珠雨が、その子と出逢ったのは雨が降る中での公園だった。朝学校へと行く前に観た天気予報では、今日の天気はずっと晴れ。雨雲レーダーにも雲の影一つなかった。にも関わらず、珠雨が学校から出た時には辺り一面、土砂降り。
「ああ、もうクソっ!!」
悪態をつきながらも必死に足を動かす、水を吸った靴は重く、濡れた靴下は足を動かす度、珠雨に不快感を与えていた。こんな雨早く止んでしまえ、という珠雨の願いむなしく、雨の強さは段々と増していく。
「あ〜、もうっ、これはムリだ!! 」
これ以上雨の中を走って帰るのは無理だと判断し、どこか雨宿りをしようと辺りを見回す。すると珠雨の視界に運良く、『公園』と書かれた看板が珠雨の目に映る───公園ということはだいたい東屋がある筈。
そう思った矢先、珠雨は進路をと変更し、公園の中へと駆け込んだ。
「ラッキー!!」
神は珠雨のことを見捨てなかったのか、公園の端にポツンと古びた東屋が建っているのが珠雨の視界に映る。珠雨は迷わず東屋の中へと滑りこみ、直ぐに自分が来た道を振り返った。
「うわ…マジで? 」
段々と激しくなっていく雨を見ながら、ここに東屋があって本当に良かったと、ホッとする珠雨。一先ず、部活で使う筈だったタオルを使って体を拭こうと、東屋の中へと振り返った瞬間、珠雨は固まった。なぜなら。
「……」
先客がいたからだ。そこ居たのは東屋に備えつけられた椅子に座ってパンを食べている女の子。その女の子は、突然入ってきて固まっている珠雨が視界に入っても、特に驚いたような表情もせず、黙々とパンを食べ続けていた。
「…あー、ここ使わせてもらっていいか?」
三十秒程固まってい珠雨だったが、我へとかえり座っているその女の子へと、声を掛けた。その声に彼女はパンを食べる手を止めた後、チラッと珠雨を見てコクンと頷き再びパンを食べ始める。
そんな彼女に「…ありがとう」とだけ返し、濡れてしまった鞄を濡れてしまって、もう座る役目なんて果たしてない椅子へと置き、自分もその隣へと座った。
座った事により珠雨の向かい側に座ってパンを食べている彼女の姿が、先程より鮮明に珠雨の目に映る。両手でパンを抱え、まるでハムスターがひまわりの種を食べるようにしてパンを食べている彼女。しかも、よく見れば、その髪は濡れているように珠雨の目に映った──この子も俺と同じように雨に振られたのだろうか。
そう珠雨が思ったのも束の間、女の子がパンを食べ終え、ガサゴソと膝の上に置いていた紙袋からパンを取り出していた。また食べるのかと珠雨は思ったが、そのまま取り出したパンを珠雨の前へと差し出しながら。
「食べる〜?」
凄い間延びした口調で珠雨にそう言ったのだった。
「…食べねーよ?」
思わずそう答えてしまう珠雨。その答えに女の子は「え~、おいしいのに〜」と 、またもや間延びした声で呟くと珠雨の前に差し出していたパンを自分の口へと運んでいた。
「いや、普通に考えて、見ず知らずの人から食べ物は貰っちゃいけないでしょ」
そんな彼女の言葉に突っ込んでしまう珠雨。至極真っ当な正論に女の子は、何か言いたかったのか、もごもごとパンを食べながら口を動かしていた。 その様子に「いやいや、食べてから喋ろよ」とまたもや、突っ込んでしまう珠雨──いささかマイペースすぎてはないのかこの子。
珠雨の中に目の前の女の子を表す言葉が浮かぶが、声には出さない。そんな事よりも今は自分のことだけを集中しよう、と雨で冷えきってしまった体を何とかする為に、自分の鞄からタオルを取り出そうとした時だった。「くしゅん」と小さな声が珠雨の耳に聞こえてきた。
「...くしゅん?」
