【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」   作:旧王朝史編纂所教授

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5-4:【帝国暦元年12月17日】

「皇帝即位に伴う過密日程がやっと一段落した。就寝までの一時、久しぶりに筆を取ってみた。皇帝など大時代的な称号だと、自分でも気恥ずかしい思いを禁じ得ないのだが、まあ、そのうち馴れてくるだろう。民意に左右されず、永続的で安定的な権力委譲を可能にする装置として、主権者の地位と責務を「家業」と表現した事は、我ながら出色の着想だと自負しているが、それに相応しい称号として皇帝とは。

 

 地球時代に滅びて久しい称号と認識していたが、これを持ち出してきたクロプシュトックは、一体どこから考えついたものやら。確かに、世襲を表現する上で適切な称号だとは思う。また、辺境域の敵対勢力の中には、王や公などの中世的な称号を好んで用いる、夜郎自大な弱小勢力がいると聞く。クロプシュトックは、それへの対抗策も兼ねております、と申していたが、我が国が小勢力に張り合い、皇帝や帝国などと名乗る方が、却って鼎の軽重を問われそうな気もするのだが。とは言え、もう決まった事だ。今さらとやかく言う事も無い。バロック的美意識は私、いや余も嫌いではないしな。

 

 さて、連邦時代の終身執政官を超越して、絶対に近い権力者になる事ができた。余の理想を理解して、忠誠を誓ってくれた有為なる臣下達も多数集った。とは言え、連邦を懐かしみ、自由主義と民主主義を奉じる敵対勢力は侮れない強敵だ。領内には帝国の支配に疑問を抱く勢力が未だに多く、連中への配慮から、連邦議会を帝国議会として残さざるを得なかった。

 しかし、奴らを倒せば、全人類社会を理想的な状態に近づけられる、帝国の支配を受け入れる臣民の生存と安寧が保証され、平穏に人生を全うできる社会を作り出す事が出来るのだ。 

 

 無論、理想の実現までには、まだまだ長い年月がかかろう。或いは、余の代では終わらないかもしれぬ。その事を考えるならば、優れた後継者の存在は必須だ。余には娘はいるが、残念ながら息子はいない。建国間もない帝国の主権者が女帝、という訳にもいくまい。エリザベートが男子を産んでくれれば一番良いのだが、年齢的な問題もある。高齢出産では母体に負担がかかるし、障害児が発生する確率も高くなると聞く。気は進まぬが側室を迎えるか、或いはカタリナに婿を取らせるか、まあ、余自身がまだ数十年に亘って政務を担当できる以上、今すぐ決める事でもあるまい、家族や臣下とも相談せねばならぬし。

 

 それに、後継者問題は帝室だけの事ではない。統治は皇帝1人で出来るものではない。今は優秀な臣下がいてくれるが、彼らもいずれ死ぬ。彼らに後継者育成の義務を負わせて、皇帝と同様、その地位と職責は家業として世襲させる事を考えている。

 

 彼らを支配者層とし、政治・行政・軍事・経済などの担い手とする。名称はそうだな、余が皇帝である以上、やはり「貴族」が妥当だろう。ただ、世襲と雖も、貴族身分内での競争、切磋琢磨は当然、必要となる。子が親と同じ職業に就くとしても、親が長年かけて到達した地位に、何らの実績も経験も無い子をすぐに就ける事は出来ない。組織が機能不全を起こす事は自明だからだ。人材の新陳代謝を図るため、例えば親が出仕していた役所に優先的に採用はされるが、任官後は同期の者達と出世競争をさせるとか、制度の詳細は今後、検討していかねばならないだろう。

 

 それと、今思いついたが、この貴族制度、議会を切り崩すのに使えるかもしれんな。議会議員の多くは、各星系の有力者達だ。彼らに貴族の身分を与えて、地盤とする星系を領地として下賜する、これを餌に議員を籠絡すれば、労せずして議会解散に持ち込めるかもしれん。制度設計と並行して、ハーンやランケ、ノイラートらと協議する価値はあるな。

 

 そう言えば、皇帝即位後、議会で所信表明演説を行ったが、野党議員の一部から批判の声が上がったと聞く。余は連邦首相時代より、福祉よりも就労を掲げ、各種の福祉給付を削減、廃止して、その分の財源を公共事業や民間企業への支援金に充てた。失業者が雇用される場を作り出して、失業は罪と定め、政府が指定する職場での労働を義務化した。帝国でもその方針は変わらないと述べただけなのだが、その一節に「地球時代、ある思想家は「天は自ら助くる者を助く」と述べた。余はこの主張を是としたい。自己保存のために尽力する事は、ヒトの本能であって、人間の義務でもある。生き残る力を持てない者、持つ意志が無い者が滅亡する事は、適者生存の法則による自然の摂理なのだ。余は責任ある為政者として、自然の摂理に逆らい、社会に無用の負担を負わせる者を容認する意思は無い。彼らは滅びるべきであり、静かなる滅亡こそが彼らの進むべき道なのだ」とあったのが、連中の癇に障ったようだ。

