月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
鳥の鳴き声が聞こえてくる。
チュンチュン、と囁きあうように。
牧歌的で、落ち着く優しい目覚め。
「ここは……」
そうして、ゆっくり私は目を開けて。
ある部屋の一室のベッドで寝ていたことに、今更ながら気がついた。
私の記憶があるのは、車に乗せられて、りそながそこにいて、沢山お話をしようとしたこと。
でも、何かを話す前に、意識は途切れてしまっていたみたい。
一息つけて、りそながすぐ近くにいて、張り詰めていたモノが切れてしまったのかもしれない。
周りに誰かいないか見回すけど、部屋には私一人だけ。
部屋の調度品は質が良く広々としたお部屋、お屋敷の一室なのだろう。
机の上に置いてあるベルを鳴らせば、きっと誰かが来てくれる筈。
でも、私が鳴らして良いものなのか。
りそなが居たということは、ここは大蔵の別邸である可能性が高い。
それなのに、私が私用で大蔵家の使用人の方に頼るのは……。
なんて考え事をしていた時のこと、ドアノブが回されて一人の少女が入室してきた。
体を起こしている私を見て、あら? と声を上げる。
「起きていらしたのですわね」
ブロンドの、緩くウェーブが掛かった髪をツインテールに結んでいる。
サファイアの様に青い瞳と合わさって、まるで天使様の様にも見える。
……それ以前に、この人がいま口にしたのは日本語だった。
欧州人で、それも一目でその高貴さを見抜ける人が日本語を口にした。
そのことに混乱しながら、私はフランス語で返事をする。
「こ、この様な格好で、大変失礼致しました。
ご無礼をお許しください」
「あら、貴方もこっちの言葉が話せるのですわね。
そうとは知らず、失礼あそばせ。
ですが、私も日本語の訓練中でして。
是非、日本語で話し掛けてくれたら、嬉しくて失禁してしまいそうですわ」
何かが、何かがおかしかった。
具体的には、異界の言語にも聞こえてくる日本語。
イントネーションは完璧なのに、日本語と認識できない不可思議さ。
挨拶を優先しないといけないのに、私は反射的に疑問の方を先立たせてしまっていた。
「し、失禁……あの、こちらの言葉の意味はご存知でしょうか?」
「? えぇ、お金を失うの意なのでしょう?
転じて、お金を払いたくなる程に、という大仰な表現だと友人に教わりました」
……りそな?
ふと、小悪魔な羽の生えた妹が脳裏に現れて、ダブルピースをする。
けど、直ぐにそのりそなは、普段のりそなのグーパンによって沈んでいった。
妹が他人に、そんな事出来るわけ無いでしょう! と激怒している。
確かに、その通りだ。
ごめんりそな、変に疑って。
そんな脳内の小芝居を他所に、私は酷く困りながら失禁について解説していた。
「その、失禁とは、思わず排泄してしまった時に使う言葉でして……」
「なんですった!?」
「恐らく、ご友人にからかわれたのでは?」
推測を口にすると、何か思い当たる節があったのか、彼女は顔を真っ赤にして地団駄を踏みだす。
けれど、それでも自分に課しているのか、日本語だけは崩さずに。
「ムッキー!! ルナ、またやってくれましたわね!
私が言葉を知らないのを良いことに、有ることないこと好き放題に!
これではまるで、私が嬉しくなるとお漏らしする女ではないですか!」
妖精の様な見た目から繰り出される、あまりにもユニークな日本語。
本人は至って真面目な様なので、どう声を掛ければ良いのかが非常に難しい。
そうして彼女は、呆然とその様子を眺めていた私に目をやる。
人を殺れそうな目をしていた。
「違いますですわ。私は人前でお漏らしをして感涙を表すようなふしだらな女ではないのです!」
「は、はい」
「信じてくれましたかね?」
「……はい」
混乱を何とか収めて、私は微笑を作った。
気にしていない、全て聞かなかったという風に。
あと、面白い話し方に、思わず笑ってしまいそうで怖くて。
失礼がないように、どうにか仮面を被っていた。
「それならよろしいですわ。
この程度のことでは挫けないので、日本語で話し続けて下さい。
初めまして、でよろしくてよ?」
「はい、お初にお目に掛かります。
着替える間もなく、申し訳ございません。
私は大蔵朝日と申します」
「これは御大層に、私はユルシュール=フルール=ジャンメール。
歴史と伝統あるスイスのジュネーブに生まれた、一輪の花ですわ」
恐らく、ご丁寧にと言ってくれようとしてくれていたのだろう。
……それにしても、ジャンメールの名が耳に引っ掛かった。
確か欧州の有力貴族で、現在でも大きな力を持っている旧伯爵家。
マンチェスターのお屋敷でも、何度か小耳に挟んだ覚えのある名前だ。
「あのジャンメール伯爵家の、ですか?」
「ええ、私はその三女として生まれましたわ」
肯定された言葉に、私は目を丸くする。
あのりそなが、どうやってジャンメール家の人とお友達になったのか。
あまつさえ、この場で私を気遣って様子を見てくれているのか。
状況が掴めなくて、あまりの目まぐるしさに落ち着かない。
「りそなとは、その……お友達で居たりするのでしょうか?」
