雄英高校保健教諭のリカバリーガールには『治癒』の個性がある。灯守が通常の病院で治療を受けたのち、学校の保健室なんて場所で入院しているのも、彼女の個性があるためだ。
しかし、どうやら雄英校長が一計の案じ、灯守を保健室で受け入れたのには、彼が主席入学予定者だったこと以外にも理由があるらしい。
「──拳藤一佳って言ったっけ。彼女だよ」
優しい熱の籠った声で、保健教諭は続ける。
「救助された時のアンタはとても生きているとは思えない無残な状態でね。一応、手術を受けてからはすぐに峠を越えたものの、ずっと目覚めない状態が続いたのさ」
「……そんなに酷かったんですか」
「酷いなんてもんじゃないよ。肋骨および大腿骨の複雑骨折と骨盤の粉砕骨折。更に肺挫傷に、腹部外傷による出血性ショック、大脳損傷。どこから手を付けていいのか分からない始末だった。
残念ながら、アンタの入学は取り消されることになったんだけど、あの少女が頑なに抗議してねぇ」
あの誠実すぎる少女なら、想像に難くない出来事である。納得できる反面、無念な感情が積もっていく。華やかに飾る筈だった一佳の春を、灯守が招いた種が灰色に塗りつぶしたのだから。
一佳にかけた心労が如何ほどだったか推察するごとに、頭を抱えたくなる。いつの間にか灯守の方も、特別な友人だと思う程度には、彼女に信を置いていたようだ。
「あの子は至天堂灯守が目を覚ますと確信してたようだ。そこで折れたうちの校長が、融通を利かせたって訳さ」
ありがたいのやら、申し訳ないのやら、情けないのやら、灯守は万感の想いだった。No1になると息巻く鬼才だった彼が、結局周囲に迷惑をまき散らしているだけだ。
せめて情けなさだけでも払拭しようと、灯守はある提案をした。
「ここで受けた分の治療費はちゃんと払わせてください。両親の遺産があるので」
「やれやれ。死の淵を彷徨って、戻ってきて早々にそれとは。アンタは金の心配より先に、自分を庇ってくれた少女に感謝することだね」
当然の指摘で灯守は我に返る。
今回の一件で被ることになる金銭的損失や、事件の捜査状況など、気になることは山ほどある。だが、最も優先すべき事案が記憶の片隅にあった。
『──それじゃまたどこかで』
悪魔のように不敵で、聖人のように超然としたあの男。結局正体は不明だが、灯守の中では、奴が雄英に連なる者だという可能性が濃厚だった。
極めつけに、こちらの素性は相手に筒抜けであり、また特異な個性の灯守を狙っているという無視しがたい事実。もはや、何処に危険が潜んでいるのか分からない上、灯守に降りかかる火の粉が、今回のように周囲に飛び火する可能性も否めない。
もしも、拳藤一佳が至天堂灯守に入れ込んでいると見抜かれたら?
もしも、この学校の何処かにあの男が潜んでいるとしたら?
