今日が職場体験の日だと、さっき知りました。
授業が始まる前に百ちゃんに手を握られてバスに乗せられ、眠気と困惑に戸惑っていると芦戸ちゃんが教えてくれました。流石に驚いて固まる私に、現在ルームシェア中のお茶子ちゃんが「荷物はまとめてるから安心してね、お財布にお金もいれてるからね!」と報告してくれます。……違いますそうじゃないんです。
いや……え?
今朝も特訓をいつも通りに開始して、誰も教えてくれなかったといいますか、いつもの面子で欠席者もいなくて、全員が床と懇意になっていました。
「せ、先方にご迷惑がかかりませんか!?」
「そこを心配するんだ」
葉隠ちゃんは笑っていますが、私には冷や汗ものです。
これでも皆さんの体力を意識しながら投げ飛ばしてるんです。監督役の先生がいるからこそ、根津校長に変な報告をされて長い説教をされない為に立ち回りは意識していたのに、これでは予定が狂ってしまいます。
引率の先生方に『やはり、生徒が生徒を指導するのは~』みたいな難癖をつけられて、本命の芦戸ちゃんとの特訓がやり辛くなると困ります。夢で鍛えている分、メキメキ成長しているので急成長を不審がられない為に、表でも念入りにボロボロにしたいんです。
(この状態で、皆さんが体験先のヒーローに迷惑をかけたら、なんやかんやで私が悪いってなりません?)
根津校長とリカバリーガールのくどくどしたお説教を想像して、今すぐ逃げたくなります。……正論でのチクチク言葉はヤです。
「皆さん、どうして休まなかったんです……?」
「渡我に鍛えて貰えんのに、休むわけないだろ?」
切島くんが、心底何を言われてるのかわからないって顔で首を傾げます。私の方が分からないし流れる様に「ほい半分」ってカロリーメイトの小袋をくれるのありがとうございます。お昼ごはんにします。
「ししょーは心配しすぎ。何を気にしすぎてるか知らないけど、大丈夫だよ!」
最近は色々と図太くなってきた芦戸ちゃんが笑い、隣の梅雨ちゃんも頷いている。
「ケロ。被身子ちゃんと特訓するの、自分の成長を感じて楽しいわ。1日も無駄にしたくないの」
「そんなに凄いのか……」
「轟は不参加だっけ? ヒーロー科だと、あと緑谷と飯田以外全員参加してるぞ」
「……ぅ。僕は、怪我が完治するまで見学も禁止されてるから……」
「……そうか」
バスに揺られて皆の楽しげな会話を聞いていると、内容はともかくうとうとしてきます。
気づけばぽすっと葉隠ちゃんの肩に頭が落ちていて「ぁ」その小さな声と、軽く息を飲む振動にハッとする。
え、今です? 心の準備もままならず、葉隠ちゃんの可愛いお顔が近づいて『ちゅっ』と、衣擦れ音に掻き消える様に、頬に唇が触れて動揺します。
「――!?」
「よしよし」
な、宥めるぐらいならおやめください落ち着きません!!
眠気が一瞬遠ざかります。体育祭の後から、1日1回は『女同士で友達! ならキスぐらいするよ!』と頬や額に口付けられる様になりました。
まさかと疑っていましたが、毎日の様に律儀に口付けられれば葉隠ちゃんの友情を信じる他ありません。最近の私は、お茶子ちゃんの次に葉隠ちゃんに弱くなった自覚があります。
でも、お友達が2人もできたのは嬉しいです!
私にキスなんて、まともな人間の感性ならおぞましくて忌避するでしょうに、葉隠ちゃんは友達だからと優しく触れてくれます。いつかは私も葉隠ちゃんに、チウチウ(無血)を―――…………いえまだ無理です己の理性に自信がありません!!
