「―――現代における魔術道具には、基本的に同じ術式規格が用いられています。旧暦678年、魔術学者ヘンリー・ノーマンが確立したこの術式は、近年に至るまで多少の変化をきたしながら、多くの魔術道具開発企業において使われ続けています。これは、ノーマンの術式規格が安全性に重きを置いて作成されたからであり、初心者・中級者にとって大いに適応した道具となったからです」
壇上に立ち、巨大な黒板に板書をしながらアザミが語る。
複雑な式を、各部分に簡単な説明を添えて記されたそれに、多くの視線が集まる。
彼女を囲うように、扇形に並んだ席に大勢の生徒達が座り、じっと真剣な眼差しを送っている。
元は劇場であった場所を利用し造られた、特別な講義室だ。
十分に大きな講義室のはずなのだが、集まった生徒達が多すぎて、何十人もが仕方なく講義室の外に立たされていた。しかし、外にいる彼らは気にせず、アザミの講義に集中し続けていた。
「ノーマン・スタンダードと呼ばれるこの術式規格は、簡単に言えば設定された術式以外の魔術の発動を不可能にするものです。例えば火種を生む術式を設定した場合、どれだけ魔力を注ぎ込もうと、小指の先程度の火しか灯りません。術者が誤って魔力を大量に注ぎ、火災になる事を防ぐ為です。融通が効かないと揶揄される事もありますが、この術式が作られて以降、それまで発生していた魔術の暴発事故、あるいは事件が格段に減少した事実から、画期的な発明だという意見が大多数を占めています」
「……質問、よろしいでしょうか」
「どうぞ」
アザミの説明にひと段落がつくと、一人の男子生徒が手を上げる。
「暴発事故の抑制のためだという事は理解しましたが、術者の制御能力を向上させた方が重要なのではないでしょうか。結局扱うのは当人ですし、縛りを設けたからといって安全性が維持されるとは思えないのですが……」
「…そうですね、ここはそういう教育機関ですし、そういう考えの方が望ましいでしょう」
男子生徒の意見に、アザミは素直に頷きを返す。
馬人の男子生徒は、講師に自分の意見が通ったことが満足だったのか、フッと笑みを浮かべて若干胸を張る。
だがアザミは、そんな彼に右目から鋭い視線を向けた。
「ですが、それは理想論です。個人の制御能力が向上したからといって、安全が確立されているわけではありません。優れた技術を持とうとも、その者が凶器を持っている事には変わりないのです」
「いや、それは……」
「魔術は刃物と同じです。使い方を誤れば人を殺めます。こうする方が重要だとか、そもそも論点が間違っています……事故だけでなく、事件も発生するのですから」
男子生徒は、受け入れられたと思った自分の考えが真っ向から否定され、苛立たしげに顔を歪める。
彼のそんな反応が予想通りだったのか、アザミはフッと小さくため息をつく。
「刃物は主に何かを造る為に用いられますが、根源は命を奪う為にあります。使用者の全員が、平和的な目的で使用するという確証はありません。マッチやライターも同じです。家につければ住居者が焼け死にます」
「それは流石に……性悪説が過ぎるのではありませんか!?」
まるで人間全員が、他人を殺したくて仕方がない狂った生物であるかのように語る魔女に、男子生徒は我慢ができず、声を荒げて抗議の声を上げる。
またため息をついたアザミはやがて、おもむろに自分の後頭部に手を伸ばした。
「人間は簡単に性質を変えます。以前は善人であった人物が、何らかの事情で精神的に負荷を得、豹変する可能性は十分にあります。……私は何度も見て来ました」
するり、と自らの顔の半分を隠す眼帯を外すアザミ。
その下に隠されていたもの―――ぽっかりと空いた左目を中心に焼け爛れた、悍ましさを感じる傷跡に、生徒達からヒュッと息を呑む声が漏れた。
