ステイン妹のヒーローアカデミア   作:苗字ちゃん

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仮免許試験編(下)

 

 

 いつだって飢えていた。

 開け放たれたままの押入れ。薄汚れた畳にこびり着いた飯粒。ダニやしらみだらけの薄い布団。閉め切った部屋の中、干しっぱなしの洗濯物は異臭を放ち、まるで腐乱死体のようだった。

 僅かな力を腕に込め、低い視線のまま床を這う。肘にぶつかった灰皿は最早吸い殻の山であり、衝撃で灰が舞った。思わず咳き込んでしまう。潰れたビールの空き缶はそこらじゅうに転がっており、床を這う──にとって障害物となっていた。腕で退かすと、飲み口からツンとした液体がこぼれ落ちては畳に染みを作る。隙間から吹き込んだ砂埃が、骨のような腕に食い込んで痛い。それでも床を這うことはやめず、脱ぎ散らかされた靴下や下着を掻き分けて、──はようやく一つのビニール袋を手にする事ができた。

 中には惣菜が入っていたであろうプラスチックの容器が、乱雑に積み重なっている。微かな食べ物の臭いが鼻腔を刺激する。どろりと、乾いた口の中で唾液が溢れ出す。珍しく、心臓の音が聞こえた気がする。──は震える手のひらで容器を掴むと、それに躊躇なく舌を這わせた。酷い異臭の中、数日ぶりの食事(・・)に舌鼓を打っていた。微かに震えた魂が、命の鼓動を鳴らしていた。

 そんな──の視界の端に、同じように床を這う黒い虫が映り込む。ゴミの中に潜む残飯を食らっていたのだろうか。同じ穴の狢、というやつだろうか。しかし同情など抱くことはなく、腕を伸ばして(それ)を掴んだ。躊躇うことなく己の口へ運び、逃げようともがくそれを歯ですり潰し、丁寧に噛み締めれば、空っぽの胃の中は少しだけ満たされた。

 

 いつだって、飢えていた。

 己の名前も知らぬ幼子は、いつだって飢えていた。飢えても尚、生にしがみつく獣だった。

 何故あそこまで生きようと必死だったのか、あのときの操は考えたこともなかった。考える余裕も、なかった。背後で今か今かと待ち侘びる死の存在に、本能的に怯えていたのか。種を残そうと思う生存本能が働いたのか。詳細は不明だが──。いま理由を後付けできるのなら、きっとこう答えるのだろう。

 

「私はヒーローになるために生き延びた。そしてこの命が果てるまで、ずっとずっとずっとずっと、人を救い続けてみせる」

 

 ああ、そうか。

 だから私はあのとき、必死に命を繋いでいたんだね。

 

 

 

 仮免許試験会場、国立多古場競技場。

 一次試験終了後、二次試験へ進む受験者たちが集まる控え室。その自動扉を潜ると、中には一次試験を通過した受験者たちの姿があった。彼らの視線は品定めするように九人に注がれる。それか、待ち侘びた人ではなく落胆の色に変化していった。

 しかしその中に見知った顔がいくつかあり、彼らは顔に笑みを浮かべてこちらに駆け寄ってくる。そして周りの空気なんて気にすることなく、喜びのまま口にした。

 

「最後の通過者が入ってきたぞ……って、みんな!」

「いち、にち、さん──待って九人いる!?」

「ってコトは!?」

「おォオオ〜〜〜……っしゃあああ!!雄英全員一次通っちゃったぁ!!」

「スゲェ!!こんなんスゲェよ!」

「「「……」」」

 

 一次試験を最後に通過した青山、芦戸、飯田、尾白、砂藤、常闇、葉隠、峰田、そして赤黒(あかぐろ)(みさお)の九人の元に駆け寄ったのは雄英高校一年A組の生徒たちであった──もちろん、駆け寄ってこない者もいる──。彼らはA組が全員勝ち上がったことを自分のことかのように喜び、年相応にはしゃいでいる。

 しかし残りの席をギリギリ勝ち取った九名は、その場にクラスメイト全員がいるのを確認するだけで精一杯だった。(みさお)はいつも通り淡々としているがドヤ顔をしないし、飯田はいつも大声で仕切り出すのに覇気がない。寡黙な常闇や静かな尾白も何か思い詰めたような表情をしているし、それ以外のクラスメイトに至っては表情から見て何かあったのだと察することができる。

 いつも騒がしい芦戸や葉隠、峰田がそうなのだから先に通過したクラスメイトが気付かないわけがなかった。

 

「……」

「……」

「……」

「……いや、なんか……テンション低くね?」

「通夜じゃねーんだぞ!?」

「どした?何かあった?」

「いや、どうもしないが」

「ハイ、ダウト!」

「ゼッテー嘘!!」

 

 詰め寄る上鳴と瀬呂に肩を揺すられ、操の身体は前後に揺れる。二人以外のクラスメイトも異変に気が付いたのか、芦戸と葉隠にそっと寄り添ったり、心配そうに様子を窺っている。しかし、誰も何も答えない。

 操は前後に揺れながら背後のクラスメイトたちを横目に、どうするべきかと思案した。

 

 時刻は一次試験終了直後まで遡る。

 試験官に移動するよう促された操は上体を起こすと、さめざめと泣く被害者女性に視線を向けた。そしてもう一度頭を下げてから、静かに立ち上がる。頭部からは砂や小さな石が落ちてきたが、振り払うことはしなかった。

 操が歩き出すと飯田も彼女に頭を下げ、その背を追う。そして二人は、七人のクラスメイトたちと目が合った。呆然とした面持ちでこちらを見つめる瞳と、視線が合わさってしまった。

 

『なんだ、お前たち。先に行ってなかったのか?』

『……な、なんだよ……今の……』

『何って、見ていたのならわかるだろう?』

 

 そんな彼らの横を通り過ぎ、操は控え室に向かって歩いていく。遠慮がちについてくる彼らは戸惑いつつも、被害者女性との距離が十分取れたことが分かると、その場に立ち止まった。

 操はそれに気が付いていても、立ち止まらない。だから呼び止めて、無理やり立ち止まらせた。どうして操が普通の顔をして、普通に歩いているのか、意味がわからなかった。

 

『わ、わかんねぇよ……!オイラ、赤黒が何で謝らなきゃいけねぇのか、ちっともわかんねぇ……!』

『……』

『赤黒が……教師にも敬語を使わねぇあの、赤黒が……!ヴィランである兄貴の代わりに敬語まで使って、土下座なん──』

『峰田君!』

 

 飯田の言葉に、峰田は咄嗟に口を引き結んだ。しかしその表情には、不満がありありと現れている。操がその場にいるクラスメイトを見渡すと、飯田以外の者は概ね峰田と同意見なのか、歯痒い顔をしている。芦戸なんかは未だ呆然としていて、泣いてはいないけれど泣いているような、そんな表情をしていた。

 誰に対しても敬語を使わず、偉そうな態度を崩さない操が、何も言い返すことができずに謝るしかない状況だったのだ。向かってくる相手には容赦のない彼女が、石や砂を投げられ罵声を浴びせられても頭を下げ続けていたのだ。そんな操の姿に、クラスメイトたちはショックを隠しきれなかった。

 あの場にいた者は、操を救けていいのかわからなかった。クラスに飯田がいるからこそ、被害者家族の気持ちはわかる。けれど、操が今まで受けてきた加害者家族の気持ちもわかる。わかっていたはずなのに──双方の気持ちをちゃんと理解できていなかったのだと、あの光景を見てようやく思い知った。思い知らされた。

 砂藤は居心地が悪くなって鼻を摩る。青山は口を固く引き結んで、視線を床に落とす。常闇は腕を組んだまま、目を伏せた。

 もしヒーローとしてあの場にいたら、どちらに手を差し伸べるべきなのだろう──?彼らにはその答えが、見つけられなかった。

 

『……被害者がいるのはわかってたけどよォ、なんつーか……わかっていた気になっていたのかもしんねぇ……』

『……そうだな、俺も同意見だ』

 

 ステインの所業は想像以上に根深く、人々の心に深い傷を残している。そしてその家族である操にも、深い傷を残し続けている。その場にいないにも拘らず、切れ味の悪い刃物で無理に切りつけるような、そんな痛みを残し続けている。

 ヴィランの犯行はその時、その瞬間で終わるものではない。被害者や加害者が生き続ける限り、一生ついて回るものなのだろう。

 ──幸せにならないで、一生苦しんで生きて。

 操はそんな呪いのような言葉を、死ぬまでずっと言われ続けるのだろうか。

 

『でも……でもさ……!あんな一方的に嫌なこと言われて……何も言い返しちゃダメなんて、そんなのおかしいよ……!』

『操ちゃんだって被害者なのに……、』

『……石を投げるのも、危ないよね⭐︎』

『なァ……みんな言ってる通り……そうだろ……?赤黒だけが、あんな風に謝る必要ねぇだろ……!?』

 

 クラスメイトたちは、砂や石を投げられて、罵声を浴びせられてもじっと耐え続ける操を見ていられなかった。彼女も被害者だと知っている。それでもヒーローとして真っ直ぐ進み続けているのを知っているからこそ、ステインの代わりに謝っているのが耐えられなかった。そんな必要はないのだと、なんとか助けてあげたかった。

 ──いや、操にはもっと「私は加害者ではない」と堂々として欲しかったのかもしれない。敢えて苦しい道を、突き進まないで欲しかったのかもしれない。

 

『……別に、私は嫌々謝ったわけではない。謝りたいと思ったから謝っただけだ。なのに、何でお前らがそんな顔をするんだ?』

 

 けれど操はいつものように凛としたまま、彼らを真っ直ぐな視線で貫いた。そこに刃物のような鋭はない。ただ、迷いのない意志を孕んでいた。頭を下げることがどんなに惨めで哀れに見えたとしても、関係ない。操からすれば自分らしく生きるのが、一番重要だった。

 そんな彼女の表情に、クラスメイトたちは砂を噛んでいるような、言葉に表せない気持ちで心が支配されていく。「辛い」「苦しい」。そんな言葉を少しでも吐き出してくれたら、お互い少しは楽になれそうなのに。どうして剥き身の刃を「当たり前」のように甘受してしまうのだろうか。

 

『……赤黒は、平気なのか……?あんな風に言われて、みんなの前で見せ物みたいに謝って……!』

『平気も何も、これが()の名を背負うということだ』

『──!』

 

 Stain(.....)less。

 ──罪は一緒に背負ってく。消えることはないけれど、それでも背負って受け止める。この名前はその決意なんだ。

 それは彼女がステンレスと名乗ったとき、共に告げた言葉だった。追いかけてくる過去から逃げない誓い。ヒーローになることでステインの行いを否定し続ける証明。操の覚悟と執念(信念)。名前という、己を縛り続ける呪い。

 赤い轍を追いかける決意をしたときから、操はずっとこうなる運命(・・)だった。

 

『とにかく……嫌な姿を見せて悪かったな。忘れろ』

『……っ、忘れられるわけ、ねえだろ……!』

『そうだよ!というか、問題はそういうことじゃなくって──』

『みんな、一旦落ち着いてくれ!今はまだ仮免試験の途中なんだ。次の試験に集中するためにも、ここは気持ちを切り替えるべきだと思う』

『だが──』

『これ以上被害者を出さないためにも、赤黒くんみたいな加害者家族を出さないためにも。俺たちはまずヒーローにならなくてはならない』

『……』

『議論すべきことは沢山あるが……それは、今ではない』

 

 ヒートアップするクラスメイトたちをそう宥めたのは、落ち着いて状況を眺めていた飯田だった。彼のその言葉にハッとしたように何人かは顔を上げたが、感情をうまく飲み込めないのか口籠る。

 操の背中を押すことが正解なのか、引き摺ってでも逃すことが正解なのか、指摘することが正解なのか、肯定することが正解なのか、まだ幼い彼らにはわからない。傷ついてほしくない、けれど被害者に向き合う彼女は間違いではない。現状をどうにかしたい、けれどどうしたらいいのかわからない。そんな自分の中で消化できない感情だけが、胸の中に気持ち悪く残り続けている。

 飯田も、決してその感情を抱いていないわけではない。けれど自身と操のように和解するのは、被害者にとってあまりにも高い壁だと知っている。辛くとも受け止めようと決意した操を知っている。だから操の選択を──被害者家族の心の叫びを、否定しないでほしかった。彼もまた、対応に悩む一人の少年なのである。

 

『そんなこと言われたって……簡単に割り切れないよ……、』

『芦戸の言う通り。このまま終わらせていい問題でもなさそうだが……』

『……フム、ならば赤黒くん。この件は他のクラスメイトたちにも共有させてもらおうか』

『……共有?』

『ああ。みんなも、気持ちの整理をつけるならクラス全員で話し合った方がいいだろう?それに今後キミに似たようなことが起こるのならば、俺としても放って置けない。……みんなも、この場はそれで納得してくれ』

『……飯田が、そこまで言うなら』

『確かに他の人の意見もちょっと聞いてみたいかも……』

『赤黒くんも。それで構わないか?』

『…………好きにしろ。その代わり、話すのは試験が終わってからだ』

『ああ。試験が終わったら、A組(みんな)で話し合おう』

 

 納得がいかない者も、どうにかしたい者も、解決策が見つからない以上今はどうすることもできない。そして彼らは、大事な試験の真っ最中だ。この場は静かに諭す飯田の言う通り、気持ちを無理にでも切り替えるしかなかった。

 重い沈黙が辺りを包み込む。九人はそんな沈黙に居心地の悪さを感じながらも、己の夢のために歩き続ける。──こうして辿り着いたのが、この控え室だった。

 

 操はそんな経緯を思い出しながら、横目で辺りを見渡した。しかし七人のクラスメイトたちはまだうまく切り替えられていないのか、気持ちが飲み込めないのか、操と飯田以外は表情が固く、口篭っている。笑みを作ろうとして上手くいかなくて、俯いている。

 その様子に、操は前後に揺すられながら小さく息を吐いた。しかし今ここで他のクラスメイトに話をしたとして、全員でこの暗さになっても困るのだ。七人には申し訳ないが、気持ちを切り替えて次の試験に臨んでもらうしかない。

 そんな中、真っ先に口火を切ったのは委員長である飯田だった。彼は七人を背に庇うように立ち、何も知らないクラスメイトたち一人一人を見つめて口を開く。

 

「色々あったんだが……今は次の試験に集中するべきだと考えている。みんな、試験が終わった後、話を聞いてくれないか?」

「お、おう……別に構わねぇけど」

「飯田くんがそう言うなら……」

「……三奈ちゃんや透ちゃんも、それで平気かしら?」

「今聞こうか?なんか大変そうやし……」

「……ううん!ヘーキ!でも後で相談のってね!梅雨ちゃん、お茶子ちゃん!」

「ウチも聞くよ。……てか、ほんとに大丈夫?」

「あんま大丈夫じゃないかも……。だからさ、耳郎とヤオモモもあとで聞いてくれる?」

「……!ええ、勿論ですわ!」

「常闇、砂藤、青山。お前たちは平気か?」

「──……ウィ⭐︎僕はいつでも平気さ!」

「……まァ、とりあえずはな。ヒーローになったらこんな時、無理にでも気持ちを切り替えるしかねぇもんなァ……」

「そうだな……悪いな障子、空気を悪くした」

「気にしていない。だから、気にするな」

「まァー……なんだ、その。お前ら無理すんなよ」

「そーそー。この後も試験あるし、気負いすぎんなよ」

「次の試験も頑張ろうぜー!」

 

 七人はクラスメイトの温かさに支えられ、徐々に気持ちを切り替えていく。そんな様子を眺めて、操は無意識のうちに安堵のため息をついていた。思っていた以上に彼らの様子を気にしていたのかもしれない。

 七人が謝罪する操を見ていられないと感じたように、操もあの空間を苦痛に思っていた。正しいと思ってやったことが否定されると、何が正しいのかわからなくなる。操は被害者家族に出会って、心の底から申し訳なく思った。だから謝っただけなのに、どうしてみんなが苦しそうな表情をするのだろう。

