時は遡る。
まだ達也たちが進級する直前のことだ。
日本とUSNAを混乱の渦に陥れた吸血鬼事件は解決した。
その一番の立役者は、小さな小さな、可愛らしい男の子だ。
彼を中心とする若い魔法師の決死の活躍により、異界より現れた招かれざる妖魔は退治され、幾人もの魔法師の命を奪った吸血鬼はいなくなったのである。
そしてそれと引き換えに、
だが彼は二週間と少しの昏倒から目覚め、安静期間と経過観察の末、ついに、大好きな姉と、肩を並べて戦った大切な仲間とともに、第一高校へと登校するようになった。
これは、彼らがまた登校するようになってから2週間ほど経ったある日、3月14日の出来事。
その日は俗に、ホワイトデーと呼ばれている。
「えっと……この前はありがとな。これ、お返し……」
「わあ……! ありがとう!」
「ミッチー、これ、お返しのチョコレートだよ~」
「わあ~、ありがとうヨシリン♡」
「こ、これ、お、お返しなんだけど」
「あ! ありがとね~」
「司波さん、先日はありがとうございました」
「あら、ありがとうございます」
将来ほとんどが鉄火場で過ごしすでにある程度大人であることが求められるといえど、魔法科高校生もやはり少年少女だ。そこかしこで甘酸っぱい光景が繰り広げられていた。
意中の相手に渡したチョコレートが、素敵なチョコレートとして返ってきた。
恋人に渡した愛の結晶が、何倍もの愛となって返っていた。
義理チョコと言えど貰えたのは嬉しく不慣れなお返しを渡し、受け取る方は何とも思わず気軽に受け取り。
クラス一どころか世界一クラスの美少女からもらえた明らかな義理チョコに対して本気のお返しをして、無事受け取ってもらえたり。
そのホワイトデーへの挑み方は、十人十色であった。
「深雪、やっぱりいっぱい貰えてるね」
ほのかが深雪の紙袋を覗き込んでくる。そこに入っているのは、そのどれもが明らかに気合の入ったお返しだ。
「ええ、皆さまお優しくて」
そして男子たちから憧れを集める当の深雪はというと、穏やかなものだった。何かと人当りを良くして地盤を固めたい深雪は、バレンタインデーにお気軽に用意できる義理チョコをクラスの男子全員に配っていた。当然そのあと家で兄と二人きりで甘い時間を過ごすという映像化すればクラスの男子の脳が破壊されそうなイベントもあったりもしたが。
そういうわけで、ホワイトデーの主役は、案の定深雪になりそうだった。
しかしこれは、いささか予想以上過ぎた。深雪がこうも注目を集めるのは当然のこととはいえ――
――このクラスならば、深雪から注目を奪いそうな子が、後二人いるはずである。
「おはよー」
「グッモーニン」
そんなことを考えているところにちょうど登校してきたのが、ふわふわの茶髪と中学生どころか小学生と間違えてしまいかねない低い身長と何よりも可愛らしい顔つきの女の子のような男の子・中条いつきと、USNAから来た交換留学生の絶世の美少女・リーナだ。
この二人は事情があって、ここ最近はこうして一緒に教室に現れる。
その事情とは――いつきが座りリーナが押している、車椅子だ。
そう、この中条いつきが中心となって、吸血鬼事件を解決した。その戦闘の際に魂を破壊され、左腕と両脚の自由を失ったのであった。それ以来、こうして車椅子での生活を余儀なくされている。
(この二人のバレンタインも、傍から見れば面白いことになったでしょうに)
いつきもリーナもこの見た目と優秀さからかなりの人気者だ。ましてや吸血鬼事件の表向きの顛末が公表されてからは、瞬間的には深雪すらも上回る注目度だったと言えよう。この二人がバレンタインに登校していたら、この1年A組はさぞお祭り騒ぎだったに違いない。二人が来られなかったせいでその熱を一身に受けとめる羽目になった深雪は、こっそりため息をついた。
教室に入った二人の元に生徒たちが集まる。リーナはその見た目と強さから男女問わず人気があるし、いつきも女子たちに人気だ。彼らはリーナからチョコレートを貰うことを期待していただろうし、彼女らはいつきにチョコレートを渡したかったことだろう。吸血鬼事件は、そんな学生たちの甘酸っぱいイベントすらも奪ってしまったというわけだ。
当然深雪はその輪に加わることはない。二人のことは嫌いではないし、リーナはお互いに認め合ったライバルだ。とはいえわざわざ押し合いへし合いして自分から話しかけにいくほどではない。ちょっと早いが授業の準備でも……そう思った矢先、やたらといつきを囲む集団が騒がしくなった。
