扉を開け、室内に足を踏み入れた途端、わっと喧しさが耳をつく。
そこら中から聞こえてくる笑い声や怒鳴り声、ガチャガチャと食器を鳴らす音に、ヒミコは思わずびくっと肩を震わせる。
酒場のような、役所のような、その二つを混ぜ合わせたような施設だと思った。
二種類のカウンターがあり、片方にはきっちりとした制服を纏った女性が二人、もう片方には露出の高い格好をした女性がいて、何やら飲み物を作っている。
見ているうちに、むんと伝わってくる酒の臭いに、ヒミコは知らず顔をしかめていた。
「……あんた達、ここで待ってなさい。依頼人を連れてくるから」
女の口調に戻った師―――アザミが、それだけ伝えてその場を後にする。
カツカツと靴音を立て、奥に向かってしまう魔女の背を見送り、シオンは立ち尽くしているヒミコに目をやる。
「…そこらで座って待ってよう。たぶんすぐに戻って来るけど」
「あ、うん……わかった」
近くにあった空席に腰を下ろし、ひょいひょいと手招きをするシオン。
辺りをちらちらと見やり、促されたヒミコはおずおずと椅子に座る。そしてまた、辺りに屯している者達をちらちらと覗き見る。
先ほど見た、獣の耳や長い耳を持った異なる人種の男女が、鎧などを身に纏って談笑している。
外にいた人々とは異なり、どこか荒っぽいというか、野蛮な印象を受ける格好や態度で、ヒミコは思わず座ったまま引いてしまう。
思わず、頬杖をついて寛いでいるシオンの耳に、口を寄せていた。
「あの……結局ここはどこなの?」
「冒険者
「ああ……ここが」
シオンに説明され、ヒミコは少しだけ気分を落ち着ける。
初めて見た姿は、ならず者や
「街中から寄せられる依頼を、ランクに応じた冒険者が受注して、解決に向かう……要は何でもやる組合。この国には騎士団もいるけど、そっちは主に治安維持が仕事」
「えっと……警察と探偵、みたいな?」
「よくわかんないけど多分そう」
くぁっ、と大きな欠伸をこぼし、問いに答えるシオン。
居心地悪そうにあたりを見渡し、忙しそうにカウンターの中を歩き回る職員や、屯している冒険者達を眺めていた。
そして、視界に入る人々の殆どに、獣の耳や尾が生えていることに気付く。
「なんか、ちょっとびっくりした…あたし、亜人とか獣人とか初め―――」
初めて見た、と言おうとした瞬間、がばっと突然シオンがヒミコの口を塞いでくる。
卑弥呼はギョッとし、血相を変えて自分の口を押さえつけてくる黒猫の少女の手を掴んで抵抗する。無理矢理引きはがしてから、シオンに抗議の声を返した。
「ちょっ…⁉ 何⁉」
「滅多な事…! ――ああ、ごめん。知らないのか」
先ほどとはまるで異なる、怒りと焦りで引き攣った顔で睨みつけていたシオンは、困惑の表情を浮かべるヒミコに気付き、すぐに元の無表情に戻る。
呼吸を落ち着け、椅子に座り直し、辺りを見渡してから、シオンは訝し気に見つめてくるヒミコの耳に口を寄せる。
「この国……ううん、この世界において、『亜人』や『獣人』は蔑称……差別用語」
「えっ……」
「少し前まではそうじゃなかったらしいけど、いまそういうの口にした人は、周りから白い目で見られる。気を付けた方がいい」
そう言われ、ヒミコは慌てて辺りに目を向ける。
牛の角が生えた巨漢が一人、ヒミコに胡乱気な視線を向けていたが、やがて興味をなくしたのかすぐに目を逸らす。
他に彼女達に気を向ける者はおらず、ヒミコはホッと安堵の息をついた。
「……ごめん」
「いい。こっちに来る人は大抵そこで躓くから、通過儀礼みたいなものだと思ってる。言えば直してくれるし」