全て憶測に過ぎないことだ。しかし、これから自分を狙ってくるだろう厄災は、いつか見える形で現れるかもしれない。その時、一佳が安全だと断言することは出来ない。
(感謝、か。むしろ謝罪するべきだ)
至天堂灯守は
自分の意志でそう成り、これからもそう在り続ける腹でいる。そんな外道が、普通の人間関係に支えられ、助けられ、甘えてしまうなんて許されないことだ。灯守からすれば悪徳と言っていい。
(関わるべきじゃなかったんだよ)
彼女を大切に思えるようになったからこそ、自分を大切にしてくれていると感じるからこそ、この関係性は不健全だ。
「どんなに最悪な状態でも、目覚めることを信じてたった一人、同級生の男子を庇い続けた少女。並々ならぬ関係だと邪推してしまうのは、年寄の野暮かねぇ?」
「そんなのじゃないですよ。ただの、
鬼畜に落ちた男の穢れた口が、彼女を友と呼んでいい筈がなかった。彼の心が本当にそう望んでいるかは問題でなく、そうあるべきだと感じていることが、彼に言動を強制させている。
拳藤一佳が篤実なら、至天堂灯守も相当実直である。その頑固さは、彼の心が殺しを望もうと望むまいと、そうするべきと感じただけで、アストラルという殺人鬼を作ってしまうくらいなののだから。
「学校は始まってると言いましたよね?」
「言ったよ。新学期が始まってそろそろ一週間、ってとこかね」
「今日は平日?」
「そうとも」
「……今、学校に拳藤がいるんですか」
「いるよ。確か一年B組だったね。昼休みには君が目覚めたことが彼女の耳にも届くだろうね」
もはや未来永劫目覚めるか保証もない昏睡状態から、数週間足らずで起きたとなれば、彼女も相当に動転するだろう。そして喜んでくれるだろうか。もしくは悲しんだり、怒ってくれるのだろうか。内心期待してしまっている自分を感じて――灯守は首を振った。
……女々しく彼女に縋ろうとするな。さっさと心を決めろ。
「彼女と話したい」
「そう急かさずとも、昼には話せるさ。あと少し辛抱しなさい」
言われて、灯守は一佳が保健室の扉を叩いてくれるのを待つことにした。
それまでに、決意しておく必要がある。
これまで、愚かな夢を叶える為にNo1ヒーローを目指し、その道程で捨ててきた有象無象のように、彼女との繋がりを捨てる決意を、用意しておく必要がある。
灯守がどれだけ考えても、至天堂灯守と繋がっていることで、最期には涙する一佳の姿しか思い浮かばなかったのだ。
そう、目を背けていた真実だが、少年と共に歩む限り、彼女にはきっと喪失と悲哀しか待ち受けないだろう。
灯守の夢とは、決して華美な自己実現などではないのだから。
彼の望む未来は、まさに“至天堂灯守の破滅”そのものと
◇◆◇
拳藤一佳は毎日考えている。
至天堂灯守が瀕死で発見されたその日、彼から言われた言葉と、あの眼。
──そういう熱い目で僕を見るな。
あれは底知れない重責を抱え、既に自分を諦めた人間が持つ、温度の無い瞳だった。
高尚で高潔で純真で偉大に輝く同級生の少年を、いつしか一佳は焦がれる程に求めている。求める度に、あの火事の日に見た背中を思い出し、彼のことがずっと神聖視されていき、渇望の熱は冷めなくなっていった。
きっと、彼は自分がどれだけ器用なのか、分かっていないんだろう。
別にヒーローを目指すからといって、その他の生活全てを犠牲にする必要はないのだが、その辺りの融通が彼には効かないに違いない。
そうでも考えないと、あの夜の明確な拒絶の言葉と、一佳の中の“至天堂灯守像”が結びつかない。
(……本当は、お前だってまんざらじゃなかったんじゃないのか?)
憧れの雄英に入学を果たし、新しい学友と出会い、未踏の学びへと歩み出した彼女の心は、ちっとも前に進んでいなかった。後悔と想望に焼かれる彼女の胸は、ずっと後ろを向いている。
かつて、アイルランドの文豪オスカー・ワイルドは、男女間での友情を在り得ないと断じ、情熱と敵意と崇拝と愛はあっても友情はないと定義した。
現在の一佳は実感としてそれを理解している。彼女には灯守に情熱を向け、崇拝し、きっと敵意を持つこともあったかもしれない。けれど、確かに友情はなかった。
認めざるを得ないだろう。友情紛いのそれは、きっと恋慕に近い。
(お前だって、きっと……)
少女は、この心理を想い人にも当てはめて考えてしまう。友達と言い聞かせて親密になればなるほど、少年少女はそれと別次元の関係を求める筈だと。
一佳が灯守を好きになったのなら、灯守だって一佳を想っていたに違いない。
その妄想はしかし真っ当な帰結であり、少女の感情を締め上げていた。
──あの時、はっきり言えば良かった。
──あの時、好きだと告げていれば。
──あの時、一緒に逃げようとお前の手を引いていれば。
もしくは──。
(──私も一緒に立ち向かえていれば……っ)
少女は悍ましい巨躯のヴィランに恐怖し、第一に自分の無事を意識してしまった。しかし、至天堂灯守は明らかに異なっていた。恐れの色一つ見せず、汗の一滴すら流さず、冷静な声で仲間の身を案じ、迷うことなく立ち向かう選択を行った。
その結果が、彼の昏睡状態だ。
いいや、死んだことと何が違うのか。
確かに、少女は自身の選択ミスによって、ソレを失ったのだ。
「……拳藤。君、泣いているのか?」
男の声で意識が覚める。伏せていた目をふと見上げると、正面には神妙な面持ちでクラスメイトが立っていた。彼の名は物間寧人。屈折した性格の彼も、涙する少女の前では憂いの様子を見せている。
でも、泣いているって──私が?
