モブですがオリキャラがちょっとだけ登場します。苦手な方はご注意ください。聖ルチーアという社会性の欠落したファンタジーの塊で歪められてしまった「沙都子の成長」と「梨花と沙都子がどれだけ歩み寄るか」そして置き去りにされてしまった「梨花の成長」という業卒で語られたテーマが個人的に腑に落ちなかったので、自分が腑に落ちるようなIFのカケラを紡いでみました。※Pixivと同時掲載です。

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昭和60年8月、汀の花

アナウンサーの実況がなんだか妙に耳障りで、テレビの電源を切った。

もう高校野球にも飽き飽きだ。かといってめぼしい番組はないし……。

 

ごろりと畳の上で寝がえりを打つと、今度はキーンという耳鳴りが気になる。

 

「はぁ……暇、ですわねぇ……」

 

夏休みの午後。何をするでもなく……私はひとり無為に過ごしていた。

 

一昨年の今ごろは楽しかったな……圭一さんもレナさんも魅音さんも詩音さんもいて……毎日雛見沢ではしゃぎまわって……たくさん遊んだっけ……。

 

でもそんな四人も今では興宮の高校に通っていて、私とは疎遠になった。

高校には高校の仲間がいて、彼らには彼らの生活があるから、当たり前だけど。

 

分校の部活も、圭一さんの卒業後は富田さんや岡村さんが中心になって全員参加の緩いお遊びになってしまったから……正直いって面白くはない。

 

そんなの、小学生の頃みんなと校庭でやっていたボール遊びと一緒だ。

 

部長の富田さんは、イカサマでもトラップでも北条は何でもやっていいから部活に参加して欲しいと言っていたけれど。

 

……年下の子供たち相手に中学生にもなってそんなことをするのは流石に気が引けるし、楽しい罰ゲームもないから面白くもなんともない。

 

考えてみれば自分には……学校外で付き合うような友達もいなければ、部活やトラップ以外でやりたいことなど何ひとつない……からっぽのがらんどうだった。

 

熱っぽくてぼーっとする。頭もずきずきと痛む。

 

夏休みに入ってから体調がすぐれない……暑さのせいだろうか?

連日熱帯夜でよく眠れていないし……風邪でも引いたのかもしれないなぁ。

 

畳の上に無造作に置かれていた本を手に取る。

梨花が図書館で借りてきた、海や魚の写真集だ。

 

ぺらぺらとページをめくると、遠い異国の青い海や真っ白な砂浜。

極彩色の熱帯の魚たち……そして水中を泳ぐ大きな魚が目に留まった。

 

「お寿司が食べたいですわね……」

 

今年の綿流しの祭りのあと……魅音さんと梨花に連れて行かれた園崎本家での宴会で供された、鯛や平目、本鮪などの握りが並んだ立派な寿司桶を思い出す。

 

……それは「北条の娘っ子をいじめる奴は園崎を侮辱するのと同じ」「もう村八分などない」という対外アピールだ。

 

去年も同じように園崎本家にお呼ばれして……ごちそうをいただいた。

もう私を疎外するような大人は村にひとりもいない。

 

梨花が一生懸命手を回してくれたことに感謝はしているけれど……。

 

もう何ひとつ元には戻らず、還らないのだと思うと、ぐるぐると考えてもどうしようもないくだらないことが、頭の中で繰り返し何度も巡り憂鬱になる……。

 

去年、入江を交えて梨花から伝えられた……不治の病だという私の病気のこと。

 

脳に障害を負って暴れるようになってしまい、薬で昏睡している兄のこと。

 

ほんとうに最近になって思い出した、数年前の……私の両親の死のこと……。

 

自分はもう世界でひとりきりなのだと、そう思うと胸が苦しくなって、悲しくて……冷たくどす黒い感情がぐるぐると逃げ場を失って渦巻き始める……。

 

耳鳴りとセミの鳴き声が交じり合って頭に響いて……頭痛が止まらない……。

 

 

「――ただいまなのですよー、沙都子」

 

 

がらがらと引き戸が音を立て、そんな声が階下から聞こえた。

とんとんと階段を上がってくる音に、おなかがふんわりと温かくなった気がする。

 

「おかえりなさいませですわ、梨花」

 

まったく、いったいどこへ行っていたんだか……。

梨花の顔を見て思わず笑顔になってしまう。

 

私の手にある写真集を見て、嬉しそうな顔で梨花が口を開いた。

 

「沙都子も、おさかなや海に興味があるのですか?」

 

こんな綺麗な写真集を眺めて、食べ物のことを考えた自分が急に恥ずかしくなる。

 

「そ、そういえば、わたくし海って行ったことありませんわね」

 

「ボクもなのですよ、ずっと山の中だから海を知らないのです」

 

同志を見つけたとでもいうように梨花が微笑む。

 

「沙都子、あした一緒に水族館に行きませんですか?」

 

「水族館……ですの?」

 

笑顔で頷く梨花。

 

『東海三県日帰り』『夏の遊び場完全ガイド'85』と銘打たれた旅行雑誌を取り出して、何度も折り目がつけられ読み込まれたページを開いて見せてくれた。

 

「おさかなさんや、ジュゴンさんや、ラッコさんがいっぱいなのです♪」

 

巨大な水槽やラッコのショーの写真の上にカラフルでポップなフォントがおどる。その水族館の楽しげな様子が、紙面上からも感じられるようだった。

 

……旅行に、いい思い出はない。

それも、兄を置いての旅行には。

 

「雛見沢を離れても大丈夫ですの?その、みなさんのご病気のことは……」

 

「日帰りなら大丈夫なのですっ!さっき入江に相談して来たのですよ?」

 

それで梨花は朝からどこかへ出かけていたんだ、と納得した。

嬉しそうな梨花に水を差したくなかったから、話を合わせてやる。

 

「いいですわねぇ、ふたりで県外へお出かけなんて初めてですわぁ~♪」

 

「入江を運転手にして、自動車でばびゅーんとひとっ飛びなのですよ☆」

 

兄を置いて、自動車で、旅行に……。

 

作り笑顔が崩れてしまう。唇を噛んで、胸が苦しくなる。

どくどくと動悸が激しくなり、胸を押さえてうずくまってしまった。

 

「……沙都子?どうかしたのですか、沙都子?」

 

「はぁ、はぁ、はぁ……だ、大丈夫ですわ」

 

「……っ!」

 

梨花は何かに思い至ったような表情をして、今にも泣き出しそうに顔を歪めた。

こんな顔をさせたくない。梨花が行きたいなら私の気持ちなんてどうでもいい。

 

「……そうですわ!わたくし電車に乗って遠くへ行ってみたかったんですのよ!」

 

満面の笑顔を作って、梨花を安心させようと明るく振舞う。

 

「わたくし生まれてこの方、電車なんて乗ったことありませんもの!水族館も海もとっても楽しみですわねぇ~!をーほっほっほっほっほ!」

 

「本当に大丈夫なのですか?無理をしなくても……」

 

「わたくしをあんまり舐めないでくださいませんこと?お出かけくらい余裕ですわ」

 

引き結ばれていた梨花の口元に、笑みが戻ってくる。

 

「……よかったのです、ボクもすっごく楽しみなのですよ~☆」

 

これでいい。梨花の重荷には、絶対になりたくない。

 

梨花は気を取り直して『小型全国時刻表』という本を取り出し、興宮駅からの経路と所要時間を確認し始めた。私が自動車を断ることも考えていたのだろうか。

 

旅行なんて乗り気じゃない。雛見沢でふたりきりでいられればそれでいい。

けど、梨花の悲しい顔は見たくないから……梨花の望みは叶えてあげたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、梨花が行きたがっていた隣の県の水族館は遠すぎて、日帰りはできなかった。片道だけでびっくりするほどの時間がかかってしまうからだ。

 

始発で向かえば行けなくもないけど、遊べる時間がとても短くなってしまう。

タイムリミットがある以上、余裕を持って帰宅しなければならないのだから。

 

梨花は石で器用に貝を割る芸をするラッコをどうしても見たかったようで、本当に子供みたいにガッカリして肩を落としていた。

 

……本人には悪いけど、しょんぼりした梨花はとっても可愛らしい。

 

大人びた目つきをしたかと思えば、幼い子供のような素直さを見せてくるくると移り変わる……梨花のそんなところが……私は、好き。

 

……雛見沢が辺鄙な田舎であることを初めて嫌いになったかもしれない。

せめてもう少し交通の便の良いところであれば、もっと早く着けるだろうに。

 

