カレシもリサも大学生です。
来た時にはまだ沈みかけだった夕日も既に地球の反対側へといなくなり短針はもう既に「11」の文字盤を通り過ぎていた。
店の電気を消して、それまでは煌々と周囲を照らし店名を主張していた看板が暗闇に紛れていくのを外で眺めていた。静寂の中で、数人がお疲れ様でしたと口々に呟いて解散していく。オレもまた、全員と違う方向へと歩いていく。
明日も一限からだし、この時間から風呂に入って、軽くでいいからお腹を満たさないと眠れもしない。すると何時になるだろうか、日付が変わることは確実だ。
ため息がこぼれて、誰とも通りすがることのない暗い道の途中で立ち止まりスマホのライトで手元を照らす。ポケットから取り出したその先端に火を点けて、また歩き出そうとして、後ろから声を掛けられて思わずビビっちまう。
「そこのおにーさん? 歩きタバコは禁止ですよ〜」
「び──っくりした、なんでここにいるんだよ、リサ」
「え〜? 偶にはと思ってバイト帰りのカレシをお迎えに来てあげたんですケド〜?」
だがそこにいたのはユーレイでもケーサツでもなくて、同じ大学に通っておりなおかつ絶賛同棲中の今井リサだった。
暗がりでは見えないが、ビビリなオレのことを相変わらずの、チェシャ猫みたいに目を細めてニヤニヤしてることだろう。リサは髪は結ばれておらず、また服も寝間着に上着を羽織りましたという感じだったため、どうやら本当に迎えに来てくれたみたいだ。同じく朝早いクセに、もしかして寝ずに待っててくれたのか。世話焼きなやつ。
「うぜぇ」
「ん? なにか言ったカナ〜?」
「プロのアーティストなのに耳が遠くなっちまって」
「……二回までは許してあげる」
「お迎えご苦労」
「言い方がエラそーだねぇ?」
そんなことを言いつつも機嫌が良くなっていくのが良くわかった。一本無駄になったタバコを携帯灰皿の中にねじ込みながら、オレはリサの手を取るとまた笑顔になる。
──不思議なことに、リサの笑顔を見ると疲れがすっと身体から抜けて、心なしか肩も軽くなる。
「コンビニ行こ」
「え、なんで?」
「後輩の話聞いてたらスイーツ欲しくなっちゃってさ、ついでついで〜☆」
「いいけど」
その癒やし効果は絶大で数分前だったら絶対に嫌がったであろう、一秒でも早く寝たかったはずのオレが文句の一つも言わずにリサについていくくらいには、心にも身体的にも余裕が生まれた。リサがいなかったら、こんなバイトと学校で押しつぶされそうな毎日、とっくの昔にダメになっていたかもしれない。
ただまぁ、リサは逆にオレに対して不満がいっぱいあるのかもしれない。
「ってかさ」
「なに」
「タバコはもう、やめる、禁煙するよ……なーんてアタシに大見得を切ってなかったっけ?」
「やめてるだろ、バイト中以外は吸ってねーし」
「へー、そういう逃げ道」
「……付き合いあんだよ。わかってくれ」
「わかんない」
ズバッと切り裂かれて、思わずムカっとする。バイトだと喫煙者の集いみたいなのがあって、社員さんとかパートの人とかと一緒にコミュニケーションを取る手段の一つとなっている。確かに、リサと付き合う前──なんなら同棲するまではプライベートでもスパスパ吸ってたけど、そこはスパっとやめれたんだし。
そんな愚痴は、だけど確かにカッコつけて、見栄張って、禁煙するよって言い切ったその約束を破ったオレに責任があるため、この場合折れるべきはオレだなと切り替える。
「ごめ──」
「──なーんてね? アタシだってさすがにそんなワガママ言ったりしないって☆」
「リサ」
「アタシの方こそごめんね、バイト中は気にしないからさ? せめて路上で歩きながらはやめてねってコトで!」
「あ、ああ……気をつける」
「よしっ」
謝罪は、リサの明るい声に奪われた。そのまま、次の会話が成立するよりも前に、コンビニの自動ドアとセンサーによる小気味いい音と店員さんのやや気の抜けた、ともすれば疲れたような「いらっしゃいませ」の声によって霧散していく。
店内は外よりも随分と暖かく、明るくて、ここならリサの明るくウェーブのかかった茶髪が鮮やかに見えた。
「じゃ、アタシ買ってくるけど、なんかいる?」
「せっかくだし、なんかメシ買うかな」
「夜ご飯作ってあるよ?」
「……お前、今日も練習だったんじゃねーのかよ」
