両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
夜明け。
貴族の娘が起きる時間としては早いけれど、私はいつものこの時間に起きた。
アメリアン家には1人だけメイドがいた。
中年で太った、醜女。
そのメイドがすることは、両親によって荒ぶれた家の掃除や服の洗濯、身支度、食事の準備だった。
無論、“私の”洗濯、身支度、食事は除外して。
主人が子を放置すれば、使用人も子を放置する。
私は放置されていた。
だから私はこの時間に起きて食事の調達をする。
まずは家のキッチン。
盗んでもバレなさそうなものを探した。
バレたとしてもほとんど暴力は受けない(多分触りたくないから)が、メイドには「卑しい子ね。」なんていう嫌みを言われ、それからしばらくはキッチンの警備が厳しくなる。
「今日は…あっ、お肉ある!」
私は、小声で喜んだ。
木の実なんかの量があるものや、沢山お肉がある日にはお肉の一部を切り取ったりして、よく持っていっていった。
今日はお肉だ。中々運が良い。
次に、自分が持っていた数少ない銅貨を持って市場に出た。
─何故銅貨を持っていたのかは、また別のお話。
八百屋には、いつもの愛想の良いお婆さんがいた。
「お婆さん!」
「おぉ、ミモザ。」
ちなみに、私はこの街の人と話す時は偽名を使っている。
丘の上に住む父親が足を怪我していて歩けなくて、母親は病弱の貧乏娘、という設定。
まぁ割と標高の高いところに住んでいるし、貧乏も合っているからあながち間違いではない。
両親も私のために行動してくれたことはほとんど無いし。
でも、ここで“貴族”ということがバレると、例え子爵家でも貴族の娘が何をしているんだと噂される可能性が高い。
そうなると面倒臭い。
それも、家名を知られることは絶対に嫌だ。
この平和で和やかな街にも時折彼らは来て、たかが子爵家のくせに嫌みたっぷりで見下してくる。
そんな家の娘だなんて、知られたくない。
それでも、レオンと話した時には思わず本名を教えてしまった。
なんなら家名まで。
(何故だか、彼には私の親を知っても拒絶されない気がしたから。)
ちなみに「ミモザ」にしたのは理由があって。
ミモザはヨーロッパの春を表す花。
そんな春のように明るくて無邪気で、何より幸せの象徴のような子に…なりたかった。
そういう願望。
「今日は惣菜を分けてくれませんか?お肉はあるから。」
「分かった。野菜炒めで良いか?」
「はいっ!ありがとうございます!」
お婆さんは八百屋の奥へと消えていく。
私は毎朝、ここで食事を貰っていた。
勿論、ある程度の銅貨は払っているけれど、それで随分安価だ。
野菜を貰っても良いのだが、調味料もなければ、調理する際に家のキッチンを使わなければいけない。
特に家の調理器具なんかは使ったらすぐにバレる。
そもそも家には両親かメイドの誰かはいるのだから、使える機会なんてない。
そして、お婆さんには申し訳ないが、私はここで「両親と自分の分の朝食」を貰っていることになっている。
実際には私の1日分の食事になっているのだが。
まぁ、最近ではレオンと私の1日分の食事になりつつある。
私は数年前にここで「食事に困っているんです。でも、母と父にはのっぴきならない事情があって…働けないんです。ちゃんと相応の金銭はお渡しします。だから、お婆さんに朝食を多めに作って分けて欲しいんです。お願いします!」なんて言って懇願した。
確か、家にあるバレない程度の食料では力尽きてしまうと本能的に感じた、寒い寒い冬のこと。
冬だというのに安価な薄い布で作った服を纏い、今にも凍え死にそうな私を見て、お婆さんはどう思ったのだろう。
同情したのか。
はたまた可愛い孫娘のような存在のように感じたのか。
それは分からないが、快諾してくれた。
それから毎日ここに通っているのだ。
「ミモザ、持ってきたわよ!」
約束通り野菜炒めをお皿に乗っけて、お婆さんは戻ってきてくれた。
良い匂いだ。
色とりどりの野菜には食欲がそそられる。
「わあ…ありがとうございます!父も母も、いつもありがとうございますと伝えておいてくれって言っていました!」
私は無邪気にそう言った─両親なんて、いないようなものなのに。
こういうところが、自分の汚いところだと思う。
純粋なだけではいられないところ。
でも仕方ない、生きるため。
何度自分にそう言い聞かせたか。
それでも時折思う。
私に“ミモザ”は似合わない、と。
「そうかい。大したことないと伝えておいてくれ。銅貨は…10枚で良いよ。」
「本当ですか!?いつもすみません。ありがとうございます!」
銅貨10枚はかなりの安価だ。
普通は20枚以上だろう。
感謝しかない。
今日は銅貨10枚だけしか持っていないから。後払いにならなくて良かった。
「じゃあ、ありがとうございました!また明日!」
そう言って私は手を振りながら八百屋を去った。
そして。
貰った野菜炒めを溢さないように、慎重に丘を登る。
「ふぅ…あとちょっと…」
この丘は人の気配がない。
単純に距離があるため、登るのに時間が掛かるから。
結局、私の足では2時間掛かった。
(あ、いる…!)