「いつか必ず一緒に行きましょうね」と言ってあげると、機嫌を直したようだった。

 

臙脂色のモケットのシートは煙草の匂いが染みついていて、そこに膝を突いて窓に張り付いて犬のように景色を眺める私を……梨花は微笑ましそうな目で見つめている。

 

車窓を流れていく景色は目新しいもので……見ていると、ワクワクすると同時になんだか物寂しいような悲しいような、不思議な気持ちになった。

 

緑の山が、暗い森が、広い畑が、流れる河と鉄橋が。

 

見知らぬ街角を歩く人々、道路を行き交う自動車が。

 

初めて見る高層ビルディングや大きなネオン看板が。

 

そのきらめく風景のすべてが、自分とは関係ないもののように見える。

 

どうせ私はあの山奥の小さな村と町の間で死んだように生きて、

ただひとりだけ取り残されて、朽ちて死んでいくだけなのだと。

 

どうしても暗くなりがちな自分を押し殺し、生まれて初めての鉄道旅行に目を輝かせて騒ぐお馬鹿で明るい沙都子を演じる。

 

そうしているうちに……自分でも悲しいのか、楽しいのか、寂しいのか、嬉しいのか……よく分からなくなってきた。

 

吐き気もするし、肩が凝ったみたいに身体の節々が痛い。

最近ずっと、熱っぽくて頭が痛くて、いやなことばかり考えてしまう。

 

体調がよくないことを悟られれば梨花は帰ろうと言い出すかもしれない。

梨花の初めての旅行が私のせいで台無しなるなんて耐えられなかった。

 

辛くても何でもないように振舞うのは私の大得意だ。

梨花のために今日だけは、元気いっぱいの沙都子を演じようと思う。

 

私鉄や国鉄を何度か乗り換えていくつもの町を越えて、線路は都会へと向かう。

 

やがて立ち並ぶ灰色のビルの群れが途切れて、トラックがたくさん停まった倉庫や積みあげられた大きなコンテナが見えてくる。きっとこの先が港なんだろう。

 

「あっ、梨花!あの大きな真ん丸の建物は何なんですの!」

 

「ガスのタンクさんなのですよ、丸いと壊れにくいのです」

 

「梨花、梨花!海が見えてきましたわ!きらきら光ってますわよ!」

 

「もう、沙都子……少しは落ち着くのです、みっともないのですよ」

 

目立つ建物や珍しい景色を見つけては、梨花の肩を叩いて見て欲しいとお願いするたびに、大人ぶって文句を言いながらわざと面倒臭そうに振り返る梨花。

 

はしゃぐ私をたしなめながらも、その様子はどことなく嬉しそうだった。

 

都会から少し離れた郊外にある小さな港町の水族館が今日の目的地だ。

ジュゴンもラッコもいないけれど、梨花とふたりならどこだっていい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほらほら……海はすぐそこですわよ~、梨花ぁ?」

 

「ぐすっ……ひっ……えっぐ……」

 

泣きじゃくる梨花の手を引いて、さびれた倉庫街を歩く。

コンクリートに照り返す日差しは雛見沢のそれよりも熱かった。

 

ようやく着いた水族館は、臨時の休館日。

 

ぷんぷんと不機嫌に怒りだす梨花を想像していたのに、いきなり声を上げてわんわんと泣き出したので、とっさのことに驚いて声も出なかった。

 

……それだけ、梨花はこの小旅行を楽しみにしていたのだろう。

 

梨花が雛見沢を離れたり亡くなることで、例の病気にかかっている雛見沢の住民が一斉におかしくなって暴れ出す可能性があるという話は冗談の類ではないらしい。

 

梨花にとって旅行というものは、私が思うそれよりも重い意味を持つのだ。

 

梨花は一生雛見沢に縛り付けられたままかもしれない、そう思うと悲しかった……と同時に、そんな梨花の境遇に安堵している自分もいることに気が付いた。

 

監督が病気を治してしまったら……梨花は。

首を振って、そんな暗い想像を追い払った。

 

「梨花、今日は残念でしたけど、近いうちにまた来ればいいじゃありませんの。今度は水族館にお電話して、開いているかどうか聞いてから来ればいいんですわよ」

 

ぼろぼろと涙を流しながら声にならないか細い声で頷く梨花。

 

圭一さんやレナさんが分校を離れてから、いや……そのもっと前から……私に対して梨花が幼稚な振舞いをすることが増えたように思う。泣いたり怒ったり……。

 

まるで急に母親から離された子供みたいで、可愛いと思う。

寂しくて、私に甘えているとかだったら、うれしいな……。

 

泣いている梨花の汗ばんだ手をぎゅっと握り直し、波音の方へ向かって歩いていく。

海浜公園を示す標識に従って進むと、ざぁっと明るい日差しとともに視界が開ける。

 

古い展望台と申し訳程度の公園を抜けて、堤防の階段を降りた先は砂浜だった。

 

雛見沢のダム現場跡のようにゴミだらけの灰色と茶色の砂。

 

そして鮮やかな青とは程遠い……ざあざあと寄せては返す、深い緑色のような、青黒いような、暗く透明度のないお世辞にも綺麗とは言えない大量の塩水。

 

海藻が乾いたような、貝が腐ったような潮っぽい独特の生命の匂いが漂う。

 

強い日差しと白い雲、青い空がどこまでも続いて、水平線で海と交わる。

 

初めて見た本物の海は、写真集で見た外国の海とは違ったけれど……これはこれでいいものだと思った。

 

「梨花ぁ!海でございますわよ~!海ぃっ!」

 

目をうさぎのように赤くした梨花が、私の声に顔を上げて少しだけ微笑んだ。

 

「こ、これはなんですの!?ぶよぶよしてますわよ!?気持ち悪っ!」

 

拾った棒で、砂の上に打ち揚げられた縞のある透明なゼリー状のものをつつく。

 

「それはアカクラゲという生き物なのですよ、沙都子……毒があるのです☆」

 

「んぎゃああっ!こ、これ……毒がありますの!?怖いですわ~!」

 

私が大袈裟に驚いてみせると、梨花は夏の向日葵のように満面の笑みになった。

よかった……梨花に悲しい顔は似合わないから。ずっと笑顔でいて欲しい。

 

「素手で触らなければ大丈夫なのですよ。びっくりしちゃった沙都子はとってもかわいそかわいそなのです……♪なでなで、なでなで……♪」

 

梨花は、背伸びして私の頭を撫でた。

頭を撫でるのは梨花が上機嫌のサインのようなものだ。

 

「海ってとっても広いんですのねぇ……雛見沢の川が、ちっぽけに見えますわ」

 

「世界の果てまでつながっているのですよ?広いに決まってるのです」

 

淡い水浅葱のサマードレスを、海風にぱたぱたとひるがえしてみぎわを歩く梨花は……太陽のまばゆい光の中で、夏の妖精のように鮮やかに輝いている。

 

普段着の自分とは違って、相当にめかし込んできた梨花はお姫様みたい。

 

ふいに吹いた強い風に、梨花の帽子が飛ばされて空を舞う。

 

黄色いリボンのついた真っ白なキャペリンハットを、私は犬のように拾いに走る。

そんな私を見つめる梨花は、心底楽しそうに笑ってくれた。

 

帽子を手渡すと、まるで大型犬を可愛がるように首をわしゃわしゃとくすぐられた。

 

「んあぁ~……ワンコ扱いはやめてくださいましぃ……」

 

「沙都子の身体はそうは言ってないのですよ?気持ちいいのですか~?」

 

小さく頷くと……ぎゅっと抱きすくめられた。

 

「沙都子はかわいいかわいいなのですよ☆」

 

「梨花ぁ……恥ずかしいですわ……」

 

海水浴の予定はなかったから、水着は持って来ていない。

泥だらけになって砂遊びをするほど、私たちは幼くもなかった。

 

……だから、ふたりで貝殻を拾い集めて遊んだ。

 

砂浜にはさまざまな色や大きさの貝があって……図鑑を取り出しては目を輝かせて私にどんな貝なのかを得意げに説明してくれる。

 

私が見つけた淡く光るざらついた宝石のようなものを見せると、これはガラス瓶の破片が波と砂のあいだでやすりのようにみがかれて出来たものだと教えてくれた。

 

涼やかな水色のそれを、物欲しそうにしていた梨花の小さな手に握らせてあげる。

 

「梨花にプレゼントいたしますわ、せいぜい大切になさいませ♪」

 

「わぁ……ありがとうなのですよ、沙都子……にぱ~☆」

 

