pixivより転載
ある春の日の夕暮れのことだ。
「いや~~特売の情報ありがとな。ウチ新聞も来ないからチラシとかないんだよな」
「そういう情報詳しいくせに珍しいこともあるんだな」
百暗と真木と八重子は、揃って道を歩いていた。住宅街、彼らが向かっているのは抽斗通りだ。それぞれが箱ティッシュの束を持っていた。近場のスーパーで箱ティッシュ5個セット160円のセールをしていたのだ。大学の講義が終わったあと、スマートフォンで近所のスーパーで安売りをしていると知った。偶々出歩いていた百暗を引き連れてスーパーに向かい無事お一家族様1セットのティッシュを手に入れたのだった。ティッシュペーパーと言う消耗品は生活において馬鹿にならない。それを知っていたので常に生活苦の百暗も連れて行ったのだった。
それはそれとしてこの日の彼らは元々飲み会をするつもりだった。酒を持ち寄って百暗の家で。箱ティッシュなどの消耗品のセールに目端を聞かせる癖にこういう消費はする。ひとり暮らしの大学生などそんなものだ。百暗は大学生ではないが、ただ酒は好きだった。そういうわけで彼らは和気藹々と歩いていた。太陽はそろそろ沈もうとしている。西日が差し掛かっていた。百暗の持つ箱ティッシュにカンテラが時折ぶつかった。
彼らはこうしてごく普通に接しているが、実のところあまり普通の関係ではない。この百暗桃弓木という男が普通の人間ではないからだ。そもそも人間かどうかも怪しい。本来あの世にいたが罰を受けて追い出され、カンテラに幽霊から出る鬼火を集めてあの世に至ろうとしている、そういう男だ。真木たちはそんな彼と広辞苑を経て出会い、なんだかんだと付き合いをしている、そういう関係だ。人はそれを腐れ縁と呼ぶ。
「そういや酒はどこに仕舞ってんだ?」
「鞄の中」
「冷蔵庫はあったよね」
「さすがにある。中古だけど」
そんな話をしながら彼らは歩いていた。人気のない道。彼らは並んで歩いていた。時間は黄昏時。
誰そ彼時。
3人は、揃って抽斗通りに足を踏み出した。
砂嵐。
「へ?」
彼らは揃ってぱちくり、目を瞬いた。
住宅街の中にあるはずだった抽斗通りを目前。目の前を形を成したノイズが走ったかと思うと――そこは繁華街だった。夜だ。
「え? は?」
「なにこれ……?」
先程までは夕方だったはずだ。それにあからさまに場所が変わっている。おかしい。周囲の人々はそんな彼らに構った様子もなく談笑しながら歩いていた。月が丸い。流れ星が落ちていた。3つほど。おどおどと周りを見渡す真木と八重子に対し、百暗は肝が据わっていた。場数が違う。
「落ち着けお前ら。単なる神隠し的ななにかだ」
「神隠しって十分大事じゃん!?」
「あそこは位相がちょっとばかしズレてるから、たまーにこういうことがあるんだ。どこかしらに『出口』があるといいんだが……」
言いながらスタスタと歩いていく百暗。彼についていきながら歩いていると箱ティッシュががさがさと嵩張った。非現実的な状況でこればかりが日常の象徴だった。
「いただき!」
その日常が奪われた。
「は?」
「ちょっ」
「おい!」
通り過ぎざま、人影が箱ティッシュを奪っていったのだ。真木が奪われ八重子も奪われ、百暗も奪われた。財布の入った鞄は無事だったが、思わず叫ぶ。
「ドロボー!!!!」
その声と同時に辺りがざわめく。その点の反応はごく普通の人々と変わらないように思われた。それと同時に百暗が走り出していたが、彼の俊足を追い越す速さで誰かが真木たちの横を走っていった。
「出たな箱ティッシュ引ったくり犯!」
「許さんぞ!」
――鮮やかな赤い服と、どこかの制服のようなロングコート。そんな2人、恐らく男たちが走っていった。ぽかんと呆けたが、なにせ百暗が走っていくからついていくしかない。真木たちが戸惑いながらも走っていくと、引ったくり犯の男が近場の建物の1階の屋根に上った。ずいぶん身軽な動きだ。真木が呆れていると――引ったくり犯が振り返った。
引ったくり犯は白いハンカチ状のものでモザイクのように全身を覆っていた。たぶん、あれ、ティッシュ。真木と八重子がぽかんとしていると、両手いっぱいに箱ティッシュを抱えた男は高らかに笑った。
「ふはは! 我は吸血鬼箱ティッシュ大好きおじさん! 世界中の箱ティッシュは我のものだ!」
「は? 吸血鬼?」
何を言っているのだろう。幽霊が存在することまでは百暗との出会いで知ったが、吸血鬼とは。しかしそんな男の言葉に対して、周囲は明らかに真木たちとは対応が違った。
「また変態吸血鬼だよ」
「なんでシンヨコはこんなポンチがいっぱい出るんだろうな」
(シンヨコ? ここ神奈川なのか?)
