うちはの生ける炎   作:律可

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無貌

 十一月二十一日

 

 母の訃報を聞いて、おそらくわたしだけが妙に冷静だった。

 千手扉間が下手人かな、と思ったのだ。

 彼はまだ若いが凄腕の水遁使いで、「力押ししてくる敵の間隙を突いて無駄なく殺す」のが異常に上手い。

 チャクラの塊みたいな、あの千手柱間を近くで見続けているからだろうか。格上を仕留めるのが上手いのは。

 母と戦闘スタイルが近いわたしも、かつて千手扉間に文字通り刺された。あと少し反応が遅れていたら即死だったろう。

 だから、母もなのか、と思ったのだ。僅かな隙を突かれ心臓でも刺されたのではないかと。

 けれど違った。

 母を殺したのは千手扉間ではなく、千手柱間、かもしれなくて、多分違う。けれど目撃者は、あれは柱間だったと言っている。

 我ながら何を書いているのかわからない。

 明日が通夜だ、今日はもう寝よう。

 マダラ様の顔色が悪いのが気にかかる。

 

 ◇ ◆

 

 十一月二十二日

 

 母の子として、宗家の妻として、常に立ち働いている通夜だった。

 やることが多いと悲しむ余裕もないのだなと気付く。

 暗い通夜だった。

 明るく楽しい通夜なんてそりゃあないだろうけど、若君のそれとはまた異なる暗さと混乱に満ちた、足元が不安定に揺れているような、そんな通夜だった。

 きっと狂っていて、娘であるわたしすら時に殺そうとする、とんでもない母ではあった。

 それでもあの人は、一族の支えだったのだ。

 単純な強さだけで言うならもしかしたら族長すら凌いだかもしれない「生ける炎」の急死が皆に与えた衝撃は大きく、悲しみよりも「これからうちははどうなるんだ」という不安、動揺が広がっていた。

 わたしは「ああこれは泣いたりとかしたら駄目なやつだな」と思い、そもそも忙しくてその暇もなく、終始真顔で喪主を務めた。

 マダラ様が影のように、わたしに寄り添っていた。

 

 ◇ ◆

 

 十一月二十三日

 

 母の死に対し思うことは「千手との戦力差が広がったな」と、「気持ち的には案外大丈夫だな」だ。

 だがマダラ様曰く、大丈夫ではないらしい。

 一族は大丈夫でも、わたしが大丈夫じゃないと。

 そうかな大丈夫だけどな、と納得してない顔をしていたんだろうわたしに、マダラ様は「お前、最後にまともに食事をしたのはいつだ」と言った。

 いつだろう。

 

 ◇ ◆

 

 十一月二十七日

 

 イズナ様がやってきて「姉さんがちゃんとごはん食べるまでオレも食べない」と言い出した。

 食べていますよ、と言ったら、小鳥の餌くらいの量しか食べてないでしょとしっかりめに怒られた。

 イズナ様はまだまだ食べ盛りの男子なので、単なる脅しだろうとは思うが、気持ちがありがたかった。

 

 ◇ ◆

 

 十一月二十九日

 

 イズナ様が本当に食事をしていないことが発覚し、戦慄する。

 マダラ様に「イズナで足りないなら、オレも食を断つが」と言われた。

 

 どうしてこのご兄弟はこうも情が深いんだろうなあ。

 

 ◇ ◆

 

 十一月三十日

 

 マダラ様イズナ様に監視されながら昼食を摂った。

 イズナ様に「あれも食べて、もっと食べて」と勧められるまま口にした結果、本気で戻しかける。胃が弱っていたようだ。

 イズナ様が落ち込んでしまって申し訳なかった。

 マダラ様が「泣かないのか」「泣いていいんだぞ」「泣いた方がいい」と執拗にわたしを泣かせようとしてきて嫌だった。

 

 ◇ ◆

 

 十二月三日

 

 母のことを、というか、母を殺したもののことを考える。

 本当はもっと早く考えて対策を取るべきだったとわかってはいた。でもできなかった。

 母は戦場で死んだ。それはいい、仕方がなかった。あれだけ殺した母が殺されて文句を言うのはお門違いだ。

 問題はいったい誰が母を殺したかだ。

 母が死んだとき周囲にいたうちはは ほとんど死んでいる。母の炎に巻き込まれてだ。それでも奇跡的に生き残った数人がいて、彼らは「うちはトウカを殺したのは千手柱間だった」と供述した。

 それだけならいい、納得するしかない。

 だが彼らはこうも言った。

「その千手柱間には、顔がなかった」と。

 なんだそれは。

 わたしも、当然ながらマダラ様も、なんだそれはどういうことだと彼らを詰問し、けれどはっきりした答えは得られなかった。

 彼らは一様にひどく怯え、話すことが要領を得ず、まるで悪夢を見た幼い子のようで、歴戦の忍びにはとても見えなかった。

 顔がないなら何故千手柱間とわかったのだろうか。

 そもそも其れは本当に柱間だったのか?

