ディストピア運営ゲーム  (圧倒的に有利な体制派が恵まれた人材と資材を使って罠で獲物を追い込む様を眺める仕様)   作:つけ麺アイス

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テラーズフォース (攻略側)

「カトル隊長!!  ここは俺達に任せて逃げて下さい」

 

「うおおおお、共産革命軍万歳ッッ!!」

 

「おい真のレジスタンスのリーダーはここにいるぞ!!」

 

 

 カトル・カティークの多くの仲間達が消えていった。

 ある者は囮となり、ある者は特攻し、ある者は身代わりとなった。

 彼等の尊い犠牲には、カトルはいつも涙を流す。

 彼は革命の為に命をかけた者たちを敬愛しつつ、しかして革命の為に命を捨てない者を許さない。

 革命闘士としてあらざる臆病者を自己批判指導の元総括(処刑)しつつ、革命闘士として殉じた者への感謝を心から行う。

 アーバシリポリタンが作った完全な圧政の実行者がトール・ネーブルだとすれば、カトル・カティークは共産革命軍が作った完全な革命の実行者だった。

 

 

 カトルは革命軍幹部である父親のミュティレーから、アーバシリの支配層転覆プランを捨てて、アーバシリを打倒してティトセーを最大都市にするプランへの変更を命じられた。

 

 故に無秩序に無軌道に無制限に、破壊と混沌をアーバシリに齎す。

 それが革命軍の現在の方針であるゆえに。

 

 革命軍の大将たるミュティレーは、全革命支部共闘大会で宣言した。

 

「相手の意見を受け付けず、強制的に自分の意見だけを押し付ける事がテロリズムであるならば、弱者の意見を受け付けず、強者の意見だけを通してきたアーバシリポリタンこそ、真のテロリストなのだ。

可哀想なアーバシリポリタン市民はそれに気が付かないのだ。

だからこそ我々が正しい道筋を彼等に教育しなければならない」と。

 

 

 

 演説の天才であったミュティレー・カティークは可哀想な奴だと決め付けて批判対象者を矮小化させ、その言動の重みを低下させるテクニックを始め、古今東西に存在する様々な演説手法を使い、ミュティレーは革命軍を鼓舞した。

 その大義名分に従って、今の革命軍はアーバシリにあらゆる悪を行うことを正義として正当化している。

 その実行の為の最前線指揮官こそが、彼の息子たるカトル・カティークなのだ。

 

 

 だがそれはそれとして、カトルには彼だけの革命について、彼だけの大義がある。

 それは──────、全ての人類を平等に支配するべき『偉大なる指導者』の為である。

 

 カトルは父親を含め誰にも告げる事なく、己の心の中だけで宣言する共産革命闘士としての誓約がある。

 それはゲームにおいては、プレイヤーにさえ秘された真実。

 

闇が深まれば深まるほど、光は輝く。

悪が混沌を撒き散らせば撒き散らすほど、正義が秩序を強要する大義名分が出来る。

つまりは、『偉大なる指導者』(あの方)の為になる────という揺るぎ無き信念が。

 

 事実、無差別テロリズムへの脅威に対抗する名目で、アーバシリ市民は文字通り命をアーバシリに捧げることを受け容れさせられた。

 

 折角なのでこの状況を活かそうと、天才ハッカーでもあるカトルは動いた。

 

 今現在、『偉大なる指導者』の寵愛を受けている男を排除しようと、カトルは男が自ら付けた首輪の爆弾へアクセスしようとしたが、首輪の爆弾は、一度中枢の医療系プログラムを介しているようで、その半独立医療プログラムのセキュリティが高過ぎて、ハッキングは成功しなかった。

 

 カトルにとってはトールは邪魔だ。

 レジスタンスとして、そして────男として。

 

 カトルは『偉大なる指導者』の輝きに目を焼かれた人間だ。

 その姿を知った時から、彼女はカトルの全てになった。

 『偉大なる指導者』へ恋い焦がれていると言っていい。

 愛しているとさえ言えよう。

 その女性(ひと)は、カトルが最も求める異性であり、カトルが最も己を求めて欲しい異性である。

 

