何事も限度がありますが。
まあ若さ、と言うことで。
突っ走るのも若さの特権ですから。
勢いで突き進んで大恥をかく、そればっかりな気がする。あの日先輩が栄明からいなくなると思って突っ走ったあれは、俺の人生最大のやらかしだ。そして他にもあれやこれや、その場の勢いでただ爆進しては蹴躓いて失敗する。学ばないし学べない、バカだバカだと言われるし自分でも思うけど、いつになったら大人になれるんだか。
なれるんだか、じゃないよ俺。そんなだから突撃バカなんだよ。
でも、だ。まさか。俺以上に勢いで駆け抜けていく人間がいるなんて、思いもよらなかった。
先輩と迎えた二度目の年明け、俺たちはすることもなくのんびりしていた。大人たちは年始参りで留守だし、さすがにこの時期に部活はない。呑気にこたつで暖まりながら、ただ静かにまったりと過ごす時間。
あと数ヵ月でこの生活が終わる、それは分かっているんだけど、特に何が出来るわけでもない。
焦りがないわけではない、でもそれ以上に――怖い。余計なことをして、今の穏やかな友好関係を失うのが、とても怖い。俺はバカで不器用だから、焦って動いたら絶対ろくでもない事をする。そして先輩を、傷つけてしまう。
千夏先輩は卒業しても海外へ行くわけではないけど、この家からは出ていく。けじめは付けたいから、と独り暮らしの道を選んだのだ。親御さんからの仕送りを受けつつバイトもして、大学へ通うことになった。先輩は自分の道を見付け、歩んでいく。この先も会おうと思えば会えるだろうけど、それはきっと良いことじゃない。先輩の生き方を邪魔したくない、それに俺も甘えてはいられない。夏でバドは引退するし、その先も考えないと。
この穏やかな日々は、遠くない未来には消えてなくなる。でも今は、ここにある。
せめてもう少しだけ、浸っていたいんだ。
「ね、大喜くん」
テレビを観ていた先輩が、小さく呟く。
視線はそっちに向いたままだから、大した事でも無いんだろうな。お茶淹れて来て、とかだろうか。俺も喉乾いて来たし、ついでに餅でも焼こうかな。お腹減ってきた。
そう思っていたら、
「結婚しようか」
……ろくでもない事を言い出しよったぞ、この人。
暖まり過ぎてちょっとのぼせたんだろうか、それとも暇だからって人をからかって遊ぼうってんだろうか。どっちにせよ、本気じゃないよな絶対。キスもしてないのに、て言うか付き合ってさえいないんだからさ。この人は突然わけわかんない事するし、真面目に聞いてても仕方ない。前だって病人をベッドに押し倒しておいて、「冷えピタずれてる」だもん、毎回ドギマギしてられないよ。
にしても結婚、か。俺は今年で満18になったし、可能ではあるな。未成年だから親の同意はいるけど、母さんは多分OKするだろう。向こうの親が許さないだろうけど。そういや匡に言ったことあったな、思いきりバカにされたっけ。まあするよな、いきなり「結婚したい」とかさ。あり得ないどころか、無理無駄無謀の極みだよ実際。この魔人の伴侶になるような人は、どんな英傑なんだろうか。栄明最強の生物兵器だからなこの人、音に聞こえた傑物だ。こんなのを相手に出来るとしたら、誰だろう。ま、俺でないことだけは確かだ。
「ねー、お嫁に貰ってくれない?」
懲りもせず再びアホな事を言い出した先輩に、ちょっと苦笑してしまう。ああ、何の脈もないんだな俺には。本当にそういう事をしたいなら、こんな状況で言うもんか。こたつでヌクヌクしつつテレビの片手間にプロポーズ、ってあり得ないだろ実際。先輩にとって俺は気安い間柄だけど、色気は無いってわけだ。良くても仲の良い後輩か、まぁそれくらいで充分だな。あんまり先を望むとバチが当たる。
「ハイハイ、良いですよ。先輩、餅食べます?」
「ん。黄な粉がいい。うぐいす黄な粉ね。そうじゃなかったら、砂糖醤油で」
……黄な粉は黄色いから黄な粉であって、緑色したうぐいす黄な粉は黄な粉じゃないと思うんだけどな。先輩はうぐいすじゃないと黄な粉じゃない、って言うんだ。まあどっちも買ってあるから、別に良いんだけど。
やれやれと立ち上がって、台所へ。雑談の余韻はすぐ寒さに紛れて消えていく。
今日も平和で何よりだ。
先輩が猪股家を去ってから少し過ぎて、最後のインターハイ。全国大会シングルス準決勝進出、それが俺の最終的な成果になった。全て出しきった、悔いの無い結果。これで終わったな、とどこか安堵さえしてしまった。
スポーツ推薦で大学へ進むわけだから、別にここで行き止まりってわけじゃないんだが。プロにでもなれたら安泰なんだけど、まだまだ厳しい。でも一先ず、この夏が一区切りだ。
そんな思いを抱えて会場を後にしようとした時だった。
「お疲れさま。あと久しぶり」
そう声をかけてきたのは、誰あろう千夏先輩。卒業してから連絡さえ寄越さないままだったこの人が、どういう風の吹き回しか目の前にいるのだ。
しばらくぶりの千夏先輩はちょっと髪が伸びて、メガネをかけるようになっていた。大人になったというか、美人になったというか。まぁ元から美人だけどな。
「色々と忙しくてね、それに親と揉めてさ」
そう言うと千夏先輩は、封筒を俺に渡してきた。なんなんだろう、といぶかしむ間も無く先輩が説明に入る。
「これ婚姻届ね。私の分全部書いてあるから、あとそっちで書いて適当な時に出してね」
……はい? この人は今、何を言ったんだ。婚姻届、ってあの婚姻届か。つまり、結婚するという……。
「あの、先輩? それってどういう」
「前に言ったでしょ、結婚しようかって。大喜くん、ハイって言ったじゃない」
そう言えば、言ったな。どうせ冗談だろう、と。
しかしこうやってこんなものを用意したってことは、それは。千夏先輩、本気だったのか。
いや。いやいや。いやいやいやいやいやいや。
光栄だけど俺で良いのか、しかもあんな簡単な話で。と言うかあれプロポーズだったのか、どう考えても暇をもて余して俺をからかってるんだと思ってた。
人生の一大事をそんなんで決めて良いのか。勢いだけって言うか、何て言うか。まさかこの人俺よりバカだったのか、知らなかった。
「……それとも大喜くん、私じゃ嫌かな。もう蝶野さんと付き合ってるとか?」
僅かに身を縮めて上目使いになる千夏先輩、あざとい。スゴいあざとい。わかってやってるだろ、この人。
しかしなんで雛の名前が出るんだろう、……俺に女子の友達が全然いないって知ってるのかな。雛くらいだからなー実際……。
ま、いいか。勘とノリと勢いでとりあえず、だ。
「そうじゃないです、じゃあ結婚しましょう」
跪いてそう告げると、先輩は満足げに笑ってくれて。その笑顔は、まるで天使のようで――。
それからも季節は流れ。幾つになっても俺たちは俺たちで、その場の勢いで突っ走っている。
どうにかなるさ、どうにかするさ。バカ二人、楽観的に生きていく。
きっとこれが、幸せって事なんだろう。