「え、嘘……! いつきくん、いいの!?」
「い、いっきゅん……私にまでっ……!?」
女子たちが嬌声を上げる。イケメンアイドルと握手した熱心なファンですら、ここまでトリップした甘い声をあげたりはしないだろう。思わず授業準備をしようとしていた手を止め、深雪はまたいつきたちを見た。
輪の中心では、膝の上に乗せた紙袋から、いつきが生徒一人一人に可愛らしい包装の小袋を渡していた。
「はい、これ」
「きゃ、キャー! あ、あり、ありぎゃ!」
いつきから笑顔で手渡された一人の女子は目をぐるぐるして顔が沸騰している。その隣の女子も手渡され、悲鳴に似た歓声を上げていた。
いったい何が起きているのか。深雪は気になり、はしたないとかを気にすることもできず、じっと見てしまう。
「あはは、ずっとお世話になってるからね。あずさお姉ちゃんと一緒に作ったんだよ」
(うわあ…………)
天使の笑顔で説明するいつきに、深雪は感心と同時、その倍量のドン引きをした。
その説明は納得感がある。
まず同じクラスだから「お世話になった」というのは普通の話だ。基本的に魔法科高校は三年間――来年度からは魔法工学科新設の影響があるとはいえ――クラス替えがないからこれからも続くとはいえ、一年の終わりにそういう挨拶やお礼をするのも、律儀な生徒ならば考えることだろう。
しかもいつきの場合は、吸血鬼事件をめぐる波乱のせいでより複雑である。何せ二週間意識不明で目が覚めずみんなを心配させたし、合計で一か月ぐらい学校に来なかった。それからも急な車椅子生活で、リーナが主に担ってたとはいえ、クラスメイトからの献身的な手助けも何度もしてもらっている。いつきはこの一か月半、誰よりもこのクラスに「お世話になっている」と言えよう。
そしてそのお礼をこうしてするというのは、実に人がよくできている。ゴーイングマイウェイでわがままで周囲に無関心なところがあるが、こういうところが、彼が人を惹きつける理由なのだろう。深雪は強く感心した。
だがそれ以上に。あざとすぎる。
こんなファンサービス満点の男の娘、女子のハートを射貫くに決まっている。いや、すでに射貫いていることを考えると、弓矢から大幅に進化したバズーカ砲で心をぶっ壊したようなものだ。
しかも手作りである。いつき一人なら、仮に万全であってもここまではせず、市販品で済ませただろう。だが彼にはそれなりに乙女な可愛らしい
「はいこれ、光井さんと司波さんも」
「ありがとね、中条君」
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたしますね」
沓子という神――念のため言っておくが人間である――をあがめる信者仲間であるほのかはいつきに恋愛感情は抱いておらず、深雪もそういう方面でいつきに対してどうこう思ってはいない。他の女子たちに比べ、二人はいたって普通にありがたく受け取った。こうして手に取ってみると、包装は丁寧だが微妙に崩れていてバラバラであり、いかにも手作りである。受け取る側はこういうのが見えるのが嬉しいのだ。
(これを素でやってるのですから、とんだ女誑しですね)
いつきに「失礼だなぁ、純粋なのに」とでも言い返されそうだが、心の中で思っただけなので問題ない。
教室の中はカオスだ。すでに恋人や想い人がいる子以外の女子はすっかりメロメロで腰砕けになっている。こんな光景、アニメのギャグシーンでもそうそう見ないだろう。しかもこちらは吸血鬼事件と違って、「魔法」が全く関係ない。「恋の魔法」、などという、現代魔法に関われば関わる程馬鹿らしくなる言葉が、急に現実味を帯びてきた。
深雪とほのかが最後だったのだろう。自分が渡したわけでもないくせにやけにドヤ顔のリーナに車椅子で押され、いつきが向かったのは自分の席――ではなく、モノリス・コード代理選手になって以来このクラスの男子で仲の良い、森崎のところだった。
「はい、森崎君もどうぞ」
いつきとリーナ以外、ここにいる全員が首を傾げた。受け取った森崎も頭に?マークが浮かんでいる。ほのかに至っては分からなさすぎて、宇宙の真理に触れた猫みたいな顔をしていた。
「……ええと、どういうことだ?」
「ほら、森崎君たちにもお世話になったから」
