両思いなのにお互い勘違いしている令嬢と侯爵様の話 作:霞草。
これは夢だろうか。
ふと気が付けば、幼い頃の自分が目の前にいた。無機質な表情、呪いだと言われた黒くて暗い瞳。疲れ果てて魂が抜けたような目で私を見つめる。
そして、彼は私に聞いた。
『もう…死んでも良いかな?』
それは、何もかもに絶望を感じていた8年前の声。
私はそんな彼に、静かに首を横に振った。
◇◇◇
また今日も、朝が来た。
快晴の空、暖かい気温、鳥のさえずり。
誰だって清らかな朝に思うだろうが、僕には憂鬱そのものだ。
ベッドから上がった、丁度そのタイミングで、ノックもせずにメイドが入ってきた。
「ふわぁ…眠。坊っちゃま、おはようございまーす。ちゃんと食べて下さいね。ははっ。」
薄汚い机の上に食事と服を雑に置いて、僕を一瞥。
汚いものを見るような目で僕を見て嘲笑ってから、すぐに出て行った。
ゆっくりと机に向かうと、そこには黒いカビが点々とあるパンと水で薄めたようなスープがあった。
きっと、パンの方は料理長の、スープの方はさっきのメイドの嫌がらせ。
机に置いてあった服は、メイドの兄弟の古着を更に土で汚したもの。
証拠として、知らない男の子の名前が記してあり、更に土が床にまで落ちている。
「はぁ…」
もう、何年経ったのだろう。
こんな生活を続けて、一体何の価値があるのだろう。心が腐れていくだけなのに。
もう11年。ずっと変わらない。
生まれた時から、僕の周りの人達はこぞって僕を嫌った。
─僕は、呪われている悪魔のような子だから。
赤子の時から目の色が暗かった。
青が黒ずんだような、印象の悪い目。
幼い頃から母親に会うと「貴方は私達の子じゃない。悪魔よ。」と冷笑を浮かべて言われた。
父親は無視一択。
両親が僕の身体に触れたことは、記憶の限り一度も無いし、きっも赤子の時も無かっただろう。
使用人達からは嫌がらせや蹂躙を受けた。
この身体に、どれだけの傷を負ったか。
生きていて意味はあるのかな。
この、人として扱われない人生に。
(それならいっそ…)
そう思って、僕は小さな窓を開けた。
僕が入れるサイズではある。
(もう、思い残すことないよね。)
全てを諦めた無の感情を抱きながら、外を見つめた。
「来世は…在り来たりで良いから、“幸せ”が欲しいな。」
そう呟き、窓に身を投げ出そうとした瞬間だった。
遠くに、ある丘が見えた。
別に花が咲き誇って特別美しい訳でもないし、沢山の人がいる訳でもない。
なのに、何故か釘付けになってしまった。
その丘だけに、特別感を抱いた。
(どうせ死ぬなら最期くらいここを出て…出来ればあそこで死にたいな。)
最期くらい、好きにしたい。
死ぬ場所くらい好きに選んでも良い筈。
僕のことを虐げるくせに、皆、揃いも揃って僕をこの城から出さなかった。
僕を人として見ていない奴らにいつも虐げられるこの“檻”から。
閉じ込める理由はきっと、親に言いつけられているの半分、自分の鬱憤晴らしにしたいの半分。
だからずっと、この城から出たことがなかった。
優しい人に出会いたい、あわよくば幸せになりたい。
そんなことはもうとっくに諦めた。
でも、今の僕には生きる理由が出来たから。少しだけ気力が湧いてきた。
正門から外に出るのが一番楽だろうが、門の前には番人がいて、以前通ろうとしたら「しっしっ。呪われたガキはあっちいけ。」と虫のように扱われた。
正門は使えない、だとしたら残るは窓。
自分の部屋の窓から出て、近くに生える木を登り、その高い塀を越える。
塀を越えたら外にある近くの木に移り、地面に下りる。
そうしたら丘に向かって歩き続ける、それだけ。
肝心なのは、窓から出て木に登る程の体力が、塀から木に移って下りる程の体力が、その後に歩き続けられる程の体力が、そしてそこまでの気力が、僕にあるかどうかだった。
ずっと部屋に閉じ籠っていた僕は、きっと力がない。
一般的に見たら弱々しいだろう。
(でも、初めて自分からやりたいと思えたことなんだし…)
それから。
窓から見えた騎士達のトレーニングを見よう見真似でやった。
部屋の中で走る練習もした。最初は息が続かなかったが、それでも、今までで一番一生懸命に。
3ヶ月後のある夜明け。