疲れ果てていたくせに、“彼”を見ると途端に元気になった自分に呆れた。
それでも、ただただ嬉しくて。
「レオンっ!」
私は勢いよく隣に座った。
「アイリス…!待ってたよ。」
最近、レオンは随分笑えるようになった。
穏やかな表情で私を迎え入れる。
「ごめんね?今日はいつもより登る時間掛かっちゃった。それよりね!」
私は、見て見て!と言ってお肉と野菜炒めを差し出した。
「今日は何と!お肉があります!」
私はにっこにこでレオンに見せびらかす。
盗んだものだけど。
でも良いんだ。
レオンが目をきらきらさせて、涎を垂らしそうな程嬉しそうだったから。
「た、食べて良いの?」
「もっちろん!ほら、焼こう!」
気付けば午前10時。
いい加減お腹が減った。
近くにあった細い木を2人でかき集め、家に残っていたマッチで火を付ける。
その火でお肉焼いた。
「う~ん、良い匂い~。」
「そうだね、美味しそう。」
レオンが以前自分の家から取ってきたという2つのフォークで。
「せ~の!頂きますっ!」
2人してお肉をすぐに口の中に入れた。
「うん!美味しい!」
口の中で肉汁が溢れて、美味しいの一言。
今日のお肉はかなり質が良さそうだ。
何かの記念日だろうか。
(あ…お父様の誕生日ね。)
そうだ、“家族”の誕生日。
私は、思い出してしまった家のことを慌てて頭から消した。
この丘にいる時間は、家のことなんて思い出すべきではない。
もう、時間が勿体ない。
「んー…美味しい。」
片手をほっぺに添えながら食べるレオンも、かなり美味しそうに食べていて良かった。
かなり痩せていたから心配してたけど、この調子なら大丈夫そうだ。
(健康面でも体力面でも…まだまだ心配ではあるけど。)
野菜炒めは、以前に家で捨てられそうになっていた、元々は両手鍋の筈が片手鍋になってしまっている鍋に入れて、夜まで保存。
今朝の分は1つのお皿で2人で食べた。
あのお婆さんの料理は素朴な味で、素材本来の美味しさを引き出している感じがして、たまらない。
あっという間の完食だった。
「美味しかった…」
レオンもお腹が満たされてすっかりぼーっとしている。
─たった1食のご飯で、こんなに満たされたような顔をするなんて。
(一体レオンの両親はどんな仕打ちを…)
私と会って数週間が経ったレオンだが、そんな今でもまだ、レオンはこの世界の全てに新鮮さを感じているように見える。
初めて会った日なんかは草木や花を触っても不思議そうにしていたし、川に連れていった時には目をきらきらさせて水の流れをずっと見つめていた。
時折思う。レオンは今までどうやって生きてきたのだろうか、と。
家では虐げられ、かと言って外に出る訳でもなく。
ずっとずっと、家の中で縮こまっていたのだろうか。
不意に、レオンの灰色の長袖のシャツが春の温かい風に吹かれて、袖がめくれた。
あざや切り傷のある、痛々しい腕が見えた。
なのに平然とした表情で景色を眺めるレオン。
「…レオン…」
「なあに?…って、どうしたの!?アイリス?」
私は驚愕で目を見張って固まり、やがて頬を濡らしてしまった。
レオンはいきなり泣き始めた私を見て、すっかりおどおどと動揺している。
泣いたって仕方がないのは分かっている。
(分かってる、けど…)
どうしようもなく悔しかった。悲しかった。
たかが目の色で差別を受け、両親に身体と心の傷を負わされた。
それが物凄く悔しい。
そして、そんなレオンの人生に、どうしようもなく悲しくなった。
「アイリス、どうしたの?泣かないで。」
レオンは私を酷く心配した口調で言った後、たどたどしく私の背中を撫でた。
(ごめん。何で私が泣いてるんだろ…辛いのは貴方なのに。)
「レオン、もっと怒って良いんだよ。泣いても良いんだよ。」
震えながら絞り出した声は、涙声だった。
「え…?」