無垢な笑顔を浮かべてパステルカラーの小袋を差し出すいつきを前に、とりあえずと言った感じで森崎はそれを受け取った。それは女子たちに渡しているのとなんら変わりない、手作りのチョコレートだ。
(う、うっわぁ~)
今度こそ深雪はドン引きした。先ほどまではまだ感心もあったが、ついにドン引き100%になった。深雪のこんな心中は、達也でもそうそう見たことないだろう。
いや、これも感心するべきことではある。ホワイトデーは日本ではチョコのお返しを男性が女性にするものだが、とはいえ今回は「お世話になっているお礼」である。ホワイトデーになんとなくかこつけているだけで、実際男女なんて関係ない。いつきとあずさの心の広さと穏やかさが分かるというものだ。
「お、俺にもか!? ……ありがとな」
「いや~なんか悪いな。……これ、中条先輩の手作りでもあるんだよな……?」
「年上ロリか……」
ただ、その影響を一切自覚せずにこんなことをやっているのは、もはや天使を通り越して悪魔だ。生まれつきの小悪魔は天使に見えるのだろう。
いつきは性格こそだいぶ違うが、見た目も声もほぼ中条あずさである。そしてこのチョコレートは、いつきとあずさが一緒に手作りしたものだ。つまりは、手渡してくれたのは半分あずさみたいなものだし、作ったのも半分はあずさだろう。もはやあずさからのチョコレートみたいなものだ。この不意打ちに、男子たちもまたハートがぐらつく。
いや、まだこれでもマシなほうだ。いつきを通してあずさを幻視するぐらい、まだまだノーマルである。なにせ深雪でもたまに間違えるぐらいだ。
しかしながら、「あずさにそっくりないつきを見てあずさを見出せる」ということは、だ。
つまり、「いつきの見た目が庇護欲そそる美少女ということ」であり…………
「ぐ、ぐぐぐ、僕はノーマル僕はノーマル僕はノーマル……」
「やめやめろ! お、俺にはシールズさんという心に決めた人が……」
「ウワアアアア! さ、七草先輩が、上書き、される……?」
「仕方ねえ、俺がちょっとホモになるわ」
…………こうなる男子がいるのも目に見えている。
(中条君、いっそ魔法工学科に転科してくれませんか?)
こんなことがこの後二年も同じクラスで起こるなんて嫌すぎる。深雪は本日二度目のため息をついた。
しかし残念。魔法工学科の話が持ち上がった時のいつきは、誰もあずかり知らぬことだがそれに興味のない「別人」であり、転科希望の締め切りの時に彼は病院のベッドの上で意識不明だった。あの姉がいるので転科する未来もあったかもしれないが、もう過ぎたことである。
こうして、パラサイトを奪うためにいつきたちを騙すという心労を忘れられるイベントでも、結局はいつきのせいで心を乱されるのであった。
☆
当然、「いつもお世話になっている」のは、クラスメイトだけに留まらない。
例えばあずさは流石にクラス全員に配ったりはしないものの、現・元生徒会メンバーにチョコレートを渡している。
そしていつきのつながりで言えば――いつものお友達グループである達也たち二科生の面々にも、当然それは渡された。
「A組は大変だっただろう?」
「ええ、とてつもないことになっていました」
帰宅後、とりあえず頂いたからにはありがたく食べようということで、達也と深雪は小袋を開き、中身を楽しむ。
中には一口サイズのチョコレートが種類別々で5つ入っていた。一人分の量としては大したことないが、5種類セットをあれだけ大人数に配る分作るのはさぞ大変だっただろう。
『いやあ、自宅で安静って結構暇でさあ。そういう時って料理とかついいつもと違うことしちゃうよね』
とは、達也たちに渡した時のいつきの弁である。達也にはその感覚がよく分からないが、レオが「わかるぜ。つい無駄にチャーシューとか作っちまうよな」とか言っていたので、一般的な話かもしれない。
そんなチョコレートは、中の個包装一つ一つも手作りにしては凝っていた。その味の種類も豊富である。
砂糖多めの甘さの強いミルクチョコレート。
その逆に苦みが強いすっきりした味わいのビターチョコレート。
ハチミツとミルクをたっぷり使った自然な甘さのチョコレート。
サツマイモ風味の和風のチョコレート。
そしてホワイトデーで渡すには変わり種すぎるもの。
「…………そういうことか」
「仲がよろしいみたいですね」
