それは、地上の太陽であった。
揺らぎの中に鎮座する赫い龍。天上の炎を直接地上へと降ろしたような、そんな龍であった。
ただそこにあるだけで、ただそこにいるだけで膨大すぎる熱を放出し、周囲を焼き尽くさんとする業火の化身。脆弱な生命では触れることすら叶わず、傍に寄ることすら憚られる恒星の顕現。
そんな灼熱の龍と、真正面から対峙する狩人が一人。
その龍が赫灼の太陽であるならば。狩人は金色の月か。陽の光を受け、その身に纏う金火竜の鎧をさらに輝かせる黄金の月が、そこに居た。
目の前の矮小な、月を敵とすら認識していない太陽の龍は、傲岸不遜に、けれど注意深く、狩人へと視線を注ぐ。
「太陽の化身とはよく言ったもんだな。……それにしても、本当にあちいな」
狩人は兜の奥で、言葉を漏らす。フルフェイスのヘルム、その隙間から入り込んできた熱で膨れ上がった空気が瞳を焼く。肌を晒せば、砂の大地の反射で簡単に焼けてしまうだろう。クーラードリンクを飲んでいるはずなのに効果が感じらない、星そのものが怒り狂ったような熱さに顔を顰めた。
「そりゃあ、こんなのがいたら皆んな逃げ出すよな」
それと、と心の中で言葉を続ける。
(──コイツ尋常じゃないくらい、強いな)
狩人は、調査団の任務で太陽の龍、炎王龍テオ・テスカトルの狩猟へとこの地へ赴いた。
古龍種生態系の埒外の存在、古龍を狩猟できるハンターは少ない。大超自然の力を自在に操る古龍は、たった1匹で国一つ滅ぼせる力を持つ生命。その危険度は計り知れず、故に狩猟を許可できるハンターも、承諾するハンターも相応に少なくなっていく。
それに加えて、このテオ・テスカトルはその中でも指折りの強者、俗に『G級/マスタークラス』と呼ばれる、老齢で強靭な個体。その強さは並大抵のものではない。であれば、必然的にその狩猟に駆り出されるのは、『英雄』と讃えられた狩人をおいて、ほかにはいなかった。
(俺か"アイツ"以外じゃ、無理だったかもしれねえな)
狩人は、自分に依頼が回ってきた意味を理解する。決して、それは驕りではなく。調査団に炎王龍との戦闘経験があるのは、たった一人のみ。その人物もよる年並みには敵わず、現在は拠点の護衛が主だ。それに加えて、勝てないと判断して逃げきれると断言出来るのは、自分しかいなかった。
【大いなる存在】の調査で、人手が足りない現状。複数での狩猟ではなく、単独での狩猟を得意とする狩人が必要だった。
自分とは違って複数人での狩猟も、単独での狩猟もなんでもこなす、底抜けのお人好しな、『青い星』と呼ばれたハンターか自分以外には狩猟は不可能だと確信する。その『青い星』も今は【大いなる存在】の調査に向かっているし、消去法的に自分にお鉢が回ってきたのだろう。
テオ・テスカトルの瞳が、ジロリと狩人を見る。
纏った黄金鎧と、その背に携えた金色の長刀。そして兜の奥からこの身をじっと見据える瞳。
不敬にも、その者は自らに凶刃を向ける愚か者であるとテオ・テスカトルは確信する。狩人の瞳には確かな覚悟があった。『お前を殺してやる』という、燃えるような殺意がその人間の瞳には存在した。
炎王龍の心が、自身に牙を剥いたことを狩人は感じ取る。であれば、することは一つ。元より、そのためにここに来た。
「今日も生きて帰るために──やるかッ」
任務を遂行せんと、狩人が一歩踏み出す。縄張りへと現れた不埒者を焼滅すべく、テオ・テスカトルがその翼を大きく広げる。
あまりにも違いすぎる体格差。その差、実に十数倍。
それはさながら月と太陽。小さな月と、それを飲み込まんとする灼熱の太陽のようであった。
駆け出した狩人が振るうのは、纏う鎧と同じ竜から作り出された飛竜刀の一つの終着点。
飛竜刀【月】。引き抜かれた輝きがテオ・テスカトルの目も絡むような炎を映し、燦然と煌めく。
(薄そうなのはそこか)