一佳が自分の瞼を拭ってみると、なるほど確かに濡れている。
「…………そうか。悲しいんだ、私」
教室のど真ん中で泣いてしまうだなんて、以前の彼女にはありえないような醜態である。彼女は灯守と出会い、何か致命的に変わってしまった。
「オイオイ、情緒不安定か。本当にどうした?」
異変に気付いた他の生徒たちが一佳の周囲に群がり始めた。
しかし、彼女の目にはそんな様子も入らず、別の感情で頭が埋め尽くされていく。
──このまま一生会えないのかもしれない。結局、自分の言葉で自分の気持ちを伝えられないかもしれない。もうあの凛々しい背中を見ることも、ぎこちない笑顔を拝むことも、一緒に肩を並べて歩くことも出来ないかもしれない。
もしも至天堂灯守が、この先ずっと目覚めることがなかったらどうしよう。
アイツに限ってそんなことはない。きっと、すぐに飛び起きるはずだ。そして、また誰よりも学修に精を出す。彼は彼女を庇って倒れたようなものだが、別に大したことではないさ。……そんな希望を、さも当たり前のように思っていた。
自分のせいで少年が
でも事実だ。
この先もずっと希望は捨てないだろう。けれど、確かに至天堂灯守は現在、死者も同然の状態にある。
「私の、せいで……っ!」
溢れることを覚えた悲哀の涙はもはや、我慢することを諦めていた。
声をかけるものはいない。普段の強気な彼女からは考えもつかない痴態に、流石の物間も言葉を失っている。
心の刺さえを失った少女はその場で崩れ落ちた。徐々に生気は抜けていき、まるで抜け殻のように力なく落涙するばかり。すると、そこでまるで見測ったかのように、教室の扉が開け放たれた。
「拳藤はいるかァーっ!」
教室の長である担任教師のブラドキングの無遠慮な行動に、失意の少女は憤りのようなものを滲ませるが、
「……ブラド先生」
「お前の信じていた通りだ! 彼、目を覚ましたらしいぞ!」
「ッッ!」
──途端に、一佳の胸で蠢いていた闇が晴れる。
それどころか、制御が効かなくなった手足は、意識とは裏腹に保健室へと向かいだした。
これは夢か、現実か、もはや定かではない蕩けるような感覚。もしも夢なら終わる前に、現実だとしても一刻も早く、とにかく彼に合って話がしたかった。
◇◆◇
歴代の受験生の中でも群を抜いて優れた成績を叩き出し、教師間ではオールマイト以来の鬼才と噂された少年──至天堂灯守。
ヒーロー科一年A組担当教師の相澤消太は、現在その少年と保健室で面談していた。
「それじゃ、入学の意志は変わりないか?」
「勿論です」
「……分かった。決まりだ」
あれだけ惨たらしい目に遭っておいて、自分を磨き他人を競う闘志を損なわない少年に、もはや相澤は瞠目した。
既に灯守から入学金は支払われているし、必要な事務手続きも終えている。彼は書類上だけではもう雄英生であり、たった今入学の意志を再確認したことで、正式に相澤消太の生徒──A組入りが確定した。
「病み上がりとは言っても、他の生徒の手前、あまり特別扱いはできない。お前がこっちに足並み揃えにこい」
「当然ですね。アレでしょ、PlusUltraってヤツ」
「まぁ、うん。お前には色々説明不要そうだな」
流石は主席入学といったところだろう。他の生徒と比べても、少年の心構えは既に出来ているような雰囲気だ。
しかし、闘志を宿しながらも情熱に燃えるというよりは、むしろ諦観のような氷の温度のある少年の視線が相澤には不気味に映る。
至天堂灯守は優秀であると感じさせながらも、前途に不安を覚えさせるような、そんな少年だった。