 顔がないのはもういい、いったん置いておく。柱間だって顔がない日だってあるかもしれない。

 だがわたしとマダラ様が「其れは柱間ではなかったのでは」と思わざるを得ない理由はもうひとつある。

「柱間は、うちはトウカを嘲笑していた」

「トウカと共に炎に包まれながら、この世の全てを嘲るように笑い続けていた」

 そう、目撃者である彼らは証言した。

 それは千手柱間じゃない。

 千手柱間は、戦場で相対した敵を、それも女を嘲り笑うような男ではない。

 柱間の友だったマダラ様と、会いたくもないのに幾度も柱間と相まみえているわたしの共通認識だった。

 じゃあ誰なんだよ母を殺したのは。

 他に情報はないのかと目撃者たちに幾度も問いかけたが、「千手柱間(仮)を前にしたうちはトウカは見たこともないほど怒り狂っていた、宿敵を前にしたようだった」くらいしか新しい情報は出てこなかった。

 そして、それもおかしな話だ。

 母が怒り狂っているところなんて想像もつかない。狂ってはいたかもしれないが、怒ることはない人だった。

 うちはと千手は確かに宿敵同士だが、母は千手のことなど、よくも悪くも気にしていなかった。

 ならどうして母はそんなにも怒ったのか、嘲られたから?

 だから柱間は人を嘲るような男じゃない。

 わからない。

 何もわからない。

 わからないから気持ちがわるい。

 臓腑に土でも流し込まれたように胸が塞ぐ。

 

 ◇ ◆

 

 十二月九日

 

 母の最期を目撃した彼らの心身が一向に回復しない。

 特に精神面が深刻で、情緒不安定さと挙動不審さが日に日に増して、とても戦場に出せないそうだ。

 彼らは何を見たのだろう。

 

 ◇ ◆

 

 十二月十日

 

 千手柱間は普通に生きているらしい。

「うちはトウカの炎に包まれた」と証言があったから、死んでいる可能性もあると調べを出したところ、まぁ普通に健在だそうだ。

 だろうな。

 これで本当に、千手柱間が母を殺した張本人であるなら、もううちはは千手には勝てないと思った方がいいだろう。

 母の炎に包まれて生きているなんて、人ではない。

 

 人ではなかったんだろうか、母を殺した者は。

 母が炎の神に傾倒していたように、千手にはまた違う神がついていたりするのだろうか。

 その場合何の神だろう。

 森の千手と呼ばれる彼らだ、土とか森とかを司る神だろうか。

 よく燃えそうだ、燃やす。

 

 ◇ ◆

 

 十二月十二日

 

 森の千手というだけあって、彼らは深い森に暮らす一族だが、その森を、すみかを燃やしたくてたまらない。

 どうしてだろう。

 わたしなら燃やし尽くせるという確信も、なんならもう燃やしたことがある気すらする。

 どうしてだろう。

 

 ◇ ◆

 

 十二月十三日

 

 おかしい。

 こんなにも千手が憎くはなかったはずだ、わたしは。

 母が殺されたから?

 千手柱間ではきっとないのに?

 千手が邪魔で仕方ない、そう考えてはわたしはどうしてしまったんだと頭を振る。

 胸を焼くこの憎悪はいったい何なのか。

 屋敷を飛び出して奴らの住処の森を焼き尽くしたい、その衝動を抑え続けている。

 

 ◇ ◆

 

 十二月十六日

 

 母の最期を見た彼らが、遂に完全に発狂した。

 心身衰弱が治らないどころか悪化していくばかりとは聞いていた。

 その中でも特に酷かったひとりが、深夜、笑いながら庭に穴を掘っているところを一族の者に発見され、もはや始末するほかないと殺されたそうだ。

 笑うその彼の周囲には、彼の家族が遺体となって、折り重なるように倒れていたのだという。

 と、族長の長子であるマダラ様に報告がきて、わたしも一緒に聞いた。

 ここまで嬉しくない報告もそうない。マダラ様も絶句していた。

 発狂した彼につられるように、他の目撃者も次々とおかしくなった。

 なんでも、己の手を食べようとしたり、相手の言葉をただひたすら繰り返したり、狂気に呑まれたとしか思えない言動甚だしく、身内によって始末されるか、狂死したりした────のだと。

 

