両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
忙しない一週間が経った。
城の内部を覚え、お婆様の授業で確認テストを受けた後に、旦那様の仕事内容等を把握しなければいけない。
領地経営は勿論、国の政治にも関わりがあり、国境付近での警備や整地も任されているのが侯爵、らしい。
本には、貴族の歴史については載っているが、貴族の仕組みについてや個々の貴族の情勢はほとんど載っていなかったから、知らないことも多い。
公の場に出る前に、ある程度知らなければ。
リリスが用意してくれた上品な紅茶を満喫しながら、テラスで読書をする。
春風に吹かれるのが心地良いので、旦那様が出張になってからはずっとこうしていた。
でもこの1週間で、春風は段々と薫風へと変わっていっている気がする。
この5年間風を感じることなんてなかったから、勘違いかもしれないけど。
(今日で1週間が経ったけれど…旦那様はどうしているのかしら?)
今日、帰ってくるのかな。
何故かソワソワしてしまって落ち着かない。
「アイリス様。」
少しの間私から離れていたリリスがテラスに入ってきた。
旦那様のことを考えていて結局読み進めなかった本を、静かに閉じる。
でも私に用件があるのはリリスではなく、リリスの後ろにいた若い騎士だったらしい。
「アイリス様、突然申し訳ございません。」
息を切らしながら謝る、茶髪に茶色の目の美声年。
その胸には光輝く称号がいくつも付けられていて、相当優秀な人材だと窺える。
「どうされたのですか?」
「実は…旦那様が帰還の道中に、国境付近で隣国と我が国の平民同士の食物を巡った争いが起き、それに巻き込まれたらしく…」
(争い?巻き込まれた?)
自分の息が一瞬、衝撃で止まったのが分かった。
「だ、大丈夫なのですか!?怪我は…?」
「まだ分かりませんが、それは心配要りません。旦那様は確かな腕前をお持ちですから。
でも、もう数日は帰宅出来ないかと思われます。
そして、よろしければ…」
私が「良かった…」と声を漏らしたが、後にカイルと名乗ったその騎士は、少し悪戯気のある笑みを浮かべてこう言った。
「よろしければ、争いが終息したら馬車でお迎えに上がって頂けませんか。
喜びます。」
「えっ?喜ぶ…?」
「はい。
旦那様はアイリス様のことが大好きでいらっしゃいますから。」
(え?何を言っているの、そんな訳…)
そう、思ったが。
─とりあえず気を楽にして、物事全てを浅く考えなさい。そのまま受け取りなさい。
お婆様の、そんな言葉を思い出した。
“お婆様は私のことを、私より知っている”
お婆様と過ごした時間の中で事あるごとに、いつもそう思っていた。
(浅く、そのまま、受け取る…)
“大好き”なのはカイルの勘違いだろうけれど、“喜ぶ”のが本当だったら嬉しい。
「分かりました。
終わり次第、報告をお願いしますわ。」
カイルは私の返答を聞いて人懐っこそうな笑顔で「承知しました!」と言った。
◇◇◇
カイルに“終息”を報告されて数十分後。
すぐに馬車を走らせた。
自分でも何故こんなに急いでいたのかは分からないけれど、早く到着するに越したことはないだろう。
数時間経ち、ようやく国境付近に辿り着いた。
恐る恐る馬車を下りると、そこに広がっていたのは、枯れ果てた草木、干からびた大地、やつれた人々。
首都とかけ離れた光景だった。
(ああ、これで食物の争いが起こったのね。)
今の私は良い。
上質な服、贅沢な食事、広い城。
衣食住も当たり前のように全て揃い、プラス“財産”も付いている。
でも、彼らはどうだ。
その痩せた小さな身体で食物を欲しがる。
その時私は少しだけ、本当に少しだけ、今までは思い出さないようにしていたある小さい少女を思い浮かべた。
