大喜君がバドミントンに本気になるのを早くしてみた 作:もう何も辛くない
30度を超える真夏日が続くようになった、七月も下旬へ差し掛かる。
外はジリジリと強い日差しが照り付けて、すぐに汗を滲ませる程に暑くなっているんだろう。
まあ、図書館の中にいる今の俺には関係ないんだけど…。
「雛ー、寝ないでよー」
「ハッ…。ね、寝てないもん!」
「折角集まったんだし集中しよーよ」
「…けど寝ると脳が記憶を整理してくれるって」
「寝てんじゃねーか」
現在、俺は雛と匡を含めた友達六人と集まって勉強会を行っていた。
七月二十一日─────昨日に終業式を終えた栄明学園は、夏休みを迎えていた。
図書館の中のスペースで、テーブルを囲みながら宿題を熟す。昨日から部活が終わった後に皆で集まろうと約束して、こうしてそれぞれテキストを開いて数字と睨めっこする。
「だって数字見てても分かんないんだもん。こんなの絶対習ってない」
「いや、習ったろ…」
最早授業で習った記憶すら残っていない宣言をする雛に苦笑いを浮かべる。
我ながらあまり真面目に授業を受けていない自覚がある俺ですらそこまでじゃないぞ…。こいつ、授業中の時間全部寝てるんじゃあるまいな…?
「それをXに代入すればいいんだよ」
そんな風に呆れていると、雛の隣の席に陣取った男子生徒─────伊藤が雛のノートを覗きながら口を開いた。
互いに顔を見合わせながら、伊藤が問題の解き方の解説をして、雛が真剣に耳を傾ける。
その様子を見ていた、隣の二人の男子がこそこそ話している内容が聞こえてくる。
「伊藤の奴、ようやく攻めだしたな」
「蝶野さんの事いいなって、ずっと言ってたもんな」
「─────」
耳に入って来た内容に、ほんの少し驚きながら、すぐにそれも当然かもなんて納得してしまう。
雛の容姿は普通に整っているし、性格も明るい。体操を頑張ってる姿とか、いいなって思う男子がいたって何ら可笑しくはない。
だけど、そうか…。雛と伊藤か。
伊藤とは高等部に入ってから話すようになったけど、良い奴だし─────雛とお似合いかもな。
分からない事があれば聞き合ったり(特に匡が質問を多く受けていた)しながら勉強会は進み、皆の集中が切れ始めた所でぼちぼち休憩を挟もうという話になり、一旦解散となった。
俺も一人離れ、自販機でコーラを買って、飲食が出来るスペースへと移動する。
「ん…」
ふと、掲示板が目に入る。正確には、そこに貼られた花火大会のポスターに目が留まった。
花火大会、か。そういえば中一以来行ってないな。
確かあれは─────そうだ。中一の花火大会の時からだったか。雛と話すようになったのは。
「…」
「なーに見てん、のっ」
「うおっ」
ポスターを眺めながら過去の思い出に浸っていると、背後から声。
その声に反応する前に両膝に衝撃─────がくんっと沈む姿勢。
慌てて振り返れば、ニマニマと笑みを浮かべた雛がそこに立っていた。
「お前っ…!」
「はいはい、ここは図書館よ?静かにしなさいねー」
「ぐっ…」
それはぐうの音も出ない正論、されど先に仕掛けて来たのはそっちだというのに、何でこっちが引き下がらないといけない空気なのか─────スッキリしないまま矛を収めるしかない俺の隣に雛が移る。
「花火大会?そういえば、中一の時から行ってないなー。部活で忙しくって」
俺が見ていたポスターを見た雛が、懐かしむように目を細めながら言う。
「そうだ。私と大喜が話すようになったのもあの頃だったよね」
「…そうだな。『りんご飴食べたい』って涎垂らしてたのはよく覚えてるよ」
「記憶置いてけ」
「な、何をする…っ!?」
中学の教室でりんご飴を想像しながら涎を垂らす雛の顔を思い出す。
直後、雛が両腕を伸ばして俺の頭を抱え、上下左右に揺らし始めた。
「や、やめろ。酔う、酔うから…!」
「忘れた?」
「忘れたから、だから放せ…っ!」
あの時は結局、部活の練習が長引いた雛が遅刻して、それで最初に合流したのが俺だったんだよな。
それから皆と合流する間に色々と話が出来て、それが切っ掛けで今の俺に対して遠慮皆無の雛が出来上がってしまった。
いや、何だかんだ雛との気の置けない関係ってのも楽しいけどさ。色々振り回されてるけど、本気で嫌だって感じた事はないし。
「花火大会か。何だかんだ楽しかったよな」
「…うん、そうだね」
雛から解放され、ぼさぼさに乱れた髪を整えながら言うと、雛も頷きながら同意した。
「…ねぇ、また行こうよ」
「え?」
でも今年も部活で忙しいし、部活後に行く気は起きないな、なんて考えていたら隣の雛がそんな事を言い出した。
「今年、一緒に行こ。花火大会」
顔に微かな緊張を含んだ雛と目が合った途端、視線を切られる。
俯いてしまった雛へと、俺は返事をする。
「いいよ」