一つを除いてラインナップを食べ終わった二人は、四葉経由でいつきのことをよく知っているがゆえに、その意味に気づいた。
☆
「なんか変なのが混ざってるな」
部活動連合室で書類作業のお供――憧れの先輩から貰った苦すぎるチョコレートの味を忘れたいのもあるが――に、異性の親友であるあずさから渡された随分と凝った義理チョコを楽しんでいた範蔵は、少し首をかしげる。とはいえ、別に嫌いではないので普通にありがたく頂いたが。
一つを除いて、チョコレートを数種類作るとしたら普通のラインナップだ。彼はそれを特に不思議に思わずに食べ進める。
「ふうん、これは……」
奇妙な一個以外にも、一つ目についたものがあった。鮮やかな明るい茶色の包装紙に包まれた、ザ・王道のミルクチョコレートだが、市販のものよりもより甘みが強い。舌が焼けるような、とはならないギリギリの甘さで、脳が喜んでいるのが分かる。
あずさは
「中条もこれ、好きだもんな」
あずさはその見た目と性格通り、チョコレートは甘いミルクチョコレートを好むのだ。
☆
「喜んでもらえて良かったね」
「うん、そうだね」
帰宅した中条姉弟は、頑張ってたくさん手作りしたチョコレートを喜んでもらえ、嬉しくてずっと笑顔だった。その二人が挟むテーブルには、作りすぎた余りのチョコレートがいくつか置かれている。
あずさはつい自分の好みの甘いミルクチョコレートを多く食べるが、一方で、それを際立たせるビターチョコレートにも時折手を伸ばしていた。
「幹比古君、こういうチョコレートが好きなんだね」
苦みに少し顔をしかめながら、あずさは呟く。
そう、今回入れたチョコレートのうち、ビターチョコレートは、幹比古の好みを意識して作ったものだ。いかにも幹比古らしい、大人な味わいだ。あずさもいつきもコーヒーはミルク砂糖たっぷりだが、幹比古はブラックを好んでいる。
「幹比古君も喜んでくれるといいね」
いつきは変わり種に手を伸ばしながら、大切な親友の顔を思い浮かべた。
☆
「まさか今日まで貰っちゃうなんてね」
帰宅後、幹比古はいつきから貰ったチョコレートをありがたく楽しみながら苦笑した。
バレンタインデーの時は吉田家のお弟子さんに女性が多いこともあってそこそこ貰い、友達からも貰ったし、あとなんやかんやモテるので何人かの女子からも貰った。ここ二週間はそのお返しの準備にてんやわんやだったが、ホワイトデーの今日でもまさか、貰う立場になるとは思わなかった。
しかも、親友として特別仕様だ。達也たちやクラスメイト達に渡されたものから一回り大きく、包装も高級感がある。あえてそれらしい言い方をすれば、これは「本命チョコ」というわけだ。これを天然でやるのだから、いつきの人誑しはすごい。幹比古がいつきのこれに慣れていなければ、クラスメイトの男子のように変な勘違いをしても不思議ではなかった。
特に嬉しかったのは、やはりビターチョコレートだ。何回かいつきたちの前でも好んで食べていたため、好みだと気づいてくれたのだろう。わがままだけど、こうして自分たちのことを見てくれている。親友のそんな心意気が、なんだかこそばゆい。
「…………これからも、一緒にいられるといいけど」
そんな嬉しいチョコレートを食べながら、ビターよりもさらに苦い顔をついしてしまう。
『幹比古君へ いつもありがとう! これからも、いっぱいパラサイトとかの研究をしようね!』
包装とチョコレートと同様、このメッセージカードも、幹比古向けの「本命」仕様だ。これにもまた嬉しくて頬が緩むが、しかし、明るいメッセージだからこそ、思考が沈んでしまう。
どうしても蘇るのは、自分の作った結界から離れたいつきが、パラサイトの放つおぞましい邪気に飲み込まれる光景だ。いつきが自分に引きつけ、身代わりになってくれた。そのおかげで幹比古たちはこうして無事生きていて、パラサイトも倒せた。
だがそれと引き換えに、誰よりも大切な親友は、手足の自由を失った。
そのことが、たまらなく悔しいし、情けない。
せめて、これからのいつきの人生を、ずっと助けていかなければ。それぐらいしないと恩返しにならないし、親友として横に立っていられない。
幹比古は改めて決意を固めながら、またもう一つ口に運ぶ。
とある一つほどではないが、こちらも手作りとしてはやや変わり種だ。
サツマイモ風味の、和風のチョコレート。
これはなんとなく分かる。
いつきの崇める、「神」への捧げものだ。
