両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
夜が明け、眩しい太陽が昇り始めた頃。
いつもの時間に、ぱっちりと目を覚ましてしまった。
あれから─外出が禁じられた5年前から、一時はもう少し遅く起きようと思ってもみたが、長年に渡って身体に染み付いた体内時計を変えることは無理だった。
リリスの姿は無かった。
まぁ、子爵家とて貴族の娘がこんなに早く起きるとは思わないのだろう。
私は1人で起きて、顔を洗った。
装飾が施された鏡に映る自分の顔には疲労が見られる。
(意外と疲れてるのね…)
自分で髪を整えてからクローゼットを開けた。
中には母が用意した、女性的─言い換えれば大胆で派手な服が並んでいる。
婚約の前日に用意したものらしい。
私が今まで自作で作っていた服は、安価で地味だからという理由で捨てられてしまった。
布は安くても、中々良いデザインに出来たのに。
母親の言う“地味”の基準は、一般的とは言えない。
けばけばしい母親の服は、いつ見ても気分が悪くなる。
悔やしがってもいても仕方がないので、一番質素で落ち着いた服を取った。
それでも、胸が強調された紺のドレス。
宝石も装飾されている。
(もう嫌になる…)
両親から離れてもなお、両親のことを思い出さなければいけないなんて。
着替え終わった丁度に、リリスが部屋に入ってきた。
「アイリス様!?もう起きていらしたのですか!?申し訳ありません。何時に起きていらっしゃるのですか?次からはその時間に合わせて参りますので…」
慌てふためいているのがよく分かった。
仕事をきちんと成し遂げようとする姿勢も。
「…日の出の時に目が覚めてしまうの。でも大丈夫よ。そんなこと言ったらリリス、大変だから。」
リリスはぶんぶんと首を振った。
「とんでもありません!それが私の仕事ですから。」
むしろ自分が悪かった、と心底申し訳なさそうに縮こまっているリリスを見て、私は微笑んだ。
「ありがとう。」
◇◇◇
リリスと共にダイニングに向かうと、爽やかなシャツ姿の、“未来の旦那様”がいた。
「アイリス嬢。おはよう。」
挨拶と共に向けられた笑みも、やっぱり爽やかで─でも、人当たりが良い笑顔過ぎて少し怖い。
「おはようございます、侯爵様。」
綺麗に微笑もうとするが、意識すればする程自然ではなくなる感じがして。
(ぎこちなく感じてないと良いけど。)
「お待たせ致しました。ご朝食の準備が整いました。」
若い男性のシェフがそう言った。
明るい茶髪と澄んだ水色の目。
外見は好青年と言った感じで中々の好印象なのに、自信がないようにおどおどしている。
彼は、アルフィーと名乗った。
中々若いけれど、ここで働けるということは腕は本物なんだろう。
「…!」
味付け抜群の白身魚のカルパッチョ、色とりどりの野菜ポタージュ。
香ばしい仔牛の香草焼きに、お肉と野菜の美味しさを最大限に引き出した鶏肉とキャベツのトゥルト。
デザートには最高級の苺をふんだんに使ったソースが掛かった程よく甘い苺のミルフィーユ。
「アイリス様、如何ですか…?」
おどおどしながら恐る恐る聞くシェフ。
私の親のこともあるし「高飛車な性格だろうから何としても気に入られよう」と思っているのだろうか。
それは分からない。
けれど。
「とても美味しいわ!」
あまりの美味しさに、少し無邪気になってしまったかも。
でも仕方がない。
だって、本でしか見たことがなかった手の込んでいて外見も美しく飾られている美味の食事が、目の前にあるんだもの。
こんなに美味しいなんて。
「…アイリス嬢。」
不意に、クロッカス侯爵は私を呼んだ。
ある程度食事が終わった時だった。
「何でしょう?」
彼は、自分が呼んだのに何故か言い出しにくそうに下を向いた。
「その…何と言うか。アイリス嬢の服は華々しいなと思って。…それが好みなのか?」
何だ、そんなことか。
確かに胸が強調された服は少し淫らかもしれない。
侯爵家の婚約者には合わないだろう。
「いえ。これは母が選んだもので、私は…あまり好みではありません。」
そんなことを告白するのにも、少しだけ勇気が必要だった。
母とは違うと見せつけたい感じになっていないか、少し心配になったから。
「そうか。好きな服装の系統とかはあるのか?」
何故そんなことを聞くのだろう、と思ったけれど、好きな服装と聞いて真っ先に思い出すのは丘にいた時の自作の服。
(本当は…清楚系の爽やかな服装が好み。)
とは、さすがに言えないので。
「特にありません。宝石が沢山付いていたり、けばけばしかったりしなければ。」
そう答えたが、クロッカス侯爵は何やら考え込んでしまった。
(何かいけなかったのかしら?)
「あの…?」
私が上目遣いでクロッカス侯爵を覗くと、彼ははっとして「いや、何でもない。」と言った。
(何だったのかしら?)