一閃。飛竜刀【月】の切っ尖が閃いた。
針の穴に糸を通すような精密さと、嵐のような荒々しさを併せ持った一太刀が、的確に炎王龍の真っ赤な脚の柔らかな部分に薄らと切れ込みをいれる。
「まずは一撃」
狩人の二の太刀が続く前に、テオ・テスカトルは素早く後退。狩人の放った初撃とまったく同じ高さと角度の真っ直ぐな太刀筋の斬撃は、虚しく空を裂く。
炎王龍は着地と同時に、口内にチャージした極小の太陽とすら言える業火を解き放った。恒星を熱量そのままに水に溶かしたかのような烈火の息吹。それが直上を通り過ぎた砂地は、烈火の渦に触れるまでもなく、硬質なきらめくガラスへとその姿を変化させる。
狩人は焦った。最初の一撃で薄皮一枚程度の傷しか与えられず、なおかつ予想していた反撃は引っ掻きや噛みつき、予備動作なしでの突進などの受け流すことのできる攻撃ではなく。逆に、広範囲への炎ブレスという、必殺の一撃を選択した炎王龍に。
「──う、おっ」
ほとんど、狩人がそれを避けられたのは奇跡だった。
開かれた口から身を焼き焦がす炎が吹き出される前に、弾かれたように横っ跳びに転がることができたのは、ひとえにくぐり抜けてきた死線の多さ故か。
炎王龍は目を見開く。龍は、目の前の小さき者を完全に今の一撃で殺したと思った。しかし、狩人が持つ野生の獣じみた反応速度は殺すつもりで放った一撃をほぼ完璧に避けきった。
狩人の冷や汗が顎を伝って、兜の内布に吸い込まれる。当たれば、運が良くて大火傷、それ以外ならば即死。そういう温度だった。
固唾を死の恐怖ごと飲み込んで、兜の内でニッと笑う。触れられる距離にまで迫る死神の冷たい気配を感じながら、武器の柄を握り直す。
狩人は体勢を立て直し、息を短く吐き出すと撃ち出された鏃のように駆け出す。先ほどの焼き増しのようで、しかしその動きは先ほどとは違うもの。
無策で、古龍に勝つことなどできない。愚直な突撃で狩ることができるモンスターなぞモスか、アプトノスくらいのものだろう。だから、思考する。考える。
突撃する狩人に対して、ただ座して待つだけの炎王龍ではない。
注意深く金色の敵対者を観察し、開かれた白黄色の翼をはためかせる。それは飛び立つための行為ではなく──。
突き進む狩人の鼻先を、小さな光が駆けていく。
狩人の周囲に、淡く光る橙色の粉が舞った。目を奪われるような、幻想的で美しい粉。ひらりひらりと宙を泳ぎ、決して地に落ちることはない。墜ちぬ星のごとく柔らかな光を放つそれは、炎王龍の巻き起こす風を受けて一つの指向性を持ち、狩人を取り囲むようにして流れていく。
「やっば」
その光の正体は、剥がれ落ちた鱗の粉塵。爆発性の化学物質が多量に含まれた、極小の爆薬。宙を舞うほどの軽さを持った粉塵は、王の号令で一斉に爆裂を引き起こす。一握りで岩を破砕するほどの威力を持った粉塵が、狩人の周囲を隙間なく満たす。
まんまと、狩人は誘い込まれたのだ。炎王が作りあげた殺し場へと。
王は手の内を晒すことなく隙を作り、しかし、確実に外敵を焼滅させる。これは力でねじ伏せるだけの若い古龍では決して選ぶことのない手段。敢えて近寄らせることで成立する初見殺し。肉を切らせて骨を断つ、炎王龍が払った代償は薄皮一枚。対して、狩人がこれから取り立てられるのはその命。
カチリ。炎王龍がその牙を打ち鳴らし号をかける。狩人が爆炎に包まれる──その寸前。チリと、発火を始めた粉塵の奥から鈍い銀の爪が飛来し、炎王龍の鼻先を確りと掴んだ。
「くっ、オオオオッッ!!!」
次いで、橙に爆発する粉塵の炎の只中から裂帛の雄叫びとともに、金色が強襲をかける。焼け焦げてもなお褪せることのない黄金が、太陽の鼻先に輝く拳を叩きつける。
軽鋼で出来た長刀を軽々と振り回すような膂力による本気の殴打。その衝撃は如何程か。