 しかし、その女性(ひと)は今はカトル・カティークではなく、トール・ネーブルばかりを見つめている。

 

 

 名家の長で構成された、もはや名ばかりの『最高決定会議』において、名家序列上位のポンジュ家に取り込まれたトール・ネーブルは、実質的に最高決定会議の議員の座を得ているに等しい。

 …それは嘗て存在した形骸化した枠組みの中で、という前提であるが。

 人間が意思決定をしていたのは遥か昔の話。

 人間が助言を求めていたプログラムの発展は凄まじく、助言だけでなく決断においてもプログラムが人間を上回ってしまった時、人間達は意思決定を放棄してしまった。

 投資家を遥かに、そして確実に上回るアドバイザーがいるのなら、そのアドバイザーに信託してしまうというのが、人間による最高決定会議の最後の判断だった。

 

 そして、今現在は各名家の長に委託されたプログラムが、最高決定機関の事実上の議員を務めている。

 そのプログラムには、実在した人間の人格もトレースされている。

 プログラムに人格を吸い出される際には、廃人になる事も多く、大抵は死ぬ間際の人間か、死んだ直後の人間が選ばれる。

 多くは名家上位の当主の死後その当主が選ばれる例、または名家上位の推薦の下、名家下位の人間が選ばれる例、という形が多かった。

 あるプログラムの完成の為に、生物学界・医学界の天才であった女性をどうしても選びたいと望まれた事もあった。

 打診があった時点では、その女性は娘が生まれたばかりであり、人格を吸い出される事を拒否したが、その後偶然にも警備を掻い潜ったレジスタンスによるテロを受けて死亡した。

 今ではその女性は、あるプログラムの管制人格となっている。

 

 プログラム達の会議は人間より効率は良い。

 だが、各々のプログラムは己の業務こそ最も優先順位が高いと認識している為に、私利ではなく任務利の為に争う事も多い。

 プログラム達が容量を大量に増やしたり、大量の電力を消費するコードが追加される時、その容量や電力量を巡って争う様は、数式の羅列達に僅かに残された人間らしい会議の名残であり、影響力や以前から保有する容量や電力量がより多い方が有利になるのも人間と似ていた。

 とはいえ、基本的には冷静で冷酷で正確に会議は進められる。

 この会議の議長たる、総合管理プログラムによって。

 

 

 この世界を決める決定権者達の現在の“お気に入り”の人間は、警備室長補佐トール・ネーブルである。

 それがカトル・カティークにとっては腹立たしい事実なのだ。

 

 

 だが、カトル・カティークには望みを叶える為の希望がある。

 彼は信じているのだ。

 彼が今までトール・ネーブルの様々な手を逃れて来たのは、偉大なる指導者(あの方)に期待されているからだと。

 都合良くカトルにとって致命的な場面で、テロリスト発見警報が鳴らなかったり、都合良くトラップや機械化された化け物がカトルを襲わなかったのは、未だカトルに利用価値があると偉大なる指導者(あの方)が認識しているから。

 カトルが生き延びれたのは、文字通り運命の女神が微笑んだからだと。

 まだカトルにもチャンスがあるのならば、彼女の為にもカトルが諦める訳にはいかない。

 二人の男の中で揺れ動く余地が残されているのなら、絶対にものにして見せると。

 

 

 カトルは誓う。

 あの方の身許に辿り着いた時、あの方の最奥へと入り込めた時、古き男は掻き出して、私が愛を得る(攻略する)

 カトルにとって、アーバシリを攻略するというのは、求める女を手に入れる事と同義だった。

 

 カトルにとって、偉大なる指導者はトールではなくカトルと共にこそあらねばならない。

 彼女が望めば、この世から全ての差別を撤廃出来る。

 絶対の勝利者として君臨し、この世から全ての競争を排除出来る。

 優れた者が成功して多くを得て、劣った者が成功せず僅かしか与えられない世界が終わる。

 人類の範囲で優れた者程度では、あの方には届かない。

 そんな偉大なあの方ならば、全ての人々に優劣をつけない社会を作れるはずだ。

 優れた人間のみで構成して、優れた人間のみで利益を生み出し、優れた人間のみで分配する社会ではなく、劣った者が劣ったままでその願いが叶えられる社会を創り出せるはずだ。