「それでも九時には家着いてたからね〜」
そこから二時間ほどで風呂入って、
「もう構わなくていい」
「……え」
「忙しんだから、プロとして学業と両立させてーんなら、オレのことなんて構ってる場合じゃないだろ」
「でも」
「もっと自分に時間使ってやれよ」
「なんで……?」
──その時の、悲しそうな顔と悲しそうな声は、そうなるだろうと思っていたはずの、覚悟していたはずのオレの身体を刺し貫いた。
まだ学生のかわいいお付き合いをしてる頃や同棲を始めたばっかりの頃は、幸せでしょうがなかった。リサといる時間が、リサと話をしている時間が、リサの笑顔を見る時間が、心の底から。
「ねぇ……」
「もう寝ろ」
「……だ、だよね……うん、ごめんね」
電気の消えた寝室で、オレの死角にいるリサがどんな顔をしてるかなんてわかりはしない。わかりっこないのに、頭の中に後ろにいるリサの顔が浮かんだ。
制服を着ていた時には夢にまで見ていた二人が眠れる幸せが詰まった寝室も、今となっては狭くて窮屈なだけでしかなかった。こういう些細な積み重ねで、ロシアンルーレットの引き金を引くのだろう。当たりかハズレか。いつの間にかどっちが当たりか、わからなくなりそうになりながら、自分のこめかみに銃を突きつけるんだ。
数日後、オレはオレとリサの関係を知っている共通の知り合いというやつに相談する機会に恵まれた。個人で仕事をすることも増えだしたからこそできたこの機会に、付き合う前からオレとリサの関係を見ていた『Roselia』の麗しい宝石である白金燐子にアポを取ることができた。オレの話を一通り聞いた彼女は優雅な仕草でカップを机に置き、喫茶店のジャズにかろうじて消えないくらいの声量でゆっくりとコメントをくれる。
「淡白……なんじゃない、でしょうか……お二人の、お付き合いって……」
「淡白、なのか?」
「た、確かに、昔の……お二人に、淡白、という言葉は……似合いませんでした……バカップルでした」
「うん……うん?」
「……すみません、えっと……けれど、やっぱり……お互いの、生活リズムが、ズレて……しまった、せいですよね……」
「それは、そうだけど──解決のしようはないだろ」
燐子はややゆったりとした動作で首肯した。だけど、その根本の原因はオレもわかってはいる。高校生の頃はインディーズとしてお互いに色んなフェスやライブに出演して、主催して、そうやって頑張っていく中でオレはリサと急速に惹かれ合っていったんだから。
でも、それが崩れたのは、オレが所属していたバンドの解散と『Roselia』のプロ入りだ。ここで、オレとリサは天と地ほどの差が開いてしまった。
「リサはロゼのベーシスト、オレは趣味でバンド組んでるうだつの上がらない大学生だもんな」
「……はい、それ、なんです」
「ん?」
「今、あなたは……
「諦めて、ってまぁ……オレが最強で最高だって思ってたバンドはもう」
「いえ……そうでは、なくて……今井、さんと……
「それは──」
「あなたは、進み続ける、今井さん……から、目を逸してしまった……」
じっと
だけど少し違う。リサが進み続けるのはそうなんだけど、オレがそこから目を逸したくなったのは事実だけど、なによりオレがみじめになったのはリサがそんなオレが後ろにいることに気付いて、振り返って、昔と同じように歩こうとしてることだ。
「リサは、変わらねーんだよ」
「……はい」
「昨日も、バイト終わったら待ってやがって、買ったばっかりのホットコーヒーなんか寄越してきて、お疲れ様って……あの日は、まだ着替えてすらなかった」
「昨日は、スタジオ出たのが……もう十時半、過ぎてましたから……」
「だったら、そんなに忙しいんだったら……もうオレなんて構う必要ねーだろ、明日も仕事あんなら──頼むから……オレなんてほっといてくれ、なんて思うんだよ」
所詮は夢破れた、誰からも忘れられるどこにでもいるような、ちょっと打楽器かじっただけのおっさんになるようなやつのことなんて、放っておいてくれよ。みじめで、アイツがオレに気を遣う度に、世話を焼いてくれる度に、ほっとする自分がみじめで、顔が見れて嬉しいって思う自分がみじめで、活躍しているのを知る度にただの大学生やって、バイトで手一杯の自分がみじめだ。
「……みじめ、ですか……」
「はは、どうだ……笑ってくれ」