「……それと、お前の“個性”についていくつか質問があるんだが――」
「──至天堂ッ!」
保健室に飛び込んできた蜜柑色の少女の勢いに、相澤の髪がふわっと浮かぶ。
相澤が露骨に面倒そうな顔を浮かべ、リカバリーガールが朗らかに見守る中、至天堂灯守と拳藤一佳は実に一か月ぶりとなる再開を果たした。
「君はいつも元気だな、拳藤」
「……お前も、そこそこ元気って感じじゃん」
真っ赤に腫らした少女の瞳から少年は何かを感じ取り、ピクリと眉根を動かした。
「泣いたのか?」
「はぁっ!? 泣いてないし!!」
「恥じるなよ。誰もそれを笑わないよ」
「だから泣いてない! ちょっと死にかけたからって調子乗るなよお前! 誰がお前なんかの為に泣くかってんだ!」
言いながら、一佳の表情にいつもの笑みが戻る。
対照的に、灯守の顔に影が落ちたように見えたのは、相澤の気のせいだろうか。
「……無事で、よかった」
「……」
少年の方に言葉はなかった。
「二人きりにすべきかい?」
気を遣ったリカバリーガールがそう申し入れる。
「お構いなく。僕らはそういうのじゃないし」
「いえ、“そういうの”です」
「……え」
少女は周りがどう思うかなんて関係ない、という風だった。そんな自分の内側を隠そうとしない姿は、きっと誰かの真似だろう。
「マジかよ」
「大人は無粋だってさ、イレイザー」
「……ったく、こういう配慮は明日からしないぞ」
──そして、二人きり。
大人たちが退室すると、やけに沈黙が痛い。
以前までの灯守には、人間関係の悩みなどなかった。軽い沈黙を苦痛に感じることなど無かったし、話題探しなど事務的に難無くこなせていた。
ただ、今の彼は、以前の彼と致命的に何かが違う。それがきっとこの“痛さ”の正体だ。
「心配してくれてありがとう。あと、色々面倒をかけたみたいですまない」
「気にするな。正直、帰ってきてくれて本当に嬉しいから」
「そ、そうか。だけどきちっと礼はさせてもらう」
「お。じゃあ楽しみにしていようかな」
普段と何も変わらない筈なのに。
この甘い空気を、灯守の全神経が拒絶する。コレは彼にとっての毒だ。一刻も早く彼女と離れないと。
「済まない、今はあまり喋る気力もなくて。今日のところは本当にもう大丈夫だから」
「そうか? ……じゃあ喋るな」
少女の両の手が多望の頬を包み込み、強引に双方の目と目を交錯させた。
翡翠色の瞳が、彩の無い灯守の中を覗き込んできて、強く告げる。
「────私を聞け」
全身にしみ込むような言葉に、灯守の意識が引っ張られていく。
少女は恥ずかしがりながら口を作り、言おうとしていた。
(駄目だ、拳藤)
いずれ自分の夢と引き換えに、その他の全てを捨てるつもりの灯守は、全てを求めない。中途半端に友達を行えたら満足だった。
しかし、未来永劫全てを手放したくない一佳は、もちろん全てを求めてしまう。少年と違い、関係を進めることを怖がっていないから。
「言うな」
「いや、言う」
再三行った忠告なんて、当然、受け付ける訳もなく。
「お前が好きだ。至天堂」
言った。
言ってしまった。
言われてしまった。
人生の全てをかけたつもりの告白の余熱で、少女の頭からは湯気が立ち昇っていた。
「気付いたら、ってやつだよ。どうして、とか、いつから、なんて聞かれても困るぞ」
灯守は、惚気る一佳を音もなく視る。
素晴らしい女性だと思う。
出会った中で随一の人間だと確信している。友人でいれることを神に感謝すべきなくらい、こんな自分には勿体ない奴だ。