 一族の雰囲気が常になく暗く、重く、不安定だ。

 単に母が殺されただけならこんな雰囲気にはなっていなかったと思う。

「わからない」「理屈が通らない」ことがこんなにもストレスを与えるものだとは知らなかった。

 精神的な拠り所を求め、一族の皆が宗家に縋っているのがわかる。

 族長であるタジマ様は流石に堂々としたもので、「別になんでもありませんよ」という顔を保ち続けている。

 イズナ様は母が死んで以降ずっと激怒し続けている。よくも姉さんの母上を、と。恐れや不可解さを怒りに転換できるのはイズナ様の強さだなとは思う。

 マダラ様もしっかりしたもので、一族の前で不安そうな顔は見せていない。

 けれどわたしと二人きりのとき、心配ごとのある顔をしているので「大丈夫、敵はわたしが焼きますから」と言ったら「何よりお前が心配だ」と返された。

 千手柱間もどきよりもそれを見た者の狂気よりもわたしが心配だと。

 わたしなら何も心配いらないと言いたかった。

 

 言えなかった。

 わたしは何かがおかしい、その自覚はある。

 その自覚すら消えることが怖い。

 

 ◇ ◆

 

 十二月二十日

 

 年の瀬だ。

 タジマ様に呼び出された。

 マダラ様と離縁しろとかだったらどうしようと思いつつ行ったがそんなことは言われなかった。

 何度聞いたかわからない「貴女は母君に似ている」をまた言われ、それはもうわかったから……と辟易していると「だからこそ心配だ」と重ねられた。

 マダラ様どころかその父君にまで心配されているのかわたしは。

 見た目ではなく、雰囲気が日に日に母に近づいていっているらしい。

 母は、うちはトウカは、外見や振る舞いはいつも落ち着いていて動揺を外に出さない人だった。

 けれど内側に名状し難いなにかを抱えている人で、自分はついぞ、それが何だったのか芯まで知ることはなかったとタジマ様は言った。

 タジマ様から見ても奇人だったようだ。

 何かもなにも、母が抱えていたのは信仰による狂気だったのではと思う。

 わたしは神への信仰心はない。母とは違う。

 けれど、母の幼馴染だった、母へ何やら大きな感情を抱いているらしいタジマ様が仰るのだから、わたしは本当に母に似てきているのかもしれない。

 

 タジマ様は言った。

「うちはトウカが、内に何かを抱えながらも、それでも最後まで踏みとどまったのは夫と娘がいたから」と。

 つまりわたしの父と、わたしだ。

 愛しい家族が楔となって、母を人の枠に留めていたのだろうと。

 人の枠ってなんだ。

 タジマ様はタジマ様で、母のことを神聖視というか特別視し過ぎているきらいがある。

 愛しい家族、って、あの人わたしのこと何度か燃やそうとしてきましたけども。

 などとタジマ様に愚痴っても仕方がないので、はぁ、と気の抜けた返事をするに留めた。

 わたしはともかく、母が父を大切に思っていた、少なくとも何かしら大きな感情を抱いていたのは間違いないだろうとは思う。でなければ嫁がないだろう、あの母が。

 母にとっての父が、わたしにとってのマダラ様なら、そりゃあ大切ではあったのだろう。つくづく早くに他界したことが悔やまれる。

 

 唐突に「貴女自身のために、早く子を産んだほうがいい」と言われかなりぎょっとした。

 タジマ様はあまりそういったことに口出しするタイプではないと思っていた。一族の長なのだから、口出しする権利はお持ちなのだが。

 跡取り息子必要ですもんね、最善は尽くします、と言うと、いやそうではないのだと返された。

 確かに跡取りとしての子は必要だが、宗家としてではなくそれ以前に、貴女の、うちはケイカのために、早く子を得た方がいいと。

 血を分けた実子は必ず貴女を繋ぎ止めてくれると。

 なんだろうタジマ様はわたしたち母娘のことを浮草か何かだと思っているのだろうか。

 風が吹いたら飛んでいくと思われている疑惑がある。

 なし崩し的ではあったとはいえ、わたしはマダラ様の妻だ。

 あの方が生きている限りわたしはどこにも行くつもりはないし、行ってはいけない。

 

 ただ、今すぐに千手の森へ駆けていきたい気持ちを否定はできない。

 

 あの森を一面の赤に変えられたらどんなにいいだろう。

 

 ◇ ◆

 

 十二月二十七日

 

 星を見るのがわたしの趣味で、それは唯一母とお揃いの趣味でもあり、月が好きなマダラ様と共に夜空を見上げる時間はわたしにとってとても大切な、心が満たされる時間だったはずで、だからこそ夫婦になってからも二人で空を眺める習慣は続けていた。