ぐしゃり。鈍い音が響くと同時に、炎王龍が初めて、苦痛に声をあげた。痛みから逃れるように仰け反る炎王龍の頭の先には、蟻塚の岩柱。
カチリ、今度は狩人が、正確にはその右手に装着されたスリンガーが、テオ・テスカトルの打ち鳴らしたものに近い音を発する。
「──ぶっ飛べ」
発射される石飛礫。至近距離、さらに柔らかい鼻先にそんな衝撃を受けたテオ・テスカトルはふらりとあらぬ方向に走り出し、蟻塚に強くその頭を打ち付けた。軽い脳震盪を起こしたのか、ぐらりとその巨体が砂の大地に横たわる。
テオ・テスカトルが蟻塚に突っ込む数瞬前に、狩人は龍の体を蹴って跳び、着地する。
ぼふりと柔らかく狩人の体を受け止める砂に若干足を取られながら、狩人は立ち上がる。炎王龍が起き上がるまでのわずかな時間を使って、彼は腰のポーチから緑色の液体の入った瓶を取り出し、勢いよく飲み干す。
「っげほ。あちぃなぁ全く」
噎せながら飲み干した回復薬が、腹の奥底でじんわりと焦げた体を癒してくれるのがわかる。
あの爆炎を無傷で乗り越えることは、人の身では決して不可能であった。現に、彼は体のほとんどに軽い火傷を負っているし、輝きを放っていた鎧は煤けたを通り越し、所々が焼け焦げてしまっている。そんな黄金の鎧を撫で、狩人は起き上がった炎王龍を見据える。
狩人のその視線の先で、曇り一つない空色の瞳が、黒焦げた月を見据える。悠久の時を生きる炎王龍、その永い永い時の中で命のやり取りはいくらでもあった。その中で、何度も死を覚悟した事はあった。
そうして、〝あぁ〟と、テオ・テスカトルは思い出す。
強者を相手どる小さき者ほど、恐ろしいものはない。蛮勇でもなく、悪足掻きでもなく、勝つことを諦めない者は尚のこと、恐ろしい。
そんな、この世界の常識を炎王龍は思い出し──その身が炎を纏う。その名の由縁、輝きに魅入られた者を焼く炎の羽衣が、テオ・テスカトルを包み込む。
この時を以って、炎王龍の中にあったヒトを侮る無意識の余裕は無くなった。先程まではあった、つけいる隙が失せた。
強者の余裕と言うべきか、頂点に立つ者の矜持と言うべきか。古龍として当たり前にあるもの。生態系の頂点に君臨する、生命を脅かされることのない者のみが持つ隙、それが消えた。後に残るのは、ただ目の前の外敵を殺す、燃えたぎる殺意を宿した〝歴戦〟の炎王龍のみ。
どちらが動いたのが先か。ほぼ同時に一人と一頭は自身の間合いを保つために動き出す。
狩人は握りしめた太刀の刃が届く距離まで。炎王龍はその獄炎の身体を武器に超至近距離まで、つまり先程までのブレスや粉塵爆発での戦闘をやめ、完全に肉体スペックで叩き潰すことを選択した。
お互いに間合いの差はなく、故にその勝負の行方は、如何に自身よりも大きな存在/小さき者との殺し合いを経験してきたかが左右する。
炎王龍へ近づいた狩人に、龍の纏う獄炎の羽衣が発する高熱が容赦なく襲いかかる。
(っちぃ、熱すぎる。長くは近づいていられねえか)
石であれば熱膨張で弾ける、水であれば一瞬で蒸発して消えて無くなる。そんな業火を身に纏う炎王龍に近づけば、当然ただでは済まない。
狩人は身につけた鎧が一気に熱され、金属部が高温になっていることを知覚した。インナー越しに逃れようのない熱の痛みが、じりじりと肌を焼く。
至近距離での長時間狩猟が悪手であるのは、一目瞭然だった。
「しっ」
繰り出される炎王龍の噛みつきを足捌き一つで回避する。
目の前に広がる灼熱の龍の赤い身体、狩人は先程つけた薄い傷跡がまだ塞がらずに残っているのを確認した。
「そこだ」
抜き撃ち気味に放たれる水平斬り。その先端の速度は音速に等しく、金色の軌跡を残した刀身は、〝先の攻防でつけた傷跡をなぞって〟切り裂く。
何という技巧か。薄く削り取られていた炎王龍の前足の鱗が、スッと斬り落とされた。しかし、血管まで届いているはずなのにその傷口から血が流れることはない。