 人生は誰かに決めてもらうものではない。自分で決めて、信じて進むのものだ。操の選択は操だけの正解で、他人が賛同するかは無関係である。──それなのに、私はどうしてクラスメイトたちの表情を気にしてしまったのだろう。何故、他人の考えだと切り捨てられなかったのだろう。

 そこまで考えて、操はかぶりを振った。答えが導けない問題をずっと考えている時間は、今の彼女にはない。とりあえず次の試験に集中するために、考えるのはよそう。そう思った操は隣に立つ飯田を見上げると、彼にしか聞こえないような音量で声をかける。

 

「悪いな、助かった。……今も、さっきも」

 

 被害者の娘である彼女が一時的に怒りを収めたのは、同じ被害者家族である飯田が「犯人はステインであって操ではない」と告げたからだろう。彼女がそれを聞いて何を思ったのか、操にはわからない。ただ少しでも気持ちが明るい方向に向かえばいいと、操は彼女の幸せを心から願っている。

 辛い記憶を抱えたまま生き続けることは、とてつもなく難しい。けれど生き続けるからこそ、その先で喜びを感じることができる。人の温かさに触れ、人生は悪いことばかりではないと考えることができる。諦めさえしなければ、人生は必ず何とかなるのだと──幾度となく死に触れた操は考える。

 しかし、加害者側である操が被害者にそれを説くことはできない。だから飯田の言葉や考え方がきっかけで、少しでも彼女が前向きになれたら、と願うのだ。

 操が先ほど飯田に礼を告げたのは、被害者家族である彼女の考えを、少しでも変えるきっかけを与えたからだった。赤黒操という人間は、目の前で苦しむ人を放っておけない。しかしその考えに、自身は含まれない。その歪さに気付いているのは、林間合宿後操と話したオールマイトと相澤だけだった。

 だから飯田は操と違う考え方で、違う意味合いで言葉を受け取って返事をする。

 

「仲間として助け合うのは当然のことさ。しかし……赤黒くんは平気か?」

「私は別に平気だよ。そんなことより、彼女の方が心配だな……被害者家族が嫌がらせを受けているとは、正直思ってもいなかった。あとで先生に相談しないとな」

「──……、」

 

 操が幸運だったのは、感情をぶつけてくれる被害者家族に出会えたことだ。彼らは大切な人が屠られた日を永遠に忘れない。だから操も、彼らの傷の深さを心に刻むことができる。加害者側であれど、被害者の気持ちを共有してもらい、同じ目線で対策を考えることができる。

 ヒーローを目指す操は、彼らに何をしてやれるだろう。被害者家族への誹謗中傷を止めるために、どこへ声をかければいい?支援の手を差し伸べるために、どれだけの費用が必要になる?操が医者とヒーローになれば、その費用を稼ぎ、優秀な団体に協力を仰ぐことが出来るだろうか。

 ──家族の死を乗り越えることは大変だろうが、彼女が幸せだと思える未来が一刻も早く訪れますように。願わくば、彼女を助けてくれる存在が身近におりますように。そんな存在がいないのであれば、必ず操が支援の手を広げてみせる。だからそれまで、頑張ってほしい。……なんて、私が偉そうに言えることではないけれど。

 操は真っ直ぐ前を向くと、先程とは打って変わって真剣な顔付きになる。もはや誰かの未来を蹴落とすとか、そんなことを考えている場合ではなかった。操はヒーローになって、彼らを救わなければならない。そのためには言葉ではなく、行動で示すべきだ。兄が傷つけた以上に、人々に手を差し伸べよう。どれだけ自身が傷付いたとしても関係ない。その命が果てるまで、救い続けろ。

 そんな願いを心の内に秘めながら、操は飯田の側を離れ、水分補給のためにウォーターサーバーへと手を伸ばす。そんな彼女の背中を、飯田は愕然とした表情で眺めていた。

 

「肉倉先輩落ちちゃったんスか!!」

「先走って単独行動するからだ、あの激情型男!それにお前らもだ!一年の夜嵐と口田(・・)はともかく……ケミィ!ダメよ!」

「……ハァイ」

 

 その一方。喜ぶだけで終わらなかった雄英高校を尻目に、士傑高校の面々は一塊になって一次試験で脱落した肉倉について話をしていた。

 二年生である毛原(もうはら)は声量だけで周りを驚かせる夜嵐を見やると、次に顔を背けるケミィを見る。そして最後に、夜嵐の横で鳩を撫でている口田を見つめた。

 夜嵐イナサと口田甲司は、今回士傑高校で唯一仮免許試験に参加している一年生だ。情熱的で声が大きく、個性もダイナミックな夜嵐と比べると口田は地味で目立たない。しかし動物とコミュニケーションが取れる彼の個性はまさしく規格外あり、レベルの高い士傑高校で一年生ながらに仮免許試験に参加している実力者だった。

 ──個性はともかく、性格は足して二で割ったらちょうどいいのかもしれない。毛原はそんなことを考えつつも、天井付近の壁に備え付けられたテレビを見上げる。何故なら、それを見るようアナウンスが流れたからだ。

 

《えー100人のみなさん。これをご覧ください》

 

 マイクに向かって話しているのは、一次試験の説明をしていた目良の声であった。緊張感と覇気のない声色は、まるで二次試験の始まりには思えない。

 しかし一次試験を通過した受験者たちは、言われた通りに液晶画面を見上げた。そしてそこに写っていた一次試験のフォールドを不思議そうに眺める。すると大型都市を模した会場は突如、爆発した。

 受験者たちは一瞬、何が起こったのかわからなかった。耳を劈く鋭い音が聞こえたかと思うと、建物は内側から破裂したかのように吹き飛び、倒壊したのだ。その後は言葉を発する暇もなく、空から瓦礫が降り注ぎ、低い建物を押し潰す。爆発地点から離れていても、酷く地面が揺れる。それは凄まじい衝撃だった。やがて視界が晴れたかと思うと、画面に映った街並みは酷い有様であった。粉々になった建物は、爆破の威力を物語っている。熱気で焦げたコンクリートが剥き出しになって、痛々しい傷口を晒している。

 そんな光景を、八百万は驚きのまま口元に手を当て、上鳴は呆然としたまま口をぽかんと開けて眺めていた。そして思わず、湧き上がってきた感情を口にする。

 

「……何故!?」

「いや何で破壊した!?」

《次の試験でラストになります!みなさんにはこれからこの被災現場でバイスタンダーとして救助演習を行ってもらいます》

「救助……!」

 

 一次試験の戦闘とは打って変わって、二次試験では救助を行うらしい。それをすぐに察した緑谷はごくりと息を呑んだ。きっと建物を破壊したのは、神野の悪夢を模したからだ。あの日の夜のように、戦闘に巻き込まれた人々を救助する演習にしたのだろう。緑谷は思わず、隣にいた飯田と視線を合わせる。

 しかし目良の言葉の意味がわからなかったのか、一部の生徒──峰田──は首を傾げていた。

 

「バイスタンダー……?」

「現場に居合わせた人のことだよ。授業でやったでしょ」

「一般市民を指す意味でも使われたりしますが……」

《ここでは一般市民としてではなく、仮免許を取得した者としてどれだけ適切な救助を行えるか試させて頂きます》

「……つまり、ヒーローとしてこの現場に居合わせたら、という状況か」

「でも人いないよね?復興支援的な?」

 

 画面を見つめたまま、受験者たちは自校の生徒たちと言葉を交わしていく。そんな休憩室では雄英高校も例に漏れず、近くにいたクラスメイトたちと状況を確認し合っていた。

 先程まで戦っていた街並みは爆発によって倒壊し、足の踏み場すらない所が多くなっている。そんな現場に入って出来ることといったら、瓦礫の撤去だろうか。

 しかし受験者たちがそう考える中で、障子は液晶画面の中に映る人影を見つけると、声を上げた。

 

「む……人がいる」

「え……あァ!?老人に子ども!?」

「危ねぇ!何やってんだ!!」

 

 液晶画面に映った老若男女の人影は、今にも崩れ落ちそうな足場や倒壊しそうな建物に向かっている。そんな無謀とも取れる彼らの行動に、何人かは非難の声をあげた。いつ巻き込まれて、怪我をしてもおかしくないからだ。

 しかし受験者たちが動き出すより先に、目良が言葉を紡ぐ方が早かった。

 

《ご安心を。彼らはあらゆる訓練において今引っ張りダコの要救助者のプロ!その名前もHELP・US・COMPANY──略してHUC(ハック)のみなさんです》

「要救助者のプロ!?なんじゃソリャ!?」

「色んなお仕事あるんだなー……」

「ヒーロー人気の現代に即した仕事だな」

 

 画面をよく見ると、要救助者のプロであるHUCたちの手には血糊のボトルが握られている。要するに、要救助者のフリをするのだろう。そんな彼らを見て受験者たちは感心していたが、操は別の感情を抱き、思わず眉を顰めた。

 彼らが必要とされている社会──それは即ち、ヒーロー飽和社会であるにも拘らず、要救助者が絶えないことを意味しているからだ。ヴィランが暴れ、ヒーローが止める。その過程に建物の倒壊や要救助者の存在が常に隣り合わせであることを示している。

 これからヒーローになる操にとって、HUCの存在は有難いものだろう。しかし自分がヒーローになってからは、彼らの職業が必要のない世界を目指さなければ、きっとこの世界は何も変わらない。

 操はそう考えると、手のひらをぐっと握りしめた。繰り返すだけの世界にするつもりは、微塵もなかったから。

 

《傷病者に扮したHUCがフィールド全域にスタンバイ中。みなさんにはこれから彼らの救出を行ってもらいます。尚、今回はみなさんの救出活動をポイントで採点していき、演習終了時に基準値を越えていれば合格とします》

 

 ──それでは、10分後に始めますのでトイレなど済ませておいてくださいね。

 その言葉を最後に、アナウンスは途切れてしまった。操は暫く液晶画面を見つめたまま、倒壊した街並みを眺める。その表情はいつものように淡々としているが、並々ならぬ覚悟を抱えているためか、瞳の奥では炎が燃え盛っている。

 しかし複数の視線を感じ、操は液晶画面から視線を外した。するとA組の大半は、操に視線を向けていたのだ。思わずぱちくりと瞬いて、彼女は不思議そうに首を傾げる。

 

「……揃いも揃って、何だ?」

「何だ?じゃねェ!話聞いてたんか!?」

「勿論聞いていた。……フフ、聞いていなかったのなら教えてやろう!二次試験の内容は救助だ!」

「ドヤるな!」

「んなことは知ってるよ!」

「な、何だと……!?」

「俺たちが言いたいのはそうじゃなくって、赤黒にめちゃくちゃ有利じゃねーかってこと!」

「……有利?」

 

 思いがけない単語に、操はオウムのように同じ言葉を返す。しかしそんな操を気にすることなく、数人のクラスメイトたちは彼女の元へ駆け寄っては「羨ましいぜちくしょう!」「今まで頑張ったことが活かせるじゃん」と言葉をかけていく。

 そんな中、騒ぎ立てる彼らとは別に緑谷は"どうして操に有利なのか"を解説し始めた。勿論、誰かが頼んだわけではない。いつもの()だった。

 

「一般的に回復個性を持っている人は医療ヒーローに属されるから、ヒーロー科の通常カリキュラムを受けていない。そもそも回復個性ってだけでかなり珍しいんだ!つまりヒーラーはこの仮免試験会場にほぼいないと見ていい……!だから医療を学んでいて操血の個性を持つ赤黒さんが、この試験では物凄く活躍できるんじゃないかな……!」

「そうなると、操さんが救護所の要になりますわね……!」

 

 操はブツブツと語り始めた緑谷の言葉を聞いて、ぱちぱちと瞳を瞬かせた。

 緑谷と八百万が言うように、リカバリーガールのような治癒特化個性をもつ者は、まずヒーロー免許を取得することはない。回復個性は珍しいため「一次試験を突破できなかったから、ヒーローにはなれませんでした」なんて事になるのも、「前線で戦って死んでしまいました」なんて事になるのも勿体無いのだ。つまり、通常のヒーロー免許とは異なる"医療ヒーロー"として免許を交付し、職務を行うケースが一般的である。しかしそんな一般常識とは外れ、操はヒーローでありながら医療ヒーローとしての知識も並行して学び、極め付けには医者になるために医学を学んでいる。これが二人に有利と言われる理由であった。

 この場にいる受験生は二年生以上の者が多い。彼らは既にヒーローとして応急処置や救助について学んでいるが、医療(・・)ヒーローや医者(・・)としての視点は持ち得ないだろう。つまり、まだ免許を持っていないとしても「仮免許を持っている設定」の二次試験では、唯一無二の可能性を秘めた操が大いに活躍する可能性が高いのだ。

 確かに操は、まだ医療ヒーローでなければ医者でもない。しかし既に資料や映像で要救助者についての研修を受け、学び、実際にイレイザーヘッドやベストジーニストを救助し、治療した実績がある。傷病者の治療に関しては、ここにいる受験者の中で一番経験を積んでいると言っても過言ではないだろう。

 

「救護所……災害地ってことは、救護所(それ)を設営するところから始まるんかな?」

休憩室(ここ)が残っているなら、活用するのが良いんじゃないか?」

「それいい!操ちゃんが治療担当ね!それにヤオモモがいれば包帯も傷薬も作り放題じゃん!」

「でも建物が倒壊しているし、八百万は捜索に回った方が良いんじゃないか?」

「懐中電灯とかも欲しいよね」

「上鳴、アンタ発光しなよ」

「できねーよ!?」

「水も欲しいな……水道確保できっかな」

「それは僕らで手分けして探そう!」

「ではまず無線を作りましょうか。連絡がとれた方が、都合がいいでしょうし」

「さんせー!」

 

 言葉は操の上を勢いよく飛び交い、話は勝手に進んでいく。どうやら操のポジションは既に救護所と決まっているようだった。しかしそれに悪い気はせず、ニッと笑う。

 要救助者が傷病者のフリをしていようと、血液が血糊であろうと関係ない。せっかくこのようなステージを用意してもらったのだ。操はこれを活かして、本当に災害が起こった時のための糧にしてみせる。

 しかし、そんな彼らに水を差す存在もいるわけで──。

 

「ハッ、出たよ雄英のポイント稼ぎ」

「仕切りたがりというか、なんというか──……自分たちが一番だと思ってそうだよねェ〜」

「よりによってなんでステインの妹が要なんだか……」

「他にも受験者はいるんだけど?蚊帳の外って感じ……?」

「つかまだ試験始まってねぇんだけどな。ウケるわ」

 

 雄英高校が身内で盛り上がっていると、一部の受験者からは冷たい視線が注がれた。そして心無い言葉が、容赦なく降りかかる。むしろそれは、わざと聞こえるような音量で呟かれていた。それに気がついたクラスメイトたちは一旦会話をやめるが、芦戸なんかは眉を釣り上げて、声が聞こえた方向を睨んでいる。彼女は一次試験の操のことがあり、陰口に敏感になっているのだろう。

 USJのヴィラン侵入から始まり、ステインの事件、そして神野の一件から雄英高校に不信感を抱くのは仕方がない。特に操はマスコミに「敵連合と繋がっているのではないか」と全国放送で言われた人間だ。それを信じていない者もいるが、信じている者もいる。そして操が医療ヒーローと医者を目指し始めたのは体育祭より後のこと。つまり、他校生からしたら何故操が持ち上げられているのかわからない状況だった。故に──雄英が仕切り、ポイントを独占しているように感じたのだろう。

 彼らは雄英でも士傑でもないヒーロー科の生徒だ。中にはその二校を受験し、落ちた者もいるだろう。それでも、雄英高校一年A組よりは一年長くヒーロー科としてやってきたプライドがある。簡単にA組の生徒たちに従ったり、協力する理由がなかった。

