【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」   作:旧王朝史編纂所教授

111 / 112
5-8:【帝国暦41年11月7日】

「どうでも良いが、余は後世の人間から、どのように評されるのだろう。余の理想を自らの理想とする者、余の政策が自身の利益になる者―例えば貴族達―は余を名君と称賛するだろう。逆に、余の理想を悪政と断じる者、余の政策が自身の不利益になる者―例えば共和主義者達―は余を暴君と憎悪するだろう。後世の評価など畢竟、その程度に過ぎんのだ。

 

 ただ逆に、余の仕事が後世に与えるだろう影響は考えてみたい。後悔している訳ではない。ただ、病床の徒然なるままに、思考の遊戯をしているだけだ。新無憂宮の主は、もう既にジギスムントとノイエ・シュタウフェンになっており、義務感以外で余の病床を訪れる者はほぼおらぬ。稀に曽孫のリヒャルトが遊びに来るが、子供の勢いに付き合うのは酷く疲れるのでな。勢い、一日の大部分は独りで過ごしている。これもまた罰なのだろう。

 

 さて、銀河帝国を形成する主要な要素、まず皇帝専制という政体、貴族制度と身分制秩序、世襲による支配者階級の維持、貴族・軍隊・官僚による統治機構、発展を求めぬ統制経済、人権の制限による「臣民」化、これらが指摘できるか。

 

 この中で、最も影響が乏しいのは皇帝専制だろう。統治の本質が少数による多数の支配である以上、一人乃至複数人が権力者になるという構図は、如何なる政体であれ共通すると考えている。民主国家が独裁者を生む土壌になる事実は、この事を証明しているだろう。皇帝との称号も、世襲による権力委譲を表現する上で適切な称号だったから、貴族という称号との均衡を図る上でも都合が良かったからに過ぎない。別に国王でも、総統でも、大統領でも、その本質は変わらない。

 

 では、皇帝制度と関連が深い貴族制度と身分制秩序、また世襲による支配者階級の維持はどうか。私見では、皇帝よりも貴族の方が、後世に与える影響は大きいと思っている。

 世襲によって支配者階級を構成する貴族層は、制度的にも政治権力や武力、経済力を保有できる存在であるから、将来、ゴールデンバウム家が腐敗堕落した時、それに取って代われる存在が出現するとしたら、貴族層からである可能性が高い。支配される事に馴れた臣民には、皇帝の姓がゴールデンバウムであるかどうかなど、大した問題ではないだろうから。いや、民主国家でも同じだったか、誰が支配者かなど、支配、搾取される側にとっては、どうでもよい事だろう。

 

 貴族・軍隊・官僚による統治機構はどうか。貴族を除けば、軍隊と官僚とは、如何なる国家にも必要不可欠な支配装置、普遍的な存在と言うべきだ。故に、特筆すべきものではない。民主国家ならば、その支配装置を統御するために民意を用いるが、民意を信じられない余は、その代替として、支配者層に相応しい人材を選び、貴族階級を作ったのだ。全くの妄想に過ぎなかったがな。

 

 最後に、発展を求めぬ統制経済、人権の制限による「臣民」化。案外、この2つが帝国の支配を長期化させる要因になるのではないかと、今では思っている。

 

 統制経済は、連邦末期に貧富の格差が極大化した事を踏まえて、地球統一政府の先例を参考に、人民の生命維持を最大の目的として導入した経済体制だが、採算度外視の生産を優先した結果、物価が下がり、通貨価値が上がってきた。

 その結果、帝国政府から様々な形で現金を得られる貴族層の経済力が向上して、相対的に平民層の力を低減させる事になった。遠い将来は分からぬが、この傾向が続けば、平民層が帝国や貴族に反抗する事は物理的に不可能となろう。だが、それで良いのだ。無駄な抵抗や叛乱など考えず、平民達には人生を全うする事を考えて欲しい。配給制度もそのために作ったのだから。

 

