突然の遠征辞退、しかもその理由がアミッドの強行という噂話はそれほど大きく話として広がった訳ではなく。結局のところノルアの体調不良をアミッドが叱り付けた、という話にすり替わった。
……ただ、その問題の2人が今何処で何をしているのかと言えば、こうして外の光しか入らないような薄暗い部屋の中でジッとしているだけ。それは決して監禁されているという訳ではなく、ノルアがアミッドに拘束されているからだ。
まあ別に拘束具を使われているとかではなく、単にアミッドに抱き付かれて動けなくなってしまった。という形なのだが。
「ア、アミッド?本当にどうしたんです?何かあったんですか?」
「……何もありません。何もないんです、本当に」
「は、はぁ……」
先程からずっとこの調子。
正直なところノルアとしては困ったところで、これではステイタスもレベルも上がらないし、色々と立てていた予定も台無しである。アミッドがどうしてここまでのことをしたのかは分からないが、はてさてどうしたものか。
もちろんノルアにとって最優先がアミッドなことは変わりないのだが。
「………ノルア、少し良いですか」
「え?ええ、もちろん」
「失礼します」
「っ」
そうしてアミッドは突然、ノルアに対して自身の魔法を使い始める。
何故そんなことをし始めたのか皆目見当も付かないし、流石に自分の語った建前を本当のことだと信じてしまったとは思えないのだが……
「……」
「アミッド?」
「……」
「な、なにか見つけたんですか?」
「……」
「えっと」
「……」
「……………………………………炎?」
「え?」
アミッドは、見つけてしまった。
「心臓の内部、中枢に異様な熱源があります。大きさは非常に微小で魔力反応もなし、心臓に温度計でも差し込まなければ分からないくらいの……」
「……それでも分かったのですから、流石はアミッドです」
「前に貴女の身体を見た時には、こんなもの無かったはずです……」
「いえ、ありましたよ。あの時のアミッドにはまだ見えなかっただけで」
「これ、ですか……?」
「……」
「これが貴女に巣食う、元凶なのですか……?」
「……恐らくは」
「ならこれを取り除けば……!!」
「恐らく意味はないですね。最悪そのまま死ぬかもしれません」
「!?」
まるでそれが当然のことのように、ノルアはそう言う。困ったような苦笑いを、アミッドに向けながら。
「アミッド、これは私が生まれた時からあったものです。この意味が貴女になら分かりますよね」
「っ……分かりません」
「もう、分かっているくせに。……これはもう私そのものなんです。私の身体の一部であり、別に心臓そのものに原因がある訳ではない」
「ですが、そんなことは他の病だって!」
「炎が離れた瞬間に死ぬのか、再び別の場所から発火するのか、本当に切除出来るのか。もちろん試してみる価値はありますが、それを今したいとは思いません。……切り離した炎が、今度はアミッドを狙う可能性だってありますから」
「私は……それで貴女を救えるのなら……!」
「駄目ですよ、アミッド。それで今度は私まで貴女を避けるようになったら、どうするんですか。……今がいいんです。今が1番、幸せなんです」
「そんな……」
ぎゅーっとアミッドを抱き返して微笑む彼女は、こちらが少し腹立たしく思ってしまうくらいに、心の底から幸せそうで。
「仮にその施術をするにしても、その時は自分でやりますよ。それもどうしようもなくなった時の最後の手段として、ですが」
「……そんなの駄目です、やるなら私がやりたいです。貴女が死ぬのなら、貴女を殺すのなら、せめてそれは私の手でさせてください」
「ふふ。魅力的な提案ですが、それをさせてしまったらアミッドが変わってしまいそうで。出来れば避けたい選択肢ですね」
「今更何を言ってるんですか。それがどんな形であったとしても、貴女が死んでしまったら私は変わります」
「……」
「……それが今日、確信できました」
「うわっ!?」
アミッドはそのままノルアを押し倒すと、全身全霊で魔法を使い心臓に巣食う悪炎の解析を続ける。まるで怨敵を憎むように険しい表情で睨み付けながら、自身の最愛の人間を取り返そうと。
「駄目ですよ、アミッド。そんなに見たら駄目です」
「っ、ノルア!邪魔しないでください!私は絶対に貴女を!!」
「本当に駄目なんです。……こんなもの、見れば見るほど悪いに決まっています」
