とある日の昼下がり。庭のウッドデッキに腰掛けて花壇に咲く花たちを眺めながら、僕はある人の帰りを待っていた。
こうして花を見ていると──君と植えたあの花たちのことを思い出す。
昔住んでいた僕たちの家で唯一殺風景だったベランダを見て、『このベランダ一面を花でいっぱいにしたい』、なんてちっぽけな夢を僕が呟いたら、それを聞いた君がたくさんの花のタネを買ってきてくれたことがきっかけだったっけ。
なのに君ったら、花のタネはたくさん両手に抱えているのに肝心のガーデニング用品は何も買ってきてなくって。
土もジョウロも肥料もないけど、タネを嬉しそうに僕に見せてくる君の笑顔を見ていたら、なんだか心がいっぱいになったことを覚えている。
だけど、タネだけじゃ花は育たないから。ガーデニング用品をもう一度ホームセンターに君と買いに行って、たくさんのタネを植えたんだっけ。
最初は全部ただのタネだったのに、一日、一週間、一ヶ月、一年、時が経てば経つほど、ベランダは花でいっぱいになって。
……ああ、懐かしいな。そのことがあってか、新しい家の庭も、あのベランダのように花でいっぱいだ。ただ、ベランダの花と少し違うのは僕と君の他にもう一人、『あの子』というタネ植え隊員が増えたことかな。
「おとうさん、なにみてるの?」
「お父さんはね、あそこに咲いてるお花さんを見てるんだよ。覚えてるかな? 僕たち三人でタネを植えたこと。あのタネがね、あんなに綺麗なお花を咲かせたんだよ」
「えっ?! あのおはな、おれがうえたタネだったの?!」
そんなことを考えていたら、ちょうど三人目のタネ植え隊員がやってきたようで。彼がこうやって僕を探すのは、大抵暇な時かお腹が空いた時だから……ちょうど今はお昼時だし、きっとこの子はお腹が空いちゃったんだろうな。
僕は彼の頭をぽんぽん、と優しく撫でると昼食を作るためにキッチンへと向かう。
「そうだ、おとうさん! にわのおはなをみておもいだしたけど、きょうはおかあさんのたんじょーびだから、おとうさんはおかあさんにおはなにプレゼントするんだよね? それはおれもだけど!」
「そうそう! 僕、いつもお母さんにお花をもらってばっかりだからたまには僕からも送り返してみようと思って。僕のサプライズ作戦、応援してね!」
「もっちろん! おれがオウエンするんだからおとうさんのサプライズはだいせいこうまちがいなし、だよ!」
「全く、調子がいいんだから……君のその自信家なところは誰に似たのかな?」
僕がそう聞くと、彼はおとうさん? と難解そうに答えるから思わず笑ってしまう。本当、そういう天然なところさえも君とそっくりだなぁ。
なんてことを考えながら昼食を作り、完成した料理を一緒に食べて。そんな中、食卓に飾られた僕と君の結婚写真を見た彼は、僕にこんなことを聞いてくる。
「ところで、おとうさんとおかあさんってどうしてケッコンしたの?」
「そうだね……お父さんがお母さんのことを好きになったから、かな」
「それじゃあ、おかあさんはおとうさんのことすきじゃない? おとうさんがむりやりおかあさんとケッコンしたの?」
「そ、そういうわけじゃないよ! もちろんお母さんも僕のことを好きになってくれた上で結婚してるから!」
僕は無邪気な彼の恐ろしい勘違いを全力で訂正しながら、あの日々のことを思い出す。
ああ、たしか──僕が君と結婚するきっかけになった日も、君の誕生日だったかな。
「少し長くなっちゃうけど、大丈夫? そうだね……お母さんが帰ってくる時間までには終わると思うけど」
「ききたいききたい! へへ、おとうさんとおかあさんのおはなし、たのしみだな!」
「本当? じゃあ話そっか。そうだな、まず僕とお母さんが出会ったのは──」
〜
──思えば、それは僕の方から好きになった恋だった。よく晴れた春の日、当時高校生だった僕は桜の木の下で言の葉を紡ぐ君に一目惚れをしたんだ。
光に照らされる宝石のようなバイオレットの髪。長いまつ毛で覆われた切長の紅い瞳。どこか中性的でありながらも、女性的な美も兼ね備えているそのシルエット。どこをどう切り取っても魅了的な君のその姿に、僕は一瞬で心を奪われてしまった。
その上、桜の木からひらひらと舞い落ちてくる桜の花弁が、ただでさえ美しい君の魅力や美しさをさらに引き立てていて。
君が、あまりにも綺麗だったから。耐えきれず僕が君に声をかけたことが全ての始まりだったのかもしれない。
僕に気づいた君が、僕の目を見てにこりと笑いかけてきた時は、もう心臓が破裂してしまう寸前になるほど鼓動が高まって。
鼓動が高まりすぎて、もう彼女と何を話していたのは覚えていないのだが、どちらにせよ最終的に連絡先を交換してもらえたことに翌日気づき、当時の僕は大変驚いていた。
それからというもの、生まれたての子鹿のように震える手で彼女にメールを送り喫茶店で逢瀬を重ねる日々が始まった。
めでたく再会した桜の彼女──瀬田薫さんは、まるで絵本から出てきた王子様のような人で。話し方や所作、そのひとつひとつが紳士的なのだ。これで僕と同い年というのだから、なんていうか人間力の違いを思い知る。