 そして、人権の制限。帝国の支配を受け入れる者にだけ生存を許すという考え方。民主主義者には傲慢極まりない許されざる思想だろうが、例え人権が保障されていても、いや人権を振りかざして、各人が己の欲望充足を当然の権利と見なすようになれば、社会から倫理と規範が失われる。その結果、弱肉強食の世界となる。それは連邦末期の社会そのものだった。

 

 余はその社会を否定したが故、人権を制限する代わりに、平等に生命が保障される社会を志向したのだ。自由と人権を至高とする者には到底受け入れられないだろうが、余は思う、人間とはそれほど強い存在ではないと。

 

 誰もが自己責任を貫徹できる訳ではない。例え自業自得でも、自らの不幸や不遇の原因を他者に求めて、相手の責任を問う事、思考の他罰的傾向とは、人類普遍の衝動ではないかと疑いたくなる程だ。また、自身と愛する者達の生命を守るためなら、強者に屈して、迎合、いや阿諛追従してでも生きようとする者が大多数だ。自主・自由・自律を掲げた銀河連邦でも、ほぼ全ての市民はそうやって露命を繋いでいた。

 

 人民から権利を奪う事は、裏を返せば責任を免除する事に他ならない。意図した訳ではないが、平民が自らの不幸や不遇、また社会特有の理不尽さなどの責任を問える相手として、帝国には政治的、経済的権利を独占する貴族という存在がいる。平民の立場からすれば、貴族は不平不満をぶつけられる相手というだけではなく、忠誠誓約を交わせば、制度的に自身と家族達を永続的に庇護してくれる強者でもある。あくまでも結果論だが、人間の弱さに寄り添った「臣民」化は、有効かつ永続的な統治体制に繋がるだろう。

 

 自己責任論を掲げて、自由と人権を至高とする者達は、強者に責任を押しつけながら、強者に媚び諂って生きようとする者達を否定するのか。余が独善的である事は自覚している。だが、自由と人権の名の下、弱き者達の生命が理不尽に奪われている現実に憤りを感じたからこそ、余は民主主義を否定して、人民を臣民とし、帝国の庇護下に置こうとしたのだ。尤も、それもまた無意味な事ではあったが。

 

 結果的に、余が後世に残せたものは、ゴールデンバウム家を打倒できる可能性を持つ貴族層、発展を求めない経済体制と人権の制限による永続的な統治体制、この2つに尽きるのだろう。

 

 いや、もう1つあった。これは予期せぬ事だったのだが、国務省が作成した人口動態によると、帝国建国後、人口が減少傾向にあるという。理由は幾つか考えられる。帝国内外の共和主義者の討伐によって失われた人命が多い事、公的福祉の削減、廃止によって、臣民が家計を圧迫する出産・育児を放棄する傾向にある事、農奴・奴隷階級の創設により、過酷な労働で生命を落とす者が常に一定数存在する事、これらの要因が指摘できる。

 

 是非、この傾向が続いて欲しいと切に願う。人類などという種は、早晩滅びるべきなのだ。こんな愚劣な存在は宇宙の汚点でしかない。政策的に見ても、人口が減れば、経済も縮小して、社会が養える人数は減っていく。そうすれば人口減少のサイクルが加速する。無限の経済成長など所詮無理なのだ、だが、縮小を齎す政策ならば可能だろう。その過程で人命を少しずつ減らしていけば良い。狂人の思想だと嫌悪されるかもしれぬが、最終的に余が理想とするのは、人類という種の安楽死なのだ。

 

 だが、これもまた、余の希望的観測でしか無い。未来など誰にも分からぬ。余は千里眼の持ち主でも、何らかの超常的能力の保有者でも無い。だが、未だに余を神と見なす連中は、余が超常的能力を持っていると言うのだろうし、余が持っていない事が分かれば、何故持っていないのかと理不尽な非難を余に浴びせるだろう。神などではない、もう、疲れた…」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。