 なのに、美しかった星が、「目」に見える。

 目に空から見られているような気がする。

 そんなわけがない。星に意識なんてない。

 理性ではわかっているが本能がそれを認めず、わたしを見下ろしてくる満天の目が怖くて、怖くて、夜空を見られなくなった。

 マダラ様はわたしを星好きだと思っているから、気晴らしにとわたしを星がきれいに見える場所へ連れ出そうとしてくれて、その気持ちが嬉しかったからついていった。

 師走のこの時期にわたしに時間を割いてくれる心遣いを無下にできなかった。

 けれどやっぱり駄目だった。無数の目がわたしを見ている、そう思うととても顔を上げられなかった。

 せっかくの澄んだ冬空で、きっと星は綺麗なのに、それをマダラ様と共有できないことも嫌だった。

 うつむくわたしを気遣ってマダラ様が、ほらあの星がいっとう綺麗だぞとか話しかけてくるのがまた心にくる。

 ここで「星に見られてる気がして嫌なんですよね」とか言ったら余計に心配させるだけ、と思うとそれも言えなかった。

 家に帰りましょうとも言い出せず、ずっとマダラ様の胸に顔を埋めて目をつぶっていた。

 おそらく、というか確実に、甘えていると思われただろうことが悔しい。

 マダラ様が背を手で擦ってくれて、正直に書くが、すごく安心した。

 

 ◇ ◆

 

 一月四日

 

 三が日が終わった。

 一族内の異様な空気は、全て霧散したわけではないものの、薄らいではきたようだ。

 人間というものは逞しい。

 家族が死んでも、見知った敵を殺しても、身内が狂っても、それでも来る今日になんとかついていくことができる。

 どんなに酷いことがあっても日は昇る。

 そうである以上わたしたちは生きるしかない。

 久々に、千手と争い合っていることをひどく滑稽で愚かしく思った。

 生きることでこんなにも精一杯なのに、わたしたちはどうして殺し合っているんだろう。

 

 ◇ ◆

 

 一月二十五日

 

 真冬は子づくりの季節らしい。

 戦がほぼなく田畑の世話をする時期でもなく、今のうちに子をなしておくべき時期なのだという。

 そうして生まれた子はまた戦場に送られるが、産まない選択肢はわたしたちにはないのだから、今のうちにそうしておくべきなんだろう。

 わたしは他の女たちと違って未だ戦場に立っている。

 いつ子が産めない身体になってもおかしくないし、というか死ぬかもしれないし、その前に跡継ぎを一人でも産んでおくべきだ。

 子どもがほしい。

 嫁ぐことさえ断固拒否していた頃のわたしが聞いたらひっくり返りそうだが、マダラ様との子が欲しい。

 跡継ぎがどうとかじゃない。

 タジマ様が仰ったように、自分のために子が欲しい。

 

 わたしの何かがずっとおかしいことにマダラ様も気づいている。

 母や一族の不審死がショックなのだろうと見守ってくれているが、きっとわたしがおかしいのは母達の死のせいじゃない。

 

 何かが変で、おかしくて、それをどうしたら正常にできるのかがわからない。

 

 星が見ている。わたしを見ている。

 

 ◇

 

 二月十日

 

 冬が明けたらまた戦が始まる。

 そうしたらまた戦場へ出られる。

 そうしたら千手と会って、柱間もいるだろうから、わたしは彼と戦って、殺そう。

 殺してどうなるんだ

 マダラ様はきっとまだ柱間のことを大切に思っていて、わたしが柱間を殺したら千手との和解の道は閉ざされるだろうし、それは若君の望みでもない。

 そういえば母が死んでから、あの方の夢を見ない。

 

 冬が明けてほしい。戦場へ出たい。わたしの居場所はあそこしかない。

 本当にそうだろうか。

 マダラ様を守ると約束したから

 そうするためには千手を皆殺しにすればいいんじゃないのかって、わたしは

 わたしなら奴等の棲家を焼き尽くせる

 あの森を

 

 太陽が真上にあるのに視線を感じる。

 

 ◇ ◆

 

 二月二十六日

 

 硬い顔のマダラ様に改まって呼び出され、お前がオレとの子を産むまでは、戦場へ出さないと言われた。

 約束が違う。

 嫁いでも戦場から離さないって、奥に閉じ込めるようなことはしないって、そう約束したじゃないですか。

 約束を破るんですかと言い募ろうとして、マダラ様があまりにも悲壮な顔をしていたから言えなかった。

 それに、どこかで安心している自分もいた。

 外に出ない方がいい気がする。

 火を見ない方がいい気がする。

 わかりました、子ができるまで、戦場に出ませんと言った。

 マダラ様は驚いて、それから申し訳ないような、悔しいような、困っているような、とにかく良くはない顔をした。

 ここ最近マダラ様が笑った顔を見ていない。

 わたしが嫁いでしばらくは、少なくとも母が殺されるまでは、機嫌よさそうに、幼い頃のような笑顔を見せてくれていたのに。

 わたしのせいだろうか。

 わたしのせいだ。

 苦しい。

 

 ◇ ◆

 

 三月二十日

 