鋼の如き表皮を持つ古龍種に、生半可な攻撃は意味が無い。身体強度だけではない、自然治癒力すらも既存の生物の範疇に収まらないこの生物を殺すのに必要な事は、その治癒力すらを叩き潰す超重量の一撃か、雨垂れが、石を穿つような精密な連撃。狩人の使う太刀という武器は、この世の何よりも"切り裂く"ことに長けた、そうあれと作られた武器であるが、しかし、古龍種の、その中でも更に老齢の個体の表皮は尋常な攻撃程度であれば簡単に弾いてしまうし、なにより、すぐに傷が癒える。であれば、狩人の斬撃は並外れた絶技に他ならなかった。微かな綻びを見つけ、鋼をも切り捨てる。そんな、神業とも言える一撃。
「オォ──ッ!」
攻撃の手は緩まない。弓を引き絞るかのような体勢から、鋭く磨がれた剣先が煌めく光の尾を引きながら真っ直ぐに、先ほどよりも深くなった傷口に確かに突き刺さる。
「──捉えたぞ、炎王龍ッ!」
その刀身から、ぽたりと一雫、古龍の鮮血が砂の大地に飲み込まれて消える。
穿たれた。炎王龍がそう知覚できたのはその一瞬だった。痛みを感じたのは、その瞬間だった。
深くまで貫かれた右前足、その痛みを無視して、神経を切断された右前足で狩人を弾き飛ばす。炎王龍の膂力を考えれば軽く、しかし人の身からすれば間違いなく致命傷となりうる衝撃。服についた虫を払うような動作で放たれる一撃を、狩人は炎王龍の身体を蹴り跳ぶことで躱す。
炎王龍の視線は、自然と空へと舞う狩人の姿を追った。
天高く登る太陽と、黒金の月が重なる。
「──おらァ!」
直後、空から振り下ろされる一筋の光。
兜割り。自身の全体重を一つの斬撃に集約する技。その一撃は鋼を断ち切り、頭蓋を硬く覆う兜を断割する。
「ぐっ」
しかし、鋼同士がぶつかり合うかのような激しい音とともに狩人は弾き飛ばされた。空を転がる最中に見たのは、全力の一撃を叩き込んでも、少し甲殻が削れる程度の傷しかついていない翼。その光景に、無意識のうちに舌打ちが鳴る。
(全体重を乗せた本気の一撃でも、準備無しじゃ刃が通らねえ。本当に生き物かよコイツ)
恐ろしいまでの硬度と、生物の身体とは思えない頑強さ。同じ土俵に立てているようで全く違う、遥か上のステージの存在。理不尽が形をとって目の前に存在しているような生物、それが古龍。全ての生物の頂点、自然の化身たる存在である。
狩人の全力を、炎王龍のもはや鋼を悠に越えた硬度の甲殻が完全に受け切る。先程の貫き通しの時のような、事前につけた傷跡という足掛かりがなければこうも容易く、全霊の一撃は弾かれてしまう。
砂の大地へ柔らかく着地する狩人に、予備動作の少ない突進を放つ炎王龍。その巨体と重量から放たれる衝撃は、軽く撫でるようなものでも簡単に人を挽肉にできる。
「──ガッ」
着地したばかりの、ろくに受け身を取れない状態の狩人の腹に、超重量の一撃が叩き込まれる。狩人の体が〝く〟の字に折れ曲がり、砂の大地を何度も、何度もバウンドしながら転がり飛んでいく。
身体が地面に打ち付けられるたび、彼方へと飛んでいきそうな意識が引きずり戻される。そんな感覚を何度も味わいながら、狩人は20メートル以上も大地を転がった。
けれど、どれだけ弾き飛ばされても、大地を跳ね飛んでも決して武器を手放すことだけはしなかった。
「げぇ、ごぼ……げぼ……」
血混じりの腹の中身が全て兜の中にぶちまける。胃酸と食事と、多量の血の混ざった吐瀉物がぼたぼたと兜の隙間から溢れ出る。
「……クソ野郎。やりやがったな」
テオ・テスカトルは、そんな狩人へと次の攻撃を仕掛けるべく、トップスピードを維持したまま、再度、突進を行う。
当たれば死ぬ。その突進を避けられなければ、死は確実だった。どこかへと歩いて行ってしまいそうな意識をなんとか手繰り寄せ、立ち上がる。
「ハンター、舐めん、な!」
激痛が全身を襲う中、狩人は抜き身の太刀を腰に当てる。