「─────」
了承すると、雛は顔を上げた。
「ほんとに─────」
「猪股ー」
雛が何かを言おうとしたけど、それよりも先に名前を呼ばれた俺はそちらへ振り向いた。
今日の勉強会に参加していた、新体操部の女子がこちらへ来る。
その手には何故か俺のスマホが握られている。
「電話来てたよ。ブーブーうるさくて」
「そっか。ごめん」
女子からスマホを受け取ってから、雛の方を向く。
「じゃあ、今度詳しくな」
「分かった」
電話を掛けて来た相手─────十中八九母さんだろう。電話を掛け直すべく、雛に一言掛けてからその場から離れる。
履歴を見ると、予想通り母さんからの着信だった。
因みに俺に電話を掛けて来た用事は、帰る途中で足りない食材を買ってきて欲しいというものだった。
玉ねぎと人参─────今日の夕飯はカレーかなと思った。
尚、俺の予想は外れていた。夕飯はカレーじゃなくて肉じゃがだった。どっちにしても好物だし、美味しいから何でも良かったけど。
「どう?調子の方は」
「やれることは」
台所の方から母さんと千夏先輩の話し声が聞こえてくる。
一方の俺はというと、和室にて宿題の続きをやっている。
図書館では皆に数学を教えてもらいながらやって、今は英語の方を熟している。
ここ最近、千夏先輩の帰りが遅い。
インターハイまであと三週間─────練習にも力が入り、こうして俺達とご飯を食べる時間がずれる事も多い。
家で千夏先輩と話す機会が少なくなってるけど、バスケに集中したいだろうと考えて俺からもあまり積極的に話し掛けに行っていない。
「そういえばもうすぐ花火大会なのね。千夏ちゃんは行くの?」
「チラッと寄っていこうって友達と話してます」
「そっか。浴衣出す?古いけど可愛いのあるわよ?」
「いえ、大丈夫です!部活帰りにそのまま行こうと思ってたので!」
「…」
あ、浴衣着ないんだ─────と少し残念に思ってしまった俺は悪くない。断じて悪くない。
千夏先輩の浴衣姿見たかったな、って思うのは至極当然である。先輩を知ってる男なら誰もが思う。間違いない。
だから俺は可笑しくない─────
「大喜はどうするの?花火大会行くの?」
複雑に悶々としていると、母さんが今度は俺に問い掛けてくる。
煩悩は遠くへ捨て去って、一度ノートに英文を書き込む手を止めて母さんの方へと振り向く。
「俺も皆で行くよ」
「そう。気を付けていくのよ」
答えてからふと思う。そういえば、他に誰が来るんだろ。
雛の方で他の人に声は掛けているとは思うけど、俺の方でも声掛けをすべきかもしれない。
特に匡は、雛の方が俺から声を掛けてくれるだろうとか思われてるかも──────
「ここ、スペル間違えてるよ」
「え?…あっ」
不意に視界の端から飛び込んで来た細い指に思考が止まる─────直後、掛けられた声で我に返り、言われた通り手元の英文、その中のスペルが間違えている事に気付き訂正する。
「大喜くんも花火大会行くんだね」
テーブルを挟んで正面、いつの間にかご飯を食べ終えた千夏先輩が和室に入って来ていた。
目の前からそう聞いてくる千夏先輩へ、頷きながら返す。
「はい。雛から誘われて、行く事になりました」
「…蝶野さんから?」
千夏先輩から指摘された事で少し不安に思い、他にも間違いや抜け字がないか確認を行う。
一先ずこれ以上誤字がない事を確かめてから、再びノートにペンを走らせる。
「大喜くん、さっき皆で行くって言ったよね?」
「?はい、そうですけど」
「…でも、蝶野さんから誘われたんだよね?」
「はい。…?」
千夏先輩が立て続けに俺に問い掛けてくる。
さっきからどうしたんだろう?俺は動かし始めたばかりの手をまた止めて、顔を上げて千夏先輩を見る。
千夏先輩はもう俺の顔を見てはいなかった。少し顔を俯けながら、じっ、と視線を固定して、何を考えているのかは分からない。
たまに見る千夏先輩の不思議な姿がそこにはあった。
「…そっか」
「えっと…、何か気になる事でもありましたか?」
「うぅん、大丈夫。それじゃ私、明日の準備があるから」
「はぁ…」
本当にどうしたんだろう。
結局、千夏先輩が何を知りたかったのかハッキリしないまま、先輩の方から会話が切り上げられる。
和室から去って行く千夏先輩の姿はすぐに見えなくなる。
少しの間、千夏先輩が去って行った方を眺めてから、これ以上考えても何も分からないと断じて、気にしない方向で宿題を進める事にする。
ただ、進む手を他所に、心の端っこでさっきの千夏先輩の表情と言動が気になってしまう。
「…あー、今日はもう止めとこ」
集中出来ず、内容が頭に入ってこない。それならこれ以上続けても無駄だし、それに結構宿題は進んだし、今日はここらで切り上げる事にする。
