【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
「到頭ここまで来た。私は明日、連邦政府首相に就任する。父が自殺したあの日から、もう10年も経つのだ。子供の頃、私は父のような立派な軍人になりたかったのだ。政治家、権力者になろうなどと思った事は無いのだが、人生とは本当に分からない。だが、あの父の自殺、そしてその遠因となった母の不慮の死が、私の人生行路を決定づけたのだ。
今でも忘れられない、いや生涯忘れる事は無いだろう。あの鮮血に染まった母の顔は。私が5歳の時だった。あの日、私は母と一緒に買い物に出かけたのだ。何の変哲も無い、ごく普通の良く晴れた日だった。目的の店に入った瞬間、人々の絶叫が響き渡った。その時は何も分からなかった。ただ、しっかり握っていた母の手が酷く冷たくなった事、その冷たさに驚いて母の顔を見上げたら、そこには目も鼻も口もなかった、ただ赤くてグチャグチャしたものしか無かった、それだけを鮮明に覚えている。
後で父から事情を聞かされた。尤も、その内容を私が理解できたのは、ずっと後の事ではあったが。私と母が訪れた店で、精神異常者が銃の乱射事件を起こしたのだと。母はその犠牲になったのだと。母のお腹の中には、私の弟か妹になるはずの胎児がいたのだと。父は泣いていた。人前で涙など見せた事の無い、この世で一番強くて立派だと思っていた父が、ただただ泣いていた。
それから私は、父の手で育てられた。その事に不満を抱いた事は無い。いや、幼すぎて現実感が持てなかったのだろう。母ともう二度と会えないという事を理解したのは、初等学校に上がってからだったと思う。
父は私を軍人にしたがり、私もそれに異存は無かった。父のようになりたいというのは、小さい時からの私の夢だったから。しかし、父の死後に判明した事だが、父はある目的を叶えるための手段として、私に軍人教育を施したようだが。
父は、自身の教え子たる若手の連邦軍人達が企図したクーデターに関与した容疑で、不名誉除隊処分となり、その屈辱に耐えられず、自ら死を選んだ事になっている。私自身、周囲の者にはそう説明しているし、これからも同じ事を繰り返すだろう。だが、真相は違う。父が私宛に残した遺書には、全く違う事が書かれていた。
父は冤罪ではなかった。実際にクーデターに参画していた。いや、首謀者の一人だった。教え子達を扇動し、武力蜂起を画策していた。実刑判決を受けなかったのは、教え子たる実行犯達が黙秘を続けた結果に過ぎない。
社会秩序を重んじる理性的な人物だった父が何故、クーデターなどという非理性的な行動に走ったのか。それは、母の死が遠因となっている。母を射殺した犯人は現行犯逮捕されたが、精神鑑定の結果、犯行時は心神耗弱状態にあり、責任能力に欠けるとして、無罪判決が出ている。
だが、父の調査によると、この人物は犯行前から傷害事件の常習犯だった。特に女性や子供など、敢えて弱者を選んで、嗜虐的に責め苛む暴力事件を繰り返していた。犯行時、若い女性や幼い子供の手足を狙って撃ち、その苦痛に歪む表情を陶酔的に眺めていたと、目撃者の証言がある事、また、入手が簡単な単発式のブラスターではなく、殺傷能力が高く、連邦地上軍でも正式採用されているアサルトライフルを使用している事、これらの状況証拠から、これは計画的な犯行であり、心神耗弱による責任能力なしは妥当ではないと、父は上級裁判所に控訴したのだが、証拠不十分のため却下され、判決は確定してしまった。
これが正当な裁判の結果ならば、父もまだ納得したかもしれない。だが、連邦の腐敗は司法にも及んでいた。犯人が無罪放免された本当の理由は、こいつが連邦軍高官の子弟だったから、に過ぎない。息子の暴力的な性格に手を焼きつつも、この高官は我が子が死刑となる事に耐えられなかったのだろう、裁判所に手を回して、精神鑑定に持ち込み、無罪を勝ち取っている。
父はこの事にも気がついていた。司法が当てにならないのなら、世論に訴えようと、各種メディアにこの醜聞を密かに持ちこんだが、権力者や富裕層でもない、軍上層部からも忌避されている非主流派の一軍人の訴えなど、政府や軍に睨まれ、自身に火の粉が降りかかる事を恐れたマスコミが取り上げるはずもなく、あっさりと門前払いされている。