本来とは違う、鞘を使わぬ居合の構え。されど、彼にとっては、それが正解だった。
10メートル、5メートル。
瞳を閉じて、さざなみ立つ心を閉じる。ばくばくと命の危機をがなりたてる心臓の声を無視して、深く息を吐いて止めた。
3メートル、1メートル。
──0。
灼熱の太陽と、黄金の月が交差するその瞬間に、残光すらを置き去りにした、文字通り神速の一撃が閃き輝く。
居合抜刀、気刃斬り。
本来あるはずの鞘走りの音は、今はなく。ただ静かに、天地を断ち斬る煌めきだけが、そこにある。
そうして──炎王龍の天地が逆転する。
「ガァオ──?」
炎王龍の頑強な腱が、真っ二つに斬り裂かれていた。
炎王龍は、それを斬られたことすら知覚できなかった。
それは狩人の一撃が軽かったからではない。
その逆、あまりにも重く、そして鋭い一撃であったから、炎王龍はその斬撃に痛みを感じることなかった。
音を置き去りにした抜刀、そして太刀を折られることなくその刃を通し切った圧倒的技量こそが、狩人の誇る最強の武器、そして彼が〝英雄〟であると謳われる所以。
自身の全体重をかけた一撃で駄目ならば、相手の全てを自分の一撃に乗せる。狩人が選んだのは、そんな単純明快な、だが、最も効果的な手段であった。
それは、遠き地の、狩人が師と仰いだ者の成したこと、その再演。
これこそが、脆弱な人類が、古龍という絶対的強者を打ち倒してきた力。生まれ持った身体的な力では無く、受け継いだ技術を以って、強者を打倒する継承の力だった。
走行の最中に、衝撃も無く四足のうち一つが機能しなくなった炎王龍は、バランスを崩し大地を滑る。
同時に、狩人もぐらりと体勢を崩し、砂地に倒れ伏したが、なんとか刀を杖にして立ち上がった。
彼が倒れ込んだ砂漠の大地に、鎧の関節部から滴る、夥しいまでの流血が染み込む。
「ハンター、は、根性……だ!」
その体は満身創痍。炎王龍の突進をまともに受けた胴体の防具は、酷く凹み、もはや鎧としては使い物にならないほどにひしゃげていた。狩人の身体はもはや立っているのが奇跡とすら言える状態で、少なくとも狩猟の続行ができる状態などではない。それでも、狩人は立ち上がる。
彼が倒れれば、炎王龍を討ち取れるものなど他にいないことがわかっていたから。自分が倒れることは、許されないから。
「船酔いのほうが、全ッッ然、キツイんだよッ!」
意地と気力だけで、今にも気絶してもおかしくない体を、無理矢理に起こし吠えた狩人の視線の先、炎王龍も立ち上がる。
その立ち姿は砂に塗れ、脚を一つ引きずりながらも尚、堂々たるものであり、〝炎の王〟と、その龍が呼ばれる所以が窺い知れる。
狩人は懐から、薄い金色の小さな薬を取り出し、衝撃でぐちゃぐちゃの腹の中にそれを放り込む。
秘薬。竜人族の秘伝の丸薬であり、即効性の治癒薬。そして、短命種である只人が使えばその副作用から寿命を著しく縮める、劇薬であった。
ぺっと血の塊吐き出してから、自問自答するように口を開く。
「──逃げねえのは、プライドか」
それは、テオ・テスカトルに向けられた言葉か、それとも、自分自身に向けられた言葉だったのか。狩人自身にも、わからない。
秘薬を飲み込んだ直後、狩人の身体から歪な音が鳴った。紐をちぎるような、乾いたパンをちぎるような悍ましい音。そして、急速に治っていく身体に引きずられるようにして、狩人の全身に激痛が走る。へし折れていたはずの骨が、体を突き破って外に飛び出ていってしまうような、耐え難い激痛。
「うぉ。ガ、ア、ァッグ」
体の内外関係なく、異常な効力で身体を修復する秘薬。効能は凄まじく、先程まで立っているのがやっとだった狩人が、太刀を構え直す。鎧は黒焦げ、兜周りは吐瀉物と血でぐちゃぐちゃの酷い姿であったが、けれど立ち姿は堂々として、英雄と呼ぶに相応しいものであった。