☆
いつきが「お世話になった人」は第一高校だけに限らない。両親はもちろんとして、その縁は他校にも及ぶ。
前日に発送されたチョコレートは、無事、ホワイトデーの朝、石川県に住む少女の元へと届いた。
「ほー、これは良いものじゃなあ!」
その少女・四十九院沓子は、それをわざわざ学校に持ってきて、親友の愛梨・栞の目の前で広げる。想い人から急に送られてきたチョコレートは――沓子のあずかり知らぬことだが、クラスメイトなど渡されたものに比べて一回り大きく、そしてメッセージカードが入っていた。
『沓子ちゃん様へ いつも見守って下さり助けてくださるお礼です。どうぞお召し上がりください』
「「…………」」
冗談みたいなメッセージ内容だが、しかしこれを書いているいつきは間違いなく、冗談のつもりは欠片もない。純度100%の
「ふむふむ、さすがいつきの姉君殿、中身まで凝っておるのう」
チョコレートが家――神社である――に届いてすぐにいつきにお礼のメッセージを送った。その
「おー、わしの好きな味もあるではないか!」
その中で沓子は、やはりサツマイモ風味の和風のチョコレートに目を輝かせた。自分の特徴的な髪色に合わせた青い包装紙も相まって、いつきが自分を意識して作ってくれたことが分かる。沓子の頬は嬉しさと興奮と乙女心で、知らず知らずのうちに赤く染まっていた。
「さぞ心籠めて作ったでしょうね」
栞の皮肉は沓子には通じなかった。敬虔なる信仰心から作られたその捧げものは、やはり沓子の好みに合い、溌溂とした顔をふにゃりと緩ませる。
そんなチョコレートをぼんやりと眺めながら、愛梨は一つだけ混ざるノイズをあえて無視しながら、沓子向けのものと同じぐらい凝ったものを見つめる。
メッセージカードの説明によると、ハチミツとミルクをいっぱい使ったチョコレートだそうだ。まるで高級品のような作り方をされたそれは、間違いなく、サツマイモ風味のものと同じぐらい、気持ちが籠っているだろう。
(これの相手が、女の子じゃなければいいけど)
愛梨のそんな心配は、あいにくながら的中した。
☆
ふふん、と。
今日一日ずっと優越感に浸って気分が良かったリーナは、帰宅してもなお、ドヤ顔が止まらなかった。
いつきからチョコレートを貰った子は、男子も女子も天にも昇る喜びようだった。いつきは可愛くて優しくてカッコいいので、「勘違い」をしてしまった生徒もいるだろう。
「何も知らずに……こういうのを、
勝ち誇った心は独り言として表出する。シルヴィアがいたら何か余計な一言が入るだろうが、あいにくながら以前と違って一人暮らしだ。
そんなリーナが机に広げるのは、周囲に渡されたものと違って高級感のある包装と、一回り大きいチョコレートと、可愛らしい丸文字で手書きのメッセージカードだ。
『リーナさんへ 吸血鬼事件の時も、そのあともありがとう! アメリカに帰っても、いつでも話そうね!』
リーナは思わず身もだえした。遠く離れたUSNAのシルヴィアが嫌な予感がして頭をおさえるぐらいに浮かれに浮かれていた。
そう、自分は、いつきにとって「特別」なのだ。この心のこもった贈り物が何よりの証拠である。特にこの、ハチミツとミルクをたっぷり使ったチョコレートなんて、リーナを意識したに決まっている。
あの、厳しくも穏やかだった寒い寒い夜の公園で味わったハニーホットミルクの味は今も忘れられない。リーナの大好物で、小さいころからよく飲んでいた。寒くて緊張した中で飲むそれは天上の甘露であり、しかもそれが想い人から渡されたものである。いつきはあの時のリーナを見て、ハニーホットミルクが好きだと気づいてくれたのだろう。そしてそれを覚えてくれて、リーナのためにこんなチョコレートを作ってくれた。あまりにも嬉しくて、今すぐにでも食べたいのに、食べるのがもったいない。
あとはもう、ここから一気に距離を縮めればよい。そして、いつきに、リーナの想いにまで気づいてもらうのだ。
「ステイツに帰るのが寂しいわね」
しかし、それをリーナの立場が許さない。もう3月15日であり、交換留学の期限、つまりリーナの本当の帰国は目前だ。
元々は謎の戦略級魔法・仮称『グレート・ボム』の調査のための慣れないスパイだった。そこにスターズ隊員の集団脱走・反逆事件が重なり、しかもその脱走者の何人かがスパイ先の日本で連続殺人を起こしていた。なんやかんやで解決したが、そのあと、「上」はとてつもない修羅場だったことだろう。