遠目から眺めてみるだけではわからなかった部分がわかるたび、僕は彼女に幻滅するどころかどんどん好きになっていった。いや、口には出せないけど。
瀬田さんは周りの女の子と比べるとちょっとだけ不思議ちゃんで天然なところもあるんだけど、それもまた彼女の魅力のひとつで。僕はそんなところも好きだった。
そんな瀬田さんは、学校の演劇部やバンド活動をしているらしく、それに加えて甘いルックスと王子様のような性格も持ち合わせているからか、女性ファンがとても多くて。それは男である僕でも納得できてしまう。
だって、彼女は……瀬田さんは、誰が相手であっても、必ず真摯に向き合ってくれるから。僕のなんてことない言葉にも、しっかり耳を傾けてくれる。
きっと彼女のファンである女の子たちも、ファンである自分たちの想いをないがしろにせずちゃんと受け止めてくれる瀬田さんだからこそ応援したくなるんだろうな、と他人事ながらに思って。
それからというもの、こうやって喫茶店で彼女と話すのが、僕のなんてことない日々の唯一の癒しになった。
気のせいかな、二人で会えば会うほど、心の距離が少しずつ近づいている気がした。ある日の帰り道、瀬田さんが僕に君といる時間は楽しい、なんて言ってくれた日はルンルン気分で帰宅したっけ。
そんな日々を繰り返しながら時は過ぎ、僕が仕事でスーツを着るように……というか社会人になっても、この喫茶店で彼女となんてことないことを語らい合っていた。
瀬田さんもびっくりだよな、高校三年の春急に話しかけてきたやばい男とまさか社会人になるまでこうして一緒に過ごすことになるなんて。もしも僕が瀬田さんだったら、想像すらつかないや。
……だが、そう思ったのも束の間、そのびっくりすら凌駕するほどのびっくりに僕は出会うことになる。僕はある日の帰り道、瀬田さんに呼び止められて薔薇の花束を渡されたのだ。
たしかに、瀬田さんは親愛の証としてよく花というか薔薇を贈ってくれることはあった。例えば、僕の誕生日とか、僕と出会った日とか。なんだろう、そういうところもしっかりカッコいいんだよな、瀬田さんって。
しかも瀬田さんは、薔薇を贈るその度々にメッセージカードとかも付けてくれるから、僕にとって瀬田さんから花を貰う時、そのメッセージカードもひとつの楽しみで。
僕も瀬田さんに倣って僕の方から薔薇を贈ってみたりもしたけれど、瀬田さんほどカッコよくないんだよな。それこそ、薔薇を通じて僕の想いが伝わってくれないかと思って花言葉にもこだわってみたけれど、あんまり瀬田さんは気にしていなかったみたいで。
だけど、今回の瀬田さんはいつもと何か違うというか、様子がおかしかったから。たしかに、今日くれた薔薇はいつもより多い、十二本の薔薇だったような。
僕が花言葉を思い出そうとすると、慌ててそれを止めてメッセージカードを見てほしいと言う瀬田さん。僕がメッセージカードを見ると、そこには『あなたが好きです』と瀬田さんの綺麗な文字で書かれていて。
瀬田さんは僕がそのメッセージカードを読んだことを確認すると、今度は僕に面と向かって「君のことがずっと好きだったんだ、私と付き合って欲しい」と伝えてくる。
ずっと好きだった、とずっと好きだった人に告白されるなんて、僕はもしかして夢を見ているのか? そう思いながらも、瀬田さんの目を見てこれは夢じゃないと実感する。
──そうだよ、思い出した。僕が瀬田さんにアプローチする時に図書館で借りていた花言葉図鑑には、十二本の薔薇の意味として『私と付き合ってください』と書かれていた気がする。
ああ、もしそれがそうだとしたらとんでもなくかっこいいな。割と地味になりがちな告白をここまでロマンチックに決められるのは、瀬田さんならではだろう。
それと同時に、瀬田さんが僕にこうやって告白しようと考えて、今日のために今まで準備してきたんだと考えると、瀬田さんのことがなんだかとても可愛らしく思えてしまう。
花言葉を調べたり花屋で僕に贈るための花を探す瀬田さんの姿を想像してほっこりしたり、その一方で本当に彼女の相手が僕でいいのか? と自問自答したりする僕だが、目の前で不安そうな顔をする瀬田さんを見ていると僕がまずすべきことがあることに気づく。
「僕も、あなたのことが大好きです。こちらこそ僕と付き合ってください、瀬田さん」
僕は震える手で彼女の手を取ると、彼女にそう返したのだった。
〜
そんなこんなで、めでたく僕と瀬田さんは付き合うことに。と言っても、特に大きく生活が変わるわけでもなく。喫茶店でお茶をして、たまにその後デートする、みたいな生活を恋人関係になっても続けていた。
付き合ってわかる瀬田さんのかっこいいところとか、付き合ってわかる瀬田さんの可愛いところとか、付き合ってからも変わらず僕は瀬田さんにメロメロだった。
でも、お茶をするばかりじゃなくて、手を繋いだりとか、ハグをしてみたりとか、この前のデートでようやくファーストキスだってしたんだよ?