ぺこりと頭を下げると、無表情のまま帰ってくる気づかいの言葉。
迂闊なことは言えない、と自分の常識が全く通用しない世界にきているのだ、と改めて認識する。
そこでふと、ヒミコはふとある事が気になり、今度は自分からシオンの方に近づいていく。
「…あのさ、こっちに来る人、って言ったよね」
「ん」
「それってさっき言ってた……漂流者?の事だけど、それって誰が私を―――」
ヒミコが尋ねようとしたその時、彼女の肩が不意に軽く叩かれる。
振り向くと、熊の顔を持つ巨大な男が近づいてきて、遥か頭上からシオンを見下ろしてくる姿に気付いた。
思わず後ずさるヒミコを置き去りに、
「おいシオン! 魔女さんは今いねぇのか⁉ こないだの礼を言いてぇと思ってたんだがよ!」
酒を片手にした、赤ら顔の男がシオンにふらついた足で近付いてきて、視線がそちらに寄せられる。
酔った勢いのせいか、声は大きく荒々しいため、、ヒミコは思わず身を縮こまらせる。
巨漢の圧と、むわっと漂ってくる酒の臭いに思わず顔をしかめるヒミコを他所に、シオンは手早く酔っぱらいの体の向きを変えさせる。
「今ギルドに報告中。その内戻って来るから、あとで私が伝えておく」
「うはは……そうかそうか、ありがとよ」
軽くあしらわれ、男はふらふらとどこかへ歩き去っていく。それだけ伝えたかったのか、熊人の男は自分が座っていた席に戻り、机に突っ伏して眠りに落ちてしまった。
酒の臭いの元が離れ、沈黙したことでヒミコが息をついていると、また別の方向から声が上がり出した。
「シオンちゃん、俺からも礼を言いたいって伝えといてくれ! 薬、ありがとよって」
「私からもよろしく~」
「あ、俺も」
わらわらと、近くに居た冒険者達がシオンに気付いては、感謝の言葉を置いていく。
シオンはそれに相手をしつつ、朝から酔っ払った彼らを適当にあしらっていく。慣れているのか、シオンの顔に躊躇いはまるでなかった。
ヒミコは非常に驚き、冒険者たちに手を振るシオンを見て、ここにいない師の事を思い浮かべる。
ぶっきらぼうで、やや冷たい印象を抱かせるあの大男(今は女の姿をしているが)が、ここにいる者達からこうも頼られているのだと知り、彼の者に対する印象が変化する。
「……慕われてるんだ、あの人」
「本人は否定するけどね。年季があるから、ここにいる大抵の冒険者は師匠に世話になってる。それで、頼まれたら師匠は大抵断らないし」
「年季って……何年ぐらい?」
「さぁ、何ヶ月かの周期で国をあちこち転々としてるから」
シオン自身もよくは知らないのか、情報があいまいでいまいち要領を得ない。
しかし少なくとも、そこらの冒険者よりは経験豊富なベテランなのだという事を理解し、ヒミコは思わず感嘆の声を上げる。
そして、疑問に思う。
「……それで結局、誰が私を探してるの?」
「……会えばわかる」
不安げな様子で尋ねるヒミコに、シオンはそれ以上教えてくれない。
自分の今後がかかわる大事な質問なのだと、ヒミコが思わず大きな声で尋ねようとした時、カツカツと聞き覚えのある足音が戻ってきた。
「…待たせたわね。依頼人のところに行くわよ」
シオンとヒミコの前に戻ってきたアザミがそう告げ、また歩き出す。
シオンはすぐさま立ち上がってその後を追い、ヒミコも慌てて立ち上がり彼女達についていく。
魔女は無言でギルドの受付に向かい、職員の女性に一声かけると、その隣にある階段を登っていく。
シオンは軽快な足取りで、ヒミコはおっかなびっくりといった様子で段差を登り、ギルドの上階の廊下を進む。