吸血鬼事件の経緯は、一般高校生であるいつきたちに完全に知られている。そんないつきの気づかいと計らいで、日本とUSNA双方、そして何よりもリーナが一番傷つかない形で表向きの建前が新たに作られたのである。当初はそれに泥をかけようとした上層部をリーナが脅すことでそれが実現し、リーナは一度帰国することになった。
そしてこうしてもう一度日本に来られたのも、きっといつきのおかげだ。彼の献身と人徳が、日本とUSNAの「火種」を「融和」に変えてくれた。それで帰国が実現したのである。なおこれはリーナ視点の乙女チックな妄想が多分に含まれているが、そうした面が小さいわけではないのも確かである。
だが今度は、本当の「帰国」だ。魔法師の国際移動は敬遠されており、「アンジー・シリウス」という立場はより一層その制限がある。きっとこれからは、ほぼ会えないだろう。意地でも無理やり会いに来るつもりではあるが、今みたいに毎日一緒にいられるわけではない。
――祖国に、帰りたくない。
そんな許されない気持ちが芽生えるほどに、リーナの中で、いつきの存在は大きい。
「…………落ち込んでなんかいられないわ」
だがすぐに、リーナは気を持ち直す。気合を入れ、前に進むという意味も込めて、景気づけにあえて最初に、ハチミツとミルクのチョコレートを口に放り込んだ。途端にそれが口の中で溶け、自然な甘さとまろやかが広がっていく。そう、たとえ踏ん切りがつかなくても、前に進めば、今の口の中みたいに、良いことが起こるのだ。
「…………これからも、よろしくね、イツキ」
リーナをイメージしたであろう上品な金色の包装紙を撫でながら、リーナは小さく、それでいて密度の高い熱を籠めて、愛しい男の子の名前を呟いた。
☆
達也と深雪はそれぞれが貰ったものを美味しく食べ進めていたが、どうしても無意識に避けていた一種が、お互いの手元に残っていた。
「いや、まあ、嬉しいには嬉しいが」
その変わり種を前に、達也は腕組みしてじっと見つめる。他のものは誰を意識したか分かる包装紙と中身だったが、これは、これこそがスタンダードと言わんばかりに、透明なビニルに包まれている。
そのおかげで中身が見えるそれは、一見普通のクランキーチョコレートだ。細かく砕かれたピーナッツが入っていて、食感のアクセントが楽しい、王道である。
しかしながらその中身は、およそ「ホワイトデーのチョコレート」としては、変わり者と言わざるを得ない。
その正体は――
――大豆由来タンパク質たっぷりの、チョコレート味のプロテインバーである。
「変、というわけではないですけれども……」
これもこれで、商品として並ぶには普通だろう。
だが普通、こんなものを、ホワイトデーで渡すだろうか。
しかもなんと、こんなものを、明らかに手作りしているのである。
「いったい、これはどなたを意識したものなのでしょう……?」
深雪は首をかしげる。他四つは分かるが、これだけは想像がつかない。あえて挙げるとすれば、身体を鍛えている人……この一年間共闘することが多かったレオや、スポーツマンで部活連会頭の範蔵である。
「消去法で、誰なのか分かるさ」
対する達也は、もう誰なのか分かっている。その顔は、ビターチョコレートを食べた後以上に苦い。
「まだ自分が成長して筋骨隆々になることを諦めていない、中条の好物だよ」
「………………ああ、なる、ほど」
直後、兄妹そろって仲良く、今日一番の深い深いため息を漏らす。
達也の予想は大当たりだ。
この手作りプロテインバー(チョコレート味)は、いつき自身の好みである。自分が好みだからという理由で、贈り物にこんなものを入れてしまう。結局のところいつきは、わがままで、自分勝手で、独りよがりなところもあって、周りからズレているのだ。
こんなやつとこれからも仲良くして上手くパラサイトの情報を抜かなければならない達也と深雪のこれからは、チョコレートと違って甘くない。
深雪と達也はその立場上いつきによく話しかけるが、二人とも重度のブラコンシスコンだと知られているので「気がある」みたいな勘違いは特にされてない。
作中人物の好物や、チョコレートの作り方は独自設定です。原作設定や実際の手作りチョコと相違があったらいい感じに脳内で補正してください。
ご感想、誤字報告等、お気軽にどうぞ