でも、お互い恥ずかしくなってキスが終わってすぐ目を逸らしちゃったけど。
でも、瀬田さんも僕もお互いが初めての恋人だから、恋人らしい振る舞いというものがどうしていいのかわからなくて今までと変わらない毎日になっているだけ……だと思う。
でも、それを友人たちに言ったらだいたい驚かれるんだよな。こんなんで二、三年付き合えるのがおかしいって。
それは僕だけじゃなく瀬田さんも幼馴染や友人、バンドメンバーに口を揃えてそう言われたようで、二人喫茶店でどうしようか悩んだ日もあった。現に、今日だって。
「瀬田さん、その手紙は?」
「ああ、これはとある子猫ちゃんから送られてきた結婚式の招待状でね。フフ、君もよく知る人だと思うよ」
「あ、本当だ、これはちゃんとお祝いしにいかないと! でも、そっか……もう、みんな結婚していく歳なんだなぁ。この前は僕の知り合いもしれっと結婚してたし」
「そうだね……私たちもいずれ未来のことを考える必要があるのかな」
……そうとはいけなくなってきていることを、再確認する。周りの結婚ラッシュがどんどん加速化していく中、僕たちは呑気にお茶会をするばかりだと思われているみたい。
人生は、何事もタイムリミットがあるから。僕たちの関係の残り時間も、だんだん減っているのを、僕も瀬田さんも見て見ぬ振りをしていただけだ。
どうやら、瀬田さんは近頃結婚した知り合いから結婚にまつわる話をよく聞くようになったようで。この前のデートも、ウェディングサロンの前で立ち止まったりしていたから彼女なりに気にしているのだろうか。
たしかに、もし瀬田さんが僕の家族になってくれたとしたら、それ以上に幸せなことはないだろう。こんなにも優しくてカッコよくて可愛いお嫁さんなんて、何千年に一度しか出会えないんじゃないか。
この前僕が一人暮らしをしている家に泊まりに来てくれた時も、瀬田さんの歯ブラシが僕の歯ブラシの隣にあるのがちょっと嬉しかったし。それこそ朝起きたら瀬田さんが隣にいる生活とか、夢みたいじゃん。
だけど。僕は、今までの人生で喫茶店で瀬田さんと過ごすことが一番の幸せだったから。だからこそ、それ以上の幸せを望んでしまうことが、逆に怖くて。
瀬田さんの新しい一面を知るたび、瀬田さんの優しさに触れるたび、こんなに素敵な人を自分の妻にできるほど、僕はできた人間なんだろうか、と思い悩んでしまうんだ。
「ねえ。瀬田さんは、結婚についてどう思ってるの」
「私……かい? そう、だね……」
「む、無理して答えなくても大丈夫! 答えにくかったら答えなくていいし、僕は瀬田さんの気持ちがどっちでも、瀬田さんが幸せでいられる選択肢を一緒に選びたいから」
「……そうか」
僕がそう言うと、瀬田さんは安堵したような、それでいて少しだけ寂しそうな顔をしながら僕の言葉に頷く。
……やっぱり、こんな話をするのは嫌だったかな。僕が慌てて話を取り消そうとすると、瀬田さんは何かをふと思い出したようにこう話し出した。
「たしか君は、たくさん子供が欲しいと言っていただろう?」
「……うん」
「もしも君がお父さんだったらその子も幸せだと思うな。いや、きっと幸せになれる。君の優しさがあれば、どんなことがあっても温かい家庭を築いていけそうだ」
「僕も、瀬田さんみたいなお母さんがいてくれたら嬉しいな。どんな辛いことがあっても瀬田さんが見守ってくれていたら、なんだか安心してもっと頑張れる気がするから」
……瀬田さん、気づいてたんだな。僕のそう言う何気ない呟きまで、ちゃんと覚えてくれてるんだな。
彼女が言った通り、僕は子供が好きだし、ある日の喫茶店ではいつか自分の子供を育てるのが夢だと瀬田さんに話したことがある。それから──それが瀬田さんと僕の子供だったらもっと幸せだと思う話もした。
瀬田さんが僕の願いを知ってくれていると分かると嬉しい反面、それによって瀬田さんが苦しんでいないか不安になる。
一見チャランポランに見えても、本当はとても真面目な人で、一緒に過ごす時だって、僕の気持ちを一番に大切にしてくれるような人だから、瀬田さんは。
「で、でもさ! まだ、時間はあるから。お互いゆっくり考えられるといいなって、僕は思うな。そう言って関係をズルズル引き伸ばしてるの、僕の方かもしれないけど」
「……」
「あ、ご、ごめん。えっと……そ、そうだ! 僕、用事があったんだ! そ、その……だから、また、今度ね」
「……ああ」
……僕は弱虫だから、そんな優しい彼女の答えを聞くのが怖くてこうやってはぐらかしてしまう。
もし僕が結婚して、と君に言ったのなら、君はそれを受け入れてくれるのかな。わからない、わからないや。
「君、何か悩んでいるの?」
「あなた、は?」
僕は帰る、と言いつつも実際は喫茶店付近で何をするわけでもなくウロウロしていて。そんな僕に、先程僕の近くでコーヒーを飲んでいた僕よりも少し年上の男性が声をかけてきた。
僕は、彼に悩んでいることを話すことを促され、今の悩みを彼に伝えたのだが、彼は親身に僕の話を聞いてくれて。優しくて気さくな彼と話すと、なんだか心がふっと軽くなった気がした。
彼も妻と結婚する時は悩んだ、と返してくれるから、気持ちをわかってくれるのが嬉しくて。嬉しさのあまりどんどん僕は瀬田さんへの気持ちを話して。
そんなお兄さんと別れる時、彼は僕の話を聞くうちに僕に何か共感してくれたのか、連絡先を交換してくれていつでも相談していい、と言ってくれた。
