【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」 作:旧王朝史編纂所教授
前節で解説した官僚機構を始め、旧帝国の支配体制を現場レベルで支えた人材は如何にして育まれたのか。本節では旧帝国の教育・学術制度について概説したい。
まず、旧帝国での学術研究を一言で表すとするなら「実学偏重」、この言葉に尽きるだろう。ルドルフは文学や歴史学、哲学など、いわゆる文系基礎学と言われる諸分野に対し、ことさら悪意を持っていた訳ではなかったが、さほど興味が無かったのも事実だ。逆に、社会変革への強烈な志向を有していたルドルフは、権力や財力、武力など、社会に直接影響を与えられる力を生み出す学問には、強い興味を示した。
その結果、旧帝国の学術研究は、成果が見えにくい基礎的学問は等閑視され、社会に影響を与えられる技術や制度を生み出す応用的学問が重視された。それは、学芸省の予算配分にも露骨に現れ、例えば国立オーディン文理科大学は、帝国随一の名門大学だったが、文系学部に与えられる予算は、理系学部のそれと比較すると、僅か10分の1にも満たない額だったという。
この実学偏重の傾向は、旧帝国の教育制度にも反映された。技術の取得を目的とする各種専科(専門)学校は公費で運営され、平民向けの奨学金制度などもあったが、一般的な知識や教養を主に教える公立学校は存在せず、学問好きの皇族や貴族が運営する私立学校があるだけだった。
そもそも、旧帝国の公的教育制度は、連邦時代のそれよりも遙かに貧弱で、連邦市民には当然だった義務教育制度も廃止。教育は義務でも権利でもなく、各人がその必要に応じて、または国家の要請に応じて、適宜学ぶべきとされた。それは、人間の能力には格差があり、出来ない者に時間と経費を投じて教育しても非効率だ、というルドルフの人間観の現れだった。
終身執政官時代、ルドルフが後の学芸尚書ランケに送った書簡の一節に、その人間観・教育観を端的に表現した部分があるので、以下に引用したい。
なお、ランケは連邦末期の著名な社会学者で、生物としての人間には、遺伝子に由来する能力の格差があり、社会的動物としての人間には、性別や出生地、そして両親の社会的地位や所得による機会の格差が不可避的に生じる、それは人間社会の宿命というべきであって、その格差を前提とした社会秩序の構築こそ、真に平等な社会であって、かつ個々人の幸福と人生の充実にも繋がるのだ、その事を理解せず、自由と放埒の区別もつかず、欲望の無秩序かつ無制限な解放を自由と称するような人間は、社会にとって害悪でしかないと、社会科学の観点から身分秩序の正当性を鼓吹。貴族制成立のイデオローグとして、ルドルフに重用された学者政治家だった。
「…貴下の見解に賛同する。人間の能力には限界と格差がある事は、私も平素より感じていた。能力が無い者に高度な知識や教養を教授しても、理解はおろか記憶さえも出来ないのならば、時間と経費の浪費であり、かつ、無理な課題を強制された当人にとっても、精神的な苦痛でしかない。教育現場で日夜苦心している教師らの話を聞いても、学校の授業が理解できず、周囲への劣等感から、非行や暴力に走る児童生徒らの何と多い事か!