 そして何より、これは試験だ。みんな自分がヒーローになるため、試験官に「自分の個性は有効である」とアピールがしたい。要するに彼らは"他人より──雄英より自分が目立ちたい"のだ。

 操は一歩前へ出ると、彼らの顔を覗き込む。そして、躊躇いなく口を開いた。

 

「お前たちの言うとおり、試験は始まってない。けれど試験内容が周知されたからこそ、どう動くか話し合っていた。これが、ポイントに加算されるのか?」

「……はァ?」

「だから、試験前に話し合うことがポイントに加算されるのか、と聞いているんだ」

「……そんなわけないじゃん。そんなの、考えればわかるでしょ?」

 

 "ポイント稼ぎ"の揚げ足をとったかのような操の発言に他校生はムッとした表情を浮かべるが、操は「やっぱりそうだよな」と不思議そうな顔をしていて気にする様子はない。悪意を悪意と受け取らないその対応に、彼らに苛立ちが募る。

 なんだか休憩室の空気が悪くなってきた。数名の受験者や雄英高校の生徒たちはそう思うが、空気の読めない操が気付く筈もなかった。むしろ操は何故彼らが雄英に対して悪意を向けているのか、理解しようとしていない。「雄英が気に食わないだけ」の面々の気持ちなど、理解するつもりもない。何より命が関わる現場において"他人より自分が目立ちたい"と思う感情など、理解したくないのだ。

 

「仕切っているつもりはないが……そう見えたのなら悪かった。みんな本気なんだ。でも、試験を本気でやることは別に悪いことじゃないだろう?わざわざ次の試験内容が明かされたんだ、この時間は有効に活用すべきだ。お前たちは雄英の体育祭を見ていたから私たちの個性がわかるかもしれないが、私たちはお前たちの個性を知らない。……そうだ、ならばここで軽く得意分野について話さないか?お前は何ができる?」

 

 操の発言に呆気に取られた他校生たちは、数秒するとハッとしたように気を引き締めた。悪意を向けたのに悪意で返されず、それどころか嫌な顔ひとつせず"試験前に対策を立てることの重要性"について説かれたのだ。おまけにこちらの個性まで聞き出そうとしている。

 雄英に口出しした受験者たちは、思った回答や反応が得られず、煮え切らない思いでいっぱいになった。だから彼らは操を睨みつけると、なるべく鋭い言葉を探す。何故なら、雄英なんかに──ヴィランの妹なんかに屈するつもりはなかったから。

 

「……個性について、おまえに話す理由はないよな?」

「その場で臨機応変に対応したほうが、ヒーローとして必要なスキルだと思いますけど〜?そこんとこ、雄英様はどう考えるワケ?」

「それもそうだな。きっと現場で初めて会うヒーローは多い。そんなとき、瞬時に連携するのも必要なスキルだろう」

「だったら──」

「けどな、さっきも言ったが時間があるのに話さないのか?これが本当に災害現場で、ここが移動中の車内だとして。現場には被害者がいるのに"その場で臨機応変に対応しましょう!"って、ありえなくないか?」

「──っ、そうだけど!……これは試験でしょ!?」

「被害者だって本物じゃねえ。HUCっつープロがやってるって説明があったろ!」

 

 その言葉の意味が理解できず、操は少しだけ考え込む。なるべく細かく噛み砕いて、咀嚼して、飲み込んで──それでも理解できなかったから、操は視線を彼らに戻した。

 彼らはまるで、心の中を見透かされたかのように狼狽している。時おり視線を彷徨わせ、唇を噛み締めながら額に汗を浮かべていた。しかし、なんとか身体だけは立ち向かうようにして操に向けられている。

 操はそんな彼らの様子を不思議に思いつつも、自身が思ったことを淡々と告げるのだ。

 

「試験とか、偽物とか関係ないよ。勉強と同じだ。試験(練習)で出来ないことは、本番でもできないぞ」

「──……ッ!」

 

 操の言葉は相手の一番弱い部分を明確に狙い、刺し貫いた。その瞬間相手の感情は火薬のように炸裂するが──それが被弾する前に、その空間に新たな人影が割って入る。

 その場に勢いよく割って入ったのはA組の上鳴、瀬呂、切島だった。彼らは咄嗟に操をヘッドロックすると、一旦辺りを見渡してから勢いよく頭を下げたのだった。

 

「ギュエッ」

「うちの赤黒が言い過ぎましたァ!ごめんなさァい!!」

「喧嘩売ってるつもりはねぇっつーか……!その、ちょっと……正直者というか……!なんかすんません!!」

「オラァ!おめーも謝れ!」

「な゛ん゛で」

「やっぱ喋んな!」

 

 スパァンッと軽快な音をたてて操の頭が叩かれるが、操は不満そうな表情をしたまま大人しくヘッドロックをされている。個性の関係上、呼吸をしなくても問題ないので苦しくないのだ。ただ、密着されているのが少々鬱陶しいだけだった。

 しかし先程の空気とは打って変わって騒がしくなった休憩室に、A組の面々は安堵のため息を漏らした。そして雄英を非難した他校生は気まずそうに目を逸らし、成り行きを見守っていた受験生はそれぞれ思い思いの感情を抱く。

 仕切りたがり、ポイント稼ぎ。そう言われたA組の面々は、当然だがいい気分はしなかった。しかしA組の大半は操より社交性を持っていて、試験前から他校生と喧嘩するつもりはない。だって今目の前にいる彼らはライバルであっても、()ではないのだから。

 

「……そ、その……本気でやった方がお互いのためになると思いますし……試験ですけど、ここは協力しませんか?」

「……協力?」

「ええ。私たちは一年生でみなさんより知識も経験も劣ります。ですが、ヒーローに年齢は関係ありません。傷病者が求めるのは、きっと"誰でもいいから助けて欲しい"ということだと思うんです」

「それに災害現場では常に迅速な対応が求められるでしょう。だから僕たちは貴方がたの力を借りたいし、力を合わせて人を助けたいと思うのです!」

 

 緑谷、八百万、飯田が前に出てそう説得すれば、他のクラスメイトたちも同じように言葉を紡ぐ。「今からお互いの個性を知っておいた方が、今後連携がとりやすいかも」とか「今回通過人数が発表されていないから、全員で合格を狙うべきなんじゃないか」とか。そんな言葉に、傍観者であった受験者たちも、徐々に此方へ視線を寄越しつつある。言葉の節々に、自分たちにとってメリットを感じたのだろう。

 責めるのではなく、相手の主張を受け入れる。雄英(こちら)だけの利益ではなく、相手へのメリットも提示した上で協力を仰ぐ。そんな風に、あっという間に場の雰囲気を一変させたクラスメイトたちを、操はぱちぱちと瞬きしながら見つめていた。そして、あの夜の問いを思い出す。

 

『ステイン妹。もう一度聞こう、俺の仲間にならないか?』

「──……、」

 

 "何か"に気付かされた操は、はっと息を呑んで目を丸くした。

 操は自分が正しいと思ったことをして、正しいと思った言葉を告げただけだった。けれどその言葉が刃となり、取り返しのつかないことになるのだと知っている。

 人生は誰かに決めてもらうものではない。自分で決めて、信じて進むのものだ。操の選択は操だけの正解で、他人が賛同するかは無関係である。それでも、他者と共存し生きていくこの社会で"操の選択肢"は、どうしても他者に影響を及ぼしてしまうのだと──……あの日、学んだつもりだったんだけど、なぁ。

 

「えっと……その!私の名前は麗日お茶子です!個性はゼログラビティ。触れたものの重力をゼロにできるので、浮かすことが出来ます!なので、えっと……主に瓦礫の撤去で役に立てるかと思います!」

「ケロ、私は蛙吹梅雨よ。フロッピーと呼んで。カエルっぽいことなら大体できるわ」

 

 勇気を出した麗日が自身の個性ついて話せば、それに続いて蛙吹や他のクラスメイトたちも順番に声を上げていく。すると士傑高校の夜嵐が「試験にも全力全霊!雄英流石っス!!」と大きな声で前置きをしながら、自身の個性について語っていた。そして同じく士傑高校一年である口田も、口下手ながら必死に自己紹介をしている。

 そんな士傑高校一年生たちの行動が追い風となったのか、他校生たちは次第に目を合わせぽつり、ぽつりと己の個性について話し始めた。すると休憩室は次第に、自校の生徒同士で固まるのではなく、それぞれ似たような個性を持つ者たちで集まるようになっていた。そんな中、操にヘッドロックをしたままの上鳴が声を上げる。

 

「赤黒さァ……お前のマジレス光線、超火力なんだって。ほんと気をつけろよ」

「…………そうだな、悪い」

「……ま、それが赤黒っぽくもあるんだけどなァ」

「そうそう。実際お前の言葉がきっかけでこうなったわけだし」

「……場を荒らしただけだろう。私一人じゃ、こう(・・)はならなかった」

「まァ……なんだ。そういう苦手な部分はお互い補っていくっつーか……フォローはすっからさ」

「俺たちのことも、フォローしてくれってな」

「試験落ちたくねぇから!頼むぞマジで!」

「いや必死か!」

「……」

「とにかく……もう過ぎたことは気にすんなって。せっかくいい雰囲気なんだし、次の試験も頑張ろーぜ!」

 

 首を締め付けていた腕が離れ、操は姿勢を正して前を向く。すると上鳴、瀬呂、切島は仕方なさそうな表情をしながらも笑っていた。そして操に背を向けると、自己紹介の輪の中へ入っていく。操は彼らの後ろ姿を眺め、そして次に他校生と真剣に話し合うクラスメイトたちを眺めた。

 操の選択は操だけの正解で、他者が賛同するかは無関係である。でも、きっと賛同してくれた方が嬉しいし、行動を起こしやすい。操の選択次第でみんなが幸せになるのなら、無関係だと切り捨てるのは早計である。そして何より、操が間違えたらこうやって救けてくれる人がそばに居るのだと、改めて理解した。

 人生は苦しいだけではないのだと、操は生きているだけで実感できる環境にある。それはどれほど幸福なことなのだろう。きっと、誰もが手に入れられる環境ではない、特別ものだろう。

 操は一度深呼吸をすると、空の見えない天井を見上げた。ヴィランになった兄を追いかけてきただけの旅路。ヒーローになるための通過点。それでも操は雄英に来て、 A組に出会えてよかったと心から思うのだ。そう考えながら、操は三人に続くようにして輪の中に入る。すると視線が一斉に向けられるが、先ほどと違って鋭いものは見当たらなかった。

 

「私の名前は赤黒操。気軽に、操ちゃんと呼べ!個性は操血。自分だけでなく、他者の血液を操作することが可能だ。それ故、現在はヒーローと医療ヒーロー、そして医者になるために勉強中。……まだ医療ヒーローや医者としては未熟もいいところだが、休日は病院で課外授業をしてもらってる。だからトリアージの判定や簡単な診察、止血、輸血、疲労回復はできるぞ」

 

 操のその言葉に、多数の受験生が驚いているのが空気で分かった。何故なら「有名になりたい」「ヒーローになったらこんな事がしたい」と副業を考える者は数多くいても「医者になろう」と考える者はいないからだ。

 雄英でなくとも、誰もがヒーロー科として多忙な毎日を送っている。そんな中医療ヒーローと医者を同時に目指すなんて、どれほど忙しいのか想像もつかなかったのだ。

 その後受験生たちは、軽食を口にし体力を回復しながら、自己紹介や二次試験での立ち回りについて話し合っていく。そんな中、無数のおにぎりを抱える操の側に一人の少女が駆け寄った。操はその時、コンビーフおにぎりを頬張っていた。

 

「あ、あのぅ……」

「……ん、なんだ?」

 

 自信なさげに声をかけられ、操はおにぎりを咀嚼しながら振り返る。視線の先にいた少女は、真っ白なヒーロースーツを身に纏っていた。

 襟のついた半袖のシャツに、膝丈のエンパイアスカート。肘から指先は長い手袋で覆われており、ブーツには赤いラインが入っている。そして肩から斜め掛けされた革製のバッグは、色々なものが詰め込まれているのか随分と分厚い。そんな鞄以外真っ白な、ヒーローらしくない受験生を操はじっと見つめた。話しかけてきたからには、何か用があるのだろう、そう考えたからだ。

 操に声をかけた少女は恥ずかしそうに俯きながらも、意を決して操の目を見る。そしてゆっくりと、口を開くのだった。

 

「その、ぼ、僕……与奪(よだつ)キミ子って言うんだ。その、赤黒……さんと、話をしてみたくって……」

「キミ子か。気軽にもぐもぐ操ちゃんでもぐいいぞごくん。よろしく」

「えっ……!?あ、うん。じゃ、じゃあ操ちゃんって呼ぶね……!」

 

 彼女は操の距離の詰め方に驚いた様子で目を丸くしていたが、直ぐににっこりと笑ってそれを受け入れた。その笑みは純粋無垢そのもので、操に対して嫌悪感など一ミリも抱いていないのだと感じる事ができる。

 与奪(よだつ)キミ子。雄英でも士傑でもない、他校の二年生。彼女は小動物を思わせる雰囲気を発していて、お世辞にも強そうには見えない。しかし白いコスチュームが汚れていないのにも拘らずあの一次試験を突破したのだから、それなりには強いのだろう。

 キミ子は両手の指先をいじいじと絡めつつ、操と地面を交互に眺めている。そして目が合うと、照れくさそうに微笑んだ。A組にはいないタイプの彼女に、操はちりめんじゃこおにぎりを頬張りながら不思議そうに首を傾げる。何故彼女が声をかけてきたのか、わからなかったからだ。しかしそんな操の雰囲気を察したのか、彼女はごくりと唾を飲み込み、意を決して語りだす。

 

「その……本題、話さなきゃだよね。えっと、まず……僕の個性は【生殺与奪】。触れたモノ(・・)の体力や個性……えっと、個性を使うエネルギーをね、奪う事ができるんだ。でも、奪うだけじゃなくって与えることもできるんだ!だからその、将来的には医療ヒーローを目指してて……」

 

 ──生殺与奪。

 それは生かしたり殺したり、与えたり奪ったりと自身の思うままに相手の生殺を握ることを示す言葉だ。

 そして彼女の個性もその名の通り、触れた相手の生命力や個性エネルギーを奪い、他者に分け与えることができるものだった。しかし彼女の個性の「奪う」とは、根本から奪うことではなく、あくまで"今貯蓄されているエネルギー"を奪うことを指す。それ故、奪われた相手は時間経過によってエネルギーを回復させることが可能だった。そしてなにより、彼女の個性は生物だけでなく、無生物のエネルギーも奪うことが可能だった。そのエネルギーを己の中で変換し、生き物である他者に分け与える事もできる。勿論、その逆も然り。

 そんな恐ろしい個性を持ち、生殺与奪の権を握っているキミ子だったが、本人は無害そうな表情でにこにこと笑っている。どちらかというと、彼女はとても庇護欲を掻き立てられるような見た目をしていた。

 

「えっとね、つまり……僕は操ちゃんが医療ヒーローを目指してるって言ってたから……その、お話しして見たいなって思ったんだぁ」

「……個性が、生殺与奪?」

「う、うん……その、個性はヒーロー向きじゃないと思うけど、でも僕は──」

「それはいい!実はな、私は体力を無限に回復することができるんだ。だからキミ子が私の体力を使い、それで傷病者を回復させよう。その個性で傷の治療は出来るのか?」

「えっ……!?……えっとね、傷を回復させるとなるとね、例えば……操ちゃんの"再生力"を奪わないと難しいんだぁ……」

「成程な。そうなると傷病者の疲労回復やヒーローの個性回復が主な役割となるわけか」

「うん。……あんまり役に立てなくて、ごめんねぇ……」

「フ、そうしょげるな。傷の再生なら私が……多少はできるから問題ない。なによりお前と私の個性が合わされば、きっと死人を減らせるぞ」

「!……そうだよね。僕も、僕もね!そう思ったから操ちゃんの所に来たんだ!」

 

