──ここは私立花咲川学園高等学校、かつては女子高だったここも少子化の波が押し寄せていた。
数年間の定員割れが続き、廃校もやむ無しという意見も理事から出たらしい。そしてそんなピンチにスクールアイドルを設立して持ち直してくれるような奇跡なんて当然、起きようはずもなかった。そもそもスクールアイドルってなんだよ。
決断を余儀なくされた理事は、当初からあった計画を実行せざるを得ないところまで来ていたのだった。
「共学化を、します」
ドンッ! とかゴゴゴゴとか文字が背後に浮かんでいたかどうか、また本当にこんな風に劇画タッチになったかのような言い回しをしたかどうか、知る由などありはしないが、とにかくそんなニュアンスの会議を経て、花咲川女子学園は近隣の羽丘女子学園と連携し片方を共学化させるに至り、そして
いつものように学校へと向かっている途中に、その噂の生徒会長の後ろ姿を見かけ俺は横に並んで声をかけた。
「おはよう……ございます、
「あ……お、おはよう、如月くん」
長くまっすぐ伸びた黒い髪、女性が羨み、男性が焦がれる圧倒的美貌と
「あ、あ……えっと」
「ん? どうかしましたか?」
「……えと、ね? 生徒会室……来て、ほしくて」
「ああ、なるほど」
生徒会たるものとして日直並に登校を早くして朝の活動にあてることが多いが、今日は特にやることがなかったらしい。そうでなくても俺はいつも早めに向かうのがデフォルトとなってしまってはいるが。彼女もそれを把握しているのだろう、だからこの時間に登校しているし、こうして俺を生徒会室に呼び出す余裕があるのだ。
「というかこのタイミングってことは、同じ電車だったんじゃないですか?」
「……そう、かも……」
「なら、連絡なりなんなりしてください」
「……昨日、いっぱい、しちゃったから……迷惑かなって」
ネット上ではかなり饒舌で明るい印象を持つ彼女の連投を今更気にするほどの付き合いではない。
二人で並びながら、もはやオートメーションでも脚が勝手に向かっていけそうなくらい半年で慣れた階段を上がっていく。上がりながら意識は隣の彼女へ向けるのも簡単だった。
「ところで迷惑って、本当にそう思ってる?」
「もち、ろん……思ってる……よ……ふふ」
「ふふ、って笑っちゃってるし」
笑うと本当に天使なんじゃないかって思ってしまうほど、彼女は女性も男性も虜にする笑みを放つ。だがそんな魔性とも言うべき美貌を持つ彼女が、天使であるはずがないのだと俺は知っている。
──彼女は悪魔のような女性だ。この俺を惑わせてくる魅惑と艶を持つ人物だ。俺の後に生徒会室に入って、わざわざ内鍵を閉める周到な人が少なくとも天使であるはずがない。
「……如月くん」
「うん……
人に向けて両手を広げて、遠慮なく抱きついてくる人が、恋人とはいえ隠れて付き合ってる男に向かって我慢できずに生徒会室で抱きついてくる人が天使なわけがない。
──白金燐子は天使にはなれない。俺は、きっと俺だけがそれを知っている。
「ん、ふ……んん」
「我慢してたんじゃないの? 学校ではやめようって」
「……我慢すると、余計に……ムラムラしちゃう」
「言い方、それやばいから」
ムラムラしちゃダメだと思うんだよ、せめて別に言い方になおしてくれたら嬉しいんだけど、どうやら燐子的にはいい言い回しが思いつかないらしい。下を向きながらもじもじされると誰でも別の意味に聴こえるという指摘も通用はしない。
何があって、こうなっているのかというと、燐子が極度の匂いフェチであるところが関係している。
「バレないように……してる……から、大丈夫……のはず」
「最後の一言がなければそこそこ信用できるんだけどな」
「……大丈夫」
「言い直しても無駄だってことに気付いて」
