マズい。風邪をひいてしまったようだ。
熱っぽいし寒気はするし、喉はカラカラに渇いているが、水を飲みに起きるのが
独り暮らしでは、この病気になった時が最も困るのではないだろうか。家族がいれば看病も期待できるが、今の俺にはその家族すらいない。
幸い天然温泉が引かれている風呂には常に湯が張られているので、入浴で温まることは出来る。しかし体を動かすこと自体が辛いので、その気力さえも湧かないのだ。
それでもトイレだけはどうしようもない。我慢にも限界があるので仕方なくよろよろと起き出して用を足し、ついでに水だけ飲んでまたベッドに戻るというのを繰り返していた。
その何度目かの折である。
「あ、
すでに日課となった夕飯作りで、勝手に上がり込んでいたのは
情けないが、ちょっとホッとした気分だ。どれだけ心細かったんだよ。
「風邪ひいたみたいなんだ。あんまり近寄ると
「そんなの気にしないでいいよ」
トイレを済ませてからベッドに戻ると、彼女はタオルを絞って額に乗せてくれた。
「食欲ある?」
「ないんだけど、朝から何も食べてないから腹は減ってる」
「お粥だったら食べられそう?」
「ああ、お粥かぁ。食べたいかも……梅干しも冷蔵庫にあったと思う」
「分かった。作ってくるからちょっと待っててね」
「すまない……」
「いいよ」
彼女が部屋を出てからしばらく
「大丈夫?」
「なんとか……」
「体、起こすね」
「い、いや、それは……」
言うより早く肩に腕を回され、頬が触れそうになりながら半身を起こしてもらった。
いや、まあ、なんというか……柔らけえ。鼻が詰まっているわけではないから甘い香りもしたし。
そして彼女はそのまま俺の隣に座り、お粥を土鍋から茶碗によそってくれた。さすがに食べさせようとしたから拒否はしたけど、むくれた表情も可愛かったなあ。
お粥? 美味かったよ。食欲ないなんて言ってたクセに、おかわりまでしてしまったくらいだ。お腹が落ち着いたお陰で気持ちもかなり楽になった。
やっぱり誰かが傍にいてくれるって安心するよな……
「分かった。今夜は付き添ってあげるね。一応お婆ちゃんには言ってくるから」
「へ?」
「傍にいたら安心するんでしょ?」
「もしかして声に……!?」
「しっかりと聞かせてもらいました!」
おかしいな。いくら何でも口に出した覚えはないぞ。まあしかし彼女がそう言うなら……いや待て、めっちゃ恥ずかしくないか、これ。
「片付けたら一度帰ってまた来るね。寝ててくれていいから」
「いや、しかし……」
「明日は学校もお休みだから思いっきり甘えてくれていいよ」
「甘えるって……」
「じゃ、行ってくる」
「ああ……お孫さ……栞さん……」
「ん? ちゃんと名前で呼んでくれたぁ!」
「あははは……ありがとう」
「どういたしまして!」
照明を常夜灯に切り替え、彼女は部屋を出ていった。この部屋だけはシーリングライトに取り替えてあって、手元で操作出来るリモコンもある。それを俺の手の届く範囲に置いてくれたのは、気が利くというかなんというか。
彼女が来てくれたことで本当に安心したようだ。部屋が暗くなったことも手伝ってか、俺はそのまま眠りに落ちる。やはり多少気持ちが軽くなったとはいえ、体調不良は相変わらずだった。
◆◇◆◇
ふと目が覚めた。常夜灯が点灯していて窓からの光はないのでまだ夜中なのだろう。
それにしても枕……何だか柔らかくてふさふさでいい匂いがする。この匂いは……さっき栞さんから香ってきたのと同じものだ。
ゆっくりと眼を開くとやはり栞さんがいた。まさか膝枕でもされてるのかなどと思ったりしたが、顔の位置が違うのでそうではないようだ。
それに膝枕がふさふさしてるってのも変だしな。
だが、さらに彼女を見つめていた俺は、次の瞬間に言葉を失ってしまった。
彼女の頭には大きな三角の耳。そして俺が枕にしていたのは、白と黄色のこんもりとした尻尾だったのである。
ま、まさか……!
しかしそれも束の間。彼女が俺の視線に気づいて優しい微笑みを浮かべると、俺の記憶はそこで途切れた。
そして翌朝、目が覚めるとベッドの脇で突っ伏して寝息を立てている彼女の髪が、俺の額に軽くかかっているのに気づく。
わずかに頭をずらせば額がくっついてしまうほどの距離。
あれは夢……夢か……
そうだよな。そんなことあるわけないじゃん。あんな夢を見たのはきっと、額にかかったこの髪のせいだろう。
それはそうと栞さん、夜通し看病してくれたんだ。
思わず彼女の髪を撫でてしまったが、その手触りの心地よさにあのふさふさ感が甦ってくる。
「ふぁぁぁ……」
おっとぉ!
「はれ? ましゃやしゃん?」
「起こしちゃったか。悪い悪い……」
ふにゃってる彼女、可愛さハンパねえ。
「わらし……寝ちゃってたんら……んーっ!」
両腕を挙げて体を伸ばし、眠そうな目を擦ってから向けてくる、トロンとした瞳が
「具合どお?」
「ああ、だいぶよくなった感じかな」
「そう。よかったぁ。あふっ……眠ーい」
「あはは、もう大丈夫だから帰ってくれていい……」
「んしょ、んしょ」
「な、なにをしてるのかな?」
突然ベッドに両手をついた彼女は、そのまま俺の隣に潜り込んできたのである。
「えへっ。あったかーい!」
いや、いやいやいや、なんだよこれ。
俺の腕を枕にして胸に顔を埋めると、すぐに小さな寝息を立て始めた。
柔らかい、温かい、気持ちいい、いい匂い……
違う! だからマズいって。こんなところ地主さんに見られでもしたら、通報された上に追い出されてしまうじゃないか。
「お、お孫さん!」
「すぅすぅ……」
「お孫さんてば!」
「すぅすぅ……」
仕方ない。ここは体を
そこへ何やら新たな人影が……
「おんやぁ、まんだここにいただか」
「よ、
「気持ちよさそに寝とりますけん、ちぃとばっかそのまんまぁにしてやって下さぁ」
「えっ……? あの……?」
地主さんはそう言って笑うと、消えるように部屋を出ていくのだった。