窓を全開にし、近くの木によじ登った。
「うっ…」
予想以上に木の表面が荒く、太ももの皮膚を切ってしまった。赤い涙が流れる。
でも、諦めるなんて。
ただここを出ることだけを目標に、必死に、必死に、必死に─“檻”を出た。
「やった…」
外の地面に足を付けた時、身体に涼しい風が染み渡った。
こんなに気持ちの良い風、受けたことがない。
清々しい気分だった。これが“自由”なのか。
もし脱走したことが使用人や両親にバレても構わない、そう思えた。
丘で死んでしまえばそれまでだし、たとえ死なないで城に戻ってきてまた虐げられても、今の僕は大丈夫。
今の僕はきっと、強く在れる。
自由って、こんなに強かったのか。
11年間に渡って僕に絡み付いていた鎖が取れたような気がした。
丘の頂に行くまでに掛かる時間は、想像の倍以上だった。
でも、さほど苦でもなかった。
初めて間近で見た草木や花を新鮮に思いながら楽しく歩けたから。
「うわぁ…」
息を切らしながら頂に辿り着いてその風景を見た時には、生きてきた中で一番気分が優れた。
眩しい朝日が昇り、草木や街が照らされる。
照らされた草木や街は生き生きと輝き、世界中がきらきらと光って見えた。
城よりかは標高は低いはずだけれど、この丘からの景色の方が美しく見えた。
草木や建物が見える角度、もしくは時間帯の問題だろうか?それとも今の気持ちの問題?
分からないけれど。
「これが“綺麗”か…」
思わず、涙が出てきた。
色々な感情や環境に会って、心がパンクしたように。
初めて、生きてきて良かったと思えた。
─その時。
「こんにちは。隣に座っても良い?」
あどけなさが入った、可愛らしい声が聞こえた。
僕は反射的にびくっと身体を震わせてしまった。
僕のことを呼ぶ人は大体、汚いものを見る目で僕を見たから。
でも声の主は美しい金髪の女の子で、その目は汚いものを見る目ではなく、光を奥に宿したような美しいエメラルドグリーンだった。
雰囲気があったかくて、優しそうで、まるで天使のよう。
「だ、大丈夫…?」
その少女は、泣いている僕を見て慌てながらそう言った。
“大丈夫?”
生まれて初めて掛けられた言葉だった。
まさか僕に、誰かに心配される日が来るなんて。
「ひ、1人になりたい?だ、だったら帰るね。何かごめんね」
だけど女の子は、慌てたようにそそくさと帰ろうとしてしまう。
後ろを向いて、歩き出そうと─
「え…?」
僕は無意識に、その女の子の服の端を握った。
女の子は驚いたように振り返る。
礼儀が悪いのは分かっていたけれど、帰って欲しくなくて。一緒にいて欲しくて。
いつから僕は、こんなに欲張りになったんだろう。
でもその温かい空気をずっと隣で感じていたかった。
その思いが伝わったのだろうか。女の子はゆっくりと僕の隣に座ってくれた。
「…貴方、名前は?」
名前…僕の名前はリアン、だけれど。
僕は、この前メイドが言っていたことを思い出した。
“リアン”はここら辺では珍しくてそれでいて綺麗な名前で貴方には似合わない、と。
もしこの名前を伝えて、この子に侯爵家の呪われた息子だって知られてしまったら。
(嫌だな…)
「…レオン。」
咄嗟に出た名前は、レオン。
この丘に来る時にある少女が少年に「レオンっ!」と、幸せそうに呼んでいたから。
偽名といっても一般的な名前を知らなかったから、“レオン”が丁度よかった。
実際にある名前なら、その名前が不自然である可能性は低くなるだろうし、僕が変に創作するよりよっぽど良い。
まぁ、半分は幸せそうな時を過ごしていたその2人に対しての羨望だけど。
「そっか。…私はアイリス。アイリス・アメリアン。私ね、いっつもここに来ているの。」
アイリスは、まだ少しだけ泣いている僕の背中を温かい手でそっと撫でながら、そう言って微笑んでくれた。
(あったかいなぁ…)
星のような金髪が風で靡いた。
その光輝く目は、弧を描く。
その時のこの少女があまりにも美しく神秘的で、僕はアイリスの顔を真っ直ぐ見つめてしまった。
正面から見た僕の目がどれ程気持ちが悪いか、散々知っている筈なのに。
「綺麗な目…」
でも、アイリスが放った言葉は意外そのものだった。
「…き、綺麗?これが…?」
(これが綺麗?何を言ってる?)