 

 だから出来る限りはあの方の輝きを強くして、その上で俺があの方を攻略する必要がある。

 

 そのような誓いが存在する。

 父親にさえ話せない、カトル・カティークの中だけの秘された絶対正義が。

 

 二大防衛産業が合併したという対処困難な絶望も、見方によれば纏めて防衛産業を失墜させる可能性を生んだと、カトルは苦難にさえ希望を見出だせる男だった。

 

 

 しかし、上手くいったとしても、それはそれで問題は存在する。

 

 問題は管理社会を悪だと焚き付け続けた仲間達が、社会そのものを管理するあの方の前に止まれるかどうかだ。

 偉大なる指導者なくしては、絶対平等の完全な共産革命は成らないのだから。

 

 どうしても彼女を傷付けようとする共産革命軍同志がいるのなら、真の共産革命の為に殺さねばならない。

 

 究極の資本主義も、究極の共産主義も、どちらも僅かな一部による独裁でなければ統一出来ない。

 自らの思想に着いて来られない愚民共の意見を聞いていては、理想家は理想に到達し得ない。

 民衆の多くは思考力や知識の纏め方の限界値が低く、簡単な事しか理解出来ない。

 知力の容量が少ない者には、複雑な事は理解出来ない。

 三人寄れば文殊の知恵は間違いであり、30点の知的容量を持つ者が三人集まったところで、30点の知的容量で理解出来る結果しか生み出せず、90点の答えは出ない。

 知る者にとっては常識でもあるフェルマーの最終定理。

 これを知らない凡人が三人集まった所で、答えを調べなければ自分たちだけで証明することも出来ない。

 頭が悪い者がいることで、賢い者が際立つという相対的な見方も存在するが、暗算で四桁同士の掛け算を出来る人間は、周囲の者が賢くても頭が悪くても、暗算で四桁の掛け算が出来る事実は変わらない。

 絶対的な基準においては、出来ない者が出来る者を際立たせる事には何の意味も無く、出来る者が出来るという事実だけが存在するのだ。

 逆説的に賢くない者も含めた全ての者が、話し合えば理解できるという事はない。

 説明する時間が掛かるだけで、余りにも無益だ。

 

 故に高度な知能が無ければ為し得ないステージには、民主主義では到達し得ない。

 賢くなく弱い人間にも理解と共感を与える事ができる政治とは、所詮はその程度の次元のものでしかない。

 唯一、高度な知能による独裁主義であれば、資本主義も共産主義もその理想が達成される。

 

 そして、一代限りの天才が作ったものでも、失わずに維持するためには規範(プロトコル)を定めてシステム化する他はない。

 

 

 資本主義も共産主義も行き着く先は、システムによる独裁だ。

 そのラベルに市場原理か政治原理の名前が刻まれる他に違いはない。

 資本主義を突き進めば弱者が死に絶え、共産主義を突き進めば強者が去る。

 少しの時間で多くの結果を出す人が評価される、無能と怠惰が同一視される資本主義と、少しの成果の為にでも多くの時間をかける事が評価される、優秀さと怠惰が同一視される共産主義では、評価の軸先が真逆である事が大きな理由だ。

 資本主義社会でも弱者が強くなる可能性や、共産主義社会でも強者が留まる可能性は、当然考慮に含められるべきという意見もあるが、実際に考慮に入れたとしても、どちらも可能性が低過ぎて全体に影響を与えない事を再確認する結果にしかならない。

 仮に存在したとしても、数が少すぎてすぐに淘汰される。

 弱者が極めて高度で難解な問題で最短で正解とされる結果を出し続ける事も、強者が一人で全ての弱者を救うことも不可能であるのだから。

 

 だからといって「何事もバランスが大切」というのは最悪の選択肢だ。

 いや、選択肢ですらない。

 取り敢えずバランスを選ぶというのは、どちらも選ぶという結果には結び付かない。

 何も選ばないのと同じだからだ。

 

