両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話   作:霞草。

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第6話

「ええと…アイリス様、こちらの方とお知り合いでいらっしゃるのですか?」

 

 

しばらく2人で抱きしめ合った後、ある程度間を置いてリリスが話し掛けてきた。

 

その澄んだ茶色い瞳は困惑したように私達を交互に映す。

 

 

(ああ、そうだ。何にも説明していないわ。)

 

 

「リリス、ごめんなさい。

お婆様…いえ、こちらの方にはとてもお世話になっていたの。

セントポーリア図書館の司書でもあるわ。

色んなことを教えてくれて、祖母のような愛情を注いでくれて…本当に大切な人なの…本当に。」

 

 

私はお婆様を見て、思わず微笑んだ。

 

まさかもう一度会えるなんて夢にも思わなかったから。

 

 

「ミモザ、綺麗になったわね。」

 

 

まるで久しぶりに会った孫に向かって言うような、優しい声色。

 

 

「ふふっ、ありがとうございます。

…でもごめんなさい。私の本当の名前は─」

 

 

そう、両親の代わりに愛情を注いでくれた祖母のような人にも、私は偽名を使っていた。

 

この名前で、嫌われたくなくて。

 

なのに。

 

 

「知ってるわ。“アイリス”でしょう。

ずっと前から知ってたわ。」

 

 

「え?…知っていた…?」

 

 

平然とそう言うお婆様に、思わずため口が漏れてしまった。

 

 

(隠し通せてなかった?

…でもお婆様は、私がアメリアン家であることを知っていても尚、そばにいてくれたってこと…?)

 

 

「貴女をこっそり追いかけたのよ。

娘がこんな状態なのに、親は何をしているんだと思ってね。

アメリアン家に入る貴女を見たわ。

アメリアン家の一人娘の名は確かアイリスだから、ミモザは偽名だと分かったの。

でも、だからといって何もないわ。

だって、ミモザはミモザなんだもの。

あの憎たらしい家から来た娘、という印象は全くないわ。安心しなさい。」

 

 

愛しそうに私を見て、頭を一撫でした。

 

本当に、良い人に出会ったものだ。

 

一生分の運を使い果たしたのではないか?と思う。

 

 

(ああ、どうしよう。幸せ。)

 

 

─でも。

 

 

(お婆様は何故ここにいるの?)

 

 

貴族の家、しかも上級貴族である侯爵家に入るには、勿論正当な理由が必要だ。

 

お婆様が、招待されたとしても、事前に連絡を取ったとしても、筋の通った理由が思い浮かばない。

 

困惑しがちにお婆様を見ると、それを見透かしたかのように微笑んだ。

 

 

「ミモザ、いえ、アイリス。

今日から私は、貴女の家庭教師になるわ。」

 

 

お婆様はあの頃と変わらない堂々とした美しい笑みを浮かべた。

 

 

「え…?」

 

 

(家庭教師…家庭教師!?)

 

 

「まさか…侯爵様が言っていた家庭教師…?」

 

 

何と、それがお婆様だったとは。

 

でも、まだ疑問は残る。

 

一応未来の侯爵夫人の家庭教師は、基本的には貴族だ。

 

平民であってはいけない。

 

それが常識。

 

 

だったら─

 

 

(お婆様は一体何者…?)

 

 

「“お婆様は一体何者…?”って顔をしてるわね。アイリス。」

 

 

ふふっと意地悪そうな笑顔。

 

からかわれているのだろうが、図星だから何とも言えない。

 

 

「アイリス様。デルフィーン伯爵家のガーベラと申します。」

 

 

お婆様は、わざと畏まったように丁寧な口調で綺麗な礼をした。

 

 

(は、伯爵家!?私より身分が高いじゃない!)

 

 

「も、申し訳ありませんっ!ガーベラ様!

今まで数えきれない程のご無礼を…!」

 

 

慌てて深く深く礼をするが、今までの“お婆様呼び”を初めとした行為を考えると土下座をした方が良いかもしれない。

 

 

(私は何てことを…!)

 

 

「あらあら、良いのよアイリス。

私は確かにデルフィーン家だけれどね。

夫は亡くなり、息子に爵位を移して、私は1人であの別荘…とも言えない小さな家で暮らしていたのよ。

財産は多少あったけれど、贅沢は好まないタイプでね。

使用人もいなかった。独りだった。

だから、アイリスがいてくれたお陰で楽しかったわ。

ありがとう。」

 

 

寂しそうに、それでも幸せそうに、そして懐かしそうに。

 

確かに、お婆様は1人だった。

 

家に行った度も、使用人も夫も子供も、誰一人としていなかった。

 

近くにいたのは─案外、両親に見放されて1人きりだった私だけだったのかもしれない。

 

それは嬉しいことである反面、だとしたらこの5年はお婆様は“独り”が続いたことになる。

 

 

「ガーベラ様。」

 

 

「ああ、いつも通り呼んで頂戴。前と変わらず。」

 

 

「えっと…お婆様。」

 

 

「何かしら?」

 

 