彼らには学問を修めるという能力が生来、欠如しているのだ。その事を理解せず、子供の権利だから、保護者の義務だからと、能力の欠如した児童生徒に学問を強制する事は、もはや犯罪的でさえある。彼らには、持てる能力と性向に合致した場を与えてやるべきなのだ。そして、その場で与えられるものは、その者が将来、独立した生計を営む事が出来る技術であるべきだ。子供の自己実現や個性重視などと言い、教育評論家などという馬鹿者どもが持て囃す、利益も生まない労働の真似事、愚にもつかない創作活動や似非芸術、遊戯と変わらぬ運動競技などでは、決してあってはならない。自ら生計を営める事こそ、人間の尊厳を守り、人生の充実に繋がるのだ。それを与えてやるのが、子供を産み育てる者にとって、最低限の責務だと、私は確信する。
よって、子供の能力と性向に応じて、将来、生計を営める技術を習得できる場を与えるのは、その子の両親であるべきだ。その意味でも、私は貴下が提唱する「家学」という概念に深く感銘を覚えた。私自身も父から軍人教育を受けたが、親こそが子にとり最適の教師なのだ。何故なら、親以上に子を深く知る者は存在しないからだ。その事を理解せず、学校教員の非を鳴らし、自身の責任を転嫁する親など、もはや親の名に値しない。公教育に全て委ねようとする者は、その乞食根性を自覚すべきなのだ」
この主張通り、即位後のルドルフは、公教育制度を大幅に縮小した一方、家庭内教育の重要性を強調。親が子を教育する事こそ、帝国の誇るべき美風だと宣言。臣民の資格取得や学力向上を目的として、地域コミュニティごとに設けた学習室や図書館を使った初等学習活動を推奨した。
そこでは、地域の子供達が同年齢ごとに集まり、その子らの親を教師役として、公用語の読み書きや四則計算などが教育された。また、親の知的水準が低い場合は、知的水準が高い近隣住民(退職した役人や軍人など)に依頼し、子弟の教育を行う事が望ましいとされた。子供が最低限の言語能力や計算能力を身につけたら、その子の能力と性向を鑑み、特定の技術取得を目的とした専科学校に進学させて、卒業後は、その技術を必要とする企業に就職する事が一般的な平民の人生航路となった。
なお、学校卒業後、一定期間を経過しても就職しない場合は、学校を通じて政府から職場を斡旋されるが、それは事実上の強制であり、特段の理由がない無職・離職は、重大な臣民の義務違反として、社会秩序維持局の処罰対象となった。
また、親と同じ職場に就職する事は、子にとっても、社会にとっても、最も望ましい就業とされた。そのため、企業側にも、退職者の補充は社員の子弟から採用すべしと通達。就業適齢期の対象者がいたにも関わらず、採用しなかった場合は、臣民の義務違反として、経営者が社会秩序維持局の拘禁対象になる事もあった。
ただし、これは平均的所得の平民の場合であり、家計が裕福な平民の子弟は、官僚や軍人、警察官などの国家公務員、また医療従事者や法律関係者などの専門職に就くため、上級の専門学校や大学に進学する事が多かった。また、富裕な貴族は幼少期から家庭教師をつけられて、家庭内で教育される事が常識とされた。
この結果、平民の学力水準は、所得によってばらつきが大きくなり、貴族と平民間のみならず、平民層内でも意識の格差が生まれ、それは平民の団結を阻害し、所得ごとの階層化を促進した。それこそがランケ、ひいてはルドルフが意図した事で、身分制秩序が定着するための前提条件の一つでもあった。なお、旧帝国の身分制度については、第4章「貴族制度と身分制秩序」にて詳述したい。
上記のように、ルドルフと帝国政府にとっては、教育制度も社会秩序を維持するための一手段に過ぎなかったと言えるが、人材育成との面からはどうだったのだろうか。結論から述べると、旧帝国の平均的労働者は、上意下達に馴れきった指示待ち人間であり、創造性や自主性とは無縁な者が大多数だった。しかし、それを以て、旧帝国は人材育成に失敗したと速断する事は出来ない。
周知の通り、旧帝国には貴族層があり、彼らは幼少期より十分な教育を受け、創造性や自主性を発揮できる人材に育っていった。ルドルフにとっては、社会の指導者たる貴族が優れた人材になれば良いのであって、平民は貴族の指示を受け、その意図を実現させるための道具になるべきだと考えていた。むしろ、道具としての生を全うさせるため、貴族が必要とする技術を身につけさせる事が、平民の幸福につながると考えていた節がある。