「レオンの両親、最低だよ。極悪非道よ?貴方は悪くないの。お願いだから…自分を大切にして…」
レオンはきょとんとした顔になった。
ああ、彼には負の感情がないのだろうか。
怒ることも悲しむことも忘れるほど、虐げられることが当たり前の日常になってしまっているのだろうか。
しばらく私は下を向いて泣いていたが、そのうち収まった。
ゆっくりと目線を上げ、レオンと目を合わせる。
彼は結局、怒るも悲しむもしなかった。
でも─
「ありがとう。僕のために怒ってくれて、泣いてくれて。」
笑っていた。
今はその笑顔だけで、良いかもしれない。
そんなことを考えた。
願わくば、私の存在で少しだけでも彼を救えますように。
「ふふっ、久しぶりに泣いちゃった。」
私は悪戯がバレてしまった子供のように、へらっとした。
「久しぶり?」
「うん。ずーっと泣いてなかなかったから。」
そう、泣く必要がなかったから。
いつも、泣く感情の前に、泣く意義を考えていた。
だから、感情が先に押し寄せたのは久しぶりだ。
「じゃあ最後に泣いたのは?」
「うーん…確かね、2年くらい前かな。あの、丘の麓に森があるの分かる?」
「うん、不気味だよね。」
「そうそう。そこの森が怖くてね。2年前に入ってみたんだよね。」
「ええ!?どうだった?」
レオンはあの森に興味があったらしく、思った以上の食い付きを見せた。
「すっごい怖かった。へへっ、それでちょっと泣いちゃったの。まだ私も幼かったしね。」
「そんなことが…」
「あ、でも今は大丈夫。あの森ね、奥に入ると道がある程度開けてるんだ。あったかい日差しが木を照らして、和やかな雰囲気になるの。」
あの森は怖いのは見た目だけ。
中身を見るとむしろ温かい。
─人間はそんなに一筋縄ではいかないけれど。
「そうなんだ!でも入り口は怖いよね。」
その森の入り口を思い出してぶるっと身を震わすレオンに、少し可愛いなんて思っちゃったり。
でも、“可愛い”とは言わなかった。
だって、前に読んだ小説に“男性に可愛いは禁句”って書いてあったからね。
「ふふっ、そうだよね!…あっ、そうだ!」
私はあることを思い付いた。
自分でも分かるほどのきらきらとした笑顔でレオンに話す。
「うん?」
好奇心旺盛なのだろうか、目をきらきらさせて話を聞いてくれた。
「行ってみる!?あの森!」
「え!?僕と!?」
ずっと、誰かとあの森の奥に入ってみたかった。
誰かと遊んでみたかった。
一人遊びしかやってこなかった私にとって、ずっと“友達”に憧れていたから。
「うん!大丈夫、怖くないから。たまに冒険しよ。」
「うーん…そんなに言うなら、行ってみようかな。」
渋々といった感じだが、了承してくれた。
「ふふっ、そう来なくちゃ。」
そう言って、朝食を食べたばかりだというのに森に出掛けた。
思えば、この時は本当に元気だった。
放置されている分、外で目一杯動いていたから、体力もあって健康だった。
丘の付近には小さな森がある。
木が生い茂り、外からでは中の様子を確認できない。ただ暗闇が映るだけ。何とも不気味な森。
(どうも外見は怖いんだよね…)
だからだろうが、人の気配もない。
「アイリス。ここ、危ない動物とか出たりしないの?」
「ん~、まぁ、たまに。」
そして、この森に人の気配がない、もう1つの理由。
それは、人食いの獣が出るっていう噂があるから。
実際、人食いまではいかなくても突進されたりして負傷した人はいるらしい。
(まぁ、私は2年くらいここに来てるけれど、見たことはないね。)
けろっとしてそう言った私だったが、レオンは驚いたようだった。
「え!?あ、危ないよ…!」
「大丈夫。私は慣れてるからレオンに害がないよう気を付けられる。心配しないで!」
にこっとしてピースをした私だったが、その腕をレオンはがしっと握った。
つい、奥へ奥へと歩いていた足を止めてしまう。
(…え?)
