は何をしているのだろう。)
今まで人一倍傷ついてきた彼女を、決してこれ以上傷つけてはいけなかったのに。
掛ける言葉が見つからなくて、否、言葉を掛けていいのかすらも分からなくて、ただただその場に立ち尽くした。
◇◇◇
「…少し、庭園を回ってきます。
建国記念の宴の時刻にも近いですし、ほとんどの人がホールにいると思うので、ご心配いりません。」
この場の空気に耐えられず、私は旦那様にそう伝えて皇宮を出た。
─わかってる、これは自分が悪い。
自尊心なんて、はるか昔にどこかに置いてきてしまった。
そんなものを持っているところで、余計現実を辛く感じ、苦しむだけだから。
皇宮の夜の庭園は、驚くほど綺麗だった。
庭園は隅々まで整備されていた。
一輪たりとも花壇からはみ出さず、また、虫に食われるなどもなく状態は完璧だ。
そして、初夏ということもあり、蛍が宙を飛び交う。
幻想的で美しい─のだろう。
どうしてだろう。
この庭園に比べ、ほとんど手入れもされていない“あの丘”の方が美しく感じるのは。
─その時だった。
「レディ、そろそろ宴が始まるよ。行かなくていいの?」
真後ろから、男性の声がした。
(どうして、ここに人が…)
振り返ると、1人の、月のように光る金髪に深い紫の瞳を持つ男性が立っていた。
人とは思えぬ美しい容姿。
それなのに愛らしく人懐っこい笑みを浮かべる彼には、きっと老若男女誰でも好感を抱いてしまうのだろう。
「私はただ、庭園を眺めていただけです。
…私がいることでご迷惑をかけてしまうようでしたら、おっしゃってください。」
「迷惑だなんてまさか。僕はただ、美しいご令嬢がいたから声を掛けただけ。
大体、貴女みたいな綺麗な人と一緒にいたくない男なんて、いないでしょ?」
ね?とおちゃらけたように笑い、私との距離を詰め、そっと私の手を取った。
「…勿体ないお言葉を頂戴し、感謝申し上げます。」
「えぇー?そんな他人みたいな言い回し…
もっとフランクに話そうよ。」
拗ねたように口を尖らせるその姿は、愛らしさそのもの。
きっと今まで、本当に色々な人に好感を持たれたことだろう。
(金髪に紫の瞳、誰にでも好かれるような人懐っこい性格…
彼が誰なのか心当たりはあるけれど、確証を持てな…)
その時、彼のペンダントのアメジストが月の光に反射され輝き、そのアメジストの奥底にある刻印が見えた。
(…どうやら、正解だったみたい。)
私は今一度姿勢を正し、できるだけ美しくなるよう心がけて辞儀をした。
「トラッシュ王国の王太子殿下に拝謁致します。アメリアン子爵家のアイリスと申します。
ご挨拶が遅れてしまいましたこと、謝罪申し上げます。」
再掲の件、申し訳ありません…!
では、どうかお身体にお気を付けて、良いお年を。