頬を染めた梨花に笑顔でお礼を言われると……なんだかこそばゆいな。

 

梨花はしばらくの間、ガラスを撫でながらずっと幸福そうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ひと通りはしゃぎ終わって、公園の展望台のベンチに座って休む。

 

なんだかひどく疲れた。……体が重くて、思うように動かない。

近くにあった自販機で買った缶飲料は冷たく甘く、疲れた体に心地良い。

 

ぼんやりと波打ち際を眺めていると、梨花がぽつりと言った。

 

「沙都子、実はボクには……夢があるのです」

 

「夢、ですの……?」

 

「大人になったら……遠い所へ、海の向こうへも行ってみたいのですよ」

 

水平線の向こうを見つめながら、梨花は私に言う。

その瞳は夏の光を反射してきらめいていて、覆せぬ決意が見てとれた。

 

「……それは、雛見沢を離れる、ということですの?」

 

……無理だ。

雛見沢症候群が不治の病である限り梨花は土地に縛られ続ける。

 

だから、私と梨花はこれからもずっと……。

 

「昨日入江に呼び出されて、ボクが診療所に行っていたのは覚えていますですか?あのとき、入江からとっても嬉しいお話を伝えられたのです」

 

……いやだ、その先は聞きたくない。

聞いてしまったら、きっとぜんぶ終わってしまう。

 

「雛見沢症候群の根治療法の目途が立ったのですよ。2、3年の内に症候群を根絶することができるそうなのです!沙都子の病気も治るのです!一生打たなきゃいけなかったかもしれない注射を、もうしなくてよくなるのですよ!」

 

「そう、なんですの……」

 

口の中が乾いて、苦くて、ドキドキが止まらない。

それはつまり、梨花が……私を……。

 

「……もう、ボクは村にずっとずっといなきゃいけないなんてことはなくなるのです。だから将来は……東京のいい大学に行ってたくさん勉強して、いつか世界中を飛び回るような仕事をしたいのですよ」

 

そんなふうに理想を語る梨花は、ただ目映く美しく輝いて私の目に映る。

みじめでみっともない何にもない私とは、何もかも違う……素敵な梨花。

 

「わたくしは……おばかですから……東京の大学なんて無理ですわね……」

 

「そんなことはないのですよ、だって沙都子はなんだって………………」

 

梨花は、昔から特別だった。

 

お人形のように綺麗で、可愛くて、それでいてまるで大人のように賢くてしっかりしていて……家事もお料理も何もかも完璧な理想的な女の子。

 

理不尽に叱られるどころか、大人たちが逆に言うことを聞かなければならないくらいの権力があって、誰からも好かれていて、村のお姫様のような存在で……。

 

まるで梨花は、御伽噺や冒険譚の主人公みたいだ。

 

だから、そんな梨花のそばにいると自分も物語の登場人物として参加できるような気持ちになって、素敵な人間になれるんじゃないかって……勘違いしてしまう。

 

凡人の私はきっと雛見沢から出ることもなく一生を過ごすのだろう。

 

誰もいなくなったあの寂しい村の、悲しい思い出しかない私の家で。

 

ずっとずっと家族も友達もいないまま、ただ私だけがひとりぼっち。

 

もう梨花しかいないのに、梨花も私から離れて行ってしまうんだ。

きっと私は、なんにもできないまま、ひとりぼっちで死んでしまうに違いない。

 

 

 

──それはきっと、私がかつて犯した罪への罰なんだ……。

 

 

 

「沙都子、沙都子……話を聞いてますですか?沙都子……」

 

「えっ、あ、えぇ、なんでもないですわ……ちょっと疲れただけですの」

 

「大丈夫なのですか……?それでさっきの続きなのですけど……」

 

梨花は不思議そうな顔をして、立ち上がって展望台を歩き回る。

 

私に何か話しかけているけれど、何を言っているのかよく聞き取れない。

寒気がして、ぼんやりとして、息が苦しくて、吐き気がして、頭が痛くて。

 

私が邪魔になったとか、さっさと家から出て行けとか、お前に食わせる食費がもったいないとか、死んでしまえとか、きっとそんなことを言ってるに違いない。

 

だって私はいらない子なんだから。殺されて当然の罰当たりなんだから。

 

梨花は黙ったままの私を見て、何故か悲しそうな顔をしている。

違う、あれは怒っているんだ。私が邪魔だから、鬱陶しいから。

 

展望台の手すりにもたれようとした梨花を見て、反射的に体が動く。

 

「梨花ぁ!落ちちゃいますわ!」

 

梨花の腕を掴んで、必死に引っ張って手すりから引き離す。

 

「さ、沙都子!?どうしたの!」

 

「梨花、そんなところにもたれたら落ちてしまいますわ!」

 

「落ちるって……こんなところから落ちたって30センチもないのですよ?」

 

梨花は困ったように笑っている。

いや……これは嘲笑だ。私を馬鹿にしているに違いない。

 

「私のお父さんもお母さんもそうやって落ちてしまったのですわ!私が、私が車で眠っているちょっとのあいだに……川に落ちていなくなっちゃった!私が知らない間に全部終わってた!さよならもいえなかった!」

 

「沙都子、あんた……記憶が!?」

 

「もうやめてぇ!許してよぉ!梨花もいなくなったら、私はどうすればいいの!」

 

両手で掴んでいた梨花の手を抱き締める。

頬を熱いものが伝って、自分が泣いていることに気付いた。

 

「梨花のお父さんやお母さんもいなくなって!にーにーもいなくなって!圭一さんもレナさんも魅音さんも詩音さんも梨花もいなくなって!楽しいこともうれしいことも全部全部、私の前できらきら鮮やかに輝いて……私が好きになって、抱き締めたらすぐに消えてしまって、みんなみんな、私の前からいなくなってしまう……!」

 

「沙都子……そんな、そんなことは……」

 

「そうよ!これはぜんぶぜんぶ、オヤシロさまの祟りなんだから!……梨花、私はあなたにずっと嘘をついてた!」

 

「嘘って……何の話なのですか?」

 

「……うんと小さいころ、祭具殿に入ってオヤシロさまの像を壊したのは、私だったの!卑怯な私が黙っていたから、お父さんに梨花があんなに叩かれて……恨んでるでしょう?怒ってるでしょう?」

 

「別に、怒ってないのですよ……あれは、ボクが……」

 

「嘘ばっかり!梨花も、オヤシロさまも、絶対に私を許してくれないんだ!分かってるもん。あの時、祭具殿を汚して、梨花を見捨てた私への天罰なんだって。これはみんなみんな……オヤシロさまの祟りなんだって!」

 

「沙都子、もしかして午後の注射がまだなのではないですか?」

 

「私、知ってるんだから。オヤシロさまが本当に祟りを成すときはすぐに本人を祟らないんだって。親しい人から順番に殺して、みんな殺してしまってから……本人を殺すんだって。……殺さなくたって、私から引き離して……絶望させて……!」

 

「……油断したわ。こんなに症状が悪化してるなんて!……もう、体調が悪いならそう言いなさいよ!この子ってば、本当に手間のかかる……!」

 

「一番大事な梨花も、一生会えなくなっちゃう!私を放ってどこかへ行っちゃうんだって……!いやだ、やだやだやだ、やだよぉぉ……!私には梨花しかいないのに!」

 

梨花は私を振り解き、振り向いてどこかへ向かって大きく手を振っている。

梨花、梨花、梨花、いなくならないで……なりふり構わず梨花にしがみつく。

 

「沙都子、沙都子ッ!ああもうクソッッ!……早く来なさいよ、無能ッッッ!!」

 

世界が不安と恐怖で塗り潰され、どたどたと大勢の足音が響く。

ぐわんぐわんと頭に響いて、視界が暗くなってくる。

 

「はぁ、はぁ!どうしたんですか、梨花さん!」

 

……どうしてだろう……入江監督の声がする。

ここは雛見沢だったのかな、海だと思っていたのに。

 

「見て分かんないのッ!?沙都子が発作を起こしたのよッッ!」

 

「これは……すぐに車両を回してくださいッ!C120を倍量で静注!L4以上の症状が認められます!対象のL5発作に備えて腕部拘束具の準備をッッ!」

 

「沙都子!沙都子ッッ!入江ッ!沙都子が!沙都子がぁ!」

 

「落ち着いて下さい!梨花さんもご一緒に車に……対象とRが同乗しますッッ!2番車の後席を空けてくださいッ!番犬は分乗して2番車の護衛を…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日が沈んで、闇がしのび寄る。

