創世の賢者【最古の賢者の弟子の旅の記録】   作:春風駘蕩

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02:師と弟子

 上も下も左も右も、視界に映る全てにおいて青々とした葉が芽吹く樹々と草花。

 どんなに覗いても多種の緑色ばかりが見える空間が、どこまでもどこまでも広がっている、圧倒的な領域を誇る森があった。

 

 土と樹々の匂い、風と木の葉の音が静かに届き、心地よさに目を細める。そんな気持ちのいい空間の中心でクンクンと鼻を動かす、ピコピコと耳を揺らす。

 

 頭上の葉の間を通り、淡い陽の光が降る下で、シオンは一人佇む。

 鬱蒼と茂る森の中心に経ち、深く呼吸を繰り返しながら、シオンは無言で感覚を研ぎ澄ませる。人がまず足を踏み入れないこの森に入り込んだ、とある異物の気配を探して。

 

「……いた」

 

 遠く、目を凝らしても見えないような深い方向から感じ取った、微かな音。

 シオンはぱっ、と目を開き、次いで背後に振り向く。

 

「師匠、いたよ。〝森の主〟の縄張りの近く……主の仔に追われてる」

 

 探索の邪魔になるからと、足元に置いた荷物を全て背負う。

 感情の起伏がほとんど感じられない声に、少しだけ焦りを滲ませて、一本の大樹を背に佇んでいる師に呼びかける。

 

 表情が何も伺えない、不気味な沈黙を続ける師ではあったが、シオンにはなぜか―――師がまた酷く面倒臭そうな、気怠げな気配を発している事がわかった。

 

「……そうか、見つけてしまったのか。このまま此処に居たかったのだがな」

 

 どう出しているのかよくわからない不気味な声で、心底鬱陶しそうに呟く師。

 手元に開いていた分厚い本―――おそらくは聖書であろう豪華な装飾の施されたそれをばたんと閉じ、外套の袖の中にしまい込む。

 

 しかし、一向に師は動く気配を見せない。弟子が見つめていた方角を見やり、じっとそこで棒立ちになったままでいる。

 師を待っていたシオンは、次第にしびれを切らし、その場で足踏みを始める。

 

「師匠、ダレてないで早く行こう。急がないと、せっかく見つけたのに食い殺されちゃうよ」

「お前一人で―――」

「先に行ってる。師匠も早く来て」

 

 彼が最後まで言い切るより前に、シオンは踵を返し、目にも止まらぬ速さで走り出したかと思うと、あっと言う間に樹々の向こう側に消えてしまう。

 

 ぽつん、と一人残された師は、しばらくして肩を落とす。弟子が向かった方を見やり、仮面の奥に隠した目を細める。

 

「ちっとは己の話も聞かんか……どちらも、まったく手間のかかる奴だ」

 

 ため息交じりにそう呟き、師もまたゆっくりと歩き出し、弟子の後を追い始めた。

 

 

 

 

 

 両手足を思いきり振り回して、身体が熱を持つ。

 肺は既に限界を迎え、全身が酸素を求めて泣き叫び、筋肉という筋肉が軋みを上げている。

 

 しかし、止まらない、止まれない。

 一瞬でも立ち止まってしまえば、背後から迫る真っ黒な化け物に―――自分の背丈の倍はある巨熊に、為す術なく喰い殺されてしまうから。

 

「ヒッ…ヒィッ、ヒィ……!」

 

 少女の口から悲鳴がこぼれ、涙がにじむ。

 どうして自分がこんな目に、どうしてこんなに苦しまなければならない、そんな思いでひたすら走る。

 

 本当なら、級友である友達と一緒に飛行機で寛ぎ、北国に向かっていた筈なのに。

 観光地を巡り、宿で楽しみ、土産物屋を訪ね、青春の思い出を彩る旅になっていた筈なのに。

 

 気づけばこんな森の中に放り出され、わけもわからないまま猛獣に追われている。

 若者向けの物語にある展開、現実で起こるには理不尽が過ぎる状況に、内心で神仏への恨み言をぶちまける。

 これは夢だと目を背けたくても、徐々に迫る足音が逃避を許さない。

 

 今ここで、必死に逃げ続けなければ本当に死んでしまうのだと、少女は自らを奮い立たせるほかに無かった。

 

「ヒッ、ヒィッ……あっ⁉」

 

 疲労も無視し、足を動かし続けていたが、ついに本当に限界が訪れる。

 足がもつれ、草地に頭から倒れ込んでしまう。

 

 ごろごろと地面を転がり、身体のあちこちをぶつけて傷ができる。

 鼻血を垂らしながら、ようやく止まって起き上がろうとするも、激痛が走って真面に動けなくなる。

 

「グルルルル……ガアァ!」

 

 身動きの取れなくなったところに、猛烈な勢いで向かって来て、牙と爪を見せつける巨熊。

 鋭く輝く凶刃を前に、目前に迫る死に、恐怖で硬直し体を丸める。

 

 ――どうして自分がこんな目に。

 自分の身に降りかかった理不尽を呪い、迫り来る激痛を前に、少女はきつく目を瞑った―――だが。

 

 

「―――止まれ、若僧」

 

 

 ゴッ! と。

 聞きなれない誰かの声の後、固い肉の塊同士が激突する鈍い音が響き、同時に風が吹き荒れる。

 

 びりびりと大気を通じて伝わってくる震動に、蹲ったままはたと目を見開き、ゆっくりと顔を上げる。

 しかし、声の主を目の当たりにするよりも前に、身体がぐいっと引っ張られていく。

 

「え…?」

「喋ると舌を噛む、黙ってた方がいい」

 