「ですが!!」
「貴女に嫌われるくらいなら、私は死んだ方がマシです」
「……!!」
「他の人なら良い、他の誰だってどうでもいい。憎まれても嫌われても我慢できます。……けど、もしアミッドにまであんな顔をされるようになってしまったら。私は絶対に耐えられません」
「………」
「だからこんな炎に触れないで。貴女は貴女のままで居てください。その末に私が死ぬことになったとしても、せめてその時までアミッドにはこの世界で唯一私を人として見てくれる相手で居て欲しいのです」
「っ……ずるい」
そんなことを言われたら、どうすることも出来ない。
そんな風に胸に顔を押し付けながら泣き始めるアミッドの頭を撫でながら、しかしどうしようもなく諦めている自分がいるのも事実だ。
今回の遠征に行けない。
つまり次のレベルアップはまず間に合わない。
抑えきれなくなる。
(しかし……アミッドのこの豹変ぶりはなんなのでしょう。それまでは何事もなかったのに、あんな風にいきなりフィンさんに対して)
確かにアミッドは察しがいいし、自分のことに関してはそれこそ異様な反応を見せることはある。行き先を言っていないのに居場所がバレていたりとか、隠れて何かをしようとすると、それを勘付かれたりとか。
けれどそれは付き合いの長さが原因と言える程度のものだった、少なくとも今日までは。けれど先程の反応は明らかにおかしい。それこそ正に自分があのまま遠征に行っていたら死んでいた、何て勢いの話で、フィンもまたそれを否定しないようなことを言っていた。
(まさか私の炎が、アミッドにまで何かをしている……?)
そもそもアミッドにだけ効果がないという時点で、それについては頭の中にあったものだ。けれど考えないようにしていた。目を逸らしたかったから。
けれど、もしそれが事実なら?
「ノルア……どこにも行かないで下さい」
「……」
「私が絶対になんとかしてみせますから……」
「……」
言われなくとも、ここまで密着されてしまえばどこにも行けない。というか、いつまで拘束されてしまうのだろう。気持ちは嬉しくはあるけれど、もし炎がアミッドにまで影響しているのなら、自分だって色々と動く必要が生じるというか……
(どうしよう……)
ノルアは途方に暮れていた。
……けれど、一度火のついた薪は勢いを増すばかりで。燃やせる全てを焼き尽くすその時まで、決して消えることはない。
不安と恐怖という火種はその根源を焼き尽くすまで消えることはなく、加えて此度の根源と呼べるものは1人の人間であった。事象ではなく人、なればこそ恐ろしい。厄介とも言えよう、それは既に病の領域だ。
「ノルア……」
「……んぅ」
「ノルア……ノルア……ノルア……」
「……」
「生きてる、生きてますよね、まだ、まだ大丈夫……」
「……」
「大丈夫……」
あの瞬間、脳裏に過った最も親しい彼女の死の瞬間。
それまで言葉と想像でしかなかったそれがあれほどまでに明確に示されてしまって、その衝撃が焦げ付いた。失う恐怖が、手の届かない虚無が、取り返しの付かない後悔が、波となって、けれど嫌になるくらい身に染みた。
姉のように慕って生きてきた彼女は、この世界の誰にも必要とされていない。誰も彼もが、何もかもが、彼女の存在を否定する。否定するだけでは飽き足らず、奪おうとする。
何故、どうして、嫌なら放っておいてくれればいいのに。関わらなければいいのに。勝手な理由で殺そうとした。意味の分からない理由で消そうとした。
"何度も助けて貰ったくせに"
沸々と沸き上がる灼熱は黒く黒く心を染め、理想も信念さえも脅かす。ただ1人の大切な人を守るために、他の何もかもを差し出しても構わないと思ってしまう。それ以外の何もかもが二の次になる。
許さない。
絶対に許さない。
彼女を殺そうとする人間も、彼女に巣食う何かも、彼女を救おうとしない神々さえも。絶対に絶対に許さない。
自分の持ち得る全てを利用しても構わない、奪われてたまるものか。
他の誰もが不要であると断じるのであれば、望み通り誰にも渡さなければいい。自分だけのものにしてしまえばいい。そうすればこの人を奪うということは、"私の物"を奪うということになる。そうなれば自分の持つ立場も力も全てを正当にこの人の盾にすることが出来る。
この執着は醜悪だろうか。
いや、醜悪であったとしても構わないだろう。