──僕は、彼からもらった紙を大切に握りしめながら、瀬田さんとの未来のことを、ただ考えていた。
〜
それからと言うもの、結婚への悩みや不安をで彼に話す日々が始まって。
……といっても話す内容は半分惚気みたいになっちゃったけど。だけど、このお兄さんは僕の話をよく聞いてくれるんだ。それが、嬉しくて、嬉しくて。
僕が彼に瀬田さんへの想いを話すたび、彼女との向き合い方を再確認することができる気がして、瀬田さんへの気持ちを思い出すように僕はお兄さんと話した。
そんなある日、僕はついにあの喫茶店で瀬田さんを彼に紹介することを決心した。お兄さんを介してなら、瀬田さんと結婚について考えられないかな、と思いながら。
瀬田さんは結構イケメンさんであるお兄さんともフランクに話していて、緊張ばかりしていた僕とはまるで正反対。ああ、すごいな、さすが瀬田さんだな、なんて考えながら、僕は話す二人を見ていて。
二人が少し話したところで、瀬田さんはどうやら忘れていた用事があったらしく、喫茶店を出て行って。改めて僕とお兄さんだけになった喫茶店で、僕は、お兄さんに瀬田さんのことを聞いてみるのだが。
「……こんなことを言うのも申し訳ないが、なんだか、もったいない子だったね」
──最初この言葉を言われた時、その言葉の意味がうまく理解できなかった。
僕はきっと、お兄さんなら瀬田さんのことを素敵な人だと言ってくれると思った。自慢の彼女を、一緒に褒めてくれると思った。だけど、実際お兄さんから僕に返ってきたのはあまりにも意外な言葉で。
あまりの衝撃に頭が真っ白になっている僕を気にせず、お兄さんは話を続ける。
「正直、見た目も中身も男の子みたいであまり可愛らしいとは思えなかったな。世間体を考えても女性らしいとはお世辞にも言えないあの子が妻になっても……」
違う。瀬田さんは可愛いよ。可愛くてしょうがない、僕の恋人だ。
たしかに瀬田さんは男の子みたいにかっこいい感じで、その分女の子らしくないと聞かれたら女の子らしくないかもしれないけれど、僕にとっては、それが欠けてはいけない彼女の好きなところで、大好きなところなんだ。
「……瀬田さんは、お兄さんにとって可愛くないんですか」
「いや、綺麗な子だとは思うけどさ。思うけど……だからこそ、あんな風に振る舞うのはなんだかもったいないと思って。君も、彼女も」
「もったいない、ですか」
──もったいない。二回、お兄さんはそう言った。ああ、彼はきっと悪気がなくそう言っているんだろうな。
僕が瀬田さんって素敵な人を、上手に伝えられなかったから、お兄さんはこうやって誤解してしまっている。
きっと、彼の言葉をそのまま読み解くのであればあんな変なキャラを作らず、普通にしていればいいのに、といったところなのだろうか。違う。それが、瀬田さんの唯一無二の魅力なんだ。王子様みたいにかっこいい君が、僕は好きなんだ。
そうだよ、僕は瀬田さんのそう言うところが好きで付き合っているのに。僕は、そんな彼女と結婚したいのに。
──なのに。何黙り込んでるんだよ、僕。好きな人が悪意はないにしろ否定されたのに、何も言い返さず黙ってていいのか?
ほら、早く言い返せ。違うって否定しろ。頭で考える前に、口を動かせ!
でも、もしそれで優しく僕の話を聞いてくれたお兄さんを怒らせてしまうようなら──
僕が口を開こうとしたその瞬間、そんなことがよぎって瀬田さんが僕は何も言えずまた黙り込んでしまう。
お兄さんは急に挙動不審になった僕を心配そうに見てくれているけど、どうしてもさっきのお兄さんの言葉を思い出してしまう。
『もったいない』
『可愛くない』
本当は、そうなのかな。いつも僕は彼女を色恋眼鏡で見ているから気づかないのであって、もしかしたら世間一般的には瀬田さんって……もったいなくて、可愛くないのかな。
そんなことない、と即座に頭の中で否定するが、一度でもそう言うことを考えてしまった自分が嫌になる。
そんなことを考えた僕に瀬田さんと目を合わせる資格なんてあるのかな。瀬田さんのことを庇えなかった僕に、瀬田さんと話す資格なんてあるのかな。
少しでも瀬田さんを可愛くないのでは、と思ってしまった自分への自己嫌悪と、それを引き起こしたお兄さんの無意識の悪意への憎悪が僕の中をぐるぐると回り。
──僕は、僕は、僕は。
「あの、えと、僕も、用事を思い出した、ので」
気づけば、頭が真っ白になって、逃げ出すように喫茶店を出た僕は、どこに向かうわけでもなく街中を駆け出していた。
〜
……最悪だ。本当に最悪だ。
僕が弱虫なせいで、瀬田さんが傷つくような言葉に何を言い返せなかった。その場に瀬田さんがいなかったことが救いだが、だからと言って僕が言い返せなかった事実が変わるわけでもない。
でも、これは別に誰が悪い、わけでもないんだよね。悲しいけれど、お兄さんも、素直な気持ちを言っただけみたい、だし。
ああ、お兄さんに理想を押し付けすぎた僕がダメだったのかな。だいたい、お兄さんの言葉尻だけを気にしてしまうような僕がダメだったのかな。
「瀬田さんは、好きな人を否定されたら悲しくなる?」
そこに瀬田さんがいるわけでも、誰がいるわけでもないのにそう呟いてみる。
──僕が、いちいちお兄さんの些細な言葉を気にしなければこんなに悩むこともなかったのかな?