「この傷はかつて、私が信頼していた人につけられました。何度か恩を売り、素直に礼を言うような方でしたが、ある日突然私を敵視するようになりました。どういう事情があったかは……この場で話す事は控えさせていただきます」
馬人の男子生徒は何も言えず、ごくりと息を呑んでから座り込む。
講義室のあちこちから囁き合う声や、嗚咽の声が聞こえる中、アザミは静かに眼帯を巻き直し、再び傷跡を隠す。
「自らを鍛え、律し、善良な魔術師を目指すのは結構です。そういう方が増えて下されば、私がこんな講義をする必要などありませんから、私は楽になります。ですが……信頼と油断は違います」
アザミは真っすぐに、自分の話を聞いてくれている生徒達を見つめる。
気だるげな表情の中に、ほんの少し真剣な光が宿って見える。自分の言う言葉を、決して忘れるなという無言の圧力を、その場にいるほぼ全員が受け取っていた。
「貴方達がどういう魔術師になるのか、そこまでは私が知った事ではありません。最期にどういう結末を迎える事になろうとも、責任を取るのは結局自分です。望まぬ未来にならないよう、精々気を付ける事です」
しん、と講義室は静まり返り、空気が重く沈む。室内、廊下にいる生徒の誰もがアザミを凝視し、真剣な表情で黙り込んでいる。
彼らのその様子に、アザミは若干満足げに鼻を鳴らしてみせた。
「では、抗議の続きに戻りましょうか。ノーマン・スタンダードの基本構造は―――」
数十分後、時間を知らせる鐘の音が鳴り響き、講義室からぞろぞろと生徒達が溢れ出す。
廊下に立っていた者達もそれに混じり、聖都の何人かは特別講師による講義について、それぞれでざわざわと語り合い出した。
「……あー、敬語はやっぱり肩が凝るわね」
同じくアザミも講義室から退出し、気だるげにゴキゴキと首を鳴らす。
慣れない言葉遣い、どれだけ面倒臭くても講義を中断できない苛立ちに、はーっと深いため息がこぼれる。
体の各所の骨を鳴らす魔女のもとに、一人の男子生徒が近づいた。あの馬人の生徒だ。
「アザミ女史! 本日はどうもありがとうございました! 大変ためになる話でした!」
「そりゃどーも」
「貴方の講義で、自分が如何に甘い考えで魔術を齧っていたのかを思い知りました! 本当にありがとうございます!」
最初とは打って変わって、魔女に凄まじい敬意を持った眼差しを送る男子生徒。
根が本当に真面目なのか、若しくは単に純粋なのか、魔女への質問を思い出し、ぐっと拳を握りしめていた。
「失礼ですがアザミ女史、もっとあなたのお話を聞くことはできませんか? 魔術の仕様、使用者についての危険性など、まだまだ知りたい事があるのです!」
「…勉強熱心なのは結構だけど、一人の話だけを聞くのは感心しないわよ。多方面からの意見を聞いて、その上で自分の答えを探すのが最も理想的なんだから」
「はっ……はい! 肝に銘じます!」
どれだけ真面目で純粋なのか、暑苦しい勢いで魔女に頭を下げる男子生徒。
周りの生徒もやや引いた目で見て、呆れた様子を見せる彼に、アザミは不意に体ごと向き直った。
「貴方、名前は?」
「はい! スーホ・レドヴァといいます!」
「じゃあスーホ、後で私の他に参考になりそうな著書を紹介してあげるから、目立つ場所で待ってなさい」
「きょ、恐縮です!」
ビシッ、と音が鳴りそうな勢いで礼をする男子生徒・スーホ。
アザミは真面目が過ぎる彼に、やや鬱陶しそうに息を吐きながらも、若干の好感を抱いた様子で目を細める。
「あ、あの……アザミ女史」
「私達もお話いいですか?」
向かい合い、親しげに話しているように見えたアザミとスーホのもとに、二人の女子生徒が近づいてくる。
「アザミ女史、よければ僕の論文を読んでください!」