後年、同盟が旧帝国よりも人口が少ないにも関わらず、軍事的に対抗できる国家であった事から、労働者の生産性は同盟より劣っている、旧帝国の人材育成は失敗だったとする見解が同盟の社会学界では通説だったが、それは現在的視点というべきであって、そもそもルドルフは遠い将来、同盟という敵国が生まれる事など本気では想定してはいなかっただろう。同盟が生産性向上を至上命題として人材育成に励んだように、建国期の旧帝国にとっては、帝国の身分制秩序を受け入れ、優れた貴族を支える平民を産み出す事が至上命題だったのだ。あくまで、その意味においてはだが、旧帝国の人材育成は、所与の目的を達成したと言えるのではないだろうか。
さて、本節の最後に、実学偏重の学術研究が後世に与えた影響について、医学を例にして解説したいと思う。
旧帝国の医学は、学問というよりも、人間を労働力及び兵力として、どれほど効率的に、かつ長期間にわたって、稼働させられるか、その命題を達成するための技術論だった。
よって、戦傷等で欠損した四肢を補う義手・義足の開発技術は発展したが、それよりも時間と経費を要する再生医療は等閑視された。疾病対策でも、死因の上位に来る病気の治療法開発が優先されて、人体と病因との関係を探る基礎研究や心の病を扱う精神医学、患者数が少ない難病奇病の治療法、ペインクリニックなどの終末期医療は、少なくとも公的な研究機関で扱うべきものではないとされた。
なお余談ながら、終末期医療が等閑視された原因は、旧帝国に医療保険が無かった事も理由の一つ。回復不可能で支払能力が無い患者は、病院側にとって負担でしかなく、半ば公然と医師による安楽死が行われていた。
この結果、既知の疾病や負傷の治療法は進展したが、その反面、未知の病気や新型の薬物による健康被害などには無力になりがちで、臨床研究が進展し、対処方法が確立するまで、患者の死亡率が極端に高くなる、という弊害をもたらした。誠に痛切の極みだが、開祖ラインハルト陛下の早すぎる崩御は、まさに帝国医学界の弊害そのものと言わざる得ない。本省も学術研究を主管する官庁として、二度とこのような悲劇が繰り返される事が無いよう、人体と病因の関係を明らかにする基礎研究に努める医学研究者の育成に尽力する所存である。
この弊害は、旧帝国の諸帝にも襲いかかった。一部を除き、歴代諸帝が崩御された年齢は、旧帝国の平均寿命よりも10歳以上若いが、これは皇帝という激務によって、心身両面にかかる負荷を癒やせる医学的知見が乏しかったために、平均的な帝国人よりも生命力の減衰が激しかったのではないか、との見解が新帝国の医学界から示されている。
また、歴代諸帝の中でも、屈指の名君である晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ2世が政敵に飲まされた毒物のため、半盲状態だった事はよく知られているが、一説には、同帝の視力を奪った毒物は、水面下で人的・物的交流があった同盟からもたらされた物で、旧帝国では既にその存在が失われて久しい、連邦時代に開発された有機化合物だったと言われている。現時点では、本説を証明する史料は存在しないが、ダゴン星域会戦以前から、旧帝国首脳部の一部と同盟政府とが密かに接触していた形跡があり、研究の進展によっては、証明される可能性も 無しとは言えない。
なお余談ながら、晴眼帝は在位中、身体障害者用の補助機具や、治療・延命用の特殊食品などを密かに開発させていたが、その開発に当たった技術者の多くは、同盟領に近い、イゼルローン回廊方面の出身だった。敢えて想像の翼を広げるならば、それらの機具や食品には、同盟を経由した連邦時代の技術や知識が使われていたのかもしれない。なお当時の旧帝国と同盟との関係は、慈愛帝マクシミリアン・ヨーゼフ1世、百日帝グスタフ、そして晴眼帝の巻で詳述したい。
以上のように、旧帝国の学術研究は実学重視、特に既存の技術を改良する方向にのみ特化しがちで、基礎研究を疎かにした結果、研究者の思考が硬直化し、新規の発明や発見が無くなり、中長期的に見た場合、学術の停滞をもたらした。私財を投じて、基礎研究に励む貴族も存在していなかった訳ではないが、それらは単なる道楽と見なされ、公共の知的財産として蓄積される事は少なかった。
無駄を嫌悪したルドルフだが、無駄の中に創造の種子が潜んでいるという事実を理解する事はなかったのだろう。いや、この事を理解している権力者の方が絶対的に少ないのが現実である以上、ことさらにルドルフだけを批判するのは、不公平と言うべきだろうが。