 操とキミ子が盛り上がっている中、遠くでは雄英と士傑──轟と夜嵐──が話していたのだが、二人は自校のことを忘れ、お互いの個性で何ができるのかを話し合うことに夢中になっていたため、気が付かなかった。

 操の【操血】では傷病者の出血を抑え、呼吸の補助を行う事が可能だが、精神面のサポートはできない。しかしキミ子の【生殺与奪】は肉体や個性そのものを奪うことは不可能であっても、精神エネルギー──つまり痛みや苦痛、恐怖といった感情を奪う事が可能であるというのだ。そのため、操ができないことをキミ子が行い、キミ子が出来ないことを操が行うことが可能となる。

 しかしキミ子が痛みや苦痛といった負の感情を奪った場合、キミ子本人がその感情を受け取ることになってしまうのだが……彼女の個性はそれだけでは終わらない。

 個性【生殺与奪】は奪ったエネルギーを無生物──つまり瓦礫などに与える事が可能であるという。つまり、痛みや恐怖といった感情を一時的に取り除き、無生物に流すことで人々を精神的に安心させる事が可能であるというのだ。

 

「恐怖や苦痛の感情が大きければ多いほど、その感情を受け取った無生物へのダメージは大きくなっちゃうんだけど……パニックを起こしている人には、有効に使えるかなって……」

「成程な。今回の試験でその有効性が証明されれば、医療ヒーローとして個性を使用する許可が降りるということか」

「うん!だから僕としても、今回は本気で挑戦を──」

 

 二人がそう語っていた時だった。突如、休憩室は耳を劈く警報音で溢れかえる。

 受験者たちは突然のことに、一斉に顔をあげた。驚いたように辺りを見渡す者や、肩を跳ねさせる者がいる中で、冷静に準備体操を行う者もいる。そんな受験者たちの行動を待つことなく、けたたましく警報音は鳴り続けた。

 非日常は突然訪れるものだ。だから我々ヒーローは、それに順応しなければならない。

 

《敵による大規模破壊が発生!規模はxx市全域!建物倒壊により傷病者多数!繰り返します──……》

「きっと演習のシナリオね」

「え!?じゃあ……」

《道路の損壊が激しく救急先着隊の到着に著しい遅れ!到着するまでの救助活動はその場にいるヒーローたちが指揮をとり行うこと》

「……っ、ついに」

「二次試験が始まるな」

《君たちヒーローの任務は、"一人でも多くの命を救い出すこと"!!》

 

 休憩室であったプレハブ小屋の壁が四方に倒れると、そこには地獄が展開されていた。

 ヴィランの暴力を前に、積み木のように崩れた住宅街。原型をかろうじて留めているものもあれば、木っ端微塵に砕け散ったものもあった。柱は朽木のように折れ曲がり、壁は今も尚脆く崩れ落ちていく。剥き出しの鉄骨は所々焦げ、まるでそれが酷い傷のようだった。押しつぶされて割れた窓ガラスが、辺り一面に散乱している。そんな中で微かに聞こえた、悲鳴や泣き叫ぶ声。

 遠くで火災が発生しているのか、向こうの空で黒煙が立ち上っている。二次災害の恐れがあるが、そこに人がいる以上──我々ヒーローは彼らを救い出さなくてはならない。

 

《──START!》

 

 それは神野の悪夢(あの夜)の再現だった。

 倒壊した街並みを見渡すと、ドクリと心臓が強く脈打つ。一夜にして多数の命が消えたあの夜は、まさに地獄そのものだった。強大な力を前にして、成す術なく消える灯火。赤い血が、地面に染み付いて消えそうにない。

 しかしあのときと異なる部分を上げるとするならば、操は要救助者でなくヒーローとしてこの場に立っていることだろうか。それを自覚したからこそ、操の顔つきは一瞬にしてヒーロー(ステンレス)のものになる。

 

「キミ子、やるぞ」

「……えっと、本当にいいの?」

「何が」

「……これは試験だから、その……傷病者の体力はあまり減ってないと思うんだけど……」

 

 生殺与奪の個性を持つキミ子に向かって手を差し出せば、彼女は戸惑ったようにその手を眺めていた。

 その間にも、救助のために数多くのヒーローがこの場を飛び出していく。そして壁のなくなった休憩室を救護所にしようと奮闘しているヒーローがいる。事前に話し合ったからか、他校生であれどその連携はスムーズだった。救護所に傷病者が運ばれてくるのも、時間の問題だろう。

 

「言っただろう。私は体力を無限に回復できると。それとも……試験とは言え常に個性を使い続けることに躊躇いがあるか?」

「……ううん、悩んでいる僕が間違っていた。試験でできないことは本番でもできない、だったよね」

「……!フ、その通りだ」

 

 彼女は意を決したように前を向くと、操の手を掴んで躊躇なく体力を吸い上げた。それに負けないよう、操も自身の体力回復に努める。そうして暫くすると、キミ子は淡く温かな色で発光した。どうやら、自身の容量を超えても尚エネルギーを奪うと、このように体外に溢れてしまうらしい。

 体力の譲渡を終えた二人が背後を振り返ると、簡易的な救護所からは机が退かされ、広々としたスペースが出来ていた。おそらくそこに傷病者を寝かせるのだろう。ならば次に決めなければならないことは、誰がどこ(・・)の傷病者を担当するかだった。

 操たちがその場に駆け寄ると、先に準備をしていたヒーローは手を止めることなく声を上げる。

 

「手前でトリアージの判定を行う予定よ。緑は右、黄色は中央、赤は左。そして一番奥が……」

「黒か」

「……ええ」

 

 トリアージとは。多くの傷病者がいる状況において、傷病の緊急度や重症度に応じて治療や搬送の優先順位を決めることである。要するに操たち受験者は、一刻を争うこの現場において命の選別をしなければならない。

 トリアージが色分けされているのは、一目見て傷病者の緊急度を見分けられるようにするためだ。生命の危険がなく、急いで処置を受ける必要のない「緑」。呼吸、脈拍、意識状態に異常はないものの、自力で歩行することが困難な「黄」。脈拍、意識状態に異常があり、生命危機が迫っているが、比較的短時間で行える処置で救命できる可能性が高い「赤」。そして既に心肺停止の状態であるか、救命の見込みがない「黒」。

 優先度の高さは赤、黄、緑、黒の順である。しかし原則として、傷病者の状態は時間と共に変化するため、トリアージは繰り返し行う必要がある。つまり赤が黄色になることもあれば、赤が黒へ悪化することもあるのだ。

 

「傷病者が運び込まれたら、まず私がトリアージの判断を行うわ。……これでも、救助の授業は学年トップなの」

「じゃあ俺は、黄以上の傷病者の誘導をしよう」

「ぼ、僕……体力を回復させることができるんだ!だからその、傷病者を見て回って体力を回復させつつ、繰り返しトリアージの判定を行っても……いいかなぁ……?」

「いいぞ。私は赤と出血している黄タッグを中心に診よう。緑や骨折、捻挫の黄タッグは任せていいか?」

「勿論、任せておくれ。でも、生憎ギプスは持ち合わせていないんだよね……」

「それなら俺、机を削ってギプスに使えそうな板を作ったんだが……これ使えないか?」

「ちょっと硬いかもしれないけれど……今はそれを使おうか」

「私のクラスメイトにギプスを作れそうな奴がいる。百っていうんだが……胸元丸見えで背の高い女が来たら頼んでおいてくれ」

「了解。……なんとなく、誰だかわかったわ」

「よかったら、みんな僕の包帯使って!こいう時のために、いっぱい持ってきてるんだ」

 

 操たちはそれぞれ持ち場を確認し、お互いを信頼し頷き合って──その場から背を向けた。何故なら、既に視界の先には傷病者が見えていたからだ。

 災害現場から運ばれてきた傷病者は老若男女関係なく、等しく傷を負っていた。背負われ、抱えられたまま運ばれてきた意識のある傷病者は、その場で立てるかどうかの確認を行い、緑か黄に振り分けられる。見るからに意識がないか異常が見られるものは、黄と赤の間まで運んでもらい、その場で操やキミ子が判定。操は救護所担当のヒーローと連携をとりつつ、優先順位の高い傷病者から診察し、治療をしていく。

 主に操が担当するのは、出血量が多く生命危機が迫っている傷病者だった。

 

「こ、この方頭を打って意識がハッキリしてません!」

「こっちだ、そこに寝かせてくれ。そっとな」

「は、はい!お願いします!」

「ああ。……もしもし、この声が聞こえるか?」

「う……ぅ……痛い……いた、い……」

 

 運ばれてきた赤タッグの傷病者は、頭部からの出血が酷かった。意識が朦朧としているのか、譫言の様に言葉を紡いでいる。だから操はできるだけ優しく、けれどハッキリと声をかけた。そして額から流れ落ちる血液を掬い、そっと口に含んだところでその"異変"に気が付く。

 ──そうか、そういえば偽物だったか。

 口に含んだ血液が血液ではなかったため、傷病者の容態や出血量等、知りたい情報を得ることが出来なかった。だから操は傷病者の情報を得ようと脈に手を伸ばしたが、脈拍は正常。どうしたものかと、刹那的に考える。

 運ばれてくる傷病者はみな演技が上手く、本当に怪我をしているように見える。しかし今は、二次試験の真っ最中だ。血糊では操の【操血】を使用し、治療をすることができない。その場合、どうやって治療すればいいのだろう──とそこまで考えてから、操は思い直す。

 そもそも操血の個性はあくまで治療のサポートであり、医者として絶対になくてはならないものではない。個性がないと何も出来ない医者やヒーローなど、こちらから願い下げである。操は学んできたことをいつも通り行えばいい。そのために、寝る間も惜しんで勉強してきたのだろう?

 

「今から安全な場所で、あなたの治療を行う」

「たすけ、て……たす……け……いたい、痛い……!」

「大丈夫。私が必ず救けよう」

 

 ──出血量と出血箇所、意識の状態から、傷病者の容態を診断しろ。操はそう心中で唱えてから、目の前の患者を診た。

 呼吸は浅いが、肺に異常は見られない。おそらく身体が緊張している関係で、副交感神経の動きが抑えられているのだろう。脈拍は正常だが、この出血量だ。おそらく通常であれば、脈拍も正常ではない。傷病者に意識はあるものの清明ではないことから、この人は脳にダメージを負っている可能性が非常に高い。そうなると一次的な脳機能の障害が濃厚だろうか。見た目から察するに、頭を強く打ち付けたのだろう。その場合まずは操血の個性によって脳に酸素を送り、意識を回復させながら頭部の傷を止血することが最適か。そして体力を回復させつつ、傷病者に声をかけながら楽な姿勢を取らせよう。

 一秒にも満たない時間でそう診察すると、操は相手に声をかけながら優しく身体を支え、適切な体位へ変えていく。その時に事情を説明(・・)するのも忘れずに。

 

「……まずは私の個性で血中に酸素を回そう。頭部の傷や出血量から、あなたは脳にダメージを負い脳機能が一時的に低下している可能性が高い。なので、私の個性を使って脳に十分な酸素を届ければ……次第に意識は清明になるだろう。同時進行で止血と体力回復も行い、楽な体勢を……っとその前に。もしもし、この声が聞こえるか?何か返事ができるかな?」

「……!……あれ、……ここは……?」

「いまはね、安全な場所であなたを治療しているところだよ。安心していい、もう大丈夫だ」

 

 ぐったりとして虚だった男の瞳は、僅かな光を取り戻す。操はそんな彼を安心させるよう穏やかに笑い、力強くその手を握って身体を支えた。

 傷病者にとって適した姿勢を保つことは、呼吸や循環機能を維持し、苦痛を和らげ、症状の悪化を防ぐのに有効であると言われている。しかし一番大切なのは、傷病者の希望する楽な体勢を取らせることだ。

 操は学んだ知識を思い出しつつ、彼に痛みや不安感を与えないようしっかりと支えながら、適した対位へ変えていく。

 

「この体勢は苦しいか?希望する休み方があったら、私に教えてくれないか」

「いや……これで大丈夫だ……」

「そう。それはよかった」

 

 頭部に傷を負っている場合、半座位という体制が症状をこれ以上悪化させないために有効である。だから操はヒーローによって運び込まれた毛布を数枚積み上げ、山のような形にする。そしてそこに傷病者を寄り掛からせるようにして座らせた。

 こうして傷病者の診察を終えた操は、彼の前で膝をついたまま小さく微笑む。そして「私は医療ヒーロー、ステンレス。気軽にステンちゃんと呼んでくれ。あなたたちを救けに来た、ヒーローの一人だ」と自己紹介を交えつつ、状況を簡潔に説明する。「この後の治療は別のヒーローに変わるよ。何があったらいつでも駆けつけるから、安心してくれ」。そして操は、静かに立ち上がる。何故なら背後に人の気配を感じたからだ。

 操が振り返ると、予想通り背後には包帯やガーゼを抱えたヒーローが立っていた。操はそのヒーローに傷病者の現状を簡潔に伝えると、速やかにその場から立ち去った。操血の個性を持つ操は、操にしか出来ないことがあるため次の傷病者の治療に向かわなければならないのだ。

 今回のように大規模な被災地では、医療機関がオーバーフローし、救急救命道具は不足する。そんな中で道具を使用せずに血管や傷の修復・体力回復が行える操は、救急先着隊や医者に傷病者の命を繋ぐ役割を優先しなければならない。何故なら、一人で全てこなすにはあまりに救助者が足りず、治療を待つ傷病者は次第に命の危機が迫ってしまうからだ。だから操たちは己の個性が出来る範囲をよく理解し、いかに周囲と役割分担を出来るかが大切なのである。

 そのため操は診察と止血、治療を終えたら直ぐに立ち上がる。そして血液が体内を巡り続けるように、止まることなく駆け回るのだ。

 

「操ちゃん!この人ガラスの下敷きになって血だらけで──」

「ここまで運んでくれ、私が止血をしよう。大丈夫か?痛かったな、でも大丈夫。私が治せるからな。血管や体内に入ってしまったガラスも個性で取り除くことができるから、あなたは安心してくれ。三奈、何処かに瀬呂いるか?衣服にガラスがついている可能性がある。念の為テープで細かい破片を取っておこう」

「う、うん!探してくるよ!」

「止血後の対応は代わります!」

「助かる、あとは頼んだ」

 

「お願い助けて!血が止まらないの!死んじゃう、このままじゃ……っ」

「見せてくれ……首を切ったのか。血がたくさん出て怖いよな。でも大丈夫……ほら、もう止まった。私の個性で血管を修復した。傷口も瘡蓋にしたから、もう血は出ないよ。安心して、貴方は死なない。……ただ、血をたくさん流しているから安静にしたほうがいいな。ここに座ろうか。それとも横になったほうが楽かな?どっちがいいか、私に教えてくれないか」

「あっ……じゃあ、寝ようかな……」

「わかった。毛布を持ってくるから、ちょっと待っていろ」

 

「この子、火傷をしてます!」

「私が診よう。大丈夫か?痛かったな、でももう大丈夫だよ。……上腕の熱傷か、けど意識はしっかりしているな。出血も少ない、他に怪我はなさそうだ。なら、向こうに水道がある。痛みがなくなるまで冷やし続けてくれ。あ、衣服の上からでいい。脱がせるなよ」

「わかりました!」

 

「──その人、意識がないな。状況を説明してくれ」

「お、おう!長時間瓦礫に挟まっていた人で、瓦礫を退かして救助したら、さっきまで普通だったのに急に意識がなくなっちまって……!」

「そこに寝かせて。……クラッシュ症候群かな。長時間の圧迫から解放されたとき、血中に蓄積した毒素が一気に広がって心臓機能にダメージを与えることがある。最悪の場合、死に至る恐ろしいものだ。だが、血中の毒素なら私が全部取り除くことができるから問題ない」