 庭の桜が咲いた。

 宗家がわたしのために設けてくれた部屋は、ここまでしてくれなくてもいいのにというくらい広くて明るく、庭が美しく見える。

 そこに植えられた桜が綺麗に綻んだ。

 それを眺めていたらいつのまにかマダラ様が隣にいて、しばらく寄り添って桜を見ていた。

 花はいい、星と違ってこちらを見てこないし。

 

 明日、戦がある。

 千手との戦だ。

 わたしはここでマダラ様の帰りを待つことになる。

 

 嫌だ。

 

 ◇ ◆

 

 三月二十八日

 

 戦に出られない、ただ待つしかないことの精神的な負担がこれほどまでとは思っていなかった。

 いやもう本当に、きつい。

 すごくきつい。

 身体を思い切り動かせないのが嫌とか、敵を叩きのめせないのが嫌とかではなく、「ただ帰りを待つしかない」無力感が心身に堪える。

 わたしは戦えるのに。

 怪我か病で戦えないというならまだしも、わたしは少なくとも肉体的には健康で、今すぐだって戦えるのだ。

 なのに家にこもっているしかない、この閉塞感、戦で死にかけた時の百倍つらい。

 火を炊事の時くらいしか見なくなったこと、星が出る時間帯には部屋に篭るようになったことからなのか、精神的には安定した気はする。

 しかしこれは安定というより沈澱で、周囲の明度が下がって見える。

 これを書いている間にも、うちはの子やマダラ様の身に考えたくもないことが起こっているかもしれない。

 わたしにとって戦はずっと「命をかけて参加するもの」であって、「帰りを待つもの」ではなかった。

 長じてからはわたしは主戦力で、大きな戦ほど駆り出されてきた。

 わたしが出たからって皆を守れるわけじゃない、今までだって、わたしがいた戦場で多くの一族が死んでいった。

 それでも、わたしが家にいるうちに死ぬよりは、いっそ隣で死んでほしい。

 産むまで戦うなと言ったマダラ様は、わたしという戦力がなくなることを差し引いても、様子がおかしいわたしを守るためにそう決めたのだろう。

 もともとあの方はわたしが戦場に出ることを望んではいなかった。屋敷で待っていてほしいと、そう思っているんだろうなと感じていた。

 男として生まれていればよかったんだろうか。

 まさかこの年になって、女である痛みみたいなものを感じることになるとは。

 他の女性たちはどうやって耐えているんだろう、この、ただ待つしかない苦痛に。

 

 ◇ ◆

 

 四月十二日

 

 何もしていないと気鬱が酷いため、ひたすら家のことをしている。

 何事にも限度はあって、掃除しすぎて床に顔が写りそうだし、庭は手入れしすぎて生活感が消え失せた。

 そもそもマダラ様と暮らすこの屋敷は宗家のもので、共用部分は下働きの人が綺麗にしてくれているし、寝室のような他人を入れないスペースも元から綺麗だ。マダラ様は少し潔癖の気があるし、わたしもそれなりには綺麗好きだし。

 となると本当にやることがない。

 戦っているマダラ様たちを待つことしか。

 

 ◇ ◆

 

 四月十七日

 

 わたしを戦から引き離さないという約束を反故にしたのはマダラ様で、あのとき、素直に聞き入れないでちゃんと抵抗しておくべきだったのかもしれない。

 随分と長く、血も火も見ていない気がする。

 実際にはそこまで長い月日が経ってはいないとわかってはいて、でも、毎日がひどく長い。

 星から身を隠すように、陽が沈んでからは内にこもっている。戦闘の勘が鈍っていくのがわかる。

 一族は大丈夫なんだろうか。

 母がいなくなり、柱間は生きていて、きっとうちはは千手に押されている。

 わたしがいないのは痛手のはずだ。

 明日になったら、ヒカク様達に会いに行こう。明日は屋敷におられるはずだ。

 戦の趨勢を聞いて、それから、わたしが戦場に必要だと言ってもらいたい。

 きっと言ってくれる。

 わたしはあの母の、生ける炎の娘なんだから。

 

 ◇ ◆

 

 四月十八日

 

 ほとんど何も教えてもらえなかった。

 貴女はただ、

 屋敷であの方を待っていればいいと言われた。

 

 この屈辱、守るべきはずの一族に感じる、憎悪のような、悲しみのような

 わたしは彼らの仲間だった。

 命を預け合える仲間だった。

 マダラ様よりも先に軍議に参加させてもらっていて、女の身でそれを許されていたのはわたしだけだった。

 けど、もう違うんだって。

 わたしはもう、宗家長子の妻でしかない。

 戦わせてもらえないならただの女でしかない。

 わたしはうちはの生ける炎の名をいつの間にか母から継いでいて、それに誇りを持っていた。

 誇りを持っていたんだと、それを否定されて初めて気づいた。

 なにか大切なものから切り離されたような気がする。

 