「ゥ、オオオオオオォッ!!!!」
訳も無く、狩人は雄叫びをあげる。それは痛みによろけてしまいそうな自身を鼓舞するものか、それとも炎王龍を挑発するものか。もしくはそのどちらもか。
ただの狩りならば、そんな非効率なことはしない。けれど、これは戦いだ。もはや、狩りなどではない。
「グアオオオオオオッッ!!」
故に、挑戦者の雄叫びに炎王龍も応える。
「……へっ」
無意味な行動であると知りつつ、それに応えたテオ・テスカトルへ、にやりと笑う狩人。
お互いの距離はそれほど遠くはない。
前脚を一つ失った炎王龍。傷は治ったが、副作用による激痛に今にも気を失いそうな狩人。
双方共に、命の危機に瀕していると言うのに、退く事無く『今、ここでこいつを殺すべきだ』と言う認識を持っている。
狩人は生態系のバランスを保つために。
炎王龍は自身の命を守るため、そして我が子たちの未来の安寧のため。
使命感と、互いの正義に満ちた戦意が両者の間で火花を散らす。
一度目は互いに痛み分け、二度目は狩人が全身をズタボロにされ、テオ・テスカトルは右前脚が使い物にならなくなった。
三度目。これが最後だと、一人と一匹は確信している。互いにもう長くは戦うことは難しい。五体満足ではあるが、動きに精細さを欠くレベルでのダメージを受けた狩人と、四足から三足へと普段とは違うアンバランスな動きを強制される炎王龍。
生命は永く生きれば生きるほど、終わりはあっけないものであると炎王龍は知っている。
──だが、ここで終わるつもりは毛頭なかった。
狩人はちゃんと帰って、相棒に『今日も俺は生きて帰ったぞ』と伝えるために。
──だから、ここで終わるつもりは毛頭なかった。
「無事に帰らねえとよ。待っていてくれる奴がいるんだ」
薄く微笑むように、炎王龍へと独り言を投げかける。狩人の脳裏によぎるのは、ハンターにしかなれない自分を愛してくれる善き人々。自分が死んだら、悲しむであろう人のことだった。
一人と一匹の殺し合いは、次で終わり。それ以上は、文字通り、『命懸け』の三度目が来る。
先に動いたのは、炎王龍であった。今までずっと後手に回ってきた炎王龍。彼は、今までの『見』に徹したそのスタイルをあえて崩し、先手必殺を狙う。
翼を仰ぎ、その身から大量の爆薬粉塵を排出する。風に乗って流れ行くそれが、半径約3メートルほどのごく僅かな範囲で、狩人と炎王龍をぐるりと囲む。
それはまるで、『逃がさない』という炎王龍の意思が透けて見えるような粉塵の使い方。リングの壁に触れれば即死。ただの爆発で息絶えてしまうほどに、狩人は弱っていた。
素早く粉塵の配置を終えると、次に移った。
それは、素早い噛みつき。
突進のように四肢に力を込める必要もなく、ブレスのように準備が必要なものでもない。ただ顎門を開き、閉じるだけ。単純で短い動作、しかし、人間の身体強度では到底耐えられない一撃。今の狩人であれば避ける事は叶わず、脆弱な生命はそれが掠っただけでも肉がちぎれ、致命傷を与えられることを炎王龍は知っている。自身の身体能力の高さを、その強さを知っている。
故に、狩人がその行動を取ったのは自然なことで、けれど、炎王龍はそれを"知らなかった"。
──兜割は見た、居合抜刀気刃斬りも見た、水平斬りも、突き刺しも。卓越した技巧を持つ狩人から放たれるであろう行動は、全て予測していた。だからこその、噛みつきだった。
兜割は、表皮の柔らかい部分を刀身を突き刺す必要があり。
居合抜刀気刃斬りは、その準備として構えが必要であり。
突き刺し、水平斬りでは威力が足らず。
高度な知能を持っていて、狩人の技に限りがあることを知っていて、その全てを封殺できる行動だったはずだ。たとえ予測と違った行動だとしても、この歯を打ち鳴らせば、たちまち周囲を爆炎が包む、その筈だ。
では、なぜ。
──なぜ、自分の眼は穿たれている?