誰もいない部屋の中は、ほとんど真っ暗だ。

 

意地悪な叔母が死んで、村の人たちがぶつくさと文句を言いながらお葬式を出して、

叔父は帰って来なくて、私と兄はこの家にふたりきりで残された。

 

兄は警察から帰ってきてからずっとごはんも食べずに塞ぎ込んでいたけれど、今朝になって何か思い出したように立ち上がって……ふいっと出かけてしまった。

 

……私は、ひとりぼっちになってしまった。

 

今日は、私の誕生日だ。

 

別に私は、生まれてきたくなんかなかったのに。

こんなに辛くて苦しいのなら生まれなければよかった。

 

……兄は帰ってこない。

 

きっと私を捨ててどこかへ行ってしまったんだろう。

それとも、オヤシロさまの祟りで死んでしまったんだろうか。

 

それは全部、私があの時……オヤシロさまの怒りに触れてしまったから。

 

どうして、祭具殿なんかに入ってしまったんだろう。

どうして……友達を見捨てたりなんかしたんだろう。

 

ここで待っていればオヤシロさまは私を鬼隠しにしてくれるだろうか。

それならそれでもいい。とっても疲れた……もう、楽になりたい……。

 

膝を抱えて部屋の隅っこ、カーテンの下で座ったまま目を閉じた。

 

──とんとん、と玄関の戸が叩かれる。

がたがたと物音がして、がらがらと玄関の引き戸が音を立てて開かれた。

 

もしかして、本当にオヤシロさまが私を殺しに来たんだろうか。

オヤシロさまもノックをするんだなと、どうでもいいことを考える。

 

ぱち、と音がして蛍光灯が明滅して点灯して、眩しくて目を細めた。

 

「……沙都子」

 

誰かの声がしたけれど、返事をする気力もない。

しばらく無視していると、近くにやってきてしゃがんで覗き込んでくる。

 

「沙都子、ボクのお話を聞いて欲しいのです」

 

ふと顔を上げると、梨花が微笑んでいた。

梨花は戸惑う私の手を取って、温かな両手で包むように握る。

 

「……ひとりでこんなとこにいるのは、よくないのですよ。悟史が帰って来るまで僕のおうちで一緒にお留守番しましょうなのです」

 

「にーにーは、もう帰って来ませんわ……わたくしのせいで……」

 

「…………じゃあ、なおさらこんなところに沙都子を一人で置いてきぼりになんてできないのですよ。さぁ、ボクと一緒に行きましょうなのです」

 

「……いいんですの?わたくし……ご迷惑にしかならないと思いますわ……」

 

「沙都子が迷惑だなんて、そんなこと絶対にないのですよ。さ、行くのです」

 

梨花の手を取り、少しふらつきながら立ち上がる。

玄関で靴を履いて、梨花に手を引かれながら外に出た。

 

オレンジ色の夕日はもうとっくに山の稜線の向こうに落ち、すみれ色の空には青くて黒い雲が重く垂れこめ、電灯が用水路と砂利道を照らす。

 

森を抜けて吹く、落ち葉が腐る独特の匂いをまとって冷えた風が頬を撫で、私の手を引いて前を歩く梨花の髪を揺らしていた。

 

夕飯時の民家から、お味噌汁の匂いや魚が焼ける臭いが漂い、空腹の胃を刺激して逆に軽い吐き気を催した。自分にはもう二度とそんな当たり前の団らんなんて来ないんだろうな、と暗い気持ちが胸に降り積もる。

 

道を行き交う村人とすれ違うと、私を見て露骨にいやな顔をする。

それはそうだ、二度も祟りの対象になった罰当たりな家の子供なのだから。

 

梨花が冷たい視線で一瞥するとあわててそっぽを向いて、私に気付かなかったようなふりをして歩き去っていった。

 

「ごめんなさい……わたくしのせいで梨花まで……」

 

「……沙都子、そんなの気にしなくていいのですよ」

 

ぎゅっと強く手を握られ、ぐいぐいと足早に引っ張られる。

あわてて歩調を合わせて、一生懸命梨花について行く。

 

神社に続く長い坂を登りきって、梨花は町内会の防災倉庫の引き戸を開けて私を招き入れた。かび臭い倉庫を抜けて、階段を上って、靴を脱いで上がると……小さな台所があって……その先に梨花が暮らしているであろう、居間があった。

 

「お邪魔します、ですわ……」

 

「おかえりなさいなのですよ、沙都子」

 

「おかえり……なさい、ですの……?」

 

初めてここへ来た私に、梨花は力強く頷いた。

 

「ここはボクと沙都子のおうちなのですよ。だから沙都子は、いつまでもずっとここにいていいのです。遠慮しないでくつろいでほしいのですよ」

 

「梨花と、わたくしの、おうち……」

 

勧められるままに座ると、梨花がジュースの入ったコップを持って来てくれた。

 

「沙都子、ごはんは食べたのですか?夕食は今から作りますので時間がかかるのです……おなかがぺこぺこなら、お菓子があるのですよ?クッキーと、チョコレートと、おせんべいと……わぷっ!……むぎゅう……」

 

近くにしゃがみこんだ梨花に抱き着いて、ぎゅっと両手でしがみつく。

 

……どうしようもなく悲しくて、ぼろぼろと涙がこぼれてしまう。

 

「梨花、りか、りがぁ……ぐすっ、うぇぇぇ……」

 

「沙都子……大丈夫、大丈夫なのですよ……ボクが、ボクがいるのです」

 

みっともなく泣きじゃくる私を梨花は抱き締めて、背中を撫でてくれた。

暖かくて、優しくて、安心できて、幸せで……ほんの少し、罪の匂いがした。

 

私が梨花と一緒にいたら、梨花も祟りに遭ってしまうのではないだろうか。

そんなことを想いながら、梨花の優しさに甘えて、ぬくもりに溺れてしまう。

 

もしそうなるのだとしても、私はもう梨花と離れたくない。

だって私にはもう、優しくしてくれる相手は梨花しかいない。

 

私の人生に残った、素敵なものは……梨花だけなんだから。

 

……梨花が大好き、世界で一番梨花が好き、梨花を愛してるの。

だから梨花、どこへも行かないで。ずっと私のそばにいて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……目が覚めると、蛍光灯の白い光、つんとした消毒液の匂い。

窓からは、やわらかな木漏れ日が差し込んでいる。

 

「……んぅ……どこですの、ここは……?」

 

ベッドのシーツにくるまれて、長い時間眠っていたようだ。

身体を起こそうとすると頭に鈍い痛みが走る。

 

「……あぁ、よかった……沙都子ちゃん、ここは診療所ですよ」

 

白衣の入江監督が笑顔でベッドのそばに立っていた。

 

「監督……わたくし、どうして……梨花は……?」

 

「梨花さんは別室で休んでいらっしゃいます。ほとんど寝ずに沙都子ちゃんのそばで看病していましたからね……それよりも沙都子ちゃん、大事なお話があります」

 

監督は厳しい表情で私を見る。

 

「以前、雛見沢症候群は死に至る病だとお伝えしたはずです。体調が悪ければすぐに申し出て下さいとあれほどご説明したじゃないですか。こんなになるまで放っていてはいけません。……一時は危ないところだったんですよ」

 

「熱っぽくてだるかったから……お風邪かと思って……ごめんなさいですわ……」

 

私の謝罪を聞いて、監督は穏やかな表情で微笑んだ。

 

「ええ、沙都子ちゃんが分かってくれればそれでいいんですよ。……しかし、これほどの発作となると……何か……強いストレスに心当たりはありますか?」

 

「……その……村のみんなのご病気が治ったら……梨花が、村を出て行くって……」

 

「そういうことですか……おふたりの問題、ということですね。私が力になれることなら何でもやるつもりですが、これは梨花さんにお任せするしかないようです」

 

「……ぐすっ……りかぁ……」

 

「……少々お待ちください、すぐに梨花さんを呼んできます」

 

監督が出て行ってしばらくすると、ぱたぱたと軽い足音が近づき、病室の白いパーテーションの向こうから、ひどく疲弊した様子の梨花が顔を出した。

 

「……よかった……本当に……」

 

「…………梨花」

 

枕元の椅子に梨花が座り、叱られた仔猫のように俯いた。

しばらくふたりのあいだに沈黙が横たわり、空調の音だけが響く。

 

「……沙都子、聞いて欲しい話があるの」

 

「……ええ、言われなくても、梨花のおうちを出て北条の家に戻りますわ」

 