でも、それも違うよね。たとえ相手側に悪気がなくても大好きな人をそう言われて、傷つかないことなんてあるのかな。
もう、なにがなんだかわかんなくなってきたよ。僕はどうしたらいいのかも、僕がどうしたいのかさえも。
こういう時、全肯定瀬田さんなんかがいたら幸せなのにな。君は儚いよ! って無条件でこんな情けない僕を肯定してくれて、僕を抱きしめてくれて、僕に優しくキスをしてくれたらいいのに。
──だけど、そうじゃないよな。瀬田さんまで都合のいい存在にして、自分を正当化したところで根本的なところは何も変わってない。
「……会いたいよ、瀬田さん」
いつもと変わらない空を見上げながら、あの人のことを想う。今、彼女は何をしているのかな。何を考えているのかな。
ああ、どうしよう、なんだか泣いてしまいそうだ。僕、昔はよく泣くタイプじゃなかったのにな。瞳に浮かんだ涙が一粒こぼれそうになった時──
「フフ、それならちょうどよかった。私も用事が少し早く終わって何をしようか迷っていたところなんだ」
「瀬田……さん」
「君が何か思い悩んでいるのなら、私が胸を貸すよ」
瀬田さんが、僕の隣に立って僕の涙を拭ってくれていたんだ。
まさか泣いてるところを見られるとは思っていなくて、僕は慌てて取り繕おうとするが、瀬田さんは何も言わず僕を抱きしめてくれる。
まるで、泣いていいんだよ、と言ってくれているように瀬田さんは僕の頭を撫でてくれるから。僕はそんな瀬田さんの温もりに触れれば触れるほど、胸が苦しくなっていく。
……やっぱり、瀬田さんは優しいな。
その優しさを知れば知るほど、今は痛いのに。優しい人だからこそ、辛いのに。瀬田さんの体が僕から離れた時、僕はぽつりと呟くようにこう言った。
「瀬田さん、ごめんなさい」
「おや、どうして君が謝るんだい? 君は何も悪いことをしていないのに……」
「違うんです、僕は、瀬田さんのこと、あ、えっと」
「……君が話せそうなら、話してごらん」
口ごもる僕に、瀬田さんは優しい声でそう言ってくれて。こんな僕のことまで気にかけてくれる瀬田さんは、やっぱりすごいや。
瀬田さんにこのことを話したら、どんな顔をするのかな。でも、きっと瀬田さんのことだ、僕を傷つける言葉は言わないんだろう。瀬田さんは優しい人、だから。
──そんな優しい瀬田さんに話して楽になるのなら、話して楽になりたい。でも、それで瀬田さんが傷ついてしまうのなら、瀬田さんを困らせてしまうのなら。
「ごめんなさい、なんでも、いや、僕は、その、瀬田さんが」
「もしかして、喫茶店のお兄さんとの会話のことかな」
「……どう、して」
「ああ、荷物をまとめるのに少し手間取ってしまって、その時二人の会話が聞こえてしまってね。もしかして君は、そのことを気にしていたのかい? それなら何も気にしなくていいよ。彼も、君も、どちらもおかしくないのだから」
瀬田さんも、あの会話が聞こえていたの? お兄さんの悪気のないあの言葉も、聞いていたの? 僕が瀬田さんのことを庇えなかったことも、聞こえていたの?
どうしよう、どうしよう、と、僕が大パニックになっていると、瀬田さんは優しい声で僕にこう言う。
「お兄さんも、きっと思ったままの私への第一印象を言っただけだろう? 初対面でいきなり他人のことを理解しろ、と言われても難しいのも仕方がないさ。彼から見た私の第一印象はそれだっただけだよ」
「……だけど」
「だけども何もないよ。人は、たくさん会って初めて互いを知っていくものだろう? だから初対面で全てがわかるわけじゃない。いい面も悪い面を付き合ってみてようやくわかるものさ。だから、彼はまだ私のことがよくわからなかったんだと思う」
瀬田さんは、笑いながらそう話すけど僕は瀬田さんみたいに上手に笑えないんだ。
お兄さんは悪くない、と瀬田さんは繰り返し言って僕に罪悪感を抱かせないようにしながら僕を元気づけようとしてくれているんだ。
──だからこそ、なんでこんなに優しい人が誤解されなきゃいけないのかな。
「でも、それじゃあ──」
「──お兄さんから瀬田さんが誤解されたままだ。そう言いたいんだね? それなら、きっと大丈夫だよ。そうだね……私を誤解していたのは何もお兄さんだけじゃないよ。第一君だって私と初めて話した時は、私の話し方や仕草、服装にびっくりしていただろう?」
「そ、そうでしたっけ……?」
「忘れてしまったのかい? 私と初めて話した時、女の子なのにイケメン……? 僕よりイケメン……? なんて言いながら私を二度見三度見したのは紛れもない君だぞ?」
瀬田さんからの急な思い出話にそ、そう……だっけ? と僕は必死に記憶を辿ってみるがどうしても思い出せない。
困惑する僕を見ながら瀬田さんはフフ、と上品に笑いそんな僕にこう話す。
「でも、そんな私という初めて会った人間にびっくりしていた君がその私とこうして仲良くなれたのは、たくさんの年月を私と一緒に過ごして互いを知ったからだ」
「そう、ですね」
「大丈夫、人は案外初対面の印象だけが全てじゃないよ。相手に対する印象や想いは、互いを知れば知るほどまた変わっていくんだと私は思う。だからあのお兄さんだって、きっと私の儚さにたくさん触れていけばそのうち瀬田薫という存在そのものに魅了されてしまうはずさ!」
「……瀬田さん」
瀬田さんは、そう言って僕に向かって優しく笑いかけてくれる。だから気にしないで大丈夫だよ、と僕に言ってくれる。
悪気のない言葉に傷つけられたのは、どちらかと言えば瀬田さんの方なのに。それなのにも関わらず僕をこうして気遣ってくれるのに、僕は。
──この人が傷つく言葉に何も言い返せなかったんだ。
「どうして、君が泣いてしまうんだい? 君は何も悪くないよ」
「違、うんだ。相手に悪意はないとは言え、大切な人を貶されたのに、それなのに。何も言い返せなかった上に、最終的に大切な人本人に慰めてもらうことしかできない自分が情けなくなっちゃって。僕がもっと説明上手で、物怖じせずに瀬田さんは素敵な人だって、上手に伝えられたらどんなに良かったのかなって」
「……そう、だったんだね」