それからはいつも通り、風呂に入って身体を清めて、今日の練習について振り返り、良かった点と悪かった点を挙げて明日の部活について考えを纏めてから布団に入る。
翌日─────練習中、俺は針生先輩と一ゲーム限定の試合をしていた。
コート内を駆け回り、互いに厳しいコースを突きながら、高速のラリーに先に耐え切れなくなった俺が高くシャトルを打ち上げる。
待ってましたと言わんばかりに素早くコースへ着いた針生先輩が、鋭くラケットを振り抜く。
打ち放たれたスマッシュは伸ばした俺のラケットの先を通り抜け、床を突く。
「21-18、俺の勝ちだな」
大きく一息吐きながら、スコアと一緒に今試合の結果を口にする針生先輩。
針生先輩も、千夏先輩と同じくもうすぐインターハイを控えている。
大事な試合へ向けて調整は順調に進んでいるようで、ここ最近の針生先輩は絶好調だ。
県予選前まではそれなりにゲームを取れていたのが、最近はそれがかなり珍しくなってしまっている。
俺も上手くなっている手応えはあるけど、針生先輩はそれ以上のペースで成長している。
このままじゃ追い越す処か追いつく事も─────差が広がる一方だ。
「なぁ大喜」
「…はい?」
「そう喧嘩腰になるなよ」
「なってませんが」
苦笑いをする針生先輩にそう答えはするものの、自分が発した声質に棘を含んでしまったという自覚はある。
けど自分に負かされて悔しがってる相手に即座に声を掛けてくるのは如何なものかと─────
「31日なんだけどさ。先輩の大学の練習に参加させてもらう事になったんだけど、大喜も来るか?」
「大学?」
ないとは思うけど、皮肉の一つでも言われるかもしれない─────なんて思っていたら、針生先輩から出て来たのは練習へのお誘いだった。
しかも大学。
「十一時から十六時まで。結構レベル高いからキツイとは思うけど」
大学の練習。針生先輩が言う通り、いつもの練習よりも過酷なものになるだろうと容易く想像がつく。
だけど、それが断る理由にはならないし、むしろ俺にとっては望む所である。
「行きます」
「そう言うと思ったよ。じゃ、詳しくはまた連絡するわ」
「よろしくお願いします」
貴重な機会に誘ってくれた針生先輩へお礼を言ってから、一度休憩を挟みに水飲み場へと向かう。
蛇口を捻り、出て来た水を一口、二口と喉に通してからふと目の前の鏡にちらりと桃色の髪が揺れたのが見えた。
あいつ─────俺はそれに気付いていないフリをしながら流れる水を止め、
「何をニヤニヤしてん─────なっ!?」
「ふっ…。何度も同じ手に引っ掛かると思うなよ」
案の定、膝カックンを仕掛けて来た雛─────しかしその気配を察していた俺は身体を翻す事で雛の攻撃を避ける。
横へとずれた俺の動きを瞠る目で追う雛と、驚きの表情を浮かべる雛をしたり顔で見遣る俺。
何度も何度も雛の膝カックンに引っ掛かり続けた──────だが俺も成長しているのだ。
雛の企みを躱した今こそまさにその証明。悔し気な雛の目を正面から迎え撃つ。
「やるなお主…」
「そうだろうそうだろう。…で、何の用?」
「いや、ニヤニヤしてるから何考えてんのかなって」
子供のノリもそこそこに、雛に本題を切り出すよう促す。
雛に言われて俺は、顔が笑っている事にようやく気付く。
「針生先輩に大学生の練習に誘ってもらえたから、それが楽しみだったんだよ」
「ふーん?大喜に妄想癖でも着いたんじゃないかって心配して損した」
「そんな訳ないだろっ」
つまらなそうにとんでもない事を口走る雛に鋭くツッコミを入れる。
それから、俺は誘われた大学の練習が花火大会の日に重なっている事にふと気付く。
「その練習、花火大会の日なんだけど時間には間に合うから」
「分かった。どうせ私も練習あるし」
確か練習が終わるのが十六時だった筈。針生先輩が言っていた大学と花火大会の会場との距離を考えれば充分間に合う。
雛の方も練習があるとの事だし、やっぱり待ち合わせは花火が上がる少し前くらいが丁度いいかもしれない─────
「そういえば花火大会って、他に誰が来んの?」
「え?」
これから詳しい待ち合わせ場所や時間は固めていくとして、互いに練習があるしこのくらいの時間が良いのかな、なんて考えていた時にふと思い立つ。
俺と雛以外に、誰が花火大会に来るんだろう─────尋ねると、何故か雛は表情を固まらせた。
「え」
「あ…あー、と…。ごめん、まだ誰も誘ってないんだー。すっかり忘れてた!」
「おい」
「大喜、匡くん誘っといてよ。私も適当に声掛けておくからさ。頼んだよ!」
雛はそう言い残してその場から去って行く。
雛の後ろ姿を見送って、見えなくなってからふと思う。
─────今の間、何だったんだろ。
ほんの少しの違和感を残した時間は過ぎていき、花火大会の日はあっという間に訪れる─────。
千夏先輩の様子が…?