……長くお世話になり過ぎたとは思っていた。

親族でも何でもないのに、いつまでも家に居座り続けるなんて図々しい。

 

「……だからどうしてそうなるのよッ!少しは私の話を聞いてよ……!」

 

梨花が涙目になってベッドのシーツを掴む。……私から離れる梨花に、他に何の話があるのかと困惑していると、梨花はそれを了承と受け取ったのか話し始めた。

 

「信じられない話かもしれないけれど……私は……本当は、百年以上生きているの。生きているわけじゃなくて……百年間死んでは何度も世界を繰り返して…………」

 

そうして始まった梨花の告白は……にわかには信じがたい……SF小説や漫画のような、荒唐無稽でデタラメとしか思えない……壮大な物語だった。

 

梨花は死の運命を避けて、ただ自分の人生を生きるために、何度も何度も死んでは無数の世界を渡り歩き、その世界では村人や自分はみんな死んでいるのだという。

 

詩音さんが私を憎み拷問して殺すだとか、圭一さんがレナさんや魅音さんをバットで殴り殺すとか、どれもこれもムチャクチャな話だけれど……確かに雛見沢症候群の妄想や幻覚症状のせいだと考えれば……辻褄は合う。

 

一昨年の6月、山狗とかいう連中と戦ったことを思い出す。女王感染者である梨花を殺そうとする悪い奴らを、みんなでやっつけて撃退した事件だ。言われてみれば……あれも普通の感覚でいえば映画か何かのような話だったように思う……。

 

なぁんだ、とっくにわたくし……梨花の物語の登場人物でしたのね。

 

梨花はひと通り話し終えると、また叱られた仔猫のように俯いてしまった。

……こころなしか、肩が小さく震えているようにも見える。

 

「……そう……だから、梨花はそんなに大人でいらっしゃいますの……」

 

「……えっ?信じてくれるの?こんな訳の分からない話……」

 

「梨花がそんな神妙な顔で嘘をつくことはありませんもの……梨花が嘘をつくときはいつもカラ元気の作り笑顔ですわよ?わたくしと同じですわね。……百年間も死に続けるなんてお辛かったでしょうに……本当の本当にお疲れさまでしたわ、梨花……」

 

梨花は私の言葉を聞くと、歪んだ笑顔に涙を浮かべたまま黙ってしまった。話を信じてもらえたのがよほど嬉しいのか、何度も頷いている……。

 

「では、わたくしは本当に祟られているんですのね……オヤシロさまの生まれ変わりの梨花が世界を繰り返すなら、祟る力も本物だと思えますもの……」

 

「オヤシロさまは、祟らないわ」

 

梨花は真剣な顔つきで呟いた。

 

「……どうして、そう言えますの?」

 

「あの子にはね、祟るような力なんてないからよ。あいつ、なんにもできないのよ?どんなに怒ったって地団太踏むのが関の山。それにそんなに簡単に祟ることができるなら、ダムの関係者も、反対派だった北条家も、最初の年に一気に全員死んでるでしょうに……それにあの子に祟り殺す力があったなら、山狗も鷹野もとっくに死んでるわよ。あんたがトラップで山狗をやっつけることもなかったはずよ」

 

あの無能のせいで、どれだけ苦労させられたか……!と梨花は吐き捨てた。

 

「まるでオヤシロさまと知り合いみたいに言うんですのね」

 

梨花はふっと笑う。

 

「私ね、以前は……本当にオヤシロ様と話ができたの。これがまたどうしようもない甘ったれの意地っ張りでね……泣き虫で、お馬鹿で……あんたといい勝負かもね」

 

確かに梨花は独り言が多かったように思う。

オヤシロさまとお話しているという噂は本当だったんだ。

 

「そこまで言われると、一度会ってみたいですわね……」

 

「覚えてないのね……あんたも会ってるのよ?一昨年の夏に。角の生えた、紫色の髪のふにゃふにゃした間抜けな女の子。覚えてない?あれから翌年の春くらいまでは私たち……一緒に暮らしてたのよ」

 

言われてみれば……圭一さんとレナさん、魅音さんと詩音さん、梨花と私のほかに……もうひとり……誰かがいたような気がする。気弱で甘いものが好きな、梨花の親戚だって……古手家の親戚筋は絶えたはずなのに……?

 

「まぁ、心残りがなくなったからって、遊ぶだけ遊んで、食べるだけ食べて……今はもう眠っているけどね。もう起きないそうよ。起きるにしても古手家に八代長女が続くことでもなければ無理でしょうけど……私は子供を産む気はないもの」

 

「でも、わたくしを祟って……ひとりぼっちにしようとしているのは……オヤシロさまが怒っているからでございましょう?」

 

「全部誤解よ。祭具殿のこと、私とっくに知ってるもの。あいつ、あんたが勝手に入って吊られた篭を落として祭具殿をめちゃくちゃにしたって怒って泣いてたわ。私が親に告げ口をしなかったのは、沙都子が叱られるのが可哀想だったからよ」

 

「じゃ、じゃあ……私は本当に祟られて……!」

 

「……オヤシロさまの祟りなんて眉唾よ。巫女である私が断言する。オヤシロさまは沙都子を祟らない。あの子が私の大切な沙都子を祟ったりなんかしたら、それこそ私がけちょんけちょんに懲らしめてやるわよ」

 

キムチのタバスコ一味和えで飽和攻撃ね、と梨花は笑った。

 

「じゃあ、わたくしがひとりぼっちなのは……わたくしの自業自得ですのね」

 

梨花はしまったという顔をしてしばらく逡巡した後、ぎゅっと私を抱き締めた。

 

「ごめんね、沙都子……あんたのこと、何も考えてあげられなかった……そうよね、もうあんたには昏睡した悟史しかいないんだものね……」

 

「梨花ぁ……」

 

私は梨花に与えられる体温に縋り付く。

寂しくて寂しくて、どうにかなってしまいそうだから。

 

「村八分だったから、大人の知り合いも入江くらいしかいないし、圭一たちみたいな年上の友達しかいないんだもんね……あの子たちも高校生になっちゃったから、昔みたいにあんたと頻繁に会って遊べるわけじゃないし……」

 

「みなさんにはみなさんの新しい生活がありますもの……わたくし弁えてましてよ」

 

「そうね、分かってる。分校であんたと同年代は富田と岡村くらいだし、分校と家を往復するだけの毎日で、あんたには新しい人間関係を作る余裕なんてなかった」

 

「梨花が、梨花だけがいてくれれば、わたくしはそれで……」

 

でも、梨花は私から離れて行ってしまう。

東京の大学へ行って、世界中を回る仕事に就いて……。

 

「……私が沙都子のことを欲しがり過ぎて、縛り付けてしまっていたのね。あんたが他の子や男に取られるんじゃないかって思って……私、本当に反省してる……」

 

「違いますわ、梨花、わたくしが梨花を欲しがって、束縛して……」

 

「そうさせたのは私なのよ。オヤシロさまにも叱られたわ……あんたを一人の人間として扱ってない、ペットにエサをあげて可愛がってるだけの関係と変わらないって。どうして沙都子を信じてあげないのか、ってね……」

 

犬扱いでも、梨花と一緒にいられるならそれでもいいと思う。

ペットでも何でもいいから、私は梨花とずっと一緒にいたい。

 

「あの時は時間がなくて言いそびれてしまったけれど……あんたはやっぱり、私の話を信じてくれた。もっと前に全部、何もかも話すべきだったわね……」

 

「……わたくしも祭具殿のことを話しておくべきだったと思いますわ……でも、もし世界で一番大好きな梨花に……信じてもらえなかったらって思うと……だから、梨花の気持ちは、わたくしにもわかりますわ」

 

梨花は私に頬ずりをして、くすっと笑った。

 

「あんた、一昨年と同じようなことを言うのね……やっぱり沙都子は沙都子だわ」

 

梨花は抱き合っていた身体を離して、椅子に座りなおす。

 

「ねぇ沙都子。新学期から興宮の中学に通ってみない?知恵に言えばすぐに編入させてもらえるわよ。本当は私たち、興宮中学校に在籍してることになってるしね」

 

「分校をやめて、興宮に……ですの?」

 

「……実はね、来月から廃線になったバスが復旧するのよ。毎日バスで一緒に興宮まで通いましょ。そこには高校生になったみんなはいないけれど……大勢の生徒や先生がいて、色々な部活動もあって……きっと楽しいわよ」

 

「梨花のほかに友達を作って、梨花から離れろって言いたいんですの……?」

 

「そうね、そうなることもあるのかもしれない」

 