シンヨコ、と言えば新横浜だろう。自分たちは東京にいたはずだが……真木が怒涛の情報の渦の中立ち尽くしていると、箱ティッシュ大好きおじさんは箱ティッシュを宙に浮かせた。ポルターガイストだろうか、真木が見ていると箱ティッシュ(略)おじさんは言った。
「我が力で天から降るものすべてをティッシュにしてくれる! そのために我にティッシュを捧げよ!」
「ティッシュ集めるの自力なんだ……」
「ぷっ」
ぽかんとした八重子の呟きに真木は思わず噴き出した。
その瞬間、殺気がこちらに向いた。
「無礼者!」
箱(略)おじさんからティッシュが、3枚のティッシュを飛ばして来た。字面だけなら間抜けだが、そのティッシュは鋭い板になっていた――
「危ない!」
誰かが叫んだ。真木は八重子の前に飛び出そうとして――その更に前に、機敏に動いた赤い影。
銃声。
硬質化した3枚のティッシュは、全て撃ち落とされた。
は? 現代日本に銃? 呆ける真木と八重子、そんな彼らを箱(略)おじさんも見ていた。
恐らく、それで隙ができたのだろう。
「よっと」
「ぐわっ!?」
飛び上がった百暗が、ロープに括りつけたカンテラを箱(略)おじさんにぶつけた。
そのとき、真木たちは見た。――箱(略)おじさんから、あの鬼火が出ていくのを。
そのとき真木は天啓を得た。
(吸血「鬼」だから、鬼火が得られるってことか?)
百暗はそれをわかっていたのだろうか? 恐らく傍から見ると鈍器であの箱(略)おじさんを殴りつけたように見えただろうが。よろけて屋根から落ちた箱(略)おじさんを、ロングコートの男が受け止めた。かと思えば縄で拘束する。
「VRC行きだ!」
「VRC……?」
「お嬢さん、お兄さん、大丈夫ですか」
どちらともなく呟いたところで、先程八重子らを庇い銃を撃ち放った赤い服の男が歩み寄ってくる。
(どえらいイケメンじゃねーか)
赤い帽子の下にある顔は恐ろしく整っていた。青い目を縁取る睫毛はバッサバサ。やや襟足の長い髪は銀色だ。日本人じゃないのか? 混乱している真木と八重子らは戸惑いながらも「無事です」「けがはないです」と答える。帽子のつばを摘まんだ男は溜息交じりだ。
「最近騒ぎを起こしていた吸血鬼だったんですがね。あれが高等吸血鬼と言うから本当にシンヨコは……」
(高等吸血鬼?)
真木らが内心で疑問符を浮かべていたところで、ロングコートの男が声を上げた。
「おいロナルド! 手伝え!」
「あーわかったよ。それじゃお気をつけて」
ロナルド、と呼ばれた赤い男はそう言って歩み去った。ロナルドというならやはり日本人ではないのか。そのまま見送っていたところで、百暗が気だるげに戻って来た。箱ティッシュを抱えている。恐らく真木と八重子の持っていたものだろう。誰かを連れている。
「いやー危なかったな。大丈夫か八重子ちゃん、真木」
「俺らは大丈夫だったけど……モグラ、お前目立つ真似してよかったのか」
「まぁここなら特に問題なさそうだったし。それより帰る目途がついたぞ」
「え?」
「やぁやぁ。どうもここは私の出番のようだったからね」
百暗に紹介されて顔を見せたのは、クロバットにモーニングコートに白い手袋、黒いマントを羽織った黒髪の男だった。顔が異様に青白く痩せぎすで、耳がとがっていた。それになぜか肩にアルマジロを乗せている。それを見て真木と八重子は口を揃える。
「吸血鬼だ……」
「そう! 私は高等吸血鬼さ! ……そういう君たちは、ここにいてはならない存在だね」
「え?」
「帰り道を教えてくれるドラルクさんだそうだ」
男――ドラルクは、百暗の紹介に薄く笑った。
「ここ、神社じゃん」
ドラルクに連れられてやってきた3人は、その鳥居を潜りながら辺りを見渡した。夜中の神社は祭りでもないから人気がない。道を歩いていると、ドラルクは言う。
「ここはちょっと特殊でね。1番近い『あちら』と接しているところだとここぐらいしかないんだよね」
「『あちら』?」
「その辺りは少々曖昧でね。まぁ、君たちには丁度いいと思う。こちらだよ」
