【概説】ゴールデンバウム朝銀河帝国史:第1巻「建国期~ルドルフ大帝」   作:旧王朝史編纂所教授

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第5節 帝国の医療・福祉制度

 本節では帝国の医療・福祉制度について解説したい。とは言え、旧帝国では公的な医療・福祉制度が皆無に近い状態だった事は、周知の事実である。

 

 ルドルフは即位後、医療や福祉を必要としない強健な身体作りは臣民の義務、老人介護は家族の義務だとして、公的な医療・福祉に頼るのは恥ずべき事だとの価値観を打ち出した。ルドルフの価値観は、皇族・貴族の価値観として受け継がれ、歴代諸帝の中には、装甲擲弾兵並みの肉体を誇る人物もいた。

 

 また、平民にとって、介護を家族で負担しないといけない事実は、家庭内労働力、特に女性労働力の重要性を高めた。その結果、娘に恵まれなかった家庭では、女性労働力を求めて、息子を10代で結婚させる例が急増。男女ともに早婚化が進んだ。後世、旧帝国を訪れたある同盟人は、帝国の女性が10代で結婚、20代は行き遅れと言われる事に驚いたとする記録を残しているが、それもルドルフの価値観に端を発した事だと言えるだろう。

 

 帝国成立後、連邦政府の福祉保健省を解体、同省の権能を国務省の局レベルに格下げして、この価値観を制度的にも表明したが、帝国暦9年、劣悪遺伝子排除法の成立から始まる治世後期に至ると、連邦時代から続く医療・福祉制度の大半は廃止、縮小された。

 

 医療は受益者が実費負担。公的な保険制度は廃止し、不時の出費に備えた貯蓄が推奨された。児童福祉や老人介護は、家族の責務と位置づけられ、公的な支援制度は廃止。病気や負傷で働けなくなった、また災害や戦災で財産を失った場合は、犯罪歴が無く、税金の滞納が無い者に限って、一時的な弔慰金を支給される事もあった。対象者が多い場合は、国家への貢献度によって選別され、無支給の者も少なくなかった。年金も公的制度としては廃止され、帝国への貢献に対する皇帝からの恩寵、と位置付けられた。貴族はその爵位に従って終身年金が支給され、軍人や官僚もその地位に応じて支給されたが、一般平民は戦功を挙げた、犯罪者を逮捕した等、国家が認める功績を挙げた場合のみ、年金の受給資格を得た。

 

 このように、帝国での福祉とは、公的な扶助制度ではなく、皇帝から臣民への恩恵との性格が強く、かつ貴族制成立後は、身分による格差が明確にあった。

 

 医療を例にとると、富裕な貴族は専属の医師を雇用する、自身で病院を運営するのが一般的で、下級貴族であっても、国営病院で優先的な治療が受けられたが、平民は費用的な問題で専門的な治療を受ける事が難しく、大病を患ったら、それが治療可能な疾病でも、生命の危機に直面する事が多かった。

 

 この他、職業による差別も大きく、役人や軍人は所属官庁や軍隊内にある病院で治療を受けられ、家族もその恩典に預かれた。国営企業で働く労働者も、管理職や技術者は優先的に治療が受けられた。その結果、家計に余裕がある平民は、子弟を役人や軍人に育てる例が多くなり、それが巨大組織と化した各省や帝国軍の基盤を支える現業職員や下士官となっていった。

 

 日常生活のセーフティネットというべき医療や福祉をほぼ廃止して、何故、帝国の人民生活が500年近く存続できたのか、同盟の社会学界ではよく議論の対象になったが、往々にして、帝国の厳酷なる統治を受け入れるため、自身が劣悪な環境下で暮らしている事から、多くの人民が無意識的に目をそらしていたと、人間の心理的防衛機能が原因だとする説、または、農奴や奴隷といった、一般平民よりも過酷な環境で暮らしている存在を目の当たりにする事で、奴らよりはマシだと、人間が持つ差別意識と優越感に原因を求める説など、人民の精神的な部分に解答を求める傾向があった。

 筆者はこれらの説を批判する者である。イデオロギーに囚われた同盟の研究者達には受け入れ難い事かもしれないが、公的な医療・福祉の恩恵を受けられない平民の苦境に手を差し伸べたのは、貴族達だったのである。

 

 現在、旧帝国の貴族と言えば、無能・暴虐の代名詞ともなっているが、貴族が極端に強権的、暴力的になったのは、帝国暦400年代頃からだと言われる。当時、同盟との戦争が激化して、帝国内には軍国主義的な風潮が高まり、むき出しの暴力や武力が横行するようになった。当時の皇帝、残暴帝ウィルヘルム1世も激高して臣下を撲殺するような人物であり、直接的な暴力で問題を解決する空気が醸成されていったと思われる。

 また、帝国暦438年、権謀帝オットー・ハインツ2世が領主貴族の権限を大幅に拡大、事実上の半独立勢力となる事を容認する勅令、所謂「分国令」を発布した以降、貴族家が爆発的に増えて、悪貨は良貨を駆逐する、との格言通り、無能で暴虐な貴族が激増したのではないかと考えられる。

 

 無論、特権階級が腐敗しやすい事は、筆者も否定するものではない。事実、建国期の貴族の中にも、暴虐な者、無能な者はいた。しかし、大部分の貴族は、皇帝ルドルフに選ばれた事に誇りを持ち、皇室と帝国に忠誠を尽くす事に情熱を傾けていた。旧帝国の歴史を紐解くと、高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)を果たそうとする貴族達が少なくなかった。

 

 歴代諸帝の中で、高貴なる者の義務を最も自然に体現できた、貴族の中の貴族、皇族の中の皇族と称えられた、美麗帝アウグスト1世の御代に顕著だが、当時、皇族や貴族達が私財を投じて、無料または低価格で受診できる慈善病院、孤児院や養老院、救貧院を設立、運営している。これらの施設が最後のセーフティネットとして機能していた。

 また、領地を経営する貴族の中には、帝国政府のそれよりも、手厚い医療・福祉サービスを提供する者も多数いた。それは慈善というよりも、優秀な労働力を確保するためとの側面が確かに強かったが、真面目で勤勉であれば、より良い生活を送れる場を提供していた事もまた事実なのだ。

 

 この事を評して「支配者の恩情に頼るような医療や福祉は中世への逆行、非民主的だ」と、批判する事は簡単だろう。しかし、連邦末期、自由主義の名の下、低所得者層や貧困層が自己責任を強制され、公的な医療・福祉サービスからさえも排除されていた事実は否定できないのではないだろうか。どちらを正しいとするかは、究極的には個々人の価値観による事なので、軽々に結論を下せるものではないが、法治が持つ公平さと無機質さ、人治が持つ不公平さと温かさ、どのような政体にも長所と短所がある事、完全な政体など無い事は、歴史の教訓として明記しておくべきだと、一歴史学徒として、筆者は思っている。

 

 以上のように、旧帝国の医療・福祉は、公的制度としては確立していなかったが、皇帝や貴族たち支配者層の恩情と慈善によって、最低限、機能していたと言える。それは、前述した通り、法治よりも人治を志向したルドルフの政治姿勢と軌を一にする。繰り返しになるが、恩情と慈善に溢れた人治を遠い将来に亘って継続するために、ルドルフは貴族制度を創設したというのが筆者の見解である。

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