家族のいない彼が、最も好きな人間はと言われれば、拳藤一佳だと答えるだろう。あの『ラジオの男』が言った通り、最も近く家族に類するのはこの子だ。
そして恐らく、彼女の“好き”と少年の“好き”は意味合いが根本的に異なっていた。
「僕のどこが好きなんだ?」
意地悪な質問だっただろうか。
ただでさえ茹であがっていた少女の顔が、トマトのように熟れていく。
「答えられない程度なんだな。そんなのは――」
「いやっ! ま、まままま待てっ、ここ、こ答えるから!」
意表を突かれた問いで呂律を破壊されながらも、一佳は灯守に食らいつこうと必死に頭をこねくり回す。
至天堂灯守に対して下手な嘘は無意味である。
少女がたどり着いた正解は、生々しいくらいの本音だった。
「結局は、顔かな……。あと、声とか、まっすぐな性格とかも……」
「……それだけ?」
「そ、それだけって何だよ! お前が私の好きな人を馬鹿にするな!」
「自分で言ってて少しは恥ずかしがれよ」
「…………うるさい。ちゃんと恥ずかしいし」
しかし確かに、異性の好きな所だなんて、いざ考えてみると単純明快なものだ。好きになった経緯がどうであれ、最終的にはその人の全てを愛しく想い、表面を通して内面を愛するようになる。
恋い慕っている時点で、自分の好みが相手に引っ張られているのだから。
「……僕の夢を、君に話したことはなかったね?」
「え?」
突拍子もない疑問形に、一佳は僅かながら困惑した。
「あ~、ナンバーワンになってやりたいことがある、だっけ。どうせお前のことだから、世界を変えるとかそんな感じだろ?」
「そう。世界を変える。時代を作る。そのためには……『立場』が必要だ」
「立、場……?」
一佳は食い入るように灯守の話に喰らいつく。
そして──少年は何かを言おうとした口を、一度閉ざした。
いけない。喋り過ぎだ。もしも一佳が灯守の夢の正体を知れば、彼女はそれを潰そうとするはずだ。そのくらい、普通に考えたら容認できない突飛な願いなんだ。
だからまだ答えを教えるべきじゃない。至天堂灯守がもう取り返しのつかないくらい決定的にナンバーワンになるまで、知られるべきではない。
今ここで彼女にかけるべき言葉は、別にある。
「つまり……」
灯守は惨忍なような答えを、慈愛のような言葉を使って、音のない声で、感情のない表情で、叩き付けた。
「つまり――僕の夢に、君は邪魔だ。僕の前から消えてくれ」
静かだった。
(……何を言ってんだろうな。僕は)
命を賭けて他人を救うということを、その身で実践した男の言葉とは思えない。きっと彼女も耳を疑っている。
だが事実としてその言葉は存在した。
「意味が分からない」
「じゃあはっきり言おう。僕は君が嫌いだ。だから視界に入らないで欲しい」
「……い、意味が分からない」
「耳バグってるのか」
遅れて飲み込めた一佳は、掠れた声を辛うじて絞り出す。
「な、なん、で……?」
「感情に理由がいるとでも言うのかよ、君が?」
「でも、そんなの、言う奴じゃ、ないじゃんか……」
今のは確かに、逃れようのない、紛れもない絶対の完全なる裏切りだ。
誤解や言葉の綾だなんて言い逃れすることは出来ない。これ以上ないくらいの、根源的な決別であり、抜本的な拒絶である。
少女からは、咽び泣くような絶叫が溢れ出す。
「どうして、嘘をつくんだよ……!」
「嘘じゃねェよ」
「お前だって! 私のことを良く思ってたはずだ! 私を認めてくれてた! それを肌で感じたから、きっと私は……!」
「勘違いだよ」
灯守の声には色が灯っていない。
絶望する一佳は、それに気付かない。
