両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
まだたったの2話しか出していませんが、今後ともこの作品をお楽しみ頂けますと幸いです(*´꒳`*)
遂に、馬車が止まった。
重厚感がある白亜の城。
(ここは…あの丘から見えるお城…!)
あの丘、という単語だけで、温かな思い出が胸に蘇った。
(もしかしたら、窓からあの丘が見えるかもしれないわ…)
少しだけ、ほんの少しだけだけど、胸が軽くなった。
そんな城へと、足を踏み入れる。
白い壁に映える鮮やかなステンドグラスの窓。
広い玄関は細かくて美しい装飾がされていて。
玄関から見える廊下には、高級品ばかりだけれど落ち着きのある骨董品。
豪華さより上品さが目立つ城だった。
中央の大きな階段には使用人達がずらりと2列で並び、一番前にはこの家の主であり私の婚約者の“彼”がいた。
(彼が噂の…確かに美形ね。)
高身長かつ女性的な美しさや儚さも兼ね備え、整った、いや、整い過ぎた顔。
目の色は─
(青みがかった、黒色…?)
まるでレオンのような─
(いやいや、何を考えているの。そんな筈…そんな筈はないわ。
だって彼は、粗末な服を纏っていて…きっと平民だもの。
貴族…それも侯爵な訳がない。)
「アイリス嬢。クロッカス侯爵家のリアンだ。
これから、どうぞよろしく。」
ふんわりと微笑み、透き通った声で挨拶をし、綺麗な辞儀をする。
その美しい笑みに、一体何を隠しているのだろう。
戦略?憎悪?
自分でそう考えてから、ぞっとした。
いっそのこと、最初から冷たい方が良い。
そちらの方が混乱しないだろう。
(使用人の前だから、人当たりの良い笑みを見せているのかも…)
なら、私も。
この日の為に母が贈ってきた豪華なドレスの端を掴んで、礼をする。
「アメリアン子爵家のアイリスと申します。よろしくお願い致します、侯爵様。」
慣れないシチュエーションだ。
愛想笑いで礼をすることなんて、私は貴族との交流も無いから、中々無かった。
ぎごちない微笑みになってないことを願う。
笑うことなんてもう何年も─
(私が最後に心から笑ったのは…レオンと最後に会った5年前かしら。虚しい人生ね…)
「そこまで遠くないとはいえ、馬車に乗り続けるのは疲れただろう。
こちらの侍女に部屋を案内させるから、今日はのんびりしてくれ。」
紹介された侍女は、リリスと言った。
「よろしくお願い致します、アイリス様。」
緩いカーブが掛かった黒髪を一本結びした触覚ヘア。
整った顔立ちと澄んだ茶色の目。
清潔感のある可愛らしくて美しいメイドだった。
(うちの家にいるメイドとは大違い…)
アメリアン家にいた唯一のメイドは、中年で太っていて、私の世話なんてしない。
隙あれば私の自作の服を盗んで売ろうとするような、お金のことしか考えていない醜い人だった。
(ここが…私の部屋。)
思った数倍広かった。
ベッドもソファーもあって、大きい窓や大きい机もあって。
アンティークな家具が多く、私の好みの部屋だった。
「アイリス様、どうなさいましたか?」
「いや…あ、何でもないわ。」
しばらく驚いて固まっていると、侍女に心配された。
私の両親のことは有名だから知っている筈なのに、それでもこうやって普通に接してくれる。
例え裏でどんなに陰口を叩いていたとしても、私にはそれが嬉しかった。
「アイリス様、これからどうなさいますか?」
そう聞かれ「部屋で1人にさせて」と答えそうになったが、窓から見えた美しい庭園が気になった。
気分転換には良いかもしれない。
今日はいつもより沢山アメリアン家のことを思い出してしまったから。
クロッカス侯爵は「のんびりして良い」とおっしゃっていたから、庭園でのんびりしても良い筈。
「…庭園。庭園に行っても良いかしら?」
「勿論です。行きましょう。」
人当たりの良いにっこりとした笑顔でそう返してくれた。
(やっぱり優しい…)
“優しい”
その言葉でまた、私は“彼”を思い出す。
頭の中で1日に何度も何度もちらつく、5年前で時が止まったレオンの笑顔。
私は今日までに、忘れようとしていた。いくらなんでも、婚約者の前で他の異性を思い出すのは良くないから。
でも、ずっとずっと心の支えになっていた大切な人をいきなり忘れるなんて、無理だった。
婚約者が出来たというのに。
思ったより、自分は不誠実だ。
いっそのこと、レオンのことを告白してしまおうか。