鞄を探る手を止めて、音の出処を見る珠雨。そこには鼻をすすっている彼女、パンはもう食べたのかその手の中には跡形もなかった、と自分の視線に気づいたのか、「女の子のくしゃみは見ちゃいけないんだよ~?」ムッとした表情で珠雨に対して呟く。
「ああ、わりい……なあ、お前タオルとか持ってないのか、随分濡れてるみたいだけど? 」
疑問に思い尋ねる珠雨。すると女の子は「ふっふっふっ~、いくら天才美少女のモカちゃんでも忘れる時はあるのです~」全く誇る事ではないはずなのに、誇らしげに珠雨へと言い切った次の瞬間、自分の事をモカと呼んだ彼女は「くしゅん」と再度、くしゃみを漏らした。
「う~、寒い~」
そう言った彼女に「おいおい、大丈夫か」と声を掛けると、珠雨は自分のタオルをモカへと差し出した。先程は気付かなかったが、小さく女の子の体は」震えていた。
「良かったら使うか? 」
珠雨のその言葉に、キョトンとした表情に変わるモカ。そして恐る恐るといった風に珠雨に「いいの?」と尋ね返してくる。
「ああ、流石に男の俺が濡れてる女の子の前で使う度胸なんて無い」
そもそもこの状況で貸さない男がいるなら、ただの屑かとんでもない恥ずかしがりやだよ、と更に付け加え、モカにタオルをを伸ばし続ける。モカはというと暫く目線を珠雨の顔とタオルに行ったり来たりしていたが、やっぱり濡れたままというのが嫌だったらしく、珠雨のタオルを手に取った。
「……ありがと、使わせてもらうね」
「ああ……っと、一応後ろ向いとくな」
先程の反省点を踏まえ、モカがタオルで拭いている間は、念の為に後ろを向く珠雨。すると後ろから「もしかして、君ってエッチな人〜?」という声が飛んでくる。
「違うわ!!」
振り返ってしまいそうになるのを堪えつつ、大声でモカへと反論する珠雨。その声に笑いながら「冗談、冗談〜」というモカの声が聞こえたのを、皮切りに二人は無言になる。
東屋の中で聞こえるのは、雨の音とモカがタオルを動かす手の音だけ。静寂は人を狂わせると言ったのはどこの誰だっただろうか。
そろそろ五分、いやまだそんなに経ってないかもと、珠雨は静寂が作る、時間の進む速さに惑わされ、疑心暗鬼に浸っていく。
そんな珠雨が現実に戻ったのは「いいよ〜」というモカの声。珠雨が振り返ると、そこにはタオルを首からかけたモカの姿だった。
「凄く助かった、本当にありがとね〜」
「ああ、それなら良かった」
心なしか先程より、少し赤みが戻ったモカの顔色に、ほっと胸を撫で下ろす珠雨。そんなモカに「そのタオルは上げるよ」と告げるが、モカは首を振った。そんな彼女の言葉に「え?」と、驚きの声を洩らす珠雨。
「これは洗って返すよ。さすがにそこまでされたら申し訳ないからね〜......それと、はい、これはお礼だよ」
驚いている珠雨びそう言いながら、モカはいつの間にか自分の鞄に入れていた紙袋を自分の膝上へと取り出す。ガサゴソと中からパンを取り出し、珠雨へと差し出した。
「…いや、だから」
見ず知らずの人から、と珠雨が言いかけた時、「君は人の善意を踏みにじる、恩知らずの屑なんだね〜。あ〜、モカちゃんは悲しいな〜」と、明らかにさっき珠雨が言った言葉を真似して、モカが珠雨に呟いた。
「…はあ、分かった、遠慮なく貰ってやるよ」
「ふっふっふっ〜、ここのパンは世界一美味しいんだよ〜」
モカからパンを受け取った珠雨は、そのまま彼女の隣へと座り貰ったパンを一口齧った。焼きたてでは無く、もうとっくの昔に冷めてしまったパンは普通は美味しくはない、だけど。
「…美味しい」
珠雨が食べたパンは凄く甘くて優しい味がした。
「でっしょ〜?後でお店教えてあげるよ〜」
雨はまだ止まず、木々の青葉へと降りかかる文月の雨。そんな中、天才美少女は珠雨へと楽しそうに笑った。