ぎゅっと胸が鋭く痛んで、息が止まる。

ぼろぼろと涙をこぼしはじめた私を見て、梨花が大慌てで付け加える。

 

「違うわよ、絶交するって意味じゃなくって……!むしろ逆、私が見捨てられるかもしれないって話よ。私が沙都子をペットみたいに縛り付けて、他の人間と関わらないように計算して、私だけを見るようにコントロールしてたんだから」

 

「わたくしが梨花を見捨てるだなんて!」

 

「例えば、の話よ!私だって沙都子に捨てられたら悲しくて死んじゃうわよ……沙都子にはね、何だってできる可能性があるの。スポーツ万能で、手先は器用で、とびっきりの美少女で、明るくて人懐っこくて……でも、私にはそれが怖かった……」

 

梨花は自分をぎゅっと抱き締めて、目を閉じる。

 

「あんた、興味がないから気付いてないんでしょう?分校で一番目立っていて人気がある生徒は沙都子なのよ?富田と岡村も、北条が委員長や部長をするべきなのにって言ってたわ……あんたが他の連中とわいわい楽しくやってるときに、私はすみっこで座ってただけよ……その気になればあんたはなんだってできるわ」

 

「梨花、いやぁ……梨花と離れたくない……!」

 

梨花、梨花……わたくしは梨花だけがいればそれでいいのに……!

 

「はぁ、重症ね……私、沙都子と離れたいなんて一回でも言ったかしら?」

 

「でも、梨花は東京の大学に行って……わたくしはひとりぼっちで……」

 

「ねぇ、沙都子……大学なんてほんの数年の話じゃない。どうして一生離れ離れなんて話になるのよ?それに東京へ行くのだって、別に私ひとりって……」

 

我が儘な私に呆れたように振舞う梨花が悲しくて、見捨てられるのだと確信する。

 

「だって!海の向こうへ行って、世界中飛び回って、わたくしは日本のこの村でずっとひとりぼっちで!何もできない何にもなれない私は!梨花に捨てられてっ!」

 

梨花は私を捨てて、夢を選ぶつもりなんだって分かってる。

私が好きっていうのも、本当は嘘なんだ。

 

「……沙都子は、ついてきてくれないの?東京に、海の向こうに……」

 

「えっ……?」

 

「私、あの海で……沙都子に、ぷ、ぷぷ、プロポーズしたつもりなんだけど……」

 

梨花は真っ赤になって俯いてしまった。

 

「ぷ、ぷろぽーず……?でも、でもでも、私たち子供で、女の子同士じゃ……?」

 

想定外の単語に……頬が熱くて、心臓が破れそうなくらいどきどきする。

なんで?結婚?どうして?女同士なのに?まだ私たち中学生なのに……?

 

「そんなの関係ないじゃない!沙都子は私のこと好きじゃないの?ただの友達だと思ってる?……私は沙都子と……一生、一緒にいたいって思ってるけどね」

 

照れた表情で、早口で一気にまくし立てる梨花。

 

「梨花と一緒にいてもいいの、私……?」

 

「それは私じゃなくて、沙都子が決めることよ」

 

「私が、決めること……?」

 

「……とりあえず、興宮の学校で色々な人やものに触れて、あんたの世界を広げなくっちゃね。私の飼い犬なんかじゃない、ひとりの対等な人間同士になれたら……私との将来のことを考えるのは、それからにすればいいのよ」

 

「飼い犬じゃない、対等な……」

 

それは、難しいことだと思う。だって梨花はとっても素敵だから。

私はそんな梨花と対等な相手として、相応しい人間にならなくちゃいけない。

 

きっと梨花が言いたいのは、そういうことなんだ。

 

「どっちにしても私は……沙都子をそう簡単に手離すつもりなんか、ないけどね」

 

梨花は私の手を取って、くちづける。

 

「……大好きよ。百年前からずっと……愛してるわ、沙都子」

 

「わっ、私も……梨花を愛してるっ……大好きなんだからっ」

 

身を乗り出していた梨花の頬にちゅっとキスをする。

 

「な、な……沙都子……あんた……うぅ……」

 

頬を抑えて、面白いほど真っ赤になってしまった梨花。

意表を突かれたのか、言葉にならないうめきをあげている。

 

「梨花って面白い……自分がちゅってするときは平気なくせに……」

 

からかうように言うと、梨花は意趣返しとばかりに抱き着いてくる。

急に抱き締められて、今度は私がりんごみたいに真っ赤になってしまった。

 

「もうっ……沙都子……口調がおかしくなってるわよ……」

 

言われてみれば、口調が変わっていることに気付いた。

 

どうして私は、あんな口調をしていたんだっけ……?

 

甘えて人に従ってばっかりの暗い女の子じゃなくて、一人前のレディになるために願懸けを……下らない理由で、漫画か何かのお嬢様の真似をしていたんだっけか。

 

いつの間にか、それは私を縛るものになってしまった。

幼稚なお嬢様言葉は、私を甘えた仔犬のまま凍らせる呪いに。

 

梨花は、私にひとりの対等な人間になって欲しいと願った。

だから……梨花のキスで呪いが解けてしまったのかもしれない。

 

「それをいうなら梨花だって……何よ、その魔女みたいな偉そうな口調は?いっつもなのですぅ~☆とか馬鹿みたいなわざとらしい子供っぽい話し方してるくせに」

 

「馬鹿って……!沙都子こそ何なのよ、あの間抜けなお嬢様言葉は!ございますですますのことよ~☆とかアホっぽくて笑えるわ……日本語喋れたのね、あんた」

 

「ぐむぅぅ~!」

 

「ぐぬぅぅ~!」

 

お互いの肩を掴んでにらみあう。

 

「「ぷっ、くすくす……」」

 

なんだかそれがおかしくって、笑ってしまう。

ふたりで微笑みながら見つめ合って……。

 

「沙都子、ボクは沙都子が大好きなのですよ、にぱ~☆」

 

「梨花ぁ、わたくし梨花のこと、とっても愛してますわ」

 

どちらからともなく、お互いの口にくちづける。

 

梨花のくちびるは苺ミルクの味がして、思わず甘噛みして舐めてしまう。

薄く塗られたリップのフレーバーだと気づいた。

 

梨花は私の頬を両手で押さえて、私の舌を可愛がるように舐める。

 

「んっ、ちゅ……っはぁ……さとこ……ちゅき……」

 

「ぷはぁ……りかぁ……すきですわ、だいすき……」

 

梨花がスリッパを脱ぎ捨て、ベッドの上に私を押し倒し、脚を絡ませて……。

私を組み敷いて、長い髪をかき上げながら、熱いキスを落とす。

頬に、耳に、まぶたに、くちびるに……。

 

甘えた犬のように私は梨花の顔に鼻を擦りつけて、すべてを受け入れる。

やがてキスがあごに、首に、胸元へと下がって……。

 

……こういうことは、尻軽な母親のこともあって、汚い感じがして嫌いだった。

大人がとっかえひっかえ相手を変えて……ベッドで気持ち悪いことをして……。

 

でも、本当に大好きな梨花となら……それは高潔で尊い行為のように思えた。

私は梨花になら、何をされてもいい、すべてを捧げてもいい……。

 

本当に、心から……愛してますわ、梨花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

診療所の廊下をピンヒールでコツコツと叩きながら、白衣の女が歩いてくる。

以前のように看護婦の姿ではなく、白衣を羽織った研究者としての装いだった。

 

鷹野は自身の罪を償うため、祖父の研究を完全なものとするため、富竹とともに雛見沢に戻って、症候群の治療に関する研究を続けることにしたのだ。

 

番犬の監視下で、という注釈つきではあるが……雛見沢症候群の根治的な治療薬の開発に大きく貢献し、数年以内に完全に撲滅できるだろうという見通しも立った。

 

その治療薬の量産体制について、入江に意見を具申しに来たのである。

 

「……あの、入江所長、例の新型治療薬の量産についてですけれど……」

 

「後にして下さいませんか、鷹野さん」

 

「……は?」

 

見れば、入江は両手両足を広げて病室のドアの前に仁王立ちをしている。

メイドがどうこうだの、常から天才ゆえの奇行が目立つ男ではあったが……。

 

「今、私の人生最大のお役目が……この双肩に懸かっているのです」

 

真顔でそんなことを鷹野に訴えかけている。

鷹野は氷のような視線を入江に浴びせ、言い放った。

 

「……前々からおかしいとは思ってたけれど、とうとう壊れたのかしら、坊や」

 