「……俺は毛布を集めて休める場所を作っておく!」

「ああ、頼んだ」

「ねぇ、ママ死んじゃうの?ずっと起きないよ!……死んじゃったの?」

 

 横たわる傷病者の横で膝をつき治療を進めていると、操の横に一人の少年が駆け寄った。彼は泣き腫らした顔をして、横たわる女性に縋り付くようにして抱きついている。ママと呼ぶからには、この傷病者は少年の母親なのだろう。

 操は片手を傷病者から離さぬまま、残りの手で少年の頭を撫でる。そのまま流れるようにするりと首元を触り、脈を計測。顔や身体を観察し、怪我の有無を確認する。

 うん、かすり傷はあるが軽傷だ。肉体的には問題ないだろう。けれど彼に必要な治療は──。

 

「大丈夫、キミのママは死なないよ」

「どうして……どうして言い切れるの?今だって目を覚さないのに……!」

「どうしてって、私がここにいるから」

「──……、」

「私はヒーローで、医者だ。だから安心しろ、必ず救けてみせる」

 

 ヒーローであろうと、医者であろうと、救えない命は数え切れないほど存在する。けれど操とこの場にいるヒーローは、全力で手を尽くして命を繋ごうと思っているのだ。言葉の通り、必ず救けようと本気で思っている。だから操がこの場で堂々と"宣言する"ことによって、目の前の少年と周りにいる傷病者の希望になれたらと考えるのだ。

 このような大規模な被害では、全ての人の心に影響を及ぼすだろう。この影響が"異常な出来事に対する正常な影響"だとしても、要救助者に降りかかる心の負担を少しでも軽減することは、彼らが今後生きていくためにも非常に大切なことである。

 災害時、被災者に現れるストレス反応は被災者自身の性格や状況の深刻さによって異なるものの、その反応は身体・思考・感情・行動に大きく現れる。特に被災直後は急性期というストレス反応が彼らを襲い、被災者は心拍数や血圧が増加し、発汗などの症状に悩まされ、物事を合理的に考えることができなくなる。そんな心の傷は、被災者たちを長い年月蝕んでいく。

 肉体の負傷に対してはトリアージで判定されるが、目に見えない心の傷はそうもいかない。本来なら、心の傷に対してもトリアージが必要であろう。軽傷だから大丈夫なんてことは、絶対にあり得ないのだ。そんな時、操は彼らを言葉や行動で元気付けることしか出来ない。しかし彼女なら──。

 

「そうだよ。僕たちが全員救けるから!だから大丈夫だよ!」

「あ……あれ?なんか──」

「お母さんと一緒にあっちで休もう。歩ける?僕が背負おうか?」

「……ううん、大丈夫」

「そっか。キミはすごいね!でも危ないから、僕と手を繋いで行こうか」

「うん!」

 

 与奪(よだつ)キミ子。災害現場において長年の課題となっているこころのケアについて、独自の治療法を持つ存在。彼女は自身の個性を使い、少年の負の感情を取り除く。そして自身が持つ「大丈夫」という安心感を与えることで、彼の気持ちを一時的に落ち着かせたのだ。本当に、凄い個性だ。

 操にはどれだけ頑張っても出来ない芸当である。そんな彼女に、操はアイコンタクトを送った。「ありがとう」「よく来てくれた」「助かった」。言葉にすれば数秒時間を食ってしまう言葉である。しかし彼女には一瞬の視線で通じたのだろう、照れくさそうに笑った表情のまま前を向き、他の傷病者の元へ駆けて行った。それを見て、操も彼女から目を離し足早に移動する。

 誰かを救いたいのなら、目を閉じて祈る暇などないのだから。

 

「赤黒さん!」

「出久!……っと、その子を私に見せてくれ。頭部を怪我しているのか」

「あっ、うん!でも受け答えはハッキリしていて、おそらく緑に振り分けらててて……」

「こんにちは、僕。傷口を少し見せてくれるか?痛かったら、教えてね」

「う……うぅ……ぐす……っ」

「……うん、大丈夫だ。この傷なら、私が直ぐに治して見せよう。痛いのによく頑張ったな」

 

 次の傷病者を治療しよう。そう思っていた操の視界に飛び込んできたのは、クラスメイトである緑谷と彼が抱える少年だった。腕の中の少年は頭部を怪我しているのか、額や帽子が赤く染まっている。

 操は足早に二人の元へ駆け寄ると、早々に少年の傷を確認した。瞼に近い部分を切っているからか、出血が多い。しかし傷自体は深くないため、簡単に止血することが出来るだろう。ただ、少年は突然のことに驚いているのか、涙を流して痛みを訴えている。

 

「ひっ……えぐ、……痛い……痛いよう……!」

「ちちんぷいぷい〜、ステンレス!さあどうだ、呪文を唱えている間に出血は止まったぞ。傷口も瘡蓋になった。それに……声をかけながら個性を使用し体力を回復させ、酸素やエネルギーを増やして全身に回すことで身体が本来持つ再生力や治癒の活性化を爆発的に早くしたから、痛みも徐々に引いていくだろう」

「(操血の個性が使えないから解説をしてる!?)」

「……ぐすっ……あれ、ほんとだ……いたくない……!?」

「フフ、そうだろう?なんたって君の目の前にいるのは、ヒーローであり医者なのだからな!もう大丈夫だ!」

 

 操が自信満々に笑えば、緑谷が抱えていた少年は腕で涙を拭ってその笑顔を見上げる。少年は表面上、ヴィランの戦闘に巻き込まれた不運な子どもであるが──その正体はHUCという要救助者のプロだ。ヒーローの卵たちがこのような現場でどのような行動をし、傷病者にどんな言葉をかけるのか、くまなく観察をしている試験官の一人である。

 彼の目の前にいるのは、赤黒操という高校生だ。彼女はヒーロー殺しステインの妹であり、ある意味ステインの被害者。両親から虐待を受けた過去を持ち、そんな彼らの死を間近で見た子ども。それなのに善性を持ち、雄英高校に通う生徒。加害者家族。神野事件の被害者。ヒーローを目指しながらも医者を目指す、無謀とも思える挑戦者。

 公安から試験官の依頼を受けたHUCたちは、操を採点する立場にある。少しでもヴィランの要素があるのなら、落とすことだって可能だ。けれど傷病者の出血をあっという間に止血しただけでなく、泣いている子どもを元気づけるために道化にもなれる彼女の姿を、彼は目にした。これは試験であり傷病者は偽物であるというのに、操は恥じることなく全力で演技(治療)に取り組んでいる。傷病者の年齢や傷の深さに合わせて言動を変え、彼女なりの最適解を形にし、何よりも傷病者の心や身体の安全を第一に考えている。そんな操の姿を見て、心なしか周りのヒーローたちもいい影響を受けているように見えるのだ。

 ──赤黒操(彼女)は必ずヒーローになる。悪の道に染まる筈がありません。

 少年はそう断言したプロヒーローの言葉を頭の中で反芻する。確かに彼女は、まだ未熟ではあるものの落とすには惜しい希望の光だ。

 

「(悪くない……だが、ここから(・・・・)はどう対処する……?)」

 

 少年が心の中でそうほくそ笑んだ途端──救護所のすぐ側で、突如壁が吹き飛んだ。

 まるで空間を無理やり引き裂いたような、そんな轟音が辺り一体を支配する。地に響くような重たい物音が臓物を無遠慮に揺らし、視界を焼く赤い炎が脳内で警報を鳴らしている。壁だった瓦礫は頭の上を勢いよく吹き飛んで、遠くの地面に叩きつけられ粉々になった。

 受験者たちは一瞬、その光景に目を奪われた。何が起こったのか、理解するのに時間が必要だったからだ。そして操と緑谷も同様に傷病者から目を離して状況を確認しつつ、彼らを守るようその身を盾にしていた。何故なら、この爆発が救助隊の到着ではないことなど、とっくに分かりきっているからだ。

 

「何だぁ!?」

 

 あまりの衝撃に感情のまま言葉を発する緑谷の横で、操は辺りを見渡して救護所の安全を確認した。見たところ、飛来物によって傷を負った者はいない。だから操は足に力を入れると立ち上がり、この場にいる全員に聞こえるよう「傷病者の安全確保!次に、避難準備!!」と大声で叫んだ。状況把握を迅速に行えるのは、己の個性によって脳を活性化させているおかげか、訓練の賜物か。

 しかし突如として現れた"試練"は、慌てて行動に移すヒーローたちを待つことなどない。何故ならこれは最悪を想定した、試験だから。市井の人々を守るため、ヒーローには複合的な動きが求められる。救助、救護、そして──。

 

「対敵。さぁ、全てを並行処理出来るかな……?」

「ギャングオルカ!?」

「違う。あれはヴィランだ……!」

「……!」

 

 大規模破壊(テロ)が発生しました。そう告げられて始まった、今回の二次試験。大規模破壊によって崩れた街中を、我々受験者たちはバイスタンダーとして救助に奔走する──そんな演習だと、思われていた。

 しかしヴィランが現れたことにより難易度は何倍にも跳ね上がり、プロですら難しいと思わせる案件になっている。ここにいる百人のヒーローたちは、多数の傷病者を守り、救助を続けながらも、ヴィランと対峙しなければならない。その為にはヒーロー同士で連携し、速やかに傷病者を避難させられるかが鍵となる。それが我々に出来るのかを、試験官たちは見極めようとしているのだ。

 それに気がついた受験者たちは、額に汗を浮かべながら土俵際に追い詰められた思いになっていた。何故ならヴィラン役として現れたのはプロヒーローであるギャングオルカと、彼が引き連れた何十人にも及ぶサイドキックだったから。彼はこの間の神野区敵連合掃討作戦において、エンデヴァーやベストジーニストと並んで指名を受ける程の実力者なのだ。まだヒーローとして未熟な受験者たちが、まともに戦って敵う相手ではない。

 

《ヴィランが姿を現し、追撃を開始!現場のヒーロー候補生はヴィランを制圧しつつ救助を続行してください!》

「マジか……そういう……?」

「正気かよ!?ハードル高くねーか!?」

 

 多数の受験者たちが絶望に打ち拉がれる中、操は口元に薄らと笑みを浮かべて前を見た。そして「ありがとう」と、この演習のシナリオを考えた人々に心の中で礼を言う。

 ヴィランの襲撃は想定内だった。何故なら、神野区のあの日も脳無やオールフォーワンが戦っている中で、救助活動が行われていたのだ。この試験があのような最悪な事件を模しているのなら、同じシナリオになる可能性が非常に高い。それにヒーローになってから「最悪」を経験するより、ヒーローになる前に経験したほうが、より最善を掴み取れるようになるだろう。

 だから、ありがとう。この試験内容を考案してくれた人のおかげで、操はよりヒーローとして成長することが出来る。壁は高く、困難なほうがいい。より高い壁の越え方を学んだほうが、きっと"本番"でたくさんの人々を救うことが出来るから。

 操は表情を引き締めると、思案の海に飛び込んだ。ヴィランが救護所付近に現れた理由は一つしかない。ヒーローの動きを制限するため、一般人を人質に取りたいのだろう。人質を取られてしまえば、ヒーローであれど迂闊に動くことはできない。だからここにいるヒーローは、最悪の中で最善を掴み取らなければならないのだ。

 そして操は最悪を想定し、既に布石を打ってある。そのため彼女の四肢には、二次試験前にはあったはずのプロテクターが装着されていなかった。

 

「どう動く!?ヒーローよ!!」

 

 ギャングオルカの言葉を合図に、ヴィランに扮したサイドキックの一人は腕に装着した武器──セメントガンの引き金を引く。勿論、狙いは救護所にいる一般人だ。しかしその弾が放たれることはなかった。

 不思議に思いもう一度引き金を引くと、銃身は不気味な音を立てて暴発してしまう。あたりに勢いよく飛び散ったセメントは、ヴィランの集団に向けて放たれた。一帯には不思議と、血の匂いが充満している。

 

「──何!?」

「よくわからんが好都合だ!みんなを避難させろ!奥へ!ヴィランからできるだけ距離をおけ!」

「真堂……さん!?」

「出久、行くぞ。先ずは避難が優先だ」

「う、うん……!」

 

 操は傷病者の一人を抱えると、ヴィランから距離を取るため駆け出した。真堂という受験生がヴィランの足止めをしている間に、少しでも遠くへ傷病者を避難させなければならない。

 受験生一人の足止めなど、ギャングオルカには容易く突破されるだろう。それでも操たちがなるべくヴィランから距離を取るのは、傷病者の安全確保のためであるのは勿論だが、実はもう一つ理由がある。

 

「どうしてヴィランがここに!?私たち、殺されるの!?」

「早く助けてよ!ねえ早く!!」

「ここは本当に安全なのか!?」

「もっと速く逃げろよ!追いつかれるぞ!!」

「助けて!助けてぇ!!」

「落ち着いて、みなさん!落ち着いてください!」

「うわああああぁぁぁん!!お、おがあさん!!助けてええぇぇぇ!!」

「もうダメだ……みんな死ぬんだ……」

 

 人々の心は恐怖と不安が同時に襲いかかると、思考を制御不能に陥らせる。あっという間に訳がわからなくなって、ヒーローの声など届きやしない。こうして不安は「伝染」する。

 命の危険を感じた不特定多数の人々は、惨事の状況に対して理屈ではなく本能的に対処しようとしてしまう。とにかく逃げるため一目散に駆け出したり、周りの人が見えなくなって押しのけたり、感情が麻痺して身体が硬直してしまったり。差し迫る脅威に対し、正常な判断が出来なくなってしまうのだ。

 このように、人類はパニック状態になると自身を見失ってしまう。しかしこれは異常な行動ではなく、危険から身を守るために起こる正常な反応だった。ただでさえ恐怖や痛みを抱えていっぱいいっぱいなのに、自身の命を脅かすヴィランが現れたのだ。戦う手段を持っていない人々は、逃げることしか選択肢がないのでこうなってしまうのも頷ける。

 しかしパニック状態をそのままにしてしまうと、人々は衝動的な行動を取ってしまうことがある。安全かどうかもわからない方向へ走り出したり、建物の倒壊に巻き込まれてしまったり。その場合、自身だけでなく周囲に危険が及ぶ可能性もあり、この状態を放置しておくのは非常に危険であった。

 だから操たちヒーローは彼らに安心してもらえるよう、行動で示さなければならない。

 

「みなさん!落ち着いてください!大丈夫です!」

「大丈夫なもんか!ヴィランがそこにいるだろう!?一刻も早く逃げないとだろォ!?」

 

 こういった時、冷静な判断が出来る人が極めて重要になる。何故なら、こうした人がリーダーシップを取って周囲を落ち着かせ、適切な行動を取らせるよう誘導できれば、二次災害の軽減に繋がると考えられているからだ。だからまず、ヒーローは絶対に慌ててはならない。

 慌てていたとしても、決してそれを顔や行動に出すな。毅然としたまま、背筋を伸ばせ。ここが安全なのだと言動で示せ。そして最後に──彼らに告げた言葉を、必ず成し遂げろ。

 

「大丈夫だ、落ち着いてくれ。今ここにはあなたたちを守るために、百人のヒーローが駆けつけている!」

「それが一体どうしたって──」

 

 その瞬間、辺り一帯は足元から強烈な冷気に包まれた。吐き出す息は一瞬にして白くなり、肌を刺すような冷たさが異常に熱された頭を急速に冷やしていく。

 振り返れば、そこには巨大な氷壁が聳え立っていた。轟がよく使用する大技だろう。それに加え、夜嵐の個性もヴィランを巻き上げ、吹き荒れている。そして続々と、街中に散っていたヒーローたちは避難を手伝うために集結するのだ。操は思わぬ追い風に、笑みを浮かべてしまう。

 それは戦場には似合わぬほど穏やかで、優しいものだった。

 