 ◇ ◆

 

 四月二十七日

 

 戦と日常は地続きで、普通に暮らしていたと思ったら急に呼び出されて刀片手に駆け付けることもあれば、もう勝負はついたからと半ば唐突に帰されることもある。

 マダラ様が不意に帰ってきたから、戦が一段落して戻ってこれたんだなと思った。

 驚きはしなかった。そういうものだと知っている。わたしだって少し前までそうだったのだから。

 変わったことはなかったか、と尋ねられ、ええ何も、と返した。

 

 ◇ ◆

 

 五月二十九日

 

 昼間もあまり外へ出なくなった。

 それで別に、困らない。

 家のことはちゃんとしている。

 妻として求められていることはこなしているつもりだ。

 

 あれだけ恐ろしかった星を眺めると落ち着く。

 深夜に寝室から這い出して、縁側で夜空を眺める。

 星がこちらを見ていて、わたしも見ているのに、目が合わないのが不思議だ。

 マダラ様はわたしが星を見るのが何故か急に嫌になったらしく、すぐに後を追ってきて、脱走した犬猫相手みたいにわたしを掴んで布団に引き戻す。

 あーあと思いながらも大人しく連れ戻される。

 なんだよ、少し前までむしろわたしに夜空を見せようとしてただろ。

 

 ◇ ◆

 

 六月七日

 

 夜、庭から室内へ連れ戻されてもめげずに外に出て行くのを繰り返していたら、動けないように朝まで抱きかかえられるか、気を失うまでされるかの二択になった。

 マダラ様も疲れると思うしやめた方がいいと思う。

 

 久々にイズナ様が会いに来てくれて、「どうして」と言われた。

 どうして?

 

 ◇ ◆

 

 六月十日

 

 マダラ様がヒカク様たち宗家の方と言い争っていたようだった。

 すぐ通り過ぎたので詳しくは聞いていないが、千手との戦がどうとかケイカがこうとか言っていた。

 ケイカってわたしでは。

 わたしに関係することを話していたのだろうか。

 そうであるなら、必要なら誰かがわたしに言うだろう。

 興味が持てない。

 星を見たい。

 夜が待ち遠しい。ずっと夜ならいいのに。

 

 ◇ ◆

 

 六月十二日

 

 戦や軍議以外の自由時間のほとんどを、わたしの隣で過ごすようになった。

 マダラ様が。

 やることは多くあると思うのだが、暇なのだろうか。

 悪い気はしないが特段嬉しくもなく、ところで最近首が痛い。

 ずっと上を見ているからだろう。

 空を見ようと思ったら首をのけぞらせるしかないから。

 と思っていたらマダラ様が、空を見上げるわたしを発見すると、部屋に引き戻すのではなく、その場にわたしを横たえるようになった。

 仰向けになると首を曲げなくても空が見えるから便利だ。

 転がって空を見るわたしの隣にマダラ様も無言で横になっている。

 何か、昔にもこんなことをしていたような

 ああそうだ、まだお互い子どもだった頃、一緒に星と月を見ていたんだった。

 思い出したのでなんとなくマダラ様の顔を胸に押し付けてみたらびっくりしていたようだった。

 

 ◇ ◆

 

 六月十五日

 

 振り子のようだと思う、自分の精神が。

 今日はまともな方に振れていて、首を痛めるほど星を見る気にはならないし、ひとり無言で空を見上げるわたしはさぞ不気味だろうなあと客観視することもできる。

 けれどきっと、明日か明後日あたりには反対に振れているんだろう。

 申し訳ない。

 マダラ様に申し訳ない。

 やっぱり戦場に戻りたい。あそこでならどんな精神状態でも役に立てるだろうに。

 

 ◇ ◆

 

 六月十九日

 

 マダラ様が不在の折に、母の友人と名乗る女性たちがわたしを訪ねてきた。

 母の友人と名乗る女性たちがわたしを訪ねてきた。

 信じられなさ過ぎて2回書いてしまった。

 しかもひとりじゃなくて、3人も来た。

 いやだって、嘘じゃん、友達? あの母に友達? あの母の?

 絶対にそんな人いないと思っていた。

 孤高の人だと思っていたのに、信じられない。実家で暮らしていた時にだって会ったこともなかったのに。

 また「狂」側に振れてきていた感覚のあった精神を無理やり反対側に引っ張られたような感じで、動揺しながらも自室に招き入れて話を聞いた。

 彼女たちはうちは分家の女性方で、母と同年代か少し上のように見えた。

 宗家に嫁いでくるまで周囲と碌にコミュニケーションを取ってこなかったわたしだ、戦闘要員でもない彼女たちのことは当然のようにほぼ記憶になかった。「そういや見たことある気がする」くらいだった。

 彼女たちはわたしを見て、あぁ本当に大きくなられてとかお母さんにそっくりとかここまで生きていてくれてよかったとか言った。

 かなり気圧された。

 中年女性複数名に囲まれるのって怖い。悪気はない、どころか好意が伝わってくるけれども。

 あの、本当に母の御友人だったのですか、と聞いたら肯定された。

 親しく話すことも、遊ぶこともなかったし、トウカさんが私たちのことをどこまで認知していたかもわからないけれど、友人だったと。

 それ本当に友人か?