 中庸を選ぶ事における最大の弊害は直ぐには訪れない。

 最初は大きな反対は生まれない。

 いや、最後まで大きな反対は生まれないだろう。

 何故なら大きな反対を生まない事こそが、バランスを選ぶ事の最大の目的であり、民主主義が衆愚政治である根拠なのだから。

 中庸主義の最大の弊害とは、何も選ばない事が常態化することで、選ぶ者が評価されない気風が醸成される事だ。

 いや醸されるという言葉すら虚飾が過ぎる。

 腐ると言った方が正しい。

 水流に耐えられぬ者へと配慮して流れを止めた結果、水は濁り腐り果てる。

 定年を迎えて何もしなくなり、死なない事だけが人生となった老人が痴呆に堕ちるように、運動しなくなった者が筋力を落とすように、思考を止めた者が考えられなくなるように、選択することそのものに抵抗を覚えるようになる。

 

 そうなれば最悪だ。

 泳いでいる魚や、飛んでいる虫は捕食者に狙われない。

 佇み休んだ時に捕食者に襲われる。

 日頃休んでばかりの者は、いざという時にも素早く動けない。

 バランスを選ぶ(選ばない事に理由を付けた)者は必要な時にさえ選べない。

 選ぶ事を否定しかしなくなった組織は、変化し続ける時代に合わせられなくなる。

 なるべく多くの人が反対しない意見というのは何も生まないが、全ての者に平等の権利が与えられる時に最も選ばれる選択肢は、“何も選ばない”ことだ。

 

 聞こえの良い調和を求める者(何も選ばない者)が選択肢を奪われる事を嘆くのは、当人達だけが気が付けない喜劇でしかない。

 選べる権利を持つ事そのものが目的で、選びたい方向性を持たない者が選択権の価値を謳うなど、完全に無駄なコストだろう。

 一度自分に与えられたものを手放したくないだけで、手の中にあるものの使い道を知らず、知ろうともしない。

 笑うに笑えない出来の悪い喜劇だ。

 

 故に選ばない民衆から選択肢を取り上げて、絶対たる支配者が行う独裁は、何かを良くしたいと選択する者全てに有益なだけでなく、組織が新鮮であるために必要不可欠と言えるだろう。

 

 資本主義に傾倒するにしても、共産主義に傾倒するにしても、どちらの理想を目指す者にとっても、自分達に賛同しない者は中立気取りも含めて害悪でしかない。

 

 変化を悪と認識する段階にまで行き着いた民主主義は、最低の独裁政治にすら劣る。

 財界で成功した者が政界を目指すのは自己顕示欲だけではない。

 庶民の目線より高い視点へと登り続けた結果、その答えを知ることになるからだ。

 

 カトルの目標は、絶対たる支配権を偉大なる支配者に持たせたまま支配者に打ち勝ち、なおかつ打ち倒した偉大なる旧き支配者を傷付ける事なく温存させ、それでいて残存する絶対支配者に対する支配権をカトルが手にする事だ。

 

 

 それはとても難しい事だ。

 だがカトルは不可能ではないと信じている。

 絶対にして万能にして完全な存在であるならば、カトルには勝ち目がないとは彼は思わない。

 

 彼女がカトルを絶対に排除しようとするのならともかく、彼女がカトルにもチャンスを与えてくれている事は、カトルが今まで生きている事より、カトルの中で真実になっている。

 

 

 ならば己の花嫁を奪い返しにいく事は、絶対に不可能だとは言えないはずだと信じている。

 

 

 カトルは彼女を愛している。

 幼き日にその姿を知った時から。

 アーバシリポリタン中央の管制ビルでもある、彫刻で、その美しさを知った時から。

 

 

 初代アーバシリポリタン市長の人格を元に構成された、総合管理プログラム機械仕掛けの全能者(オールレンジ・クロックワークス)を。

 

 

 

 

 それが稀代の悪女(聖女)によって謀られた計画だと、カトルの中では認識されていて尚、その計画ごと相手を愛して、己を愛させるカトルの希望(願い)に翳りはない。




支配者側:市民全てが出来杉君でありますように
革命軍側:人類全てにドラえもんが与えられますように




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