【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
ここからは、帝国人には広く膾炙した「大帝遺訓」、別名「大帝十五箇条」を取り上げたい。既にご存じの読者諸氏も多いと思われるが、行論の都合上、全文を掲載させて頂きたい。
大帝遺訓は全15ヵ条から成り、別名「大帝十五箇条」とも呼ばれる。後継者たる新皇帝に与えた内容、群臣(貴族)に与えた内容、臣民一般に与えた内容で、各5ヵ条に分かれている。ただ、ルドルフの遺言は大帝遺訓のみではなく、前述した政治局長エッシェンバッハへの恩賞等、当時の政治状況に即した内容や、個人的な事柄などもあったが、それは後継者ジギスムントや家族たちとの会話の中で言及されたもので、大帝遺訓はそれとは異なる。
帝国統治の指針であり、そして、あるべき皇帝・貴族・臣民の姿を示すもので、極めて普遍性が高い。ルドルフ自身、広く子孫と臣民への訓戒として作成したと思われる。その意味では、人類社会を支配した史上初の専制君主、大帝ルドルフが有する政治哲学の根本を成すものと言えよう。
大帝遺訓の全文は以下の通り。
1.新皇帝に与えた内容
① 常に臣民の生存と安寧を念願し、統治者としての責任を果たせ。
② 帝国と臣民を脅かす逆賊は断固として之を排除せよ。
③ 政治を行う際は、広く臣下の意見を求めよ。ただし、決定は己独りの責任にて行え。
④ 欲望と快楽に溺れる事無く、不断に切磋琢磨し、臣民の手本たり得る人物となれ。
⑤ 臣民に対する際は、恩威並びに行い、清濁併せ呑む度量を持て。
2.群臣に与えた内容
⑥ 皇帝に忠誠を誓い、帝国の安寧のために尽力せよ。
⑦ 人類社会を統治する支配者階級である事を常に自覚し、支配者に相応しい言動を取れ。
⑧ 私益よりも公益を重んじよ。また、利得よりも名誉と道理を尊べ。
⑨ ゴールデンバウム家の統治に異を唱える逆賊は、皇帝の勅命を得て、支配者階級たる貴族が必ず討滅せよ。
⑩ もし仮に、皇帝と帝国に異心を抱く貴族が現れたならば、皇帝の勅命を得て、他の者が必ず之を誅せよ。
3.臣民一般に与えた内容
⑪ 皇帝に敬意を払い、帝国の支配を受け入れよ。然らば帝国は汝らの存在を保障するだろう。
⑫ 皇帝の命を実行し、帝国の法を遵守せよ。然らば帝国は汝らの生存を保障するだろう。
⑬ 皇帝と帝国を脅かす逆賊は、之を報告せよ。然らば帝国は汝らの安寧を保障するだろう。
⑭ 皇帝と帝国が定める生業に励めよ。然らば帝国は汝らの生計を保障するだろう。
⑮ 皇帝と帝国が認める知識のみ学び、身体を鍛錬し、心身ともに健全な良民たれ。然らば帝国は汝らの人生を保障するだろう。
この大帝遺訓は、旧帝国滅亡まで、皇帝、貴族、そして臣民が拳拳服膺せねばならない神聖なる教えで、かつ帝国統治の大方針であり続けた。以下、遺訓の対象ごとに内容を概説したい。
まず、新皇帝への遺訓。ルドルフは、統治者の責任として、臣民の生存と安寧を第一に考えていた事、次いで帝国の統治を脅かす「逆賊」の討伐、つまり治安維持を重視していた事が分かる。連邦首相時代に行った演説でも、政治の目的は「市民の安寧と幸福…具体的に言うならば、治安維持と雇用確保」だとしているので、統治者ルドルフが考える政治の役割を示すものだろう。
そして、政治を行う上で、臣下たち、即ち支配者階級たる貴族たちの声を聞く事が必要だが、同時に、決断は独り皇帝の責任において行え、としている。帝国統治の上で、貴族らの協力は必須だが、最終責任者にして最高権力者は皇帝である事を示して、かつ、皇帝が皇帝である為には、最終決定権は余人に渡してはならない、との教えでもあろう。
皇帝とは、家族や親しい者は持てるが、本質的に孤独で、全ての決定を己独りで行い、全責任を負わねばならない、その姿を示す言葉だとも言える。新帝国で初代軍務尚書を務めた、故オーベルシュタイン元帥が、№2不要論を主張していた事はよく知られているが、ルドルフもまた、それに近い信条を抱いていたと思われる。
さらに、皇帝たる者、自らを厳しく律し、臣民の手本にならねばならない、それと同時に、臣民は多種多様であるから、彼らを受け入れる度量を持たねばならない、としている。
この大帝遺訓を知った同盟人は例外なく、自身と帝国への反対者を容赦なく逮捕、殺害してきたルドルフが言える言葉ではないと罵倒、嘲笑しているが、それはルドルフの真意を誤解していると言わざるを得ない。
前述したケッテラー大将が心優しき、良き家庭人であったと同時に、劣悪遺伝子排除法を最も厳格に適用、共和主義勢力と認定すれば、女子供も鏖殺した将帥だったように、ルドルフが言う「臣民」とは、あくまで帝国の支配を受け入れ、皇帝を敬い、その定める法を順守する存在の事を指している。
つまり、帝国の支配に異を唱える共和主義者らは、そもそも臣民では無いのだから、秩序を乱す不穏分子として取り締まるのは当然、という事になる。それを人権侵害と批判する事は無意味である。ルドルフは人権を否定した結果、臣民という存在を生み出したのだから。これは帝国の国体に関わる重要な問題なので、臣民一般に与えた大帝遺訓の解説時に、再度取り上げたい。