 過ぎ去っていく景色、遠くなっていく巨熊の姿に困惑していると、至近距離から知らない誰かの声が響く。

 誰だ、と振り向こうするも、突如尻から地面に落ち、どさっと勢い良く地面に全身が投げ出される。

 

 痛みに悶え、もがきながら、無理矢理耐えて自分を抱えていた誰かに目を向ける。

 そして、愛らしい顔立ちの、猫の耳を生やした少女の姿を目撃して、はっと息を呑み固まってしまう。

 

 まるで物語の中から飛び出したかのような、本物にしか見えない黒猫の少女に、少女は呆然と凝視してしまう。

 

「あ、あんたは……⁉」

「間に合ってよかった。森をやたらと走り回ってたから、居場所を探すのに手間取った……世話が焼ける」

「探すって……あ、あいつは」

 

 黒猫の少女の言葉に困惑する少女だが、響き渡ってくる鈍い音に我に返り、慌てて振り向く。

 つい数秒前まで自分がいた場所。記憶が確かなら、窮地の自分と巨熊の間に誰かが割り込み、庇ってくれたはず。

 

 そして少女は、再び驚愕で目を見開き、あんぐりと口を開けて固まってしまうのだった。

 

「師匠のことなら心配しなくても大丈夫……師匠に勝てる奴なんて、この世のどこにもいないから」

 

 何故か得意気に胸を張り、鼻を鳴らす黒猫の少女に構う余裕もない。

 何故なら少女の視線の先では、遠目からでもわかる巨体を誇る熊が、ぐらりとその身を傾がせていく様があったからだ。

 

 ずしん、と巨熊が地面に横たわり、轟音が響く。

 その前には、巨熊よりは小さいが、人としては十分に大柄な男が一人、立ちはだかっているのが見えた。

 

「悪いな……お前の獲物を奪うつもりはなかったんだが、これも仕事でな。他の獲物を探してくれ」

 

 深い眠りに就く巨熊にそう語りかけ、黒衣を纏う大男が少女達の方に踵を返す。

 

 ずん、ずんと草地を踏み、近付いてくる大男に、少女はぶるぶると震え出す。

 何をしたのかまるでわからないが、あんなにも恐ろしい巨熊を然して苦心する様子もなく、ものの数秒で無力化させてしまった。

 得体の知れない、仮面で顔を隠した謎の黒い大男に、少女はごくりと緊迫した様子を見せる。

 

 しかし大男は少女に目もくれず、傍らに立つ黒猫の少女に顔を向けた。

 

「おい…お前より己の方が早く到着するとはどういうことだ。お前の仕事の筈だが」

「……途中で迷った。目印を間違えてたみたい」

「馬鹿め。そんな具合で次の試験を通過できると思っているのか、未熟者め」

 

 ぎょろり、と仮面の隙間から、真っ赤な血のように光る目を覗かせ、黒猫の少女を叱る大男。

 少女はびくびくと震え、二人を交互に見つめて困惑する他にない。

 

 やがて大男の方が少女に目をやり、肩を竦めるような素振りをしてみせた。

 

「……それで、こいつか」

「うん、間違いない…コンドウがくれた名簿の中にこの子の顔写真があった。えっと、名前が……」

 

 大男の問いに、黒猫の少女は腰に下げた鞄の中に手を突っ込み、紙束を取り出して捲り始める。

 黒猫の少女は、捲っていた紙の中の一枚をじっと見つめ、不安気な表情をしている少女と交互に見つめ始める。

 

「あった、これだ。き……き、き?」

「…妃美呼(きさきみこ)

「ああ……そう読むのか。うん、この子」

 

 大男に紙束を見せ、何度も頷く黒猫の少女。

 少女―――友人からはヒミコと呼ばれる彼女は何が何だかわからず、徐々に後退りながら口を開く。

 

「あんた達……何なの、何であたしのこと知ってるの…⁉」

「ん? それは探してたから…って言うか探してって頼まれたから」

 

 警戒している様子のヒミコに、黒猫の少女は訝しむように首を傾げる。

 疑われていることを見かねたのか、大男が一歩前に出て、黒猫の少女から紙束をひったくり、ヒミコにある一枚を見せつけた。

 

「地球、日本、高校生、修学旅行。これらに聞き覚えはあるな」

「な、なんでそれを…」

「お前の同類の依頼だ。この世界に紛れ込んだ連中を、見つけ次第保護し手連れてきてくれ……とな」

 

 大男の言葉、そして大男が見せつけた紙束―――見覚えのある顔写真が幾つも印刷された書類の束に、ヒミコははっと目を見開く。

 大男は紙束を黒猫の少女に返し、ヒミコから目を逸らす。その動作は、酷く億劫そうだ。

 

「死にたくなければ、そこの馬鹿弟子についていけ。その依頼はそいつのものだ」

「師匠……ここまで来てそれはないと思う」

「黙れ。お前が不甲斐ないから少し手を貸しただけだ、甘えるな」

 

 踵を返した大男は、咎めるような目を向ける黒猫の少女に厳しい声でそう言い、歩き出す。

 黙々と、巨体を揺らし去っていく大男に呆れた目を向け、黒猫の少女は改めて、へたり込んだままのヒミコに向き直る。

 

「私はシオン。あっちは師匠。あなたを探してる人……コンドウのところに連れて行く。ついて来て」

「コン、ドウ……こんどう、近藤? 近藤先生…⁉」

「とにかく、場所を変える。師匠の言う通り、死にたくなかったらついて来て」

 

 差し出された手を握り、腰を上げながら、告げられた名にぎょっとなる。

 その場に立ち尽くし、信じられないといった様子で凝視してくるヒミコに、シオンも踵を返し、師の後を追い歩きはじめる。

 

 ヒミコは唖然としながら、慌ててシオン達を―――異世界での初めての住民達を追いかけていった。

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