困惑する僕に、アイリスは平然として「うん、綺麗。」と答えた。
あろうことか、まるで惚けているような顔色。
「…そ、それは、皮肉?…黒い目なんて、この国では不吉…だろ?」
これが、喧嘩を売られるということなのだろうか。
僕は途切れ途切れになりながらも懸命に言葉を紡いだ。
そして、きゅっと彼女を睨む。
馬鹿にされないように。
「そうなの?」
でも彼女は、そんな風潮を知らなかったようで。
「…いつも、僕の両親は、そう言う。だから…虐げられるんだ。」
思えばこれが初対面なのに、何でこんなことを話したのだろう。
しかも、話すことに慣れていないのがバレバレな口調になってしまっている。
僕のそんな言葉に、アイリスが大きな声で「な、何それ!?」と言った。
僕はその大声に怯え、びくっと身体を震わせてしまう。
大声は僕にとって悪いことでしかない。
誰かに怒られる時、叩かれる時、蹴られる時。
そのどの時も、騒がしい怒鳴り声が飛び交った。
(これは…失礼だよね…)
人に怯えるなんて、失礼そのもの。
アイリスの様子からして、きっと彼女はそんなつもり無かったのに。
(怒られる、かな。)
無礼を詫びろ、なんて言われると思っていた。
─でも、アイリスは。
「ご、ごめんね?急に大きな声出して。でも、そんなのおかしいよ!目の色で虐めるなんて、正気じゃないわ。
私ね、黒い目が不吉とか、そういう風習は分からないけれど、綺麗だと思う。」
「…これが?」
「うん!青みがかった黒い目なんて初めて見たわ。奥深い感じで、とっても綺麗。」
アイリスは、両親に怒ってくれて、この目を綺麗だと言ってくれた。
生まれて初めて、僕を肯定してくれた。
アイリスのその言葉は、僕には“生きていて良い”と言われたように感じた。
僕という存在を肯定してくれた気がした。
─どうしてこんなに、あったかいんだろう。
虚無感で埋まっていたこの胸の中に、ぽつぽつと温かくてきらきらした光のようなものが入ってくる感覚がした。
僕の代わりに怒ってくれるなんて。
この目を褒めてくれるなんて。
その温かさに、思わずまた泣いてしまった。
泣くことは忘れたと思っていたのに、今日一日、沢山の涙が溢れた。
「…ほ、ほんとに?」
本当の本当に?それが本心なの?
─信じて良い?
アイリスは一切迷うことなく「ほんとに!」と答えてくれた。
(あったかい…嬉しい。)
初めて出会った、人の優しさ。
僕は一生、今日のことを忘れないだろう。
アイリスが僕の顔を見て笑った。
まるで天使のように、美しく、可憐で、愛らしく、何より眩しい笑顔だった。
◇◇◇
そんな幼い頃の出来事を思い出していた次の瞬間、私は目が覚めた。
それでも辺りは真っ暗。多分、ここもまた夢の中。
ぐるっと周りを見渡して、遠くの方に一筋の明かりがあることに気が付いた。
どこに行けば良いのか分からず、とりあえずそこに向かって真っ直ぐに歩く。
歩いて、歩いて。
どのくらい時間が経ったのだろうか。
ある時、辺りが光に包まれた。
『…っ。』
眩し過ぎる光に、思わずきゅっと目を閉じた。
しばらくして、静かに目を開けると。
『アイリス…』
そこには、色とりどりの花々に囲まれたアイリスがいた。
現在のアイリスと同じくらいの背丈だが、今よりも健康状態は良さそうだ。
その金髪は真っ直ぐに下ろされ、美しいレースやフリルが使われた純白のドレスを身に纏うアイリス。
そんな彼女は私を見て、天使のように麗しい、飛びっきりの笑顔を浮かべて言った。
『リアンっ!』
心が温かくなる、愛しい声で。
余談ですが、レオン(クロッカス侯爵、リアン)の“青みがかった黒い目”は、日本人の真っ黒な目とヨーロッパ系の澄んだ青い目がハーフになったイメージです!
見たことがないのでよく分かりませんが…笑
ご覧頂きありがとうございました!
次話もご覧頂けると幸いです(*´꒳`*)