「渡我が悶えてるぞ?」
「……葉隠が、今日も見えない特権をフル活用して渡我と友情を育んでるからね」
「くっ……! 流石の立ち回りですわ!」
「え、何やってんの?」
「男子には秘密ー」
「はぁ!? なんだそれエロいぶはっ!?」
「……お前ら降りる準備をしろ」
っと。先生の声に全員が切り替えて、各々降りる準備を始めます。
私も、葉隠ちゃんの肩から頭をあげて、身だしなみをもそもそ整えます。そしてバスが駅前に止まったのを確認して、今日これから『職場体験』なのだと、いつもと違う日常をようやく意識する。
(……私、これからヒーロー事務所の知らない大人たちと行動を共にするんですね)
じわりと憂鬱になりますが、授業だからしょうがないです。
嫌われるのも気味悪がられるのも避けられるのもしょうがないけど、せめて良い子でいなくてはとA組の皆を参考に立ち回ります。
そして降りる皆の背中を見ながら、私とは違いキラキラした背中の眩しさに、少しだけ目を閉じる。
「コスチューム持ったな」
ハッと、相澤先生の声に意識が浮上する。
気付いたら私は百ちゃんに支えられ、お茶子ちゃんの“個性”でちょっと浮いてました。芦戸ちゃんがいそいそと私の分のケースを持ち、寝ている私を背中に隠しています。…………ご、ご迷惑おかけしております。
いそいそと自分の足で立つと、起きたのに気づいて優しく“個性”を解かれ、背中を撫でられ、ケースを渡されます。…………ほ、本当にお世話になっております。
「本来なら公共の場じゃ着用厳禁の身だ。落としたりするなよ」
「はーい!!」
「伸ばすな『はい』だ芦戸。くれぐれも失礼のないように! じゃあ行け」
ええと……そうです。私は轟くんと行動を共にするんですよね?
気づけば轟くんが隣にいます。
「楽しみだなぁ!」
「おまえ九州か、逆だ」
「被身子さん、少し失礼しますね。どうぞ轟さん」
「…………おぅ」
え? 百ちゃんは急に私の手首に何かをつけ……え、ハーネス? 迷子紐ってことですか? 轟くんにその先を渡すって、どういうことです? あの、轟くん困惑してません?
「轟、いざとなったら抱きあげて離さないでね。ししょーは先触れ無しで消えるから」
「……わかった」
「ご飯だけは絶対に食べさせて。ぐずって食べなかったらウチに電話して」
「……蕎麦でもいいか?」
「見失ったら大声で呼んであげて! トガちゃんは聞こえたらちゃんと返事くれるから!」
「……そうか」
「被身子さん、轟さんの傍から離れる時は一声かけてくださいね、不審者かわからない相手も轟さんと確認し合いましょう。……改めて轟さん、被身子さんをよろしくお願いします」
「……分かってる」
…………んんんん????
何かが激しくおかしいと、疑問の声をあげようとするも「はい」と、耳郎ちゃんがお口に棒付き飴を突っ込んでくる。……え? 隙あらばカロリーを摂らせてくれるのはありがたいですが、今はちょっと困ります。
「……渡我、眠いなら担ぐか?」
「待った! 今のししょーはスカートだから抱っこやおんぶする時は腰になにか巻いたげて!!」
「……悪ぃ」
あの、轟くん困ってますから……少し考えて迷子紐を腰のベルトに回して、遠慮がちに手を握ってくれます。大きくて硬いですね。
「おお……!」
「イケメン!」
「サラッとやるじゃん……」
「いちゃついてんじゃねーぞ!!」
「かわいい!!」
「―――おい、お前らさっさと行け!」
相澤先生の声に『ザッ!!』と残っていた皆さんが動き出します。躾けられてますね。
私も轟くんに手を引かれて、うとうとしながらついていきます。
「渡我、寝てていいぞ」
「……いえ、がんばりまふ」
流石に、年下の男の子に全てリードされるのはダメです。お姉さんとしてなんとか意識をつなげて時間表を見て、調整を……………すぅ。
「じゃあ、渡我の着替えをお願いします」
「幼女かい!」
んえっ?