追い出されたとしても、“ごく普通の町娘”となってどこか遠い町に住めば良い。
平民として街で暮らす。
昔の経験を活かして服を作ってみたり、料理を作ってみたりして働き、いつしか普通の男性と結婚して、幸せな家庭を。
勿論、その暮らしも楽なことばかりではないだろう。
でも…今よりかは良いかもしれない。何より楽しそうだ。
いっそのこと、この城を追い出されて全てを忘れるのも、ありかもしれない。
◇◇◇
そこには、沢山の花々が広がっていた。ユリやチューリップ、バラにミモザ。
春らしい植物が生き生きと咲いていた。管理がしっかりしていることが分かる。
(ん?これは…)
「アイリス…?」
そこには、白や紫、青のアイリスの花があった。
思わずそう呟くと、隣にいたリリスが反応する。
「よくご存知ですね、アイリス様!実はこれ、旦那様がお選びになったんです。」
「侯爵様が…?」
「はい!特に白色のアイリスは旦那様のお気に入りで。
ほら、沢山あるでしょう?」
周りを見渡すと、確かに白色のアイリスを初めとして沢山のアイリスがあった。
(侯爵様はロマンチストなのかしら。ここまで良くしてくれることを考えると…もしかしたら、そこまで拒絶されてないのかも。)
クロッカス侯爵の心の内は知らないが、少なくとも根っから拒絶はされていないだろう。
─否、違う。
もしかしたらこうして安心させるのが作戦なのかもしれない。
思惑は分からないが、この後に何かしらをしようとして。
私は思わず嘆息した。
何を信じたら良いのか分からないから。
それにしても。
クロッカス侯爵の話をしてから何故かうきうきしているように見えるリリスの方が気になる。
(主人思いなのかしら。…どちらにせよ、良い方なのかも。)
リリスのそれが演技ではないことをただただ願う。
その時。
「アイリス様、旦那様がいらっしゃいます!」
「え…?」
何故か嬉々としながら、リリスは言った。
後ろを振り返ると、確かに彼が私に向かって静かに歩いていた。
私が彼に気付いたことが分かると、微笑んで。
(一体何の用…?庭園に私がいることが気に食わないのかしら。)
「侯爵様。何でしょうか。」
警戒を心剥き出しにしないように取り繕う。
「いや、偶然見つけたから。」
答えは意外なものだった。
胸の内に何かを秘めているのではないかと疑ったが、その自然な顔を見る限り本心なのだろう。
「そうですか。」
「美しい庭園だろう。」
「はい。」
そんな、どこかぎこちない会話をして、しばらく沈黙が流れた。
隣をちらりと見るが、庭園を見渡していて微塵も動こうとしない。
(侯爵様は何のつもりだろう…でも、“あのこと”を話すのは今しかない、か。)
「侯爵様。話しておきたいことがあります。気分は害されるでしょうけれど、それでも。」
驚いたように私を見ながら「何だ?」と聞いた。
クロッカス侯爵についている侍女とリリスには離れてもらった。
とてもじゃないけど、使用人達には聞かせられない。
(話すなら、今しかない。なるべく早い内でないと…)
「侯爵様。」
少しだけ息を吸って、告白した。
「正直に申し上げます。私には想い人がいるのです。」
(言ってしまった…)
でも、私が好きなのはレオン。それはずっと変わらない。
そして、これを隠すのは不誠実で。
言いたいことを言えたすっきり感と申し訳なさで身体が満たされた。
「は…?」
クロッカス侯爵は怒るというより驚愕の表情だった。
でも、それでも、私は続けた。
両親の前でも正直に過ごせない日々。
…いい加減、素直になりたい。
「勿論、不貞を働くつもりはありません。
でも、この結婚は私達の意図ではありません。
公の場でのみ親しくすれば、お互い問題はない…むしろお互い良い筈です。
それに…この告白は、少しでも自分の不誠実さを減らしたかったからでもあります。
自己満足かもしれませんが、知っておいて欲しかった。申し訳ありません。」
それが、今思うことの全てだった。
私の気持ちが別の人にあることを伝えておきたかった。
そこまで不誠実にはいられないのだ。
でも、この気持ちも十分不誠実。
これで向こうが私を追い出しても構わない。
「…いや、お、想い人…?」
困惑しているのだろうか。
顎に手を当て、何かを必死に考えているような雰囲気を醸し出していた。
クロッカス侯爵もあの外見だから、愛人の1人や2人いそうなのに。
それとも、ただ単に従順な妻が欲しかっただけなのか。