 母じゃなくてこの人たちがヤバい気がしてきた。

 慄くわたしに、彼女たちは言った。

 トウカさんは私たちの憧れだったのだと。

 うちはの女は戦場には出ない。女だからだ。子を産み育て、家を守ることが役目だから。

 そんな中、当たり前のような顔をして男たちに交じって戦いに出て、男以上の戦果をあげ続けるトウカさんは、多くの女たちにとって、恐ろしくはあったけれど、とても眩しい存在だったと。

 

 女は男たちを家で待つしかない。それが口惜しくて、辛いけれど耐えるしかないから。

 そうしなかったトウカさんは本当に凄かったのよ彼女たちは言った。

 わたしは、母がまさか女性たちの希望みたいな存在になっていたことへの驚きと、

 やっぱり男性陣の帰りを家で待ってるしかないのって辛いよな

 という共感で口をつぐんでしまった。

 特に後者の衝撃が大きくて、やっぱり嫌なものなんだ、家で戦ってる夫の帰りを待つのは、と思った。

 

 ところでどうして急に、わたしに会いに来てくれたんですかと尋ねた。

 彼女たちの話を統合したところ、どうやらわたしの、うちはケイカの様子がおかしいということが、分家にもだいぶ漏れ始めているようだ。

 千手に押されているというのにぱったり戦場に出なくなり、それどころか人前に出てこなくなり、懐妊したのかと思いきやそうでもない様子で、マダラ様に訊ねても「妻のことはオレに任せろ、口を出すな」としか言われないと。

 周囲の心配を跳ね除けてしまうところが最高にマダラ様という感じだが、原因がわたしのようなので笑えない。

 あの方はただ、わたしを守ろうとしているんだろう。

 しみじみと「わたしなんかがマダラ様の妻になるべきじゃなかったよな」と考えていると、母のご友人(仮)に「だから貴女と会おうと思ったの」と言われた。

 あのトウカさんの娘が、生ける炎の名を受け継いだ女傑が、意味もなく戦場から下がるとは思えない。

 夫にも、宗家の男たちにも言えない悩みや苦しみを抱えているんじゃないか、話を聞くだけでもしてあげられないか──と。

 いい人たちかよ。

 わたしという戦力がヘタレたままだと、巡り巡って彼女たちの害にもなるから「いいから早く戦いに出ろ」と遠回しに言われているのかもしれないが、それでも放っておかないだけ優しすぎる。

 その優しさと、「母の友人」(ではない気がするが)という肩書きに絆されたんだろうか。

 誰にも言っていなかった「戦場に出るなとマダラ様に命じられて、宗家にも戦力として期待されていなくて、家で帰りを待つしかなくて、それがとてもキツい」ことを彼女たちに話してしまった。

 一生分の「まぁ!」を聞いたと思う。

 一生分の「もー!」も聞いた。

 彼女たちはまるで自分のことのように憤ってくれて、最終的に「だから男って駄目なのよ、女の話なんて聞きやしない」と主語が馬鹿でかくなっていた。

「あの……男性陣も一族やわたしたちを守るために一生懸命なだけだと思うので……」と何故かわたしがフォローに回ってしまった。

 

 彼女たちは皆、夫か息子を戦で亡くしていた。

 どんなに強くても殺される時は一瞬で、大切な人が戻ってこない痛みを彼女たちは知っている。

 だから、マダラ様が貴女を閉じ込めておきたがる気持ちもとてもわかるのよ、と同意したところで「だからって貴女の意志そっちのけで閉じ込めていいわけないわよね!?」とデカめの声で言われて仰け反った。

 いいわけないのか、そうなのか。

「ケイカちゃんはどうしたいの」と遂にちゃん付けで呼ばれつつ、いやまぁ戦いたいですよ正直……言えないですけど……と返したら「じゃあ私たちがマダラ様に言ってあげるから」と言われた。

 そうはならなくない?