「いいえ、2日前に初めて会いましたね」
「???」
どうなっているのかを確かめようとしても、余計に分からなくなる。
りそなのお友達でない、だとすればどうして彼女は私を気に掛けてくれているのか。
「因みに、この場所は?」
「ここはフランスにある、ジャンメール家の別荘ですわ。
貴方が気絶している間に、ここに運び込みましたの」
「あ、ありがとうございます、お優しいユルシュールさん。
貴方が居なければ、私は……」
あの時、りそなとこの人が迎えに来てくれなかったら、私はどうなっていたか。
お兄様に捕まって、リリアさんや華花さん達の思い遣りを無に帰したか。
それとも、もしかすると誰からも見捨てられて、ストリートチルドレンになっていたかもしれない。
もしもを想像すると、こうして柔らかなベッドの上で目覚められたのが奇跡に思える。
「感謝をされると、やはり気分が良いですわね。
足に使われた時はムッとしましたが、ボロボロの貴方を見て考えを改めました。
ここには、貴方を脅かそうとするものは、ネズミ一匹だって入れません」
「どうして……そこまでしてくださるのでしょうか?」
不思議だった。見ず知らずの人間に対して、ここまでしてくれる訳が。
私なんかでは、見返りを求められても返せるものもない。
りそなとも、交友があったわけではなくて。
それらが積み重なると、どうしてという疑問へと行き着く。
「友人に、貴方を助けてあげて欲しいと言われたのですわ。
だから、落ち着きなさい。
そんなに不安そうな顔をされると、弱い者いじめをしている気分になりますわ。
もっと胸を張って、堂々としていなさい」
「ご、ごめんなさ……。
いえ、ありがとうございます、お優しいユルシュールさん」
「オーホッホ、構いませんことよ。
私がいれば鬼に金棒、地獄にダンテ、飛んで火に入る夏の虫ですわ!
安心して、貴方がするべきことをしなさい」
安心できるようで、微妙に不安になる諺だった。
けれど、その心意気は間違いのないもので。
私はそれに、力強く頷いて応えた。
それから、私達はお互いの情報の擦り合せを行っていた。
どういう状況で、何があったのかをキチンと把握するために。
「ユルシュールさんは大切なお友達の頼みで、私を助けてくださったのですね」
「えぇ、数少ない日本の友人が困っていて、君の助けを借りたいんだと。
捻くれ者ですが、あの子が他人の為に頭を下げたのです。
プライドの塊がそうしたのですから、私もそれ相応に振る舞いました」
「その方と、ユルシュールさんが命の恩人なのですね。
本当に、感謝が尽きません」
「オーホッホッホッホ!
気分が良いですわ! こんなに人に尊敬されたのは久しぶりですわ!」
ユルシュールさんの事情は、アッサリと聞き終えた。
彼女に複雑な事情はなくて、友情のままに動いただけなのだと。
その厚い友情に、ユルシュールさんの優しさに私は助けられた。
そして、恐らくその友人とは電話をくれたあの人なのだろうと。
また会った時にと仰っていたから、その方の名前は聞かなかった。
「つまり貴方は妾の子で、それ故に実家では暮らさず、でも実家筋の要請には従わねばならず、従兄弟にフランスへ連れてこられたと思ったら実の兄に友達を誘拐されて、貴方自身も兄に理由不明なまま追われる身となり、誰にも頼れずに彷徨っていたと」
「多大な語弊はありますが、大筋で見たら合っています」
「貴方の主観交じりのお話から、私なりに再解釈しての認識です。
……ご苦労様でしたのね、朝日」
「いえ、多くの人が助けてくれました。
だから、苦労と思える程のものではありません。
あと、苦労されてきたのですねが正しいと思われます」
次に私の事情を、大まかな範囲で話していた。
現状で私は何をするべきなのか、何をできるのかを見つめるために。
「私にできること……何かあるのでしょうか」
「それは人に尋ねるものではなく、自分で決めることです。
でも、私から言わせてみれば、貴方に必要なのは休息です。
私には、貴方が強い人には見えない。
儚くて、幸が薄い人に思えて仕方ありません」
私の愚かな問いは、ユルシュールさんにすぐさま切り捨てられた。
自分で決められる意志を持たないのなら、関わるべきでないと。
自分にできることが見つからないのなら、縁がないのだと。
その言葉には確かな理があり、頷けることも多い。
実際、私は恥じいるしかなかった。
この期に及んで、他の人にどうすれば、なんて聞いてしまったことを。
未だに誰かに縋ろうとする、あまりの自分の弱さに。
でも、と心がのたまっている。
「理由がわからないままなのに、大変なことになってしまいました。
メリルさん……私の友人はパリから離れ、どこかへ行ってしまい、リリアさんの実家はお兄様に掻き乱されました。エッテさんも親友と離れてしまって、日常が唐突に断絶してしまいました。
その渦中に私はいて、全てを解決して元通りにしたいと思っているのに、どうにもできていません」
そう、責任の一端は私にもある。
少なくとも、私とお兄様の繋がりがある部分は。
無関係だと、巻き込まれただけなんて言葉で、私は終わらせたくない。
そうでないと、何もかも私に関係ないことになってしまう!