それなら申し訳ないが。
「はい。追い出して頂いても構いません。」
私は平常心を保ちながら、静かに告げた。
「お、追い出す!?そんなことはしないっ!」
でもクロッカス侯爵は、慌てて否定してくれた。
1人の女性の人生を、婚約で一瞬だけでも縛ってしまった責任感からだろうか。
どちらにせよ、良い方なのかもしれない。
だったら尚更…私はいなくなった方が良い。
「…失礼します。」
私はそう言って、静かに彼を庭園に置いて去った。
1度だけ、振り返ってみた。
彼はそれでも棒立ちで、呆然としていたのだった。
「リリス、今日はもう横になるわ。今日1日ありがとう。」
丸一日お世話をしてくれたリリスに、感謝を伝える。
まさか、こんなに良い待遇を受けられるなんて。
「いいえ!滅相もない。当たり前のことをしたまでです。」
「そうなの?アメリアン家のメイドはこんなに優しくなかったわ…あっ、いえ。何でもないの。お休みなさい。」
パタン、とドアが閉まった。
無機質な音に聞こえてしまうのは、きっと今の自分の心が複雑だから。
(まさかあんなに驚愕するなんて…)
静かに窓を見ながらぼんやりと思った。
「…あっ」
遠くの方に目をやると、そこには─
「あの丘だ…」
まさか私室から見えるとは。
(やっぱり、レオンに会いたいな…)
今は何をしているんだろう。
彼と過ごした3年間は格別だった。
それがもう、5年も会っていない。
両親が丘へ行くのを禁じた前日。
彼は毎日来ていたのに、その日だけは来なかった。
そこから5年も経つ。
ちゃんと良い人に出会って、お世話をしてもらって、容姿端麗に育ったら、可愛らしい女性と結婚─
胸がちくっと痛くなった。
これは、どうしようもないのに。
◇◇◇
仕事の書類を机に散らかしながら、彼女のことを考えていた。
(アイリス…)
何があったんだろう。
“あの丘”で会って5年もの年月が流れたが、その間に何があったのだろう。
久しぶりに会った彼女は、5年前よりも更に美しく可愛らしくなっていた。
私のこの目を綺麗だと言ってくれた、明るい金髪でエメラルドグリーンの目の、天使。
なのにどうしてだろう。
あの疲弊している顔は。何故一度も笑ってくれない?
そして─
(想い人って何だ?アイリス…)
この5年で好きな人ができたのか。
私はこの5年、君を迎え入れる準備でいっぱいいっぱいだったのに。
胸がちくっと痛くなった。
でも、私が優先するべきなのはこんな恋心ではない。
彼女の、アイリスの、心を閉ざした理由だ。
まるで幼い頃の私を見ているようだった。
無機質な声で、暗い瞳。
でも私は、身分がバレるのを恐れ“レオン”という名前の少年になって、彼女に救われた。
(今度は、私が助けなければ。)
辛くて苦しかった少年時代の光は、アイリスだった。
恋心は全て秘めて、彼女を救おう。
─コンコン
不意に、ドアのノック音がした。
「旦那様。」
その声の主は、アイリスの侍女、リリス。
「何かあったのか?」
「いいえ。しかし、ご報告がございます。」
─リリス。
彼女は侍女としては超が付く程の一流だった。
数年前は王宮で働いていたが、家から遠いから、という理由で辞めた。
王宮で働くのは大変名誉なことだ。
それをそんな理由で辞退してしまうのは、もったいないにも程がある。
腕前は十分、メイドとしては完璧。
だけど少しマイペースで、お金や名誉に興味はない。
そんな人物だ。
「報告…?」
「はい。
私は本日、普通の侍女と変わらずにアイリス様をお世話させて頂きました。
庭園を案内したり、部屋でアイリス様の身支度をしたり。
けれど、アイリス様がおっしゃっていました。
“アメリアン家のメイドはこんなに優しくなかった。”と。」
私に感謝の言葉まで述べておられました、とリリスは言う。
貴族に案内をしたり、身支度をしたりするのはごく一般的。
例え地位の低い貴族でもされることだ。
(そんな、ごく普通の行いがされていなかった?)
彼女はこの5年間、一体どんな生活を送っていたのだろう。
私はそこで、はっとした。
─ひょっとしたら、5年間どころではないかもしれない。
丘にいた彼女はいつも明るくて…幸せそうだった。
でもよく考えたら、例え身分の低い子爵家の娘とて、あんなに登るのに時間が掛かる丘に一日中いれるのだろうか。
そういえば、親の姿もメイドの姿も一度も見たことがない。
(普通は心配して迎えに来るのでは…?)