 母とわたしがイレギュラーなだけで、分家の女性はもっとこう、宗家に傅いているものと思っていたのに。

 直訴なんかしたら彼女たちが怒られるのではないか。

 心配になって止めようとしたのだが「大丈夫、私たちはマダラ様やイズナ様のおしめを替えたこともあるし、なんなら授乳した」と言われ思考が止まった。

 授乳て。確かに貰い乳をするのはなんら珍しくはないし、マダラ様の御母堂は病がちだったらしいから、周囲の母親たちから授乳もされていただろうが、それにしてもマダラ様に授乳、授乳か。

 なんだろうこの気持ちは。

 吸ったのか……わたし以外の乳を……。

 名状しがたい顔で黙り込むわたしをどう思ったのか、「男なんて結局女に支えられないと何にもできないんだから、話くらい聞かせるわ」と言われた。

 だから主語が大きすぎないか。本当に大丈夫なのか。

 気持ちだけで充分なので、その、ともごもご言うわたしの手を取って、母の友人だという女性は、「いつまで続くのかしらね、争いは」と悲しげに言った。

 その言葉が、妙に耳に残っている。

 

 ◇ ◆

 

 六月二十三日

 

 疲弊したマダラ様に唐突に「何なんだあの女どもは」と言われた。

 何の話だ、何なんだはこちらの台詞だ。

「どうしました」と尋ねたところ「お前の母親みたいなものと名乗る分家の女3人に囲まれて責められた」と教えてもらった。

 もしかしなくてもあの人たちだろう。

 ヤバすぎる、なんなんだその行動力は。本気だったのか。その場のノリで言われただけだと思っていたのに。

 なんて言われたんですかと聞くと、「今日は調子が良さそうだな」と返された。返事になっていない、そんなに最近のわたしは調子が悪そうなのか。まぁそうですね。

 

 要約すると「妻の気持ちをもっと考えろ、散々戦の道具として扱っておきながら今度は子を産む道具にするのか」って言われたんだって、マダラ様。

 宗家の長子にそれを言える彼女たちの心の強さどうなってるの?

 無礼打ち一歩手前だが。

 おそらく実際はかなり言葉を選びながら丁寧に伝えたのだろうが、それにしてもどうなんだ。

 一族の悲願は敵を、主に千手を殲滅することで、そのために優秀な子を産み続ける必要がある。だからわたしの扱いは別におかしくはない、むしろ正しい。

 マダラ様は嫁のチョイスを間違えたとは思っているが、出陣を禁じられたこと自体は理不尽とは思っていない。嫌だけど。宗家の嫁が戦場の只中にいるのがおかしいことくらいわたしにもわかる。

 だからマダラ様は、彼女たちの進言を一蹴してよかったし、そうするのが普通だ。

 けれどマダラ様はわたしに「戦いたいか」と尋ねた。

 びっくりしてしまって、その問いへの返答もせず「聞くんですか、あなたが、矜持が馬鹿高いあなたが、宗家でもない女の言葉に耳を貸すんですか」と問い詰めてしまった。

 わたしだって元は分家の女だが、母が族長の幼馴染だったし、何よりマダラ様の師だ。

 そんな縁もない女たちの言葉を簡単に受け入れる人だったか、マダラ様は。

 

 マダラ様曰く、分家の女が宗家に忠言するなどあり得ない。

 自分の母親世代の女たちに「ケイカ様のことでお話があります」と唐突に包囲され、その時点で「只事ではない」と感じたらしい。

 そして、マダラ様が「ケイカとちゃんと話をする」と言うまで、彼女たちはその包囲網を解くことはなかったと。

「……それは、怖かったですね」と言ったところ黙り込まれたので、怖かったんだろう。

 一定の年齢を重ねた女性って、独特の凄みがあるよな。集団になると余計に。

 ここで「そういえば彼女たちの乳を吸ったんだよなマダラ様(乳児)は」と思い出して不快な気持ちになり、「流石のあなたでも乳を吸った相手には逆らえませんか」と言ったら怒られた。

 想定の5倍怒られた。

 人生においてお前以外の乳を吸ったことなんざない、冤罪だと。

「赤子の頃授乳されてたらしいですよ、覚えてないでしょうが」と教えて差し上げたら「そんなもん勘定外だ、強制授乳が乳吸った内に入るか!」と怒鳴られた。

 

「強制授乳」がツボに入ってしまい文字通り笑い転げてしまった。

 駄目だ、面白すぎる、字が震える。マダラ様の口からこんな面白ワードが出てくる日が来るなんて思ってなかった。

 立てないレベルで笑ってしまいマダラ様の足元にうずくまっていると、お前が笑ってるのを久々に見た、と真顔で言われて余計に面白かった。

 

 次の戦までに懐妊の兆しがなかったら、また戦場に立たせてもらうと約束し直した。

 そして、決してマダラ様より先に死なないとも。

 マダラ様が祈るような顔でわたしの腹部に触れて、わたしは、やっぱりまだ空から視線を感じるな、と思った。

 間もなく、母が愛したあの星がいちばん美しく輝く季節が来る。

 

 

 

 

 

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