「ささやかなことでも良いんです。
足手纏いだということも、重々承知しています。
ですが、関わり続けないと、誰かと繋がった絆まで無くなってしまいます。
友達のために、家族のために、ううん、おためごかしですね。
――自分のために、何かがしたいんです。
事態を収拾して、みんなが笑顔でいられるための何かを」
私は無力で、どうしようもない程に愚図だ。
その上、今は駄々っ子ですらある。
このまま酷いことになれば、自分の心が引き裂かれてしまうから。
そんな利己的この上ない理由で、私にも何かさせてと喚いている。
でも、そんな言葉を吐き出して、私は微塵も恥じらいすら覚えていない。
いつものように、取り繕うことすらしていない。
何故なら、今の私は必死だから。
焦燥感や不安が付き纏っているのもある。
自分のせいで、なんて埒もつかない気持ちも。
けれども、それよりも、またみんなで楽しく暮らしたい。
その気持ちをリリアさん達から受け取って、私もそうありたいと願ったのだから。
ここで何もかも放り出したら、自分の気持ちにさえ責任が取れなくなる。
そんなの、自分で自分が許せなくなってしまう!
「なら、今の貴方に何ができようか?
友人を取り戻せる? 力持つであろう兄を掣肘できる?
貴方に、何かできるのですか?」
「……出来ません、だから困っています」
「正直なのは美徳ですわね。
でも、だから分かりますでしょう?
今の貴方の言葉は、我が儘以外の何物でもないと」
「そう、ですね。
私にできることは、何もない。
事実から目を背けて、己の思うと思う通りに世界が動いて欲しいと駄々を捏ねています」
ユルシュールさんがこちらを見つめる目が、先ほどの友好的なものから変わっていた。
鋭くこちらを見据える、けれども敵対的なものでもない真摯な目。
無茶を言う私を、嗜めようとしてくれている優しさが隠せていない人の良さが溢れた目。
「正直は美徳だと言いましたが、明け透け過ぎるのはスケベです。
朝日はもっと、貞淑な女性かと思っていましたが」
まるで、別のことを嗜められている気がする言葉だった。
けれども、私が品ない事をしているのは事実で。
それに対して、私は深々と頭を下げるしかなかった。
「どうかご慈悲を下さい、ユルシュールさん。
私一人では思いつかなくて、誰か……知恵者のご意見が必要なんです!」
「ジャポーネDO・GE・ZA!?」
恥を捨てて、私はユルシュールさんに土下座をしていた。
自分一人では解決できない問題に、他人を……それも出会ったばかりの人を巻き込もうとしている。
許されざる所業な上、ユルシュールさんには私に手を貸す理由なんてない。
既に一度慈悲を与えられた身で、更に求めるのは貪欲が過ぎる。
でも、このままでは袋小路に終わってしまう。
何も解決できないまま、全てが崩れ落ちてしまう。
それを打開する方法は、私の中にはなくて。
どうにか、他の人に共に考えてもらう他に無くって。
偶々近くに居て、私を助けてくださったユルシュールさんに、みっともなく縋ろうとしている。
あまりにも醜い行為に、ユルシュールさんの声が背中に掛けられた。
「やめなさい、朝日!
貴方の気持ちは分かりましたから、SEPPUKUなどと早まってはいけません!」
「切腹はしません!」
「……DO・GE・ZAとSEPPUKUはセットでは?」
「それは過酷すぎます」
思わず顔を上げると、ユルシュールさんは非常に難しそうな顔をしていた。
絶妙にズレた日本文化感に、何やら困惑しておられるのかもしれない。
ただ、ここに広がっている微妙な空気感は、開き直った私を正気に戻すには十分で。
穴があったら埋まりたい気持ちの中、羞恥に耐えながら立ち上がる。
私は顔を真っ赤にしたまま、蚊の鳴くが如き声で頭を下げた。
「あの……錯乱してしまい、申し訳ありませんでした」
「貴方の覚悟は分かりましたけれど、安売りするのは見過ごせません。
その行為は、初めて会った男性に3万でどう? と声を掛けるのと同義です」
え、そんなに!?
ユルシュールさんの言葉に、顔をさらに赤くして俯いてしまう。
私の行為が、売春と一緒なのだと言われるのは流石にショック過ぎる。
そこまで、はしたなくなんてないんです!
そんな心の叫びと共に、私はベッドに顔を埋めてしまっていた。
ご無礼をお許し下さい、ユルシュール様。
「姉、起きたんで……どういう状況ですか?」
そんなタイミングだった。
目を擦りながら、りそながこの部屋に入ってきたのは。
「朝日さんに、3万でどう、と」
「え?」
ユルシュールさん!?
思わず飛び起きた私に、彼女は呆れた顔をしておられたのだった。
一方で、りそなは穴でも空くのではないかというくらいに、私のことを見ていた。
……違うよ、冤罪だよ、りそな。