父は絶望したのだろう。最愛の妻を亡くし、罪を犯した者は罰を受ける事も無く、自由な生を謳歌している。正義を守るべき司法機関は権力者の走狗と化し、その事を恥じもせぬ。権力者は我が子を偏愛して、他人の子を傷つける。そして、何よりも許せないのは、それを悪と認識しつつ、何を成す事も出来ぬ私自身だ!と。
…父は悲しい程に真面目な人だった。世の中などこんなものだと割り切って、冷笑的な態度をとる事も、酒色に耽り、世の理不尽を忘れる事も、どちらも出来なかった。悪を悪と知りつつ、何もしない事もまた悪なのだ、との考えに囚われた父は、破滅を予見しつつも、ほんの僅かな可能性に縋り、絶望的なクーデターを企図せざるを得なかった。私は息子として、父の姿に限りない尊敬を捧げると共に、遣る瀬の無い悲哀を覚えている。
父は自殺直前、新任の法務将校として、リゲル航路警備部隊に赴任していた私に、一通の手紙をくれた。それは遺書だった。そこには、母の死とその真相、そして死を決意した父の真情が縷々語られていた。もう何度読み返したか分からない。今では一言一句たりとも間違わず、正確に暗唱できるほどになった。
我が息子ルドルフよ。父は死を決意した。もはやこの世に何の興味も無い。いや、腐敗の極み、悪徳の都市と堕した連邦首都テオリアに、これ以上留まる事は耐えられない。亡き妻の元に行く事だけが私の望みなのだ。
…お前の母の死の真相はこの通りだ。私がやった事は、連邦軍人としては許されない事なのだと思う。だが、今や銀河連邦は、人として許されざる事を容易に行える輩が横行する場所と化した。無辜の人間が理不尽に殺害されて、罪を犯した者が裁きを受けない、そんな国は間違っている。いや、それは国などではない。ただヒトという獣が徘徊する暗黒の地獄と言うべきだ。
私はこの国を壊したかった。この悪徳に満ちた国を崩壊させ、秩序と倫理ある清新な国家を創造したかった。いや私が作れなくても良いのだ、大志ある者が理想的な新国家を創造する、その礎となれれば本望だった。だが、結果はお前も知る通りだ。私の試みは無残に失敗した。どれほど高邁な理想を掲げようと、無力なる者に出来る事など何も無い。その現実を突きつけられた。私が処刑されなかったのは、教え子達が庇ってくれたからに過ぎない。若者を犠牲にして老人が生き延びてしまった。この一事だけで、私が死ぬべき理由としては十分だ。
これから私がお前に言う事は、人の親として言ってはならない事だろう。だから、お前が幸福に、平穏に生きたいと願うならば、この手紙はもう焼き捨てろ。そして、父や母の事など忘れてくれ。クーデターの支援者から集めた資金の残りが金庫に入っている。これを持って、連邦軍人を辞めて、どこか辺境域の惑星に行け。そこで何か商売でも始めるか、地元の企業にでも勤めて、好ましい女性と結婚し、慎ましく一生を過ごせ。もう連邦軍には関わるな。私がクーデターの首謀者の一人である事は、軍の高官連中も薄々気付いているはずだ。お前が軍に留まれば、連中は意趣返しにお前を最前線送りにするだろう。だから、その前に軍から逃げ出せ。私の愚行でお前を危険に晒してしまった事、心の底からすまないと思っている。しかし、それでもお前が私の言葉を聞くと決心してくれたならば、矛盾するようだが、これほど嬉しい事はない。決心がついたならば、次の便箋を開け。
この便箋を読んでいるという事は、私の言葉を聞く決心をしてくれたのだな。これから私がお前に語る言葉は呪いそのものだ。耐えられないと思ったら、その時点で止めてしまえ。