「今井、さんの……気持ちが、わかって、いないのなら……笑いません。むしろ、少しだけ……怒ります」
「リサの気持ち、か」
「はい、単純な……ことじゃないですか……あなたを、構おうとする、理由……なんて」
「だからって」
「……事実として、あなたは……今井さんにとって、重たい枷……です。あなたが、いなければ……今井さんは、もっと自分の時間が、取れるはず、ですから……」
おっとりとした燐子から、もう三年の付き合いがある友人としてなのか、それとも『Roselia』の一員としてなのか、どっちとも取れない怒りをぶつけられる。
重たい枷だったとしても外せる枷じゃないか。それこそたった一言、それだけで自由になれるだろうに。
「外せませんよ……今井さんには」
「どうして」
「……あとは、今井さんと……お話、してください……わたしは、とても……とても、あなたを……軽蔑します」
息をゆっくり吸って、吐いて、今すぐにでも爆発しそうな怒りを抑え込むようにして、燐子は立ち上がって伝票を持って立ち去って行ってしまった。会計を済ませる必要があるため、追いかければ追いつくだろうけど、それをしても怒りを買うだけだと判断してその背中を見送ってからコーヒーを飲み干して、ゆっくりと立ち上がろうとした。
「さーて、誰と浮気してたのカナ? おねーさん怒らないから正直に言ってみ?」
そしてオレは自分の呑気さを後悔した。予め燐子が仕掛けていたであろう時限爆弾にあろうことかホイホイと引っかかっていたようで、店の前にはリサが仁王立ちをしていた。あくまでにこやかに笑顔を向けてきてはいるけど、あれは心の底からブチ切れている時の顔だった。
「な、なんで……仕事は?」
「元々夕方には終わる予定、まぁ燐子が言わない方がいいって言ってたから言ってないケドね?」
「……は、ハメられた」
白金燐子は、なんて策士なのだろうかと驚きが顔に出てしまった。既にオレが相談したいとかいう女々しくてクソ程にも考える価値のないLINEを彼女に送りつけたその時から燐子の回答は一つだったらしい。
──相談する前に本人としゃべれやボケカス、と。リサはまだベースを背負っていて、どうやら仕事が終わって直接この喫茶店までやってきていた。
「で、言い残すことはある?」
「そ、そこは言い訳があるかだろ?」
「浮気、してたんだ」
「してねーって、そもそも相手が燐子だから、確認すればわかるから、マジで」
さっきとは打って変わって泣きそうな声音になり、慌てて言い訳を積み重ねていく。全然これっぽっちも嘘じゃないし、燐子と浮気することなんてもっともあるはずない可能性だろ。そう言いつつも詳しいことを話すには喫茶店の前というのは居心地が悪く、とりあえず家に戻ろうと手を差し出した。
「……まぁ、いちおー浮気じゃないってのは信じた」
「そ、そっか」
「いちおーだから、アタシ、相手が燐子もあり得ると思ってるからね」
「それは……それはないだろ」
「そんなのわかんないじゃん? アタシだって、最初は好きになるなんて思わなかったもん」
「──そっか」
納得しちゃダメな気がするけど、納得してしまった。恋愛なんて何が起こるかわかったもんじゃない。以前は眼中になかったのにふとした瞬間に身近な友人がその対象に入るかもしれない。
ただ、燐子に関しては荒療治を行おうとしてくれてる時点で、そうじゃないのはわかってあげてほしい。
「そうやって庇うと、余計に……浮気かもって思っちゃう」
「わ、悪い……でも、マジで違うんだよ」
「じゃあ、最近冷たいのはなんで?」
「それは……」
絡まった指先をわずかに動かしながら、リサは不安そうに訊ねてくる。オレには、それがちょっとだけよくわからなくなってきていて、だからその、わからないって気持ちが、言い知れない苛立ちだし、言葉にしにくい不快感というか、気持ち悪さに変換されていたことがわかってきた。
──リサは、どうしてオレに執着するんだろう。歩幅も違うし、デコボコで、正直言って、都合のいい関係ではないはずなのに。
「わかんない」
「……わ、わかんないって」
「わかんないケド、アタシは離れたくない。離れるって考えると胸が苦しくて、息もできなくなって、泣きそうになって……情緒とかもうめちゃくちゃになるくらい、不安になる」
「リサ」