 

 一部の野党議員は「生き残る力が無い者は滅びてしまえ、それが皇帝の本音か」と言っているそうだが、確かに字面だけで判断すれば、そういう解釈もできるか。余の真意は選択と集中、だったのだが。

 

 生き残る力が無い者は自然の摂理によって滅亡へと至る、故に、臣民に生き残る力を与える事、それが政治の役割だと考えている。これは連邦時代から一貫して変わる事の無い、余の政治哲学の1つだ。

 

 高度に分業化された現代社会では、生き残る力とは生計を維持できる能力に他ならない。余は連邦首相時代、雇用確保のため、主要企業の国営化、業界ごとに各企業の統合と系列化を進め、経済活動を政府の管理下に置くとした。同時に、職業の世襲化を称揚、企業経営者らに対して、退職した社員を補充するため、新規採用を計画した時は、退職者の子弟を優先的に採用するように、と申し入れをしている。教育も、実学や技術取得を中心に行い、手に職を付ける事を推奨した。

 

 また、これは計画中だが、各種の福祉制度を廃止する代わりに、最低限の衣食住を支給する配給制度の創設を予定している。さらに、臣民らが理不尽な暴力で命を落とす、身体に重篤な怪我を負う事がないよう、厳酷な手法を用い、テロ行為も辞さない反帝国組織を始め、宇宙海賊やマフィア等の犯罪者集団を逮捕または排除する事で、帝国領内の治安維持を断行していく心算だ。

 

 これらの政策を継続的に実施するには、とにかく金が必要だ。残念ながら、我が帝国の予算は決して潤沢とは言えない。帝国は銀河連邦の後継国家である以上、連邦政府の資産と共に、負債も引き継がざるを得なかった。そうでなければ、財界人を味方に付ける事は出来なかっただろう。いくら帝国政府が通貨発行権を有していると言っても、その発行量は慎重に決定されねばならない。経済活動に応じた発行量でなければ、帝国マルクの額面ではなく、早晩、札束の重量で支払をする事になるだろう。いやいや、そんな通貨政策を許可したら、「人の皮を被ったコンピュータ」こと、財務尚書リヒテンラーデに縊り殺されかねんな、余は。

 

 つまりだ、福祉を削減する事は、福祉よりも就労を掲げる余の政治方針もあるが、福祉財源を他の施策に転用するため、との理由も大きいのだ。削減対象として福祉予算を選んだのは、単純に額が大きいから、という理由もあるが、その大半が老人福祉に支出されるからでもある。

 既に生産年齢を過ぎた高齢者への福祉・医療費は、連邦政府の総予算の中で、毎年度、相当の割合を占めていた。社会の再生産に寄与しない高齢者に多額の税金が投入されたのは、年齢を重ねた彼らは基本的に保守的で、与党支持者が殆どだったから、との理由に過ぎない。

 

 私は連邦首相時代から、生産年齢を過ぎた高齢者への福祉は削減し、その財源を雇用対策や貧困対策に使うべきと主張してきた。対して、野党及び与党の一部からは、弱者切り捨てだと批判の声が上がった。

 

 しかし、これは逆差別ではないのか。例えば、1人の寝たきり老人に死ぬまで安楽な生活をさせるための予算で、幼子を抱える母子家庭が生活不安を払拭できるとしたら、どちらがより社会正義に適うだろうか。近い将来、確実に失われる生命を無為に延長する代わりに、労働との形で長く社会に貢献できて、子供を産み育てる青壮年層が充実した生活を送れるようにする事、どちらがより社会の発展に寄与するだろうか。余は後者だと考える。

 

 老人を敬い、孝養を尽くす事は美徳だ。だが、それは個人の美徳であり、公人の美徳ではない。公共、公益を考えねばならない統治者は、個々人の幸福を超えて、社会全体の幸福量を最大化する事を考えるべきだと思う。

 

 余に言わせるならば、自由主義の美名の下、過酷な生存競争を強い、貧富の格差が極大化しても、自己責任論で切り捨ててきた連邦政府の政治家や官僚、財界人ども、連中は声にこそ出さなかったが、紛れもなく「生き残る力が無い者は滅びてしまえ」と、失業者や貧乏人に宣告していたと思うがな」

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