朗らかに微笑むお婆様に、私は更に心苦しくなった。

 

だって─

 

 

「この5年、1人きりにしてごめんなさい。

何も言わずにいなくなって…ごめんなさい。」

 

 

目が潤んできた。

 

例え故意ではないにしろ、1人にしてしまった。

 

 

「両親が…閉じ込めたんです。

私を、狭くて暗い物置部屋に、鍵まで掛けて。

虐げられていた訳ではないので、そこはそんなに気にしなくても良いのですが…とにかく、ごめんなさい。」

 

 

私にとっては中々勇気がいる告白だった。

 

両親に虐げられていた訳ではないにしろ、放置されていた。

 

そのことを口に出すのは、自分の非力さがくっきりと際立つ気がして。

 

 

「そう、だったの。

…守ってあげられなくてごめんなさいね。」

 

 

紫の瞳からは、宝石のように輝く雫が溢れる。

 

その涙を見て、やっぱり私は良い人に巡り合えたな、と改めて実感できた。

 

 

 

 

 

「ええと…では、明日から毎日1、2時間程授業をしますね。」

 

 

「はい、分かりました。お婆様…いえ、ガーベラ先生。」

 

 

私の広い私室で、そう会話した。

 

お婆様はアンティークなソファー、私は机の前の椅子に座って。

 

話をしていると、お婆様は昔から様々な勉学に励んでいたらしい。

 

 

─お婆様の両親や夫、子供。誰にも称賛はされなかったようだが。

 

 

マナー作法や常識的なものは勿論、歩き方や挨拶、今の貴族や世界の情勢や、貴族方のご機嫌取りまで、今の私に必要なことも知っているらしい。

 

そんな人が家庭教師なんて、心強い。

 

 

「では、また明日。」

 

 

お婆様は小さく手を振る。

 

身分を全く気にしていないように感じて、何だか嬉しく思った。

 

 

「はい、また。」

 

 

私は久しぶりの心からの笑顔で、手を振り返した。

 

◇◇◇

 

私室のテラスから月が見えた。

 

今夜は満月らしい。

 

月は辺りを明るく照らし、草木をや家を幻想的にぼんやりと光らせる。

 

1人で外をぼんやりと眺め、思いに更けるのは良い。

 

丘にいた時の感覚だ。

 

目を閉じ、胸いっぱいに夜風を吸い込み、ゆっくりと息を吐く。

 

 

─「アイリス嬢。家庭教師には会ったか?」

 

 

「きゃあ!」

 

 

静寂に包まれる中、突然声を掛けられて、思わず声を上げてしまった。

 

声の主はクロッカス侯爵ではないか。

 

私の部屋の隣はクロッカス侯爵の部屋だが、そこのテラスから声を掛けてきたようだ。

 

何故か、親しげに手を振っている。

 

 

「も、申し訳ありません!つい、驚いてしまって…」

 

 

くっくっと笑いながら「いや、私も悪い。」と言った。

 

 

「それで、家庭教師には会えたか?」

 

 

本題を思い出したかのように問う。

 

 

「はい。知り合いだったのですが、やっぱり良い方でした。」

 

 

「そうか…良かった。」

 

 

その後、私は再び外を眺めた。

 

特にすることもないし、この景色を見ていると何だか落ち着くから。

 

美しい色とりどりの侯爵家の庭園、小さな家々、照らされた植物、そして遠くの方の思い出の丘をぼんやりと見つめる。

 

繊細で儚い美しさ。

 

そう、今にも崩れ落ちそうな脆さ。

 

だけど私はいつも、否、いつもよりそれに魅了された。

 

 

「綺麗…」

 

 

こうしていると、ついつい丘にいた時のレオンを思い出してしまう。

 

私は、丘から景色を眺めて惚けているレオンの横顔が好きだった。

 

レオンの美しい横顔もまた、どこか儚げで。

 

でも、こちらの“儚い”は崩れて去ってしまった。

 

私はレオンのことを何も知らない。

 

所在や現在の生活─生死すら。

 

きっと、もう二度と会うことが出来ないだろう。

 

私は、“崩れ落ちてしまった儚さ”を知っている。

 

だから、儚い美しさに魅了されるのかもしれない。

 

その儚さが、脆さが、繊細さが、懐かしくて…でもやっぱり寂しくて。

 

 

「確かに綺麗だな。」

 

 

急に声が聞こえたので少しびくっとして隣を見ると、まだクロッカス侯爵がいた。

 

てっきり、もういないと思っていたのに。

 

 

「は、はい。幻想的ですね。

それに、冬でもないのに夜空の星がこんなにくっきりと見えるなんて、珍しいです。」

 

 

いけない。

 

レオンを思い出してしまったこととクロッカス侯爵がまだいたことに、心が少しだけ取り乱してしまっている。

 

思い切り混乱して、何故か適当な雑談を入れてしまった。

 

 

「ああ。」

 

 

そこからずっと、虫と風の音だけが響いた。

 

結局クロッカス侯爵は空を見上げたまま、穏やかな表情でずっと隣にいる。

 

お互いに特に話さず、ただ夜空を仰いだ。

 

それだけ。

 

なのに何故だろう。

 

 

─こんなに心地が良いのは。

 

 

◇◇◇

 

 

「リリス、今日の報告はあるか?」

 

 

凛とした声が書斎に響く。

 

 

─当主、リアン・クロッカス様の声。

 

 

「今日一番の報告は…やはり、家庭教師のことでしょうか。」

 

 

「ほう、どんなだった?