「あっ、それともう1つ。」
クロッカス侯爵が何を考えているのか推測していると、彼は慌てて人差し指を真っ直ぐに立てた。
「アメリアン家とクロッカス家は…その、マナーに違いがあるだろう。そなたは夜会にも全く出席していないと聞いた。だからそなたは…何と言うか、失礼かもしれないが、侯爵家の婚約者としては経験が豊富とは言えないところがあるかもしれない。」
“マナーに違いがある”は、要するに身分差があるということ。
“侯爵家の婚約者としては経験が豊富とは言えないところがある”は、要するに未熟者ということ。
なるべくオブラートに包み、相手を不快にさせないようにしようとする気持ちが分かった。
失礼に値するかもしれない時は言葉を詰まらせていて。
何だか、そこまで悪い方ではないのかも、と思ったり。
「それで何だが…そなたさえ良かったら、家庭教師を付けないか?」
クロッカス侯爵の提案には、つい「えっ」と声を出してしまった。
まだ婚約者の段階で、しかも“想い人がいる”人だが、一応立ち位置としては未来の侯爵夫人だから、それを気にしての提案なのは分かっている。
それでも、“想い人がいる”なんていうことを告白した身分違いの婚約者に、ここまで言ってくれるとは。
「是非、よろしくお願いします。家庭教師の元で学びたいです。」
私は視線を真っ直ぐ彼に向けた。
クロッカス侯爵は、その回答を望んでいたのだろうか。
なら良かったと微笑み、頷いた。
一週間後。
侯爵家には、随分と慣れてきた。
リリスは当初と変わらず親切で、シェフのアルフィーの腕前も素晴らしい。
ここに足を踏み入れる前は、使用人に馬鹿にされても仕方がないと思っていたが、さすが侯爵家。
私を馬鹿にする者は1人もいなくて、みんな優しく接してくれた。
「ん~…はぁ。良い匂い…」
あれから庭園にはほとんど毎日通っている。
リリスに日傘を差して貰うのは心苦しいが、それでもこの鮮やかな景色と花の優しい匂いが好きで。
「アイリス様。おはようございます。」
そう言ったのは、庭師のエチア。
小さくて何だか可愛らしい“おじいちゃん”のような人。
笑顔が本当にあったかくて、優しい。
でも植物の話をする時だけは熱く語り始めるので、少しだけ注意が要る。
「そうだ、アイリス様にお話がございまして。裏庭に空いている花壇があるのをご存知でしょうか?」
突然切り出された話に少し困惑しながらもこくっと頷いた。
この壮大な城の裏側には、ここと同じようにレンガでできた花壇がある。
前に見た時は、花の量が少なくて、威厳があるとも殺風景とも言える雰囲気だった。
「ですので、コスモスを植えようと思っているのです。コスモスはご存知ですか?」
「…っ!知ってるわ!秋に咲くのが楽しみね。」
実物は何度も見たことがある。
あの丘は秋になると、一面にコスモスが咲いたから。
秋には、レオンと一緒にはしゃいだ記憶がある。
「よくご存知で!今はまだ、あまり知られていない品種ですので…。コスモスは淡く可憐な美しい植物です!無数に咲き誇るコスモスも勿論良いのですが、コスモスの花びらはとても薄いので、光を透過しやすいんです!秋空を背景に透けるコスモスの花びらは本当に麗しくて…。後ろ姿さえも美しいなんて、素晴らしいと思われませんか!?第一コスモスは─」
「エチア!アイリス様が目眩を起こしていらっしゃいます。程々にして下さい。」
コスモスの魅力を語り始めるエチアを、リリスは力強く止めた。
(目眩は起こってない。ただ、起こしそうになっているだけ…)
「もう、一体いつになったらその癖を止めるんですか?語り出したら止まらない癖。」
「いやー…私だって…」
「はい?」
リリスは、圧100%の笑顔でエチアを見た。
「わ、悪かったって…。…こほん、アイリス様、申し訳ございませんでした。」
しょぼんとしているエチアを見て、少し和んでしまったのは置いておいて。
植物の話を始めたエチアをいつも叱ってくれるのはリリスだ。
別にエチアには微塵も怒っていないが、困惑はしてしまうから助かる。
リリスはにこっと微笑んで「何かあったらおっしゃって下さいね。いざとなったらこの老人を解雇するよう旦那様に伝えておきますから。」とだけ言った。
彼女のどす黒い笑みに含まれた優しさに、思わず微笑んだ。
当然、解雇なんてしなくて良いけど。
「こほん。ええと…アイリス様はコスモスの色は何が良いと思われますか?」
聞きたかったことは、これのようだ。
それはやはり、レオンと見たコスモスの中でもとりわけ忘れられない色─
「赤が良いわ。」
私の返答に、すっかり正気に戻ったエチアはにこやかに微笑んだ。
─その時。
微かに足音がし始めた。
ゆったりとした足取りが近づく。
(誰…?)
距離が長くて、その人の顔が霞んでいる。
でも、段々と見えてきた。
白い頭部を帽子で覆い、鮮やかな鶯色のドレスを着て堂々とした貴婦人が前から歩いてきていた。
私は、春風に吹かれて彼女の帽子のつばがずれた瞬間を、見逃さなかった。
(あの人は…!)
「…お婆様?ガーベラお婆様!」
街にいた時の無邪気な声で、祖母のような存在だった愛しい女性の名を叫んだ。
「…ミ、ミモザ!?ミモザなの!?」
お婆様も気付いたようだ。
私は、私を見て涙を流しているお婆様に向かって駆けた。
ぎゅっと、あの頃のように抱きしめてくれた。
5年前より弱々しくなったが、それでもしっかりとした力で。
「会いたかった…!」
私も泣きじゃくりながらそう呟いた。
ああ、これだ。
このあったかい体温は、お婆様だ。
お婆様は、血縁関係ではない。
けれども、両親の代わりに愛を注いでくれた大切な人。
初めて会ったのは確か─寒い寒い、クリスマスの日。
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