まさか診療所の病室をこの男の趣味であるメイド服のウォークインクローゼットか何かに転用したのか?と考え、確認しようと入江を押しのけようとすると……。

 

「やめなさい、鷹野さん……!今この部屋には、御国が降りて来ているのです……衆生が希い、ついに遂行できなかった、神聖なる千年王国が……今、ここに……!」

 

……本当にこの男の頭がぶっ壊れたのだとすると、大変困ったことになる。

見た目や言動は完全に狂人のそれであるが……鷹野は呆れ顔で入江を見つめる。

 

「そういえば、この病室はあの子……北条沙都子の……?」

 

ふと耳を澄ませると、室内からは少女ふたり分の嬌声がかすかに聞こえてくる。

ははぁ~ん、そういうことぉ……近頃の子は進んでるわね、と鷹野は納得した。

 

「千年王国防衛作戦、私もお付き合い致しますわ、入江所長。……私、あの子たちにはどんなに償っても返しきれない借りがありますもの……」

 

頭の悪いポーズを取った入江の隣に立ち、いかにもな強キャラオーラを放ちながら、自分を監視している番犬を、指を動かして呼び寄せる。

 

「番犬一個小隊で診療所窓側を封鎖。狙撃班の観測手も出動させて周囲を監視させなさいな。この通路も完全に封鎖なさい。……ネズミ一匹通すんじゃないわよ」

 

命令された番犬は通信機に何事か話しながら、駆け足で去っていく。

そしておもむろに鷹野は……入江と同じポーズで……真顔で静止した。

 

ふたりは、顔と頭の良い……大馬鹿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

透き通った真っ青な海と、真っ白な砂浜、ヤシの木が風に揺れている。

水平線と空がただ青くまばゆく輝いていて、まるで天国みたいだった。

 

「わあぁぁ……綺麗ですわねぇ~……」

 

ふいに手を引かれて振り向くと、小学生くらいの梨花。

フリルのついた白いワンピースの水着がよく似合っている。

 

「沙都子、こっちこっちなのです!」

 

「り、梨花ぁ?ここはどこですの?」

 

梨花は答えず、私を引っ張って海へ向けて走る。

ふたりで海に飛び込むと、そこはあの写真集で見た通りのサンゴ礁だった。

 

赤や黄色、青、緑、黒、極彩色の魚たちが私たちの周りを泳いでいる。

大きなウミガメやクジラ、イルカ、何故かラッコやペンギンも水の中。

 

透き通った海水がきらきらぴかぴか太陽光を乱反射して、水泡が舞った。

こんな深い水の中なのに普通に息が出来て、苦しくないことに気付く。

 

「これは……夢ですの?」

 

「沙都子、おさかながいっぱいなのですよ~!」

 

ちいさな梨花は嬉しそうに、光る熱帯魚の群れを追いかけている。

私はそんな梨花に追いつこうと必死に走って、梨花を大声で呼んだ。

 

「りぃぃぃかぁぁぁ~~!待ってくださいましぃぃ!」

 

身体が重い、梨花よりも劣った私は海の底へ沈んでいく。

そんなのぜったいにいや。全力で脚をばたつかせ、梨花を追う。

 

梨花はそのまま泳ぎ去ってしまうのではないかと思った瞬間。

ぴたりと止まって、くるりと振り向いて……両手を大きく広げた。

 

「梨花ぁ!」

 

そのまま梨花の胸に飛び込むと、梨花はぎゅっと抱き締めてくれた。

 

「沙都子、心配いらないのですよ……これはふたりの夢なのですから」

 

「ふたりの夢……ですの……?」

 

梨花が私を抱いたまま青い水の中を泳ぐ。

 

「そう、私たちふたりだけの夢。海の向こうで、色々な景色を見たい、どこまでも一緒に泳いでいきたいって……沙都子も思ってくれてるんでしょう?」

 

「当たり前ですわ、梨花とお約束しましたもの!」

 

「古手梨花だけじゃない、村の外の広い世界に触れて、色々なことを学んで……ひと通り試してみて……それでも私と同じ夢を見てくれるというのなら、私たちはどこまででも泳いでいけるのよ。私は、沙都子……あんたを信じてる」

 

強く抱き締めたまま、梨花はまっすぐな瞳で私を見つめ、理想を語った。

私たちの重なり合う心がきっと……愛する相手と同じ夢を見せてくれる。

 

「ええ、梨花の言葉を信じて、わたくしも色々やってみますわ。沙都子はなんでもできるって、梨花の言ってくれた言葉を嘘にしたくありませんもの」

 

「ありがとう、沙都子……」

 

私も梨花を抱き締めて、今度は私が脚を動かして前へ進む。

魚の群れの間を縫うように、青い海をどこまでも泳いでいく。

 

「そういえば……悟史のことはどうなの?入江と鷹野の治療法なら後遺症も治るそうなのよ……だからしばらくすれば、悟史も起きて来ると思うわ」

 

「にーにー、ですの……?」

 

「……私よりも、悟史のほうが大切なんじゃない?悟史が起きてきたら私から離れててしまうんでしょ。少なくとも私は百年間、ずっと不安だったのだけれど」

 

不安そうに顔を背けてしまう梨花。

何を言っているのやら……子供じゃあるまいし。

 

「どうしてにーにーと梨花を選ばなきゃいけないんですの?兄と恋人は別のものですわよ……詩音さんがにーにーと恋人になったら魅音さんを捨てますの?」

 

梨花は思いつきもしなかった、という間抜けな顔をしている。

 

「それに、兄が起きて来てもきっと詩音さんと仲良くなるに違いありませんから……どっちにしても兄の傍にわたくしの居場所はありませんわ」

 

あれだけの美人で巨乳な女の子に慕われて、兄は果報者だと思う。

優しい兄のことだし、遠慮はしても詩音さんに押されればすぐに落ちるだろう。

 

そうなれば私は邪魔者でしかない。

それくらいのことはわかっている。

 

「そっか……そうよね……詩音がいるんだったわ……忘れてた」

 

「梨花って頭が良いのか、悪いのか、よくわかりませんわね……」

 

百年も生きているからなのか、大人同然にしっかりしているところもあるのに、こういうところはちっちゃな子供みたいに幼稚な部分もある。

 

大人になれず、小学生までの人生を百年も繰り返したせいなんだろうか。

でも、そんなアンバランスなところも梨花の魅力のひとつだと思う……。

 

兄と別れることを思うと悲しかったけれど、私には梨花がいる。

 

そんなことを考えているとぐんぐんと身体が大きく伸びて、胸やお尻が膨らんで……私はいつの間にか、高校生くらいにまで成長してしまった。

 

ちっちゃな梨花を大きな身体でぎゅっと抱き締める。

梨花はくすぐったそうに、幼く笑った。

 

「ねぇ、沙都子……オヤシロさまは祟らないって言ったの、あれ嘘なのよ」

 

「えっ!祟りますの!?」

 

「本当は祟るのよ。愛し合う二人がちゃんと仲良くしないと祟るのよ?嘘だと思うなら興宮の手前の平坂あたりのご年配の人に訊いてみなさい。あのあたりにはまだ昔のオヤシロさま信仰が残っているから。……ま、できることなんて地団太踏んでどたどた音を立てることくらいでしょうけれど」

 

「ふふっ、じゃあ、わたくしたち祟られないよう仲良くしなきゃいけませんわね!」

 

「あいつはね、みんなが言うような、人殺しの神様なんかじゃないのよ。本当は人の愛……縁結びの神様なの。……馬鹿みたいな話よね。人が人を殺すことを神様のせいにすれば揉めなくて済むなんて……土台無理な話だった……」

 

遠い目をして嬉しそうにオヤシロさまの話をする梨花。

大切な人だったのだろうか、と少しだけ嫉妬してしまう。

 

「ああ、勘違いしないで頂戴。私は確かにあの子のことが好きだけれど……それはそういう意味じゃないから……そうね、私の母親みたいなものよ。百年間ずっと一緒にいてくれて、料理だって家事だって、あの子が教えてくれたの」

 

「オヤシロさまは、梨花のお母さまでしたのね……」

 

「あの子が眠って、いなくなって、寂しくってね、沙都子を束縛し過ぎてしまったわ……ごめんね、沙都子……あんたが成長するはずの時間を奪って……」

 

「それであんなにわたくしに甘えてらしたんですの?梨花はお子様ですわねぇ♪」

 

「……みー。沙都子が可愛いのがいけないのですよ……」

 