レオンから私にしっかりと触られたのは初めてだったから、少しだけ戸惑ってしまった。
「そうじゃなくて!僕が心配なのは、アイリスなんだ。で、でも、慣れてるって言うなら…」
レオンは、目を見られるのを嫌がっていた少し前とは打って変わって、私の目を見つめた。
「ぼ、僕が、守るから…!」
でも、すぐに恥ずかしそうに目線は下になる。
すると、僅かに風が吹いた。
熱くなった顔が少しだけ風に冷まされたのだろうか。
今度こそ私の目をしっかりと見つめた。
格好良い台詞を言えるようになったレオンに、私は少し驚いていた。
あんなにひ弱そうだった少年がたった数日で変わり始めていた。
おどおどしていたのに、今では目は随分“真っ直ぐ”になった。
「ふふっ、ありがとう。」
私は微笑みながら、そう返した。
照れながらも凛としたその表情と先程の台詞。
“可愛い”なんて、もう微塵も思わなかった。
少しだけ、ほんの少しだけ、“格好良い”なんて─思ったり、思わなかったり。
午後7:00。
「レオン、じゃあね。」
私は微笑みながら手を振る。
昼食を食べて、また丘に登って、目一杯遊んで、話して、笑い合って、夕食を食べたら、もう“じゃあね”の時間だ。
名残惜しい。
この幸せな一時を、あと少しだけでも堪能したい。
そう思って夕食をゆっくり食べてしまうのはいつものこと。
でも、帰らない訳にはいかない。
夜の丘は危険だ。
野生の獣に襲われることも、ここ一帯の夜は気温が適切ではないことも、治安の良い街とはいえ…ということもある。
「レオン、毎日そんな顔していたら切りがないよ。」
幼子を嗜めるようにそう言ってみるが、自分の顔にも“寂しい”が漂っていることは知っている。
午後7:00はぎりぎりの時間。
本当はもっと長くいたいけれど、丘を下るのには1、2時間掛かる。夜中に帰るわけにはいかない。
「…“じゃあね”じゃなくて。」
そこまで黙っていたレオンが、静かに口を開いた。
「え?」
「“またね”って言って欲しい。出来れば“また明日ね”って。」
レオンの青みがかった黒い目は、懇願するような訴えるような必死の目だった。
しかし、その目には今にも泣きそうに微笑んでいる少女が映っている。
「うん。また明日ね。」
その彼の目に映る少女はにっこりと笑った。
寂しそうに、それでも笑顔で。
(永遠の別れじゃないのに。きっと、明日も会えるのに。)
“ここまで自分の心を昂らせる原因は一体何だろう。”
2人で丘を降りて麓の別れ道まで歩いた。
私がその間に考えていたことは、やっぱり名残惜しい気持ちと、その“原因”の正体について、それだけだった。
─夜空を背景にした、月明かりに照らされて儚く微笑む少年を見つめながら。
◇◇◇
あれは確か、8年も前のこと。
もう今では、あの時の疑問に答えられる。
“ここまで自分の心を昂らせる原因は一体何だろう。”
それは、私がレオンを─愛していたから。
ご覧頂きありがとうございました!
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