「ね?ここにいる百人のヒーローが、あなたたちを絶対に助ける。だから安心して、私たちと一緒に逃げよう」

「……な、でも……もしかしたら負けちゃうかも……」

「そうだ、そうだ!……お、おおお前たち若いヒーローに、一体何ができる……!?」

「命を賭けて、あなたたちを守ること」

「──……」

「だから平気だよ。ヴィランはもう、追ってこない」

 

 巨大な氷壁のおかげでヴィランの姿は見えず、数多くのヒーローが集結してしまえば──戦えぬ一般人は、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 ヒーローである操の言葉に安心感を抱いたこと、そして様々なヒーローが個性を使用し、彼らの恐怖や不安を取り除いて落ち着かせたことが主な要因だろう。何より、それらの行動を起こしながらも足早に、決して慌てずヴィランと距離を取るのだから、HUCたちは落ち着きを取り戻す演技をせざるを得なかった。だって本当に「彼らに任せれば大丈夫」だと安心してしまったのだから。

 ──命を賭けて、守る。操のその言葉は、その場にいるヒーローにとっては重すぎたかもしれない。覚悟の大きさや、ヒーローとしての価値観に相違を感じたかもしれない。けれど自身が憧れたヒーローは、一体どんな人物だったのか。そう考えた時、彼らは意を決して言葉を紡いでいく。

 

「……ええ、ええ!お任せください!絶対に守りますわ!」

「そ、そうです!僕たちはそのためのヒーローですから!」

「安心しろって!もう平気だ、ヴィランは全員ヒーローがやっつける!」

 

 受験者たちは、口々に励ましの言葉をかけていく。そこには自身を鼓舞するための言葉も含まれていただろう。けれど不安が伝染したように、「希望」もまた伝染していくのだ。

 すると避難は驚くほどスムーズに進み、傷病者たちはヒーローに身を任せて続々と避難を完了させていく。しかし操はそんな様子に気を抜かず、辺りを見渡して青白い顔をしたまま俯く老婆に駆け寄った。幸い彼女に怪我はなく、足取りはしっかりしている。しかし不安に押し潰されそうな表情をしていて、心なしか呼吸も浅い。

 

「大丈夫か?……手が冷たいな」

「えっ……あ、ええ……思い出したら怖くなってねぇ……情けないわね……」

「そんなことないさ。……怖かったよな。戦いに巻き込んでしまってごめんな」

 

 危険区域より外に出た操は、そのまま救護活動を続行していた。そして彼女に寄り添うように膝をつき、氷のように冷たい手のひらを握りしめる。

 災害現場から離れたとしたも、ストレス反応は被災者を蝕んでいく。そのせいか彼女の呼吸は乱れていて、このままでは過呼吸になりかねないだろう。

 過呼吸──過換気症候群とは、不安や緊張などが原因で息を何回も激しく吸ったり、吐いたりする状態のことを指す。そうなると血中のバランスが崩れ、二酸化炭素濃度が減少しアルカリ性に傾いてしまう。そのせいで血管は収縮し、血中のカルシウム濃度は減少。呼吸困難や手足の痺れ、頭痛、眩暈などさまざまな症状を引き起こしてしまうのだ。

 

「大丈夫。何があっても私がついている」

 

 過呼吸は呼吸の回数が増えすぎることで起こるため、何よりも呼吸を落ち着かせることが大切だ。そして、吸うより吐くことを意識するのが重要だったりする。

 操は彼女の手のひらを温め続けると、目の前で大きく息を吸った。そして大袈裟なほど、大きく息を吐き出していく。

 

「ゆっくりでいい。私の呼吸に合わせて、鼻から息を吸って口から吐き出してみようか。……お、いいぞ。その調子だ。次は吸った息を十秒かけて吐き出してみよう。いち、に、さん、し──……」

 

 呼吸を合わせると、不快な気持ちがくつろいで、恐怖は少しずつ溶けて消えていく。すると次第に、青を通り越して白かった老婆の顔色は温かさを取り戻していった。操はそれを、急かすことなく優しい眼差しで見守っている。

 呼吸を落ち着かせた老婆はじっと、操に視線を向けた。そして冷たい指先を操の手のひらに押し付けると、ぽつりと言葉を落としていく。

 

「あなたの手、随分と温かいのね……」

「だろう?個性の関係でな、ぽかぽかなんだ」

「ぽかぽか……ふふ。カイロがいらなそうで、羨ましいわ……」

「フフ、逆に夏は暑すぎて困ってるんだけどな!」

 

 操は笑った。それは普段友人に向けるような爽快な笑みで、ここが災害現場だと忘れさせるような日常を孕んでいる。なんだかその笑顔を見ていると、ひどくほっとして。老婆もつられて穏やかに笑った。そして緊張や不安で冷たくなってしまった彼女の指先は、徐々に温かさを取り戻していく。

 多数のヒーローが危険区域に戻っていく中、操を含めた一部のヒーローはその場を動こうとしなかった。勿論それは、ヒーローとしての活動を怠っているわけではない。自身の役割が傷病者のケアだと感じていたから、この場に残って救助活動を続けていたのだ。

 そうしていると最後のHUCが危険区域より救助され、試験は終わりを告げる。操たち受験者は暫く呆然としながら、けたたましく鳴り響く試験終了のアラームを聞いていた。まるで、何が起こっているのか理解できていないような表情だった。

 

《配置された全てのHUCが危険区域より救助されました。まことに勝手ではございますが、これにて仮免試験全工程は終了となります!》

「……は?え、あれ?」

「試験、終わったわよ。お疲れ様」

「……あ?ああ、ありがとう……?」

 

 老婆の手を握りながら瞬きをする操に、彼女は声をかけた。また他のヒーローも同じようにHUCに声をかけられ、まるで目を覚ましたばかりかのように辺りを見渡している。

 ──凄まじい集中力。それに真心を持って全力で救助活動をしていたからこそ、これが試験だと彼らは一時的に忘れていたのだろう。

 操の手をゆっくりと解いた老婆は穏やかに笑うと、目の前にいる小さなヒーローに声をかけた。尊敬と、感謝の意を込めながら。

 

「これは試験だけど……貴女みたいなヒーローに出会えて、よかったわ」

「……な、」

「救けてくれて、どうもありがとう」

 

 辺りを見渡せば、そこには。

 穏やかな笑顔が、操たちヒーローを優しく労っていた。

 

 

《集計の後、この場で合否の発表を行います。怪我をされた方は医務室へ……他の方々は着替えてしばし待機でお願いします。繰り返します──》

 

 試験終了のアナウンスが絶え間なく流れ続けている。操はそれをなんとなく聞きながら、ふわふわとした気持ちで歩き続けた。すると前方に雄英の集団を見つけたので、思わず小走りになって駆け寄る。

 操に気が付き、振り返ったクラスメイトたちは疲れ切った表情をしていた。それでもその中に晴れやかな色もあったので、全力で試験を駆け抜けたのだろう。きっと操も同じような表情をしているに違いない。

 

「あ、操ちゃんや」

「赤黒おつかれ〜……どうだった?」

「フ、どうもこうも……学んだ全てをぶつけただけだ」

「だけって……それが凄いんだけどねぇ……」

「でも本当に、操ちゃん凄かったわ。たくさん診察して、治療していたのよ」

「フフ……フフフ!プルスウルトラできた有意義な時間だったな!操ちゃんにプルスウルトラ120点!」

「自分で採点すんのかよ」

「元気だなァ……おめぇは……」

 

 試験結果が不安で仕方がない者は、操の笑顔を見て思わずため息を吐いた。彼女は自分の全力が否定されたり、赤字で修正されることに恐怖を覚えないのだろう。むしろ「意見をもらえたことで今よりもっと良いヒーローになれる!」とか笑い飛ばしそうだ。そんな向上心を見習わなければと思いつつも、やはり合格してヒーローへの切符を掴み取りたい。

 芦戸は今更ながら「あの時もっと勉強していれば──」「もっとレスキューについて学んでおくべきだった」と結果発表前から後悔していた。彼女は林間合宿前の期末テストで赤点を取ったことが、少々トラウマなのである。対して目の前にいる操は、クラスメイトが心配するほど日々勉強に打ち込んでいる。努力故の、笑顔なのだろう。

 こんなにドキドキするのは、雄英高校の合格発表以来だ。そう思いながら芦戸は葉隠と共に手のひらに「人」と書いて飲み込むことを繰り返していたが──葉隠が実際書いているのか、見えないのでわからない──、そんな雄英高校の面々に近寄る影が複数あった。振り返ると、そこには試験前に雄英を非難した受験者たちがいる。

 

「……何しにきたの?また文句言いにきたワケ?」

「ちょ、三奈ちゃん……!」

 

 仕切りたがり、ポイント稼ぎ。そう言われたことを、芦戸は勿論A組の面々は忘れていない。彼らを遠慮なく睨みつけるのは芦戸くらいだったが、一次試験で操への誹謗中傷を目にした数人は警戒心を強めていた。楽しそうに笑っていた操の表情が、すとんと無表情に戻ったことも影響しているかもしれない。

 ステインの妹である操が非難の対象になってしまうのは、理解できなくもない。ただ芦戸や葉隠は、友達が苦しんでいるのを放っておきたくなかった。正義を振り翳して私刑を行う人々を、肯定したくなかった。友達を一人、過酷な状況に置いておきたくなかった。だから何かあれば割って入ろうと意気込んでいたのだが──。

 

「その……ごめん」

「言い訳になんねえけど……焦って、酷いこと言った。悪かったよ」

「試験の結果は、お互いまだわからないけどさ……ステインの妹(アンタ)の言うとおり、先に話してたからスムーズに動けた…………と思う」

 

 眉を下げて謝罪する数人に、雄英の面々はポカンとした表情を隠しきれなかった。しかしすぐにハッと表情を引き締めると「いやいやいやいやいや、その、僕たちも色々助けてもらいましたし……!」「……私も、冷たいこと言って……その、ごめんなさい……」「細けぇことは気にしないでくださいよ!俺らもう仲間じゃないスか!?」「昨日の敵は今日の友……フッ、これも運命(フェイト)……」などと思い思いの言葉を紡いでいく。そして次第に、両者には笑顔の花が咲いた。

 直接悪く言われた操も、そんなクラスメイトを眺めて再び笑顔を取り戻す。そして彼らをじっと見つめると、ドヤ顔で踏ん反り返るのだ。

 

「操ちゃんは寛大だからな、許してやろう!」

「……」

「だからお前たち。次は、現場で会おうな」

「……ふん、雄英サマの足を引っ張らないように訓練しときますね」

「おい、」

「なら問題ないな!今日の演習で、お前たちはみんな頼り甲斐のあるヒーローだと実感した。みんなで今よりもっと強くなって、人々を守ろうな」

「……ふふ。そんなの、言われなくてもやってやるっつーの」

 

 操とツンデレ他校生がそんな会話を繰り広げている横で、瀬呂が「いやまだ合否出てねぇんだけど……」と水を差すような発言をしていたが、それはそれとして。士傑高校の口田も障子の元へ駆け寄り、何かを話している。試験中にお互い助け合った者たちも「もっとこうすればよかった」「次はこうしよう」などと話し合い、受験生たちの輪は忽ち広がっていった。

 お互いに讃えあいながら更衣室へ向う様子は、教員が待機するギャラリーからよく見えた。教員たちは今まで見たことのないその光景を、目を丸くして見つめている。そして次第に、口元を緩めたのだった。

 

「なんかさ、その。赤黒、めっちゃ青春してるじゃん」

 

 操はすっと隣に並んだ耳郎にそう言われ、横目で彼女を見る。自身の肩はイヤホンの先でツンツンと叩かれているが、その衝撃はひどく優しい。そのため、彼女の攻撃を放っておいたまま首を傾げた。そんな操を気にすることなく、耳郎の横に並んだ麗日は「操ちゃんというか……みんな?」と笑い、「確かに。今日はたくさん友達ができたわ」と蛙吹もつられて笑う。

 思い返せば、濃密な数時間だった。しかし笑って泣いて苦悩することが青春だと言うのなら、今日ほど当て嵌まる日もそうないだろう。操は衣服に付着した砂埃を叩き落とすと、ニッと笑った。青かった空は緋色に染まり、夕焼けは受験者たちを赤く照らしている。

 

「……友達か……。んへへ、向こうもそう思ってくれたら嬉しいなぁ」

「ええ、そうですね」

 

 こうして操たちは着替えを済ませると、ヒーロースーツをアタッシュケースにしまった。それぞれの出席番号が書かれたそれは他校のものに比べると酷く目立って恥ずかしいが、「本当に数字が書かれてるんだー!」と見物人は絶え間なくやって来る。雄英女子たちはそんな風に群がる他校生とやりとりをし、更衣室を後にする。しかし操はその場から動かず、俯いていた。何故ならコスチュームの一部である小型ナイフが無くなってしまったからだ。

 太もものレッグシースに装備している小型ナイフは、操の血液を使用して作った特製品だ。試験終了時には確かにあったのに、いつの間にかなくなってしまっていた。本来コスチュームの一部を無くすことなどあってはならない。しかし操の場合、自身の血液を使用したナイフを探すことなど容易であった。その為自身の血液を感知し、その場に向かって歩いていたのだが──。

 

「ねね、もしかしてコレ探してる?」

「ん?……あ!それ私のだ!拾ってくれたのか?ありがとう」

「おっけおっけ〜。全然いいし」

 

 操の小型ナイフを手にしていたのは、士傑高校の女子生徒であった。彼女は目を細めてにっこり笑うと、操の手のひらにナイフを置く。操はナイフが自身のもであると確信すると、ほっと安堵の息をついた。コスチュームの一部を──それも武器を──無くしたなんて、相澤には絶対報告したくなかった。信用を無くしたら嫌だし、絶対に怒られる。操は相澤の前では"良い生徒"でいたかった──既に問題児認定されているが──。

 操は彼女に礼を告げると、アタッシュケースを広げてナイフをしまった。女生徒は、その様子をじっと眺めている。火傷をして爛れた首元、体内から刃物が突き出した四肢。彼女(・・)はそれらが綺麗になっているのを見て、思わず口を開いた。

 

「怪我、治ったんだね」

「怪我?……ああ、神野のやつか?おかげさまでな」

「そっかぁ〜…………残念」

「……え?」

「ボロボロな姿、とってもカアイイのに……」

 

 彼女が何を言っているのか、声が小さくて聞き取れない。操は思わず耳を寄せるが、女生徒は帽子の庇をグッと傾けて俯きがちに笑ってから、操と視線を合わせた。別に聞き取れていなくても問題ないと言うように、彼女の分厚い唇は緩く弧を描いたまま動こうとしない。

 操はアタッシュケースを閉じると、それを持って立ち上がる。正面から向き合うと、彼女からは女性特有の色気を感じることができた。少なくとも、今日初めて見る顔だ。しかし何故だか、見覚えのある表情だと思った。

 

「またね、操ちゃん」

 

 そう告げて背を向けた女生徒の名前を、操は知らない。士傑の生徒は夜嵐としか会話をしていない筈なのに、何故彼女は操の名前を知っていたのだろうか。と、そこまで考えて操は自身の境遇を思い出す。

 操にとって他人である誰かが"操のことを知っている"事など、当然のことだった。操はステインの妹であり、雄英高校の生徒として体育祭に出場しているのだ。それに二次試験前に「操ちゃんと呼べ」と自己紹介もしている。女生徒はそれを忠実に守り、親しみを込めて操の名前を呼んだのだろう。──なんだ、物も拾ってくれたしいい奴じゃないか。

 操はそう納得し彼女の背中を見送ると、自身も更衣室から一歩踏み出した。「次に会った時は名前を聞いてやろう」なんて考えながら心地よい風を受け、空を見上げる。頬を撫でる風は、戦場の匂いを薄めていった。操たち受験者は、ゆっくりと日常へ戻っていく。

 

《みなさん長いことお疲れ様でした。これより合否の発表を行います》

 