狩人がそれを最後までひた隠しにしてきたのは、偶然だった。
圧倒的な集中力でもって、相手の攻撃に合わせて大地を滑るように最低限の動きで回避し、次の一撃へと自身の気を繋ぐ、『見切る』技。
──見切り斬り。
その攻撃としてはあまりに軽く、しかし、炎王龍の予測を潰すことにおいて最適解だったその動き。それを最後まで見せる事なくいられたのは、奇跡に近かった。
普段狩人が相手にすることの多い、若い個体のように、その身体能力頼りの力任せの戦闘を選ばず常に後手に回り、その経験で以って敵対者を叩き潰す個体であったからこその、『狩人が後手に回った時のための技』をまだ見せていないという奇跡。
ゆらめく炎すらコマ送りに見える世界で、狩人は自身の見出した最適解をなぞった。
スルリと、ほとんど気力だけで立っているような人間とは思えない流麗な動きで、ギロチンの如く迫っていた炎王龍の顎門を紙一重で避ける。
炎王龍が空を噛んだことを知覚する瞬間、既にその一撃は炎王龍の瞳へと深々と突き刺さっていた。
(綺麗な空色だ」
痛みと疲れに朦朧とした意識の中、反射的に動いた体。死神の鎌をすり抜けた先に広がったのは、どこまでも曇りのない空色の瞳。どこを攻撃するか、などという思考すらせずに狩人はその晴天を穿った。ぐじゅりと水晶玉を貫き、さらにその奥まで刃は進み、止まる。
はらり、はらりと炎王龍と狩人を囲んでいた鱗塵が大地に落ちる。炎王龍を包んでいた炎が消えていく。
致命傷だった。
眼孔から脳にまで届いた金月の長刀が、炎王龍の動きを制御していた器官を停止させる。刀身から滲み出た激毒が永い刻を生きてきた脳漿を犯し、ぐじゃぐじゃに腐らせて再起不能にしていく。
炎王龍が死んだのだと悟ると。とさりと狩人が倒れ伏す。
どれだけ傷を負おうと、決して手離すことのなかった金月の太刀を握りしめる手から力が抜けて、完全に意識を手放したことがわかる。炎王龍の亡骸に寄り添うように、真っ暗に焦げたゴールドルナのハンターが大地に倒れ込み、大いびきをかいて眠る。肝が太いのか、疲れ切っていたのか。そのどちらもだろう。
古龍を、それも『G級/マスタークラス』の個体を単独で狩猟する。それは英雄の偉業。命知らずな大馬鹿者か、超人が挑む、狩人の一つの到達点。
それを成し遂げた狩人は正しく英雄の称号に相応しいハンターとなった。
拠点に帰れば、きっと調査団を挙げての宴が開かれる。良く焼けた肉に、冷えた酒、愛すべき仲間達。彼が守りたいと希う人が待っている。
けれど、それは彼のあまりに遅い帰りを心配した編纂者が、調査団の面々の反対を押し切り狩場まで狩人を迎えに来て、キリンをも凌ぐ大雷を落とした後のお話。