「あの、冒険者時代のお話を…!」
「ファンです! サインください!」
「この後御用事がなければ、いっしょにお食事でも……」
「黙ってなさいよ! あんたなんて及びじゃないの!」
「僕が作った式、どうでしょうか!?」
それまで遠慮していたのか、勇気が出なかったのか、怒涛の勢いで生徒達が寄ってくる。
あまりの勢いにスーホは押し出され、アザミは逃げ場を失ってしまう。
何処を見ても騒がしい声が聞こえてきて、その上何も身にならなそうな、単に自分の主張を通したいだけの煩わしい声に、魔女の機嫌はあっという間に降下していった。
(……面倒臭い、どうあしらうべきか)
思考が完全に覚めた魔女―――師は、無理矢理にでも押し通ろうかとさえ考える。
だがその時、群れを成すように集まっている生徒達を掻き分け、一人の小柄な
「あ、あのっ…! 女史は〝創世の賢者〟の実在の真偽について、どう思いますか!?」
その瞬間、周囲から音が消える。
人の群れが一気に引き、現代において妄言と言われる問いを口にした少年を凝視し、表情を引きつらせた。
「……お前、本気で聞いてんのか」
「だ、だって、色んな本に載ってるのに、教授達は誰もその人の存在を認めないんだよ!? アザミ女史なら、もしかしたら何か知ってるかもしれないじゃないか!」
「いやだから……ないんだって」
犬人の少年の傍にいた
辺りの視線を気にしながら、友人の耳に口を寄せる。
「…あのな、前々から言ってるけど、世界に魔術を齎した魔術師の祖なんてのは、御伽噺の中の存在なの。ほんとにいるわけじゃないの、ずっと言ってるだろ…!」
「でも、最初に作った人は絶対いるんだから……」
「逸話が全部現実離れしてるんだって…! 不老不死で今でも人類を見守ってるとか、世界の想像もそいつがやったとか、信じてるだけで痛い奴扱いされるんだよ…! 俺の気持ちも考えろよ!」
二人が言いあっている間、周りの生徒達はやれやれと肩を竦めている。
夢見がちな犬人の少年を、長い付き合いのある虎人の青年が抑え込もうとする姿は見慣れているらしく、全員が呆れた目を向けていた。
「ねぇ、アザミ女史! どうなんですか!?」
「おい、ほんとにやめてくれよ。俺が恥ずかしく……」
諦めきれず、なおも魔女に問おうとする少年に、友人は頭を抱えながら呼び止める。
しかし、二人が魔女に目を向けた瞬間―――背筋が凍りついた。
魔女の眼は、凄まじいほどに凍てついていた。
他の誰もが呆れ笑い飛ばすような質問をした犬人の少年に、まるで極寒の吹雪のような冷たい目が向けられ、表情が消え失せる。その場にいる誰もが震え上がる視線だった。
「―――いないでしょうねぇ、そんな野郎は。少なくとも、私はそんな奴にいてほしくはないわ…」
「えっ……」
「だってそうでしょう……魔術なんて危なっかしい代物を造って、世界を何度も滅茶苦茶にするような存在だもの。いるのなら、誰かが必ず殺しておかなければならないと思わない……?」
ぎちり、と魔女の口元が笑みに歪む。
温かさなど微塵もない、悍ましさでいっぱいになった笑みに、生徒達は皆震え上がる。
魔女のその笑みは不意に消え、アザミは先程と同じ無表情に戻り、踵を返して歩き出した。
「ま、妄言呼ばわりされても仕方がない名前だから、今後は口にしない方がいいわ。……わかった?」
「は、はい…」
魔女に冷酷に告げられ、居ぬ人の少年は何度も頷く。
スーホや他の生徒達に、戦慄の目で見送られ、人のいない方へ向かいながら、アザミは深いため息をつく。そして、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。
「……そう、存在してはならんのだ。己のような、この世界に在るべきではない有害な異物は」