嫌われても、怖がられても、この人が死ぬよりよっぽど良い。
『割と危機感ないんですね』
今なら分かる、あの団員の言っていたことが。今なら言える、その危機感を抱いていると。ようやく現実を直視できたのだと。
綺麗事だけでは、意地と願いだけでは何も変わることはない。何も守れるものはない。本当に守りたいのなら、ただ只管に現実の残酷さと戦い続けるしかない。
「………」
静かに寝息を立てる穏やかな表情の彼女。
普段とは違い、今日は彼女が壁側で、自分は寝ている間でさえ逃すことのないようにグッとその身体を抱き締めたまま。逆転したのは立場だけではない、相手に対する執着もまたそうだ。今なら彼女の気持ちがよく分かる。そしてそれほどに自分のことを彼女は大切に思ってくれていたと、それも自覚してしまって。
「――あなたは、こんなにも綺麗なのに」
容姿も、心も、嫉妬してしまうくらいに。嫉妬してしまったくらいに。羨ましくて、置いていかれたくなくて、意地になってしまったくらいに。
月明かりに照らされた頬に触れる。
この人に負けたくないのではなく、この人に置いていかれたくなかった。自信を持って隣に居られる人間でありたかった。だからその反抗心として部屋を別にした頃もあったけれど、今ではそれも後悔している。残された時間の少なかった彼女にとって、それはどれほどの絶望だったろうか。
「大丈夫です……たとえ世界中の全てを敵に回すことになったとしても、私だけは絶対にあなたを諦めない」
一度そう言葉にしてしまった瞬間に、自分の中の核とも言えるものが明確に変質したのが分かった。
ほんの1時間前までの自分とは違う、"聖女"などと呼ばれていた女は既に死んだ。今ここにいるのはただの弱く醜い人間であり、高潔であった魂を暗く染め上げてしまった愚か者。
他のなにを差し置いてでも手に入れたいものを見つけてしまった、健全な年頃の少女。
アミッド・テアサナーレという少女は今この瞬間、ようやく本当の意味で、命に順序を付けたのだ。
「それで、お主はアレに何をした?……というより、なにをしようとした?が正解なのかのぅ、儂にはよく分からんが」
「……アミッドのあの様子、尋常なものではなかった。団員達の間にも不安が広がっている。だがそれも当然だ、まさかあのアミッドの口から"治療をしない"などという言葉が出てくるとは」
「――正直なところ、これは僕にとっても想定外だった。まさかノルアではなく、アミッドの方にバレるとは思わなかった。彼女にまで"予知能力"があるなんて聞いたこともなかったからね」
「「!」」
遠征中、ダンジョン18階層での少しの休息。けれどこの遠征が既に順調なものでないことは誰にだって明らかで、未だに広がった動揺が消えることはない。
表向きにはノルアの体調不良とされているが、あの人混みの中での諍い。人の口に戸はつけられない。加えてあの聖女とも呼ばれるアミッドに"2度と治療はしない"とまで言われるほどの怒りを買ってしまった、これはもう言葉以上に恐ろしいこと。闇派閥でさえ改心するのであれば治療に全力を尽くす彼女がそこまで言った、幸先が悪いにも程がある。
「何をやろうとしたかと言えば、ノルアを殺そうとした……としか言いようがない」
「っ、なぜだ!この遠征中には何もしないと言っただろう!」
「そうだね、僕もそのつもりだった。けど、条件が発動したのなら仕方ない」
「条件……?」
「"予知能力"対策のために僕自身に制約しておいた条件、ずっと仕込んでいた未来視破りの策だよ」
「!?」
だからそれはフィン自身でさえ望んでいなかったし、最悪とも言えるタイミング。まるで運までも彼女に味方しているのではないかという、そんな結果。
「限定的とは言え何らかの予知能力をノルアが持っていることは確実だ、これによって大半の暗殺が封殺されている。つまり彼女を殺すのであれば、状況的な死刑か、未来予知を潜り抜ける必要がある」
「……そんなもの、どう対処するんだ」
「彼女の予知能力は驚異的だ。予知した未来を自身の行動で変えることが可能、予知の頻度も高い、普通にやれば間違いなく破れない。――だが、その性質故に穴はある」
「それが制約ということか……?」
「肝心なのは彼女だけが未来を変えられるということ、正しくは彼女の行動によって未来が変わるということ。彼女が死ぬという未来を作り出せるのは、他でもない彼女だけなんだ」