「僕のこと、君は何も知らないだろ」
「……知ってる。一年ずっと見てきた。気付いたら目で追うくらい、熱心にお前を見てた」
「見てただけだ。何も理解してない」
「そりゃ全部は理解できないよ! だって、お前が全部話してくれないんだから!」
確かにそうだ。灯守は全部話していない。
そして、灯守がそれ話せない事情など、一佳にはどうでもいい。
「なぁ、さてはお前に何かあったんだろ? あのヴィランに変なこと吹き込まれたのか? 死にかけて、何かに怯えてるのか? まず落ち着けよ、至天堂──大丈夫、大丈夫だから。何があっても私はお前の味方だから。困ってるなら、私に話してみろって」
「……あまり僕に酷い言葉を使わせないでくれ」
「あれ!? はは。それってつまり、酷い言葉で私を傷付けたくたいってことか! てことはさ! つまりお前もさ!?」
「──死んで黙れ。女」
…………誰が、言った?
金髪の少年の発言か、或いは銀髪の少女の発言かとも疑ったが、ここにいるのは黒髪の男子高校生だ。
どう曲解しても、今の声音は疑う余地なく至天堂灯守だ。
言われた側の一佳には、もはや絶望の中に侮蔑と怒りが沸き上がってきていた。
「お前、誰だよ」
それは少女なりの最後通告だったのだろうが、灯守は考えることをやめた。
「さぁね。自分で考えなよ」
「………………あっそ。……もう、知らないから」
投げやりに言うと、逃げるように一佳は立ち去る。
灯守はその背中を見ることすら出来ない。
彼女も、もう少年を直視しようとしない。
それが痛々しくも、喧嘩の一つも起きずに二人の関係は終わったことを証明していた。
拳藤が泣いていたのは、きっと見間違いだと思いたい。
◇◆◇
──お前、誰だ。
あの言葉に、どう答えたら正解だったのだろう。
灯守はただ、全ての物事より自分の夢を優先しているだけだ。あの告白はつまり、夢を取るか少女を取るかの二択だった。答え方が違っていても、結果は同じだったのかもしれない。
「……どうしてだろうな」
どうして、二つを選べないのか。
両方を得るのが傲慢なら、せめて両方を尊重するような答えが出せたら良かったのに。
感情は、確かにある。
「大好きだったぞ、拳藤」
しかし、やはりそれは恋愛ではなく。
自分がどうなりたかったのかに明確な答えが出ない。
思い悩むということは、この結論に納得していないということだ。
想いがあるから、その人とただ傍にいられれば嬉しいのだろうか。自分の腕の中でだけ特別笑ってくれるような関係なら満足だろうか。互いに互いを誰よりも尊重し、依存するならそれは幸せだろうか。
そう問われるなら、きっとどれもが幸せなのだろう。
しかし、至天堂灯守が欲しかった関係性ではない。
自分の夢や理想が損なわれることなく、相手を尊重しつつも自分を犠牲にする必要がない関係性。
どんな過ちを犯しても、笑って一緒に歩んでくれるような馬鹿な友人。
例え目指す場所が違っても、自然と同じ道行きを選んでしまうような、そんな人間が欲しかった。
「……嗚呼、そうだったのか。僕は」
言葉で言い表すなら、そう。
愚かな夢に燃えて身を滅ぼし、バカな犯罪で世間を追われ、それでも笑って許してくれて、全てを認めてくれる存在が欲しかったんだ。
互いに依存し合わない、認め合える人間が欲しかったんだ。
「……僕は、君と親友になりたかったんだな」
──
彼に両親はいない。
彼に兄弟はいない。
彼に親友はいない。
そういえば、彼に家族はもういない。
至天堂灯守は、自分が独りぼっちだったことに、気が付いた。