ふてくされる梨花はぐんぐんと大きくなり、高校生くらいに育った。

先に大きくなった私よりも、随分と小柄なままの梨花を抱き締める。

 

笑ったかと思えば私を慮っては大人のように悲しい顔をして。

子供みたいに泣いたかと思えば、今度は百年の魔女のように振舞う。

 

くるくると風見鶏のように向きを変える梨花が逃げてしまわないように。

 

戸惑う梨花をぎゅっと強く抱いて頬を寄せる。

 

私は自分の一生を梨花に捧げるのだと決意した。

 

揺蕩う光の粒子をかきわけて、輝く水面へ向かって、力強く泳いでいく……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きんとした晩秋の朝の冷たい空気。『雛見沢停留所』と記された真新しい標識。そばには金属の柱とトタンで作られたちいさな待合所が建っている。

 

『寄贈 昭和63年 鬼ヶ淵死守同盟』の表示板が貼られた待合所の壁の前に少女がいた。モデルのように背が高く、年齢に似合わぬグラマラスで豊満な、大人びた肢体を学生服に包んだ……ひとりの美しい少女。

 

紺のセーラー服のミニスカートに黒いタイツ、鮮やかな金髪に黒いリボンを結って、ただ凛として艶やかな大輪の花のようにそこに立っていた。

 

「北条せーんぱい!おはよっす~!」

 

「おはよう、今日は早いのね」

 

同じセーラー服を着た幼げな黒髪の少女が、挨拶もそこそこに待合所のベンチに腰掛けて、学生鞄を隣席に放り投げた。

 

「それが聞いてくださいよぉ~、あたし今日の日直だから、教室の鍵開け当番なんです~!ギリギリまで寝てたいのにほんと最悪ですよぉ、っていうか先輩めっちゃ早くないです?もっと寝てましょうよぉ~」

 

「同居人の朝ご飯とお弁当を作ってるから……いつも早起きなのよねぇ、私」

 

「えぇ~~~!?同居人ってことはご家族じゃないですよね!?何、カレシ?カレシっすか?あっちゃー、富田先輩脈なしかよ~、先輩美人なのに学校でコクられても全部シカトですもんねー、どうりでね~!どんだけカッコイイんですかその人!」

 

「ええ、とっても凛々しくて格好良くて大好き。……将来を誓い合った仲よ」

 

「ヤッバー、やっぱこういう村だと許嫁とかそういうのあるんです?あーあ、あたしも早くカレシ欲しいな~!あたし現在絶賛カレシ募集中で~~す!」

 

脚をバタバタとさせながら、少女は叫んだ。

 

「副部長の岡村さんじゃダメなの?あなたと家も近いじゃない?引っ越して来たばかりのあなたに色々世話を焼いていたし、気があるんだと思ってたんだけどな」

 

「ないない!悪いけど岡村先輩はパスです、パス!あたし面食いなんで!あーあ、もう学校サボっちゃおっかなあ!こんだけ寒いと二度寝したくなりますよ~」

 

少女はおどけて、ベンチに横たわって眠ろうとし始める。

金髪の少女は呆れ顔で溜息をついた。

 

「はぁ……来年はあなたを次期部長にって思ってるのに、そんなことじゃ歴史あるゲーム文化研究会は任せられないわね……」

 

「えぇ!?私が部長って、そんなのムリですよぉ~。来年って北条先輩、3年じゃないっすか、続投しましょうよ~!」

 

「馬鹿ねぇ、高校3年生なんて受験生よ?部活に顔出してる暇なんてあるわけないじゃない。きっと来年の今ごろは私、発狂寸前になっちゃってるかもだしね」

 

「げぇ~、あたしも何年後かに受験生かと思うとキッツいなぁ~。うち弟が二人もつかえてるから私立は絶対ダメ、浪人もダメって言われてるんですよぉ!」

 

ふと少女が何かを思い出して、言葉を重ねた。

 

「え、もしかして先輩が東京の大学行くって話、その許嫁のカッコイイお兄さんと同じ大学狙ってるってことですか!?」

 

「違うわ。私とじゃ頭の出来が違うもの……だって東大だよ?私には絶対に無理」

 

「えぇ~、イケメンでインテリって完璧超人じゃないっすか!まさか家柄も!?」

 

「ええ、雛見沢御三家の現頭首だったと思うわよ」

 

「先輩ばっかりそんなのズルいですよぉぉ~~~!!あ~、私も雛見沢に生まれてカッコよくって金持ちで高学歴の許嫁が欲しかったなぁぁ~~!!!」

 

金髪の少女が弾かれたように振り向く。

 

「あっ、梨花ぁ!」

 

つややかで流れるような紫紺の長髪をなびかせながら、少々人間離れした美貌の小柄な少女が息を弾ませて小走りでバス停にやってきた。

 

ベージュのブレザーにストライプのネクタイ、膝丈のチェックのスカート……ふたりの少女とは異なる、その田舎には珍しい制服は、少し賢そうな印象を与えている。

 

「はぁ、はぁ……沙都子、どうして先に行っちゃうのよ……」

 

「梨花がいつまでも布団を被って甘ったれてみーみー鳴いてるのが悪いんですのよ?間に合ってよかったじゃありませんの~♪をーっほっほっほっほ!」

 

「どうせ同じバスに乗るんだから一緒に出てもいいじゃない」

 

「それより梨花ぁ、いってきますのちゅーがまだですわよ?」

 

沙都子は小柄な梨花に合わせて、少しかがんでくちびるを突き出して目を閉じる。

 

「もうっ、表でそんなこと……あんたの後輩が見てるわよ……」

 

「放課後までお別れなんですから、ちゃんとちゅっちゅして下さいませ♥」

 

溜息をついて、梨花は少し背伸びしながら沙都子のくちびるを吸った。

 

「これで満足?もう、恥ずかしい子なんだから……」

 

「大満足ですわ、梨花ぁ♥好き、大好き……ちゅっ、ちゅぅ……♥」

 

沙都子は梨花の肩を掴んで何度もキスを返す。

 

「んっ、むっ、むぐぅぅ……!ちょっと、なに朝っぱらから盛ってんのよ!」

 

「梨花ぁ、学校は何時に終わりますの?穀倉駅までお迎えに上がりますわ♥今日は駅ビルのデパ地下で韓国フェアですのよ?梨花のだ~い好きな本格激辛キムチをたくさん買っておきたいんですの~!」

 

「……穀倉駅前に4時半よ。一分でも遅れたら私一人でデパ地下に行くからね。あぁ、今晩は本場の青い唐辛子の天ぷらとか、超激辛豚キムチなんてのもいいわねぇ」

 

梨花は目を閉じて、今晩のめくるめく韓国グルメに思いを馳せた。

沙都子はニコニコしながら、アホ犬のように梨花に頬ずりしている。

 

「えっ……北条先輩のカレシって……女の人……?しかもめっちゃ美人だし……あれって穀倉のヤバい進学校の制服じゃん……こら富田先輩、勝ち目ないわ~……」

 

上級生の悲恋が潰える瞬間を目撃した少女は、呆然とベンチにもたれて天を仰ぐ。

トタンの屋根しか見えなかった。青春って悲しいなあ……。

 

がたがたと砂利道を踏みしめて、雛見沢のさびれた風景に相応しい、やたらと古臭いレトロなバスが走ってきて、待合所の手前で停車する。

 

大きな音を立てて折り戸が開いて、ふたりの少女が手を繋いで乗り込む。

 

「梨花ぁ、足元にお気をつけあそばせ、ですわぁ♪」

 

「あんた私のこと子供扱いしてんでしょ?まぁ、いいけどね」

 

「梨花が可愛らしいのがいけないんですわよ~だ」

 

「ばか。あんたの方が可愛いわよ……」

 

ふたりの少女は仲睦まじく笑い合いながら、ふたりで並んで席に座る。

 

「ちょっ!あたしもこのバス乗るんだった!乗りま~す!待ってぇ~!」

 

ベンチに座っていた少女が急いで飛び起きて、ギリギリでバスに飛び乗った。

 

ぐぅーん、と古いエンジンが大きな音を立てて、ゆっくりとバスが走り出す。

 

しんと静まり返った雛見沢の砂利道を駆け抜け、ダム現場跡のゴミ山の横を通り過ぎて、朝日の降り注ぐ坂道を駆け降りていく……。

 

『──本日は、鹿骨乗合自動車のバスにご乗車頂き誠にありがとうございます』

 

『このバスは、興宮経由、穀倉行き、普通です。次は平坂。平坂でございます』

 

『お降りの方は……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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