続いて、群臣への遺訓。群臣、これは貴族とほぼイコールの関係にあるが、ルドルフが彼ら貴族たちに求めていたのは、皇帝への忠誠、即ち帝室の藩屏たる事、支配者として相応しい言動を取る事、さらに、帝国と帝室を脅かす存在が現れた場合は、必ず討伐すべしと、帝国の体制維持を求めている事、これらだった事が分かる。
そして、第8条「私益よりも公益を重んじよ。また、利得よりも名誉と道理を尊べ」とは、前条に云う「支配者に相応しい言動」に対応していると考えられるが、後世、大帝遺訓の中で最も解釈が分かれた条文でもある。
端的に言えば、「利得」の指す内容によって、条文全体の解釈が変わってくるのだ。
仮に、利得=私益ならば、公益と名誉・道理は、共に尊び、重んじなければならない。逆に、私益よりも公益を重んじるが、そのどちらもが利得ならば、公益に反する事でも、名誉と道理に適っていれば行え、という意味になる。
前者の解釈は、公益を重んじる事は、同時に貴族の名誉でもあり、道理に叶う行為でもあるとし、公共の利益を重んじる開明派貴族の思想的根拠となった。この解釈を鼓吹したのが晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世である。
逆に後者は、私益だけではなく、公益よりも貴族の名誉と道理を重んじられるとし、旧帝国史上、叛乱やクーデターを試みた貴族の多くが、この解釈を大義名分としている。また、貴族社会で決闘の伝統が長らく受け継がれたのも、この解釈が存在したからだとの指摘がある。
一般的には、ルドルフは金を「忌まわしき怪物」と表現し、過度の利潤追求が人間疎外を齎す事を嫌っていた事から、第4条「欲望と快楽に溺れる事無く…」と同様、私欲を恣にする事を戒めているという解釈が主流だ。
最後に、臣民一般への遺訓。既に指摘されている事だが、これらの条文は、帝国と臣民との一種の「契約」と言える。勿論、臣民が主体的に契約した訳でもなく、ルドルフが定める価値観に従う事を一方的に要求されて、拒否する事は認められていないのだから、一般的な契約の名には到底値しないが、それでも「帝国には平民などいない。貴族と奴隷がいるだけだ」などと主張する同盟社会の「常識」とは異なり、帝国の平民(従臣・国民・領民)には、ルドルフの定める価値観に従う限りにおいて、一定の権利が認められていたと言える。
そして、それは平民にのみ留まる事ではなかった。銀河帝国という国家は、建国者ルドルフが定めた価値観、即ち大帝遺訓に従い、皇帝(最高権力者)-貴族(統治者階級)-平民(被治者階級)全て、その身分に応じた責務を果たす事によってのみ、その存在が許される政治的、社会的空間だった。敢えて言うなら、それが帝国の「国体」だと定義できる。
それは、臣民一般に生存等を保障する主体が皇帝ではなく、帝国となっている事からも看取できる。ルドルフの脳裡では、最高権力者たる皇帝の上位概念として帝国が存在し、自身が定める帝国の価値観(大帝遺訓)に従う義務があるという一点において、身分の尊卑はあれども、皇帝・貴族・平民は同一視される存在だった、と言えよう。
人権思想を常識とする同盟人などには、異様な考えと受け止められるかもしれないが、連邦社会での実体験から、ルドルフは人権思想に疑義を抱き、それに代わる思想として、国家が定める価値観に従う限りにおいて、動物たるヒトは、社会的存在たる人間となり、その存在と権利を認められる、故に、その価値観に従わない存在は人間ではない、規範も秩序も理解しない動物でしかなく、存在と権利を保障する事は出来ない、との考えを有するに至ったのだろう。
この思想を否定する事は簡単だ。国家の定める価値観というが、それは畢竟、その時点の最高権力者、即ちルドルフの価値観に過ぎず、それが妥当性を有するという思想的根拠は無く、ただの独裁者の独善に過ぎない、と言えば良い。しかし、ルドルフはこの指摘に対して、ある種の「諦念」を以て、大帝遺訓を定めたと思われる。第5節を参照して頂きたい。
なお余談ながら、ダゴン星域会戦以降、同盟と本格的に接触した旧帝国では、共和主義思想が密かな広がりを見せ、帝国末期では、政府当局者が平民間に革命的気分が醸成されている事に危惧の念を抱く程だったが、社会秩序維持局が押収した、彼ら共和主義者らの宣伝文書やパンフレットには、帝国政府への抵抗運動を正当化するために、平民一般への大帝遺訓が用いられている事例が極めて多い。
また、リップシュタット戦役の終盤、領主貴族に反抗、決起した平民たちのスローガンとして「皇帝陛下に逆らい、大帝遺訓を守らない貴族どもに従う必要など無い!」が広く使われている。ルドルフ的価値観を否定し、ローエングラム朝を建国された開祖ラインハルト陛下におかれては、極めて不本意であろうが、かのリップシュタット戦役が速やかに終結した理由の1つは、大帝遺訓が領主への反抗を正当化する思想的根拠となり、その決起を促した、という要因は無視できない。権力者批判の根拠になったとの一点において、大帝遺訓はある意味、疑似的な憲法だったとも言えるだろう。