両親とメイドはその少女をいない者として扱い、少女は痩せ細った身体で食べ物を求めるも無視された。
6歳で街に出掛けて人の優しさに触れるまで、教養も無ければ容姿も優れない、メイドには出来損ないだと罵られ、息を吸って吐くだけの生活を続けた幼い子爵家の娘。
─彼らはまるで、幼い頃の自分のよう。
(私に何か出来ることは…いや、私は何の力も持っていないわ。
無力な私には無理、か。)
私にも何か、力があれば良かったのに。
人を助けられる力。
人を守れる力。
私は静かに街を見つめ続けた。
そして、乾燥した風が強く吹いた時─1人の男性が前から歩いてきた。
(…旦那様だわ…)
向こうは元々気が付いていたらしく、小さく手を振る。
手を振る行為がに良いのかどうかは置いておいて。
「アイリス嬢っ!」
周りに聞こえるであろう大きな声で、私の名を呼んだ。
気恥ずかしい気もするが、私の方に駆けてきてくれる旦那様には、何も言えなかった。
旦那様は、私の目の前で足を止める。
一週間と数日会っていないだけで、随分会えていなかったように感じた。
「お疲れさまでした、旦那様。」
彼の、その青みがかった黒い目を見ながら、労りの言葉を言う。
「ああ。それにしても、随分すんなり旦那様と呼べるようになったんだな。」
旦那様はくっくっと笑い、
「え、ええ。まぁ…」
と曖昧な返事をした私を見て微笑んだ。
(これは…からかわれている?)
旦那様をじっと見つめると、その目線に気が付いたようでくしゃっと笑う。
「帰ろうか。」
旦那様は静かに私の手を取った。
私の冷えた手とは対照的に、温かくて優しい手。
初めて旦那様に握られた手に、私も少しだけ力を込めた。
馬車に乗り込んで最初のうちはリリスが城での出来事等を旦那様に報告していたが、やがて口数は無くなった。
馬車が走る音と虫の音だけが響く。
向かいにはリリス、隣には旦那様。
ふと横を見ると、旦那様は疲れていたようでうとうとし始めていた。
辺りを見れば、もう夜中に近いと推測出来る暗さと星の明るさ。
無理もない。
「あっ…」
夜空を見ると、まん丸の月があった。
今日は満月らしい。
月の影が、本を読む少女のように映る。
─もう少し月が見たくて窓に近付こうとした、その時。
「きゃっ…」
左側の肩に、明らかな感触。
目をやると、そこには旦那様が寄りかかっていた。
顔の距離も、物凄く近い。
羞恥で顔が真っ赤になってしまった自分の顔が窓に映る。
「あらあら、旦那様…。
アイリス様、どうなさいますか?お嫌なら起こしましょうか?」
リリスは旦那様に呆れているよう。
旦那様はそんなやり取りも露知らずといった感じで、ぐっすりと眠っている。
そうだ。
一週間働き詰めで、更に争いに巻き込まれたんだった。
疲労困憊は当たり前だ。
「いえ。…嫌では…ないわ。」
私が微笑みながらそう答えた、その時。
「アイリス…」
旦那様は突然、うわ言のように私の名前を呼んだ。
しかも呼び捨てで。
「えっ!?」
思わず声を上げてしまい、旦那様が少しだけ寝返りを打ったので、起こさないようにとすぐに自分の手で口を塞いだ。
その直後には、また穏やかな寝息が聞こえてきた。
(寝言か…でも何だったのかしら。)
旦那様の寝顔を、少し背徳感を感じながら見つめた。
普段よりいくらか幼く見える。
その綺麗な瞳は見えないが、顔は微笑んでいた。
私は魔が差して、何故かその艶のある綺麗な黒髪を触ってしまった。
それでも旦那様は穏やかに眠る。
その安らぎを感じさせる旦那様の寝顔を見ながら、私は、ただただ平穏な時間が続くことをぼんやりと願った。
そうして私は、ゆっくりと睡魔に侵されていった。
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