「それに加えて、少しでも、一瞬でも瀬田さんへの気持ちを疑ってしまったから。瀬田さんを傷ついてしまうような言葉に対して何も言い返せなくて、その言葉に影響されて君への気持ちがわからなくなるような僕が、優しい君の彼氏でいられる権利なんて、ないんじゃないかなって思ったんだ」
僕は、俯きながらぽつり、ぽつりと瀬田さんにそうこぼすが瀬田さんは何も言わずに僕を見つめてくるだけ。
瀬田さんは今、怒ってるのかな。悲しんでるのかな。でも、そうだよ。こんな情けない僕じゃ、瀬田さんに失望されてもしょうがないや。
「……そんなわけないよ。どんな君も、私の自慢の恋人だ」
「瀬田さんは、やっぱり優しいね。それに対してさ、僕って、いつも君の優しさに頼りっぱなしで、自分は何ひとつ瀬田さんのためになるようなことができてない。今日だって、僕が勇気を振り絞ればいくらだって瀬田さんが大好きな気持ちを彼に伝えることができたはずなのに。でも、それができなかった僕なんかが、瀬田さんのことを大好きって言ったって、なんだか嘘くさく思えちゃうよね。……本当にごめんなさい、瀬田さん」
僕は、今にも泣いてしまいそうな気持ちを抑え、瀬田さんを追い込まないように必死に笑顔を作りながら、瀬田さんにこう話す。
瀬田さんは、僕が話している間何も言わずにただ僕の話に耳を傾けていて。瀬田さんがこうして黙り込むのは、あまりないことだから、やっぱり不安になってしまう。
「──くん」
「瀬田、さん……」
「もしも君が本当に私のことがどうでもいいのなら、たとえ彼がどんなにひどい私の悪口を言ったとしても君の心は傷ついていないはずだよ。私をなんとも思っていないのなら、今の君のように、心を痛めて、涙をポロポロ溢すこともないし、言い返せなかったことを後悔だってしていない。それこそ好きの反対は無関心、と言う言葉もあるしね」
瀬田さんは僕の名前を呼んで、また僕に優しい言葉をかけてくれる。ああ、ダメだ、このままじゃまた君の優しさに甘えてしまう。
──たとえ僕の気持ちがどうあれど、あの時瀬田さんのことを庇えなかった僕に、君といる資格なんてない。
僕がそう言おうとすると瀬田さんは僕の唇を手で押さえてきて、話を続ける。
「いいかい? 言い返す言い返さないは、この際関係ないよ。だからこそ……君がまるで自分のことのように私のことを大切に思ってくれている、それが分かっただけで、私は十分なんだよ」
「……瀬田、さん」
「それに私は、君が君自身を否定してしまう方が嫌だった。君が私のことを傷つけられるのが悲しかったように、私だって君が傷つくのを見たくはないんだ。私も、優しい君のことが大好きなのだから」
そう言って、瀬田さんは泣きじゃくる僕をただ撫でてくれる。何も言わずに僕に寄り添ってくれる瀬田さんの温もりが、優しさが、僕の心にじんわりと染み込んで。
『相手の痛みに寄り添えるのは、君の素敵なところだよ』
たしか、昔瀬田さんは、僕と話すと口癖のように僕の目を見ていつもそう言ってくれた。落ち込んだ時に君と話すと元気になるな、なんて言いながら笑ってくれた。
その言葉に、僕は『瀬田さんもだよ』なんて返して二人笑い合っていたあの頃を思い出して、胸がいっぱいになる。
もしかしたら僕は、表面上の言葉や行いに囚われるばかりで、本当に大事なものを見失いかけていたのかもしれない。改めて、僕は瀬田さんの目を見ると。
「……瀬田さん。僕はさ、僕自身が否定されるよりも、僕の大好きな瀬田さんのことを否定されてしまう方が辛いんだ。僕にとっては瀬田さんは、僕の命そのもの、だから。きっとお兄さんの瀬田さんに対するあの言葉が、ナイフのように痛かった。僕にとって、あの言葉は瀬田さんのことを侮辱されているように感じちゃったから」
「……そう、だったんだね」
「彼の言葉は、悲しかった。けど、一番は。君が大好きだって日常的に言ってるくせに、いざ君を傷つけてしまうような言葉を投げかけられた時、彼氏として何も言い返せなかった弱虫な自分が嫌だった。瀬田さんはこんなに素敵な人なんだ、だから何も知らないまま決めつけないで、彼にそう伝えることができなかったのが、すごく悔しくて」
僕は、今度は前を向いて自分の気持ちを瀬田さんに話す。自分の負の感情をこうやって言語化するのは、少し胸が苦しくて悲しいけれど、それでも。
──瀬田さんが僕にかけてくれた優しい言葉や、僕にくれた優しい気持ちに甘えてばかりじゃ嫌だから。
「僕はこんなんだから、瀬田さんが話しかけてくれるまで、そこでずっとうじうじ悩んでた。自分のことが嫌になってた。でも、瀬田さんと話せてようやく気づいたんだ。やっぱり、僕は君のことが大好きなことに。だからこそ、そんな大好きな君が好きだと言ってくれた僕を大事にしなきゃ、だよね」
だいたい、人の意見なんてそれぞれだ。それぞれなのに、僕はその意見が誰かと一緒じゃないことが嫌だった。
だけど、誰かと一緒であることに囚われて大好きなものや大好きな人のことが見えなくなってしまったら、それこそ本末転倒だ。
「──くん、最後に少しいいかな」
「は、はい……」
「君の話を聞いていて思ったんだ。今まで君が傷ついてしまうから言わないようにしていたけど、私も誰かに否定されることだってあるし、それで傷つくこともあるよ。だけどね、たとえ誰になんと言われても、子猫ちゃんが、バンド仲間や、友人が。そして大好きな君が私のことを好きだと言ってくれるなら、私はそれでいいんだ」
「……ありがとうございます、瀬田さん」
そうだよ。最初からこう言えばよかったんだ。こう思えばよかったんだ。誰がなんと言おうと、『僕は』瀬田さんのことが好きなんだって、大好きなんだって。
世界中から後ろ指をさされたって、その想いは変わらないんだ。何もない僕が、唯一心の底から大切だと思えたかけがえのない人。それが、君なんだ。
でも、瀬田さんの話を聞く限り、瀬田さんに救われるばかりだと思っていた僕も、少しぐらいは瀬田さんの救いになれていたのかな。瀬田さんも、僕と同じ気持ちでいてくれたら嬉しいな、なんて思いながら今後は僕から瀬田さんの身体を抱きしめる。