 ステージ上にいる目良を見上げ、受験生たちはごくりと息を飲んだ。中には、既に俯いている者もいる。自信満々に笑っている者もいる。しかし大半は不安そうな表情で、拳を固く握りしめていた。おそらく緊張しているのだろう。

 そんな中、操は落ち着いた態度で佇んでいた。二次試験中は個性を殆ど使用しなかったが、自身がやれることを最大限にやったのだ。全力を尽くして駆け抜けた過去を、後悔などしていない。けれどもし不合格だった場合、操は己の立ち位置を再検討しなければならないだろう。そうなるとタイムロスとなるため、わりと困る。

 目良は多種多様な受験生たちを見渡すと、合格発表の前に二次試験の主旨について語り始めた。今後ヒーローとして世界に旅立つ彼らに、何が大切なのかを知ってほしかったのだ。

 

《採点方式についてです。我々ヒーロー公安委員会とHUCのみなさんによる二重の原点方式であなた方を見させてもらいました。つまり……危機的状況でどれだけ間違いのない行動を取れたのかを、審査しています》

 

 ヒーローとして戦力を高めることは、決して悪い事ではない。ヴィランは強大な力を保持し、日々それらを強化しては獲物を探している。対抗するために、社会には強いヒーローが必要だ。

 しかしその力を自分勝手に使い、他者を振り回すようなことがあってはならない。自分のことしか考えない人に、立場を与えてはいけない。火災現場に現れ、炎の中に突っ込んでいくシンリンカムイに誰が期待をするのだろう。それと同じで、正しく使えない力ほど無意味なものはない。

 だから今回の二次試験では「自身の個性を正しく使えているか」を主に見ていた。

 

《合格点の方は、五十音順で名前が載っています。今の言葉を踏まえた上で、ご確認ください》

「……お、あった」

 

 目良の背後にある大型スクリーンが文字の羅列を映し出す。苗字があ行で比較的名前の探しやすい操は、早めに声を上げた。思わず口角も緩く持ち上がる。そしてそのまま青山、芦戸、蛙吹、飯田とクラスメイトの名前を見つけては、徐々に表情を綻ばせていった。

 操と同じようにクラスメイトたちは喜びの声をあげるが、隣にいた葉隠は動揺を隠しきれず操の腕を引いた。どうやら、体育祭で好成績を残した轟と爆豪が不合格だったらしい。操はその事実を聞くと驚きのあまりに目を丸くして、二人の名前を探した。けれど確かに二人の名前は画面にない。試験中、何かトラブルでもあったのだろうか。

 操が二人に声をかけようとすると、轟の元に現れた夜嵐が地面に頭をぶつけながら豪快に謝罪をしていた。どうやら轟は夜嵐と何かトラブルがあったらしい。そしてその発言で、クラスメイトたちはようやく二人が不合格だったと気付くのだ。

 

「え……轟落ちたの?」

「って爆豪もじゃん!?」

「マジかよ、ウチのツートップが両方落ちてんのかよ!」

 

 クラスメイトたちは驚きながらそう声をかけるが、画面と彼らの表情を交互に見つめて嘘ではないと確信する。上鳴なんかは「暴言改めよ?言葉って大事よ?」と微笑みながら爆豪に諭していた。爆豪は物凄くブチ切れていたが、いつもより口数は少ない。勿論轟も、俯いていて言葉を発しなかった。

 二人は今までの努力を否定されたような、ヒーローとして必要ないと言われたような、そんな気持ちでいっぱいになっていた。思考が真っ白に染まって何も考えられない。周りの歓声が煩わしい。ショックを隠しきれずに笑って取り繕うことも出来そうにない。今のままでは駄目だと理解していても、それを上手く飲み込めそうにない。クラスメイトに対する劣等感が膨れ上がって、思うように息ができない。──様々な感情が、二人を支配し蝕んでいく。

 そんなA組ツートップの様子に気をよくしたのが、峰田だった。何をやっても自分より上であった二人がようやく"下"になったのだ。彼は轟の肩を叩くと「両者ともトップクラスであるが故に自分本位な部分が仇となったわけである。ヒエラルキー、崩れたり!」と見下し、笑った。発言は的を得ているが、落ち込む友人にかける言葉としては最低である。

 操は数時間前のことを思い出すと、峰田に近寄ってヘッドロックを仕掛けた。先程の彼の発言は、あまり気持ちの良いものではないと考えたからだ。努力が身を結ばなかった二人を嘲笑うのは、なんだか彼らの今までを馬鹿にしているようで非常に不愉快だった。

 しかし峰田にはその気持ちが伝わらなかったのか「ご褒美……!?いやまな板じゃねぇか……ッ!!」と悶え苦しんでいる。飯田はそんな二人の背を押すと、轟や爆豪から遠ざけた。そして再び最低な発言を繰り返す峰田には砂藤が手刀を落としている。

 

《えー、全員ご確認いただけたでしょうか?続きましてプリントをお配りします。採点内容が詳しく記載されてますので、しっかり目を通しておいてください》

 

 操はその言葉を聞き峰田を解放すると、試験官からプリントを受け取った。そこには点数と、二次試験での改善点が記載されている。操はそれを隅から隅まで眺めると、脳に刻み込むようにして暗記した。そして「見せて見せて」とせがむ葉隠にプリントを押し付け、空を見上げる。

 ──お前は正しき社会の為、オールマイトのような本物の英雄になれ。

 ここまで走ってきた道のりは、決して楽ではなかった。けれど操はどれだけ努力をしても、オールマイトのような英雄には絶対になれない。だからあのとき、兄に逆らって違う道を選択したのだ。そしてようやくそのスタートラインに立っている。

 操は灰色の過去を思い出すと、少しだけ目を伏せた。そして再度空を見上げて、太陽に負けないくらい笑ってみせる。だって、考えてみて欲しい。あの八畳間のゴミ部屋で飢えていた子どもが部屋から飛び出して、世界中の人々を救うのだ。これからは操が誰かに手を差し伸べる存在となる。命の灯火が消えるその時まで、人を救い続けることができるのだ。

 

「操ちゃん?どうしたの?」

「フ……なんでもない」

 

 操が生命の灯火を繋いでもらったように、今度は操が繋いでいく番だ。そしていつか、悲しむ誰かの希望になれるだろうか。なれると、いいな。操はそんな未来に思いを馳せながら、前を向いた。

 ──その後、操たち受験生は仮免許について説明を受けていた。今回合格した受験生においては、緊急時に限りヒーローと同等の権利を行使できる立場となる。それにはヴィランとの戦闘、事件や事故からの救助等が挙げられるだろう。仮免許を持つ生徒たちは、ヒーローの指示がなくとも自身の判断で動けるようになるのだ。

 

《しかしそれは君たちの行動一つ一つにより大きな社会的責任が生じることを、忘れないでください》

 

 目良は続ける。少し前、オールマイトという偉大なヒーローが力尽きたこと。彼の存在は犯罪の抑制になるほど大きなものだったこと。そして心のブレーキが消え去り、増長する者はこれから必ず現れること。

 今まで保たれていた均衡は崩れ、世の中は大きく変化していくだろう。個性発覚時のような、混沌とした社会に陥る可能性もゼロではない。いずれ操たち若い世代が社会の中心となって、ヒーローとして規範とならなければならないのだ。犯罪を抑制できるようなヒーローを、民衆は求めている。

 だから彼らには今回の試験を念頭に置いて、最善の行動を心かげて欲しかった。一人ではオールマイトになれなくても、全員で力を合わせてオールマイトのようなヒーローになって欲しいと、願うのだ。

 

《今回はあくまで仮のヒーロー活動認可資格免許。半人前程度に考え各々の学舎で更なる精進に励んでいただきたい!》

 

 目良はそう告げると、続いて不合格者に視線を向けた。彼らを退場させず、仮免許の話を聞かせていたのにはれっきとした理由があり、何も嫌がらせというわけではない。何故なら、不合格者には三ヶ月間個別講習を受講した後、個別テストで結果を出せば同等の免許を発行するつもりでいるからだ。それを聞いた轟、爆豪、夜嵐は思わず顔を上げる。そしてクラスメイトたちも顔を上げ、彼らの背を押したのだった。

 こうして仮免許が発行された雄英高校A組一行は、相澤が待つバスまで歩いていく。操は「つ゛かれた〜!」と寄りかかってくる芦戸や葉隠を引きずりながら、視界に入った相澤に大きく手を振って駆け寄った。無表情な相澤に対し、満面の笑みである。しかし、そんな二人を隔てる男の影が──!

 

「ヘイ赤黒〜!!How are you?」

「Not so good.そこ、どいてくれないか?相澤先生が見えない」

「相変わらずヘヴィ〜〜なァ!」

「あ、マイク先生だ!」

「そういや朝からいたよな。何しに来たんだ?」

「それは、私から説明しましょうか」

「あれ、公安の……!」

 

 操は突如現れたプレゼントマイクに対し、警戒する猫のようにやんのかステップを踏んでいたが、背後から現れた目良を見つけると立ち止まってそちらに視線を向ける。A組の面々も同様に、不思議そうに彼を見ていた。そもそも担任ではないプレゼントマイクが会場にいるのは不自然だし、試験後にも拘らず現れた公安の職員はもっと不自然だった。もしかしたら操の身に何かが起きたのかと、一抹の不安が過ぎる。

 しかし目良は彼らの視線を気にすることなく、操を見下ろして淡々と言葉を告げた。

 

「赤黒操さん。貴女にはこの後、医療ヒーロー仮免許試験を受けていただきます」

「……え、これからか?」

「後日でも構いませんよ……その方が私も早く帰れますしね」

「今本音が聞こえたな」

「聞こえましたね……」

「赤黒、今日受けてこい。そのためにマイクを連れてきた」

 

 本音がだだ漏れである目良はクラスメイトたちに指摘されても表情を変えなかった。労働を早く終わらせたい、これは社会人の基本である。しかしぬっと現れたイレイザーヘッドによって、彼の希望は粉々に打ち砕かれた。操も相澤の言葉を受け、笑顔で返答している。どうやら彼の労働はまだ終わらないらしい。今月の残業時間はもう、数えるのをやめている。

 プレゼントマイクが本日試験会場を訪れたのは、操を連れて帰る役目を請け負ったからだ。即ち、A組は操を置いて先に帰宅することになる。相澤はA組にそう伝えると、早々と身を翻してバスの中へ入っていった。クラスメイトたちはその背を見送りながらも、戸惑いを隠しきれていない。

 

「えっ……これから受けるの?」

「不利じゃね?試験終わったばっかなのに……」

「疲れてないから全く問題ないぞ?」

「そうだコイツ!疲労回復できるんだった!」

「心配して損したな……」

「何故だ?もっと操ちゃんを心配しろ!」

「なんでドヤ顔!?」

「心配しなくても、操さんなら問題ありませんわ」

「ふふ、ふふふふ!まあね〜〜〜〜〜!!」

「嬉しそうだな……」

「ロボットヒーロー・ステンレス……」

「何そのステンレス素材で出来てそうなロボット」

「ロボットよりターミネーターがいい!そっちの方が……カッコいいから!」

「ツッコミどころそこなん?」

「それで良いのか!赤黒くん!!」

「──早よ乗れ」

 

 相澤の一声で、操以外のA組は速やかにバスへ乗った。操はそれを、プレゼントマイクと並びながら見送る。そしてバスが見えなくなると、再び試験会場へ足を踏み入れたのだった。

 先程まで受験生で溢れかえっていた国立多古場競技場は静まり返り、三人の足音は廊下に反響する。操はそれをぼんやりと聞きながら、目良の背を追った。すると会場までの道すがら、予想外の人物と出くわすことになる。

 

「あ!操ちゃん!」

「……キミ子?」

 

 角を曲がった先にいたのは、二次試験前に出会った与奪(よだつ)キミ子であった。彼女は操を見つけるとパッと表情を明るくさせ、嬉しそうに微笑んでいる。そして彼女の背後には、教員らしき女性がいて目良やマイクに会釈をしていた。

 操はキミ子に何故ここにいるのか尋ねると、彼女は照れくさそうに俯きながらも「実は医療ヒーローとして勉強してたんだぁ」と告げる。どうやら彼女もこの後一緒に試験を受けるらしい。そしてキミ子は意を決したように顔をあげると、キラキラとした眼差しで操に詰め寄った。

 

「僕、ずっと自分に自信がなかった。ヴィランみたいな個性だって言われて、落ち込んで……そんな自分を変えたくてヒーローを目指していたんだけど、ダメダメで……。一次試験もクラスメイトに助けられてばかりだった……」

「……」

「でもね!今回の試験で、自分が目指すヒーロー像を見つけられたんだ!その、えっと……聞いてくれる?」

「勿論、聞いてやろう」

「えへへ、ありがとう……。えっとね、僕は……傷付いた人々の命を繋ぐ、そんなヒーローを目指すよ」

 

 彼女はハッキリ告げると、ホッとしたように息を吐いた。その瞳は自信と期待に満ち溢れ、頬は赤く色付いている。

 操は本日、キミ子と共に駆け抜けた二次試験を思い返していた。彼女は傷病者の体力を回復させ、パニック時には負の感情を取り除き、彼らを元気づけようと必死になって鼓舞していた。それだけでもヒーローとして優秀だが、彼女の個性【生殺与奪】にかかればヒーローの体力や個性エネルギーを回復させることは勿論、ヴィランから奪うことも可能なのだ。闘争心や憎しみといった感情を一時的に奪えば、ヴィランを無力化出来ることは間違いない。

 きっと操は近い未来で、彼女と共に戦場を駆け抜けるだろう。相手がヴィランかどうかまでは定かではないが、なんだかそんな予感がして笑った。

 

「それではこれより、医療ヒーロー仮免許試験を開始いたします。医療ヒーロー免許は通常のヒーロー免許と試験内容が異なりますので、説明いたします」

 

 大きな会議室に案内された二人は、少し離れた席に着席し目良の話を聞く。彼が話すのは、試験内容と医療ヒーローの個性行使についてだった。

 医療ヒーローは各々が持つ個性によって行える医療行為が異なるため「どんな行為を傷病者に行うか」事前に申請し、認可された行為のみ使用可能である。例えばリカバリーガールであれば「治癒の個性」を申請し、有効であると認可されているため医療ヒーローとして個性を行使できる、といった内容である。

 操の場合リカバリーガールとは違って操血の個性全般を申請することは不可能であり「輸血」「止血」「体力回復」「血中成分の増減」など対患者に使用する内容を全て割り出して、試験前に申請しなければならない。そしてその行為が「治療に有効である」と判断された場合のみ、一般人相手に使用することが可能なのだ。

 また上記申請についてはいつでも対応可能であるため、個性の幅が広がった場合は速やかに申請し、個性が治療に適しているかを見極めなければならない。

 

「君たちの医療行為については、すでに複数のヒーローから推薦状をもらっています」

 

 目良はそう告げると、脳内で様々なヒーローを思い浮かべた。赤黒操にはリカバリーガール、イレイザーヘッド、ブラドキング、ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツ、ベストジーニスト等の名の知れたプロヒーローから「医療ヒーローとして見込みあり」と推薦状が届いている。隣に座るキミ子も、彼女の担任教員から「肉体だけでなくメンタルヘルスにおいて非常に有用な個性」だと推薦を受け、また二次試験の試験官であったHUCからも「被災地において必要な個性」だと連絡を貰っていた。

 こうした経緯から、二人はヒーロー免許を持ちながら医療ヒーローとして試験を受ける事となったのだ。そしてこの場では二人が患者に対しどのように個性を行使するか事前に申請してもらい、その後一般的な医療知識について筆記試験を行う予定である。しかし、例え筆記試験が合格ラインに達していても医療ヒーロー仮免許は交付(・・)しない(・・・)

 

「我々が見るのは、君たちがどれだけの知識を保有しているのかということです」

「……」

「まずここで筆記試験を受けていただきます。本日はそれで終了です。ですが後日、インターン生として医療ヒーローの元で現場に赴いていただきます。そこの活動次第で、君たちの合否が決定します」