知らない感触を感じて、誰かの手首を握りながらパチパチと目を開けると、知らない場所で轟くんにおんぶされている。
「渡我、起きたのか」
「…………ぁい?」
よくわからないまま頷くと、轟くんが「降ろすぞ」とかがんで、地に足がつく。
気づけば腰には轟くんの上着が巻いてあって、どうやら駅からここまでスーツケースすら持たせておんぶされていたのだと気づく。
「……す、すみません!」
「気にしなくていい」
「でも……えと、上着、返します」
流石にお姉さんぶろうとしていた矢先なので気恥ずかしいです……急ぎ制服を返さなくてはとしたところで、誰かの手首を握ったままなのに気づき「んえ?」顔をあげると、真顔で私の顔をマジマジと見ている“個性”が『燃髪』のお姉さん。
そのパッチリしたツリ目にドギマギして、慌てて手を離します。
「……し、失礼しました」
さっきから失態ばかりで己の眠気が厄介すぎる。……初対面から失礼が過ぎると頭を抱えていると、急に顔が近づいてきてのけぞる。「これ!」と、今度は逆に手首を握られる。
「? あの」
「今の、どうやって掴み返したの?」
「へ? ……手首です?」
よく分からないまま、再現すればいいのかとお姉さんに握られた手首を外し「はっ!?」さっきみたいにお姉さんの手首を握ると「―――意味わかんない!」とすごく楽しそうな顔をされる。
「手品!?」
「違います」
「目で追えなかった!」
「……ぇと、スローで動かすと、握り手に逆らわずこの角度で摩擦と振動に気をつけながら関節を外して隙間があくと同時に手首を逃がして嵌め直します。あとは指先で巻き付ける様に手首をぎゅっと握れば相手が気づく前に掴み直せます」
「ショートくんこの子やばい!!」
「――手首の関節を、外す?」
「おーい!? エンデヴァーがすでに待機してんのに何してんだ!? ショートくんはこっちの更衣室で着替えてね!」
「っと、そうだった! 女子はこっちの更衣室! それで、さっきのもう一回見せて!」
「……は、はい」
来て早々というか、事務所の玄関を人の背中で通り抜けた不遜な身ですが、この事務所には活気があり、意外と皆さんの仲がよさそうという事はわかりました。
とりあえず、急がないとなので更衣室でスーツケースからコスチュームを取り出して着替えます。
「私はバーニン、よろしくね!」
「……渡我被身子、ああいえ―――ナイトメアです、よろしくお願いします」
「―――ウン!!」
バーニンは、私を待つ様に指示されているのか、私の着替えを興味深そうに観察しています。
特に、私が細々とした道具をフードやコートの内側に潜ませていくのを意外そうに見つめて、妙にそわそわと待っています。
そうして着替え終わると、バーニンに案内されて広い部屋に行きます。そこには他のヒーロー達と着替えた轟くんがいて「渡我」と、傍に来てくれます。
「ちゃんと起きてて偉いな」
「……ありがとうございます」
いつもの、学校と同じノリにおかしくなり、吹き出しそうになる口元を隠しながら頷く。
嘴の仮面は最初から腰のベルトにかけているので、顔はむき出しだから気をつけないとです。……どうせ仮面はいつの間にか誰かに取られるので、取り返す手間を省く為に戦闘中だけつけます。
「……揃ったか」
二人で和んでいると、三十人以上がいる部屋の中心に立つエンデヴァーが、腕を組んで重々しく口を開きます。
その視線が、轟くんに長く注がれ、ついでに私に…………ん? その瞳が、息子さんより私を映す時間が増えて、なんとなく見つめ合います。
その、まるで私の正気を疑う様な、困惑と苛立ちと憤りその他たくさんマイナス感情がブレンドされている表情は、子供に見せてはいけない迫力があります……はて? 私まだ何もしてませんよね? 首を傾げていると、エンデヴァーが重々しく口を開く。
「
――――ザワリと。室内の空気が静かに張り詰め緊張していきます。……ああ、その事ですか。
「……ソレが、お前のヒーロー名で本当に良いのか?」
「はい」
「……正気で、そう名乗るつもりか?」
「はい」
「……お前の世代では、奇跡的に想像できないかもしれないが、その名は人々の潜在意識にこびりついた恐怖であり嫌悪の対象でもある」
「はい」
「プロのヒーローも、どれだけ愚かな“敵”ですら、軽々に口にだせない。その
「はい」
何度も頷いてるのに、エンデヴァーが全然納得してくれません。
怖いおじさんだと思っていましたが、その名前はやめた方が良いと遠回しに説得されているのだと気づき、意外と面倒見が良いんだなぁと緩んでいく唇を指先で隠します。
「……
轟くんは、お父さんに反発したそうな顔をしていますが、教室での私を知っているからか口を閉ざしてくれます。
この場にいるエンデヴァーのサイドキックの方々は、やはりこの『名前』に不快感を覚えるらしく、私に向ける視線にマイナスの感情が滲んで、それを表に出さない様に努力しています。ただの一つも好意的な視線が無い事に、むしろ満足します。
どうしようもないバカな子供に向けられるに相応しい、数々の良識ある大人の視線を噛みしめて心地良く瞼を閉じ、笑いそうになる唇を指先でそうっと撫でる。
そして、あの日の教室での宣言を思い出し、指を降ろす。
「エンデヴァー。私は、誰かの
「――――」
ゆっくりと目を開き、エンデヴァーを見上げる。
あの日の保健室で浴びせた威圧を軽く滲ませて、適当に良さげな事を言っておくので納得して欲しいと、親指と人差指で唇を笑みの形にする。
だって、どれだけ愚かでも、大人は子供の意思を尊重するものでしょう?