身長差があるせいで見下ろせるカタチに燐子のつむじが見える。俺はなるべくお腹あたりの柔らかな感触のことを頭から切り離して人の匂いを容赦なく嗅いでいる彼女を抱きしめる格好で固まっていた。
これはもはやルーティンとなりつつある、燐子と俺の朝の儀式のようなものだ。もちろん、毎日じゃない。学校のない日はしないし、生徒会で集まらないといけない時──有咲や紗夜先輩がいる場合も同様だ。
「如月くんの……匂い、落ち着く……し、好き……」
「燐子って時々、自分のかわいさを武器にしてくるよね」
「……そう、かな……?」
かわいさを武器、というのはちょっと間違いかもしれない。戦略的か、本能的か、俺が燐子のそういう言動、仕草に何も言い返せなくなってしまうということを知っているんだろう。俗に言う惚れた弱み、というやつだ。
──しばらく、俺にとっては悩ましいものの燐子にとっては至福の時間が続いていく。外は賑やかさを増していく中で静かな生徒会室で、俺は燐子の頭を撫でる。
「もうそろそろ時間だよ」
「……もう、ちょっと……」
「予鈴鳴っちゃうって」
「もう、ちょっと……」
そのもうちょっとが本当に予鈴が鳴るまで続いて、それでも名残惜しそうにすり寄ってくる彼女に対して断腸の思いで断り教室へと戻っていった。
外から見る燐子は、凛としていて宝石のような美麗さと、何事にも優しく対応する包容力がある。鰐部先輩の推薦で突如として生徒会長へと内定した彼女だが、その支持は男女学年を問わず広がっている。男子コミュニティだとお嫁さんにしたい女子ナンバーワンでもある。もちろん俺にとっても一緒に働けるということにやや緊張をした憧れの先輩だったのだが。
「如月くん、燐子先輩が呼んでるよ」
「わかった」
お昼休みになった途端に呼び出される。燐子にとって比較的苦手意識のないクラスの女子が俺を呼びに来て、教室の外に出ると少しだけ居心地悪そうな顔で出入り口の前の廊下に立っている彼女の姿があった。
彼女も身長的に目立つ俺のことを見つけたのだろう、少しだけリラックスしたような顔をしているような気がする。
「どうかしたんですか、会長?」
「あ……あの、ね……」
「生徒会室ですか?」
無言で頷く。手にはお弁当が握られており、何が言いたいのかも察しがついたため、一旦自分の席まで戻って弁当箱を取ってから再び彼女の前まで向かう。
会長としてお昼休みにまで生徒会室に向かうとは、なんて勤勉で真面目で、この学校のために頑張っている人なのだろうと思うかもしれない。だけどそうじゃない。彼女の思考回路はもう少し俗っぽくて、また普通の女の子でもあるのだから。
「俺を呼び出すなら、スマホでよかったんじゃ?」
「……そう、だけど」
「だけど?」
居心地が悪くなることがわかっていつつ燐子がわざわざ俺を呼びに来た理由も、半分以上は多分連絡しても見てくれるかわからないから、というものだろう。事実として俺はあまり学校の中ではスマホを使うタイプじゃない。特に昼休みならとりあえず弁当食べてからクラスメイトとのおしゃべりに使うか、それがなければ音楽を聴くことくらいだ。
「ああいうの……ちょっとだけ、やって……みたかった」
お昼を一緒に食べるために他学年の教室までやってきて、言伝を頼み、そして来てもらう。そんなシチュエーションへの憧れが彼女の中にはあるらしい。そもそも隠れて付き合っている理由も彼女が『
「如月、くんは……」
「なに?」
「どうして、わたしの……告白、いいよって言ってくれたの……?」
「どうしてって、俺も燐子のことが好きだったからとしか」
「……どうして?」
弁当の中を空にして数分後、俺と燐子は生徒会室で引き続き秘密の恋人同士としての時間を過ごしていた。