言いながらドラルクは先導していく。その足取りは軽やかで、なんとなく不気味な雰囲気の神社に対してなんだか釣り合わない。彼とは初対面と言うことと、今の状況の異常さに口数が少なくなる。そんな真木たちだったが、真木は意を決して言った。
「あの、ドラルクさんでしたっけ。俺たちの名前は」
「おっと。言わなくていいよ。そちらのカンテラの御仁にも聞いていない。私の名前は構わないけどね」
「え?」
目を瞬く真木たちに、ドラルクは人差し指を自分の唇に当てた。
「『こういう事態』に、自分の名前を明かすものではないよ。わかるかい?」
「……は、はい」
「まぁ私にはそう怯えなくていいよ。私はパンチを食らうだけで砂になるぐらい貧弱だからね!」
「言ってて悲しくないかアンタ」
「悲しいよカンテラの御仁!」
(この人ら楽しそうだな……)
呆れた様子の百暗にドラルクが嘆く。そんな2人を真木らはぼんやりと見遣った。
そして、真木は不意に気付いた。
この神社には、幽霊がいない。ただ、それは神社の神聖さゆえのものとは思えなかった。
「――ここだよ」
低い声に顔を上げる。
参道の外れ、鳥居があった。薄暗いのでわかりにくいが、どうにも鳥居が連なっているようだった。伏見稲荷大社の千本鳥居を思い出す。1度観光に行ってみたいな、と昔は思ったものだった。今は余計なものが見えそうなのでやめておきたかった。閑話休題。
なんとなく、真木には鳥居の向こうの空気が淀んでいるように思われた。八重子も同じように見えたのか、そっと彼に寄ってくる。百暗は相変わらず何を考えているかわからない。そんな彼らに、ドラルクは言った。
「ここをまっすぐ歩いていきたまえ。いいかい、『まっすぐ』だ」
「まっすぐ?」
「色んなモノに声をかけられるだろうが、いいかい、まっすぐだ。そして、『帰る』。帰るという強い意志を持ち続けたまえ。決して答えてはいけないよ」
「意志」
鸚鵡返しに言う真木に、ドラルクは薄く笑んだ。幼子を諭すような微笑みだった。
「なに、意志と言っても簡単だ。『帰る』と念じ続けなさい。そして歩を進めればいい」
「わかった。世話になったな」
「何。私も暇だったからね」
百暗が礼を言って、ドラルクは笑った。そして百暗は真木たちを振り返った。
「それじゃ行くぞお前ら。言われた通りにしろよ」
「う、うん……あの、ドラルクさん、有難うございました」
「有難うございました!」
2人の礼に、ドラルクは笑んで手を振った。
そして、彼らは歩き出した。
……何本の鳥居を潜った先だろうか。淀んだ闇の中、大きな細長い人影が幾重も連なっていた。
『祭りでもないのに』
『しかしよく来た』
『おいでおいで』
『かぎなれないにおいがする』
『うふふ うふふ』
真木たちはひたすら歩き続けた。まっすぐに。真木はひたすら百暗の背中を見つめ続けたし、八重子は無意識にだろう、真木の服の裾を握っていた。
『おいで おいで』
(早く、早く)
箱ティッシュが嵩張る。
『こっちにおいで』
(早く)
百暗のカンテラが揺れる。
『おいで』
(帰る)
『おいで』
(帰る)
『いかないで』
(帰る!)
――目を開けていられないほどの光が。
「……あれ」
「帰って来た、な」
夕暮れ時だった。気が付けば、自分たちがいたのは抽斗通りの入り口。オレンジ色の陽光が差し掛かっていた。呆ける真木たち。八重子はそっと真木の服の裾から手を離していた。百暗はと言うと、頭をばりばり掻きながら「けったいなこともあったもんだな」とぼやく。そして歩き出した。自宅へと。そんな彼についていきながら真木は言う。
「なんだったんだろうな、今の……あのシンヨコ? は」
「わからん。現実だったことは確かだがな」
言いながら百暗はカンテラを見せる。その中には、たっぷりと灯が貯まっていた。
「あの吸血鬼とか言ってた奴を殴ったときにも貯まったが、あの鳥居を潜り抜けてここまで来るのにこれだけ貯まった。やばいところだったのは確かだ」
「うわ……」
「ま、とにかく飲んで忘れようや。箱ティッシュも取り戻せたし」
百暗は言った。
「交わるべき世界じゃなかったんだよ、きっと」
箱ティッシュと刹那の邂逅
「おいクソ砂、どこ行ってたんだ」
「ちょっと迷子の道案内をね」
End.