エンデヴァーの頑なで、自分自身を呪う焼け爛れた瞳に、親しみを覚えて目を細める。
「人々に染み付いた悪夢への恐怖を、夢関連の“個性”に向けられる差別と悪意を、私に収束できたら、世界はもう少しだけ平和になると思うんです」
詭弁です。
ですが、もう終わっている悪夢ですし何を言っても嘘にはなりません。私が生きている限り、この悪夢は名ばかりの『夢』に成り果て続けます。
「私にこそ、この名前は相応しい」
繰り返した夜の、楽しかった日々を覚えています。
終わらせたくないと願いながら、巡りに巡りて繋がり続いてしまった記憶と感情が息づき、全てが都合よく愛と希望に溢れて、誰も欠けていない奇跡の夜が訪れてしまった。
だから、悪夢を終わらせるならこの夜しかないのだと、人間として終わり、上位者として産声をあげた朝の未練を、懐かしく舌で転がす。
(……もう、無いものにこだわって、滑稽に振り回される人達も可哀想ですしね)
加害者も被害者も、これまでの人はしょうがないです。このままの人達を救うには限度があります。ですが――
「これから生まれてくる子供たちへの“悪夢”は、私が引き受けます」
「――――」
「この呪いを未来に残さない為に、私は私にできる事をしたいのです」
それぐらいなら、巻き込まれたとはいえヤーナムの悪夢を終わらせた、普通を目指す慎ましい私にもできるでしょう。
あと、悪夢で王様してる奥さんと愛人複数と隠し子までいる度し難い馬鹿な
「改めて、私は
さあ、これで納得してくださいとエンデヴァーを見上げる。
彼は……どういう感情なのか、苦虫を口いっぱいに放り込んで丹念に噛み潰して味わい中みたいな不愉快ここに極まったとばかりの不機嫌なお顔で、私を睨んでいる。
そして、たっぷりと沈黙した後に、エンデヴァーは腕を組んだまま顎を撫でる。
「……俺はいいが、他の奴らには無理だろう」
「はい?」
「略称として“メア”と呼ぶ事にする」
「はえ?」
「それでいいな?」
「よくありませんが!?」
「「「「了解!!」」」」
「了解しないでください!」
「なんだ? 貴様は同僚にコンプライアンスに触れる呼び名を強要するつもりか?」
「私のヒーロー名がいかがわしいみたいな言い方はやめてください!!」
流石にぶんぶんと腕を振って抗議すると、轟くんにヒヤッとした手で額をぺちっされる。
「渡我、落ち着け」
「うー……でも、轟くん」
「違う」
「え?」
「今は、ショートだ」
「……ショート」
「ああ、よろしくな。メア」
「ショートくん!?」
「くんはいらない」
「そうじゃなくて!!」
いきなり略称の方ってどうなんです!?
ちょっと! 脇に手を回して、ああもう! たかいたかいしても誤魔化されませんよ!? ぷらぷらされても…………あぅ。
「焦凍。そのまま手を離すな」
「…………言われなくても」
「――そういう意味じゃない」
「……? なに言って」
ちゃんと、起きてないと…………あ、やめて、バーニンに渡さないで……迷子紐もなんで持ってるんです? 私のは更衣室のロッカーにいれた筈……え、それ轟くんが持たされてる予備ですかそうですか……なんで予備あるの????
ぁ、だめです、眠気が…………
「……この
意識を失う前に聞こえた親子の会話はぷつりと途絶え、バーニンの柔らかく張りのある弾力を後頭部に感じてすやりとする。
落ちる様な睡魔に抗えず、意識は心地良く溶けていった。