燐子は、あまり自己評価が高いタイプじゃない。きっと鰐部先輩もそれを知っていて、紗夜先輩や当時から生徒会への意気込みもあった有咲に彼女のことを支えてほしいと願ったんだろう。本当は真面目で、誰かのことを引っ張っていけるカリスマもある燐子はだけど、自分が独りじゃなにもできないトロい女だと思ってる節がある。ダメダメな自分のどこを好きになったのか、未だに自信が持てないんだろう。
「
「……え?」
「図書委員として、あらゆる本を読みつくしていたあの頃から」
「うん……ありがとう……」
「どういたしまして」
小さな子どものように、隣にいた俺の肩に頭を乗せて微笑む燐子の肩をそっと抱く。まだ付き合い始めて全然時間は経ってないからわかんないけど、これを有咲や紗夜先輩に隠すのは至難の業ではないのだろうか。というか一緒に仕事をしていて燐子の頬が緩まないか、そしてそれよりも俺の頬が緩まないかという懸念もあるんだからな。
「わたし……ね」
「うん」
「中等部に入ったばっかりの時は、まだ、共学化なんて話にもなってなくて……」
「そうでしょうね」
共学化し始めたのはちょうど燐子の代からだ。今年でようやく全学年に男子が揃ったという状態なんだから当時は理事会等では扱われていただろうけど、燐子の耳に届くわけがない。
ただ、その翌年に自分の代から男子も受け入れるという話が入った。当然家の近くにあるため視野に入っていた燐子は迷っただろう。
「高等部に上がるの、やめようか……とも、思った……んだけど」
「やめなかった」
「うん……実はね、憧れてたの……恋人と、好きな人と、学校で……」
「今みたいなシチュエーションを?」
「……うん」
そのタイミングで唇が重ねられる。学校の外なら、何度か迫られた──ではなく恋人としての求めに応えたカタチでしたことは何度かあるが、学校の中で燐子の唇が重ねられたのは、初めてのことだった。
頬がほんのりと朱に染まって、自分からしたこととはいえよっぽど恥ずかしかったのか俺の肩に顔を埋めて視線を外す。だが手はまだ何かを求めるように俺の太ももをしきりに撫でていた。
「あの……燐子?」
「どこまで、許して……くれる……?」
「ダメ」
「……でも」
「ダメなものはダメ」
うるうると瞳を潤ませながらこっちをじっと見つめて顔の良さで殴ってくるけど、それだけは断らせてもらう。
思いつく理由としては、時間がないことだろうか。昼休みはそれほど長いわけじゃない。幾ら抗いがたい魅惑だったとしてもその誘いに乗れば時間や倫理観、理性などなど、色んなものがなくなってしまうだろう。それは、とても困ってしまう。
「せめて、お昼じゃなくて……」
「放課後なら……?」
「そもそも学内がダメなんだって」
「ダメ……」
「そう、ダメ」
「制服……校内、こっそり……」
あの、恋人との憧れのシチュエーションに
諦めきれないらしい太ももに置かれる手をなんとかどかして、生徒会長と役員として接してきた頃とは全く違った立場で彼女を暴走し始めた彼女を制止する。
「シチュエーションに憧れるんだったら、もっとこう健全に……学校帰りの家とか」
「……うん、じゃあ……それで」
「まぁ……ん?」
「約束、ね……?」
なんだか誘導されてしまった気がしなくもないが、とにかくなんとかその場では収まったようで、燐子は立ち上がって俺に向けて手を差し出してくる。なんとなくリードされている気がして、ちょっとだけ不満だったがそれももう一度のキスで全部消えていってしまった。しかもその後ではしてやったりとでも言いたげな笑みまで浮かべてきて。
「約束した、から……守ってね、如月くん……」
──やっぱり、白金燐子は天使ではない。彼女は天使の皮を被った悪魔か、魔女か。
わからないけど、彼女に魅入られた俺にはもう、為すすべなんてどこにもないのかもしれない。