アイリスは知り合いだったと言っていたが。」

 

 

そういえばいつの間にかアイリス様の名前を呼び捨てにしている、ちゃっかりしているな、と思ったのは内緒。

 

 

家庭教師がセントポーリア図書館の司書でありそこでアイリス様と会っていたこと、随分親しかったこと、そして、アイリス様の“お婆様”のような存在だったことを伝えた。

 

 

「そうだったのか。

…運が良かったな。良い方を選べたようだ。」

 

 

ほっと安堵している旦那様。

 

確かにアイリス様にとって良い方だったのは確かだが…

 

 

「良い方も何も、あの方はかの有名なガーベラ・デルフィーン様ですからね。

随分前に引退されましたが、下級貴族にも関わらず王宮にも招待された程の凄腕の家庭教師なのですから。

彼女の元で学んだ生徒は皆、ずば抜けた知識量を持てるという逸話も持っていらっしゃいますし。

今ではすっかり行方を眩ませていたというのに、どうやって見つけたのですか?」

 

 

思わず早口で話してしまったが、“あの”ガーベラ様は簡単に言うならば“とんでもない方”だ。

 

一番有名な話をするなら、現皇帝は10数年前…遠回りな言い方をするなら、勉学に進んで励む方ではなかった。

 

それを更生、更に聡明さを付けたのがガーベラ様。

 

一時期には家に押し掛ける上級貴族が現れる程に依頼が殺到し、今でもガーベラ様を探している方を見掛ける。

 

でも、ガーベラ様はすっかり姿を消した。

 

これは憶測だが、周りからの期待や妬み、そして疲れもあったのかもしれない。

 

ガーベラ様は何年も見つからなかった。

 

見つかりさえすれば、ガーベラ様は自身の位置する伯爵家より身分が高い貴族の依頼は断れない。

 

だからこそガーベラ様は、あの平穏な街を選び、息を潜めて暮らしていたのだろう。

 

それでも旦那様は、

“アイリスには家庭教師が必要だろう。

ならばとりあえずガーベラ・デルフィーンが適任ではないか?”

という短絡的な思考で、ものの数日で見つけてしまった。

 

 

「…うーん…それは…」

 

 

旦那様は、先程の質問にどう答えを濁そうと考えられている様子。

 

一体どんな手段、そして膨大な資金を使ったのだろう。

 

それはすっかり闇の中だが、アイリス様への溺愛ぶりをよく表す出来事だった。

 

 

「あっ、やっぱり良いです。合法ではなさそうなので。」

 

 

私は圧を含んだ意味深な微笑みをした。

 

 

旦那様はアイリス様のこととなれば何でもする。

 

軽い違法なことくらいは平気でやりそうな勢いで…正直めちゃくちゃ怖い。

 

 

「あっ、それから…アイリス様の両親について、また一つ。」

 

 

私は少し息を吐いて旦那様の目を見た。

 

その青みがかった黒い瞳には、静かに憤慨する私が映っている。

 

 

「“両親が…閉じ込めたんです。私を、狭くて暗い物置部屋に、鍵まで掛けて。”

そうガーベラ様に話されていましたよ。

虐げられていた訳では無さそうですが、放置されていた可能性が高いです。」

 

 

私の言葉を聞いた旦那様は一瞬目を見開き、机を拳でダンと叩いて舌打ちをした。

 

 

「…っ!?何だとっ!?あの家…どうやって潰そうか。やはりあの事業を潰すところから始めなければ…そもそもあの家の領地は─」

 

 

ぶつぶつとアメリアン家を潰す作戦を企て始める旦那様。

 

 

─5年前に私が旦那様の元へ来た時には、負の感情がない青年でいらしたのに。

 

 

アイリス様が絡むとこんなにも人間味が溢れ出るなんて。

 

 

そう思ったけれど、勿論口には出さなかった。

 

 

「ああ、止めてください。とりあえず私は失礼します。

まだやり残した仕事があるので。」

 

 

ダークサイドの人間と化した旦那様は面倒臭い。

 

適当に理由をでっち上げ、いそいそと部屋を出た。

 

私は扉をパタンと閉め、息を吐いて壁に寄りかかった。

 

アイリス様を思い浮かべる。

 

華奢過ぎる身体、貴族とは思えない起床時間。

 

美しい容姿である反面、久々に人の優しさに触れたとでも言うようなあの顔、無機質な声、暗い瞳。

 

 

(アイリス様を…否、それ以前に、人をあそこまで傷つけるなんて。)

 

 

私は良くないと分かっていながらも、苛立ちを押さえきれず、自分の親指の爪先を少しだけ噛んだ。




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