どうか復讐してくれ。この国を徹底的に破壊してくれ。自身の悪徳を恥とも思わぬ卑劣漢共を鏖殺してくれ。父と母、そして生まれてくる事が出来なかった子供の仇を討ってくれ。このままでは死んでも死にきれない。悪が栄え、善が滅びる社会など絶対に間違っている。お前を軍人にしたのもそのためだ。これからは乱世だ。連邦の統治体制は事実上、崩壊している。宇宙海賊や武装したマフィアが跳梁跋扈し、辺境に駐屯する連邦軍は軍閥化を進め、連邦政府の統制を離れた星系政府は独立を企図して、互いに離合集散を繰り返している。この状況を抜本的に打開するためには、圧倒的な軍事力が必要だ。私はクーデターとの手法で中央軍を制圧し、それを手に入れようとしたが失敗した。お前は私の轍を踏むな。中央軍は腐敗した高官連中の影響力が強すぎる。地方星系へ行け。連邦政府と軍の横暴に憤っている地方勢力は陸続と出現している。彼らを味方につけろ。お前には人を惹きつけるカリスマ性がある。有為な人材を集めろ。有力者を味方につけて、お前個人に忠誠を誓う武力集団を作れ。そして、地方星系にお前の王国を築くのだ。民意など顧慮するな。ただ悪を罰し、そして善を行え。お前が正しいと思う道を歩め。お前が成功すれば、民意はお前を是とし、称賛するだろう。所詮、民意などその程度のものなのだから。そして、いつの日か、この悪徳の都テオリアを征伐してくれ。それだけが私の望みだ…
正直に言えば、それほど意外ではなかった。父が強い鬱屈を抱えている事は、ずっと前から気が付いていた。母の死にしても、士官学校に入ってから、自分なりに調べてみた。精神鑑定の結果が疑わしい事、犯人が連邦軍高官の子弟だった事も、僅かながら報道されていた。尤も、影響力皆無のミニコミ紙しか書いていなかったが。
それでも、父の言葉が当時の私を発奮させたのも事実だった。父の勧めに従って、軍を辞めて辺境域に行こうとは皆目思わなかった。私は自分の力量に自信があったし、王国云々は兎も角、軍人として武勲を挙げ、社会的に影響力のある人物になれば、父や母、産まれる事が出来なかった兄弟の如き不幸を少しでも減らす事が出来るのではないかと、今にして思うと汗顔赤面の至りだが、若さ故の驕りというか、当時は素直にそう思っていた。
それが如何に甘い見通しだったのかと痛感させられたのは、そう宇宙暦293年だった、謂れの無い罪で憲兵隊に逮捕され、軍法会議への出頭を命じられたのだ。
当時、宇宙海賊の討伐に尽力していた私は、奴らの背後には政府や軍と癒着した多星系企業が存在する事に気が付いた。海賊どもは、これら企業が違法なダーティビジネスを行う際の先兵、私兵だった。私は企業への警告として、海賊どもの艦船を拿捕せず、敢えて即時の撃沈も断行した。中央の大手企業の横暴に苦しめられていた地元住民は拍手喝采して、私の正義を認めてくれた。
しかし、貪欲な財界人どもには、私は邪魔者以外の何物でもなかったのだろう。階級剥奪と軍刑務所への収監が決まった時は、流石に目の前が真っ暗になった。私の人生もここで終わりかと。命こそ永らえても、社会的には死んだに等しい。父の願いにも応えられず、何を為す事も無く終わるのかと思うと、父同様、自ら命を絶つ事さえ本気で考えた。
だが、私は十三階段を上りはしなかった。いや、私はその時、栄光へと続く階段の一段目に立っていたのだ。
ペデルギウス星系住民の世論を喚起し、抗議デモを主導したクロプシュトックとは旧知の仲ではあったが、彼がこれほど真剣に動いてくれるとは、全くの予想外だった。
釈放後、彼にその理由を聞いてみたが、貴方はこんな所で終わるべき人ではないと繰り返すばかり、ただ彼の目が何かに憑かれたように、熱狂的な色を浮かべていたのが印象的だった。私は父の言葉を想起せざるを得なかった。私には人を惹きつけるカリスマ性があると。己の天運を信じ始めたのはあの時からだったかもしれない。
それからも順風満帆だった訳ではない。だが、今にして思うと、私の人生はある意味、父の言葉通りに進んできた。ファルストロングやハーンなど有為な人材を集めて、彼らと結成した政党「国家革新同盟」は連邦議会で存在感を示すに至った。次の選挙では確実に単独過半数を確保できるだろう。クロプシュトックやノイラートらペデルギウス星系の有力者を味方につけて、同星系の治安維持部隊司令官たるリスナーは私個人に忠誠を誓い、ペデルギウスは今や私の王国にも等しい。
だが、もはや父の言葉に従う事は出来ない。私は明日、連邦政府首相に就任する。父は首都テオリアを悪徳の都と罵倒し、いつの日か、私がテオリアを征伐する事を夢見て逝った。しかし、明日から私は、連邦市民3000億人の生存と安寧に責任を持たねばならない。テオリアが悪徳に満ちた都市である事に異論はない。だが、征伐は出来ない。私はテオリアの悪徳を浄化するため、最高権力者になるのだから」