いくつかの部屋の前を通り過ぎ、奥の扉の前に辿り着いたアザミは、こんこんこんと扉を叩いて合図を送る。
「…ああ、入ってくれ」
「ええ。……ほら、あんたも来なさい」
中から男性の声が返ってくると、アザミはすぐに扉を開けて中に入ってしまう。
シオンが先に入り、取り残されかけたヒミコも、意を決して扉を潜り、入室する。
不安げにうつむいていたヒミコは、おずおずと視線を上げ、部屋の中を見渡す。
上品そうな調度品に囲まれた、応接間のような部屋だ。貴族でも住んでいるんじゃないかと思えるほどに綺麗で、掃除の行き届いた清潔な部屋に思えた。
その中心に置かれたソファに、一人の男が座っていた。
格好こそ、見たことのある兵士の鎧だが、顔立ちはどう見ても自分と同じ日本人。白髪交じりの頭をした、60代くらいの男だ。
「……えっと?」
「おう、よく来たな。まぁ、歩き通しで疲れてんだろ……そこに座りな」
困惑するヒミコに、初老の男は気さくに話しかけ、対面の椅子に座るように促す。
助けを求めるようにアザミとシオンに振り向くと、二人ともいつの間にか男の横の椅子に腰を下ろしていて、ヒミコを待つ体勢になっている。
退路を断たれたヒミコは、しばらくの間葛藤するもやがて諦め、大人しく男の体面に腰を下ろした。
「毎回ありがとよ、先生。あんたにゃいつも感謝してるよ」
「探して連れてくるだけだもの……大した労力じゃないわ」
「いやいや…あんた以外にこの役目を任せられる奴はいねぇよ。他の奴だったらどうなるか、先生が一番わかってんだろ?」
斜め隣に腰かけた初老の男とアザミが、何やら意味深な会話をしている。
シオンはそれを平然と見やっていて、唯一関係性を知らないヒミコは困惑しっぱなしで、二人を見つめる他にできない。
やがて彼女に初老の男が気付き、穏やかな笑みを見せて話しかける。
「大変だったな、妃……いや、ヒミコって呼んだ方がいいか。こんな大事に巻き込まれるなんて、俺もお前もどんだけツイてないんだって話だ。まぁ、しばらくは俺が面倒見るから、気を楽にしな」
「……何で、私の名前を」
いきなり名字だけでなく仇名の方でも呼ばれ、ヒミコは疑わしげな視線を男に向ける。
名字だけなら、アザミが持っていた名簿からわかるだろう。しかし、前にいた世界で友人達から呼ばれていた仇名までわかるはずがない。
鋭い目で睨んでくるヒミコに、男はやがて大きな声で笑い始めた。
「はっはっは…! そう構えるなよ。こんな格好してるが、俺だってちっとは恥ずかしいと思ってんだぞ。そんな目で見るなよ」
「え……」
「なんだ、わかんないのか? 俺ぁ土日以外はいつもお前らと話してたのに、もう忘れちまったのか? こちとらここに来て幾年、一時も忘れた事ぁなかったってのになぁ」
訝しげに首をしかめるヒミコの前で、男は寂しげに眉尻を下げ、肩を竦める。
以前からの知り合いのような雰囲気を出す彼に、ヒミコは困惑したまま記憶を探る。異世界の住人に、知り合いなどいるはずがないのに、と。
そこで、ヒミコははっと息を呑む。
目の前にいる彼、そして、自分の中にある一人の男の顔と―――ほぼ毎日顔を合わせていた、自分の担任教師の顔と不意に一致し始める。
「……近藤、先生?」
「久しぶりだな、妃。30年振り……いや、お前からすりゃそんなに経っちゃいないわな」
ゲラゲラと笑う、つい数時間前まで30代だったはずの担任教師。
すっかり髪が白くなり、雰囲気もまるで異なるものとなってしまった彼を見つめたまま、ヒミコは呆然と固まっていた。
「まずは話そうや。お前の知らねぇ事、できるだけ教えてやるからよ」