「……そうか、つまり罠を張ったわけか。彼女の何らかの行動にトリガーを紐付け、そのトリガーが引かれた瞬間に一切の例外なく殺害を決行する。死の運命を選んだのはあくまで彼女であり、同時に直前まで彼女はその兆候に気付けない」
「試行段階の策だったけどね、予知能力の詳細や条件を完全に把握できていた訳でもなかったし。――まあそれも成功はしたようだけど」
「成功?」
正直なところ、これで破れるとは思っていなかった。
その紐付けた条件が、そもそも運命的に固定されている可能性もある。条件が発動される直前に彼女に予知が発動する可能性もあったし、その条件さえ見破られていることさえ想定できた。
「何を言う、現に失敗したではないか。これの何処が成功だ」
「いや、成功はしたんだよ。ノルア・コルヴァスの予知破りには。――想定外だったのは、アミッド・テアサナーレの予知能力の方だ」
「「!!」」
そう、全てはそこに収束する。
今回の策を崩したのはノルアではない、アミッドだ。
ノルアは直前まで本当に何も気付いていなかった。
「アミッドに予知能力がある兆候なんて、少なくとも僕は知らなかった。そして問題なのは恐らく、アミッドの予知能力はノルアの予知能力とは性質が違う」
それがどれほど恐ろしい話なのか、きっと他の者には分かるまい。これを知ってしまった時点で、フィン・ディムナは何もかもを諦めたくなった。というか、万策尽きている。
「ノルアが気付けなかったことを、アミッドは気付いた。ノルアの予知能力の穴を、アミッドの予知能力は補える。性質の異なる予知能力を2つ相手にして策を用意するのは至難の業どころの話じゃない。こうなると本当に正面からかかるでもなければ殺せないし、恐らくその機会さえ潰されるだろう」
「……意味があるのか、それに。何れにせよお前が直接的に彼女を殺害すれば、ファミリアどころかオラリオそのものが瓦解する。女神ヘファイストスと男神ディアンケヒトの怒りを買えば、遠征さえ出来なくなる。結果は変わらない」
「ヘル・フィネガスが彼女の性質で暴走した、程度の言い訳はできる。ディアンケヒト・ファミリアとの関係も、リヴェリアが舵を取れば上手く纏まると思っていたからね。当然その場合は僕の立場は消えるけど、それでも構わないと考えていた」
「っ」
「……じゃがフィン、それをこうして話したということは」
「ああ、オラリオの瓦解を防ぎつつ彼女を殺害する方法がもう僕には思い付かない。これで大和竜胆も本格的に彼女を護衛し始める、アミッドもなりふり構わないだろう。そうなるとノルアを殺すには僕達3人でかかるしかないけど、それをしたらロキ・ファミリアは崩壊する。……彼女を殺害するという方向でこの問題を解決することは、実質的に不可能になったと判断した」
「「……」」
ならそれ以外の方法があるのかと問われれば、それもまた首を横に振るしかない。そんな方法があるのなら、とっくに誰かがやっている。それが出来ないから今がある、それがないから何も解決しない。何かしらの理由で、要因で、それを為せない。だからこんな直接的な方法を取るしかなくなっている。
「まさか……アミッドは既に彼女の影響下に?」
「その可能性はあるけど、分からない。発現した予知能力の方向性が違うことから、別の要因の可能性もある。なにせ僕達はやはりアミッドには違和感を感じない。一方でノルアに対する嫌悪感は増し続けている」
「ロキの意見を待つしかないか……」
「それ以前に、此度の遠征への影響を考えた方が良いと思うがのぅ。この精神状態で階層更新は危険という他あるまい」
「これについてはしっかりと説明をすると同時に……」
そこで一瞬、フィンは黙る。
彼にしては珍しいその様子に2人は訝しげに見つめるが、どこか決心したような顔をして彼はまた顔を上げた。切り替えの速さ、行動の速さ、それは精神の安定のための第一歩。誰よりも冷静でなくてはならない彼は、誰よりも行動と決断が早い。
「すまない……君達にこんなことをお願いする日が来るとは思わなかったけど」
「「?」」
「どうか僕を叱って欲しい。そうでもならないと、どう説明を尽くしても今回の件は団員達に示しがつかない……」
「……」
「……」
建前のために叱らせられるなど真っ平ごめんであると、この後2人に普通にド叱られたことについては詳細に書く必要もない。