ぷかぁ…と噴いた煙が宙を揺蕩い、白い輪を描く。
咥えた煙管の中から伝わる味を堪能しつつ、気だるげな眼で虚空を見上げる。
わらわらとしつこく追いかけてくる、学園でも特に生徒達から嫌われていそうだった教師陣。
学園内をあちこち歩きまわり、姿を隠し、ようやく見つけた人気のない校舎の裏で一息つきながら、魔女は学園内では使う事を控えていた喫煙を堪能していた。
「……我ながら、妙な役目を担ってしまったものだ」
「―――相変わらず、人がお嫌いなのですね」
空を往く雲の動きを見上げ、ぼそり、と気だるげに呟いていた時の事だ。
誰の視線も感じられないその場に、不意にある一人の女の声が届く。
じろり、と師が横目だけを向け、やって来た女を―――金の髪を持った、眼鏡をかけた冷たい美貌を有した
「あら……これはこれは、学園長様がどうしてこんな所に?」
「先生ったら……私しかいませんから、普段通りに話していただいて構いませんよ」
「…いらん気遣いを」
素っ気なく返し、また煙管の煙を燻らせる師。
明確な壁を作る、一人孤独に立つ師に、女―――魔術学園の長を務めるシェラ・レイヴェルが小さくため息をつく。
シェラは断りを入れる事なく、魔女の姿をした師の隣に立ち虚空を見つめる。
しばらくの間、二人は何も会話をせずに並び立ち、佇む。やがて、シェラが師に体ごと向き、ぺこりと頭を下げた。
「本日の講義、引き受けて下さってありがとうございます……正直に言いますと、にべもなく断られると思っておりました」
「金が必要だったからな。お前を……お前達を連れていた時と同じだ。手間がかかって仕方がないわ」
「その節は、本当にお世話になっておりました。まぁ、私などよりも姉様の方が大変だったと思いますが」
「抜かすな、泣き虫の臆病者が」
ぴしゃりと投げつけられる容赦のない言葉に、シェラは薬と小さく笑みを浮かべる。
思い出すのも恥ずかしいような過去の話だが、今この場で師と交わせる事が有難く、懐かしそうに目を瞼を伏せるだけだった。
「もう随分久しぶりですね。最期にお会いしたのはもう……30年ほど前でしょうか。私としてはあっという間なのですが」
「己にしてみれば一瞬だ。昨日の事か、数秒前の事にも思える……不老不死になど、なるものではない」
冷たい表情で、苛立ちを紛らわせるように煙を吐く師に、シェラは細めた目で痛ましげな眼差しを送る。
自身がまだ幼い少女であった頃に出会い、そしていくつもの教えを乞うてきた相手の独白は、何度聞いても心に刺さるものがあった。
ちらり、と隣にある魔女を横目に見て、微かに唇をかみしめるシェラ。
無言のままの師の姿を眼に映し、大きく息を吐き出しながら、やや重くなった口を開く。
「……姉様が死んでからですものね。この国にも近付かなくなってしまって……誰かを教え導く事も止めてしまって……今ではもう、先生に纏わる逸話を何も聞かなくなってしまいましたわ」
「誰も知らない存在になればいいのだ、己など」
「そんな事……」
師は一度、煙管を咥える事をやめ、ぎろりと鋭い目をシェラに―――かつての弟子に向ける。
まるで視線で射殺そうとしているような、生物の温かさを一切排除したその目を、しかしシェラは全く動じる事なく受け止める。
「お前の姉弟子を殺したのは人間だ。そしてそうされる原因を作ったのは己だ。何よりも……この世がこうまで醜く悍ましいものになったのも、全て己の所為だ。消えるべきだとは思わんか?」
「……思いません。もしあなたがいなければ、私は今、この世にいません」
「結果論だ。己が存在していなくとも、お前もあの子も立派に生きていたやもしれん……いや、むしろ
「それこそ……結果論です。そうだったとしたら、もっとひどい目に遭っていたかもしれません」
首を横に振り、師の語る可能性を否定するシェラ。
両者とも、確固たる根拠があるわけではないが、師の持つ答えは既に確定してしまっているようで、シェラに振り向く事すらしない。
「…論ずるだけ無駄だな。どちらにせよ、己の行ってきた事全てが、この世界に人間共を狂わせた事は揺るぎない事実だ」
また煙管を咥える師に、シェラはもうそれ以上口を開かなかった。
やがて、煙管の中の葉が全て燃え尽き、煙が細くなる。味が感じられなくなると、師は灰を懐から取り出した器に堕とし、煙管と一緒に懐に仕舞う。
踵を返し、かつての弟子の傍を通り過ぎようとした際、弟子が痛まし気な眼差しと共に振り向く。
「先生っ……姉様の身体、大事にしていてくださって、ありがとうございます」
シェラの言葉に、師は立ち止まり、自身の身体を見下ろす。
長い手足に豊かに実った各所、白い肌に艶やかな髪、そして……痛々しい傷を遺した左顔。
「……あの子の最期の願いだからな。使ってくれと……最期まで、供をさせてくれと。大事にしなければ、己があの子に会わせる顔がなくなるだろうが」
そっと、傷を隠す眼帯に触れた師は、鼻を鳴らしてまた歩き出す。
遠くなっていく師の背中をじっと見つめるシェラは、やがてそれが見えなくなると、胸元から首にかけいた鎖を引っ張り、銀でできた首飾りを手に取る。
ぱかっ、と蓋を開き、学園の長は切なげに顔を歪めてため息をこぼした。
「……悠久の時を過ごし、あの方が安らぎを得られるときははたして訪れるのでしょうか。ねぇ……姉様?」
シェラがそう語りかける、首飾りの中に収められた一枚の写真。
その中に写る、今の師と全く同じ姿をした女性―――血の繋がらない姉であり、同じ者を師と仰いだ彼女に、答えの見つからない問いを投げかけた。
シェラはやがて首飾りの蓋を閉じ、胸元に仕舞い込む。名残惜しい気持ちを隠して、仕事に移る為に校舎へ戻ろうとした時だった。
ドォン…と、何かが爆ぜる音と、それによる振動がシェラの足元に伝わってきた。
「―――!」
「―――⁉︎」
耳を澄ませれば、生徒や教員達があげる悲鳴が聞こえてくる。突然の事に彼らも混乱しているようで、徐々に学園全体に広まっているのがわかる。
「……まったく、また始まりましたか」
シェラは深くため息をこぼし、轟音が鳴り響いた方を見やって、気怠げに肩を落とす。
表情が抜け落ちてしまうほどの脱力感に苛まれながら、先程去ってしまった師が、音がした場所と同じ方向へ向かって行った事に気づく。
「先生……あなたが何と言おうと、苦しむ子等を救わずにはいられない方だということはわかっております。きっとこの先も……時代の要の位置に立つ事を求められるのですよ」
小さく呟き、目を細めつつ、これから山積みになる厄介事を思い、痛み始める胃を抑えるのだった。