分からない。
自分の家が普通ではなかったから。
家族愛について知らないから。
それでも、あの丘で共に過ごした3年間、彼女は一日中丘にいた。
慣れた様子で。
「アイリス様の周辺について、少し調べた方が良さそうです。
特に両親。」
「そうだな。」
優秀の一言だ。
リリスを侍女にして、本当に良かった。
でも─
「旦那様が惚れられた女性は、もっと明るくいらっしゃるのでしょう?」
にまっとしながらこんなことを聞くリリスにはうんざりする。
「からかうなと言っただろう。」
「ふふっ、はい。
そういえば、アイリス様は庭園で何を話されていたのですか?」
「それは─…」
ここで話さないのもどうなんだろう、と思い、話してしまった。
リリスには今まで散々、所謂“惚気”を聞かせてきた。
愛らしい外見や、明るい性格、他にも沢山のことを。
5年間会っていないのに惚気ることができるだけの魅力が、当時の彼女にはあった。
「あら。つまり…拒否されてしまったのですね。」
「そ、そんな言い方…ないだろ!」
取り乱す私を見て、呆れたように笑う。
「仕方ないじゃないですか。そういうことでしょう。」
「それでも言い方ってもんが…はぁ。」
でも、それは確かに事実なのだ。
私はつい、髪の毛をくしゃっと乱した。
「あっ、それでも、良いことはありましたよ。」
「ん?何だ、まだあるのか…?」
自分でも分かる程の疲弊した顔でリリスに聞いた。
驚愕とショックが次々に襲ったものだから、疲れるのも無理はないと思う。
「アイリス様、アイリスの花に気が付いてらっしゃいました。
ちゃんと言っておきましたよ。
旦那様が選んだんだって。」
「っ!?どうだった!?彼女は何か言ってたか!?」
私はつい前のめりになって、リリスに聞いた。
でも恥ずかしくなって、こほんと咳をして急いで椅子に座り直す。
それを見て、またリリスはくすっと笑った。
嫌な奴だ。腕前が確かなのはそうなんだが…
「いえ、何も。
でも、ロマンチストだな、くらいには考えてそうでした。」
「…そうか。」
どうなんだろう。男がロマンチスト、というのは良いことなのだろうか?
女性と接する経験も浅かったから、よく分からない。
(まぁ、アイリス以外の女性に恋心は抱かないが。)
「そういえば、白色のアイリスが多いのは理由があるんですか?
旦那様は随分、お気に召していましたが。」
アイリス様にもそれは伝えておきましたけど、とリリスは言う。
そう、商人にアイリスの花を頼む時、白色のものは多く頼んでおいた。
城の庭師には白色のアイリスを目立たせるようにとお願いもした。
それが何故か。
それは─
「ああ。白色のアイリスの花言葉はな、“貴女を大切にします”なんだ!」
私は勢いよくそう言った。
自分で言うのもどうかと思うが、あの花を選んだのは中々良かったと思う。
でも何故か、しばらくの沈黙のあとリリスには苦笑いで「ロ、ロマンチック…ですね…」と言われた。
◇◇◇
(なーんかなぁ…)
私、リリスは、静寂に包まれる夜の廊下を歩いていた。
(何だろう。本当に勘なんだけど…アイリス様の想い人って旦那様だったりしないのかな…)
そんな勘違いラブコメ展開にはならないだろう、と思いながらも、やっぱりその可能性も完全には拭いきれない。
(あぁ、でもその想い人と旦那様の名前は違うのか。)
名前が同じならきっと、気付くだろうから。
それにしても、と私は思った。
アイリス様は…“あの”アメリアン家の娘、とはとても思えなかった。
天使のように美しい人。
初めて見た時、そう思った。
真っ直ぐな金髪をシンプルな一本結び。
瞳は宝石のように綺麗なエメラルドグリーン。
整い過ぎた顔に真っ白な肌、華奢な身体。
誰が見ても“麗しい”と評価されるだろう。
アイリス様の雰囲気は、今まで接してきた貴族とは違うものの、凛としていて神聖さすら感じた。
言葉遣いや様子からも、全く教養がないとは思えない。
少なくとも、花を見ただけで名前が分かる程。
だとしたら。
一体、アイリス様はどこで知識を得たのか。
(…旦那様に報告することがまた増えたわね。)
あの時に、旦那様から「何かあったらその都度報告してくれ。どんなに細かいことでも。」と頼まれている。
(本当に、愛していらっしゃるんだな…)
花言葉に気持ちを隠すなんて、ちょっと引い…ロマンチストだなと思ったけれど、愛が感じられた。
─旦那様の“過去”を知っているのは、今の城では私しかいない。
私はいち侍女として、2人の幸せを願う他ないだろう。
でも。
(精一杯、やれることはやろう…)
ご覧頂きありがとうございました!
次話もご覧頂けると幸いです(*´꒳`*)