「インターン……!」

 

 この場で受講する筆記試験に落ちた場合、医療ヒーローとしてインターンは行わないこと。また医療ヒーロー仮免許が不合格だとしても、ヒーロー仮免許は保有したままであること。そして医療ヒーロー仮免許の筆記試験も補講の対象であるが、インターンにて複数回「見込みなし」と判断された場合には正式に医療ヒーローとしての道は閉ざされること等の説明を受け、操たちは未来に思いを馳せていく。

 ヴィランと戦うのも技術が必要であるが、患者に直接個性を使用し治療をする医療ヒーローだからこそ、簡単に免許は交付しないのだろう。二人はその内容を聞き、思わず視線を合わせた。何故だか不思議と期待や希望で胸がいっぱいになり、緊張していないのだ。

 

「何か質問は?」

「ない」

「ありません……!」

「ならばこれより、筆記試験を開始します」

 

 こうして、医療ヒーロー仮免許筆記試験は静かに幕を開けた。

 ペーパーテストの内容は病気や薬剤に関する専門知識などではなく、怪我の部位や出血量、被害者の症状から優先順位を考え、処置の方法を記述で答えるものだった。救助してから処置を行うのか、その場で処置を行うのか、処置をする際何を使用するのか等質問は様々あり、二人は医療ヒーローとしてヒーローよりワンランク上の救助活動知識を求められる。

 また有事の際に起こり得る「凍り付き症候群」「急性ストレス障害」「集団同調性バイアス」「正常性バイアス」についての説明や対応方法を記載し、救急隊や医者等とどのように連携を取るのか回答を求められる質問もあった。それに加え、自身の個性を使ってどのように治療を行うのかも並行して記載しなければならず、二人は試験中必死にシャープペンシルを動かし続けていた。その結果、二人とも筆記試験は合格であった。

 

 

 薄闇は夜に染まり、星の見えない空は闇が立ち込めている。操は伸びをしながら、国立多古場競技場の入り口に立っていた。その横では、疲労を顔に滲ませたキミ子が欠伸をしている。

 二人は迎え役として待機していたヒーローと合流すると、まずは筆記試験合格の旨を伝えた。そして四人で喜びを分かち合い、操とキミ子はたいそう褒められ頬を緩ませる。ひとまず、医療ヒーローとしてインターンに参加できる権利を獲得したので一安心だった。

 

「インターンか……」

「雄英だとやっぱリカバリーガールのところかなぁ?僕は九州の学校だから、近くで活躍してる医療ヒーローにお世話になる気がする……」

「どうだろうな……。まあどこへ行っても、できることを全力でやるだけだ」

「うん、そうだね……!」

 

 キミ子は眉を下げ、穏やかに微笑んだ。胸の奥底から溢れ出す達成感が、心と体を満たして彼女を包んでいく。疲労は身体に重くのしかかっていた。けれどそれを超える充実感が、確かにあった。明日から訓練するのが待ち遠しいほど、それは未来を明るく照らしいている。

 四人は見送りに来た目良と共に駐車場まで歩いていた。しかし一台のタクシーを見つけると、キミ子の担任が足早に駆けていく。どうやら二人はそれに乗り、今夜泊まるホテルへ向かうのだろう。

 

「僕もうヘトヘトだよ……。でも、今日はよく眠れそう。えへへ、きっと操ちゃんのおかげだね」

「?自分が頑張った結果だろう?」

「そうだけど、そうじゃないというか……ふふ。まあいっか」

「……よくわからないが……お前がいいならいいか。じゃあな、キミ子。気をつけて帰れよ」

「うん。ばいばい…………その、またね!」

「……!ああ、またな」

 

 出会ってから数時間しか経っていない二人だが、まるで何年も共に駆け抜けた戦友のような信頼感があった。しかし別れ際に寂しさは感じない。きっといつか、未来で会えると確信しているから二人は笑って手を振った。

 小さく闇に消えていく車を見送ってから、操は歩みを再開した。「よかったなァ」と自分のことのように笑うプレゼントマイクは、今日は操のために試験会場に来たという。多忙を極める中時間を割いてくれたのは、操が保護対象だからだろうか。

 

「プレ先。遅くまで待ってくれてありがとう」

「気にすんなよ!試験を見てたが、昔を思い出して楽しかったぜ?」

「試験を受ける相澤先生……さぞ強かったんだろうな……」

「今してるの俺の話!どっから出てきたイレイザー!?」

 

 プレゼントマイクはサングラスの向こうで驚いたように目を見開いていたが、操はそれを無視して考えに耽った。今まで何かとプレゼントマイクの車に乗ることが多かったが、今後を考えるとこのままでは良くないと思ったからだ。

 操は今日、仮免許を取得した。それは緊急時の際、ヒーローと同等に活動できる権利だ。医療ヒーローとしてはまだインターンが残っているが、医療ヒーローも合格した場合操はどう(・・)やって(・・・)現場に駆けつけるのだろう。

 出動要請がかかる度、プレゼントマイクに車を出してもらうわけにはいかない。しかし操は飯田のように速く走れないし、緑谷や爆豪のように空を駆けることもできない。個性の関係上疲労を感じずフルマラソンをトップスピードで走ることは可能だが、それでは間に合わないだろう。

 

「……なあ、」

「なんですか」

「バイクの免許を取りたい」

 

 操は目良に視線を向けると、そう告げた。背後でプレゼントマイクが「ワッツ????」と疑問符を浮かべているが、操の表情は真剣そのものである。

 操は人々の命を繋ぐため、一刻も早く患者の元へ駆けつけなければならない。通常のヒーローでは行使できない治療を、医療ヒーローは行うことができるのだ。操の代わりに"近くにいる誰か"が対応することはできない。他の誰かではなく"操が駆け付けなければならない"事件や事故は今後必ず存在するだろう。しかし自身の個性では機動力が足りず不可能だ。ならばサポートアイテムを追加するほかない。その候補が、二輪車というわけだった。

 それに二輪車であれば医療器具を積めるし、車と違って細い道も駆け抜けることができるだろう──そもそも車の免許は年齢的に取ることができない──。操は思案するように黙った目良を見つめ、さらに言葉を繋いでいく。

 

「バイクだったら救急車より速く現場に駆けつけられるだろう?人命救助は時間との勝負だ。けど私には機動力がない」

「だから二輪車の免許が欲しい、と」

「それで救える命が増えるなら」

 

 二輪車で傷病者の搬送は出来ない。けれど医療器具を積んだ操が真っ先に現場に駆けつけることで、救急車が到着するまでの繋ぎとしては勿論のこと、助かる命が増えるのは確かだろう。リカバリーガールは年齢や個性の関係上、どうしても事件発生後に車で移動するしかない。しかし操であればヒーロー免許を所持しているため、例え現場にヴィランがいようと問題なく出動できるのだ。

 目良はその利点に気がついたのか、顔を上げて操を見つめる。赤く輝く瞳は燃え尽きることを知らない。それを見ている此方にも、燃え移りそうな勢いだった。

 

「……ふむ。ならば一般的な二輪車に乗るのではなく、救急車やパトカー同様緊急車両にするべきです。そうすれば一般車両は貴女に道を譲る義務が発生します」

「……!それはいいな、そうすればもっともっと速く現場に到着できる!」

「では医療ヒーローとして合否が出たら、検討しましょうか」

「遅い。合格(・・)と言われたその日に乗れなきゃ意味がないだろう」

「…………確かに、一理ありますね。しかし本日は持ち帰らせてください。私ちょっと、眠いので……」

「本音が隠しきれてないぞ……!?……まあ、確かにお前の一存で決められることではないな」

「ええ。緊急車両として二輪車に乗るのであれば、白バイ隊員などに協力を仰ぎ講習を行う必要があります。私の権限ではなんとも言えませんので……明日にでも、上に話は通してみます」

「フフ、話が現実味を帯びてきたな。頼んだぞ」

 

 曇りなく笑った操は目良に気安く手を振ると、その場を後にした。彼は小さくなるその後ろ姿を眺め、数ヶ月前の出来事を思い出す。

 赤黒操。彼女が雄英高校に通う前から、公安は目を光らせていた。その理由は様々だ。ヒーロー殺しステインの妹だから。六年以上彼と共に暮らし、同様の思想に染まっている可能性があったから。ステイン逮捕の手がかりになるきっかけを秘めていたから。凶悪ヴィランの家族がヒーローになるという、前代未聞のパターンだったから。

 彼女は社会にとって薬にも毒にもなる存在だろう。だから少しでもヒーローに向いていないと判断した場合、躊躇なく不合格にするつもりだった。日本の未来のために、彼女の未来を切り捨てるつもりでいた。けれど会ってみてわかった事がある。彼女は過去の経験故か、本人の気質なのか。命に対する考え方やヒーローとしてやっていく覚悟が、同年代の子どもに比べて頭一つ二つ飛び抜けているのだ。

 ──敵連合のスパイ?まさか、あり得(・・・)ない(・・)だろう。彼女の言動を直接目にしたら、そんな風には思う筈がない。もしも本当にスパイだったなら、我々は素直に敗北を認めよう。それほど彼女は白に近いと判断された。

 目良は今日、操を観察していた。私刑に屈さず立ち向かい、多数相手に上手く立ち回っていた一次試験。仲間を守りつつ的確にサポートし、手にした切符。近遠両刀な戦闘スタイル。そしてステインの被害者に見せた、心からの謝罪。

 二次試験前だってクラスメイトのフォローはあれど、受験者たちを焚き付け本気にさせたのは彼女だった。他人だった受験者たちが一丸となって二次試験に挑み、今回は過去最多の合格者を叩き出している。担任が薦めるまま流れるように医療ヒーロー試験を受けた与奪(よだつ)キミ子も、操から良い影響を受け自信をつけていた。二次試験を間近でみていたHUCも、操の未来を大いに期待していた。

 

『彼女は必ずヒーローになる。悪の道に染まる筈がありません。赤黒操はそういう人間だと、彼女と関わったヒーローは私を含めそう認識しております』

 

 二次試験に進んだヒーロー(・・・・)たちは皆、最終的に彼女を認めていた。そう思わせる資質が、操にはあるのだろう。

 目良は身を翻すと、国立多古場競技場へ再び足を踏み入れる。仮免許試験を運営していた立場として、撤収作業を終えなければ帰宅することはできないのだ。それはなんとも、憂鬱な時間。しかし彼は珍しく口元に笑みを浮かべて歩いていた。

 赤黒操。彼女は上手くいけば前代未聞のヒーローとして名を轟かせるだろう。救うためなら努力を惜しまないその姿は、高校生として普通ではない。誰かを救うためだけに生きているような気がして、恐怖を覚えることもある。きっと彼女は将来──。

 

「……人の未来を勝手に想像するのは、野暮ですね」

 

 目良はそう呟いてから、考えるのをやめた。何故なら山積みになった機材が、視界を覆い尽くしていたから。──業者が機材を回収するまで帰れそうにない……。ため息をついて、パイプ椅子に腰掛ける。そして目を閉じ、体力回復に努めるのだった。

 一方その頃操とプレゼントマイクは、夜のドライブを楽しんでいた。これからの未来、操に待ち受けるのは希望だけではない。救いたくても救えない命があって、自身の無力さに嘆いて、誹謗中傷を浴びせられることも少なくないだろう。それでも彼女が誰かのために強くなろうと足掻くのなら、その背を押してやるのが教員の役目だ。だからマイクは、一日頑張った操にご褒美をちらつかせる。

 

「帰る頃には食堂閉まってるし、なんか食って帰ろうぜ!もちろん奢ってやるよ」

「え、ええ〜!?奢り……だと……!?何食べる?何食べちゃう!?」

「フッフッフッ……遠慮せず好きなモン選べよリスナー!」

「ワ〜〜〜〜〜〜!!」

 

 操は助手席で瞳をキランキランに輝かせ、ごくりと唾を飲みんだ。そこにはもう、ゴミを漁る少女はいない。

 今の操があるのは、手を取ってくれた周りの人がいたからだ。助けられて支えられ、泥に塗れながらも諦めなかったからだ。決して一人では、ここまで歩いて来れなかった。

 操は今日、ヒーローとしてようやくスタートラインに立っている。眼前に続く赤い轍は、まだ先が見えない。それでもいつかそれを追い越して、世界中の人々を救ってみせる。

 

「選択肢が多すぎて決められない……!ヒント!オーディエンス!プレ先の意見を聞いてやる!!」

「ん〜?そうだな、赤黒は頑張ったからなァ……肉なんてどうだ?」

「に、ににに肉〜!?!?……肉といったらステーキ・ハンバーグ・YAKINIKU!やっぱりいっぱいありすぎる!どうしよう!?」

「ちなみに赤黒はどれ食いたい?」

「全部!!」

「OK!Here we go‼︎」

「ヤッタ〜〜〜〜!」

 

 人通りの少なくなった道を、一台の車が駆け抜ける。見上げた空は闇が広がり静寂が街を包んでいるというのに、車内は驚くほど明るく賑やかだった。操は肉が嬉しかったのか、狭い車内で両手を上げ全身で喜んでいる。プレゼントマイクはその様子をミラー越しに眺めながら、大口を開けて笑っていた。

 奪わず与えよう。手は払いのけるのではなく、取り合おう。それを操に教えてくれたのは()だったか。相手にその気はなくとも、操はそう学んで生きてきた。

 ゴミを漁る少女はもういない。けれど過去の積み重ねがあるから、今の操がある。──あのときの温もりを、私は今も忘れないでいる。

 

 ああ、そうか。

 だから私はこの温もりを分け与えようと、手を伸ばしているんだね。

 

 

 

【仮免許試験編(下):了】

 

 

 







【以下、読まなくても問題ないオリキャラ紹介】

名前:与奪 キミ子(よだつ きみこ)
年齢:操+1
性別:女性
個性:生殺与奪
 体力(HP)や個性(MP)を奪い、与えることができる個性。または奪ったエネルギーを自身で使用することが可能。これは建物といった無生物相手にも使用することが可能な個性である。
 彼女の"与奪"とは、根本からではなくあくまで貯蓄しているエネルギーのみを指す。つまり再生力を奪っても、体力回復と共にまた再生力は元に戻る、といった原理らしい。なので死体(や壊れた物)の復元は不可能。あくまで罅の入った建物を新品にしたり、新品の建物を劣化させたりするもので、破壊までは出来ない(エネルギーを奪って劣化させた後、叩けば壊れるほど脆くすることは可能)。

*以下、イメージ画像。

【挿絵表示】

【挿絵表示】
ヒーローコスチューム

 四人の兄を持つ末っ子。その影響もあってか、一人称が僕。
 昔の漫画を漁る兄の影響で、一昔前の漫画が好きな隠れオタク。自身の個性でカメハメ派や螺旋丸が撃てるのではないかと、日々訓練をしている。個性「生殺与奪」をうまく扱うため、世話になった漫画はHUNTER×HUNTER。大量に奪ったエネルギーをオーラのように纏い「スーパーサイヤ人みたいだ……!」と一人ワクワクしているが、隠れオタクなので周りには言えないらしい。
 エネルギーを一箇所に集中させて筋力アップは可能だが、使用してしまえばエネルギーは失われるため、自身が保有するエネルギーのみで闘い続けるのは難しい。また戦闘があまり得意ではなく、今回の一次試験も自校のクラスメイトに助けられながら突破したようだ。そのためヒーローとしての自分に、あまり自信がなかった。
 幼い頃は「ヴィランみたいな個性」だと虐められており、いつも助けてくれた兄の背中を見て「弱い自分を変えたい!」とヒーローを目指す。それ故、今回の試験で自身のヒーロー像を掴むことができ、自信に繋がったようだ。
 今後は医療現場に、もしかしたら登場するかもしれない。それなので、ヒーロー名は募集中である。

使用画像:つつじメーカーβ 様
    :CHARAT GENESIS2 様
 
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