いきなりの僕からのハグにびっくりしながらも瀬田さんは僕を抱きしめ返してくれるから、僕はさらに瀬田さんを抱きしめる力を強める。
……瀬田さんには言えなかったけれど、お兄さんと話している時に瀬田さん以外と結婚する未来が僕の頭をよぎったりもした。たしかに、その未来はその未来でいいのかもしれないけど。
──でも、僕は、やっぱり君じゃないと嫌だ。むしろ君以外、考えられないんだよ。僕は、君と、いや、君だからこそ、一生を共に添い遂げたいんだ。
ようやく分かったよ、僕の本当の気持ちが。だからこそ、今度こそはその気持ちを見失わないように。君と人生を歩いていけるように。そんな願いを込めながら、僕は明日からのことを考える。
……これからは、給料の無駄遣いとかしないようにしなきゃな。なんて。
〜
それからもう少しだけ時は過ぎ、やってきた二月二十八日の昼。いつもよりキッチリとした洗い立ての服を着て、僕は花屋に予約をしていた花束を取りに行く。
でもなんだろう、お花って、結構高いんだな……? 僕はロマンチックな花束のロマンチックじゃないレシートの値段を見ながら、それでも瀬田さんが喜んでくれるなら……! とお金のことは気にしないようにしたり。
なんということでしょう、花束だけでもロマンチックなお値段がするのに、それに加えて“婚約指輪”代やこれから行く“レストラン”代も重なるので僕はこれから二、三ヶ月ぐらいもやし生活をしなきゃいけないような気がしてきた。
──そう。今日はここ二、三ヶ月頑張って準備をしてきたプロポーズをついに決行する日なんだ。瀬田さんの誕生日を祝うついでにプロポーズをしちゃおう! 的な魂胆だけど、普通だよね? と自問自答をする。
今の僕は花束と婚約指輪をバッグに隠しあの桜の下で瀬田さんを待っている。そろそろ咲きそうな桜の蕾たちは、僕を応援してくれているのだろうか。
この蕾たちが満開に咲いたら、また瀬田さんとここに来ようかな、なんて呑気なことを考えているけど、やっぱり主役の瀬田さんが来ないとどうも落ち着かないな。
ああ、なんだかモロに聞き出そうとしてた感は否めないけど、うまく理由をつけて瀬田さんに測らせてもらった指のサイズ、本当に合ってたかな。というかまず、僕が選んだ婚約指輪は瀬田さん好みなのかな。
ああ、花束も喜んでもらえるつもりで用意したけど迷惑とかじゃないよね? 百八本で作ってもらった花束、僕の想像以上に大きかったんだけど、引かれたりしないかな。
いやいや、自分を信じろ! そんなことを考えても仕方ない! 当たって砕けるんだ僕! いや、でも、当たっても砕けちゃいたくはないな……
「──くん?」
「あ、せ、瀬田さん!? と、とりあえずお誕生日おめでとうございます!」
「ありがとう、君に祝ってもらえて嬉しいよ」
「えっと……瀬田さん、弦巻さん主催のお誕生日会、どうでした? 僕もその、ご一緒したかったんですけど色々あって夜からしか過ごせなくて……!」
なんてことを考えたら、瀬田さんがやって来てしまって僕は大慌てで瀬田さんに挨拶して瀬田さんの誕生日を祝う。
僕は“瀬田さんへのプロポーズ”の準備をしていたから遅くからしか会えないことをバレないように話したが、どうだろう。
瀬田さん、なんかやけにニコニコ笑ってるもんな。プロポーズの準備をしていた、とまでは行かないだろうけど、いろいろバレてそうだよな。
「……本当に色々ですよ」
「……ああ、色々なんだね」
……あっ、この反応は絶対バレちゃってるやつだな。瀬田さん、その上であえて気づかないふりしてくれてるや。
気まずい空気の中、レストランに二人で向かう途中、瀬田さんはあえてこの話を深掘りしすぎないように、話題を弦巻さんたちと過ごしたバースデーパーティーに変えてくれる。
瀬田さんはパーティーでは、高校生だった頃のように舞台に立って誕生日公演をしたとか、自分の顔があしらわれたケーキをみんなでわけあったとか、いろんな話をしてくれて。なにそれ、僕も行きたかった。ちょっとぐらい、顔を出したかった。
僕も行きたかった、とぼそっと呟くと、瀬田さんは笑って来年は一緒にパーティーでもしようか、と言ってくれるから。
やがてそんなことを話しているうちにレストランに着いて、慣れないフォーマルな場に緊張する僕を瀬田さんがエスコートしてくれたり。
奮発して夜景がよく見える席を選んだおかげで、瀬田さんが儚い……と嬉しそうだったのを横目で眺めて、僕も嬉しくなったり。
──こうやって瀬田さんと過ごす度に、瀬田さんと話す度に。僕は、この人と永遠に笑いあってたいなって改めて思うんだ。
レストランでブルブルしながら瀬田さんとのディナーを終えた後、僕は彼女の手を引いてあの喫茶店の前に向かう。
僕にいきなりついてきて、と言われてここまで連れてこられた瀬田さん。瀬田さんは喫茶店の店構えを見ながら、どうしてここに? と僕に聞いてくる。
僕は、そんな彼女の質問の答えの代わりに前に跪くと、カバンの中から薔薇の花束と婚約指輪を取り出して、彼女にこう言ったんだ。
「瀬田さん……いいえ、薫さん。あなたに伝えたいことがあります」
〜
「……それで、僕がタジタジになりながらプロポーズしたんだけど瀬田さん改め薫さんは僕のそれをOKしてくれて、その一年後の二月二十八日にめでたく僕たちは結婚。それから一年後には僕たち夫婦の初めての子供、つまり今僕の話を聞いてくれているキミが産まれたのでした! ……って感じ! なんだか、昔を思い出すとあの時の淡い気持ちを思い出すな。薫さんと過ごした温かい日々……ふふ」
「おとうさん、なんかキモチワルイ」
「そんな……」
そうして僕の妻になってくれた君……改め薫さんと過ごした日々を話しているうちにあの頃の思い出を思い返して幸せに浸っていたところをバッチリ息子に気持ち悪がられてしまう。
そんなに緩んでたかな、僕の顔? と僕が彼にそう聞くと、彼は僕の携帯で僕の顔をとって明らかににやけていることを指摘してくる。もしやこの子、僕も使いこなせてない携帯を完璧に使いこなしている……?