「アタシは、弱いんだよ」
そんなことない、なんて──言えるわけがない。リサは弱くはないかもしれないけど、脆くて、いつだってその脆さを自覚して、それでも幼馴染である湊友希那のために、友希那が目指した『Roselia』のために努力を続けてきた。
だけどその影で、何度泣いていたんだろう。そのリサを、オレは何度抱きしめたんだろうか。
「傍に居て、でも居てくれるだけじゃ嫌だから」
「だから、最近?」
「マジで気付いてなかったの? だって、ああしないとロクにしゃべりもしなかったのに」
「いや……あの……わ、悪かった」
フタを開けてみればわかりやすい動機だ。構いたかったんじゃなくて、構ってほしかった。あまりにもかわいらしい、まるで少女のような動機に、オレは笑いそうになったのを堪えることしかできなかった。当然、そんなのがわからない程、お互いの表情を察知する能力がないわけがなく、リサは眉を吊り上げて怒りを見せた。
「んー? もしかして今、笑った?」
「いやいや、待ってくださいよ
「なに」
「いや、いや──マジでリサはリサのままなんだなぁと思っただけで」
「それバカにしてる?」
「してねーって、なんかオレが……勝手に遠くに行っちまったって勘違いしてただけだ」
「行かない、絶対」
「……まぁ別に、寂しくねーわけじゃないけどさ、リサの重荷には、なりたくないな」
「そこは、別れたくないって言ってくれていいんだケドな〜」
拗ねたような顔、けどチラリとこっちを伺っていて、なるほどこういうのが燐子の言っていた以前からバカップルだったって発言に続くのか。こんなやり取り、付き合った当初から人前だろうがお構いなしにやってた気がする。オレもリサも若かったんだってことで許してくれないだろうか。あのおっとりと穏やかな燐子が棘を放ってきたんだから相当なんだろう。反省した。
「……よしっ、お詫びを兼ねて、コンビニでなんか買ってやろう、奢りだ」
「おっ、ふとっぱら〜☆ 」
「この間のスイーツはどうだった?」
「あーあれおいしかったよ! なんでもいいの?」
「なんでも、何個でもいい、それがオレに今できる精一杯の誠意だからな」
「そのダジャレ寒いな〜」
「狙ってねーよ!」
クスクスと笑われて、オレもほっとする。こうなってみると、リサに執着してるのはオレもそうなんだろう。相互で依存しあっていて、だからこそオレとリサの生活は回っていく。お互いがお互いの存在に安心感を得ているからこそ、オレとリサはこうして何年も恋人同士として、お互いに愛してるって気持ちを伝えることができる。
「ごめんなリサ」
「いいよ、奢ってくれるし?」
「そっちかよ」
そこで会話が小気味のいい電子音に遮られ、幾分か元気なバイト店員の「いらっしゃいませ」が続いて耳に入ってくる。それは奇しくもオレとリサが以前来た時と同じバイトくんで、この時間からあの時間まで入ってるなんてコイツも大変なんだなぁと妙な同情をしていると、リサがカゴをオレに持たせて品物を選んでいく。
「じゃあ、これとこれと──あとコレ」
「は……え? それ買うの?」
「もう残り少ないって話してたじゃん!」
「え、そうだっけ……何ヶ月前の話?」
「んー、アタシが忙しくなる前だから……二ヶ月くらい?」
「よく覚えてんなおい」
頷いてリサの注文にあった三つの品物とオレはペットボトルのコーヒーと肉まんを二つ追加していく。
──全てレジに通され表示された金額は1,802円だった。たっか、いや原因は一つしかないけどさ。オレはリサから預かったエコバッグにそれらを素早く詰めて、リサと一緒にコンビニを後にする。やや遅れて控えめな「ありがとうございました」は、一体どんな感情を宿しているのだろうか、かなり不安になる。
「さて、帰ろ帰ろ! 晩ごはんの準備もしなくちゃだし!」
「おう」
手を繋いで、並んで歩く幸せ。なんで手放そうとしたのか、マジで意味がわからなくてなんだか段々と笑えてきた。きっとそんだけ疲れてて、ちょっと情緒ヤバかったんだなと実感した。そういう意味じゃこの引き合せをしてくれた燐子にも何かお礼をしなくちゃいけないな。そんな風に考えながら二人の家へと帰っていった。
バイト店員「あのカップルいつもいちゃついてるな、○ねよ」
プロってどんくらい忙しいんだろうか、来年以降のストーリーが楽しみですね!