第一話 手作り弁当
晴れ渡る青い空。澄んだ空気。
引っ越しを終えて荷ほどきも済ませ、俺はとうとう
一番近くの町まで車で一時間、とても歩ける距離ではない。しかし元来が引きこもりなので、その程度のことは
「どうしても必要なら言ってくんな。車貸すけえ」
「
四条
下見に来た時に送り迎えしてもらったが、切り立った崖の山道もスイスイ進むのである。しかも隣に乗っていて恐怖を感じなかったから不思議だ。
テレビの番組でそんなシーンを目にしたことがあって、あの時は見ているこっちがヒヤヒヤしたんだけどな。
彼女のご主人は昨年七十歳で他界し、息子さん夫婦は東京に住んでいるそうだ。しかしその子供、つまりお孫さんは都会の空気で肺をやられてしまったため、集落に戻ってきたとのことだった。
「接続も問題ないな」
会社から支給されたモバイルルーターの調子は良好。仕事で使うノートパソコンから本社のファイルサーバーへのアクセスも確認が取れた。
業務用端末にも遠隔ログインオーケー。なんの支障もなさそうである。
社内限定利用のビデオチャットで上司にそのことを告げると、俺は引っ越しのために仲間任せになっていた資料の確認を始めた。引き継いだ後の進捗は予定の半分も進んでいない。
「しょうがねえなぁ」
仲間と言えば聞こえはいいが、実際には単なる同じ部署の社員というだけのこと。彼らにも担当している業務があるので、進みが遅いのは仕方がない。
仕方がないのは分かるのだが……
「やれることはやっといてくれよ」
独りごちたところで何かが変わるわけでもないし、小さいオジサンが勝手に資料を作ってくれるわけでもない。
余談だが小さいオジサンが云々というのは、パソコンが勝手に仕事を進めてくれたらいいなぁ、という願望から生まれたスラングのようなものである。言ってみればパソコンの精……精霊がオジサンてのもなんだかなぁ、といったところか。
まだ有給休暇中なので一通りの確認だけ済ませてから、ここに来るに当たって新しく購入した六十五Vの大型液晶テレビ設置に移る。ニュースはネットで事足りるし、最近の番組コンテンツには魅力を感じるものが少ないので、実際そんなに観るわけではないんだけどな。
ただ、普段居間として使う部屋は二十畳ほどと広い。しかも畳は都会のマンションサイズではなく、田舎によくある大きいタイプなのだ。そんな空間に二十四型のテレビじゃ迫力ないだろ。
それにいくら観ないといっても、食事の時くらいはスイッチ入れるからやっぱり大っきいテレビは必要なんだよ。
ま、正直に言うと物欲だ、物欲。
同時に買ったサラウンドスピーカーも繋げた頃には少し腹が減ってきた。
もう一つ、新たに購入したダブルサイズのベッドも組み立ては終わったし、ひとまず飯にしたいところだが食料がない。
「軽く食える物くらい置いてあるといいな」
ということで、地主さんが経営しているというコンビニへ。なんだかどこかで見たタヌキキャラの店と色使いが似ている気がするが、チェーンの名はどこにも使われていない。いいのかよ。
「こんにちは」
「あ、
元気よく挨拶を返してくれたのは
身長は百五十センチくらいかな。肩くらいまでのこげ茶色の髪に、少し垂れ目気味でどちらかというと丸顔の童顔が可愛らしい。
人懐っこい笑顔は初対面の時から変わらず、とても肺を患ったとは思えないが、肌が白いのはそのせいかも知れない。
胸は服の上から何となく膨らんでいるかな、と分かる程度。しかし背筋が伸びていて腰もキュッと締まり、尻がツンと上を向いているので立ち姿は美しいの一言に尽きた。
俺が同じ高校生だったら、絶対に好きになってたと思う。
休みと言いながら制服にエプロンを着けているのは、まあこの際聞かないことにしよう。もしかしたら校則で、学校が休みの日でも制服を着なければならないのかも知れないし。
「あれ、四条さん……お孫さん、学校は休み?」
「もう! 雅也さん、その呼び方やだ!」
「でも四条さんだと地主さんと被るし」
「だから名前で呼んでって言ってるじゃん」
「いや、それはちょっと……」
学生時代は女子とまともに話したことなんてなかったし、卒業してからも仕事に行く以外はほとんど引きこもりだった俺だ。
それなのに、まだ数回しか顔を合わせたことがない女の子を名前呼びするなんて、ハードルが有頂天てなもんだよ。
「名前で呼んでくれないと食べ物売ってあげないから」
「え? どうして俺が食べ物買いに来たって知ってるの?」
「あ……な、なんとなく……なんとなくそんな気がしただけだよ」
「ふーん……」
今なぜ目を逸らした。
それはそうとこの店、初めて案内された時もそうだったが、外観に似合わずだだっ広く感じるんだよな。その時はどんな物があるかまでは見なかったんだけど……
なんだよ、これ。
俺は目当ての食品コーナーを見つけて驚いた。お弁当やお惣菜、おにぎりからサンドイッチに至るまで、都会のコンビニの品揃えと遜色ないのである。
住民わずか五十人程度の集落だぞ。需給バランスが取れてるのか心配になるレベルだ。
プライベートブランドのような商品はさすがになかったが、その代わりに手作りと思われるお弁当が置いてある。しかもすっげー美味そうなのに、値段は税込みでワンコイン程度。
器もなんだか普通の弁当箱……なになに、食べ終わったら器はお店に返して下さい……ふむ、なるほど。容器の再利用で値段を抑えているわけか。小さな集落ならではの発想だな。お陰で手作り感もマシマシである。
うん、買うならこれしかないだろ。
「あ、そのお弁当買ってくれるんだぁ!」
「うん?」
「それね、私が作ったんだよ」
「へ? へえ……」
「ああ! 信じてないでしょう!」
「い、いやいや……」
俺は別にいいが、食品衛生法とかそんなのに引っかからないのか?
ま、気にしても仕方ないか。
可愛い女の子の手作り弁当なんて、俺にとっては生まれて初めて手にした宝物だ。いくら手作りでも単なる商品だって?
いいんだよ。可愛らしいナプキンに包まれて、彼女から両手で手渡しなんて俺には夢のまた夢だ。彼女いない歴イコール年齢なんだよ。悪かったな。
ところがそんなことを考えていると、いつの間にか栞さんが弁当を可愛らしいナプキンで包んでいたのである。
さらにそれを両手で差し出され……
「え?」
「雅也さんはうちで初めてのお買い物だからサービスだよ。これ、私からプレゼント!」
「はい?」
「その代わり、食べたら感想聞かせてね」
「えっと……」
「今回だけ。次はちゃんとお金もらうから」
「つまり……タダ?」
「そ。タダ」
代金はちゃんと払うと言ったが、女の子から手作り弁当をもらうなんて初めてなんでしょう? と押し切られてしまった。
いや待て、どうしてそんなことを知ってるんだよ。
その疑問に気づいたのは、あまりの美味さにすっかり弁当を平らげた後だった。