「で、でもね、そうやってにやけちゃうぐらい僕はお母さんと、薫さんと結婚できてよかったって毎日思うんだ。君だって、あんなかっこよくて優しいお母さんがいて幸せだろ?」
「うんうん! おかあさんは、おれのじまんのおかあさんだよ! でも、おかあさんってかっこいいところとおなじくらいかわいいところもあるよね? ほら、かおちゃんってよぶとてれちゃうとことか!」
「ああ、それはあの大女優、白鷺千聖さん伝授のアレだね……? たしかに、薫さんのことを一回かおちゃんって呼ぶだけであんなに真っ赤になっちゃうから可愛すぎるったらないよ〜!」
「へへ、ちさとおねーちゃんにはだいかんしゃだよね! じつはね、おとうさんがおかあさんのことをはじめてかおちゃんってよんだとき、おれとちさとおねーちゃん、ふたりでいっしょにグータッチしたんだよ!」
そうそう、薫さんと付き合う上で忘れちゃいけないのは薫さんは可愛いってことなんだよな。
家族で水族館に行った時、必ずカクレクマノミの前で立ち止まっちゃうところとか、お正月は張り切って雑煮を作ろうとするところとか、そんなところがとっても可愛い。
そんなことを二人で話し合っていると、玄関のドアが開いて誰かが入って来る。この足音は、きっと彼女だろう。
「……あ、おかあさんおかえり! おたんじょーびとケッコンきねんび、おめでとー! これね、おれからのプレゼント! おとうさんとおはなやさんでえらんだんだよ!」
「おや、とても可憐で素敵な花だね。これは……」
「えっとね……おれはね、ピンクいろのバラにしたんだ! おとうさんとおかあさん、いっつもバラをプレゼントしあってたんでしょ? だから、ぼくもバラをプレゼントしたいっておとうさんにいったらいっしょにどんなバラがいいかえらんでくれたんだ! ピンクいろ、かわいくてきれいでしょ!」
「ああ、本当に儚くて素敵な花だね。それよりも、私のために君がプレゼントまで用意してくれたなんて思わなかったよ! お祝いしてくれてありがとう、私の部屋に飾るね」
薫さんがそう言って頭を優しく撫でるたび、彼は嬉しそうにおれすごいでしょ、とかもっとほめて、なんて言うから。
そんな二人を見ていると、どっちが主役か分からなくなる。けれど、それさえも愛おしくて。そんな彼ははしゃぐだけはしゃぐと、疲れたらしくそのまま眠ってしまう。
「……あのね。この子、薫さんが帰ってくるまで頑張って起きてたから、多分薫さんと話した時点で体力が尽きちゃったみたい。ゆっくり眠らせてあげて」
「ああ、もちろん。眠いのを我慢しながら私の帰りをこうして待っていてくれたんだね。何だか、悪いことをしてしまったな」
「いや、彼に聞かれて僕が君と結婚するまでのことを話してたからそれで眠くなっちゃったのかも。楽しそうに聞いてくれたから、楽しんでくれたのに違いはないんだろうけど」
「……そうか。君がプロポーズしてくれたあの日のこと、私もちゃんと覚えてるよ。確か……『僕はなにがあっても一生君の側にいる。だから、君も一生僕の側にいてほしいんだ』、だったかな。あの言葉、今でも時々思い出して嬉しくなるんだ」
二人で眠る彼をベッドに運んで布団をかけてあげて、もう一度リビングに戻ると僕は薫さんに彼が眠ってしまった理由を話す。
僕が薫さんと結婚するまでの話をしていた、と知ると、瀬田さんは嬉しそうに笑ってそう言ってくれるから、僕も嬉しくなる。
僕の隣に座る薫さんの左手の薬指に煌めくのは、僕があの日渡した婚約指輪と、その後二人で選んだ結婚指輪。
普通、結婚指輪だけをして婚約指輪はしないのが主流なはずなのに、薫さんは婚約指輪も一緒に重ね付けしてくれていて。薫さんがそうしてくれているのは『君の気持ちをいつでも感じられるから』と、少しだけキザな理由なのも愛おしい。
でも、こうして薫さんと二人きりになれたなら、今日のために僕が用意した『アレ』も渡すことができるな。
「その……それで僕も、プレゼントを用意いたしまして」
「そうなのかい? それはどんな……」
「──お誕生日おめでとう、薫さん」
……僕は自分の部屋から、『薔薇のアレンジメント』を取ってくると、それを薫さんの前に置く。
だけど、僕が持ってきたアレンジメントは普通のアレンジメントじゃない。だって、そのアレンジメントは。
「これはね、僕がこっそりうちの庭で育ててた薔薇で手作りしたものなんだ。少しだけ不恰好だけど、頑張って作ったから、受け取って欲しい、です」
「……そう、だったんだね。まさか、君がアレンジメントをこうして手作りしてくれるなんて思ってもいなかったから……すごく嬉しいよ、ありがとう」
「ふふっ、薫さんが喜んでくれるような儚いアレンジメントになってたら、嬉しいな」
「そんな、とても儚いに決まっているじゃないか! 本当にありがとう、──くん」
瀬田さんは、そう言うと僕のアレンジメントを抱きしめて、嬉しそうにはにかむ。君の無邪気で優しいところは、いつになっても、いくつになっても変わっていないんだな。
僕はアレンジメントを抱きしめる薫さんを上からぎゅっと抱きしめて、その髪に軽くキスをする。
──君と、ずっと一緒にいられるように。大好きな君と、ずっと笑顔でいられるように。……ただ、そんな祈りを込めながら。
そうして今年も、君と共に過ごす儚い夜が更けていく。